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こんばんは、プロデューサーのようちゃんです。
アトラス証拠文っていうのがあるんですけど、 アトラスというのは、ギリシャ神話で、世界を肩で支え続ける罰を受けた巨人なんですよね。
で、自分がこの、まあ、重いんでしょうから重荷を下ろしたら、全てが崩壊してしまう。
だから、自分だけが全てを背負わなきゃいけないっていう、責任感というかプレッシャーに縛られて、重荷を背負い続けることでしか、自分の存在意義を感じられない状態。
これを指すのがアトラス証拠文っていうね、そういうものがあるんですよ。
いきなり何を言い出すかって話なんですけども、ここから始まっていくのは、僕は人の話をね、聞くのは好きと言えば好きです。
ただ、相談に安易に乗るのが怖いんですよね。
嫌いというわけではないんですけど、相手のことを考えたときに、簡単に答え出せないなって思っちゃうんですよね。
自分の一言で、その人の人生がちょっと変わっちゃうかもしれないじゃないですか。
相談に乗った以上、何らかの責任が生まれると思っちゃうんですよね。
その責任って何なんでしょうね。仕事でも恋愛でも軽々しく答えられないなみたいなのってないですか?
パッと思いついたのは、あんまり道徳的にどうかっていう話なんですけど、不倫してますみたいな相談を聞いたときって、非常に難しいじゃないですか。
社会通念上、よろしくはない中で、その人にとっての幸せってなんだろうってまず思っちゃうんですよね。
社会的な価値観にアジャストするのが幸せなんだろうか、それとも自分が感じる感覚にしか幸せがないと捉えるのかって、非常に難しいと思うんですよね。
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僕は不倫を推奨するとかじゃないですけど、自分の中に答えがあると思っている人間なんですけれども、それもどこまで純粋に自分が自分の価値観として幸せを感じているかってわからなくないですか。
少なからず社会の影響を受けていると思うんですよね。
なので、幸せを感じるって極端というか一昔前の話としては、マイホームを手に入れて家族は一姫二太郎みたいな。
車で休日は家族でドライブに出かけてみたいな。
そこに幸せを感じているならば全然いいと思う一方で、絵に描いたような幸せだとも思うので。
極めて穿ってますけど、家を建てるとか車を買うというのは、消費行動として日本の経済を回すという観点において大事だと思うので、乗せられた幸せというか、思っちゃう人間なんです。
他方で自分が幸せに感じることってね、例えばご飯食べて美味しかったみたいなあったりしますけれども、食事を大切にする価値観とか、あるいは日本において食材に対して四季折々の風情が感じられたりするのって、
連綿と続く、2000年以上続いた日本という国ならではの価値観だと思う部分もあるので、そうなると到底自分一人の価値観なんて言えるわけがないなとかね、思ったりするわけです。
という中で、いざ総裁が来た時に、その日の価値観を見定めなきゃいけないという意味で、非常に大変じゃないですか。
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一つとして同じ答えがありえないので、そういう中でね、相談に乗るって大変ですよね。
そもそも思うんですけど、相談する人って必ずしも答えが欲しいわけじゃないですよね。ただ聞いて欲しい人っていますよね。共感して欲しい人もいる。
ただ僕はそういう性分なんですけど、つい解決方法を考えちゃうんですよね。
でもね、解決策を提示するってことが相手のためになるかっていうと必ずしもそうじゃないですよね。
相談に乗る側が役に立てたなって思うこと?これと相談した側が救われることは同じなんだろうか?
いや、そんなことないよなみたいな。相談を受けた人の自己満足みたいな。
僕は常に危惧しているんですけど、相手がただ話を聞いて欲しかっただけなので、こっちが正論を並べちゃうみたいな。やっちゃうことあるよな。
共感だけしてたらね、相手が困っている問題は解決しない。側面もあるし。
もちろんそこで元気になって自発的に解決に向かうっていう時もあるから、それが正解の時も正解があるんで。
めっちゃむずくないですか?相談に乗るって。
相談って話が終わったらそこで終わりじゃないですよね。
例えばね、恋愛心理というか恋愛の局面でいうと恋人と別れようか迷っているみたいな相談ってしばしばあると思うんですよ。
こっちの言葉がきっかけで相手が別れる決断をしたとしましょう。
でもその後、その後ですよ。相手が後悔してたら、決めたのはあなたでしょうなんて突き放せます?
