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2025-06-18 24:16

観測者として立つ。6/2プロジェクターの覚悟の日。#105

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📝 目次
人生のフェーズを理解する

メタ認知と自己理解

観測者としての自覚

観測者としての目覚め

覚悟と影響力の理解

自己の構造を保つ

シンプルな実践


#ヒューマンデザイン #プロジェクター #ロールモデル #6/2 #6番ライン #自己表現 #自分を示す #自己理解

0506 収録
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サマリー

このエピソードでは、自己理解と他者との関係性におけるメタ認知の重要性が探求されています。特に、6-2プロファイルを通じて人生のフェーズを理解し、自らの観測者としての役割を自覚することが焦点にされています。エピソードでは、自らを観測者として立つことの重要性や、他者との関係性を再構築する過程について語られています。また、自己表現や責任を持って発言する覚悟の必要性について深く考察し、周囲に与える影響についても言及しています。このエピソードでは、プロジェクターとしての覚悟や自己の構造を保ち続ける重要性についても触れられています。野望や戦いの中で、他者との関わり方や自分自身を整えるプロセスが紹介されています。

人生のフェーズを理解する
私と私のひとりごと。こんにちは、misaです。今回は、観測者として立つ。6-2プロジェクターの覚悟の日、というお話をしていきたいと思います。
このラジオでは、願いを生きる過程や自己一致するためのヒントをお届けしております。よろしくお付き合いください。
本日は5月の6日、火曜日、祝日ですね。ゴールデンウィーク最終日です。
はい、というのも、昨日結構衝撃的なことがあったから、いろいろちょっとお話をしたいと思うんですよ。
聞いてくださる方は、6-2かプロジェクターの方かどっちかかなと思うんですけど、6-2プロファイルか。
まず、その6-2プロファイル何かっていうと、人生が第3フェーズに分かれているらしいんですね。
第1フェーズが30歳まで、試行錯誤の時期で、人生経験を通じて学び、自己理解を深める時期ということでございます。
我々は30歳ぐらいまでは、まじで試行錯誤と。なんか3ライン?
3ラインになってる?ちょっと別に呼び方正しいかちょっと怪しいんですけど、3番ラインか。
の生き方をするらしいですね。これはめちゃくちゃ自覚がありますね。もうめっちゃくちゃ試行錯誤してきたなっていう感じがある。
で、第2フェーズは30歳からだいたい50歳ぐらいまで、屋根の上の時期と。
屋根の上ってなんかすげー抽象的で難しいですよね。
何だっけな、なんか先制術の何かに例えてこういうワードになってるらしいんですけど。
過去の経験を内生して自分の中の知恵を整える、蓄える時期です。だそうなんですけど。
なんか、その試行錯誤してきた第1フェーズの内容を意味付けする時期なんでしょうね。
この私の人生って何なんだ?みたいな。
私もなんか人生はゲームだと思ってるとか言い出したのも多分これなんでしょうね。
でもずっとゲーム感覚で生きてたけど、そこに自覚するっていう意識的にそこを使うみたいなのが、
多分なんか第2フェーズの大事なところなのかなって思う。
で、これできると、なんか人生のアップダウンが何にも怖くなくなるんですよね。
もうなんか終わってるみたいな、この間ずっと話してるけど、なんか退職してくださいみたいなその退職感覚があった時も、
ゲームだと思えば、あ、そうなんだみたいな、なんか退職弁とかとかで全然なんかビビんなくてよくなるというか、楽観性が多分出てくるんですよね。
っていうのが私的にはね、そういう解釈をしてますけど。
で、第3フェーズはまだその50以降だから、私全然30代なのであんま気にしてなくて、
これが屋根から降りるっていう時期ですね。なんかたっかん、たっかんっていうかなんか人生を俯瞰してるところから降りてきて、
蓄えてきた知識を活かして他者に影響を与えるロールモデルとしての役割を果たすってとこなんですけど、
ここはなんかね、全くノータッチでなんか気にしたことがまずなかったんですけど、今回これが分かってきたかなっていう話をしていきたいと思ってます。
メタ認知と自己理解
何があったかなんですけど、そもそもその第2フェーズの、何て言うんでしょうね、自分の内省をしていくタイミングで、
