子育てと自己育成
私と私のひとりごと。こんにちは、misaです。今回は、子育ては自分育て、与えることで癒していく、というお話をしていきたいと思います。このラジオでは、願いを切る過程や自己一致するためのヒントをお届けしております。
本日は11月23日日曜日です。よろしくお付き合いください。というのもですね、この間、ある出来事がございましてね、
小児の娘ちゃんなんですけど、ちょっとしたことだったんですけど、私がですね、非常に忙しい日があったんですね。でもこの日はマジ忙しいよと、めっちゃ疲れるだろうなってことがもう予想できていて、こんなに忙しかった日ないなっていう感じだったから、
多分この日はヤバかろうと予想していて、ずっとビビっていたんですね。でも晩御飯とかももう全然やんなくていいようにして、
子供たちにもこの日はママは多分めちゃめちゃ大変だから、もうちょっと死んでるかもしれない。助けてくれよろしく頼むねという話をもうずっと話していて、
っていうのがありました。実際その日、割とね、楽々乗り越えることがなんとできたんですけど、慣れてきたのもあったし、慣れてきたのもあったね。なんかこううまく脳みそをリフレッシュさせる、
再起動かけるみたいなことがうまくできたから結構、終わった時にあれ意外と元気だぞってなったんですけど、そこで娘さんがなんと学校から帰ってきて、
ママこれあげるよって言って、なんかお気に入りの、彼女チョコがね大好物なんですけど、チョコチップクッキーも大好きで、そのチョコチップクッキーが学童のおやつで出たんだけど、
ママのために持って帰ってきたと。これをあげますと。なんかうまく言ってなかったけど、要するに仕事が忙しい、ママ死んでるかもって言ってたから、なんか元気出してほしいって思ったのか、なんかしてあげられることはないかって思ったのかちょっと定かではないが、
とにかく私のために大好きなチョコチップクッキーをママのためにと思って持って帰ってきてくれたのね。えー優しいと思って、なんかまずそれ覚えてくれてたんだってことに結構びっくりしたんですけど、
そんな他人の予定って覚えてなくないと思ってから、子供だし、えーなんか私がそのこの日忙しいかもしれん、死ぬかもしれんとかってビビ散らかしてたことを、ちゃんとなんか自分のことのように記憶していってくれて、私と離れている間、学童で、
それを思い出して、でもさらになんとかしてあげたいな、私にできることはないかなっていうことで、絶対食べたいお気に入りのお菓子だったはずなのに、それをお土産に持って帰ってくると優しいじゃないのと思って、なんか感動したんですよね。嬉しくって、えーありがとうっていうのをやったんですけど、
ここでなんか、あの娘さんと話してたのが、この持って帰ってきてくれたお菓子をありがとうねって言って、お兄ちゃんもいるから、うち3人暮らしなので、3人でお菓子とかって基本平等ないし子供が多めに分けるんですけど、ここでお兄ちゃんと分けられたらちょうもやるよねって言ったら、娘さんもなんかすごい変な顔してて、なんかうーんみたいな、なんか複雑な顔か、なんか嫌だとは言いがたいんだが、お兄ちゃんのことも大事だし、
なんかその平等性は分かってるから、なんかあげたくないっていうのはちょっと意地悪かなと思ったのかな?多分なんか変な顔してたけど、まあそうだねみたいな、そのお兄ちゃんとも分けましょうって言われるとちょっとそうだねみたいな、あ、もやるねみたいな顔をしていて、これはただのお菓子ではなくて、ママのためにあなたが我慢して持って帰ってきてくれたプレゼントなわけだから、それをこうただのお菓子として分配されるとちょうもやるよね。
だからこのお菓子は2人で分けようって、なんかちっちゃい小袋のお菓子で9個ぐらいちっちゃいチョコジップクッキー入ったから、なんかほぼほぼ半分にしてちょっとあなたに多めにあげようぐらいの、その時は言わなかったかなって思ってたんだけど、で、実際そうすることができて、で、なんか娘ちゃんもめっちゃ満足そうだし、私もなんかすごい嬉しかったし、なんか癒しの循環が起きたねって思ってたんですけど、
過去の経験との向き合い
ここで思ったのがさ、ここで思ったのが、私これ知ってるわと思ったのよ。この感じ知ってる。私も小さい時に親のために、なんかお菓子を持って帰ってきたりとか、なんかちょっとしたプレゼントを購入したとかってね、やったけど、なんかそれは私という娘からのプレゼントではなくて、ただのものとして分配されてすごい傷ついたことあったわと思って思い出したのよ。
