2023-02-12 51:39

【父と娘のヨーロッパ旅行記①イギリス🇬🇧再会】父の日記より

#なおちゃん先生の旅バナ
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#家族旅行
#ヨーロッパ
#イギリス
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#海外旅行
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00:01
はい、こんにちは、こんばんはですね。
小浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っているなおちゃん先生と申します。
あそつさんこんばんは。ちょっとBGMが大きいですかね。下げますね。
本日は、2月12日の日曜日、19時を回ったところですね。そうなんですよ。珍しい時間でしょ。
この日曜日の19時なんで、通常だったらね、家族と夕飯を食べたり寝たりしてる時間なんですけど。
なんと、今日は私、今一人なんですね。はい。珍しいでしょ。
なので、ずっとね、やりたいなと思ってたライブがあったんですが、なかなかライブをする、そうそうそう一人なんですよ。
機会がなかったので、今おじいちゃんと言ってもゲリラなんですけど、始めてみました。
たぶん1、2時間後ぐらいには、8時半から9時ぐらいの間には、子どもたちと旦那が帰ってくると思うので、
その間にね、ライブを終えて、私はもう帰っておこうかなと思ってます。
チャンネルさん、ゆかぴーさん、こんばんは。ありがとうございます。
こちらはですね、急遽ライブを始めてみたんですが、年始にお話をしていた方ですね。
私の旅に行きになります。旅に行くとですね、そうそう平成16年なんですよ。
平成16年って今から何年前ですか。もはや令和になってしまってから、私は何年前なのかいまいちわからないんですけど、
20年近く前の話ですよね。
この時に妊娠の銀婚式、結婚25周年ということで、私たち、私と実家の家族は旅行をしました。
それがヨーロッパを旅行したんですけど、当時私はですね、イギリスに留学中でした。
ここからイギリス、なのでイギリスがスタートなんですね。
03:03
私がイギリスの師匠のホームステージを終えて、そして平成で数えると、あ、今年平成35年なんですね。
なるほど、なるほど。ありがとうございます。
おお、そうか。すると19年前ですかね。
それで、私がその時はオクスポードの小学校に少し入学をしていました。
両親がですね、まずイギリスに私の留学していたオクスポードに2人で来まして、
そしてイギリスの師匠、そして私がお世話になった方々と再会し、
私と再会して、その後お世話になった方々と挨拶をして、
イギリスにいたのは8月6日から8月11日の5日間ですね、イギリスで過ごしております。
そしてその後ですね、弟たち、私の弟が2人いるんですが、弟たち2人と海を渡った、
スペインに行っちゃって、あそこからスペイン、スペインは何箇所前を渡ったんだろう、
セビリア、ロンドン、ブラナル、マドリト、トレド、ヨゴビア、サンセバスキンを11日から1週間ですね、
17日も海に滞在しまして、そこからフランスにネクロで移動して、そこで私たちの両親を別れました。
その後から私と弟2人はまた違う旅をするわけなんですが、
それをですね、私と父と2人で別々に書いていた旅行記を1冊の本に求めたんですね。
皆さんこんばんは、ありがとうございます。
スペインライブをしております。
皆さん、ご家族でご食事とかね、ご忙しいお時間がありますので、何だけでもよろしければご滞在ください。
06:02
今日から新しい旅行記を読んでおこうかなと思っています。
そして、この旅行記というのはですね、私の家族の記憶になりますね。
19年前になりますが、
コーヒーさん、こんばんは、ありがとうございます。
夕飯を召し上がりながら、ぜひ。
そしてこのBGMは秋代さんの演奏です。
秋代さんもありがとうございます。
Dは大丈夫ですか?