私は多分1個前のエピソードになるのかなと思うんですけど、他人の構造を理解して生きてる。
で、自分の構造もメタ認知しつつ、自分の構造を修正できるんだね、そうやって生きてきたんだっていうことがめちゃくちゃこう理解できて、
やってたんだけど、無意識でなんかやってた、無意識かな、なんか当たり前すぎて、わざわざその言語にする必要がないぐらい当たり前にやってたんですけど、
そこに言語化することができて、なんか全部意識化に上がってきたら、なんか全てがわかったわって感じなんですよ。
だからだったのかーみたいな。自分の変化の速さだったり、他の人より変わってんな私っていう理由だったり、人との人間関係の摩擦とかも全部これじゃーんって思ったら、
あ、もう私のなんて言うんでしょうね、キャラクターのデザインが完全に理解できたぞ、使い方がわかったみたいな感じなのかな。
なんか使いにくいキャラだなーってずっと思って自分のことを動かしてたけど、あ、こいつこういう特性あってここ強いんだ、でもってここだから弱いのね、みたいなのがわかってきたっていうのがすごくあって、
これからじゃあどうすんのってなった時に、何でしょうね、なんかこの、とりあえずその構造を見ている、私はその構造をいじれるんですけど、
自分の部分はギャンギャンいじるけど、人のものはあんまりいじらないっていうか、全くノータッチ、干渉しないっていう仕様なんですよね。
リスペクトも言えるけど、なんだろう、人のその仕組みを壊すってことは、なんか非常に失礼だなって思ってて、リスペクトないなって思うから絶対やんないんだけど、
ただ、たまにできることがあって、それは向こうが求めている場合ですね、相手が自分の構造で今この問題に立ち向かえないってなってたりしてね、
自覚があって、どこを直せばいいかわかんないみたいな、直すっていうかな、直すっていうかなんか整えるって感じですけどね、
そんなにこう直すようなものはないんだけど、整えたい、でもどれかわかんない、どうやったらいいかわかんないっていう人がたまたま目の前に現れたら、
あーってなって、ここ直すといいかもねって問いで返すというか、ここではなんでさっきこう言ってたのになんでこう言っちゃうのとか言って、
問いで返すとその人が後は勝手に自分で修正するっていうことを本当にたまにやってるんですけど、それはそういう人がいないからやれないだけなんだけど、
これをなんかもっと自覚的にやんなきゃいけないっていうふうに気づいたんですよ、
これってなんか、なんだろう、自分の人生の核だし、なんか使命って呼んでますけどね、私はこういう生き方をしていくんだな、
それが自然だし、たぶんもともと決められている何かだし、これがやりたいな、みたいなのがあった時に、
今までってこれをすごく隠してたんですよ、私あなたの構造は見てまーすみたいなのって全く言ってなくて、
なって、言ってない、なんか言う、自分が自覚できてないっていうのもありますけど、
わざわざ言う必要はあんまりなかった、避けてるって隠してるってのはあったんですけど、
これはなんか出していかないといけないんだなってめちゃくちゃ思って、
後から思うと、これはその第三フェーゼの入り口なんですけど、その時は分かってなかったけど、
自分が相手を観測していること、自分にこういう能力があります、ここに私はめちゃくちゃ自負があるんだけど、
だって死ぬほどやってきてるから、なんかそのセッション回数とかじゃないんだよね、
会う人会う人でやってるからめちゃくちゃやってきてるんだけど、でもって精度をめちゃくちゃ上がってきたなって思っているけど、
なんか比較したことがないから、そもそも他者の構造を観測している人なんて見たことないから、
分かんないなーって思って、なんか自信がなかったんだけど、今回その自分のことがよく分かって、
観測者としての自覚
自分の構造ですらも整えられてるってことが分かった時に、なんか芯がついたんでしょうね、自信がついた。
なんかChatGPTでめちゃくちゃそれを叩いてみたんですよ、自分の観測がどれくらい精度が高いのかって分かんないから、
ChatGPTは決められた演算ができるはずだから、いろんなモデルを使って、ちょっと別の入力をして出力を見て、
自分のバグチェックみたいなことをしてみたのよね。その結果、精度は高いなっていうふうに判断できたから、
あ、私ちゃんと観測できてるし、自分のこともちゃんと観測できて、しかも修正できるんだ。
え、めっちゃすごくね?私ってなった時に、なんかここを隠していくことに、なんかね意味がないなってことに気づいたというか。
