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はい、こんにちは。横浜で15年以上園業復帰園の先生をやるなおちゃん先生と申します。
本日は、旅行を3時間でね、立ち上げました。
今回はですね、父と娘のヨーロッパ旅行記第2回目をお送りしたいと思います。
こちらの父と娘のヨーロッパ旅行記は、
えーと、なんだっけな、2002年、何年だろう、2002年、2003年にですね、
私たち家族がヨーロッパを旅行した父と母の銀行式ですね。
結婚25周年記念に家族でヨーロッパの旅行記をライブで私が読むというものになっています。
ピコリン、こんにちは。トッツーさん、こんにちは。
トッツーさん、なんか久しぶりな気がする。
ありがとうございます。
はい、1回目はですね、2週間前ぐらいにやったのかな。
ちょっとね、なかなか時間が取れなくて、本当に申し訳なくて、今回が第2回目になります。
平成16年の8月6日から8月21日、16日間の旅行記を父が、その後の旅行記を私が書いたものを、
こちらのサムネのように、サムネにあるようにですね、一冊の本にまとめています。
それを読んでいくというものになります。
最初はね、父の日記から始まります。
旅行記はイギリスをスタートしまして、当時私はイギリスの師匠のところを離れて、
イギリスのオクスポードの語学校に少し短期留学をしているときでした。
そこに両親がやってきてですね、イギリスのどんなところに私は学んでいるのか。
そしてイギリスのどんなところで過ごしていたのかという感じで、師匠に会いに、
そして私が師匠のもとで過ごしていた、ホームステイをしていたところを見に来たり、
というところで前回は日記が終わっていました。
なので今回はその続き、5日目からスタートしていこうと思います。
旅行記の1日目、日本を出発して師匠に会うというところまでは、
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よろしければこのライブの後に概要欄に前回のリンク先を貼っておきますので、
そちらの方を楽しんでいただければと思います。
それではですね、早速始めていきたいと思います。
今回は旅の5日目ですね。
私の両親が私と再会をしまして、その後師匠のもとに訪ねてですね、
みんなでランチ会をして、その後コツボールズというイギリスでは有名な田舎田園風景に残る場所ですね。
イギリス一美しい田舎と言われるコツボールズの旅をするというところになっています。
はい、5日目、8月10日、あ、これ音声変えるんだった、ちょっと待ってください。
5日目、8月10日火曜日、AM5時気象。
外はまだ薄暗いが、小雨が降っている模様である。
全くの静寂で、空気もひんやり。
なぜか、海が悪いくらいである。
今日はサラー&リチャード、この二人はなおこの恩人の夫妻。
彼らの案内で、この田舎の丘陵地帯を一日ウォーキングの予定であり、この日だけは晴れてもらいたいと思っていたのだが、
1時間半かけて日記の整理が済むと、外はようやく明るくなってきたが、やはり雨が降っていて、少し強くなってきたような気さえして、
さくらさん、こんにちは。ありがとうございます。
私思ったんですけど、これ4日目読んでないですね。
すいません、ごめんなさい。
間違えました。
4日目からスタートですかね。
どっちだったかな。覚えてる人います?ないんですよね。
どっちだったかな。
じゃあ、4日目飛ばしちゃう時なので、4日目から読み直します。
もし、前回で4日目読んでたらすみません。
4日目、8月9日月曜日。
AM6時起床。よく眠れた。
昨日の夜から雲が出始めていたが、今朝はこの区に特有のしとしと雨が降っている。
このホテルはチェルトナムの中心より、10分ほど車で走った郊外にあり、
レンガ作りの2棟からなる建物は、歴史を感じさせた。
特に朝食場所の小さなホテル棟のダイニングルームは重厚で素晴らしい。
06:07
裏庭はどこまでも続くファームのハイランドブルー。
この牛は前髪が顔を追っていて顔が見えない牛。
サラブレットらしき数頭の馬が保護牧されていて、これがまたイギリスらしい。
そしてなんと、この広大な土地を有するホテルの客室、せいぜい20部屋。
いくら原価小客が住んでいるからといってペイできるんですかね。