私はね、今日はDは家に行っておりますので、
なんとね、1人なんですね。
日曜の夜に1人、私がね、いますということで。
お疲れ様です。
Dさんの、ちゃんとお話も聞いてあげてください。
でですね、父の旅行記というのが、
8月6日から8月29日の16日にわたって書かれています。
その後、8月の20日から28日までを、私が書いております。
あー、マースさん、今日はありがとうございました。
実はね、今日、私はですね、マースさん。
こちらにいらっしゃるオーストラリアに在住していて、
今は日本に帰られています。
マースさんと、髪の毛のゆるゆるい虫のアヌコさんと、
3人でね、都内某所で遊んでおりました。
なので、私は1日、家族にしていたので、
うちの旦那はね、子供たちを連れて、
旦那の実家の方に帰っておりますね。
夕飯を食べてから帰ってくるということなので、
私は晴れて、人々の時間を楽しんでいるわけです。
なので、世界一周の旅に比べたら、
なんてこともない旅の記録なんですけれども、
こちらね、19年ぶりに思い返しながら、
旅をしてみたいと思います。
こちらの旅行記なんですけど、
かなり、私の世界一周の旅と異なっていて、
どのように皆さんにご紹介したらいいかなって、
ずっと悩んでいたんですね。
もちろん家族の旅なので、そんなに興味ない人も
もちろんいらっしゃると思いますし、
前半はね、16日間は、父の記録、日記なので、
私とですね、だいぶリストが違うんですね。
書き方も。
これを私とリストに直してたら、
それはそれでまた時間もかかっちゃうし、
どうしようかなと思った結果、
とりあえず父の日記を旅行記をそのまま、
ある程度ね、この表現はどうかなっていうところは
ぼやかしながら、そのまま読んで、
私がそれにツッコミを入れたり、
09:01
私が仲の良い思い出をお話しするような、
ライブスタイルでやっていこうかなと思っています。
これを聞いてみることで、
単単に表記を世界中の旅のように読んだほうが
聞きやすいという時期がありましたら、
そのようにしていくかなと思いますし、
そのライブスタイルが面白いよっていうことであれば、
ライブスタイルでやっていってもいいかなと思います。
お忙しいお時間だと思いますので、
ご自由に例にされてくださいね。
それでは、父と娘のヨーロッパ旅行記、
家族旅行、イギリス、スペイン、フランス編、
スタートしていきたいと思います。
こちらは、平成16年4月7日から8月21日、
16日間の旅の日記。
私の父が記した日記になります。
あ、濃厚さんありがとうございます。
はい、それでは読んでいきたいと思います。
この旅行の、あ、そうか、これ、
父の日記を読むときだけ、あれですね、
ちょっとエコー、レトロにしてみましょうね。
ちょっとレトロにしてみます。
この旅行の計画は、長女が昨年の7月、
9月、京都、イギリスに渡った頃から
出来上がりつつあった、
9年前にも長男の受験が終わった後、
大きくなってきた子供たちと、
女房も、2年間過ごしたイギリスの地を見せようと、
ヨーロッパに出かけた。
どうせなら、親子3代の大旅行と奮発して、
両親を加えた大計画だったが、
母は体調が優れず断念した。
しかし、父と姉の家族3人が参加して、
大計9人の旅行だった。
その際は、アテネ、ローマ、ギネスティア、パリ、
そして、完成直後のユーロスターでロンドンに渡った。
エリンバラに飛んで、
耳ポーチをハイヤーし、手杖をこすり、
私が半世紀前に入学をしたケンブリッジを
巡り、当時ホームステイルしていたターナー家を訪問した。
それは平成7年、8月5日から21日までの
17日、大旅行であった。
伊礼さん、こんばんは。ありがとうございます。
今ね、父の日記、旅行記を読み始めたところです。
12:00
これ、今お話ししたのは、
私が中学2年か3年の時にした旅行の時の話ですね。
