1. 高校国語について話すラジオ
  2. 88.リテラチャーサークル「鞄..
2025-10-02 08:56

88.リテラチャーサークル「鞄」編

spotify

読書教育の手法の一つ、「リテラチャーサークル」です。

ちょっとお試し。

サマリー

高校の国語の授業では、リテラチャーサークルという手法を用いて「カバン」という作品を教材にして、生徒たちが深く考えている授業が行われています。この授業では、役割分担を通じて集団での読解が促進され、最後には小論文を書くことを目指しています。

リテラチャーサークルの導入
第88回、高校国語について話すラジオの時間となりました。
この番組では、高校の国語家であるなんばが、
普段の授業の話や研究の話などをして、国語家の先生なみならず、
いろんな先生に、授業や教育について考えてもらうことを目的としたラジオです。
皆さん、こんにちは。パーソナリティを進めます。なんばむっとです。よろしくお願いします。
文学国語の授業で、今、リテラチャーサークルっていう
読書教育の一つの手法を使いながら授業を行っているんですね。
どんなものかっていうと、
簡単に言うと、複数名で一つの班みたいなものを形成をして、
役割に沿ってその文章を読んでいくみたいな。
例えば、どんな役割があるかっていうと、疑問を持つ人、
クエスチョナーっていう人がいたりだとか、
あとは、自分とその文章のものを関連づけていくっていう、
いわゆるコネクターっていう役割がいたりだとか、
あとは、その文章の中で重要だと思った表現とか、
あとは大事だと思うところを抜いてくる、
リテラリー・ルミナリーっていうような役があったりだとか、
あとは、頭の中に思い描いた情景をイラストで表す
イラストレーターっていうものがあったりだとか、
一応、リテラチャーサークルはその四つが基本の役になって、
あとは、文章によっていろんなものを調べる
リサーチャーっていう人だとか、
あとは要約をする人、サマライザーっていうものだったりとか、
そこら辺はフレキシブルに設定してね、みたいな。
そんなような活動というか、やり方なんですね。
もともと海外のところで、
臨読とかそういうような、みんなで何かを一緒に読むときに、
そういう役割分担をしながら読みを深めていくっていうものの
一つなんですけれど、
それを今、文学高校のところで使いながら授業をしています。
数年前にも、リテラチャーサークルで赤い眉を
リテラチャーサークルで文章を読解して、
最後は小論文で成果を見取るっていう授業、
単元を構成していたんですが、
そのときの反省とかもいろいろありながら、
でもやっぱり特に偶和系は、
いろんな解釈とかができるかなって思って、
こっちがこういうような偶和だよっていうよりも、
生徒たちにいろいろ気づいてほしいって考えたときに、
今の手法というか、リテラチャーサークルだと、
カバンを使った授業
結構読みが生徒たち自身の方でいろいろと形成できるかな
というところで、その手法を取っています。
単元の目標とかはちゃんといろいろ考えているので、
今回はさておいてっていう感じなんですけれども、
実際にリテラチャーサークル初めてのクラスだったので、
やってみて、扱った文章はカバンなんですね。
カバンの文章をリテラチャーサークルを使いながら、
ああでもない、こうでもないって言いながら、
生徒たちで考えていく。
全体の時間自体は、ちょっといろんなことがあって、
1時間で前に音読みたいな文章をひとまず目を通している
っていう前提の中で、だいたい3時間で構成しています。
1時間が自分が役割に沿って考える時間が1、
その後に同じ役割の人たちと共有する、
ジグソーでいうみたいな感じですね。
やるのが1。
実際に異なる役割の人と共有するのが1。
合計準備1、同じ役割共有1、
他の役割共有1みたいな感じで、
単元の授業のところは構成しています。
生徒の反応と考察
単元的には、カバンっていう文章1本だけではなくて、
他にも近いような偶話ですね。
安倍公法の良識派だとか、あとは三少王だとか、
っていうものも一緒に扱いながら、
最終的にはまた小論文で実際に論述してもらう
みたいな感じです。
実際にやってみて、まず1回目ですね。
生徒たちの反応はどうだったかっていうと、
