00:00
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。
この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育について、ゆるっと配信しています。
今日のタイトルは、内容に関わる問い・表現に関わる問い、というものです。
実は、XというSNSで親しく交流させていただいている青ペンさんという方が、あるときこんなポストをしていらっしゃいました。
制度の中から発生した問いを中心に据えた授業の構想に宿泊しています。
この人物はどうしてこのような行動をとったのか、といった内容に関わる問いは出てきても、
どんな効果を期待してこのレトリックは使われているのか、といった表現に関わる問いを制度側から出させるのが難しいです。
というふうに書いていらっしゃって、私もそりゃそうだろうな、私もそうだったしな、というようなことを思ったので、
このようなことをお返ししました。
それは難しいですね。その問いは日常の授業で鍛えていないと出てこないと思います。
逆に言うと、生徒の興味・関心を軸に据えると内容に関わる問いを大切にする必要があります。
生徒は内容に対する問いを内容で答えようとします。その根拠を表現に求めると確かな読みになります。
とは、セラ・ヒロアキ先生の言葉です。繰り返していると、半年、1年後には表現に関わる問いが出てくるのではないでしょうか。
というふうにお返ししました。
青ペンさんはすぐに反応してくださって、そんな言葉があるのですね。勉強になります。
この問いは内容に関わる問いなのか、表現に関わる問いなのか、生徒が選別できるように段階を踏ませていきたいと思います。と書いていらっしゃいました。
青ペンさん、私が勉強させていただいている、本当に真面目で丁寧で、国語化についてしっかり勉強する姿勢をいつも尊敬しているわけですが、
こんなことをやり取りしまして、こういうふうなやり取りができるような知り合いの方が増えただけでも、私にとって大きな財産なんですね、SNSはね。
ということで、今日は内容に関わる問い、表現に関わる問いについて、できるだけ短めに語りたいと思っています。
まず、生徒って、教材を読んだら、内容に注目しますよね。
いきなり、レトリックとか表現技巧、レトリック、習字法、語り手とかから考える人います?そういう生徒います?
私、今までお目にかかったことないんですけど、お目にかかったとしたら、国立大附属の生徒ぐらいですよね。
03:00
普通に生きてたら、物語の世界、虚構の世界の中に没入して、そこの登場人物と自分を重ね合わせながら読む。そこに浸るのが、やっぱり虚構の世界だと思うんですよね。
ということで、やっぱり生徒は、登場人物とかストーリーの内容とか、あるいは評論文だったら評論内容について、どうしても興味関心がいくのは当たり前だと思うんですよ。
だから、内容に関わる問いしか出てこないのも当たり前だし、逆に言えばよく読んでいるというか、ちゃんとその世界に浸っていることだと思うんですよね。
じゃあ、その内容はどう書かれているのかっていうのを尋ねたときに、初めて生徒自身が、こういうことを表現したいからこういう工夫をしているんだということで、国語的なものの見方、考え方を得ていくことになると思うんですよ。
なので、やっぱり自然なことだと思いますね。今やっている「かたち」っていう菊池寛の小説で、生徒は今回の登場人物であるメインの中村新兵衛っていうね、この侍大将さんの登場シーンがものすごくかっこよくて、生徒も惚れ惚れしながら読んでたんですよね。
新兵衛の非常に優れた武力であるとか、勇猛な侍の魂とか、そういう知識も経験も実力も非常にばっちりと豊富な新兵衛に対して、生徒も心からかっこいいなと思っているわけですね。
それを読み取らせた後に、私はじゃあ、かっこいい新兵衛、実力も経験も豊富な新兵衛を作者はどんな風に工夫して書いてますかっていうふうに発問したら、はっと生徒は目の色を変えて、そこで読み取ったのはやっぱり比喩であるとか、繰り返しであるとか、追句法を使っていたりとか、
それから一番最初の一文に、主君の名前、松山信介と、それから今回のメインキャラクターの中村新兵衛の新の字が重なっているから、主君に一辞をいただくほどの優れた、主君の信頼熱い侍大将だっていうこともがっつり書かれてるわけですよね。
そんなのを生徒自身が発見しながら、内容を尋ねたら表現で抑えさせる。そうすることによって理解がぐっと深まっていくんですよね。そういうことを一回経験して、さらにまた次でも経験してっていうことを繰り返していくと、次第次第に読みながら、レトリック表現の工夫っていうところも考えて読んでいくようになると思うんですよ。
今の中学校2年生担当、中1から育てている生徒は題名読みっていうのをやってたんで、今回の形っていうのも、なんで形っていうタイトルなんだろうっていう問いを出す生徒が出てきています。
06:13
そんなふうにしながら、生徒は内容を理解しようとします。だから、内容で先生の質問にも答えようとします。内容に関わる問いも出そうとします。それを深めていくときに表現で抑えさせる。
内容に関わる問い、表現に関わる問いは、そのような授業を繰り返すことによって、生徒の方から自然に出てくる。国語ならではのものの見方、考え方を得て出てくるようになると思います。
昨今、語り手視点、語り手視点ということで、語り手視点をやたら教材、指導案の中に入れようとする実践があると思うんですけど、生徒を育ててなくていきなり語り手視点って言われても、生徒はその語り手視点っていうのを、必然性を持って考えないと思うんですよね。
自分たちでいろんな勉強してきて、こういう風な語り手がこういう書き方をしてるから、あるいは作者が語り手をこういうふうに設定してるから、こういうふうに表現してるんだなっていうことを、内容を考えるときに抑えさせることによって負に落ちる。
そこで初めて語り手視点っていうものが読みを深めるんだっていうことを実感したときに、初めて生徒は語り手っていうところからのアプローチを自主的にするようになると思うんですよね。
ということで、今日はツイッターの青ペンさんからのポストについてちょっと考えがあったので、夢中で喋ってしまいました。
ということで、国語化っていうのは本当に奥深いなっていつもいつもこの配信するために思いますし、いつもいつも自分こういうふうにやりたいって喋っててもなかなか実行に移せないし。
まあでもこうやってね、こういうふうにあるべきなんだとかこういうふうにやりたいんだっていうのをこうやって配信することによって少しずつ少しずつ近づいていけるんじゃないかなと思っています。
それでは今日はこの辺で聞いてください。ありがとうございました。またお会いいたしましょう。