誕生前日の想い
しおりのジャーナリングで出た本音を話すラジオ
今日はですね、超私事なんですけれども、ちょこっと特別な思いを話していきたいと思います。
今日収録時点12月2日ですが、明日12月3日は我が家の第一子、長男の誕生日でございます。
彼は今、小学3年生で9歳になるんですけれども、今日8歳ですね。明日9歳になるということで
もう9年も経つのかという驚きというか、なんかすごい早かったけど濃かったなぁって
率直に感じているので、9年前のことに思いを馳せながら残しておきたいなって思いました。
同じようにお子さんを育てている方も、そうじゃなくても自分が子供の時ってこんな感じだったのかな?
と思っていただける何かがあればいいなぁと思いつつ、今日はちょっとね、私がたりになるかもしれないんですが
つらつらと台本も腰もメモも何もなくお話をしていきたいと思います。
9年前のちょうど今日ですね12月の2日、私は妊婦健診で病院に行きました。
今となっちゃう慣れたお股をガーッと開いて内心を押していただくあの瞬間ですけれども
妊婦をしてもらったところ、いやまだ全然生まれなさそうだねーみたいな感じで言われたんですよ。
まあ予定日もしかしたら過ぎるかもねーみたいなことをその時に産婦人科の先生から言われました。
ちなみに私が通っていた病院は総合病院で大きな病院だったので、同じ産婦人科の先生が毎回見てくれるというよりかは
その時に勤務されている先生が見るっていう感じだったので
何だろうこんなこと言ったらあれですけど特別何か先生との信頼関係がどうこうとか
この先生は絶対言ってることを信頼できるかっていうと浅い関係だったんですよねとにかく
あの里帰りで実家の方で産んだので、えーとまあ臨月入るちょっと前ぐらいかなに実家に行きました。
で、なんで私が総合病院で産んだかというと、私は持病というか難病をその前に発症していたので
産婦人科だけ、レディースクリニックみたいなところだと
万が一お産の時に何かがあった時に対処しきれずに命の危険性があるかもしれないっていうことで
えーと総合病院に行きました。で、その総合病院は実家の近くなので私が難病発症した時にもお世話になっていた先生がそこにいたので
そういう意味で安心できるということで入りました。
なんかよくすごい豪華なお菓子メニューみたいなのとか見て、わー美味しそうと思うけれども
私はいわゆる病院食的なものが提供されるような総合病院で検診を受け、そして出産もそこで迎えました。
で、12月2日にだからそんな感じでまだ生まれないねーって言われていたんですよね。
で、なんかその日はもうじゃあ生まれないねーって思ったんだけれども
夜中かな?なんかねー眠れなくなっちゃったんですよね。で、ちょっと痛いなーみたいな感じで
うーん、なんか今までと違う痛みだなーって思って
母に悪いけど母を起こしてなのか、母が起きてくれたのかわからないけれども
その痛みを我慢するような感じで、なんかニノのブラックペアになったかな?なんかね、医療系のドラマ見たような気がします。
それもちゃんと記憶にないぐらい多分ちょっと痛かった。これ腎痛かなーみたいな。
でも腎痛ってもっと痛いって聞いてたしなーとか、今日先生がまだまだだねって言ってたから、腎痛はまだだよなーとかって思いながらその痛みを耐えていました。
ちなみに私は長男も次男も普通分娩で出産をしているので、無痛分娩でマスクを打ったりですとか
そういうことはしていないので、生の、生のじゃない、そのままの出産、もう本当に腎痛が来たら産むとか、側腎剤とかも使わずに産むっていうような
普通の出産方法、普通分娩か、普通分娩で出産しました。
で、無痛がね、その病院やってなかったのかな?もう9年前なので、今は割とね周りの子たちも
あのー、無痛で産んでる子が多いですけれども、9年前はね、まだなんか
やってるところもそもそも少なくて、でましてや私の言ってるその昔からあるような地域の総合病院なので、まだ導入してなかったと思われます。
そう、で、だから
分かんなかったんですよ。どんくらい痛いか、当たり前だけど初めてだから、どんくらい痛いか分かんなくて、結構痛いけど、いやこれは違うんだよなぁとかって思いながら
朝を迎える前かな、ちょうど夫はね、その前日に、その前日だから12月2日間は
部下の飲み会じゃないや、送別会?
