2024-10-27 10:07

#69 【生きづらさに向き合う】心の奥底に見つかった温かくて悲しい気持ち

生きづらさを感じる時、
理論的に解消しようとしてできない時、
ノートして感情の蓋を開けるって大事。

ずっと抱えてきた生きづらさを解消するため
それを育んだ家庭環境・お母さんに向き合い
ノートを書く日々。
そんな中、お母さんに対する
温かくて悲しい本音と現実を見つけて
すごく泣けた話。

まだ気持ちが引き摺られて
ボンヤリしてるので徒然なるままに。


#生きづらさ
#自己肯定感
#母親との関係
#自分と向き合う
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こんにちは、私はるかです。このチャンネルでは、36歳で自分のポンコツさに絶望し、1週間会社に行けなくなったアラフォーOLの私が、7歳年下の夫や周りに頼りまくりながら、感情を全解放して人生を楽しく生きていくあれこれを語っていくチャンネルです。
今日はですね、ちょっと、なんかこうね、副業とかの関係で話したいなって思ってたことがあったんですけど、なんかこうね、気持ちがどうにもそっちに行かなくて、すごい引っ張られてることがあるので、まあね、気持ちのままに喋ってみようかなと思って話そうかなと思ってます。
なんかね、全然何にも考えてないから、あんまり考えてないけど、多少はね、こういうこと話そうかなっていうのがあるんですけど、全くないからちょっとね、どうまとまっていくかっていうのはあるんですけど、気持ちのままにたまには話そうかなって思って。
なんか何がそんなにって言ってね、私昨日すっごい泣いたんですよ。なんか昨日ね、あの演劇ワークショップがあって、私土曜日にね、演劇ワークショップに通ってるんですけど、その中で今ね、今月取り組んでる台本みたいのがあるんですよね。
私9月とかはね、体調悪くて休んでたので、先週初見で今週全部通して見てみるって感じだったんですけど、昨日その台本を読んでて、すっごいね、なんかこう、自分の気持ちにリンクするなみたいなものがあって、なんかめちゃくちゃ泣けたんですよね。
何かなっていうと、私は今11月とかにね、母親に会いに行こうと思ってて、母親に会いに行くことが何がそんなに大変かっていうと、私は絶縁されてるんですよね。
多分絶縁されてると思うんですけど、その辺がね、母親に会いたいのがちょっとよくわかんないところがあるんですけど、そういう関係性になっていて、私自身ね、ずっと生きづらさを抱えて生きてきたんですけど、この生きづらさの元になる価値観っていうのは、やっぱり家庭環境の中から生まれたんだなっていうことをね、この5年ぐらい感じていたので、
それに向き合うっていう作業をね、やっぱり5年ぐらいしてきたわけなんだけれども、もうね、さすがに終わらせたいなと、そのね、やっぱり家庭環境の最たる根本原因っていうのは、お母さんっていうところにあるなと、お母さんから受けている影響っていうのはすごい大きいし、話すと、それはなかなか強烈だねって言われる感じのお母さんなんですけどね。
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で、私はずっと、お母さんの希望に沿ってあげたいとかね、お母さんを幸せにしてあげたいっていう気持ちがすごい強くて、お母さん自体も家庭に恵まれなくって、もうね、明らかにどう聞いてもおかしいだろうっていう家庭で育っていてね。
それはね、おばあちゃんとかもひどいなって思うことがすごいたくさんある家庭で育ってきたから、お母さんはね、自分の家庭に対してすごい、なんていうのかな、なんか幸せな家庭を持ちたいっていう気持ちが強くて、その分娘であるね、私にも期待が強くて、で、私もその期待に応えたいと思って生きてきたんですけど、
でもやっぱり、そのね、お母さんは、そのおばあちゃんから愛情をもらってないって思いながら生きてきたから、すごく愛情に飢えていて、そのね、欠乏した愛情っていうのを子供である私に求めるっていうところがね、無意識的にもすごいあるんですよね。
