日蓮宗への関心
はい、こんにちは。
東京別院みたいなものをやっているので、
仏教に異様に詳しい人だというような認識をされている気がするんですけれども、
実は全然そうでもなくてですね。
般若心経を唱えられて、意味がわかるぐらいでですね、全然なわけなんですね。
そんなわけで、
勉強しようというような思いがあってですね。 12月の20日の補経講座ですね。
これは非常に楽しみに、満席なんですけれども、非常に楽しみにしておるというところで、
東京別院のイベントとして、しっかり勉強して参りたいというふうに思っています。
まあ、仏教が好きというよりはですね、仏像が好きだったというのが始まりがありましてですね。
仏像は好きですね。めちゃくちゃ仏像が好きだという感じでですね。
あっちに五海鳥があれば行くし、こっちに五海鳥があれば行くし、みたいな感じなわけなんですね。
それがそのまま巡礼好きになってですね、旅行好きっていうのもあって、あっちゃこっちゃ巡礼するようになったという風な感じ
なわけなんで、別に仏教にめちゃくちゃ詳しいみたいなことは全然なくてですね。もちろんあんまり詳しくないんじゃないかなという感じもあってですね。
そんな中でですね、日蓮宗というのはいずれもですね、あんまり自分が仏像とかですね、巡礼とかっていうところで関わってこない
宗教というかお寺なんですよね。
そもそも日蓮宗自体が新しい仏教なので、鎌倉新仏教というような仏教体系ですので、
すごい新しいですね。その仏像があったりするお寺ってのは大体は密教系が多いので、
新厳宗とか天台宗とかですね、そういうお寺が多いと思うと、巡礼もそれに引きずられてというかですね、巡礼もそういうお寺が多くてですね、
日蓮宗っていうのは、あんまり自分の中で絡んでないっていうかですね、
あんまり登場しない宗派だというようなところがありましてですね。
なかなか親しみ深くないという感じの宗派なんですね。
立川流の特徴
最近その日蓮宗の方というかですね、特に水信さんとか行くとですね、感じるのはですね、
かなり日蓮原理主義者みたいな方がですね、たくさんいらっしゃってですね、それはそれでいいんですけれども、
なんていうかちょっと原理主義者っぽいというかですね。横山さんも日蓮宗の方なんですけど、あんまり横山自体原理主義者っていうような雰囲気がなくて、ちょっと緩い感じがするんですけれども、
水信の本山とかに行くとですね、ちょっと原理主義者っぽいというかですね、教えを忠実にというかですね、まあ説教臭いと言っちゃ失礼なのかもしれないですけど、
なんかちょっとべき論が多いかなっていう方が多い気がする印象なんですけれども、
まあそれっていうのはその、
その古い仏教に対して新しいものを作ろうという、日蓮さんのですね、
強い思いみたいなものをですね、その思想というか、その行為に対して
なんていうか、その行為に対して
感化されているというとちょっと悪い気になるかなっていう方が多いので、すごい原理主義的な方が多いという印象で、これってなんかこのフォルムは似たようなフォルムが見たことあるぞと思ってですね、
ふと思い立ったのはですね、 落語のですね、
立川流なんですよね。 立川男子自体がですね、まあすごいある種のカリスマでして、
まあなんかいろいろと落語協会と揉めてですね、落語協会の古臭い形を許せなくてですね、飛び出して立川流というのを築くわけですね、作っちゃうわけですね。
それでまあ初代家元とかってなったのってですね、 まあそこで弟子をいっぱい囲ってですね、当時すごいあったですよね、あの
北野たけしとかも立川流の方、 立川の文化に入っていると思うんですけど、
その七たる著名人、有名人が立川流の文化に入ってですね、 まあそれはあの文化に入った中であの
弟子みたいな方がですね、たくさんいらっしゃるんですけれども、 まあ立川篠介とかですね、志楽とかですね、そういった方が
いてですね、特にまあ志楽なんかは、私の印象で言うとかなり 原理主義的な、立川男子に対する原理主義的な
なんていうか浸水をしているというイメージがあるんですけれども、 まああの男子自体はですね、私が楽語として聞いている中では極めて
オーソドックスな楽語をするなっていう人だという印象なんですけれども、 まあ派遣校で言うと
新生なんかかなり派遣校なんですけど、あそこまでいかないような、ちょっと割ともう ちょっと抑え気味のですね
楽語をする方というようなイメージがあるんですけれども、 まああの
やっていること自体はかなり派遣校というかですね、政治家になったりとかですね、 有名な話で言うとあの
商店のですね、大喜利って最後にやるフォルムを作ったのも男子だというふうに言われて おりますけれども
まあそういった方でしてですね、 まあある種、異端異質みたいな、異質異端を素でやっている人の
まあそういう流派なんですけれども、 直近で言うとですね、私が
えっと、彼の楽語を最後に聴いたのは多分ですね、 2008年の6月のですね、男子と男孫ですね
の親子会というのをですね、えっと歌舞伎座だったと思うんだけど、 歌舞伎座でやったのが彼を聴いた最後の
講座だったような気がしますね、その後3年後ですね、 2011年11月にはなくなってしまったので
まあ男孫のですね、伝記みたいな本もですね、非常に面白くてですね、 これどっかにあると思うんですけど、倉庫とかにあるような気がしますね、 ちょっともう1回読みたいと思ってるんですけど
まあかなり男子の破天荒ぶりとかですね、 詩楽の天才性とか詩楽がいかに好かれてたかとかですね、 その辺のことを男子が語っている本があってですね、非常に面白くてですね
なんていうか、 ある種のコミュニティというか、コミュニティを作る立て替わりを自体がですね、やってですね
なんか食えない奴は築地で働けみたいな感じですね、 確か男子も築地で働いてたんじゃないかな、ちょっと読み返して、 あの本は面白いんで読み返してみたいなというふうに
思いました。まあそういう意味でですね、ちょっとふと思い立ったんですけれども、 まあ日蓮という方もですね、ちょっとまあ
規模とか、規模とかそういうものは全然違うんでしょうけれども、 ホルムとしてはですね、極めてその
なんかその 日蓮臭というような
ものがですね 掃除系のようにですね、立て替わりみたいなものと極めて近しいんじゃないかというふうに
ちょっと思い立ったので 配信をさせていただきました
春木先生との会話
でですね、なんかちょっとやり取りをしてた中でですね、 なんか春木先生がですね、なんか立て替わりの
立て替わりの入門をしようとしてたみたいな話をですね、ちょっとコメントのやり取りで、ボイシーのコメントのやり取りで伺ってたんで、ぜひですね、ちょっとこの辺の
お話をですね、伺えればというふうに 思っていてリクエストをさせていただいたんですけど、それ以降その話をきっとされてないというふうに
思っているので 春木先生の立て替わりへの思いとかですね
弟子になるとかならないとかですね どうされたかというのをですね、ぜひ聞いてみたいなというふうに思った次第です
そんな感じですね お話をしてみました。最後まで聞いていただきました
ありがとうございました。ではまた。失礼します