なんかに参加してたんですよね。なのでお酒をベロベロに飲んだ状態で、隣の
都道府県だったので、まあ実家とはいえ 1時間半、2時間ぐらいあれば行けるような距離だったんですよね。
でまぁ急ぐ必要はないかなぁと思いつつ、一応夜中に痛いんだよねーみたいなことは送っていた気がします。
で 明け方になって
もうずっと痛いし、いやこれちょっとやばいなぁどうしようとかって思って病院に電話したけど、いやまだ大丈夫でしょ今日生まれないって言われたんでしょみたいな
感じだったんですよね、病院祭と。でも夫は一応そのね、朝まで飲んでてそのまま起きててくれたのかな
そう起きててくれて、えーと
あ、全然違うかも。ちょっと待ってください、一年と混ざってるかもしれない、ここまで喋っておいて。
あ、そうそう、あってますね、あってますね。夫は、えーと
そうそう、朝1でタクシーで
来てくれたんですよね。向かっている途中に、えーと私は実家の母と夜中だね、夜中に
入院をしたんだ、した、したした、して、でその時にあまりにも痛くて
あの母親学級で習ったなんか、い、あのなんだ、行きまないでとかもうちょっと意味がわかんなくて、もう全部吹っ飛んじゃってまして
とにかく多分ね、力を入れちゃってたんでしょうね。なんかトイレに行きたい、すごいトイレに行きたくて、でも多分そのトイレに行きたい、子供を産みたいなトイレに行きたいで
で、血がすごいトイレにもだらーって出ちゃって、たのを今思い出しました。で、
とにかく痛くて、私なんかこう、よく主婦さんは鼻からスイカとか言うじゃないですか。私はね、あの完全に腰に来たパターンで、腰に
えーと、もう食らったことないけど100トンのハンマーをずっと打ちつけられているような感覚だったんですよね。
で、自分が痛すぎて叫ぶけど、あの何かにね、力を入れてたくって、で最初は病院のベッドのこの横についてるバーって言うんですかね。
こう立ち上がったりする時に使うバーをとにかく握ってたんだけど、なんかそのバーもちろん鉄みたいな金属なんですけど、バーじゃなんか立ち行かなくなって
もっと力を入れたいと思って、なんか母の手を、腕をグーって握って。
で、お母さんは耐えてくれてましたね。で、お母さんは
あの 頑張ってね、私を励ましたりしてくれてたんだけれども
そんなこんな結構多分何時間か母が頑張ってくれて、で夫が到着した
と同時に、じゃあもうここまで来たなら分泌室移動しましょうか、みたいな感じになった記憶です。
いやなんかだんだんいろいろ忘れてるね。これ悲しいなあ。あんなに頑張ったのに、どっかには残ってるはずなんですけど。
スタイル風にもね、この今の9年経った私のこのおぼろげな感想を残しておきます。
そうで、なんか母はすごい優しかった。私の目からしたらね、その時ありがとうお母さんって感じだったんだけど、後から聞いたら音にバトンタッチするときに
しおりはもう無理かもしれない、みたいな感じで。ちょ、お母さんも寝てないっていうのもあるし、私に腕をグーって捕まえたのもあって、もうヘッドヘッドだし、腕には私の爪の跡がもうガリガリでついてるし。
もう大変だったみたいです。なんかね、記憶の中では、病院ってベッドにつけられる机みたいなのあるじゃないですか。
あれをね、ガーンって蹴って、向かい側の、まあ誰もその時はいなかったんですけど、向かい側のベッドのところにガーンって言って、それがなんかバラーンって言ったら倒れたわけだから、なんかすごいところに行った記憶はありますね。
なんかそれぐらい何かに力というか、このパワーをぶつけないとやっていけないみたいな、そういう気持ちがあったので、
よくね、なんか静かになる系か叫ぶ系かとかってあると思うんですけど、完全に私叫ぶ系で、痛いって多分言ってて、
で、もだえるというよりかは、何かに力を発散させないとやっていけないような状態だったので、うまくいきめずに血がだらだらの状態で、ブンベッドに到着しました。
で、到着してからは、夫に代わってもらって、夫もすごく献身的にね、いろいろ言ってくれて、で、なんかね、頑張れは言わないようにした。
なんかそうした方がいいって聞いたのか何だか忘れちゃったけど、とにかく頑張れって言葉は言わなかったらしいんですけど、
で、ブンベッドに乗ったらね、割とそれなりにすぐ生まれたかな?
