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2024-09-25 19:58

ふふふ #40 SEL本読書会②-1〜親子ではじめるSEL〜

共通の友人が書いた『世界標準のSEL教育のすすめ 「切りひらく力」を育む親子習慣:学力だけで幸せになれるのか?』( https://amzn.to/3XT0qwx )を元に夫婦でおしゃべりしています。

今回は、Chapter2「親子ではじめるSEL」を読んでおしゃべりしました。子にSELを!と求める前に、まず親である自分が、自分自身に気づけている?とケアしてみること、大切そうです😊

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サマリー

このエピソードでは、親子でSEL(社会的情動学習)を始めることの重要性について議論されます。ノンジャッジメンタルな姿勢の重要性や、完璧を求めない子育てのアプローチについても語られます。また、感情の受け止め方や、その奥にあるニーズを理解すること、親子の意思の違いを認識することについても考察されています。

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ふふふラジオ
この番組は、30代の夫婦が子育てのこと、パートナーのこと、町づくりのこと、今話したいことをおしゃべりするラジオです。
結婚や子育てって悪くないかもって思ってもらえたら嬉しいです。
親子で始めるSEL
というわけで、前回より始まった、切り開く力を育む親子習慣、勝手に読書会。
第2回ということで、Chapter2-親子で始めるSELの章を見ながらおしゃべりしていきたいと思います。
ちょっと思ったんだけどさ、これ聞いてくれる人がさ、この本買ってくれたりしたら一番いいわけじゃん。
エリーにも歓迎されるし。
だから、非常にいい本だったっていうのは前提になるからさ、楽しみながらおしゃべりできるといいね。
はい。
SEL、最初はSELは何歳からでも始められるというのが込み出しで書いてますね。
それはそうよね。
高校の中でSELやったりする事例も聞くけど、それが遅すぎるわけでもないし。
でも、なんかそれに高校生からじゃなきゃいけないわけでも当然ないから。
子供が小さくても大きくても今から始めればよいのです。みたいなことが書いてあるね。
前回も言ったけど、子供だけじゃなくて大人も取り組むの大事だよねみたいな話したけどさ。
ここでも書いてある。
まずはお父さんお母さんから体現し始めてみてほしい。
始めましょう。どう始めるといいんでしょうか。
そういうのも書いてあるんでしょうか。
ノンジャッジメンタルな態度
次が何より大切なのはノンジャッジメンタルということでSELの中で一番大事なことと考えられているそうです。
ノンジャッジメンタル。判断せずにありのままを受け止める態度。
それはそうだよね。
前回最後に内省していくと反省に繋がっちゃうみたいな話をチラッとして。
振り返りとかするとここもっとよくできたなとか、ここを自分失敗したなとか足りなかったなみたいなところに行きやすいけど、
でも足りなかったが仮に事実だとしてもさ、それは別に否定ではないというか、
じゃあ次こうしようって慣れれば別にいいんだろうなと思うから、ノンジャッジメンタルな態度が求められているということでしょうか。
どうなんでしょうか。
内省したら反省しちゃって落ち込むっていうその自分を受け止めればいいんじゃない。
この間同僚でちょっと最近気分的なあれもあるのかな、体調を崩したりしてちょっとお休みしてまた復活してって人がいたんだけど、
最近どうですかって聞いてみたら、
よくなったと思ったらまたうーんってなったりみたいな話をされてて、
でもこういうもんなのかなって言ってて、前の職場だったらこういうあるべきだみたいな感じで突き進んできたけど、
今の職場を移ってそれこそSEL的な自分がどう感じているのかっていうところにフォーカスしていく時間も増えたのかな、
