孤独の定義と要因
私と私のひとりごと。こんにちは、misaです。今回は、孤独の正体は、安心がないことだった。
孤独を癒せたことを実感した話、っていうのをテーマにお話ししていきたいと思います。
このラジオでは、願いを受ける方や自己一致するためのヒントをお届けしております。
本日は11月23日日曜日です。どうぞよろしくお付き合いください。
何回か似たような話はちょっとしているんですけど、もうちょっと解像度を上げていきたいなというところと、
具体的な出来事があって、その出来事を今までだとこう感じたけど、あれ、今回感じ方変わってるな、なんでかなって思った時に、
冒頭に伝えているように、孤独が癒せたな、これがトリガーだったんだろうな、みたいなのに気づいたので、ここら辺をちょっと話していきたいなと思います。
孤独と言いますけれども、孤独って単語なんか別にみんな馴染みのあるものだと思うけど、その正体って結構ボヤボヤしてるんじゃないかなと思っていて、
ていうか、なんか種類があるよねとはちょっと思うんですけど、私がこいつは孤独というやつだろうなと思って名前をつけているものをちょっと説明していきたいんですけど、
一緒かどうかわかんないけど、自分との、自分の孤独ってどうかなみたいなのに、ぜひ比較していただきたいなと思うんですが、
なんかね、私の場合はね、本当にちょっとね、多分愛着障害とかそっちが近いんじゃないかなと思ってるんですけど、
なんかこう、いつもずっとこう一人ぼっちだなぁみたいな感覚がデフォルトにあって、でもあまりに普通だから、それが孤独だっていうふうには自分では捉えられていなかったんですけど、
なんかさ、寒い地域で暮らしてたら寒いのデフォルトというか、あったかいの知らないからこんなもんかな、みたいな多分感じだったんです。非常に慣れていて、
なんかここらへんが輪郭を持ち始めたのは本当最近なんですけど、なんかこうベースにおいて他人を全くこう当てにして、本当に当てにしてなくて、なんか褒められても、なんかはいはいみたいな感じだし、
他人を当てにしてないというか、信用してないっていうか、なんか意味のないものとみなしているというかな、なんかみんな気分で発言するし、なんか適当だったりするから、
なんかその当てにできないんだよ。なんか褒められてもそう、なんか気分で言ってるだけかなとか、今そう思っただけかなとか、なんか忖度したくて言ってんのかなって思って、もうここも全然受け取らないし、
なんか表面的にはありがとうございます嬉しいですって返すけど、なんかは褒められたみたいな感じにはあんまなんなくて、距離を置いているし、で怒られても同じで、なんか今機嫌悪かったのかなとか、とはいえ、
なんかはいはいみたいな、まあこういう人もいるのかもねぐらいで、なんかそこまで食らわないって感じで、なんかいい感じの距離ではあるんですけど、
これはそう、なんか結果的に役に立つ捉え方ではあったんですけど、その人の言葉を鵜呑みにせずにちょっと距離持って、なんか向こうもごちゃごちゃといろいろあるだろうから、
なんか生で受け取らないみたいなのは非常に有用なメソッドではあったんですが、これによって孤独なのよ、ずっと。なんかその人の心のなんか情緒的な繋がりみたいなのは一切気づかないんですね。
これ多分幼少期に親がこんな感じだったから、親の言ってることがコロコロ変わるからよくわかんなくて、なんか結構距離を置いていたんですよね。
親がめっちゃ怒り始めても、なんか機嫌良くしてっても、なんか今そういう状態なのかなって感じで、なんかあんまりまるっと受け取らないことで自分を守ってきていたっていう、その幼少期の癖なんですけど、
で、まあまあ有用だったから割と活用してきてしまったんですけど、それによってなんかいつも寒い感じっていうか、なんか、なんかこう、ほっとすることがないというか、ずっとこう、
とはいえどうかなみたいな、なんかめっちゃいい人だなって思っても、とはいえみたいな冷静な自分がいるというか、これもなんかメタ認知する力をすごい鍛えてはいるんですけど、
他者との関係性