生まれましたね。多分ね、累山にしては早かったって言われました。
子供の成長
5、6時間くらいなので、でもそれでもすごく痛かった。本当に痛かった。
今でもね、あの痛さがあるから、ちょっとやちょっとのことは全然痛くないなって思いますね。
で、生まれた時は、本当に思い出すと、ちょっと泣くとも思わなかったんだけど、本当に嬉しかった。
本当に、もう疲れたっていうのもあったけど、この子が私のお腹にいたんだと思って、すっごい嬉しかったですね。
で、夫が写真撮ったりしたり、なんかいろいろして、夫が最初に出た時に、
うちのお母さんがブンベッドの外の椅子で待っててくれたんですけど、
夫があまりにも声かけが上手すぎて、今日男性の助産師さんなのかと思ったみたいな、
そしたら夫だったのね、みたいなくらい、夫はすごい献身的な声かけをしてくれたみたいで、
いいよいいよ、腕つかんでいいよ、大丈夫だよ、とかってすごい言ってくれたような気がします。
いやー、なんか、出産ってすごいなって思いますね、本当に。
もう9年も経っちゃったんだって。
まあその2年後にジナを産んだわけですけれども、
ジナの時の方がやっぱり経産婦だったからか、もっと出産時代にかかった時間はすごい短かったし、
割とスルンと産まれてきたんですけれども、長男の時はね、何事も初めてで、
これはどこまで痛くなるんですか?みたいな。
でね、助産師さんがすごいスパルタ系の助産師さんで、
私はとにかく何かに力を入れたいかったっていう話を、力みたかったんでしょうね。
っていうことをさっきもお伝えしたんですけども、
目をつぶっちゃいけないって聞きません?
