00:00
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道ス黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は102 回、問いづくりを極めると何が起きるのかというタイトルでお届けしたいと思います。
これは、99 回の問いは立てるものではなくて生まれるものという配信を受けて、コメントしてくださった笠原先生のコメント内容にまたまた影響を受けて、補完的に補うべく配信することをいたしました。
笠原先生は、たった一つを変えるだけという本、この本のダン・ロス・スタインさんの手法については、民主主義の育成という考え方も入っているというようなことをご指摘していただきまして、そう言われればそうだったなと思いまして、それをちょっとだけ補足しておきたいと思います。
ダン・ロス・スタインさんの問いづくりの手法というのは面白くて、みんなで問いをどんどん出していくんですけど、その問いについて反応しちゃいけないですよね。例えば、「いいですね。」とか、「ん?」とかっていうふうに反応してはいけないっていうのがあって、
そのあるがままの問いをそのまま受け入れて、問いをとにかくひたすらみんなの問いを聞くっていう段階が、私にとってはとても印象的だったんですね。すべての人の意見を評価なんかしたら、結局言いにくくなる場合もあるじゃないですか。反応したりなんかするとね。
だからすべての人の問いを本当に平等に聞くためには、静かに黙って傾聴するということを重視していらっしゃいまして、そのことによって全員参加で本当にマイノリティの人の意見も大切にするっていうような考え方が醸成されるんじゃないかと思うんですよね。
それだけではなくて、全員で参加するということをとても大切にされていたと思います。その問いっていうのが、結局、社会問題の解決に向かっていくような展開に結びついていくので、私たちが国語教育でやっているような作品の理解を深めるとか、そういうふうな方向性ではなくて、
どっちかというと、今の社会の問題、私たちが今本当に困っていることを解決するためにはどうしたらいいかというような民主主義教育の観点があったということをちょっと補足してお伝えしておきたいと思います。
そういうのはやっぱりアメリカと日本では違うんだなと思ったし、究極教育ってそういう社会で生きていくための力を生徒にどうやってつけさせるかっていうところでもあるんで、私たちの小さい国語教育っていう分野だと、どうしても作品の理解とか教材の理解とか、そういったところにどうしてもメインになりがちなんで、気をつけておかないといけないところでもありますね。
03:06
そういったことを補足する中で、さらにふと補足を思いつきました。私が所属している国語教育の研究会、広島美穂の会っていうのがあるんですけれど、これは鳴門教育大学の名誉教授でいらっしゃるセラヒロアキ先生がアドバイザーを務めてくださっているわけなんですけど、ずっと前、3年か4年ぐらい前に
たった一つを変えるだけに影響を受けた私が、この美穂の会で皆さんにQFTの手法をワークショップで開いたことがありました。
その時に宮沢賢治の山梨っていう教材を引き合いに出してみんなで問い作りをやったんですね。その時の印象はもう皆さん国語の素晴らしい実力者ばっかりなんで、山梨はみんな読んでるしよく知ってるし、小学校の定番教材ではあるけれども、本当に有名どころなんでよくわかってらっしゃる。
その時の問い作りのワークショップは本当に深い問いの連発で、もうこれでもかっていうぐらい深い問いが連発しあったんですね。
その中にやっぱりちょっと小学生が出しそうな問いをうまいこと混ぜたりなんかして、やっぱり国語の先生だと深い問いを連発することができるんだなってその時思いました。
そのワークショップが終わった後で、セラヒロアキ先生が、どなたかが過去にこういう問いをたくさん作るっていう実践をされたんだっていうようなことをお話しされて、その実践がとても印象的でした。
たくさんの問いをとにかく出させるんですね。そのたくさんの問いを分類整理して問いを構造化したっていうふうにおっしゃってました。
オープンクエスチョン、クローズドクエスチョン、それは当然のことながら、その内容に関する問いなのか、表現技巧に関する問いなのか、作者に関する問いなのか、作品の背景に関する問いなのか、あらゆる観点を設けて問いを構造化して、
一枚の紙にすべての問いを出して綺麗に書いたわけですね。それを生徒同士で、あでもない、こうでもないっていうふうに分類整理したわけなんですけれど、全部の問いを整理し終わった後に、さあ授業に入ろうって言ったら、もう生徒は興味を失っていたし、いろんなことを質問するんだけれど、もう答えがすらすら出てきて、授業が盛り上がらなかったっていうふうにおっしゃってました。
つまり、問いを考える時点で、生徒は答えをあでもないと、こうでもないと考えながら、その問いを分類整理しているっていう状態だったわけで、問いが投げかけられて、その問いについて分類している時にも読解は終わってしまっていたっていうようなことなんだと思うんですね。
06:16
たぶんね、国立大附属の生徒相手だったんじゃないかと思うんですけれど、そうじゃないと、なかなかそういう事態になりにくいなとは思うんだけれど、それを聞いて、やっぱり問いっていうものは、本当に深く思考して、深く読解してっていうふうな状態にならないと、たくさんの問いとか、
それから表面的でない深い問いが出ないっていうことで、問うということ自体が読解するっていうことにかなり通じているんじゃないかなと思いましたね。
私も問い作りを生徒にさせたことがあるんですけれど、一応ザーッと一読して出させた問いと、それから最後に全部読解が終わって出させた問いは、ものすごく深さが違ってました。
生徒はどっちの問いの方がワクワクしてたかなと思うと、やっぱり校舎の全部読解終わってから自分たちで作り出した問いっていう方に、何かしら誇りを持つと言いますか、なんか嬉しそうと言いますか、こんな問いが出たぞ、僕はみたいな、そういう得意顔っていうのが見れたような気がします。
なので、やっぱり読むとき、書読の感想とかね、そのときに出す問いっていうのと、全部終わってから出す問いっていうのと、また授業でいろんな組み合わせも考えられるんじゃないかなと、この間の問い作りの第99回の配信を受けて私自身が考えたことです。
ということで、問い作り一つとっても、その使い方っていうのは、いろんなバリエーションが考えられますよね。本当に授業というのは奥深いものだなと思います。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。