そうなんかちょっと寂しいんですよずっと。これもなんか気づかないよね。みんなもそうなのかなって思っているし、
だからそれがこうデフォルトで、一回も安心したことないからこんなもんなのかなと思って、まあここまで来てたんですけど、なんかそういう、
なんかちょっとそう寒いって、温度で例えるとほんとちょうどいいと思うんですけど、なんかいつもちょっと寒い人生だったんですね。
でもまあそれなりにやれてるし、別になんかこう血が出てるみたいな感じでもないから、ちょっと寒いなーみたいな感じでもこんなもんかなーみたいに生きてきてたんですよね。
これによってなんかこう基本的に、なんつーかこう、いざって時は自分しかいないなっていうのがめちゃくちゃあって、
だって他人がなんか、あんまりその一貫性がない生き物だと思ってるから、唯一信じられるのってもう自分しかいないというか、
私もそれは別に一貫性があるわけじゃないけど、でも自分の人生に責任を持つのって私しかいないから、もうこれもうなんかその親がわけわかんないから、
守ってくれないなーっていう感じをひしひしと感じていたので、本当に結構、幼少期からあんまり親が頼りになんねーなーっていうことから、もう自分が強くなるしかないというか、
私が私を守るしかないぞーみたいな、気合い入れてけよーみたいな自分がいて、なんかこう、
それってすごくしんどいし、そう、まぁシンプルに孤独なんですけど、これも当たり前すぎて、なんかみんなそうやって戦ってるんじゃないのーみたいな、
まぁたまにその、たまにっていうか結構甘えてる人見かけるけど、なんかそれはそれで、怖くないのかなーみたいな、
だって他人で言うことコロコロ変わるし、やることもコロコロ変わるし、気分とか機嫌とかで行動や発言が変わっていくようなランダム性ありまくりなやつらに自分を預けるって、
怖くないのかなーって思っても、そんなにうまくいってる人見たことなかったから、あれはあれでなんかあんまりいい手だと思えんなーみたいになって、なんかそっちにも流されず、
自分でなんかこう自律的に自分の人生をなんとか切り開いていくぞみたいな、自分で力をつけていくし、できないこともある程度できるように、自分がならないと誰かを使うみたいな発想もあんまりないから、
いつ何時その人たちがどうなるかよくわかんないものに自分の人生預けらんねーなーみたいに思って、なんかそんな感じで非常にこう誰かを頼るとかが発想にないんですね。
発想にないんだけど、でもでも、なんかこう表面的なことはお願いできたんですよ。その、信頼するしないっていうよりは、だから作業レベルでは渡せるんですよね、さすがに。
なんだろう、なんかこれ物を取ってきてくださいとか、これを買ってきてくださいとかだったら、まあ作業レベルだから信頼するとか、その行動指針がぶれるってほどに、
なんだろう、なんないだろうなーみたいな、なんかある程度コントロールできるものは渡せるけど、なんかコントロールできない領域は絶対渡せないというか、なんかその、
そうそう、その精神的に預けるとか、なんかね、当時目立ってて、私にはこれは絶対できない領域だろうと思ってたのは、なんか混乱した状態で泣き喚くみたいな、なんか女の子とかの恋愛とかでさ、
なんかめいへらかしちゃう子とかって、なんか自分が狂った状態の精神状態を相手にぶつけて、なんかわけわかんなくなって狂ってる人とかいるじゃないですか、ああいうの見て、
いやとてもできないし、なんでそんなことする、なんか無意味だなと思ってて、なんでそんなことするんだろうみたいな、そんな状態でぶちまけられて、相手が処理できるわけないのに、
自分でまずそれを処理せずに、相手にぶちまけて何とかしてもらおうっていう、なんか浅はかな感じっていうか、なんか戦略不足だなぁみたいな思ってたのかな、なんかあんまりわからなくて、あれはできないなみたいな、
自己の成長と価値観
あれってなんかその自分でコントロールできてないものを他人に任せて、もっとアンコントローラブな状態になっちゃうじゃんって思うと、より怖くないと思ってて、なんか、でもかといってなんか勇気あるな、あの人たちすごいって思うでもなく、