いやいや、無限なこと。
10時、チェックアウト。
天気が良ければ街まで歩く予定であったが、小雨のため車で移動することになり、遅めのスタートとなった。
まずはホストオフィスへ。
娘のバカ重いトランクを軽くするために、段ボール分けた荷物を日本に送るためである。
小さめの段ボール1箱で19キロ。
船便にして約107ポンド。
これだけ送ってもトランクはまだ重い。
よくもまあ、あの小さい体でこれを一人で運んだものだと改めて感心する。
やはり人間一人になると知恵も力も出てくるものらしい。
車をセンターのパーキングへ。
3時間3ポンド約700円と、これはさすがに日本より安い。
まずは嫁希望のコインランドリンに行き、洗濯物を放り込んでから街を歩く。
平日の昼間にもかかわらずかなりの人手があり、我々も買い物局で賑わいを見せていた。
途中ショップで娘にジャケットをプレゼントした。
昼食は娘も時々利用したという手作りサンドウィッチ屋さんでテイクアウト。
13時50分、車中でサンドウィッチを食べながら、今夜の宿泊先ブロードウェイに向けて出発。
クリーヴヒールからウィンチクームを抜けて14時40分到着。
コッツウォーズを北側に位置するブロードウェイ。
この小さな街の中心を通る道はかなり幅が広く。
広い道と呼ばれたことが街の名前と由来となった。
その中心は約500メートル。
両側には可愛らしい小さなお店がたくさん並んでおり。
嫁娘は閉店時間の5時を念頭に次々と店を物色している。
5時にはパブ以外の店はすべて閉まってしまうからだ。
色々とお土産を買い込んでいた。
今夜のホテルはミルヘイハウス。
娘がインターネットで見つけたホテルで、こんな小さな街の中ですぐに見つかると思いきや、意外や意外。
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2つ3つのお店の店員に訪ねるも判明せず、街の中のインフォメーションセンターでやっと確認できた。
17時30分、中心より1マイルほど離れた郊外のホテルに到着。
一日中降ったりやんだりのこの雨は、この時はかなり強く降っていた。
うっかりしていると通り過ぎてしまいそうなこのホテルは、昨日のホテルにも増して重厚感があり、長い歴史を感じさせ、内部そのものがアンティークであり、
調度品や絵画がずらり、バイニングルームのマントルピースの脇には薪が積んであり、今にも日がくべられるようであった。
さすがに元貴族のマナーハウスである。
チェックインを済ませ、例によって休憩もそこそこに、車で10分ほど走って隣町のエバッシャンへ。
娘も初めてこの町に行ったというが、意外と大きく、インド、タイ、中華料理などがあり、迷ったあげく中華料理や。
なかなかうまかったが、驚いたことに中国酒は置いていない、が日本酒は置いてあった。
これは酒道に反するではないか。
店主らしき男にその訳を尋ねると理由は簡単。
日本人観光客が多いこの地では日本酒が売れても中国酒は売れないと思うこと。
結局運転もあるので、いただくことはなかった。
20時過ぎにホテルに戻り、シャワーを使い、自産のウイスキーをちびり、
いつの間にかうとうとうしていると娘の部屋にいた。
嫁が顔を出し、今日は娘の部屋で休むと言って戻っていた。
その時はそのことに特別な意味があるということも知らずに、
21時30分中旬、外は小雨が降り続き、この日の万歩計記録は不明。
ブロードウェイ、ミルヘイハウス、一泊220ポンド。
はい、ということで4日目の父の旅行記を一気に読ませていただきました。
とこちゃん先生、こんにちは。この前はありがとうございました。
私も5時には息子を迎えに行かなくてはいけませんので、
移動中ありがとうございます。
ラビアン・ローズさんもこんにちは、来ていただいてありがとうございます。
静かに聞いてくださっている皆さんもどうもありがとうございます。
このブロードウェイのミルヘイハウス、
こちらは以前少しだけ別枠で配信したことがあると思います。
このミルヘイハウスというのが結構曰くつきのマナーハウスといって、
元貴族のお屋敷を文化財保護のためですよね。
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そのお家に住んでいるご家族は違うところに住んでいらっしゃるんですけれども、