その時は、17日間ヨーロッパを計9人の家族、親族で回ったという記憶があります。
この時の私も断片的には覚えているんですけど、
一番下の弟はまだ職業に上がっていないので、
本人自体もあまり覚えていないみたいですね。
では続きを読んでいきたいと思います。
以前より、銀婚式、銀婚記念は、
その時回れなかったヨーロッパ各地を回ろうと思っていたので、
長女のイギリス大祭中に合流して、スペインから南フランスを回ろうかとイメージしていた。
そこになぜか長男・次男が加わり、
一家5人揃っての大旅行が実現することになりました。
当初の計画は、イギリス大祭中のホテル・レンタカー・スケジュール及び
ピースローからグラナダ館へのチケットを娘に、
スペインから南フツのホテル・交通機関ヨーロッパを送付チケットを私が手配する
という手発になりました。
日本での手配は専門家向けで順調に進んだが、
イギリスで手配すれば安いはずのピースローからグラナダ館、
3人分のチケットが、夏休みとあって販売向け状態となった。
日本から手配するとノーマルチケットとなってしまい、倍以上の価格となる。
加えて、南スペインから南フツ、ニース、カンヌ、モナコへの移動も簡単ではなく、
俺も夏休み中でノーマルチケットしか買えない。
走行しているうちに娘から、ガドリック、
どんどん南部の飛行場からセビリアンの間なら安売りチケット500ポンドがあるとメールが入る。
急遽、工程を大幅に変更して、
今回のスクジュース、スペインを中心に回ることとなった。
そして、俺が思わぬ継承地、ロンドンや夏休み地方の御用地、
サンセバスチャンを訪れることにも繋がったのだった。
はい、えーと、ここまで読みましたね。
これ面白いですかね、皆さんね。
面白くないかもしれないですね。すみません。
もうちょっと聞くと面白くなると思うんですけど。
あ、あかりん、こんばんは。ありがとうございます。
今、えーと、19年前のね、私がイギリスに留学していた時にですね、
15:05
父と母の銀婚式、えーと、25周年の一大企画ということで、
私がホームステイをしていた先のイギリスに両親が来て、
その後、1週間ほどイギリスを、1週間かけるくらいかな、回り、
そしてスペインに飛んで、スペインで弟たちと合流して、
スペイン旅行をして、フランスにそのまま行って、
フランスで両親は日本に帰りました。
その後、私と弟たちはもう少し旅を続けたという旅の記録を読み返しています。
前半は、イギリス、フランス、イギリス、スペイン、フランスの部分は、
父が16日間の旅行記録を書いておりまして、その後の旅行記に関しては私が書いています。
それを日本に帰ってきてから、1冊の本にまとめたんですね。
信や旅行の予定表なども言って、それをですね、旅行記ということで読んでいこうという企画になっています。
今回が突然なんですけど、初めてとなっています。
アローガンさんもありがとうございます。
アベリーさんもこんばんは、ありがとうございます。
皆さんね、お忙しいと思いますのでご注意で入りされてください。
そして、今どうして父が旅行を思い立ったかということで、少し紹介させていただいたんですけれども、
父はですね、実はもう半世紀前になるんですが、
大学を卒業した後、2年間イギリスのケンブリッジに留学をしました。
その時は、ケンブリッジの語学校に英語の勉強に入学をしていました。
あ、カメッポさん、マウスさんも来てくださって、先ほどはどう思うということでね、
今日デートを3人でしていたよということをバラしてしまいました。
あ、ありがとうございます。
やっちゃん、ありがとうございます。
またちょっと今日はテイストが変わったお話をしています。
この父の時に、ヨーロッパ旅行記に関しては、レトロのエフェクトをかけて読んでいっています。
それでは、ガトリックにね。
