安部公房の良識派
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は241回、安部公房『良識派』を『であることとすること』の導入に使ってみた、というタイトルでお届けしたいと思います。
私はいつも配信で言っている通り、高等学校3年生の論理・国語の教科担当をしています。高等学校3年生ということで、2学期からは受験指導を本格的にやるんですけれども、1学期は教科職業材を使って展開しています。
そして、1学期の中間テスト後からは、であることとすることという評論文に入ることにしました。
このであることとすること、どういう風に入ろうかなとずっと考えていたわけで、その前段階として、中間テストまでには先日お話ししたある単元をやったわけですけれども、
本格的にであることとすることに入る前に、安部公房の良識派というのを読むことにしています。
この安部公房の良識派と、であることとすることの冒頭部分というのは、本当に関係があって、読み合わせにぴったりだと私は思っています。
今日はそのことを紹介しますね。
まず安部公房の良識派というのは、本当に読んだら2分か3分ぐらいで終わるような、そういう短い小説になっています。
そしてこれは偶話で、鶏と人間が出てきます。
鶏が自由になりたいなと思っていたわけですけれども、次第次第に言葉巧みに人間の言葉に騙されて、檻に入れられ、
そして一匹の何かおかしいぞっていう少数の人の声を、いやそんなことはないだろう、なんかこういいんじゃないっていうような、
良識派が多数を占めてしまって、とうとう鶏みんなが檻に入れられてしまう。
そして鶏族は人間の思うまま卵をうまく使われたり、そして自分自身が命を奪われて鶏肉になったりと、
そういう末路を迎えるということが示唆されている内容になっているわけですね。
これをまず読んで、これは例えが使われているんだけど、何がどう例えられているか読み取りましょうということで入るわけです。
みんな面白がって、鶏と人間の偶由について読んでいくわけですね。
いろいろなパターンを考えるわけですね。政治家と人民とか、それから奴隷と、それから奴隷を使う人とか、
それから先生と生徒とか、結構シニカルな話も出てきたりして、それぞれがそれぞれに思いついたことを出し合って、
これは非支配、支配の関係だねとか、あるいは権力と権力を持たない人の関係だねとか、そういうふうなことをまとめとしてやっていくわけなんですけれども、
もう一つ読み深めるために、私はある発問をすることにしています。
これはタイトルですね。タイトルが良識派というタイトルで、みんなタイトルの回収を忘れているよねということで、
それぞれがそれぞれの読みで、これもいいね、この読み方もいいね、で終わるんじゃ面白くない。
やっぱり読解を深めるには、表現の工夫とか、それから作者が考えた工夫とか、そういうのを読んで、しっかりそれを分析して、論理的に分析して読みを深めていこう。
じゃあタイトルの回収は?
それからタイトルと同じ言葉が文中に使われていて、鍵括弧良識派って書いてあるんだけど、何で鍵括弧が書いてあるんだろう?
このことを考えて、もう一回作者はこの偶話を通じてどういうことを訴えたかったのか考えてみようというような問いを出して考えてもらうことにしています。
そうするとだいたいね、少しずつ読みが深まっていきまして、みんなで話し合いをしたり、隣近所で話し合いしたり、情報交換するということを通して、鍵括弧良識派っていうのが皮肉だということに気づきますね。
どういう皮肉かっていうのも生徒に言わせるようにしています。
つまり鍵括弧良識派っていうのは、普通だったら常識的な判断、適切な判断をしていく人たちっていう意味なんだけど、それは鍵括弧ついているから違う含みがある。
それは本当に良識ではなくて、本当は誤った判断ではないのかっていうような皮肉が込められている。
その誤った判断というのは、大多数の人たちに賛成して、何も考えずにその考えに賛同していく愚かな人たちを描き、少数派の人は物事を疑うということ。
そういう鶏が登場するので、そういうふうな対比でもって、何も考えずに大多数の意見に追随している人たちを皮肉っているのではないか。
というような分析まで深めて、ああ面白かったね、そこまで読めたよね、だからしっかり読んでいって、次に読む評論文との関わりを考えていきましょうということでスタートするわけですね。
ということで、こうやって良識派っていうのを使って、次のであることとすることの冒頭部分を読んでいくわけですね。
であることとすることの導入
であることとすることの冒頭部分は、やはり金を借りた人が請求されないことをいいことに、その借りたお金をねこばばしてしまって、そして貸した方はずっと請求しないものですから、その請求する権利を失ってしまって、そのお金を貸してもらえなかった。
この話は一見不人情のように見えるけれども、それってやっぱり自分の権利をしっかり主張しない限り、自分の権利は奪われてしまって自由を失うんだっていうような、そういうふうな冒頭部分なわけです。
それを読み取りまして、で今日は振り返りを書かせてみました。振り返りは、いろんなこととつながりを書いたらAランクっていうふうな、そういうふうな条件書いてあるんだけど、やっぱりあの良識派と読み比べて、それでちゃんと書いてくれている子がいましたね。
そんなふうにして、評論文というものを単独で読むよりは、小説と読み合わせたり、実生活の例えを引き合いに出したりしながら、結びつけながら読んでいかないと、評論文というのは面白くないなと思っています。
なので、皆さんもやっていらっしゃると思うんだけれども、具体例と抽象的見解の王冠、結びつけ、これをしながらずっと読んでいきたいと思っています。
まあだけどね、評論文ばっかりやったんだったら、ずっとお菓子ばっかり食べているような感じ、あるいはずっと焼き鳥ばっかり食べているような感じといったような、同じような似たような食事を毎日毎日とっていては、やっぱり味気がないので、こうやって時々面白いことを入れながら、できたら短い小説を入れながら読み合わせて楽しんでいけたらなって思っています。
ということで皆さん、「であることとすること」っていう定番教材の導入に、阿部工房の良識派、おすすめです。ぜひ機会があったらチャレンジしてみてください。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。