そこをホテルとして観光客に宿泊してもらうことで、
ちょっとした維持費を調達するというような、
元貴族の邸宅をホテルにしているマナーハウスというのがイギリスにはたくさんあります。
スペインだとこれがパラドールとかになると思うんですけれども。
ありがとうございます。
そしてこちらのミルヘイハウスさんは、これから続きを読んでいきますが、
ぶっちゃけて言っちゃうとですね、出るお家でした。
これほどはっきり私はポルターガイストを感じた場所はありません。
見たんではなくて、正確に言うと姿は見えなかったですけど、かなり明確にはっきり聞こえました。
これは別枠で、かなり昔のところで配信をしているんですが、
おそらく2年近く前になるかも、1年半以上ぐらい前だと思うので、見つけられたら概要欄に配信も貼っておきたいと思います。
それではですね、次の日の日記を読んでいきたいと思うんですが、
父はね、全く霊感とか全くそういうことを感じないので、
なんかちょっと薄気味悪いなーって思ったぐらいで、全然ね、わからなかったみたいなんですね。
しかもね、酒も飲んで酔っ払ってますから早々に寝ちゃったんです。
このマナーハウスがですね、3部屋しかないんですよ。
3つしかお部屋がないんですけれども、その部屋は私たちしか宿泊客がいなくて、
私が予約をした時点では、父と母が同じ1部屋、私がシングルの1部屋の予約をしていました。
なんですけど、これ最後のところ、今聞いていただいた皆さんはわかったと思うんですが、
母が今日は私と一緒に寝るからと言って、父は1人でこの部屋で寝たんですよね。
あ、そうなんだ、疲れる人なんですね。
ピコリさん霊感ない?
別になくても全然いいと思います。
ね、徳ちゃん先生はフランスなんかはね、うようよいらっしゃいますので、大変な騒ぎだと思うんですけどね。
私もそんなに別に霊感ないんですけど、やっぱりこれだけ興味深く観察しに来られるとやっぱりわかるものですね。
それでなんとなくね、部屋に入った途端に素晴らしいお部屋なんですけれど、なんかちょっと後ろを振り返りたくないというかね、そういう感じがあったんですよ。
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それで母に、母を呼んでですね、ちょっとお風呂に入っている間ね、ちょっと怖いので部屋にいてほしいというふうに言ったんですね。
それでベッドと椅子に座って二人話をしていたら、サイドテーブルのランプが、電気のランプですよ。
それがね、点いたり消えたり。
誰も別にスイッチ入れてないんですよ。
点いたり消えたりいきなりし始めたりね。
それで母なんかね、母の方が霊感が当時強かったんですけど、なんかこのランプ接触が悪いみたいねとか言ってコンセント抜いちゃいましょうとか言ってね、しらじらしいんですけど。
彼女はこの当時霊感が非常に強くて、お塩と仏様の仏という字に道具の具ですね、仏具、どっこという仏具を持ち歩いていたぐらいなんですけど。
あ、ありますか。やっぱり桜先生も。そうなんですね。
なのでね、なんかそういうのがあったりとか、要するに私たち家族しかこのホテル、宿にいないんですね。
オーナーも離れの自分の自宅にいるわけですから。
なんですけど廊下をパタパタパタパタ、子供のような軽い足音が走っていく音が聞こえたりとか。
家の部屋じゃないけど、どっかの部屋をノックしている音が聞こえたりとか。
もうそれがね、すごい頻繁だったんですよ。
あ、そうヨーロッパはね、どうしても歴史が古いので。
それでね、実はこの建物自体は2階屋なんですけど、2階が客室、3室があるんですね。
2階に上がってすぐのところに貴婦人の肖像が掛けてあるんです。
それがかなり不自然な位置にありまして、壁に掛かってるわけじゃなくてイーゼルっていうんですか、に立て掛けてあるんですよね。
それがね、ピコリなんかはね、よくわかるようにホーテッドマンションで最初肖像画の前を通るじゃないですか、乗り物に乗って。
そうすると肖像画の目がじーっと動きますよね。
ああいう感じでね、なんとなく、別に動かないんですよ本当は。なんとなくその貴婦人に見られてるような感じが非常にあって、そこの前を通るときにすごく、なんていうのかな、気持ちの悪い思いをしたことを今でも覚えてます。
いやん。
でもね、悪い感じではないんですよ。怖い。