本当はね、私もこれを読んで初めて知ったんですけど、ニースとかモナコとか南仏の方も回りたかったらしいんですけど、
今みたいにインターネットが便利に使える世の中ではなかったので、
エアチケットとか格安航空券とかもない時代でしたから、
手配は旅行者に頼むか、個人で自分で取るかしかなかったんですよね。
あ、そうちゃん、こんばんは。ありがとうございます。
今日は父の旅行記を読んでおります。
18:02
そしてですね、予定を大幅に変更してスペイン中心ということになったようです。
それでは旅の続きを読んでいきたいと思います。
第2ターミナル
フライト時間は10時間30分
しばらくすると、第2ターミナル、正しくは第3ターミナルの音が。
間違えた!と、相変わらず意味しそうな丸顔が現れた。
ここに私と父の再会の写真があるんですけれども、確かに顔がまん丸ですね、私。
そうですね、ゆかぴーさん、コチュジャンは別についてくるんですよね。
私も大韓航空の機内食のビビンパをビーフって言われるじゃないですか、
あのビビンパが結構好きで、コチュジャンのチューブでコチュジャンくれるんですけど、
そのまま結構持ち帰ってましたね。
あ、ひげおじパーマさん、こんにちこんばんは。ありがとうございます。
昔の旅行記を読んでおります。
それではまた旅行を続けたいと思います。
外に出ると、なんと、ロンドンは快晴。
気温も横浜並みの暑さに感じられた。
早速予約済みのレンタカーテンに行き、エアコン付きの車にグレードアップ。
エアコン満開で、一路オックスフォードに向けてスタート。
運転は日本と同じ右ハンドル、左側通行で、イギリス特有のランドアバウトもノープロブレム。
かつて、1週間にテンブリッジからロンドンの間、90マイルをノー往復したことを思い出した。
21:07
道中12階道に迷うも18時30分、オックスフォードに到着し、オールドパーソネージホテルに行き、
ゴージャスなレストランが併設されたホテルの前庭では、週末の夜とあってジャズのライブが始まっていた。
荷物を置く間もなく、ビールを求めて外出。
イギリスの夏はまだまだ日が高い。
はい、皆さまどうぞ潜ってね、聞いていただいて大丈夫ですよ。
私はこの当時ですね、師匠の元を離れてオックスフォードに少し語学留学をしておりました。
なので、両親はオックスフォードに来てくださってくれたんですね。
私は学生寮、語学学校についている学生寮に滞在していたんですが、両親は学生寮に泊まるわけにいかないので、
私が現地で手配をしたオックスフォードホテルに滞在をしていました。
ここまで聞いてね、お分かりのように、うちの父はかなりのんべいです。朝からね、
空港のラウンジでビールを飲み、ついてはビールを飲みという感じですね。
そして彼はですね、彼も学生時代にイギリスに留学しておりましたので、
その時になんとですね、自家用車を買って乗り回していた過去がありますので、
イギリスでの運転には慣れているんですね。
ということで、続きを読んでいきたいと思います。
娘はまだこの町に3ヶ月足らずしか滞在していないが、
すでにこのオックスフォードホテルの娘の案内で辺りをぶらつき、
すすめのオールドオークパブでワンパイントのカーリングビールを元に押し込む。
英国のビールにしてはよく冷えていてうまい。
長旅の疲れと時差でアルコールの回りが早い。
隣の女房は一口でもう眠そうであった。
パブを出てホテル近くのレストランブラウンズで夕食をとる。
かなり広い店内は金曜の夜とあってほぼ満席の大盛況だ。
ビーフシチューをパイ包みにしたメインディッシュはなかなかの味で、
イギリスにしては上出来だ。
女房は食べながらうとうとしている。
お母さん食べながら寝てると大爆笑の娘。
23時、ホテルに戻りシャワーを浴びて長い一日を終了した。
オクスフォード、オールドパーソネージホテル。
24:00
一泊280ポンド。
