最近の天候と体調管理
10月3日、金曜日です。
今日は雲が多めですね。
青空少し見えてますけども、割と曇り。
最高気温も27℃ぐらいで、もう30℃超えない日の方が多くなってきて、
やっぱりさすが10月ともなると、涼しくなってきましたね。
なんか今まで、ここ数年、なかなか夏が終わらないなって思ってたんですけども、
なんか俺にとっては、今年は涼しくなるの早いなっていう気持ちがしてますが、皆さんどうですかね?
この間も言いましたけど、こういう爽やかな時期に、ちょっと体を冷やして風邪ひくみたいなことがありがちなので、気をつけていきたいと思います。
夏の疲れが出る時期とも言われますので、ちょっとメンテをしていかなきゃなって。
昨日も夜お給をしました。
ここ最近ちょっと頻繁に、手にお給をするんですよ。
前話したかもしれないんですけど、手のひらのいろんな部分が体とつながっているっていう考え方の人なんですね。
うちに月に2回、新給員の人が来てくれるんですけどね。
その人の教えというか、こういう考え方でやってるっていうのを、本も買って読んだりもしてるんですけどね。
それに、新給員の先生の指導に基づいて、手にお給したりして、ちょっと備え中みたいなところですかね。
なるべくここでガクンと来ないようにいきたいなと思います。
はい、じゃあ、ながらキャスト、金曜日スタートです。
この番組は、自分大好きな61歳、私笹行きの声のブログ、声の日記です。
通勤途中に歩きながら収録してますので、息がはぁはぁ上がったり、周りの雑音騒音、風切り音が入ったりしますが、何卒ご容赦ください。
今日はですね、こないだ見たばっかりのDVDの話しようかなと思います。
今年戦後80年ということでね、戦争関連の番組もテレビでよくやっていましたし、僕もいつになくそういうのを摂取した気がします。
特にラジオですね、TBSの小木上知紀のセッションが、わりと精力的にいろんなゲストを呼んで、専門家の話を聞くみたいなことをやっていて、そこからはいろいろ勉強になった、知ることができたのでありがたかったんですけどね。
僕もちょっと本を読んだりしたり、通常よりは積極的に摂取しておりました。
その流れの中でやっぱり特効というのがどうしても気になってしまって、これがきっかけはあの映画ですね、あの花の柵岡で君とまた出会いたいという映画。
当時予告編で見たときに、なんか嫌だなーって嫌な予感がしていて、今年金曜ロードショーでやったんで、それを見たんですね。
その感想も確か2回にわたって話したし、その後原作も読んで、それについての話をしたんですけどね。
さらにこの間、高市さなえ氏があの映画について触れるっていうこともあったりして、なんか政治的に利用されていたりとか、
あるいは美化されて、美談として扱われるっていうことに対しての危機感がなんか僕の中にはあって、もちろん知っているわけじゃないんで、ただの予感でしかないんだけど。
今回、DVD、これNHKスペシャルの番組のDVDで、「学徒兵 許されざる機関 サブタイトルが陸軍特攻隊の悲劇」という番組のDVD化されたものを図書館で借りて見ることができました。
1時間ぐらいの番組なので、割と見やすかったですね。
この番組の中で本当に知らないことばかりが、どんどこどんどこ出てくるんですけども、印象に残ったところをちょっとかいつまんでお話しすると。
メインの登場人物は大抜きなんとかさんっていう方で、それこそ特攻に行って生き残ってしまった人なんですね。
その人の証言、あと他に2人、3人ぐらい出てきたかなという、同じ境遇の人たちの証言をベースに語られていくんですけども。
日本の敗戦色が濃くなってきて、奇襲的な特攻が成功した、何回戦かちょっと忘れちゃったんですけども、っていうのがあって。
陸軍なんだよね、特攻。どっちもやったと思うんですけども、今回出てくるのは陸軍の特攻隊の話なんですけどね。
まだ若い人たちが訓練生として訓練している中ですね、偉い人、特攻を多分押し進める立場にいた人が、そういう地方の訓練しているところにやってきて。
あくまで志願なんですよね。命令ではなくて志願させに来たんですよね。
そこに十何人だか二十人だかいる前で訓練というか話をして、紙が配られて、特攻隊に入ることを、三つ選択肢があって。
一つ目が熱望する、熱く希望するですね。二番目が希望する。三番目が希望しないだったということです。
最初は全員が希望しないに丸をつけたそうなんですが、その後で、その中の一人が、わざわざあの偉い人が来て話をしてくださったんだ。
これでいいのか、みたいなことを言い始めて、それに同調する形になり、全員が熱望するに書き換えて提出したそうです。
この時点でも、冷静に考えれば、一度はみんな希望しないにしたわけで、それが本音、本心なんだよね。
志願兵の実情と苦悩
ただ、そこに上からの言葉にはならない圧力みたいなものを感じて、熱望するという形になってしまったという、同調圧力的なものですよね。
さらに言うと、希望しないに丸くれた人も結局同じように、同じ境遇、同じ目にあっているということらしいんですよ。
まあそういう、一応欠かすんだけど、運命は同じ。ただ一応命令じゃなく志願という形にさせたかったというのが本音なんでしょうね、上からの。
で、まあ結構今回、えーって思ったのは、そうやって志願兵なんですよね、特攻をやったの。特攻に、そういう任務に就いたのはね。
で、そうなった時に実は、その回される飛行機に差がつけられちゃうっていうのを今回初めて知って驚いたんですよ。
つまり、性能のいい飛行機は、本来の航空隊っていうのかな、陸軍の操縦士、パイロットに回されて、そうじゃないもの、まあぶっちゃけ程度の悪いものが特攻の方に回されたらしいんですね。
で、そのことを当時の偉い人が証言してたんですけども、結局のところ、志願兵は自らその任務に就いているんだけども、
