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2025-11-29 12:33

日蓮宗と立川流(補足)【身延山より】 #117

身延山からの配信です。オススメの宿坊の名前は「端場坊」です。
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サマリー

今回のエピソードでは、みのぶさんをゲストに迎え、トレイルランのレースについて語っています。また、道練習における仏像の存在や、立川流の落語についても詳しく解説されています。

みのぶさんとの訪問
はい、こんにちは。
みのぶさんに来ております。
お前、先週も言ってただろうという話もあるんですけれども、
2週連続、みのぶさんに来ているというですね、
一度入れ込むとですね、とことん入れ込む私の性格を如実に表しているというわけではなくてですね、
もともとはじめはこの日の予定で、みのぶさんの予定を入れてですね、
実は先週は後付けでですね、横山さんがみのぶさんをご案内いただくということで、
その予定を後から入れまして、結果ですね、2週連続来ることになってしまったということなんでございますけれども、
明日ですね、トレイルランのレースがありまして、
みのぶさん、修行僧、修行僧と言うですね。
修行僧というのはですね、修行する僧侶ではなくてですね、
修行に走るという、修行僧というですね、
こういうなんか変な名前つけるのが本当好きじゃないんですけれども、
好き嫌いで寝る寝ないって言われるくらいじゃないので、
ぜひですね、一度は経験をしたいなと思っていたんですけれども、
せっかくみのぶさんの応援ができましたのでですね、
元からこのレース自体は有名なレースで来て知っておったんですけれども、
なかなか出る機会がなくてですね、
今回ようやくやることができて出場しているということでですね、
今みのぶさんの、これは本堂の裏なんですけれども、
静かな場所なんですが、今ちょうど車が走りつくという、
環境的に録音状態どうかよくわからないんですけれども、
それでですね、そのレースがですね、
40キロの部分とですね、13キロの部分が山を走る場合はですね、
だいたい距離換算の倍を見とけばいいので、
40キロだと80キロですね、
13キロだと26キロぐらいの距離間で山を登るレースなんですが、
昔の私であればですね、この40キロにトライしていただろうと思いますが、
もうさすがにですね、きついなというふうな思いがあってですね、
13キロですね、これは実質26キロぐらい山を登るという感じなので、
山登りの散歩みたいなものかなというふうにですね、
気楽に構えてはいるんですが、
13キロの部が、みのぶさんを下からですね、
みのぶさんは1000メートルぐらいあるので、
みのぶさんを下から頂上まで登って帰ってくると、
山を登って下山するぐらいの道ですね。
40キロの部がですね、このみのぶさんを登ってですね、
さらに七面山というこれも礼法があるんですが、
七面山を登って降りてくる。
みのぶさんを下から登って頂上行って降りてきて、
七面山を頂上まで登って降りてきてみたいな、
そんなようなレースが40キロですね。
これは相当きついと思いますね。
というレースと、私モデルですね、みのぶさんを下から上にですね、
計らずもですね、先週クルマとロープウェイを使ってですね、
下から上に上がってきましたが、
それを自分の足でやるという感じですかね。
そういうレースに出てきます。
道練習と仏像
昨日の道練習と立て替わりのですね、話のちょっと補足だけしておきたいなと思っております。
なんか配信の中でですね、道練習には仏像がないとか言い方をしていてですね、
相当な言い方になっちゃっているなと思ってですね、
訂正をするとですね、仏像は当然あります。
お寺なので仏像はあります。
特に道練習の仏像はですね、
日蓮さんが描かれたですね、あれは何て言いましたかな、
五本像のですね、形式になってですね、たくさんいるんですね。
たくさんの仏像がですね、文字で配置、文字まんだらとして配置されているものがあるんですけども、
それを仏像に起こしたものがですね、実際にあってですね、
釈迦如来とですね、宝刀如来なんですよね。
それが中心にあってですね、四天王があって、
幾つかの仏像があってですね、
不幻菩薩と文字菩薩があるというですね、
そういうまんだらの配置になっているのでいますと、