ここの辺は想像だけど、前の職場と比べてそういう場も増えたりとかした時に自分の体の変化とか心の変化みたいなところを敏感に気づけるようになって、
今休んだ方がいいなみたいな風に思えてるっていうことなのかなって受け取って。
だから休むとか休まないとかだけが重要っていうよりかは、その人にとっては自分の調子に気づけるっていうのもすごい大事なことなんじゃないかなと思いながら聞いてて。
その人がそれを喋っている様子もノンジャッジメンタルな感じというかを受けて、
休んでるからよくないみたいな感じでもなかったし、それはすごくいいことだなと思いながら聞いてて。
って思うとさ、自分は他人に対して結構ノンジャッジメンタルな気はしていて、
だから自分に対してもそういう目線を向けられればいいんだろうなと思うからさ、きっと似た話なんだろうな。
私今結構自分に甘いよ。
自分に甘いの?甘いってのは?
甘いとノンジャッジメンタルは違うか。
わかんないけど。
ジャッジしない。
ありのままでよし。オッケー。
しょうがない。
完璧を求めない子育て
でもあれだよね、子育てのコツみたいな話でもさ、完璧を求めすぎないみたいなのもあるじゃん。
それも完璧を求めてできない自分にやっぱりジャッジしちゃって。
本当は親とはこうあるべきなのにそれができてない。私は良くない。みたいな風にいくのが多分良くないんだろうなと思うから。
完璧目立つのは別にいいけど、達成できなかったとしてもまあまあまあそういう時もあるよねとか、そういうもんだよねみたいな姿勢があるといいのかしらね。
あとあれか、同時にその完璧を求めちゃいたくなる自分とか、完璧を求めても達成できずに苦しむ自分みたいなのも受け止めるみたいなのありそうだよね。
私は完璧になっちゃってんなーみたいな。でも難しいよねーみたいな。そういう自分もいいよねーみたいな感じがいいのかね。
YouTubeでさ、ミキティも子供さんにいるじゃん。ミキティと横沢夏子さんがおしゃべりしてる動画があって、横沢さんは結構完璧主義者っぽくて、
こう洗えばみたいなものが自分の中に強くあって、子供は8時までに寝かさなければならないみたいな。
で、お風呂入るのがもう7時半とか過ぎちゃうとパニックみたいな。絶対無理みたいな。
っていう話をしてて、そしたらミキティが、そのさ8時までに寝なきゃいけないって誰が決めたの?って。
えっと、自分です。いいんだよそんな遅れたって。寝ないときはあるからみたいな、このミキティの大雑把な感じに横沢さんが救われてた。
なんかコーチング的になってるかね。気づかせる関わりかもしれないけど。
寝るのが8時過ぎても子供は死なないから。
結構、神聖時期とかはさ、死なさないっていうところに全振りするじゃん。
てか、できることがあまりに少ないから。寝る、おむつかえる、おっぱいとか、もくよくぐらいだけど、
なんかちょっと動いてしゃべったりしてくると、できることが向こうも増えて、こっちも対応が増えてくると、知らず知らず欲が出てくるというか、
死ななきゃOKと思えなくなって、来てしまってるのかいつしか、みたいな気がするね。
神聖時期とか息してるかめっちゃ確認してたもん。
すごいよね。当時は息してりゃOKだったわけでしょ?
それがあれから2年ですよ。
そうそう、全然関係ないけど、最近のAちゃんの話で言うとさ、
最近全然AちゃんのiPad見なくない?
見ない。
スクリーンタイムしばらくゼロで来てるよね。
すごいなと思って。Aちゃんの前では言わないようにしてて。
最近Aちゃんパンパン見ないねとか言うと、パンパン見るって絶対言うから言わないようにしてるけど。
ブロックとかさ、車、キャリアカーとか自分の好きなもの、おもちゃが最近増えたじゃん。
そうだね。
もうひたすらブロックとキャリアカーで遊んでるよね。
やってるよね。すごいなと思って。
しばらく思い出さないでいてもらいたい。
っていうのも自分の中にね、デバイスとの付き合い方、こうあるべきとか、どうあったらいいのかしらみたいなのはあるからだなと思うけど。
今日あれができなかったとか、本当はああしたいのにこうできなかったとかって落ち込むことはいっぱいあるけどさ、