ということでですね、あ、桃太郎さんこんばんはありがとうございます。
父はですね、やっぱり男性なので時間とか金額とかそういったものをよく書いてますね。
私は全然書いてないんですけど、
そこもやっぱり旅日記の付け方のスタイルが違うなというふうに思います。
ちなみにですね、この当時のレートなんですけれども、
1ポンドがおそらく250円ぐらいだったと思います。
ちょっと今よりかなり高いレートだったと思います。
なので一泊280ポンドだったら結構な金額ですよね。
ただオクスフォードというのは、やっぱり観光地でもありますので、
全体的に宿泊などの料金は高いというイメージでした。
それでは2日目を読んでいきたいと思います。
2日目。8月7日土曜日。朝5時半起床。雲一つない晴天。
こちらはいつもの時刻だが、チサポ家の種が、妻も珍しく早く起きた。
早速町の中心、シティセンターまで散歩に出かけようと外出するも、
あまりの涼しさに上着を取りに戻る。
おそらく20度は下回っていただろうか。
オクスフォード。イギリスのイングランド中南部の大学都市。
オクスフォードシャアの首都。
人口13万7343人。1996年推計。
世界で最も古くかつ有名な大学、オクスフォード大学がある町として知られている。
1683年開設。
11世紀のセントミカエル教会。
13世紀のセントマリア教会。
オドロエアン図書館。
17世紀のシェルドニア劇場などがある。
早朝の町は人影ももばらだ。
歴史あるライムストーンの建物たちが立ち並ぶ通りは早くから清掃車が稼働していてゴミひとつなく、
朝の澄みきった空気と日差しが一層この町の騒音さを際立たせている。
センターを越えてプリックチャーチまで行き、
ホテルに戻って約1時間の散歩をした。
朝食は日本から持ってきたが、プラネットを読んでいた。
合流した娘の案内で再びオクスフォードシティセンター、
27:04
オクスフォードユニバーシティパークなどを1時間半歩き、
本日の宿泊先、ホッツウォルズロッジホテルに移動しチェックインして荷物を預けた。
なぜこの町で2回も宿泊先を探りたかというと、
なんと先日のホテルが満室だったためだ。
ランチは娘の友人2人、
日本人とハンガリー人を誘って郊外のオートメロを1時間ほど散策した。
英国特有の冷淡な牧草地には小川が流れ、
晴天の下、家族連れが水浴びを楽しんでいた。
肉肉ランチを広げ、その周りを愛犬が飛び回れ、馬たちが獣の牧草をはんでいた。
牧家的風景を楽しんでいると、危うく大きな馬の落し物を踏みそうになる。
メドウとは牧草地、散策は無注意。
昼食はここらではよく知られたパブ、トラウツイン。
苦弱のいるパブとして有名なシーン。
なるほど、大きな苦弱が今、前庭にいたのは驚いた。
この大きなパブも最高の天気とあって、特にテラス席は人手あふれていた。
素早く席を確保し、まずはカーリングを1杯。
ラシップチキンサラダと名物フィッシャーズチップスをメロボとシェアした。
揚げたてのフィッシャーズチップスとポテトがビールと相まって、実にうまかった。
娘は友人2人とオクスフォード最後の日を惜しみつつ観覧する。
彼女らが再び会う日は果たしていつになるんだろうか。
ごめんなさい、ミュートになってましたね。どこからミュートになってたんだろう。
30:03
ごめんなさい、なんか触っちゃったみたいですね。
今日は両親の25周年、離婚式の時のヨーロッパ旅行。
その時につけていた家族の旅行記ですね。
父と私がつけていた旅行記。
父のところを読んでいました。
ごめんね、ミュートだった。どこからミュートになってました?
やだ、旅行記読んでたの。聞こえた?聞こえなかったかな。
どこからミュートになってたんだろう。皆さんどこからか。
バッチリですか?
ちょこちゃん先生ありがとうございます。大丈夫ですか?
途中から?どこら辺だろう。
旅行記は聞こえてました?
