2025-05-11 08:46

220 論理国語と文学国語に分けた結果、生徒は学びに向き合えているのか?

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高等学校の国語、論理国語と文学国語に分けたけれど、果たして効果的だったんですか?

すんごい愚痴になっています・・・(汗

#論理国語 #文学国語 #効果あったの? 

サマリー

論理国語と文学国語が分けられた結果、生徒は学びにどのように向き合っているのかを考えています。特に、教員は生徒の実態に合わせた教材を探し出すことが重要であり、文学国語の魅力について深く掘り下げます。

論理国語と文学国語の分離
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は、220 回、論理国語と文学国語に分けた結果、生徒は学びに向き合えているのか、というタイトルでお話ししたいと思います。
いや、論理国語を担当して2年目なんですけれども、本当に本当に負担可能な科目になっているなと思います。
そもそも、論理国語と文学国語に分けたのは、やっぱり論理国語というものを特設することによって、評論的な文章、論理的な文章を数多く読ませ、生徒に論理的思考力をつけてもらおうという狙いというのが大きいと思います。
で、カリキュラム編成上、論理国語と文学国語のどっちかを取らざるを得なくなって、両方取っている学校さんもあるんだけど、それは単位数が比較的多く取れる学校だと思うんだけど、
普通の高校では、論理国語か文学国語かを選択せざるを得ないことになって、分母が限りがあるのでね。
その結果、受験で共通テストに評論文出るし、論理国語を取ろうかということで、論理国語を選んだ学校さんが多いということになっています。
で、逆に文学国語を取った学校さんもある自治体では多い。その理由は、文学国語だと文学評論というのを扱えるので、文学国語を選ぶことによって評論文と、
それから文学的な文章と両方を二刀流でいけるという判断で、文学国語を選んだ自治体さんもあるようですね。
じゃあ結果どうなっていたのかということを、まだ全然そういう風な分析とか検討とかもないわけなんですけれども、果たして効果的だったんでしょうか。
現場の最前線にいる位置教員として、今日はいろいろ語りたいと思います。
まず論理国語、教科書を見るとずらーっと読みごたえのある文章を並んでいますけれども、生徒の生活実態に引き合わせてみると、やっぱりその学校その学校によって生徒の実態が違うんで、
あるくまでもスタンダードが並んでいるだけで、生徒に刺さる教材が多いのかというと、難しいです。知的好奇心の大変ある学校さんでは多分刺さると思います。
けれど、大概の学校はそうじゃないんで、いきなりよくわかんないような美術論とか、よくわかんないような経済論とか、よくわかんないような現代社会の問題とか、そういうのを読まされても、生徒の生活実態とあまり離れているので、まず主体性を喚起できないという大きな問題が残っている状況です。
教科書教材の中には、いい教材もあるんですよ。あるんですけれども、教科書教材じゃない教材、教員が自分自身で発掘してきた教材というのは、やっぱり刺さりますね。
以前、AI時代を生きるという、評論文教材があまりにも生徒に刺さらないので、いろんなAIの新書を読んで、AI関係の新書を読んで、それを寄せ集めたAI時代を生きるという、そういう自主教材を編成してきてやった時には、生徒は本当に興味関心を持ってそれを読んでいました。
あれは良かったなと思いますし、今やっているメリットクラシーとハイパーメリットクラシーの問題も、今の私たちの社会を象徴しているし、受験の中にいる生徒にとっては考えさせられる題材となっています。
そんなふうに教員自身が生徒の実態に合わせて発掘してきた教材というのは、刺さる傾向にあるんですけれども、それを発掘するまでにどれほどの時間をかけなくてはならないか。
本もたくさん買わないといけないですし、その本の中で、いわゆる当たる教材というのは少ないので、たくさんの本を買ってたくさんの本を読んで、そして生徒にとって最適な文章をそこから抽出していくという作業に圧倒的な時間を割かれて、まあこれはただ事ではないなというふうにいつも思っています。
持続可能になり得ていません。文学国語はどうなのかという話ですけれど、長い間生き残ってきた定番教材というのは、やっぱり普遍的な価値を持っています。
らしょうもんにしたって、いきなり生徒はなんでこんなことをするんだというような大きな疑問を持って、その疑問を解決するために文章をいわゆる筋道立てて分析しながら読んでいくわけですよね。
これで相当論理的な思考力つくと思うんだけれども、文学というジャンルになっていて、論理的な文章扱いにされていません。
まあほんとらしょうもんなんか生徒面白い面白いって読むし、三月記なんかも本当になんでこの人虎になったんだっていう大きな疑問を抱いて、細部まで読もうとします。
それから次に心、これなんかもダラダラと長くて本当に分量が多くて大変なんだけれども、なんでけいは自殺したんだっていう大きな疑問を持って、引き付けられるように読んでいくわけですよね。
そういうふうな定番教材の魅力っていうのは、いろんな学校に行きましたけれども普遍的でした。
勉強が非常に苦手なそういう子どもでも、心は面白い面白いって読みました。
その他にも安倍公文の某とかこれも良かったし、それからセメントダルの中の手紙っていうのも読んだ時にも生徒はとても引き付けられました。
小説教材も定番教材であればあるほどやっぱりそこに非常に質の高い文章が入っているので、
どんどん誠読していっても引き付けられるようなそういう重みとか深みがあるわけなんですよね。
生徒は文章にのめり込むようにして読んでいきます。
ちょっと難しいしがなおやの木の先にてっていう、あの文章も生徒面白い面白いって読むんですよ。
やっぱり文学っていうものにとても魅力を感じるんですよね、生徒はね。
そうやって一生懸命に読んで、一生懸命に読むもんだからそこに絡めていくような文学評論の題材も一生懸命に読む。
これで本当にあの文章をのめり込むように読むし、のめり込むように書くし、のめり込むように友達同士の書いた作文を読むし、
非常にいい循環でいくんだけれども、なぜか論理国語の教材は生徒はあまりのめり込まないという、
私からしてみたら本当に時間のロスが大きいな、そういう科目だなっていう思いがあります。
皆さんのところはどうなんでしょうか。
まあ日々そうやって論理国語と格闘しているんですけれど、教科書教材に入るんだけども、工夫に工夫をいつも重ねるように一生懸命頑張っていますけれども、限界がある。
そこにはやっぱり生きた人間の苦悩とか悩みとか、やっぱりその自分を投影できないものがどうしても評論文には入ってくるんですよね。
その自分を投影できないものを読ませるっていうのは無味感想なんで、私はいつもそこに何かしらの動画とか、何かしらの挟み込み的教材を絡ませながらやっていくようにはするんですけども、
教育現場の課題
それが文学作品であればあるほど効果的でした。
一体この非常に苦しむような状況をどうやって打開していったらいいのかっていう答えはまだ出ていませんけど、皆さん、もしいい答えがあったらぜひぜひお知らせくださいませ。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。
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