それもそのまま受け止めるってことだよね。
そうだね。受け止め続けてしんどくなったらどうするんだろうね。
でもなんかよくさ、ヨガとかもそうなんだけどさ、ありのまま受け止めるみたいな。
自分の感情を客観的に見るっていうことをすると冷静になれるんだよね。
ああ、そりゃそうかもね。
だから落ち込んだまま終わらないっていう。
落ち込んでる自分をちょっと俯瞰したところの自分から見るみたいな。
落ち込んでるねーみたいな。しんどかったねーみたいな。
それができるとあんまり沼にはまらないとか落ち込みの沼みたいな。
確かに。それ同じかもね。
自分に気づくことから始める。
気づいてるようでよく気づいてないよね。
このモヤモヤはどこから来るんだろうっていうのを深掘りしていったら自分自身の中に固定観念みたいなのを気づくとかもあるもん。
確かに。
この間聞いてた別のポッドキャストでは飲み会の場で自分はすごい最近面白いと思った言語学みたいな話をしたら
あまりに誘んなすぎて周りの人がつまんなそうな顔してスマホ開け始めた人もいたみたいな話をしてて
そういう時は自分の偏愛みたいなものが見えるチャンスみたいな。
とも言えるんじゃない?って周りから慰められてたけど。
モヤモヤとかその場から浮いちゃったとかそういう時は自分らしさというか
感情とかその奥のニーズみたいなものが見えやすくなる瞬間なのかなと捉えると
そういう飲み会ですべった話とかもポジティブに捉えられるんじゃないかって話してて
そうかもなと思った。
相手の反応に合わせてとか相手の顔色を伺って自分の行動を決める人ってさ
なかなか自分に気づきづらそうだよね。
あーそうねー。
内省するチャンスが来ないというか。
モヤっと感をなくすようにしてるわけじゃん。
モヤっと感自体にふたしてね。
それはそうだね。
時々職場でも語り下ろしみたいなことやるけど
全く聞き手は反応せずに喋る。
あるテーマで7、8分とか一人がずっと喋るんだけど
それに対して頷いたりとかわかるとか逆にん?みたいなことも含めて
全くリアクションせずに聞く。
で聞いた後に話した人は後ろを向いて
話を聞いてた人が今の話どう聞いたかをまた同じくらいの時間で喋る。
お互いのそのリアクションを踏まえて話を調節するみたいなことができない状況で話してみる。
みたいなのを時々やって。
あんまり得意じゃないね俺は。
どうにかして笑わせようとしちゃう。
結構テーマが真面目なやつをよくやるときって
最近の子育てとかの話じゃなく
それは別に反応しながら雑談的にやればいいけど
なんか自分が今この職場で感じてることとかさ
そういう真面目なというか
感情とニーズの理解
でも自分と向き合って話した方がいいテーマ。
時に結構やるから。
自分に関することだったら気にせず話せるな。相手の反応。
そうねそうね。でも結構そういうことが多いかな。
この職場どうあるべきかみたいな話はみんなで話すこと多いと思うけど
自分がそこでどうありたいかとか
何を感じているかみたいな話の時かな。
テーマによるか。
感情の大元にあるニーズみたいな言い方を本の中でしててさ
なんか氷山みたいなの書いてなかったっけ?
59ページに図があるんだけど
感情の大元にあるものとして
感情ある出来事からショックを受けたみたいな感情が出てきた時に
その根元にはニーズがあるよねってことで
氷山みたいなイメージかなこれ。
水面の上には感情っていうものしか出てないけれど
その下にはニーズ。私はこうしたかったとかこうあるべきと感じている
みたいなものがあってそこから感情が来てるよねみたいな。
感情っていうテーマで話すから受け入れられるというか
なんていうのかな。
そういう感情を抱えちゃったからしょうがないよねみたいな。
というところで自分のニーズも
そういう感情を受けた奥にはこういうニーズがあるか
しょうがないかみたいな感じで
割と否定せず受け取れるかなって気はしているかな。
私感情あんまり表に出ない人だった。
だった。
中高時代?
家ではね。
家では?
学校では確かにめっちゃ笑ってた。