なんか、アホだなぁというか、なんかよくわかんないな、なんでそんなことするのか、全然わかんないな、あれか、あれと似てるかも、なんかお金増やすためにパチンコ行くみたいな意味不明さを感じてたというか、
パチンコで増えるわけないじゃんって思うんだけど、絶対無理だろうって思うけど、なんで行くんだろう、なんかそこには、なんか、でもその絶対増やそうっていうものじゃなくて、なんかちょっと闇深さもあるんじゃないですか、
今たとえ話してるけど、そのギャンブルに行っちゃう心理ってなるとまた別だから、その心理は私とはなんかわかんないなーって思って、なんでそんなことするのか、女原女子たちを見て、なんかわかんないなーって感じ、なんでそんな角度低いこと、自分の求めてる、本当に求めてるもの絶対手に入らない領域っていうやり方なのに、なんでそうするんだろうって思って、わからんなーって感じではあったんだけど、
なんかこう、自分のカオスを他人にぶちまけてるのは、なんか羨ましさは感じてて、なんかそこまでこう、他者を信用している、他者っていうか世界を信頼している、甘えている感じはなんかイライラっとしてたから、なんか羨ましさはあって、なんかそこにこう自分の中になんかあるなーみたいな、まあ私は呪いと言ってますけど、
自分の中のこう、制約、呪いっていうのはこう、自分で自分にかける制約のことなんですけど、その制約のせいで苦しいなってなると呪いだし、その制約のおかげで、なんか幸せに生きてるならそれは祝福と呼んでるんですが、制約っていうのはこう洗わねばならないとか、これはしてはいけないみたいなルールのことなんですけどね、なんかこうモヤモヤしてるから、その甘えちゃいけないみたいなのを私は自分にかけてるのかなと思いつつ、なんかあんま解き方わからないまま、結構良い年まで生きていったんですけど、
で、なんかそれをね、ちょっとずつね、ほんとに、ほっそらですけど、ちょっとずつちょっとずつ、まあなんかこの呪いって言ってるのもあるように、なんか変だなって思ったら、私この呪いを解いていくっていう癖があったから、ちょっとずつこう呪い解除しまくっていって、
で、最後の方に、なんかこれもよくエピソードで喋ってますが、なんか自分って無価値観を抱えて生きてきたんだなーみたいな、なんか一番自分に知られたくない部分だったんですけど、それはきっと、
自分が自分を無価値だと思っているなんて、とてもこんなに頑張ってる私に絶対に知られたくないって自分が多分いて、ずっと隠して生きていたんですけど、これがなんかこうでかい穴だったのねーってことに気づいて、
まあ無価値観は別に消えないんだけど、でもまあ消えない、消えないけど、なんか無価値な自分を自分に隠す必要がなくなったことによって、なんかエネルギーの漏電がめちゃくちゃ減ったことと、
なんか価値とかないか、みたいになったのかな、多分。無価値、無価値さってなんか、誰、誰かに、うんとね、いろいろあったんだろうけど、ちょっと忘れてきたけど、なんか多分母親を喜ばせられない自分みたいなところから強力に出てきたのかなーって思った時に、
なんか生きてるだけで、なんかお母さんがニコニコしてくれてて、なんか私が何かして喜んでくれたりとかすると、なんか、あ、良かったなーみたいな、自分の存在みたいなの認識できたんだろうけど、なんかそういう親じゃなかったので、さっきも言ったように、なんか何となく愛着障害くさいところがあったから、自分の存在みたいなのを肯定できなくて、なんかずっと怖かったんですよね、そういう、まあそれがまあなんか孤独感に繋がっていくんだけど、ずっと穴空いてる感じというか、でもまたなんかいろいろ考えるタイプだったっていうのもあって、
孤独の正体について
その穴を自分でめっちゃ隠すのね、自分に。じゃないと自分に価値ないなんて、分かった状態でさ、幼少期生きていけないじゃない?親に必要とされてないかもとか、私って生きてる価値ないかもなんて状態で、子供って多分生きていけないから、それってなんかイコール死なんですね。