目をつぶっちゃうと目の血管がブチャブチャって切れちゃうから、目を開けなきゃいけないとかって。
でも私は力入れるときに目つぶっちゃうとなっちゃうから、
でも助産師さんが目を開けないと!みたいな感じですっごい言われてて、
その隣で音が、大丈夫だよ、頑張ってるね、あともうちょっとで会えるよ、とかって言ってくれって。
で、それを聞いたが、どっちが助産師さんか分からなかったっていうその話を今思い出しちゃいました。
とにかくですね、長男生まれてきてくれてありがとうって思って、
でも本当に子供たちのおかげで私はすごく、
なんか月並みな言葉になっちゃうけど、生き甲斐というか、
なんか自分が生きてる意味がすごく感じられる。
こんなに、こんなに、こんなに求められることがあるかというくらいね、
本当にかけがえない存在だなっていう風に感じているんですけれども、
でもやっぱり振り返った時に、いい思い出だけじゃなくて、
特に今、小学3年生で少しずつ私の手を離れているなぁと思う部分もあるし、
反抗的になってきて生意気だなぁと思ったりする部分もあるし、
口がかなり達者なので、私もね、なんかこう立ち打ちできないって言ったらあれなんだけれども、
なんだろうな、本当に大人と会話しているような感じで会話をしていかないと、
こっちが適当にやったら見過ごされちゃうし、
それって小っちゃい頃からそうだと思うんですけれども、
でもなんかより顕著にそれが現れてきたから、
結構大事なのって、この10歳になるかならないぐらいの時期なのかなぁなんて、
いう風に最近感じています。
小っちゃい時は小っちゃい時のすごく泣き喚めたりとか寝ないとかっていう大変さがもちろんあったんですけれども、
やっぱりお母さんを求めてくれるっていう部分はあって、
それが今9歳になろうとしている彼を見てると、成長の一部ではあるんでしょうけど、
そうではなくなってきている。
自分というものを持ってきている。
私じゃなくて、家族だけじゃなくて周りの関係だとか、
子育ての葛藤
自分が目指すものだとか、僕がこうしたいっていうことだとかっていうのが、
やっぱりすごく見えてきてるなっていうのは感じています。
だからこそ、これは私がすごく自分の嫌いなところなんですけど、
子供をどうしてもそれなりに自分の思い通りにしたいっていう欲があるなっていうのは、
ジャーナリングしててもたびたび出てきてて、
結構自由にいろいろやりたいことをやってもらったりとか、
私がすごい落ち着けたりして、
例えば何かをしなさいとか、何事これをやりなさいとか、
塾に来なさいみたいなことはないつもりなんだけれども、
私の場合は結構生活の細かいところが気になって小言をすごく言っちゃうんですよね。
当たり前っちゃ当たり前なんですけど、
姿勢悪くご飯食べてたり、縦肘ついてたりとか、膝を開けてたりとか、
立ちながら食べてたりとか、裸のままご飯食べてたりとか、
ご飯の時のばっかりでごめんなさい。
そういうことだとか。
周りを見ずに行動している時とか、忘れ物をしているけれどもあっけらかんとしている時とか、
それって、もちろんしつけが必要な部分もあるんだけれども、
行き過ぎてしまうとただのお母さんの小言になるし、
これだけ好きなことをやった方がいいよとか、自分のことを大事にしてねとかって口で言ってるくせに、
そこに私自身、しおり自身の本当はこうした方がいいんだよねっていう価値観を
結構押しつけちゃってるんじゃないか、私というふうに自問自答しています。
なんかね、難しい。
あんまり私、育児書を熱心に読んだりする方ではなく、
私も自由にやるし、君たちもやりたいことをやりなさいぐらいな感じなんですけど、
やっぱり生活態度とか、いつ何時までに寝たほうがいいとか、
そういう生活態度を含め生活習慣が結構気になっちゃうんですよね。
それでもだいぶ自分のこだわりみたいなのはなくなってきたので、
私も一歩ずつっていうところではあるんですけれども、
一歩ずつじゃ追いつかないんですよ。
子供の成長が早すぎて、早すぎてというか、
それがある意味順調な成長とも言えるかもしれないんですけど、
こっちが成長できてない。本当に。本当に嫌になる。
どうやって言えばいいんだろう。
大好きだし、大好きなんだけども、
どうしてもやっぱり自分のこうしたほうがいいか、
私の中で30数年間たまってきているものを、
彼らに伝える分にはいいと思うんですよ。
