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こんばんは。えっとですね、「友は宝」という発信をしていただいたコメントに、めちゃくちゃ胸が熱くなりましたよね。本当に、あー伝わったんだなーって、受け取ってくださったんだなーって。
この発信をね、聞いてくれる方々も本当に友ですし、そのカテゴリーに縛られない、なんかこう繋がりを感じてるんですよね。
私のこの、言いたい意図を受け取ってくださって一緒に、共鳴共鳴というか、「あー!」みたいなね。楽しい時は、「ひゃっほー!」一緒に言って、悲しい時は一緒に、「うぇー!」って泣いてくれる仲間と思ってるので。
で、ちょっと今回いただいたコメントでも、私ちょっとね、なんというシンクルやろうと思ったので、ちょっと今日の母の話と合わせて、ちょっとこの暑いうちに音声を配信したいと思います。はい。
えーと、実はですね、ちょっと今日、まあ母とランチ行ったんですね。月に1回ぐらいは行ってるんですよ。で、私の母はもうね、80ぐらいでして、まあおばあちゃんですよね。
けれどすごい元気で、めちゃくちゃよく食べるし、めちゃくちゃよく喋るんですね。80と思えないぐらいにこう、若々しくて元気で健康なんですよ。
で、この間、まあなんかちょっと具合悪いというか、あの、検診に行ったんでして、病院にね。そしたら、病院の先生に、「きれいな血液ですね。」って言われたらしくて、何の異常もなかったんですって。
まあ良かったねということで、本当に、本当に親が健康はありがたいです。で、まあそれを踏まえて、今私はね、母とランチ行ったり、母も健康で、もう本当にそのね、喜びと幸せをかみしめているのはなぜかというね。
今日、母とも熱く語ったんですけど、人の何倍も今のこの、何もなくても幸せっていうのを感じられるよねっていうね。
で、私も母も大金持ちでもなくもちろん、まあもう言ってしまえば、どっちかというと貧乏な母はね、本当にこう節約節約して、お金ないんですよね。
で、こうバリバリ働いてきたタイプではなく、もう専業主婦やったんですよ。専業主婦でちょっとこう、ちゃんとあんまり働いてないというか、けど私がその高校卒業してね、バリバリ働く人間だったので、
私が親と弟を養ってたんですよ。父親がちょっと離婚していなかったので、そんなんで私は大学に行けず、もう高校の時からバイトしてたし、とりあえずこう、貧乏な家庭、貧乏な母を救わなければという気持ちで生きてきたんですよ。
けどその中でまあみんなにね、かずこさんいい娘だね、しっかりしてていいねって周りから言われたけれども、私としては若かったので、かなり腹が立ってたんですよね。なんでお金持ちの家に生まれなかったんだろうって。
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友達がね、いい家に住んで、大学もいいとこ行かしてもらって、海外旅行行くというような家庭を見たらね、はっきり言って羨ましかったですね。お金いっときはすごく羨ましかったです。心から。
でも自分はすごいボロい家に住んで、なんかもったいないもったいない言われて、買いたいものも買えなかったんですよ。私がバイトして自分のものは自分で買う。でも弟にも買ってやる。まあ弟にも母にもどれだけ私お金をね、貸したり、いろいろ買ってあげたりしたことかと思いますよね。
で、そんな私は、男性に頼るってこともしなかったんですよね。まあまあいろいろね、ちょっと結婚生活がいろいろ減りましたけれども、ちょっとそれは割愛して、いろいろあって、なんかもう、そういう子を重荷になったんですよね、母のことが。
考え方も合わないし、自分のことは自分のしてよって言って、パンと切って20年間絶縁してたんですよ。その20年間の間にお互いいろいろあったんですけどね、もう修行が濃い濃いつらいつらい修行がね、私は私であって母もあったんですよ。
で、その20年間の間に母は自分の祖父母の介護をしてたんですよね。おじいちゃん、おばあちゃん、私の。してたんですよ。まあ大変ですよね、それって。で、私は私でまあいろいろあったと。もうやっぱり仕事仕事で、残業して早朝出勤してっていうのはちょっと仕事以外のこと考えられなかった。
