00:04
はい、こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
あっ、ハピハピラジオさん、こんにちは。聞こえますか?聞こえるかな?聞こえないかな?
私は今、マイクの返事がないから…。
えーっと、本日は3月何日?3月…わかんないや。
はい、木曜日ですね。3月の6日かな?違う、8日?違う、9日。9日の木曜日ですね。ちょっと待ってください。
はい、マイクの調子が悪かったのでマイクを外しました。
本日は、3月9日木曜日の4時半を回ったところになります。
ツイッターの方に…あら、ちょっと待って。ちょっと待って。すみません。今ね、ちょっと来客が来てましたので、ミュートにさせていただきました。
息子の友達がさっきまでね、遊びに、自宅に来ていたんですが、忘れ物をしたということで、今ね、インターホンが突然鳴って焦りましたね、私はね。
はい、ちょっとね、今から取りに来るみたいです。こんにちは、来ていただいてありがとうございます。
はい、どうも。すみません、今息子の友達が忘れ物を取りに来て申し訳ありません。
はい、こんなね、ハプニングも平日の昼間には起きがちですよね。はい。
あ、息子さん、ありがとうございます。来ていただきまして。さやまさん、こんにちは。来ていただいてありがとうございます。
こちらのライブは、不定期でやっている旅ライブでございます。
こちらはですね、2006年に、私の両親の銀婚式、結婚25周年の記念にヨーロッパをですね、家族で旅をした時の日記を、前半は父、後半は私が書いたものを、
こちらのサムネに載っているように一冊の本にまとめまして、それを私が20年近くぶりに読み返しているというだけのしょうもないライブになります。
03:02
デイリー自由ですので、もし聴いてみたいなという方がいらっしゃいましたら、聴いてやっていただければと思います。
はい、前回まではですね、イギリス、そしてイギリスからスペインに移動して、スペインで家族全員が揃うというところまでお話をお届けいたしました。
旅の工程としては6日間ですね。6日目までを呼んで、本日が7日目からのスタートとなります。
そしてお気づきの方がいらっしゃるかもしれないんですけれども、こちらのBGMですね。
これはスペインをイメージして作曲家のアキオさんが作ってくださったBGMになっています。
はい、とても素晴らしいBGMですよね。スペインらしい感じがする曲だなと思います。
それでは7日目からの旅行記を読んでいきたいと思います。
7日目。8月12日木曜日。AM6時10分。前夜遅くまで明るかったこの国の夜明けは遅く、外ではまだ真っ暗。
しかし7時過ぎになると明るくなり始めると一気に夜が明け、30分で快晴の青空が広がった。
だが人影はまばらで街はあくびをした程度、やはりこの国は夜型の国である。
朝8時。朝食。9時10分に日本人ガイドの方が来て、旅行の工程を打ち合わせ。
今回の旅行で唯一ガイドをつけたのがこの2日間、8月12日、13日である。
アンダルシア地方の都市セビリアからロンドン、グラナダまでの工程である。
利便乗列車は使えず、セビリアからグラダナの間約360キロをドライバー付きのミニコーチで
コスタデルソル、太陽の海岸を横目に見ながら移動し、道中ロンダで一泊する。
今日の午前中はセビリア市内観光として車内から説明を受け、スペイン広場、アルカサル、各王宮など見学時間を決めて我々だけで見物をした。
特に王宮アルカサルは特筆すべきものであり、イスラム文化のムルデカ様式の傑作、世界遺産でミニアルハンブラと呼ばれているとのことだが、後に訪れた本物同等かそれ以上に感じられた。
06:07
ここで少し説明が必要。この国とイタリアもだが、ここは日本人ガイドだけでは付き添いの観光案内はできない。何もしないとしても現地ガイドと称するスペイン人が必要となる。
このセビリアには世界遺産があるとも知らず深く観光する予定がなかったために現地ガイドを手配しなかったのだ。
ガイドさんに日本人ガイドさんによれば、本日は予想最高気温が33度、最低気温が23度で過ごしやすく涼しいとのこと。