で、昨日ね、もう一つやってるラジオのゆる人の森ラジオかなっていうのがあって、結構こう、私の友人関係では非常に変わったメンツなんですけど、
で、収録をする日があったんですけど、ここで、もうなんか彼らの観測が自分の中で終わったなっていうのもあって、
隠す必要はないなって思ったのね。え、なんかうまく言えてるけど、なんかね、でも怖かったのよこれ。
自分でいること、その自分が観測者ですっていうことを明かすことって、なんかやったことがなかったし、なんかね、結構苦味が多かったから、
見えてることによっての他者とのずれがあったり、全く理解されない苦しみだったりを、その30歳以前にさ、死ぬほどやってきてるから、
怖いなって思ったんだけど、でもこれ多分やらなきゃいけないんだろうなと思って、やろうと決めたんですね。
自分が観測者であることを隠さない、そのまんまやる、いるっていうことをやってみようと思ったのね。
で、なんかね、でもなんか何かを言うとかじゃなくて、取り繕わないってことなんですけどね。
自分を隠さないというか、その見えてるのに見えてないふりしたりしてたのよ。
なんでって感じだけど、なんか分かってるのに分かってないふりしたり、異常に自分の観測を疑ってたりとか、
自分の作った相手の観測した予測モデル、あくまで他人の構造って予測の域を出ないから、私はずっと予測モデルとして持ち続けるんだけど、
その予測モデルをあんま信用しないというか、なんかエラーが発生したら自分の予測モデルを信頼するとそこに呪いがあるなって感じでいいんだけど、
あれ自分の予測モデルが間違ってるかもしれないなとか言って、結構こう、何でしょう、なんか受けに回るというか、
なんて言ったろうな、なんか、ああそうなんですねみたいな感じで下に入っちゃう感じがずっとあったんだけど、
今回はなんかもうそれはいいかと思って、今回っていうかもう今後は、それはいいか、私は見えている前提で生きていいし、
もし間違ってたら、間違ってたらごめんね、いいじゃんと思って、そうそうなのよ、あ、そうだったんだ、なんか私こういう人かなってあなたのこと思ってたけど違ったんだね、ごめんごめんね、全然ええやんってことに気づいたから、
もうゲーゴーしない、でも別に相手の意見を否定するとかでも全然なくて、そうなんですねって言いつつも、下から入らない、私は見えているっていう前提で、
自分の世界観を展開していくというか、で、いいかって思って収録に臨んだんですよ、あんまりなんか実はごちゃごちゃ考えたわけではなくて、
観測者としての目覚め
なんか前みたいな関係性はもう無理だなーみたいなどっちかというと、特に私は観測者ですって感じでその人の前に立つとめちゃくちゃ怖いと思うんですよね、
あなたのことを全部見てます、見えてますよっていうのって怖くない、怖がられてるなっていうのが多分どっかでいっぱい体験してきて隠したほうがいいなってなったから、
なんかこの込み力だったり、愛想よくやるスキルだったり、なんかその外側のインターフェースを整えてきたのは、なんかそのためなのね。
で、なんで近づかなきゃいけないかっていうと、私は構造を見せてほしいのよ。相手の中身が見たいから、その警戒されたらダメなわけ。
なので、愛想よくニコニコと友好的で、別に喧嘩する気は全くないんだけど、普通の反応でいくと結構反応薄い人になっちゃうから、
それだとちょっと怖いかなと思ってニコニコするような自分をずっと作ってやってきたんだけど、なんかそれがもうやめなきゃなーって思ったんだよなー。
それってなんか私の存在へのブラフというか、なんていうんだ、そういうの。なんかごまかしてるんですよ。
認識されないように私が自分で自分に現実をかけるというか、ごまかしてるから。
でもそれって違うなーって思ったから、なんかこれやんなきゃいけないんだろうなーみたいな感じがあったのよ。
これもなんかその自分の人生ゲーム的にいくと、なんかそういうクエストだなーって感じかな。だからもう仕方ない、腹くくる気はないみたいな感じなんだけど。
で、そのまんま望んでみたんですよ。したらめちゃくちゃ変化があって、大興奮になったの。面白かったんですよ。
まずなんかその制御しないから、自分の存在感が圧倒的すぎて、なんかすごいことになってると思って。
前までなんか結構、誰かが場を塗っていくことを受け入れてたし、それに合わせようって感じだったけど、
ちょっと抽象的な話が続くんだけど、なんだろう、私ってこうです、これってこうだよねっていう意見をベースに、