楽しい楽しくないで言うと結構みんな楽しんでくれていて、
ただ読みが深まっているな、
その疑問が解消されていたとか、
っていうところではすごく価値を感じている一方で、
ある程度読める生徒にとっては、
逆に答えが欲しいみたいな、
そんなようなところだったかなと思います。
これの話というか感想を見たときに、
文章の理解のレベルというか程度をですね、
どういうふうに考えていくんだろうということが
すごく自分の中でも疑問でした。
というのも、例えばこれはこういうところだ、
こういう意味だ、こういうような内容だ、
というふうな理解を学校でも僕もしていくし、
ちゃんと制徳をしていくし、
でも実際の社会生活の中では、
そこまでこれはこういう意味でね、みたいな、
あまりない気がするんですよね。
どっちかというと、自分で読んでわからなかったら、
ちょっと調べてみて、
映画のなんでこれがこういうふうになっていたんだろう、
みたいな、調べるのと近いかなと思うんですけど、
そういうようになっていくんだろうなと。
そう思ったときに、
実際に社会的なということを考えたら、
それってすごくおかしいことではないな、
結構当たり前だなと思ったんですよ。
読んでみんなで話したり、
これだ、みたいな答えがないって。
やっぱり答えを求めちゃう姿勢というか、
そういうのがやっぱりあるんだなって。
実際に抵抗さとかにもしたりしないよっていうふうに
言ってるのにもかかわらず、
そういうふうになっているっていうことは、
やっぱりちょっと気持ち悪いんだろうなというか、
今までに体験してきてないことだから、
そういうところのイレギュラーもあるのかなって思って、
すごくね、なるほどって思いましたね。
これはどうしてもなんですけど、
最後の小論文ね、
文章を書くって言ってもううげーってなるんですよ。
やっぱり、
いかさんもね、
書くことのポッドキャストを録音されていましたけど、
うげーってなるんですけど、
やっぱり高校だとどうしても学習指導要領とかのことを、
あとは学びの系統、
小中でどんなことを書いているかとかも
分からないんですよね。
あとは学びの系統、
小中でどんなことを書いているかとかも
踏まえていくと、
ちょっとアカデミックというか、
なんかその、
感想文とかみたいなものではなくて、
やっぱりしっかりとした文章で
やっぱり書いていくっていうことが
やっぱり力的にも求められていくような
気がしているんですけど、
なんかそれって、
なんか良くも悪くもあるんだよなーってことを
最近思っていて、
っていうのも、やっぱりグーバーとかを読んでいて、
そういうね、
批評するじゃないですけど、
いろんなことを分析していくのも楽しいとは思うんですが、
やっぱりそういう風な、
大学入試とかから
ちょっと離れている
クラスだったりすると、
それよりも単純に、
どれが一番自分に近いと思った?
みたいな、
そんな話を書かせてもいいのかなーっていう、
ちょっとアカデミックじゃないかもしれないですけど、
そんなような活動ができる
クラスなので、
そういう、
いわゆるアカデミックじゃないものでも、
なんかたくさん書かせていれると、
なんか交流させていったら面白いのかなーと
今思っています。
なので、
本当に複数の文章を読んで、
自分に一番近い
登場人物は誰だと思いますか?
みたいな、
でもなんかいいのかなーって、
むしろそのお題でどう書かせるかの方が、
実は大事かなーとも思ってますね。
生徒たちは本当によくやっていて、
なんか面白いなーって思っています。
それが他の文章の時にはどういう風になっていくかとか、
そういったところはまた今後見とりながら、
最終的にね、
どういうことが書かれていくのかということも、
ぜひちょっと楽しみにしながら進めていきたいなと思います。
ということで、
またね、
今週というか明日ですね、
9月の26日から
良識派の方に入るので、
どんな風になるか、
ぜひね、
考えて、
というか、
楽しんでいきたいと思います。
また続報をお伝えしたいと思います。
ということで、
リスナーの皆さま、
あらため馬場の皆さま、
いつでもありがとうございます。
では今後もお楽しみに。
ありがとうございました。
08:56

コメント

スクロール