2週間前にはなんと49度を記録したそうで、動くのは49度を記録したそう。湿度は15%から20%で日陰に入ると涼しく感じられる。
はい、こちらで1回止めさせていただきます。
ちょっとね、父の日記を読んでいるんですけれども、謎の文章のミスがあったので止まってしまいました。すみません。
こちらはですね、セビリアというアンダルシア地方の都市に8月11日に止まっていたんですが、
この7日目8月12日から、今度はこのセビリアからロンダという都市、そしてグラナダまで行くという行程になっています。
それでは続きを読んでいきます。
12時、セビリアの市内観光を終えてロンダに向けて出発。道のり約210キロである。
抜けるような青空の下、岩山とオリーブ畑が永遠と続く。
雨の少ないこの高粱の地に群生するオリーブの木は、人間の誕生とともに神が与えたもた、贈り物に違いない。
そして今もこの地方の特産品である。車窓を眺めながらふと振り返るとぐっすり、やがてこちらも意識が消えていった。
あ、マヤトラさんこんにちは。あ、イクコさんはスペインに以前行かれたことがあるんですね。
じゃああれですかね、やはり同じくアンダルシア地方に行かれたんですかね。
夏は非常に暑いですが、乾燥していてね、日陰に入ると涼しかったことを私も思い出します。
マヤトラさん、このBGMは秋代さんが作ってくださったスペインをイメージしたBGMになっています。
09:00
ちょっとコメントで打とうかな。
BGMは秋代さん作曲のスペイン。
あ、そうなんですね、バルセロナ、マドリーとセビジアなんですね。
そうですか、私はですね、バルセロナはこの時行かなかったんですよね。
ちょっと行きたいなといまだに思っています。
よかったらそのあたりのお話も教えてくださいね。
それでは続きを読んでいきたいと思います。
14時30分着。
ロンダは人口3万5千人で、標高750メートルにある中世の小さな町。
グアダレビン川を挟んだ深い渓谷によって旧市街と新市街とが分かれている。
その二つの街を結ぶヌエボウ橋は絶壁にかかっており、
その橋のたもとにあるのがこの日の宿泊所、パラドールでロンダである。
パラドールとは寺院や皇居の歴史的建造物を改装した国営ホテルのことである。
今回の旅の楽しみにこのパラドールに泊まろうという企画があった。
代表的なアルハンブラ宮殿内にあるパラドール渡ったが、
やはりこの時期は満室で、このロンダに泊まることとなったのだ。
しかしこれが素晴らしい誤算となった。
どうせ泊まるならスイートと奮発した部屋は2階だけ。
1階はイマトシャワールーム。
2階に寝室とゴージャスな蛇口付きのバスルームがある。
そしてデッキチェアと4脚の椅子。
テーブルがある広々としたテラスからは渓谷対岸の旧市街地と、
その右手、田穂谷の向こうに遥か彼方まで続く原野を
180度の大パノラマで望むことができた。
このロンダのパラドール、国営のホテル、歴史的建造物などを改造した
国営ホテルがパラドールという名前なんですが、
それがサムネの一番上に持っているのがそのパラドールとなります。
一番下、コメントがかぶっているかもしれないんですけども、
一番下の崖の左側にちょっと見えるのが
その絶壁の上に立つパラドールですね。
日本だったら絶対地震が来るので、
こんなところに絶対ホテルなんか建てないと思うんですけれども、
さすが地震のない国は違いますね。
私今知ったんですけど、あの部屋はスイートだったんですね。
なんだかゴージャスな部屋だなと思ってはいたんですけど、
12:02
今知りました。しょうもない娘ですね。
一番上の写真のピンクの帽子をかぶっているのが私。
隣が母ですね。
真ん中のおじさんが父になります。
家族総出ですね。
ちなみにこの配信をしているというのは家族は知らないです。
後で教えてあげようかなと思っています。
それでは続きを読んでいきたいと思います。
観光への支度をしてホテルのロビーに出ると、
日本人ガイドさんがスペイン人と話していた。
上側の現地ガイドである。
アディオスセニョールと顔で笑いながら拍手をして、
そのまま徒歩で観光をスタート。