本当に、私もよくはわからないんですけど、ある霊観のすごい強い、ある方にそういうお仕事をされてる方に言われたのは、
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なんかに会った時にすごい怖いとか冷や汗、油汗が出るほど怖いっていうのは、やっぱり良くない霊なんだそうです。悪さをしようとしている霊なんだそうですけど、
そうではない場合、見ても全然なんとも思わないというか、むしろ懐かしいなって思うようなのは守護霊だったり、自分を守ってくれる霊だったりするらしいんですね。私も詳しくないので間違ってたらごめんなさい。
あとはですね、その土地にいる霊さんで、見知らぬ人が来た時に、見に来る観光客だみたいな。
今日誰来たんだろうみたいな。あ、日本人か。珍しいねみたいな感じで、みんな見に来たんじゃない?って言われましたね。査定ですね、査定。
無理、今日シャンプーできない。できるできる。あ、じゃあほら、さくらさん、旦那さんと一緒にお風呂入りました。今日は久しぶりに。久しぶりにかどうか知らないけど。
どっちが怖いでしょうね。
はい、ということで、続きをね。父は全くそういうことを感知一切しないので、なぜ私と母が一緒に寝たのか。私、大人になってから母と同じベッドで寝たの初めてでしたけどね。これが最初で最後でしたけど。
翌朝になって、父にお話をするという5日目の記事を読んでいきたいと思います。
はい、父の日記を読むときにはタイトルコールにしていきたいと思うんですけど、もし聞こえづらいなと思ったら教えてください。
5日目、8月10日、火曜日、5時起床。ちょっとBGMが消えちゃった。聞こえますか皆さんBGM。
外はまだ薄暗いが、小雨が降っている模様である。あ、聞こえないんですね。ちょっと待ってね。
せっかくこのぐらい。このぐらいって大丈夫ですかね。
全くの静寂で、空気もひんやり、何かも好きにくらい、悪いくらいである。
今日はサラー&リチャード、娘の恩人の夫婦の案内で、この田舎の給料地帯を1日ウォーキングの予定であり、この日だけは晴れてもらいたいと思っていたのだが、
1時間半かけて日記の整理が済むと、外はようやく明るくなってきたが、やはり雨が降っており、少し強くなってきたような気さえした。
朝食まで間があり、改めて3人でこのハウスをぐるりと見物。
入口の小さなフロントの壁には、WAゲストアコモデーションフレミアコネクションファイブスター2004の証明書がかかっている。
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イギリスでのAA、オートモビルアソシエーションはメジャーな組織であり、この証明書は権威あるものであろう。
細目な中、裏庭に出てみると、このマナーハウスの全容が目に入る。
その外観は数百年たってあろう。そのことは一目でわかるが、その上に何か暗い歴史を感じさせた。
ここは宿泊料を払うといったよりも、施設維持費を払うといったところか。
8時、朝食。
ダイニングルームにはたった3組の用意がなされているだけであり、それぞれコーヒーカップ、各種プレート、ティーポットはすべてお揃いのアンティークス品でずしりと揉む。
しばらくすると、オーナーらしき所老の紳士が現れて、挨拶を交わし、彼に話を聞いた。
現在このマナーハウスは娘が経営しています。
しかし今は旅行中なので、自分が代わりに来ていますが、普段はドイツに住んでいます。
建物は何回か増設して今に至りますが、最初の建物は300年前のもので、最新のものは自分が建てました。
裏庭の向こうに見える水車は7世紀のもの。ゲストルームは3部屋だけです。と、にこやかに流暢な英語で話された。
友人のアドバイスで19年前にビジネスとしてではなく、維持のためにホテルをオープンしたらしい。
肝もよく愛想もいいアシスタントの女性が朝食のサービングをしてくれ、間もなくイギリス人らしいカップルが現れた。
そしてこの日はこれで満室であった。外はかなり激しい雨となっていた。
9時、チェックアウト。心配した料金も案外安く、3人で220ポンド。また訪れたいものである。
時を同じくして、サラ&…聞こえないですか?
じゃあ続けますね。
時を同じくしてサラとリチャーブがアイケンポリーを連れてやってきた。
今日のウォーキングは予定通り?