2日目のランチタイムぐらいまで読んだんですけど。
聞こえてたかな。
2日目、オクスフォードを散策してランチタイムにトラウトインというパブ。
ああ、そうそう。この2人はいつ会えるのか。
よかったよかった。聞こえてたらそこが一番大切なので。
それでは続きを読んでいきたいと思います。
16時、ホテルに戻り一休みして夜は野外劇場でシェイクスピア・真夏の夜の夢の鑑賞に出かけた。
18時30分開場、19時開演。
シチュエーセンターより30分ほど車で走って19時過ぎに会場に到着した。
郊外の大きな公園の片隅に設置された即席の野外ステージの前には既におのおの飲み物、減食、椅子、テーブルまで持ち込んだ人々が、
ティクニック気分で5、600人集まっていた。
ほどなく開演。
自然のままにある野外ステージと舞台裏用のテント、演者は総勢10人程度だろうか。
簡素な音響設備と時折聞こえる観客の笑い声、さざめき。
舞台対面に広がる目通の向こうに夕日が落ちて、やがて対照的にステージが浮かび上がってくる。
持参したワインをチビリチビリやりながら日本では味わえない光景に酔う。
だ、それも束の間、日が落ちるたびに気温もぐんぐん下がり始め、用意した上着を羽織るにもなお寒い。
33:03
このような気分が一気に冷めるような驚くほどの気温差であった。
それぞまさしく真夏の夜よりも夏の夜のようにであったか。
22時すりに軽減し、くくんながら車に乗るエンジン全開。
エアコンを家房から暖房に切り替えて急ぎホテルに戻る。
ちゃんと暖房が入っていた。やはりここはイギリスである。
23時消灯。
娘のマンポ系による本日の母数、25,989分。
宿泊、ゴッツウォルズロッチホテル。
302ポンド。
ということで2日目が終わりました。
この日のことを私もすごくよく覚えていますね。
両親が来てですね、私が当時過ごしていた
ご学校のお友達、ハンガリー人の女の子と日本人の女の子と
私の両親と私と計5人でポートメイドという放牧地ですね。
そこの近くにあるパブでランチを食べました。
なかなかあんまり考えられないかもしれないんですけれども
結構私は両親と友達と一緒にご飯を食べるとかね、ちょいちょいあるんですよね。
私の友達も私の両親が日本から来るんだけど一緒にランチ食べる、行く行くって言ってね。
割と謎ですけど。
父もある程度は英語が話せるので、ハンガリー人の彼女とは英語でしょね。
そしてオクスフォードは大学の町として有名なんですが
夏とかね、ホリデーシーズンなので大学がお休みだったりします。
ヨーロッパの夏というのは夜が来るのが日本よりだいぶ遅いんですよね。
ですのでいろんなイベントが屋外で行われます。
その代わりの冬は早く暗くなって寒いんですけれども
やはり芸術の町というので、至る所でコンサートや夜外演劇などが行われて
公演でね、夜外劇場を簡易的に作って
そこでシェイクスピアの夏の夜の夢がミュージカル調でやるということで
両親に行くのがあるみたいだけど、行く?と言ったら是非行ってみたいということで
36:02
私がチケットを取って両親と行きました。
ただ夜はすごく寒いんですよね。
それでどんどん気温が下がって
もう最後に帰る頃には車に暖房を入れるというね
8月ですよ。8月7日なので日本で行ったら考えられない気候なんですけれど
夜はすごい寒いんですよね。
そして父の日記を見返すとホテルに帰ったらホテルに暖房が付いていたので
どんだけ寒かったんだろうっていう感じですよね。びっくりしますね。
はい。ポッチボールズウォッチホテルは
前日泊まったホテルよりさらに値段が高い。
次は3日目になります。
この3日目を読んで一旦今日はおしまいにしようかなと思います。
皆さんお忙しい時間にありがとうございます。
3日目。8月8日日曜日。6時起床。
今日も快晴。一体このイギリスの気候はどうなったのだろうか。
私がいた頃には雨ばかりだったのに。
9時。ホテル発。
いよいよポッチボールズ地方に乗り入れることだ。
ポッチボールズ地方。
イギリスミッドランドの南西部には
80キロにわたる石灰岩質のポッチボールズ地方があり
イギリスで最も風光明媚な場所の一つと言われている。
何百年もたった小屋、名屋、農家などが
その美しい風景、質素の趣を添えている。
これらの建物はすべてこの地方で産出する
蜂蜜色の石に作られている。
こうした独特の建物は