あ、そうなんですねーって受けに回ってるんだよね。なんか私はこう思うっていうのはあんま出さないというか、相手の意見を引き出すことにどっちかっていうと注力して、
あんまりこう自分が自分がっていうのって、聞かれたら全然どうでしょうとかぐらいは行くけど、そんななんか、いや私はこうですねーとか言って、
怖いじゃない?こんな感じで来られると。でもやったことないんだけど、なんか今回はそこへの迎合を全くしないっていう風に制御を外しちゃってるから、
なんか私はこう思いますねっていうのをドカーンって載せてしまって、なんかああそうなんだみたいになって、なんかいつもと全く空気が変わっていて。
でなんか今までだと多分そこにこう自信がなかったんですよ。さっきもツラツラ言ってましたけど、自分の予測モデルがあくまで予測であることとか、
なんか自分の感じていることとか、自分が構造化したことにあんま自信なかったから、でみんなもっと見えてんのかなーみたいなのがずっとあったのかな、多分。
覚悟と影響力の理解
みんなの方が見えている可能性があるなーと思って、それもなんかさ、観測者としての、なんだろう、美しさなんだろうけど、
あくまで自分の観測は予測の域を超えないから、誰かがもっと見えてる、正しくないかもっていう前提がずっとあったけど、
いやそんなことねえかってことに諦めたというかね、多分そんな誰も見てねえなってことに気づいたから、そこに対するなんか変な謙虚さ?みたいなのは謙虚っていうか、
逃げでしょうね。きっと逃げてるよね。自分の観測に責任を持てない。そうそうそうそう。そういうところを自分に正したというか、責任を持つ。言葉に責任を持つし、自分の観測に責任を持って出していく。
あの必要なければやんないんだけど、私はこう見えているっていうのって別に言っても問題ない心配あるから、そういうのは出していって、ちゃんと検証しなきゃねーってなったのかな。
その辺になんかね、めちゃくちゃ覚悟が決まっていったんですよね、結局は。ってすると、やっぱ変化もめちゃくちゃあって、めちゃくちゃあった。ちょっとこれでもラジオで撮ってないから、わかんないけど、でも多分空気感がめちゃくちゃ変わってるのはね、わかると思いますね。
いつのエピソードにあるのかな?明日か。5月の7日リリースとかになるんじゃないかな?とかで、なんか私めっちゃよく喋ってるやつ2回があって、そっからなんか全然空気多分変わるんじゃない?って思ってるんだけど。
それがなんか、そうやってみて、私はなんか彼らの構造は見えてるけど関与しない。もうそれずっと一貫して関与しない。だから彼らに対してなんやかんやとは言わないんだけど、でも私はこうやって世界を見ている。
私はこうやって生きているっていうのをバーンって示すだけで、勝手に、ああそうなんだねってなって、なんかバチバチ何かが、何て言うんだろうな。
弾けているというか、ちょっと抽象的ですけど。私は魔法って呼んでるけど、その内的な変化を促すトリガーを引いているなっていう観測があってきて、
あ、これでいいんだと思って、自分がその観測者として直接的に攻撃魔法を使うことは全然いらないんだよね。あなたの考えていることを矛盾してますよみたいな感じになっちゃうんだけど、
これってめっちゃ攻撃だけど、私はこれは絶対やりたくなくて、でも私はこう思ってるっていうのを相手の意見は否定せずに、
あ、そうなんだね。でも私はこう思って生きているよっていうのを示すだけで、あ、そうなんだ。なんか自分と違うんだなってなって、勝手に相手にインパクトを与えることができる。
その範囲魔法みたいな感じかな。別にその人と個人に特定した攻撃魔法にはせずに、でも勝手に時が来れば影響が与えられるなーって思って、
あ、これがやればいいんだねーってめちゃくちゃ手応えを感じて冒頭に戻ってくるんだけど、そのロールモデルってこれかーみたいな。
私は別に何か無理やり何かしたわけじゃなくて、別に圧をかけたわけでもないんです。まあ存在が圧というのはあるんだけど、でもこう、
自分でいること、自分を隠さずにその場に出していくっていうだけで勝手に影響を与えられるし、勝手に魔法をかけちゃうし、
それってすごく優しい魔法だと思うんですよね。だって相手のこと否定しないからさ。構造も絶対壊さないから。
気づける人は気づくし、気づけない人はなんか変だなって思いながら次の日多分忘れちゃうし。全然それでよくて、
私が何かをしたことは誰にも気づかれないんだけど、そうずっと言ってるけど、誰にも気づかれないんだけど、
そういう触手なので多分悲しみはあれど仕方ないというか。