たくさんの仏像がですね、本堂に掲げられているということですね。
小山さんのですね、黄厳寺のですね、その一帯まんだがあるときにですね、
引かれた方はですね、見ていただきたいんですけれども、
そういう意味で仏像がないというのは間違いでして、表現が足らなくてですね、
仏像はあるんですけれども、
やはり美術工芸品的な仏像が、やはり平安時代が最長ピークですね。
なかなか面白いもんですね。
何でもそうなんですけど、美術工芸品というのはですね、
最新になればなるほど素晴らしいということではなくてですね、
ある特定の時期にピークを迎えてですね、
それ以上のものが出てもないというものがですね、意外とあったりして、
仏像のピークはですね、平安時代に一旦ピークを迎えるんですね。
平安前期というか、平安時代と言っていいかな、一旦平安時代にしましょう。
平安時代にピークを迎えます。
それ以降ですね、いわゆる、経波と言われるですね、
陵経、海経の時代は鎌倉なんですが、そちらはそこでももう一回ピークを迎えるんですけれども、
その時にはおそらく経波がですね、納めた仏像の寺院というのはですね、
いわゆる古い時代の伝統的な、当時の伝統的な仏教のお寺に納めているものが多いので、
代表的なのが幸福寺とかですね、あと東大寺とかですね、
そういったものになるので、いわゆる趣味としてのというかですね、
工芸品、美術工芸品としても仏像のピークがやっぱり奈良、京都奈良にあるということもあってですね、
鎌倉新仏教の新しい仏教のお寺にはですね、
そういった工芸品としての仏像がないというか、残ってないというかですね、
ちょっと不勉強かもしれませんが、あったら教えてほしいんですけど、
基本的にないですね、ですので浄土宗とかですね、浄土神宗のお寺にですね、
当然、そういう工芸品としての仏像というのはないので、
そういう意味でないというような表現をしてしまいました。
何かフォローしているのか、やっぱりディスっているのかよくわからない感じになりましたが、
そういうことですということですね。
立川流の落語
あとですね、建川流の話をちょっと補足するとですね、
建川男子のですね、やっぱり最大の功績というかですね、
今ですね、現代落語論というものに書いたですね、
落語は語の肯定であるというですね、言葉ですね。
これはですね、功勢ですね、ずっと伝わっていい言葉かなというふうに思っております。
まあ落語というのはですね、人のどうしようもない部分をですね、
さらけ出してですね、さらけ出したものに、人ってどうしようもないなみたいなものをですね、
笑い飛ばすということが主義であっているというふうに思うんですけれども、
それをですね、豪というふうに表現して、その笑い飛ばすという意味で肯定しているということですね。
どうしようもないという人間そのもの自体が愛そうよということで豪の肯定であるというふうにですね、
定義したというのが男子のですね、最大の功績ではないかというふうに私自身は捉えています。
まああの、肯定心象もですね、人間なんざクソ袋だとかですね、
松目漱石のですね、白骨や哀れ美人の慣れの果てですかでしたっけね。
まあそういったものに近いですよね。
まあそういった言葉がものを起こされていますけれども、
そういったものをですね、真摯にかみしめ合うのが落語だったりするのかなというふうに思ったりして次第でございます。
すごい静かなところなんですけどね、思いのほか車も通ってきてましたね。
これから祝望に戻ってですね、夕飯に備えてという感じなんですが、この祝望もですね、ちょっと名前をどう忘れしたんですけれども、
横山さんがそうやってですね、横山さんに撮っていただいたんですけれども、非常に素晴らしい祝望です。
興味があればですね、ここに泊まるのも、ここにみんなで泊まるのもありだなと思ったりもしたんですけれども、
ご興味があればですね、コメントいただければ、名前を後で返します。
すごい静かなんでですね、これ配信をするとですね、外で配信をするとですね、なぜか邪魔が入るというですね、ジンクスがございます。
はい、ではまた、ちょっと、明日のレースですね、散歩だと思って戻るんですが、途中でライブはしないかな。
まあ、収録をしながらですね、レース中継なども、ライブではなくですね、するかもしれませんということで、
はい、お聞きいただきありがとうございました。ではまた。
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