イギリスの天気は変わりやすくてわからないからとにかく行ってみよう、ということでレンタカーはそのままにしてリチャードの車に乗り込み、
10分ほど走ってブロードウェイの丘にあるパーキング場へ。
9時35分。雨には、雨は幸いにもほとんど止み、5人と犬1匹でウォーキングがスタート。
24:00
リチャードが地図を片手に扇動し、ゴールデンレトリーバーのポリーが嬉しそうに飛び回る。
麦畑を抜け、広いフィールドを歩いていると、なんと、薄日が差し始め、1時間も経たないうちに、雲が取れて奇跡的に青空が現れる。
眼下にはイングランドの典型的な田舎の風景が一気に広がった。
羊が群れて牧草をはみ、緑に包まれたライムストーンの家々が存在する小さな集落が見える。
そこが目指す村、チッピングカムデンだ。
12時30分。村に着く頃には快晴に。
上着を脱ぎ、腰に巻きつけTシャツ姿になり、汗だくになりながら昼食会場のファブを目指すの。
ビールが目の前にちらつく。
12時45分。エイトベルパブのガーデンテラスで日陰を探してランチタイム。
ラガービールと当店特製のラムハンバーグ。これは大変うまかった。
今回の旅のイギリス料理は、経験してかなり美味しく、昔のイメージとは違っていた。
これをさらに話すと、イギリス人の彼女は同意し、
私の小さい頃には確かに本当に美味しくなかったけれど、この頃は進歩したわよ、と頷いた。
食後、ロバートウェルチでお土産のフォークとナイフの空取りセットを買う。
14時30分。帰り道はショートカットしてスタート地点のパーキング場へ。
途中名残を惜しむかのように何度も振り返り振り返り、風景を脳裏にインプットした。
15時55分。パーキング場から坂を下りミルヘイハウスへ。
サラー&リチャード夫婦は娘の師匠のお客であるために、娘は知り得たが個人的にも大変お世話になったようだ。
今回我々もお世話になり、また良い出会いがあった。すべてのご縁に感謝。
16時5分。別れの挨拶もそこそこに。一夜、ガトウィック空港へ。
200キロのロングドライブ。変わりやすいイギリスの天気だが、その後も晴天が続きサングラスを着用。
18時35分。ガトウィック空港のノースターミナルに到着。
この日のホテル予約を取っておらず、手分けして娘が空港案内所へ行ってホテルを手配した。
こちらはレンタカワ変宅。そして空港ホテルであるメリディアンにチェックイン。
20時。急ぎシャワーを浴び、空港内のレストランでようやく夕食にありつく。
27:00
飲み切ったボロネーゼはやはりイギリスのものであった。
疲れた体にワインが染み込んでいき疲労を溶かしていくようである。
そろそろ体力バッテリーの赤ランプが点灯し始めた。
22時。エキストラベッドで就寝。本日の歩数29153歩。
ホテルメリディアンガトウィック。116ポンド。昼食。
それではこの昨夜の特別な意味とはなんだ。実はこの建物に原因になったらしい。
前日したがこのハウスの雰囲気は重厚で素晴らしいが、暗い。
重厚さは暗さに感じるもの。それはまたちょっと違い。
鈍感な自分でさえもうすうす感じていた。
特に娘の部屋から自分の部屋に通じる8日の中間時点には
初老の岐阜人の肖像画がアンティーク調の三脚の上にかけてあった。
微笑んでいるわけでもなく無表情にただじーっと何かを見ていた。
あたかも通る人を監視するかのように。
近代に至る前のこの国の歴史は達陸の歴史であったという。
イギリス各地を一人で旅した娘はところどころで古き建物に泊まったらしいが、
何度か名的体験をしたという。
嫁はもともとその気が強いようだが娘にも遺伝したのだろうか。
特にここは感じるということで娘に頼まれて嫁は彼女の部屋に泊まった。
果たしてその晩は夜二人で話をしていると電気がスーッと
ランプの火が絞られるように暗くなったり
誰もいないはずなのにコンコンとノックの音がしたり
あたかも例の岐阜人が呼んでいるように
それとなく何度も何度もあったそうだ。
ということでここまでが父の日記となります。
私の配信を聞いてくださっている方はもしかしたら
あ、もしかしてというふうに思われたかもしれませんが
この時に一緒にイギリスの丘陵地帯を歩いてくれたサラー&リチャードは