通常の航空隊のパイロットたちは、言うなれば天皇の命令でその任務に就いている。かたや天皇の命令で就いていない、自らの意思でやっているっていう、そこにすごい差別があったみたいなんですね。
なんかひどい話だなって、それ聞いてちょっとショックだったんだけど、本来は拒否したい任務、彼らにとっても命を落とすっていう、まず先に死ぬことがわかっていて、爆弾を積んで突っ込んでいくっていう任務は、
それは自分は帰ってこれないっていう任務に就くっていうことももちろん、最大限に拒否すべき理由なんですけども、さらに言えば彼らは飛行兵として、操縦兵っていうのかな、パイロットとして戦うために訓練を積んできているはずで、
相手の飛行機を撃ち落とす、撃墜するっていう、その戦いのために訓練してきたはずなんで、それができないっていう意味でも、彼らの本望とは違うことをやらせているわけね。
だから本当は、希望しないに丸をつけたのは、そういう他にもいっぱい理由があると思うんですけども、にもかかわらず、いわゆる孫託の類になると思うんだけども、
そういう偉い参謀みたいな人がやってきた中でも、撃墜するに丸をつけざるを得なかったっていう人たちに対して、その仕打ちなんですよね。
程度の良い飛行機は回ってこない。実際に話の中でも出てくるんですけども、まともな飛行機が少ない中でやってるんで、しかも要求される特攻に操縦っていうのは非常にレベルの高いもので、
普通に突っ込んでいくと撃ち落とされてしまうので、例えば一度高く高度を上げて、そこから垂直降下っていうのかな、上から突っ込むっていうことも検討したけども、そうすると機体がバラバラになっちゃうっていうこともわかってたらしく。
特攻隊の悲劇
最終的には水面ギリギリ、海面ギリギリに飛んでいくっていうのは一番成功する可能性が高いっていうことなんだけど、それがまた非常に難しい操縦らしいんですね。
戦争も末期になってきて、パイロットが足りないっていう状況の中で、陸軍が航空パイロットを募集して集めてやるんだけども、
ちゃんとした教育を受けられる者も全員がそうではなかった。付録の資料を見ると半数ぐらいだったっていうことらしいですね。
6,000人ぐらい募集かけて集めて、でもちゃんと教育訓練できたのは3,000人とかそういう感じだったらしいんですけども、
だから実際に特攻の訓練を始めたとしても、ちゃんと操縦できないパイロットもいて、練習中に事故を起こして亡くなってしまったり、あるいは飛行機そのものの程度も良くないので、
そういうこともあって事故、そして亡くなってしまうということもそれなりに頻発していたようなんですね。
はい、そんなわけで今日はNHKスペシャルがDVD化された学徒兵、許されざる機関陸軍特攻隊の悲劇というDVDを見ての感想をお話ししてきました。
実際このNHKスペシャルでスポットを当てていたのは、特攻として出撃したにも関わらず、生きて帰ってきた兵士たちがそれなりの数いたらしいんですね。
その理由はいろいろあるんですけども、その多くが、さっき言ったように、わりとまともな飛行機を与えられていなかったために故障してしまったとか、そういった理由、あるいは故障で不自着というのが結構多かったらしいんですね。
実はそういった兵士たちを集める、一つの場所に集めていた場所が福岡にあって、それを神武僚って呼んでいたらしいんですね。
神というのは古っていう三神とかの神ですね。武は武力の武で、寮と書くんですけども、このNHKスペシャルに出ていた大抜さんも神武僚に収容されて、
個室なのか、ちょっとそこはっきりしなかったんですけども、そこに本当に収容、隔離されて、他の部屋の同様の境遇の兵士たちとも会うことがないように、食事とか風呂とかを、時間をずらすような感じで、
そこに本当に逃げないように、外へ出ないように、鉄帽子で覆われた場所に、本当に収容所ですよね、ある種の。
結局そこでですね、もう一度、特攻に行くために、要はなんで帰ってきたんだ、なんで生きて帰ってきたんだというふうに、上官に責められるような感じの中で、
軍人の心得をしたためた、軍人直輸だっけ、そういったものを欠かされたり、あるいは反省文を欠かされたり、
その中で、次のチャンスを狙う、次の同じような機会を待っているみたいなところだったようです。
当時はですね、特攻に出た兵士たちを軍神、陸軍、海軍の軍の神と書いて、新聞なんかにもバンバンそうやって書かれて、要は神だっていう扱いで、
お国のために死んでいくっていう若者たちを讃えていたんですね。だからそんな人たちが生きて帰ってきちゃいけないっていうのが陸軍の上層部なんでしょうかね、の考え方で、そうやって隔離して、目に触れないようにしていた。
その中で再教育をして、次のチャンスを伺うっていうことだったらしいんですね。
その中で、最後終戦に近くなってきた時に、福岡から各地域の航空隊みたいなところに配属が決まって、大抜さんは三重県だっけかな、20人ぐらいで行ったらしいんですね。
命令を待つ身だったらしいんですが、結局8月15日に敗戦ということになったそうです。悲惨な話なんですけど、それを聞いて、20人のうち3人は自決したって言ってました。
さらに2人は飛行機で海に突っ込んで、やはり自死をしたということを言ってましたね。ある意味そこまで追い詰められていたっていう、自分は生きていちゃいけないんだっていうような、おそらく精神状態に追い込まれていたんだなと思うと、
いやー、もう何とも言えないんですけどもね。そんな話を今回、映像で見たんですけど、まだいろんな話があったんですけどね、全部は語り尽くせないので、リンクを貼っておくので、よかったら見てみてください。
今日はここまでです。最後までお聞きいただきありがとうございました。ではまたね。チュース。