ここからは95%は日本人ガイドさんの案内で、
現地ガイドはたまに口を挟むが、ついて歩くだけ。
そしてかなりの報酬をもらう彼らにとっては、
黒い影もちらつく利権であるという。
ここのもう一つの名称は、このホテルのすぐ脇にある。
プラサデトロス、闘牛場。
闘牛の国スペインで初めてマタドールが馬から降り、
赤いマントをひるがえして華麗な姿で観客を魅了する
近代闘牛発祥の地であり、闘牛博物館もある。
長さ100メートルほどのヌエボ橋を渡り、
旧市街に入ると道も細くなり、迷路のように入りくねる。
途中、現地ガイドを知り合いに見せ、
ホテルモンテリリオンで軽い昼食をとる。
愛想のよいマダムがこのホテルの隅々まで案内してくれ。
最後に通されたのが、絶壁の上に
さらに突き出たようなテラス席のその先端の席。
このロケーションは絶景の一言。
だが、高所恐怖症には少々無理がある。
宿泊先のパラドールが対岸に見える。
日本人ガイドさんの通訳でおすすめのオードブル的なプレート、
大トロ炙りのクラッカーの背などが次々と運ばれるが、
どれも絶品。やはりどうしてもワインが進んでしまう。
まあ、いっか。
ここアンダルシアは日本向け輸出マグロの大部分を扱う。
ということでもあった。
16時30分。
レストランで日本人ガイドさんと別れ、
花子足にとこの深い渓谷を下ってみた。
急な道を100メートルほど下りて、嫁はギブアップ。
そこから4人で30メートルほど下ると、
15:03
道は小さな滝に阻まれてストップ。
そこから絶壁の角に立つパラドールを見上げるも、
今夜はあそこに泊まって大丈夫?と思ってしまう。
その後少し街を散策し、4人と別れて一足先にホテルに戻り、
シャワーを浴び、テラスにて軽いシエスタをとる。
日はまだ高く、眼下のプールでは客が日光浴やプールを楽しんでいた。
花子足にとこの深い渓谷を下ってみた。
急な道を100メートルほど下りて、嫁はギブアップ。
急な道を100メートルほど下りて、嫁はギブアップ。
その後少し街を散策し、4人で30メートルほど下りて一足先にホテルに戻り、
シエスタを楽しんでいた。
その後少し街を散策し、4人で30メートルほど下りて一足先にホテルに戻り、
シエスタを楽しんでいた。
あら、ごめんなさい。またミュートになっていましたね。ごめんなさい。 どこからミュートになっていました?
18:42
ローガンさん、こんにちは。ありがとうございます。
真張さん、どこからミュートになっていましたかね?
これあれですね、すみませんでした。このタイトルコールってエフェクトを押すときにミュートを押しちゃうみたいですね。3分くらい前?本当に?
やだ、ごめんなさい、さやもさん。申し訳ないです、申し訳ないです。やだ、めっちゃ喋ってましたよ、私。
どっから読みましょうか。じゃあ21時のところから読み直しますね。ごめんなさい。
教えてくださってありがとうございます。
21時、夕食のため外出。
日本の間隔だと遅いが、ここスペインの夜はこれからでレストランは開いたばかりである。
闘牛場脇のレストラン、デル・エスクデロに入り奥のガーデンテラスへ。
日本人ガイドさんおすすめのこのレストランのロケーションも素晴らしく。
隣のレストランでは野外ライブが催されており、陽気な笑い声とともに生演奏が聞こえてくる。
客席はまだまばらだったが日本人らしき4人家族を見かけた。
メニューを見てもよくわからないのでコースメニューとロンダさんの赤ワインを注文。
モッツァレラチーズのサラダ、ロブスターのコンソメスープ、サーモンのフライ、
グリルドダック特製ソースにデザート。
しっかりしたコースであり、どの品もムイビエン、とても美味しい。
そして値段は、これが25ユーロ、一人3500円程度と格安である。
地元のワインも値段の割には上級品。
調子に乗って息子が、このワインはうまいねお父さん、だって。
心地よい夜風に生演奏の響き。
外もようやく暮れていった。
23時、食事が終わる頃にはテラス席もほぼ満席。
隣の広いテラスにも人々がドレスアップして続々と入っていく。
この時間からパーティーでも始まるのか?