親に関心持たれてないかもみたいな思いがあったんですけど、持たれてないかもとか、持たれてなかったんだけど多分、親は私にまるで関心がないってことと直面すると、
物理的には生きてられるかもしれないけど、生命維持はできたかもしれないけど、心的に生きてられない状態だったら心が死んじゃうって思って、多分自分で守んなきゃってなって、その辺を自分で自分に隠していくことにしたんですけど、それが多分一番大きなコアの呪いだったんですね。
それに気づいて、そんな無価値感抱えてきたのか、でもそれにしてはよく頑張ってきたねーみたいになったのと、とはいえなんか、今までやってきたことは、私はその無価値な自分をなんとか穴を埋めつけるために他人に優しくしてきたんですけど、でも他人に優しくしたって事実は事実だし、私めっちゃいいやつじゃね?みたいになった時に、
なんかその、価値がないっていうのは、なんか親から受け入れてもらえない?世界に私の居場所がない?みたいなのから来てたけど、別にいいか?みたいになってきた。それはなんか大人になった強さだと思いますけどね。子供の時って自分で生命維持できないから、なんか世界に居場所がないと、つまり親に居場所を作ってもらえないと、この世界に私は居てはいけないんだ?みたいな感じになってたけど、もう大人だし、ちゃんとさ税金も払ってるわけだから、なんか別に居てもいいだろ?みたいになってきて、
あとは子育てしながら、子供との関わりで、当時の私が欲しかったものを私が与えていくことで、子供が嬉しそうにする、子供が満たされているのを見ることで、あの時の私が満たされるみたいなことを繰り返していって、本当にちょっとずつ孤独を解いていったんですよね。ちょっと長くなってますけど、孤独が少しずつ癒えていったんですよね。
で、あの、この辺はあんまり自覚はなくてですね、実は。その、孤独が癒えてきてるなー、みたいな心情感は全く感じなかったんだけど、結構でかいきっかけがあって、これをね、どっかで喋ってたんですよ。なんかびっくりしたからエピソードにとったんですけど、137回目のエピソードで、甘えるとは他人の大丈夫だよ、信じることだったわー、みたいなタイトルで喋ってるんですけど、きっかけはね、なんか引っ越しが、
その、あの、孤独が癒えた、癒え始めているっていうか、孤独ってこれかーって気づいたってエピソードなんですけど、そんな今までこの、ずっと話してるけど、これ孤独だっていうふうにはラベルを貼ってなかったんですよ、私は。なんか寒いな、みたいな感じというか、なんかみんなもうちょっとあったかそうな感じがするけど、私なんかずっと寒いな、みたいな、なんか違和感みたいな感じだったけど、ここで明確に、これ孤独っていうのねっていうのに気づけたっていうきっかけだったんですけど、それが、なんか引っ越し不安だわー、みたいな話をしてたときに、
なんかふーんって聞いてもらって、まあでも大丈夫だと思うよー、みたいな、なんやかんや言って、業者の人ってすごいし、なんかその引っ越せない事はないと思うよ、みたいな話をされて、なんか本来、なんか私がそこで抱えてた不安って別にその引っ越せないんじゃないかって不安ではなかったのよ。なんか、なんか分かんなかっただろ、その不安が何なのか。なんか分かんないけどなんか不安なんだよねって話をしたら、まあ引っ越しは最終できるよーっていうのと、
で、こうずれてるなーって思いつつ、でも大丈夫だよーって言われて、そっかなーって言って話は終わって、夜寝るときに、あれ?なんか、さっきまでの引っ越しの不安がなくなってるかもって気づいて、ん?どうした?みたいな。だって何もなかったわけだから、昨日、さっきまでめっちゃ不安だったのに、ちょっと喋って、大丈夫だよーって言われて、寝るときに、あれ?不安がなくなってるって気づいたから、もう一気に何が起きたのかなーって探したときに、多分あの大丈夫だよってセリフがでかく作用してんだなって思ったときに、気づいたのよ。
なんか、他人を全然信用してなかったって話をしてたけど、そこで明確に、なんか、あ、他人を信頼するっていうのは、そういうことかと思い始めて、なんか、今まではその他者、あいつは何ができるだろうとか、あいつは絶対裏切らねえとか、そういうことではなくてだな。
