第5話もいろいろ突っ込みでございましたけれども、
中でも、今日はこの生物心理社会モデル、BPSモデルに関して、
物申したいと思いまして、お話したいと思います。
まず、ちょっとあらすじをご覧になれていない方のために、
簡単にお話ししようと思うんですけれども、
心臓血管技科の、できる天才女医みたいな方がいらっしゃいまして、
茶屋坂先生という先生ですね。
その先生は、もう何でもできるわよみたいな、私失敗しないので、
系の先生なんですけれども、
その先生が、もともと親子の葛藤があってですね、
特にお母さんとうまいことそれが合わなくてっていうのが背景にありまして、
ただそのお母さんが、大ダメ薬乖離という血管の病気で運ばれてきて、
自分が手術をするみたいな、そういうシチュエーションになったんですよね。
その後ぐらいからですね、ちょっと調子が悪くなって、
院長先生からですね、徳信先生という総合診療院の先生に、
ちょっと心配なんて見てもらえませんかっていうところで、
最後後半10分、15分ぐらいから退治するみたいな、
そんな感じのシチュエーションがありました。
その中でですね、徳信先生が、もう相手が医者なんで、
全部自分の手の内を開示してお話しましょうみたいな感じで言っていてですね、
その中でBPSモデルですね、この生物心理社会モデルの話があったんですよね。
これがですね、ちょっとそういう使い方じゃないよっていうふうに思いましたので、
ちょっとお話したいなと思います。
そもそもですね、BPSモデル、今回ですね、BPSモデルをですね、
生物心理社会モデルと言っていなかったことに、ちょっとまず衝撃、驚愕だったんですけれども、
今回ですね、生物の、これ生物心理社会モデルって、
もともとはバイオ、サイコ、ソーシャルモデルっていうのを日本語訳したものなんですけれども、
一般的にはですね、生物心理社会モデルって訳されることが比較的多いかなというふうに思うんですけれども、
今回はですね、バイオを肉体っていうふうに訳してたんですよね。
そうなんだと思って。
サイコもですね、心理じゃなくて精神って訳してたんですね。
これもそうなんだと思って。
なんかそれ深い意図あるのかなと思ったりしたのがまずちょっと違和感というか、
はい、いうふうに思いましたね。
一般的には生物心理社会モデルと教科書的にも書くのが多いかなというふうに思って、
生物、そのバイオロジカルを生物学的って訳すのが一般的かなと思うんですけれども、
それをね、肉体って書くとですね、ちょっとだいぶ意味合い違ってくるんじゃないかなというふうに思って、
あと、これもね、こだわる人はこだわると思うんですけれども、
心理と精神ってですね、一緒かどうか問題ってあるんですよね。
なんですけれども、一般的には心理って訳されることが多いんですけれども、
今回精神っていうふうに言っていて、
それもね、なんか意図的に精神にされているのかなと思って、
ちょっとこの辺はね、どういう意図かわからなかったんですけれども、
はい、と思いました。
その訳し方はいいとして、
一番ね、けしからんと思ったのはですね、
茶屋坂先生がですね、頭に何か手を当てるような感じで話をされていて、
それを見た徳志元先生はですね、
その動作、仕草から考えることもあるんですみたいな感じで、
頭が痛い、みたいなことをね、
かまかけたように言うんですね。
いや、そのコミュニケーションも非常に危険かなと思ったんですけれども、
それに対してね、茶屋坂先生全く無反応で、
これは違ったと思った、徳志元先生はですね、
そうではないということはバイオではない、
ということはサイコ、
もしくはサイコかソーシャル、
みたいなそんな言い回しをされるんですよね。
ちょっと正しくはね、またドラマを見返していただけたらなと思うんですけれども、
これはね、ものすごい危険な思想で、
そこに一番突っ込みたかったっていう感じなんですね。
というのは、そもそもBPSモデルはですね、
そういう風に分離して考えるものではないんですね。
バイオではないからサイコかソーシャルみたいな、
そういう考え方ではなくて、
これモデル全般的にそうなんですけれども、
一部分を否定するものとかですね、
そういう風に考えるものではなくて、
全体を統合して考えるもので、
なおかつBPSモデルは、
その各々の関係性を考えるためのシステムであって、
何々ではないか何々か何々みたいな、
モグラ叩きみたいなそういう思想ではそもそもないんですよね。
ないですし、あともう一つはですね、
これは非常に総合診療に対する批判としてあり得るんですけれども、
この総合診療ってBPSモデル、生物心理社会モデルを
一体的に考えて全人的に見ようっていうのを、
基本的な考え方としてあってですね、
これは非常に素晴らしい考え方だと思うんですけれども、
その中でやっぱりね、バイオロジカルな部分をね、
安易に否定するっていうのはね、
絶対やってはいけないことなんですよね。
なんですけれども、このシチュエーションで
何か頭痛がないからバイオロジカルではないみたいな、
そもそも頭痛があるかどうかっていうのを
かまかけていくのはちょっと危ないなと思ったんですけれども、
加えてですね、そのバイオロジカルな部分を
最終的に検討をずっとし続けるっていうのが、
やっぱりね、医者に一番求められる姿勢なんですね。
バイオロジカルではないから、
最後がソーシャルみたいなのになって、
最後がソーシャルみたいなのになるとですね、
あの肝心な見逃してはいけない病気を見逃す可能性とかっていうのすらありますので、
その辺はね、非常に今回のを見ててもやもやした部分ですね。
なおかつですね、そのバイオロジカルな部分で、
今回頭痛だけしか言わなかったんですけれども、
実はいろんな症状が多彩にあるっていうことはあるんですね。
今回それ以上ちょっと突っ込めなかったので、
それ以外の症状があるのかないのかってわからなかったですけれども、
これ診療内科あるあるなんですけれども、
一つの症状を取ると他の症状が出てきてしまうみたいなことって、
こういうのをシンドロームシフトっていう症候異動っていう風に言うんですけれども、
なので、一つの症状がない、もしくは消えたからといって、
バイオロジカルの部分が完全に消えるっていうことはまずあり得ないので、
その辺も非常にちょっと危険かなというふうに思いました。
あとは先ほども言いましたように、
このBPSモデルって全体の統合的に考えるっていうことに意味があるので、
サイコかソーシャルみたいな感じで考えるのも非常に危険ですし、
あとは今回、各々の要素を少しずつ話していたんですけれども、
サイコの部分に一人で医者をやるみたいなところを入れていたりとかして、
分類は正直あんまりこだわっても仕方ないんで、
そうなんだと思っただけなんですけれども、
サイコの部分、もうちょっと別なものとかあったりするんじゃないかな、
例えば親子間の葛藤とかそういうことが不安とかそういうことだけに集約されていて、
その辺ももうちょっと深掘った解釈を普通だったらするなというふうに思ったりしました。
というような感じでした。
いずれにしても、このBPSモデルっていうのはその診療でも非常に大切な考え方なんですけれども、
実は診療内科医もこのBPSモデルに基づいて、
その病態仮説図を形成するということもあったりするので、
今回はその点にフォーカスしてお話をさせていただきました。
はい、ということで、じゃあ最後しんしんじゃんけんいきたいと思います。
いきますよー。
しんしんじゃんけん、じゃんけん、ちょっき!
ということで、今日も幸せな一日でありますように、
お相手は内科医の竹井でした。
興味、しんしん。