店を出て少し新市街地をぶらついていたが、真昼のにぎわいであった。
21:00
完全に日本時間とは3時間ずれている。どうなっているんだこの国は。
24時、シャワーを浴び、テラスに出てデッキチェアーに。
体を横たえて星空を眺める。
人々のざわめきだけが静かに聞こえ、流れ星がスーッと彼方に落ちた。
この夜は、この国の夜は長い。
本日の歩数、21000歩。パラドールでロンダ博。
はい、ということで7日目の旅の様子をお伝えしました。
すいません、途中ミュートになってしまって、私分かりました。
このエフェクトを押すときに、押したり、エフェクトをキャンセルするときに、
右手でやるので、このマイクのところに触れてしまうんですよね。
なので左手でやればいいということが、今分かりました。
本当に申し訳ございませんでした。
ということで、7日目まで読ませていただいたんですけれども、
このまま5時くらいまでやろうかなと思っているので、8日目もそのまま続けて読もうと思います。
お時間のある方だけでよかったら聞いていってください。
8日目。8月13日金曜日。
AM6時。シャワーを浴びて再びテラスへ。
夜明け前の空には、なぜか日本では冬の星座、オリオン座が輝いていた。
そしてまた流れ星。街はまだ眠っていた。
AM7時。ようやく明け始めた空は、きょうもまた30分ほどで、快晴の青空に変わった。
朝食を済ませて、9時にチェックアウト。
ホテル、料理、ワイン、ロケーション、どれも最高の街読んだ。
必ずや、今一度お目にかかりたいものだ。
AM10時45分。白い村、ミハスに到着。
少し小高い丘の上に位置する、この村の家々の壁は真っ白に塗られており、
真っ青な空と太陽に眩しい白壁は、永劫海の島々を思い出させる。
眼下にはプール付きの高級住宅地、高級別荘地が点在し、目を移せばジブラルタル海峡が広がる。
この一帯に300キロ余り続く海岸線は、コスタデルソル、太陽の海岸と呼ばれ、
太陽を求めるイギリス・ドイツ人などの憧れの地でもある。
アラブの王族も別荘を構えており、最近では、あのベッカムも別荘を探していたらしい。
数億円の別荘も珍しくはなく、このスペインでゴルフ場が最も多い場所である。
24:00
かつてバブルの時代、宣伝に載せられて、おちょこちょいの日本人も購入し、
移り住んだそうだが、今は誰も日本人はいないとのことだった。
イギリスでもそうであったが、この数年この国でも不動産バブルらしく、
住宅が2、3年で倍以上に種上がり、やはり若者が住宅を持てなくなっているらしい。
2時間ほど村を見学し、カフェで一休み。
子供たちはアイスミルクコーヒーを頼んだが、これが日本のようなわけにはいかない。
もともとアイスコーヒーになるものが存在しないこの国では、
熱いコーヒーと牛乳と氷の入った大きなグラスが別々に出てきて、
テーブルの上で自分で混ぜる。
なんとも工夫がない。
こちらはいつものようにビール、セルベッサで喉を潤し、
一路アルハンブラック宮殿の松、グラナダへ向かう。
15時、宮殿内パラドームレストランでスペイン時間の昼食。
日本人ガイドさんとは最後なので、彼女にも同席してもらい、
いろいろ話を聞きながらグラナダ料理を注文したが、今一つといった感じであった。
サービスもあまり良くなく、やはり国営となるとどこでも同じなんだろうか。
ここが満室のためにロンカにロンダのパラドールに変更したわけだが、大正解であった。
改めて、神のご配慮に感謝。
アルハンブラ宮殿見学時間まで長かったため、土産物やオブラをついた。
その一つの中、写真館で家族一同アラビア衣装に身を包み記念写真を撮った。
自分たちで見ても日本の家族には見えない。