なんか、それって未来の保証のことを多分言ってて、大丈夫っていう状態の言葉も、なんかその引っ越しが確定しているって意味とは全然受け取ってないんですよ。なんか、なんて言うんだろう?うまく言えてる?その人が大丈夫だと思うよって言ってくれたその言葉の真意として、多分今までだったら、いや確実にこの業者はこういう事実があるから、あなたの引っ越しは必ずうまくいくとか、
引っ越した後も、こういうサービスを申し込んでいるから、あなたの引っ越しは何日以内に落ち着くとか、仕事も、そして転職とかもしてて、結構気持ちがいろいろ、ストレスも多かったんですけど、ストレスっていうかなんかイライラするって意味じゃなくて、なんかこう摩擦が多かった?いろいろ考えなきゃいけないこと多かったけど、それもこういう風に線を引いてるからきっとうまくいきますよとか、あなたの体力値っていくつだけど、この仕事って何歩やから大丈夫だよとか、そういうこう未来の保証の話をしているとは全く思わないんだけど、
前だったら、大丈夫とか言えなくない?みたいな、そんなのわかんなくね?と思って、あんまり受け取ってなかったね、今までの感じだと、けどその時は大丈夫だよって言われて、なんか安心していいよって言葉として受け取ったんですよ、私はその時、引っ越し不安なんだね、そっかそっか、でも安心してもいいと思うよ、大丈夫だよって言葉で、
なんか、そっか、安心していいんだって思って、夜寝る時に、あれ?不安だなって思った時に、他人との繋がり方ってこうやんのね?と思って、めっちゃ大丈夫って感じだったけど、わかってなかったんですよね、そっか、みんな大丈夫だよとか、なんかいろいろ優しい言葉をかけてきてくれるけど、私は何一つ信頼していなくて、それはなぜなら未来の保証じゃねえじゃんって思ってたから、何言ってんだろう?みたいな、なんか気休め言うなよ?みたいな、そこまでも思ってなかったな、
あ、またなんか言ってんなぐらい、全然聞いてない、聞いてもないし、自分の内側に全く言ってなかったけど、そうじゃなくて、なんか安心していいんだよって言って、なんか不安な気持ちを持っててもいいし、なんかその状態でも、なんかちょっとホッとしても大丈夫なんだよ、いいんだよみたいな、なんかうまく言ってないけど、なんかそういう気持ちの話してたのねってなって、
あ、そうなんだーってなったあたりから、なんかその今まで自分でやるしかないみたいなのって、ここ、これかなー?みたいな、これを解いていくことがすごい、なんかこう、苦しさ、そのずっと感じてる寒さみたいなものって、ここから取れていくのじゃないかなーって気づいたのね。
孤独を癒すプロセス
たぶんこっからバチバチと外れて、やっぱなんか意識がに送った早いもんね、なんか無自覚である時ってちょっと遅いけど、変化が一気に始まって、だってこれ引越しの話だから2ヶ月ぐらいの話だもんね、に気づいて、なんか成果ってか、一番大きくそう、あの孤独を癒せてるなって実感できたエピソードいっぱいあるんだけど、本当は実はいっぱいあるんですけど、他人を頼れるようになったなーとか、なんか困ってるんですよねーって話した時に、
それは困るねーとかどうしようか、じゃあこうやっていくのはどうかなーって他人に言ってもらって、あ、めちゃくちゃ不安が消えました、みたいな、いける気がします、ありがとうとかいっぱいあったんだけど、なんか一番衝撃だったのは、これ具体の話なんですけど、あの私、プロバスケにね、若干ハマってますって、若干なのかな、去年とかめちゃくちゃ試合見に行ってたんですけど、今年この間初めて行ったのね、あの10月からシーズン始まるんですけど、この間初めて今年このシーズン始まっていけて、
今までね、去年なんかもうそのバスケの押してるチームがあるんですけど、試合見るたびにね、もう泣いちゃうのね、なんかしんないけど、ずっと泣いてんの試合中に、泣くっていうかなんか、はーみたいな、その号泣はちょっとさすがに気まずいからしないんですけど、でもなんかもう気を抜くと泣きそうだぜーと思ってて、何にこんなにこうハマってんのか、なんでこれ見るとこううわーってなるのかなーって思った時に、