家ではほんと笑わない。
お兄ちゃんにびっくりされたの。高校の時。
友達が家に遊びに来て
爆笑しながら友達と喋ってて
で、友達が帰ったって言うの。
お前ってそんな風に笑うんだなって。
そんなことね。笑わなかった。家で。
それ感情が何?
家の中では浮き沈みがない?
それとも欲張りしてる?
欲張りだよね。
その頃のうちの親って結構感情的になる人だったから
めんどくさいの。感情と感情ぶつけるのって。
だから向こうが感情でブワーってくるから
もういいよって。
こっちは平らにしておかないと
なるほどね。
でもよかったね。それが出せる場が別にあって。
うん。ほんと。ずっと学校にいたかった。
子供に関しては
その感情の奥のニーズみたいなのを
自分では分かんないことも多いだろうから
周りの人が見とって
その子の感情とか行動の裏に
どんな感情があるかとか
感情の裏にどんなニーズがあるか
みたいなのを見立てることとか
あと61ページにあるけど
見立てるということを一人で
閉じて行う必要はありません。
だから近くの人と一緒にやったりとか
夫婦でやるのもいいんじゃないですか。
子供に何が起きてるのかを話し合う。
まだそんなに見えてる範囲が
多い気はするけど
それこそ学校で喧嘩して帰ってきたとかだと
本人の発言からしか分かんないから
こっちの見立ても当然ずれるというか
バランス取れたものじゃなくなると思うから
でも少なくともAちゃん側が何を感じているか
みたいなのがちゃんとキャッチできるというね。
じゃん。続いては
子供に愛メッセージで伝えるとありますが
これもよく子育ての周りで聞くことではあるか。
私はこう感じているっていう
ちゃんと親が周りの大人が
自分はこう感じる
こうしてほしいっていう言い方をする
みたいなことかね。
みんなやってるからとかって
なんか言いがちだよね。
まあね。
子供も言うよね。
みんな持ってるからほしい。
その時親はみんなって誰?
言ってみなさいって詰めるわけでしょ。
あなたが欲しいってことなんでしょ
っていうことな気がするからね。
お互い愛メッセージで言えると
いいかもしれませんね。
それに関連して次ページ
66ページは
親と子供の意思は別のものと認識する。
それはそうよね。
それはそうよ。
別の人間よ。
別のものっていう認識は前提の上で
前回の最後にあった
土壌を準備する。
その子らしい芽が出て
花が咲くような土壌を
整えることしかできないなと思うけど
同時に我々が
Aちゃんにとっての極めて大事な土壌でもあるじゃん。
この家もそうだし
自分たちの存在とか関係とかも。
だから別のものではあるけれど
でもどこかで繋がっているとか
密接に関わっているし
でも究極的には別のものみたいなさ。
結構難しいよね。
別のものだから知りませんではないじゃん。
別のものだからこそ大事にするとか。
尊重するってことだよね。
その子の意思を。
そうだね。
同一視しないのは大事そうだよね。
結構よく聞くのは母子分離とかさ。
特に男子校前の学校とかは
すごく手をかけ目をかけやってきた
お母さんと子どもの関係が
なかなか難しいみたいな。
よくさ、自分ができなかったことを子どもにさせる人いるよね。
そうね。
勉強とか英語とかもそうかもしれないけど
いろいろあるか。
スポーツでも。
そうね。
自分が果たせなかった夢を子どもに託すとかさ。
迷惑な話だよな。
そうだね。
君の人生を続き生きてるわけじゃないからって言いたい。
なんかあったの?大丈夫?
別に。
でもその通りだよね。
でも同時にその子に期待する部分ってやっぱりあるじゃん。
そことのバランスはどうなのかっていうのもあるよね。
期待しないっていうのも不自然だと思うけど
しすぎてしまうと嫌な感じっていうのもあるから。
その辺は何か日々日々会話しながら様子見るしかないか。
コンパッションを持てば自分の行動が変わる。
今回は長くなっちゃったのでまた次回。
親子の関係の重要性
またねー。
19:58

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