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皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は101回目の配信ということで、私がなぜ発信好きなのかを語りたいと思います。
まず皆さん、伯楽っていうのをご存知でしょうか。国語の先生はよく知っていると思うんですけれど、これは中国の関羽という人が雑説っていうね、そういうあのちょっとした文章を書いているんですけれど、その中に
名場を見抜く名人のことを伯楽と言います。その伯楽は名場を見抜く名人なんだけれども、引いては人物の才能を見抜く眼力のある人を伯楽というようにも現在ではなっています。
私には実は振り返ってみると、名伯楽というものがいたというお話になります。
まず私は非常にアウトプット好きなんですね。特にこのポッドキャストでは瞬く間に100回を刻むことができました。
そもそもウェブにのめり込み始めたのはインターネットが非常に活発になった2000年ぐらいかな。
いち早くホームページをホームページビルダー買ってきて、さっさと作って自分の漫画教材をアップロードしたりなんかしたり、あとはやっぱり掲示板経営なんかをやったりとかして、いち早くアウトプットにのめり込みました。
だんだんと時代はブログになっていって、ムーバーブルタイプというプログラムを自分の借りたレンタルサーバーにインストールして運用したり、それからSNSが発達してくるとツイッターのアカウントをすぐに取って発信始めたり、
フェイスブック、それからインスタグラム、そしてノート、最近ではブログも自分でドメインを獲得してワードプレスというプログラムで始めたりなんかして、とってもとってもアウトプット好きなんですね。
特に今回は8月13日からポッドキャストを始めて、ネタが尽きることがないのが不思議なんですけどね。ということで、私はもともと表現するっていうことがとても大好きなタイプで、しかもどんどん発想が湧いてくるタイプ。
なんでなんかなと思ったら、やっぱり表現することの裏には自分で理解したことっていう、それに基づいてあれやこれや考えたことをいろんな構成を考えてアウトプットする。それによっていろんな反応が来る。そしてどんどんどんどん自分が高まっていく。認識が深まっていく。成長していくっていう、そういう状態が好きなんだろうなと思うんですよね。
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で、こういうのが大好きになったのはなんでなのかなっていろいろいろいろ振り返ってみると、これはやっぱり私の小学校5、6年生の頃にそのきっかけがありました。
私の小学校5、6年生の担任の先生は女性の先生で、ちょうど子供さんも産んで30歳前後かな、それぐらいの本当にハツラツとしたキリッとした、本当に元気のある明るい女性の先生でした。
働きながら子育てもしていて忙しい毎日私たちの担任として元気いっぱい精いっぱい力いっぱい私たちに当たってくれました。
実は卒業してから何人かでお家を訪ねたこともあるぐらいとっても影響を受けた先生です。
その先生が私が5年生だった時、新聞係っていうものに月判で当たったわけですね。
その先生は1ヶ月後退で新聞係っていうのを決めて原稿を自分で新聞を書いてそれをみんなに印刷して配ってくれたんです。
私は新聞係になって面白くて1回月に1回でいいんだけど面白くて面白くてだいたい自分の書いたものレイアウトしたもの漫画とか書いたもの文章書いたものを先生が印刷してみんなに配ってくれるわけですよ。
ものすごく嬉しくてもう原稿を量産してました。
たぶん1日に1枚ぐらい書いてたんじゃないかと思います。
ものに取り憑かれたようにどんどんどんどん沸き上がるものを原稿用紙にその当時はファックス原子って言ってたんですけど
ファックス原子に鉛筆で思いつくものをどんどんどんどん書いていってもう頭の中がものすごい熱量でオーラが出てるような感じが私今でも覚えてるんですけど
ものすごい高揚感集中力で書いてました。
毎日毎日文章を書きまくったもんですから先生は最初の3日か4日ぐらいは印刷してくれてたんですけどどうもこの子は止まるところを知らないなと先生は見切って