特に息子はこの衣装に着替えた途端、なんとなく堂々として見えた。
17時、アルハンブラ宮殿内を見学開始。
当然のことながら、この超有名な世界遺産への来館数は多数のため、
全てが時間指定の予約制である。
今度は杖をついた現地ガイドが現れる。
そして、解説は全て日本人ガイド。
しかし、彼らはこの国では洋人である。
アルハンブラ
アルハンブラはスペインのグラダナにあるイスラム王朝ナスル朝の宮殿。
外壁に塗られた漆喰が赤く、アラビア語で赤いものを意味する
アル・ハムラーが名まってアルハンブラと呼ばれる。
イスラムの宮殿建築の貴重な遺構として名高く、
左右スタイル、漆喰、大理石による装飾が繊細華麗に表現されている。
27:03
ベコンキスタ国土回復戦争が風雲急を告げる13世紀半ば、
ナスル朝初代をアル・アフマールが建て始め、
7代目ユースフ一世の14世紀半ば、ようやく完成を見たという、
スペインイスラム最後のモニュメントである。
宮殿は7つを数えたと言われ、中でも王宮は質素で無骨な外見と裏腹に、
一歩踏み入れると幻想的な世界が広がり、そこには緻密なイスラム芸術の結晶がある。
そのあまりの美しさに、王は魔法を使ってこの宮殿を完成させたとさえ言われたようだ。
数々の部屋の内装、中庭天井のきめ細やかな文様などを見れば、
偶像、絵画などの装飾品が許されないイスラム世界がいかに工夫し、
その他の手法で美を追求したかを想像させる。
19時、対面の丘にある王宮の別荘を見て見学が終了した。
太陽はまだまだ高く、強い日差しがさんさんと降り注ぐ。
グラナダ次第まで15分走ってホテル、カルメンにチェックインし、
2日間共にした日本人ガイドさんとドライバーさんに別れを告げて、休む間もなく市内を散策。
途中の教会では清掃の人ばかりがあり、中から神道神父が現れた。
いやはや午後7時から結婚式とある。
とにかくお祭り騒ぎが大好きなようだ。
1時間ほどぶらつき、以前腹は減らないが喉が渇いたので、
一人一足先にホテルのバーでセルベッサ、冷えたビールが喉に痛い。
しばらくすると戻ってきた。
4人家族と合流して、そのままバーのカウンターで生ハム、チーズ、バケットの軽い夕食。
嫁はセリー酒、息子たちはビールやカクテル。
こちらはもちろん赤ワイン。
娘は何も食べずに部屋に帰った。
22時30分、部屋に戻りシャワーを浴びてベッドに入る。
今日は息子2人と同室のエクストラベッドで軽費削減である。
いよいよ明日からは列車の旅。
マドリッド行きの列車は朝7時55分発である。
本日の歩数1万4000歩。
ホテルカルナに泊る。
はい、ということで、
今日は旅の日記、8日目と9日目を読ませていただきました。
間違えましたね。
7日目と8日目かな。
30:01
2日間分読ませていただきました。
7日目と8日目ですね。
アルハンブラー宮殿は世界遺産として、スペインにたくさんの世界遺産があるんですけれども、
その中でも非常に有名なスペインイスラム建築の最高傑作といわれている宮殿です。
私は実は歴史学科卒業で先行がインドイスラム史というコア中のコアな分野を勉強していたので、
このアルハンブラー宮殿には非常に強い憧れがありました。
今でもね、この宮殿を訪れた時の思い出というのは非常に強く残っています。
ただ遺憾せん、日記の中でもお話をしたようにですね、見学がすべて予約でガイドが必ずついている状態でしたので、
好きに散策というのがね、できなかったのが悔しかったなというのがありました。
約2時間の見学時間だったんですが、全然時間が足りなくて、もっともっと私はこのアルハンブラー宮殿にいたいなと思ったことを覚えています。