だからこういう風にされたくないよねっていうのがもうありありと分かるんですよね。あの時私はその、なんかああありがとうねって言ってみんなでじゃあ分けて食べようってパーッと食べられて、なんか親が用意したおやつと同等な感じでパーッと処理されて、なんかそう、でもその時ちっちゃいから何でもやるのか、何が悲しいのか、なんか心に穴が開く感じするけど、それが何なのか全然分かんなかったけど、今の私なら分かるわと思って、
なんか言わなくてもいいんだけど、娘に言語化しててこれこれされると嫌だよねみたいな話をしたのは、なんかあの時の自分に対して話しかけてるんだよなって気づいたんですよ。
あの時の私がしてほしかったのは、ありがとう嬉しいよっていうその、そのチョコチップクッキー嬉しいじゃなくてね、あなたの気持ちが嬉しいってその離れてる時に思い出してくれたこと、ママねぎらってあげたいな、なんか助けになれないかなって考えてくれたこと、でその一番好きなお菓子を持って帰ってきたのはよく分かってるから、それがどういう気持ちなのか、
どうでも、なんかねおかきとかあんま好きじゃないからたまにくれるんだけど、それとはわけが違うわけよね、おかきを持って帰ってくるんじゃなくて、自分が一番食べたかったはずのお気に入りのやつ、それも私好きだって言ってたからだろうな、ママも好きって言ってた、私も大好きでとても価値のあるお菓子を我慢して持って帰ってきたっていうその心意気というか、気持ちを受け取ってほしくて、ちゃんと認識して受け取ってほしかったし、
それをなんかただのお菓子としてじゃなくて、ちゃんと贈り物として受け取ってほしかったなっていう気持ちを、なんか当時の私はそうだったんだよなぁと思って、まぁ実際そして、なんか行動に移して、なんか娘がすごい嬉しそうにしている姿を見て、なんか良かったなぁと思って、なんか私が、
いやもうこれね、うちの親めちゃめちゃ多くて、こういうの本当になんか、何してるの何なのかな、心がないのかって感じがするけど、いやしてもらったことないからわかんないのかなぁ、わからないんですけど、そういう人たちだったんですね、結構、なんかそのお菓子、プレゼントされしたものを、なんかそのままペッてしまい込んだりとかする親だったんですよ。
でも、なんかリアクション薄って思ってたけど、リアクションしてほしかったわけじゃなくて、ちゃんと受け止めてほしかったんですよね、その気持ちを受け止めてほしかったんですよね、物じゃなくて。なんかその辺が、その物をもらって、こんなのいらないわっぽいってするわけとかではないんだけど、
なんか、え、ありがとねーって言って、なんか絵を描いてきましたとかあったらありがとねーって言って、そのままその場で本棚にポッて刺したりするのよ、別にそんな長く眺めるとかでもなく、なんかその話終了させられるというか、なんかそういうのがずっとこう痛くて、なんかこんな気持ちになるぐらいならやらない方がいいなーってなっていくのね、私の場合は。
親に何かしてあげたいなって思っても、やった後すごい悲しくなるから、本当に辛くなるから、だったらこんなことしない方がいいって思っていて、ま、トワイはね、私は結構いい奴だから、なんか誕生日とかはなんか割と理直にやってたんだけど、ま、リアクション全く期待しなくて、なんかその邪魔にならない程度にして、送って、喜んでも喜ばなくても何とも思わないようにするというか、
事実だけを積むみたいな、私はちゃんとやるべきこと、その親孝行ぽいアクションを私はしている素晴らしい娘だ、みたいな、証明のためにやるみたいな感じになってて、どんどんその感情的なコミュニケーションを、だって辛いからさ、感情的なコミュニケーションしようとするとこんなことになるから、辛くないようにどんどん抜いていくっていう方向に振っていくんだけど、
子供にはこんな思い絶対さしくないと思ってて、僕すごい痛いわけだから、だからこう子供たちの、なんかここぞって時ありますよね、あるじゃない、なんか今ここ大事な時だわって思った時は、なるべく気づいてその本当適切に対応しようってめちゃくちゃ注意してて、なんかここぞを裏切られまくってきた私だからこそ、
なんかこう、子供が今は冗談で流してほしくない時とか、今は優しくしてほしいタイミングとかは、なんか、いやまぁあるよ、いろいろムカつくなーみたいな時に、今かよーみたいな時はあるんだけど、なるべくこう、できないにしてもちゃんと説明するようにするし、ここは絶対しますね。
ちょっと甘えたい気持ちわかるけど、今さっきブチ切れてたじゃんみたいな、説明して、今はちょっとそれ受け取れないんだけど、ちょっと後でお願いしてもいいかなみたいな感じ、ちょっと距離置いて、後から自分からコミュニケーション取りに行くとかやるようにしたり、なんかここぞは外さないようにめっちゃめちゃ気をつけているんだけど、今回その娘ちゃんの気持ちに対して、自分がしてほしかったことをちゃんと自分でできた時に、なんかね、