木曜がコッツウォルド一帯の中央山頂時代の名残である。
10時45分。バイブリー着。
イングランドの代表的な田舎町、というよりも村を
1時間ほど散策した。
こんな田舎町のこの西側帯で
早くも日本人の団体旅行客に出くわす。
30分ほど車を走らせて、ボートンオンドローターへ。
小さな町の中心を流れる小川は澄んでいて冷たく
真夏の晴天ももちろんとあってが
たくさんの観光客が訪れました。
約50分散策。
ということで、3日目はオクスフォードを離れて
車でコッツウォルド地方に移動しました。
私がいたのはコッツウォルド地方の方に近い。
39:04
このあたりというのは
羊の毛織物を作る
牧羊産業がとても栄えていたんですけれども
そのせいで電車が通るのが遅れた地方でもあるんですね。
ですので古き良き
イギリスの昔の田園風景が残っている地方として
日本人観光客にとても有名な観光地となっています。
日本で言うとピラ高山の合唱作りの家とか
そういう感じでしょうかね。
特にこのボートオンザウォーターという町は
本当に小川が至るところに流れていて
その小川に小さな橋がかかっていて
とても美しいところです。
もし気になる方はぜひコッツウォルドの町を
調べていただければ美しいイギリスが
見られるんじゃないかなというふうに思います。
それでは続きを読んでいきたいと思います。
今回の旅の主な目的である
娘のミルコミサキのトップトレーナーの師匠たちと待ち合わせて
ランチ場所カブレストラスワンに向けて出発した。
セルトラムを向けて道に迷いつつも
約束の13時に到着したが
すでにみんな集まっていた。
娘の師匠、その友達夫婦が二人
そして師匠の娘、そのボーイフレンド
そして娘と同じく住み込んで
トレーニングの勉強しているスウェーデン人の少女
計8人、みなさんには本当にお世話になったらしい。
挨拶もそこそこ。
かつと言っても日本のような社交事例はない。
乾いた布にカーリングビールを流し込み
11人の賑やかな昼食が始まった。
サンデーメニューとして豊富なローストチキンをオーダー
両方はサーモンのサラダ、大きなプレート
いっぱいのチキンとポテトで食えども食えどもなかなか減らない。
みなさん一人一人用意した日本からのプレゼントを渡すと
さすが外国人、お腹に残っていた。
ランチ後はタブの裏に行って
娘の師匠による姫たちのデモンストレーションを始める。
42:00
五、六頭の姫たちが師匠の踏みや手振り
二振り一つで見事にその指示に従っていた。
別れを惜しみつつ16時に解散した。
友達の車のリーダーによる20分ほどで
フルツチベリーホテルシェルドラムに到着。
チェックインを済ませ、休む間もなく
クロスターからハートプリ村へ。
このハートプリ村には娘が半年間
そしてその半年、その子も半年間過ごした
師匠の家がある。
A417号線から舗道に入って103キロにあるその家は
すでに別の人が住んでいたが
事情を話すと、面々親切に眠ると話しかけてくれた。
ここからのフィールドによって見ると見た。
これはイギリス特区の2軒長屋
セミンリタッチハウスという
この2軒だけが肩を寄せ合うように建っていたが
見た目とは違う。
師匠は隣の家とは仲が悪かったらしい。
なるほど、およりのバス停まで徒歩45分は嘘ではなかった。
早朝の3時から始まり、ほとんど毎日
9頭か10頭の犬の世話、羊の世話、鶏の世話に明け暮れていたらしいが
独物はこんな土田に1年も住んでいたのかとも
つくつく感心する。
やはりあいつは本当に犬が好きなんだな。
はい、一旦止めさせていただきました。
あ、アカリン、かわいい町だよねということで
アカリンもウォートオン・ダ・ウォーターに行かれたんですね。
すごいかわいいですよね。
アカリン・パークさん、こんばんは。ありがとうございます。
このコッツボールズ地方、ど真ん中ではないんですが
大体近くに師匠の元の町がありました。
町というか村ですね。
少し離れた、30分くらい離れたホテルにチェックインさせてから
私が過ごしていた師匠のお家に伺いました。
その頃には師匠はそこのお家に生まれて
お引越しをされていたんですね。
私は父が1年というふうに言ったんですけど
ビザの関係で半年しか一回の滞在ができないんですね。
半年行って一回帰って、半年行って一回帰って、半年行って一回帰ってという感じでいましたね。
45:05
最後の半年間のお家のお話という形になりますね。