で、プライベートもゴタゴタしてた。まあそんなんでね、あの、まあ誰にでもね、お母さんは?って聞かれたら、いないんですって答えてたんです、私。ええ?みたいな。いや、なんかうやむやにね、まあ亡くなってはないけど、もう会わないんですみたいなね。会うつもりなかったんですよ。
なんで私はこんなに頼ることも甘えることもできずに、あんな頼りない親なんだろうと思って、ちょっと恨んでたんですよね。もっと話を聞いて欲しかった。もっと甘えかして欲しかった。もっと大学にも行きたかった。もっとこう、お金をね、あの、欲しかった。はい。いいものを食べたかった。はい。
本当に羨ましくて、こう、私のね、会社の人がね、会社の女の子が、お母さんと映画に行くとか、家族旅行でなんか高級旅館に泊まるとか、羨ましかった。心から。本当に。そんな中、私はこう、ねえ、本当にこう、冬休みでも一人で過ごし、なんか誰に頼ることもなく。
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で、そんな中、私はこう、一人でね、誰に頼ることもなく、この5年前にこのマンションを買ったんですよ。まあ、自分へのご褒美のつもりでした。はい。でですね、あの、そんなこんなで、私が会社を辞めて、ゆっくり自分を整えて、自分の住みたいに住んで、はーって波動が上がって、落ち着いた時に、
3年前に母に会おうと思ったんですよ。で、母に会って再会して、20年ぶりですよ。20年ぶりに会って、そしたら母の大生が、またなんか怒られることがあるんかなって言ったんですよね。母は私に責められる、怒られるってちょっとビクビクしてたんですよ。
で、私はそうじゃないと。あの、やっぱり産んでくれたことありがとうって言いに来たみたいなね。やっぱりそんな、ね、やっぱり産んでもらったことは、育ててもらったことも感謝ですし、やっぱり私、いこじになってたしね。あのー、貧乏であってもね、やっぱり産んで育ててもらったことには感謝しないとなって、やっと気づいたんですよ。
で、考え方も違う中、お互い和解して、少しずつ距離を縮めたんですね。はい。で、こう、たまにランチして話をする。で、いろいろ考え方違うし、ぶつかっても、ちょっとまたすり合わせをするとかね。それを繰り返して、この3年間やってきたんです、母とね。
でですね、今日、まあ私はね、この3年間もやっぱり母がちょっとお金がないので、あの冷蔵庫壊れたといったら買ってあげて、こたつも買ってあげたし、やっぱりまだ今も、こう、経済的に自立できないんだなぁと思ったけれども、
まあ、ねえ、私はちょっと心よく、あの母にね、親孝行のつもりでね、今はできる自分なので、やってたんですよね。母はもう本当に申し訳ないと、情けないよねって言って、もうごめんごめんって謝るんですよね。
でもまあいいよと、まあなんか、私は私自分にもまだいいことあるかな、みたいな感じでね、あのやってたんですよ。で、そんな中で、あの気づいたことがあってね、あのやっぱりこういろんな人見てて、お金持ちの家に生まれた人勝ち組みたいなね、親がち外れた人不幸みたいな、よく言われるんですよ、SNSでね。
で、私ずっと親がち外れたと思ってたんです。独親やなと。ねえ、なんかもうごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃ離婚して、で、母はずっと貧乏で、みたいなね。
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親がち外れたって言うんですって、これ、なんかひどい言い方やなと思いますね。それをずっとそう思い込んでた自分も。で、去年話した時にその気づいたんですよ。私何十年もこう、親を尊敬できず、恨んで生きてきたんですよね。
で、今日ちょっと母と話して思ったことが、あの、まあ小さい頃にね、弟が病気がちやったんで、母は弟にすっごい手をかけたんでしょう。もう私のことほったらかして、私は健康やったんでね、風邪もひかず、わがままも言わず、本当私いい子やったらしくて、育てやすくて。
それで大きくなっても、親にこういろいろお金のね、いろいろしたりとかして、いい子なんですよ、しっかりした。で、完璧すぎて、娘としてね、なんか頭が上がらないみたいになっちゃったんですよね。で、私が怒ると、やっぱり正論じゃないですか。しっかりしてよって、私ちゃんとこうやって生きてきてるんだから、っていうような言い方をするんですね、私。母は何も言えないというような、そういう関係やったんですよね。