親としてよかったなーっていう気持ちと、めっちゃ不思議なんですが、自分が、私はママとしての立場で対応してるんだけど、そのプレゼントしたかったあの時の私に対してなんか返しているような不思議な錯覚になる。
これよくありますけどね、めちゃくちゃよくあるから別に今更取り立てて言うほどのエピソードでもないんだけど、なんか寂しかったな、孤独だったなーっていうのが急にバーンって思い出した時、それをちゃんとしてほしかったことをしてあげることで、その時の悲しかった自分がちょっとずつ癒されるんですね。
そう、なんか子育てってこれがいいよねと思っていて、子供いないと追体験できないですもんね。ただただただ、あの、ただ、なんかちゃんと呪いを外してる状態じゃないと同じことしちゃうのよ多分。自分がされて辛かったことを多分子供にしちゃうのよ。
これはなんかその人の性格が悪いからとか未熟だからっていうよりは、なんか本来そういう仕組みなんだと思う。なんか辛かったからこそ痛かったからこそ強烈に残っているのと、なんかあの時の悲しみみたいなのがちゃんと癒せていない状態で、癒せるっていう、癒すっていうかちゃんと認識して自分でそれを捉え直せていないとの方がいいか。
子供の状態でお母さんになっちゃうと、その時の子供と今の子供がコンフリクトしちゃって子供対子供になっちゃうから、優しく大人の振る舞いできないのよね。だからあの時は何で辛かったのか、お母さんは多分こうだったのかあんま分かってないけど、なんかそういう人なんだろうなーって思ってるけど。
私も忙しかったのかもなーとかいろんな捉え方あるけど、でもそれも分かった上で、でも私は辛かったんだよなって。だって2歳、何歳だったのかなあれ。分かんない。うち娘は何歳だ。8歳か。とかなんですけど、8歳の女の子がそんなことされて悲しいに決まってると。言語化できない。何が起きたのか分かんない。とにかく悲しい気持ちになったってそれしか覚えられない、捉えられない。仕方ないよなっていう状態で、
なんかそれは私がなんか、自分が8歳の女の子として見てるんじゃなくて、大人の私が見てる状態になるというか、仕方ないよなーってなると、同じこと起こった時にちゃんと母親ポジションで大人として対応できるんですけどね。この話難しいのかな。難しいか。
なんだけど、ちゃんとその孤独と向き合わずに、あ、孤独?その時の悲しみと向き合わずに、なんか、うーん、なんか世界は不条理だみたいな。お母さんはひどいみたいな状態の子供のまま、ママになっちゃうとね、多分同じことしちゃうんだよな。これが、こっちの話した方がいいな。よく考えたら。
自己成長と子育て
私はこの辺めちゃくちゃ、子供のためにね、呪いは解いていかなきゃと思ってて。まさにその理由ですよ。私が子供のままだと、子供に対して大人として、母親として愛情を与えてあげられないから、まずはその辛かった子供時代の自分っていうのをちゃんと向き合っていって、自分の中で大人の自分と子供の自分っていうのを分離していく。
どっちかっていうとね、子供の自分を作る感じですけどね。
なんか、子供の自分を作って大人の自分を作ろうってすると、乖離した感じになるから。そうじゃなくて、今私は大人の状態で、子供の時の自分をちょっとずつこう、自分から分離させていくみたいな。認識するみたいな。
それはひどかったねとか、いやこれは傷つくわ、だってまだ8歳じゃんって。8歳の私がそんなこと受け止められるわけないじゃないみたいな。そりゃ辛いわっていう感じで、自分の今から分離していくと残っていくのは大人の私になっていくわけだから。
ってなった時に、子供たちが同じようなことをして、未熟な私と同じようなことを、未熟だった私と同じことをするのよね。なんか泣いたり喚いたり、あの時悲しかった私と同じように泣いてるのとか見ると、親にはこういう風に過ごしかったなっていうのをやれて、
子供がそれを落ち着いたり、なんか私のない、私にない発想を言ったりとかするのよね。なんかこういう風に言ってくれて嬉しかったみたいなのを言ってくるとか、それって私されたことないからそんなこと言うこともないんだけど。
なんかああじゃあやれたこと良かったなとか正しかったんだなって思えて、またこれはこれでねすごい癒されるんですよね。育てって本来こうなんだろうなとめちゃくちゃ思うんですけど、なかなか難しいよね。どれぐらいの人がやってんのかなとは思うんですが、本来多分こうあるべきで、でもなかなか子供の自分と大人の自分をうまく分離させられない人も多くて、そういう人ってすっごい苦しいんじゃないかなと思っていて。