けいこさん、こんばんは。ありがとうございます。
ここにも書かれているように広大な敷地に長屋があって
ここで暮らしていたんだよって父に聞いたところ
本当に何にもないなっていうことを言われたのをよく覚えています。
それでは最後の部分を読んでいきたいと思います。
そろそろ45分ですよね。
チェルトナムに向かってシティセンターをぶらつきカフェに出発。
ここチェルトナムはこのコッツウォールド地方の中心地で
大きくそしておしゃれな街であったが
日曜の夜座ってたトカゲのまわらであった。
2時間ほどぶらつき帰りにチャイニーズテイクアウェイで
ソース焼きそばを買って20時30分ホテルに戻る。
シャワーを浴び娘の部屋でサッキーかおつまみに地産のウイスキーを飲む。
大切な一日が無事に終わり
一日中運転していたせいもあって強烈に眠くなり
早々に実質に戻り
ソファーに腰掛けたが子供が眠ってしまったらしい。
22時、本日の日数14310分
チェルトナムクリスティベリーホテル
一泊215.5分
はい、ということで両親がね
イギリスに来た一番大きな目的というのが
私がお世話になっていた師匠
そして師匠のお仲間やお友達と会う
そしてお礼を言う
師匠に食事をするということだったんですね
なのでこの日が父にとっては一番重要な日
という記載がありました
ということで6日目まで
質問日記を読ませていただきました
どうでしたかね
初めから聞いてくださっている方も
いらっしゃると思います
はい、こんな感じで
こちらの旅行記を読むのは
タイミングがバラバラになると思うんですけど
なかなか告知ができないかもしれないんですが
ライブ形式でゆっくり
皆さんと交流しながら
また違う世界一周の船旅と
また違う感じでいいのかなというふうに
48:01
思っています
そのままさらっと読んだほうが分かりやすいよ
というご意見もあるかとは思うんですが
もしよかったらそういったご意見も合わせてね
アーカイブも聞いたら
もしいらっしゃいましたらお願いしたいなと思います
ということで
もう50分も近くになりますので
今日の父と娘のヨーロッパ旅行記
ライブは終了としようと思います
次回は4日目からですね
4日目、5日目
6日目
スペインに渡るまで
もしくはスペインに渡ってすぐぐらいまでのところまで
読めたらいいなというふうに思っています
長い間皆さん
日曜日の夜お忙しいお時間にありがとうございました
こちらの背景は目次にしているんですけれども
もしかしたらサムネイルは変えるかもしれません
ということで
父と娘のヨーロッパ旅行記第1弾
初日ヒースロー出発から
2日目
地方で私の師匠と一緒にランチをしたというところまで
見させていただきました
見ていただいた皆様本当にありがとうございました
次回はちょっと無定になるんですけれども
告知でライブをする前には
お知らせをしたいと思います
皆様長い時間聞いていただきありがとうございました
本当ですか?とこちゃん先生ありがとう
初めての試みですし
読みながら
読んだり読まなかったりしている部分あるんですよ
そのまま固有名詞とか名前とかは
読まないようにしているので
人の名前とかね
ちょっと止まったりとかしてしまったと思うんですけれども
お聞きよろしくなかったでしょうか
最後まで聞いていただきありがとうございました
1週間に1回ぐらい
このライブ旅
日記を読むライブをできたらいいなと思っているんですが
家族の予定とか時間の関係とかで
未定になると思いますが
なるべく始める前には
告知をさせていただきたいと思います
本日は父と娘のヨーロッパ旅行記
初回ですね
イギリス9日から6日までを読ませていただきました
51:02
最後まで聞いていただいた皆さん本当にありがとうございました
本当ですか?
繋がれてるわって思って聞いているのは新鮮でした
本当ですか?
文さんもありがとうございます
褒めていただいて
桃太郎さんもどうもありがとうございます
亀っぽさんも来ていただいて
マッサもありがとうございました
けいこさんもね
ありがとうございます
もしよかったらアーカイブ聞いてくださいね
それではこちらで失礼いたします
潜って聞いてくださっている方も
皆さんありがとうございました
失礼します
51:39

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