この後ですね、10年後以上にイスラム、オスマン帝国の首都であったイスタンブールですね、そちらにあるトップカップ宮殿に訪れたんですけれども、
やはりトップカップ宮殿とアルハンブラー宮殿に共通する部分というのがたくさんありました。
どちらもまた訪れてみたいなと思う素晴らしい人類が世界に誇る文化遺産であると思っています。
ただですね、アルハンブラー宮殿にしてもトップカップ宮殿にしても本当に見た目はあまりシンデレラ城みたいなね、
ドイツのノーシュ・バンシュタイン城みたいな感じの美しさはあまりないんですよ、華やかさとか美しさとかね。
なんですけれども、やはり中というのは本当に緻密なモザイク、タイル、繊細なミニアチュールですね、それに彩られていて、また色が非常に鮮やかで本当に美しかったなということを覚えています。
スペイン旅行に行きたいなと思われている方、スペインってやっぱり国土がものすごく広いので、その地方地方によって全然文化の特色なんかが違うんですよね。
33:14
今日の日記で読ませていただいたセビリア、ロンダ、そしてグラナダというのは、スペインの一番端っこの方ですね、世界地図で見たときに下の方というんですかね、アフリカに近い場所になります。
ジブラルタル海峡は、青森と北海道の間の津軽海峡か、冬景色で有名な津軽海峡ですね、よりも短いと言われていますので、
このアンダルシア地方というのは、アフリカ経由で入ってきたイスラム教とイスラム文化の影響をものすごく受けていたんですね。レコンキスタという話を、単語を先ほど出しましたが、レコンキスタというのはキリスト教国土回復運動というもので、
実際的にアフリカ大陸から海を渡ってやってきたイスラム教徒にアンダルシア地方というのは一時占拠されてしまいます。スペインではなくなった時代があるんですね、スペイン王国ではなくなった時代があります。
そのため、セビリアやロンダ、そしてグラナダにイスラム文化の建築やイスラム文化が色濃く残っているわけなんですが、それはまた北スペインのサンセバスチャンとかね、あちらのほうの地方と全く違う文化になっています。
前田さんありがとう。スペインは日本みたいなアイスコーヒーはないですね。冷たい甘くない飲み物っていうのがほとんど、今はあると思うんですが、昔は本当になかったですね。アイスティーとかアイスコーヒーっていうものがどんなに熱くてもないんですよね。
冷たいものはソーダとかコーラとかワインとかそんな感じでですね、冷たくて甘くない飲み物っていうのが本当に水ぐらいしかなかったんじゃないかなというふうに思います。
それはスペインでもイタリアでもドイツでもイギリスでも20年ぐらい前はそんな感じでした。今はね、全然違うと思いますし、アイスコーヒーやアイスティーなんかもきっとあるんじゃないかなというふうに思っています。
36:00
そうなんですよね。その辺もね、今度ね、今スペインやイタリアに住まれている方に聞いてみたいなと思います。ということで、5時を回りましたので、こちらのライブはそろそろ閉じさせていただきます。
今回は父と娘のヨーロッパ旅行記、7日目と8日目をお届けいたしました。そして秋代さんの素晴らしいスペインの楽曲もお届けさせていただきました。
ライブで聞いていただいた皆さん、ありがとうございました。前泥さんもね、お忙しい中来ていただいてありがとうございました。
サイモさんすみませんでした。途中ミュートになってしまって申し訳ありませんでした。聞いてくださってありがとうございます。静かに聞いてくださった方も本当にどうもありがとうございました。
それでは本日のライブはこちらで終了していきたいと思います。ありがとうございました。また不定期で続きを読んでいきたいと思います。ありがとうございました。