子供がかわいそうっていうのは簡単なんだけど、多分その自分の心の傷みたいなものを子供を通じてマジマジと見せられるのってめちゃくちゃ痛いから、それは辛いよね。なんかその人が悪いわけでもないよねと思うので一概に責められないんですけどね。
でもなんかこう、本来子供が悪いわけではないと、本来子供はめちゃめちゃいるだけで可愛い存在なんだろうなと思っていて、もしそう感じられないときめちゃくちゃイライラするとか、なんか私だって我慢してきたんだから、あんただって我慢しなさいよみたいな。そんな感じになっちゃうよね、子供だって自分が。大人の私のはずなのに子供の私として見ちゃうと。なんか、そうそう兄弟喧嘩みたいになっちゃうよね、子と親なんだけど。
もしなってたとしたら、子供のことはちょっと一旦置いといて、まずは自分の中の泣いてる自分をちゃんと今の私として捉えていくみたいなことをすごく頑張ると、結果的に子育て楽になるんですね。
なんか子供が言うこと聞かないんですとかじゃなくて、多分自分の中にある大きな呪いが発動しているだけだから、子供ちゃんは本来何も悪くないっていうか関係ないとも言いましょうかね。
で、純粋にママのことを好きだし、子供なんていうのは大体親のことは純粋にもう100%愛しているはずだから、なんかそこは全然疑う必要はなくて、ただ自分がなんかそこを受け取れないときは、なんかあるのかなって感じで自分を見た方がいいよねということが言いたかったです。
はい、私はなんか、これよくあるんですけど本当に。なんかいっぱいあるんだけど、なんか今回は特に、なんかめちゃくちゃ具体的なエピソードがあったこともあって、やってあげられてよかったなーって思って、それを再現させてくれる娘に対してもありがたいなぁと思うし、息子はね、ちょっとね、息子もいるんですけど、もうちょっと4年生の息子がいるんですけど、なんかねタイプが似てなくて、私と全然違うから、なんかこういう追体験って感じにはなんないんですね。
全然未知の子育てって感じなんですけど、なんかこれはこれでちょっとずつ、なんか男の子って違うなーみたいな、私女兄弟だったし、男の子のちっちゃ男の子あんまりわかんないから、本当に毎日勉強だなって感じがしてるんですけど、ここはここで、なんかこう、あんまりこう情緒的なやり取りみたいな、言語でのやり取りみたいな全然通用しなくて、私その喋る方が得意だから、
なんかどうしたら愛情を渡せるんだろう、どうしたらこいつ寂しそうな感じ癒せるんだろうっていうのがいつもわかんなかったけど、なんかもうちょっとライトでいいんだなってことが最近わかってきて、こっちはこっちでなんかいい勉強になっています。でもなんか、ちっちゃい時の私にアクセスするっていうとちょっと違うかなーって気がするので、娘ちゃんの方がよくここではテーマに上がりがちですが、子育てを語らせると圧倒的に息子の方が出てきますね。息子の方がむずい。
むずいけど、なんかそのむずさも含めてちょっとずつ大人になっていく感じが可愛いので、どっちも子育て見てて面白いなと思います。なんか息子も娘もいるので、男女差みたいなところだったり、まあ性格の違いは性別が異常であれ違くてもあると思うんですけど、この辺面白いなと思ってるところですね。最後まとめまぞになってきたけど。
言いたかったのは、その一番大事なのはあれですね。子供として子育てしない方がいいよね。で、それをしないためには子供がどうこうとか子育て手法とかじゃなくてあなたです、あなたですってことが言いたかった。しんどいなぁとは思うかもしれないんだけど。時間はもちろんかかるけど、結果的に最速だと思うし、子育てしながらの方がちょっと子供に、子供の胸は借りることになるんだけど、早いんじゃねって言うと、なんかすごくその分満たされることも多い。
子供の愛情を自分で受け取れないと自分の愛情タンクたまんないと思うけど、子供の愛情供給の量エグいから、もう他人の誰よりもすんごい流してくれる人たちだから、それがいる状態で、なんか当時の自分を癒していくことができると最強じゃうという気がしてて。
私はそう思ってきたので、一人でやるより、なんか子供がいてくれたからこそ、なんか自己理解は上がったし、なんか子供がいるからこそちゃんとやんなきゃみたいな、ちゃんと生きなきゃみたいな自覚にもなっているので、そこは結構子育てしている側が有利じゃねという気がしております。全然いいことだと思うので、ちょっとずつやっていけたらいいんじゃないかなと思いますね。っていう話がしたかったです。
最後に概要欄的なところ説明欄にレターの投稿フォームがありますので、よかったらご質問ご相談などをいただければ嬉しいです。よかったらチャンネル登録フォローをどうぞよろしくお願い致します。他のエピソードでもお会いできると嬉しいです。じゃあまたねー。