これはねもう毎日毎日書いてくれていいのよとだけどとても印刷が間に合わないから全部書いてくれたものは教室に貼ってあげるから
好きなように書いてってことでたくさんのファックス原子を私に渡してくれました
全く先生はこれ以上書くなとか言わずに好きに書いていいっておっしゃってくれたんで私はもう好きに書いてそれ全部教室の壁中に貼ってくれたんですよ
これがね私本当に面白くて本当に嬉しくて本当にこの時に書くことが好きになったんじゃないかなと思いますね
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だから先生はわかってたんじゃないかと思うんですね子どもが何かに取り憑かれたようにものすごい集中力で書いているとき
それを決して止めてはならないしその瞬間こそがその子の最大伸びる時間なんだっていうこと
先生はよくわかってたんじゃないかと思うんですよね私はこれがきっかけで作文とか書くとかねそういったことが大好きになりました
そして時は巡り6年生になったときに今でも思い出すんだけど12月の最初頃ですね
親がね担任の先生から電話がかかってきたっていうことで何があったのかなと思って聞いたら
お受験をしないかということで国立大附属を受けないかって担任の先生がおっしゃるんだけどお前はどうするっていう風にね
父に聞かれたんですねでうちの家はお受験とか一切関わりのないというかもう存在すら知らない家だったと思うんだけど
私もだから全然お受験なんか知らなくて地元の中学校に入るもんだと思っていろんなの手続きをしようかっていう時だったんですよね
そんなところで担任の先生が国立大附属中古一貫校を受けないかって言われて私悩んだんだけど
父親がせっかく担任の先生がお前を見て言ってくれたんだからチャレンジすればいいじゃないか
ダメだったら地元の中学校に行けばいいんだしもうチャレンジすれば失うものはないからしたらっていうことで私は軽い気持ちでうんわかったという感じで受けてしまったんですね
でまぁちょっと勉強しないといけないっていうので適当にその辺の本屋で問題集を買ってやってたら
その担任の先生はどんな勉強してるっていう風に聞いてくれてこんなことやってるって言ったらこの問題集にしなさいっていうことで
過去問の問題集の国語と算数の問題を指定してくれて早速それを親が買いに行ってくれてそれで勉強しました
やっぱりすごく難しい問題だったんですけれど
答えもついてるから自分でわからないところを徹底的に努力してわかるようにしたり
この問題も必死で解いたりなんかして受験準備をしまして
塾にはいかなかったですねその問題集だけで勉強しました
で試験が来ました算数はやっぱり過去もいっぱいやってたから似たような問題が出るから算数はそれなりにできたかな
国語の問題を見たときに私びっくりしましたね
それは過去問と全然傾向が違っていて文章を200字で要約しなさいっていう
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そういう問題が出たんです傾向が変わってたんです
ところが私はこういうのが大好きでもう問題が出た途端にうれしいと思って
本当にそれを解いている時間が楽しくてしょうがなかった
面白かった入試問題を面白いって思ったのは後にも先にもあの時だけですね
ということで私にぴったりのそういう問題が出てくれて合格することができまして
でその学校がまたね色々と特色のある教育だったもんで私の人生も変わっていったわけですけれど
そんな風にして私には明白楽がいて私の持ち味を最大に小さい頃小学校5、6年生の頃に引き出してくれて
私を本当に作文好きにしてくれたそういう先生がいらっしゃいました
ひるがえってみるにじゃあ自分は教員になって生徒にそういう明白楽っていう風に思わせるようなことをしてきたのかなって
振り返ってみるんだけどうまくいったような気もする人もいればそうじゃないもう少しあの時の声がけをっていう風な生徒もいて
なかなか明白楽っていうのはね難しいもんだなって思いますね
これからも残りは少ないんですけれどやっぱり私にとっては将来大きく羽ばたいていく生徒っていうのをね
できるだけその子の能力を認めてあげて大きく羽ばたいていく生徒を育てたいなっていう風に改めて思うようになりました
それでは聞いてくださりありがとうございました
この辺で終わりにしたいと思いますまたお会いいたしましょう