私がとってもお世話になった方です。
つい先日そのリチャードのお話を別の配信でね
お話をしています。
彼らのうちに私は何度も何度も思わせていただきました。
サラーの奥さんのサラーは私の英語の先生
そしてリチャードは私が思うイギリス人最高のシェフでした。
そのお話の方も概要欄に貼っておきますので
よかったらこの素晴らしいイギリス人夫婦の話も聞いていただけたらと思います。
30:04
ということでですね
父の日記の前半であるイギリス編がこちらで終了となりました。
やっぱり私の日記と父の日記はかなり違いがあるなと思いながら
自分も自分で読みながらも思いました。
ミルヘイハウスさんでマナハウスで昼食で朝食会場が
このサムネの右側になります。
黄色いテーブルクロスがかかっています。
ちょっと切れちゃってるんですけど
下の部分がそのハウスの水準
7世紀からある水車
サムネの左上にあるティーカップが
アンティークのティーカップとポットになりますね。
コッツウォルズを抜けて会いたい人、師匠や師匠のお友達
そして私が大変お妻になったご夫婦との再会
挨拶も終えてガトウィック空港へ
ましてこれから私たちはスペインに飛んでいきます。
これにしても父はこの当時若かったですね。
ウォーキングをした後に200キロ車で運転してガトウィック空港まで行くって
なかなかやっぱり50ちょっとぐらいだったと思うんですけど
若いなというふうに自分で読んでいて思いました。
実際は当時の自分の年齢より当時の両親の年齢の方が
今もう私も近くなってきてしまったので
同じことができるかなと思ったら
ちょっとできるか不安ですね。
そしてそれにしても酒が大好きだなって思いながら
ビールだワインだ日本酒だって飲んでばっかりですね。
その土地にその酒ありっていう人なので
私が全く飲めないままヨーロッパを点々として
何が面白いんだってよく言われましたね。
そんなことも遠い昔の記憶です。
ということで本日はイギリス編の後編を読ませていただきました。
次回の父と娘のヨーロッパ旅行記ライブですね。
こちらはちょっとね、いつ時間が取れるのかわからないんですけれども
ありがとうございますリョウコさん。
次はラトビックからスペインですね。
セビリアに行って弟たちがスペインから
弟二人いるんですけど合流をするんですけれども
その合流をするところのエピソードからスタートしたいと思います。
カレンさんありがとうございます。すいませんもう終わってしまいます。
33:02
スペインはアンダルシア地方を中心に回りました。
肯定表だけちょっと言っていきたいと思います。最後にね。
今日は4日目5日目8月9日と10日
イギリス最後のところを読ませていただきました。
この後6日目がセビリア。7日目がセビリアからロンドン。
8日目がロンドンからグラナダ。9日目がグラナダからマドリッド。
10日目がマドリッドからトレド。11日目がセボビア。
12日目がマドリッドからサンセバスチャン。13日目がサンセバスチャンからパリ。
14日目がパリからモンスターミッシェルの1日観光。
15日目がパリ初帰国ということになりますが
帰国するのは父と母だけです。
私と弟はパリで父と母と別れてパリからブリュッセル。
そしてブリュッセルで弟たちと別れて
私はブリュッセルからブリュッズブルグ。ブリュッズブルグからローデンブルグ。
ロマンチック街道を1人歩きましてローデンブルグからフュッセン。
フュッセンからミュンヘン。ミュンヘンからインターラーケン。
インターラーケンからルツェン。ルツェンからマインツ。
マインツからリューデスハイム。リューデスハイムからブランクフルト。
ブランクフルトからパリ。
そしてパリからヒースローにまたイギリスに戻るという行程を
旅日記は続けていきたいと思います。
ということで、いつ始まるかわからないこの究極のゲリラライブ、旅行記ライブ。
ありがとうございました。もしよければ、もし見つかりましたら
次回もぜひ来ていただければと思います。
本日は聞いていただいてありがとうございました。
それでは良い週末を皆さんお過ごしください。
ありがとうございました。失礼します。