私はそのバスケの選手にその孤独をね、投影してんだなって気づいてたんです。これはね、去年気づいてたんだけど、なんか彼らの戦いっぷりが、当時ね、今はちょっと違うなって思ってるんですけど、当時はなんかすげー孤独な人たちに見えていたんですよ。
だってさ、そのー、スポーツ選手ってさ、すごい儚くないと思って、すごいちっちゃい時からさ、もうそれ、いやもう何のスポーツでもそうだと思うんですけど、まあとりあえずバスケの選手見てたからバスケで例えるけど、きっとちっちゃい時からずっとバスケットやってきて、彼らはそのオフもあるけど、オフだからといって、その会社員とかと違って、なんかウェイはできないと思うんですよね。やっぱ自分の体が資本なわけだから、で例えばちょっとでも怪我したりとか、
なんか体壊すってなったら、その選手生命絶たれるってなったら、今までほんとその小学生とかさ、知らんけど、いくつかやってるか知らないけど、ずーっと積み上げてきた自分の技術みたいなものが、全部パーになるわけじゃんって思った。いや実際パーではないんだろうけど。
あーなんかね、元プロなでしこ選手みたいな方の最終職の話、最終職支援に一瞬噛みそうになったことがあって、なんかスポーツ選手の第二のキャリアってめっちゃ難しいんだなみたいなのがあったから、なんかそのバスケやってきたんだから、じゃあ監督なればいいじゃんとか、じゃあそのトレーナーになればいいじゃんって、そんな簡単な単純な話でもねーよなみたいなのもあって、
でもきっとみんなそんなことわかってる上で、今一瞬のプレイに賭けてるんじゃんって思うとなんか涙が止まらなくなるね。なんかすごくない?その覚悟みたいな。
なんかこう休みの日だってさ、なんかしょうもないことしたりさ、飲み狂ったりとかして、そこら辺で寝たいかもしれないかわかんないけど、道端で寝るみたいなことも多分できないでしょうきっと。
そんなアホみたいな遊びもせずに、みんながなんか同世代がさ、YouTube見たりゲームとかしてる横で自分は体鍛えたりしてるんでしょって思ったら。
いやすごくない?と思って。でもその今見せてくれるプレイとか本当に一瞬なわけじゃないですか。そこに長い時間かけて、自分の人生かけてんだって思ったらすげー孤独じゃんと思って。
いやチームプレイなんだけど、なんかチームプレイだけどさ、なんかチームプレイなんだけど、なんかこうちゃんとその出場できた時間になんかいいプレイ残さないと、もうちょっとさ、なんか来シーズンの契約が取れるんだか取れないんだかとか、じゃあ次どこ行くんだとか、なんかすごいシビアな世界だなーって思って。
野球とかだともうちょっと夢あるのかもしれないけど、バスケがあって思うともうちょっと市場規模が小さい気がするし、なんかあえてここでやってるってなんか美しいし儚いし、孤独だなーって勝手にね、ほんと失礼なんですけど投影して、なんかこの辺にやたら共鳴してんなみたいな、孤独に戦う人みたいなのにやたらと共鳴してんなみたいなのもあって、
なんか毎回ね、泣いちゃいそうになるんですね。もうなんか、うわーってなるんですけど。で、今年ね、そう、話は今年なのよ。この間見に行ってきたのよ。すごいいい試合で、もうほんとにいい試合だったんですけど、あれ?なんか前みたいにそう、やたらめったら泣きそうになる感じなくなってんの?って思ってこの話始まったのよ。えらい長い時間かけてますけれども、そうなのよ。
孤独の癒し
感じ方がね、全然違くて、なんかそんな、今なんかあんま気持ち乗せられなかったんですけど、その選手を孤独だみたいに思わなくなってたのね。確かになんか儚いなーみたいな感じもなくて、なんかほんと純粋にプレイを楽しめたんですよ。ゲームのその流れをすごい楽しめて、あれ?でも超楽しかったっていうのと、なんか訳わかんない変なぐるぐるがなかったなって気づいた時に、
あ、そうかそうかと思って、その孤独が癒えてきたっていうのがこういうことなのねっていうのに気づいたって話なんですけど、え、これ伝わりますか?