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もちろんね、相談乗ったからってその人の人生を丸ごと引き受けることなんてできないですよ。
だからといってね、完全に無関係とも思えないんですよね。
決める責任は当事者にあると思うんですけど、助言をする責任っていうのは相談を受けた人間にもあるんじゃないかなって思っちゃうんですよね。
この2つをどう両立させるかっていうのがありますよね。
だからそういうことを考えて、自分考えすぎなんじゃないのって思っちゃって、さっき言ったアトラッシュを送るっていうのをね、つい想起してしまうっていう。
冒頭の話はそういうことなんですけどね。
僕は人から相談されると、その後どうなったかって気になっちゃうんですよね。
なんなんですかね、ちょっと不思議じゃないですか。
その人が幸せになってほしいからなのか、自分の助言が役に立てたか、それを知りたいのかもしれないしな。
もっと単純な話で、その人の人間として生きている物語の続きが気になるからかもしれないし、
人の話を聞くのが好きなのか、人の話の続きを知る、これが好きなのかっていうのもありますよね。
僕ね、相談の方が怖いとか言いながら、結局その方が気になっちゃうっていう、なんだかなって話ですけど、
だからこそね、責任が発生して相談の方が怖いっていう思考回路なのかなって思いますよね。
相談してくれた人がその後報告する義務はないし、これって難しいですよね。
話したい人は聞いてもないのに、以後報告してくれるっていうのもあるし、
他方で解決したらもう一切話してこないケースもありますよね。
僕あれちょっと腹立っちゃうんですけど、相談に乗ってね、僕の立場でおこがましいですけど、
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乗ってもらって、人の時間とっておいて、その後のアフターケアというかね、
一言あってもいいんじゃないのみたいな心の狭い僕が登場しますよね。
ただそれを追いかけていいっていうわけでもないですから、
関心を持つことと関わり続けることっていうのもまた別なんだろうなって思いますよね。
当然ここまで話しているっていうのは、恋愛相談っていう相談を想起しながら喋ってるんですけど、
前回の放送で宮さんが話してたのは、
私の答えがなければ決められない関係にはしたくないと、
恋愛支援行事としてね、バシッとおっしゃってましたけど、
その考え方って僕も大切だと思うんですけど、
さっき言ったような疑問が僕には生じて、
それは本人が決めることと相談に乗る人間、
これが責任を感じることってどう両立させてるのかなって思っちゃうんですよね。
僕はそんな軽々というとあれだな、恋愛支援行事を否定してるわけじゃないんですけど、
相談に乗りますみたいなのがなかなかできない人間なんで、
だから自分ではやらないって話なんですけど、
相談を仕事にしている人、どこまで相手の人生に関わろうとするんですかね。
今後ウォッチしてれば勝手に自ずと分かるんでしょうけどね。
だから安易に相談に乗るのが怖いからこそ、それを仕事にしている人ってすげえなって思うんですよね。
専門家だからこそ逆に引き受けないこともあるかもしれないし、
その辺はちょっと聞いてみたいなって思いますよね。
相談に乗るっていうのは何か答えを出すことだと思ってしまいがちなんですけど、
僕はそうとも限りないですよね。
相手の人生を背負うことはできないですけど、
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でも自分の言葉には責任を持ちたいなとは思いますよね。
という感性の中でその境界がどこにあるのか、
これはね、僕はまだよく分かってないんですよね。
というか、ある意味においてはそれを見たくて、参考にしたくて、
このプロデュースっていうのを引き受けたのかもしれないなとは思ってます。
皆さんは誰かに相談するとき何を求めてますか?
答えですかね?共感ですかね?
慰めの言葉?分かんない。
そんなの状況によるわみたいなこともあると思うんで、
一緒に悩んでくれるっていうことかもしれないし、
そういう存在がいるっていうのは非常に人生豊かになりますよね。
そして宮さんは相談を仕事にしてますけど、
この責任の境界、線引きをどう考えてるんですかね?
これが今回の僕の問いかなって思います。
ということで、そういう相談についてレターでお寄せいただいてもとても嬉しいですし、
りょうちゃん考えすぎじゃねえみたいな、そういうご意見でも結構ですので、
何かあればレターコメントいただければ大変嬉しいです。
それではまた次回。