お母さんはこうだったよっていうふうに伝える分にはいいと思うんですけど、
そうしてほしいぐらいまでのことを言ってしまってないか、
ということを悶々としております。
成長と家族の絆
なんかすっごい微妙な悩みじゃないですか、これって。
確立されているものというよりかは、
別にこのままでももしかしたらいいのかもしれないけど、
でも直すなら今だなって思ってて、
それは彼らじゃなくて私の問題なんですよね。
そう、そうなの。
高校を大事にしなかったら、もうちょっと大きくなった時に話を本当に聞いてくれなくなったり、
私結構反抗期ひどかったタイプの人間なんですけど、
そういうふうになって親との関係があまり良くなくなっちゃったりとかしたら、
それはそれで寂しいし、
わかんない。わかんないんですよ。
わかんないから目の前のことをとりあえずやればいいやっていうふうに今までやってきたことを、
もうちょっと長い目線で考えた時に、
今じゃあ私はどうしたらいい、どうした方がいいんだっていうことを、
これは子育てだけじゃなくて全部に関してなんですけど、
特に子育てに関しては、やっぱり期限がある。
どうしたって子供は大きくなる。
私もそれに伴って大きく、大きくなんないか。
年は重ねていくんですけど、やっぱり今の子供の成長って、
成長速度とかで言うと、私の成長速度というよりかは日にならないものなので、
ここを自分の自我やエゴとどう折り合いつけていくかっていうのは何も答えが出ていないし、
今とりあえず目の前のことを目の前の彼らと接してるっていうので、
良かったんだっけと思ってるなうなので、
もし良かったら、何かお知恵のある方は、
お知恵のある方もそうですし、自分はそうだったよとかっていうことも含めて、
どうしていけばいいのか教えてほしい。
私ね、あんまり人にどうすればいいんですか、こうすればいいんですかって聞くと、
その人の考えによっちゃう気がして、っていうのもあって、
相談する人はすごく選ぶんですけど、
こればかりはね、いろんな人の意見を聞いて、
その上で自分がどうしていくか決めた方がいいなって思ってますね、今はね。
これまで割と自分がこうしたい。
子供たちがこうだからこうした方がいいんじゃないかな、だったのが、
家族、私はどうしたいだけじゃなくて、彼らがどうしてほしいかも含めてだし、
もっと視野を広げた時に、こんなアイデアがあったんじゃないかなっていうのを、
後から知った時に手遅れになりたくないっていうのが正直な気持ちかもしれないです。
なんかすごい話しちゃった。すいません。教えてほしい。
教えてほしい子供と、こう関わったら、うまくいったよでもいいし、
自分の気を持ちようで、こういうふうな子育てで、これを大事にしてるよっていうことだったりね。
私が大事にしていることは、家族で思い出を作るっていうことをすごく大切にしています。
それは別に旅に行ったりとか、何かで功績をあげたりとか、
大きく分かりやすいものだけじゃなくて、
毎日お風呂で、お風呂上がった後、アイス食べてたよねーとか、
そういうのが。
行ってきますって言った後、2階から私はいつも子供たちを見送ってるんですけど、ベランダのところから。
そういう姿をふとした時に思い出して、
母さんってこういう風にしてくれてたよねっていう思い出とかを、
これを覚えとけって思うんじゃないんですけど、
そういう日々の重なりを大切にしていきたいなって思ってます。
本当にここまでもし聞いてくださった方がいたら、それだけでありがとうございます。
子供の年齢が、私の子供たち小1、小3ですけど、それより大きい方にはどうしたか教えてほしいし、
同じくらいの方は同じような葛藤があるのかどうかも聞きたいし、
小さい方は今大事にしていることとかあったらぜひ教えてほしい。
とにかく教えてほしいっていうのを素直に今日言ってみたいなと思ったので、収録してみました。
誕生日のお祝い
では、そんな可愛い子供たちをお迎えに行ってきたいと思います。
では、またねーしおりでした。
そして長男、明日お誕生日おめでとう!
私もお母さん、9歳おめでとう!ということで。
ということで、夫もパパ9歳おめでとう!だし、
うちは両家にとって初孫なんです。長男が。
なので、ジジババもジジババ9歳おめでとう!ということで、
本当に生きてるって素晴らしいなって思います。
皆さんも自分の誕生日だけじゃなくて大切な人の誕生日を
きっかけに振り返ってみるのはいかがでしょうか?
では、しおりでした。