なんか今まではその自分の中でごちゃごちゃとした感情がいろいろあったから、勝手に投影してね、感じ方っつーのは結局投影だもんね。自分の中にあるなんかカオスとか孤独みたいなものを勝手に投影して本当にね、勝手に消費してるんですけど。
で、なんかごちゃごちゃ感じたけど、今回クリアになったら、ただあの本当に純粋に見れるようになって、なんか訳わかんない、いや感動はあるし、まあ負けちゃったからめっちゃ悔しかったけど、なんかその変ななんか、その消費する感じではなくて、
あーなんか惜しかったなーみたいな、悔しいなーみたいな、でも次は頑張ってほしいなーみたいな、結構シンプルな感想を抱いてて結構びっくりしたんですよね。
中身が綺麗に、その中身が整理、私のね、心の内が整理されて、孤独とはこれかーってラベリングできて、当時できてなかったからね、その去年の時は。
ラベリングできて、なんか孤独をちょっとずつこう癒して、なんか他人とちゃんと繋がれるような実感を持って、でなんかこう、
あ、安心でちゃんと他者から供給されていいんだなーみたいな、自分の居場所はちゃんとあるんだなーみたいな実感ができた状態で見たバスケ選手は全然孤独に見えなかったのよ。
こういうのがなんかこう、あのーみんなあんま拾わないのかなっていう気がするから、今回認識できたからちょっと喋ってみようかなと思ったんですけど。
まとめると、これはなんかただの今の一例だったんですけど、いっぱいあるんですけど、まとめると、そう、孤独だなーってずーっと、なんかちょっと寒いなーっていうのをまずは認識することが多分大事というか、
認識できないまま死ぬ人いっぱいいるんじゃないかなって気がするから、なんかちょっと変だなーっていうのはやっぱ自分で気づいた方がいいし、これって何なのかなーっていうのは常に探していって、
だから呪いは解いた方がいいですよ。これ一貫したメッセージですが、呪いを解いていって、自分の孤独が何なのか、なんかこういうのを手のひらサイズにするって言ったりするんですけど、よく分かんない状態ってモヤモヤしてバカでかいから、私もその囚われてバスケのプレーしてる選手見てさ、やたらめったらなんか、
ああ、孤独に戦ってる人がいるとか言ってる時って、なんかわけわかってないから全然手のひらサイズじゃないんですけど、なんかこう、ちっとした一言大丈夫だよの言葉をきっかけに、
あ、人に安心させてもらってこういうことなんだなって思って、自分の孤独ってこれだったんだなーみたいになると、もう扱えるレベル、手のひらサイズになってきて、
孤独は多分消えないと思うけど、限りなくその手のひらサイズと言ってるのもあって、自分で扱えるレベルの孤独になってるから、なんか暴走するようなことはもう今後ないんじゃないかなって気がするんですよね。
もしかしたらさっきあの一番初めに言ったように、孤独っていろんな種類があると思うから、なんか私の孤独がその一般的なのか、あなたと同じかどうかって全然わからないし、他の孤独もあるのかなっていう気がするんですね。
私も、あ、前はこういう種類の孤独を手のひらサイズにしたけれども、別の孤独があったわ、みたいになるかもしれないんだけど、まずはこのバーっと出かかった孤独が手のひらサイズになってきて、自分で扱えるレベルになったこと、少し癒せたことをちょっと話してみました。
何かの参考になれば幸いです。よかったら概要欄と言いますか、なんか説明書く部分にレターの投稿フォームも書いておりますんで、ご意見ご質問などいただければ嬉しいです。
またぜひラジオのフォローをお願いいたします。
はい、では他のエピソードでもお会いいたしましょう。じゃあまたねー。