でですね、ちょっとここから長くなって、あれなんですけど、私はこう、仕事をバリバリやってきて稼いできた自分、偉いと思ってたんですね。
なんで私ばっかりこんな、なんか頑張らないといけないんだろうってね。
で、母はこう、何て言うかな、その、稼ぐようなタイプじゃないんですよ。もう子育てみたいなね、に必死やったんですね。
で、ちょっと今日、その子育ての話を聞いてね、弟は病気ばっかりで大変やったと。なんかこう、いろんな病気になって、こう、泣くからおんぶして寝たり、泣きやまへんからずっと徹夜して看病したりとか、大変やったんやって話を聞いて、で、言われたんですよ、今。
あんたにね、すごいほったらかしにして寂しい思いさせて申し訳なかったって、ずっとなんか構ってあげられへんかったねって、もう3歳4歳5歳のりすごい我慢して偉かったねって、ほんまにごめんなって言われたんですよね。
で、母がね、私はもう何十年経っても、あんたが寂しそうに一人で遊んでる姿がもう焼けついて焼けついて、今でも涙が出るって言われたんですよね。
で、私はその、寂しいって言わなかったんですよね。ただただこう、しっかりしなければと思ってたんで。
で、なんかこう、今もそうなんですけど、なんか人を助ける運命というか、甘えることとか頼ることができないんですよ、私。
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で、今ちょっと現状私いろいろ大変なんですけどね。
母がそれを見て、あんたは本当にもう、ほんまにかわいそうやと。もう幸せになってほしいって言われて。
でもこう、守られてきてくれて本当によかったと。
私はその小さい頃ね、あんたにすごい甘えかしてあげたり、かわいがってあげる、抱きしめてあげることができなかったから、今からそうしたいって言われたんですよ。
私のこれからの人生、その母のね、母が言ったんですよ。
私のこれからの残りの人生、80歳からの。
もう私実は今すぐに死んでも悔いはないんやと。
欲もないし、やりたいこともないし、今すぐ死んでも全然その命に悔いはないと。
執着はないと。
けれども、今から生きるのはあんたのために生きるって言われたんですよね。
困ったことがあったら、何にもできないけど、お金も出してあげれないけど、話を聞くしかできないけど、電話してきてって言われて。
なんかそのために生きるって言われたんですよね。
それを言われた時に、私が欲しかったのは贅沢な暮らしとかじゃなくて、この言葉だったんだなって思って。
子供の頃にね、すごい気を張って生きてた。
全部溶けちゃった感じでしたね、今日。
やっぱりコメントでね、親子だからこそ甘えてね、喫煙に。
母やからこれ言っていいか、子供やからこれ言っていいか、みたいなね。何でも感情をぶつけ合うみたいな。
しがちですよねってコメントもらって、まさにそれで、今日その話をしててね。
母はものすごく私の性格を考えて、傷つけないように怒らせないように考えて考えて、どうしたら家族が気分良くなってくれるか、どうしたら幸せになってくれるかを一生懸命考えてるよねって言われて。
だからもうなんか本当に素直に言い尽くせる言葉全てを出して、あんたのために生きたいって言われたんですよね。
なんか長かったよね、本当に。
なんかでも本当に、そっかーと思ってね。
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そう、友の話をしましたよね、前回。
だからそういう事情で、私親に頼れなかったんですよ。
しっかりした娘、完璧な娘。でもほら人間だし、私も誰かに頼りたいとか甘えたいとかあるじゃないですか、聞いてほしいとか。
それが私にとって友やったんですよ。
それはやっぱり馬鹿にされるっていうのは許せなくて、それもちょっと今日ギャーって言っちゃって。
いや今までね、肉親が何を助けてくれたん?って言っちゃったんですよ。
私が助けてもらったのは、友達やったんやでって。
友達変な人に騙される時やとか、なんか友達なんか所詮友達やとか肉親やって言うけど、違うって。
私は今まで助けてもらったのは他人様で、友達なんやって言って。