だからこう、なんかこう、なんていうのかな、何かやった時に、それは私を愛してないからそういうことするんでしょうっていうようなね、あの言動がすごいあるんですよ。こっちはね、そういうつもりじゃなかったよっていう、根本的にはやっぱりずっとね、私はお母さんのことを幸せにしたいと、お母さんが笑顔になってくれたらいいと思ってね、お母さんの役に立ちたいと思って、いろんなことをしてきたんだけれども、
それがね、なかなか伝わらない。お母さんの基準からしたら、それは愛情じゃない、それは私は愛してないんでしょっていうことがあってね、なんか、だから私は子供に捨てられたんだみたいなね、メールが来たりとかするんですよね。
私もそうやってね、お母さんのためにっていうふうに生きることに、やっぱりね、ちょいちょい限界は感じるわけですよね。なんか、ちょっとやっぱり無理は生じるじゃないですか、子供の時から。
大体ね、中高生ぐらいかな、自覚したのはって思いますけど、高生ぐらいの時からお母さんのためにって言って、やっぱり言うて自分を犠牲にしたりするわけですよね。そうするとそこで歪みが生まれて、お母さんもなんでわかってくれないんだっていう気持ちになったり、じゃあ私のこの欠乏感はね、誰が埋めてくれるんだっていうところで、
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お母さんにキツが当たるっていうこともある。それがうまくいかないっていうようなことを繰り返してきたんだなっていうふうに思います。
そういうことに対して、私はそのお母さんに会って、いろんなことを言いたいって思ってるんだけど、じゃあ何を言うんだっていうところで、今私は日々ノートをいろいろ書いて、自分の感情を掘り起こしたり、過去の出来事を思い起こしたりっていうことをすごくやってるんですよね。
やってる中で、私あんまり小さい時の記憶がなかなか思い出せないタイプなんですけど、やってる中で、あんなことがあったなとか、それに対して自分の気持ちをできるだけ思い出して掘り起こして、怒りとか悲しみを書いてると、日々ね、結構感情が、心が柔くなっていくというか、すごい感受性がより強くなって。
そんな中でね、演劇ワークショップの台本で、家族が亡くなって最後に手紙を読むっていう、ちょっと複雑な気持ちを抱いてた家族に対して手紙を書いたっていう脚本でね、最後にさようならって言って、
これからは好きなように好きなところへ行って、好きなだけ自由になってくださいっていうふうに締めくくられる手紙を書いてるんですよね。
亡くなってるからね、これからは自由だよっていうことを言ってるんですけど、なんかこれがめちゃくちゃ泣けて、今もね、読むだけで泣けるなって思うんですけど。
なんか私はお母さんに対して、やっぱり好きなところへ行って、好きなだけ自由になってほしいなって思ってるんだなって。
私もお母さんに縛られてきたけど、お母さんも私たちに縛られてきたというか、私たちが思ったような愛情を返してくれないって思うから苦しい。
それによって自分の意地が許せなくて、意地をはむるのをやめたらいいんだけど、それもできなくて、絶縁しなきゃいけなくて、それでも思い出すと辛くてっていうすごい不自由な状態にいるんだなって思ってね。
そういうのから解放されるのは死ぬときしかないのかなって思うと悲しかったりとか、でもやっぱり私はなんとかお母さんに自由になってほしいなって思ってるんだなっていうことをね、昨日なんか泣きながらすごいノートしてたんですけど。
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そういう気持ちが一晩寝てもなかなかね、すごい引きずられてるなって思って、今日もノートしたいなって思います。
どう締めていいかわかんないなっていう感じではあるんですけど、でもこういうね、これもきっと過程になると思うんですよね。
5年後にはああいう気持ちでね、お母さんと向き合ってたなって思うようになると思うので、そのリアルな気持ちを残しておこうかなと。
私と似たような家庭環境にある人もね、何かの参考になることがあるといいなって思います。
そんなつれずれでしたけど、また会いましょう。
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