もう宝物のように思ってるから悪くは言わないでって言ったんですよね。
そしたらもう分かったって言って。
で、その母として、なんか何もしてあげられなかった分、これからはあんたのために生きるって。
それを親戚の人にもこの間話しててって。
これからの余生、80を超えていつまで生きるか分からんけど、私は家族のために生きてるって話してたんやって。
あー、そっかーと思って。
私のプライベートに干渉しないとかね、あれこれ言わないとか嫌がるやろうなと思って気を使ったり、別々に暮らして距離感を保ったり、
もう揉めるのはやめようねって言って、精一杯の言葉で素直にぶつかってきてくれるわけなんですよ。
もう強がったりとかしないでね。
でもやっぱり難しいんやなーと思ったんですよね、親子って。
ここまでしてお互い気遣いあって、その修行を得て、ほんでやっとやっとかーと思ってね。
本当に親子が仲良くするって難しい。性格も違うし、時代も違うしね。
尊重しあって、お互いの幸せをね願いあって、素直に話すって本当に難しい。
すぐ互い違いになったりすれ違ったりするじゃないですか。
これはもう夫婦関係もしっかりで、近いからこそバーって感情をぶつけて傷つけ合う。
なんで夫婦なのに幸せになれないのかってね。
本当に私遠回りしてね、いろいろ夫婦関係も親子関係も気づいたんですよ。
やっと和解みたいな、言ってほしかった言葉やってもらったみたいなのがあってね。
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母とも和解できたなぁと思って、私はもう心からありがとうって言ったんですよ。
わかったって。長かったなぁ。
でですね、ちょっと最後にですね、母がすごいなと思ったのが、
私は頭で考える人間じゃなくて心で、ハートで、心臓をね、こうして、ハートで考える人間だからって。
人と人とのやりとりはやっぱりハートだからって。
頭は動かしてない。私はハートで生きてるって言ったから、
ああ、そっちかぁと。
いやいや、私もハートで生きてるよって言ったら、いや違う、かずこは頭も働く人やと。
だからややこしいんやって言われて、確かに。確かにそうなんですよ。
なんかちょっと自分で言いづらいんですけど、私直感で生きてるって言いますけど、
結構この地球でもうまく生きてきたんですね。
勉強もちゃんとするし、なんていうか、社会生活をやり遂げたわけじゃないですか。
だからどっちもできる人間なんですよね。
だからこそちょっとこう、悩んだりするんでしょうね。
そういうことでちょっと長くなりましたけれども、
コメントいただいた方、いろいろ海外生活をされて、
家族がいない中で、お友達に支えていただいた、そういう経験がある。
だからこそ友っていうのはもう素晴らしいと、共感していただいたんですよね。
そこでなんか、血縁だからこそって甘えてね、
親だからいいわ、子供だからいいわ、言ったって言って、
傷つけ合うのは違うんじゃないかと。
そこに私たち親子はやっと気づいたんですよ。
やっと。もう寒無量です。すっきりしました。
ということで聞いてもらってありがとうございます。
私はこれからも、親って先に死ぬんでね、死ぬまでの間に分かり合ってね、
産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう、喧嘩もしたけど、
あなたの子供でよかったって私は言いたい心から。
だってね、前世でね、魂はこの人の子供になって産まれるって選んで産まれてくるんですって。
私は母を選んだんだなって今実感してます。
ダメな母とダメな父を選んで、私はその両親をね、笑顔にするために生まれてきたんですよ。
助けるために。
違うんですよ。幸せな家庭に生まれたかったんじゃないんですよ。
お金持ちの家庭に生まれて、もう贅沢をしたかったわけじゃないんですよ。
貧乏で、どうしようもないダメな父と母の元に私が生まれたいって選んできたんですよね。
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で、この2人を助けなきゃって、この2人を笑顔にするんだって、それが使命として私生まれてきたんです。
はい、もうそれを確信しましたね。
ということで今日は、母と子についてちょっと厚くお話をしてみました。