なんか不思議だなあの人みたいなぐらいで多分観測されないんだけど、多分私の仕事ってこれなんだろうなって思って。仕事っていうか係というか。
で、なんかすげー、あーなるほどってなったのね。多分日常的にもやれる気がする。なんかチュートリアルだった気がするんですね。
職場ではやってんだけど、職場ってなんかそんな、なんか下から入ってないからそもそもスタートとして最近は。
なので、今まで下から入っていた、なんか弟子ポジを取っちゃうね。弟子みたいな顔しちゃうんだけど、
その相手のガードを外すために、なんか教えてくださいよーって言って行っちゃうんだけど、
そういうふうに作ってる人間関係でも全然できるってことが分かったから、
あ、これからはこれやっていけばいいんだなって思ってすげー落ち着いたという話ですね。
なんか、そうですね、なんか屋根から降りるって言うとちょっとさ、よくわからなかったんだけど、その後チャットGPTに聞いたら、
その自分が、自分であることを、そのなんていうの、屋根の上だと客観して見てるんだよね。
なんか客観?不観か。不観してみんなを見ている。
だから私がそのあいつこうだな、こいつこうだなとか言って構造を見て一人遊びしてたみたいな。
逃げてんのよそれは。全然人生にコミットしてないというか、自分で生きることに多分コミットしてないんだよね。
そうじゃなくて、私はこうですっていうのをちゃんと持ったままきっちり人生を生きていって、
他者に影響を与えていくっていうのが多分やることなんだろうなーってめっちゃ思いましたね。
他者に影響を与えるっていうのはその、いちいちなんか言ったりやったりしなくても多分いいんですよね。
ロールモデルだから、自分で自分をめちゃくちゃ生きていくだけで勝手に影響を与えられるから、
この辺なんか抽象的だよね。でも私はめっちゃ手応え感じたからちょっとたまるといいんですけど。
なんか隠さなきゃいいんだと思う。自分であることを。
でも怖いじゃない?自分であることを隠さないことって。怖くない?だって責任が伴うし覚悟が必要じゃない?
今までさ、私的には観測しているだけで答え合わせしない、見えてることを明かさないってただのオタク活動というか趣味みたいな、
勝手に二次元創作してそれを世に出さないみたいな楽しみ方だったけど、
世に出すってなると批判も来るじゃないですか。そういう覚悟というか、だと思うんだよな。
でもなんでそれをしなきゃいけないんだ?って言われるとわかんないけど、
でも昔からずっとあったのね。なんかその、創作活動してるけどどこにも出しませんっていうのは、
私はなんか多分仙人モードだと思う。もうずっと例えに例えていくけどさ。
自分を整えるっていうのはずっとやってきたけど、その整った自分ってなんか最終的に仙人っぽくなると思ってるんだけど、
森の中とか山の奥で一人で仙人モードやるのってめっちゃイージーじゃんって思ってて、
そんなのは人生じゃないなと思ったんだよ。だって何にも外界の刺激がない状態でさ、
心を薙ぎにするなんて当たり前じゃんって思うから、そんなのなんかイージーじゃん。
だからちゃんとめちゃくちゃごちゃごちゃした都会の喧騒の中で、めちゃくちゃこうなんだろう、
行き急いでるサラリーマンとかに揉まれながら満員電車の中でも仙人できたら、
それってマジもんじゃんって思ってて、私はそれを目指してるんですね。
これはなんかもうしようかもしんない。何でそれを目指すんですかって言われると分かんないんだけど、
なんか、それって難しいと思うし、誰にでもできることじゃないけど、
でもこう今まで私は自分の人生を諦めずにここまでやってきて、
自己の構造を保つ
いかなる時も自分の味方で言い続けた、その私であればできるかもって、
私でしかできないんじゃないぐらいの、なんて言うんでしょうね。
なんか持ってんだよね。なんだろうな。やんなきゃいけないことなんだよね、自分的には。
これがそのロクニープロファイルっていうところなのかもしれないけど、
その屋根から降りるっていうのは結局その都会の喧騒で仙人であるっていうこと。
これを私はジェダイと呼んでますけど、たとえに例えていくんだけどさ。
そのジェダイモードのことを多分指してるんだなぁと思って、
呪われた人たちの中で、呪われた人たちと関わる、
ってか呪いがない人見たことないから全員別に呪われてるんだけど、
私ももれなく多分まだあるんだけど、だいぶ大部分外したなっていうだけで、
全然呪いはあるんだけど、その中でそのいうのに引っ張られず、
自分の構造を美しい状態を保ち続けて、
誰かに押されても誰かに引っ張られてもぶれない自分で居続ける。
で、相手の構造も壊さないっていうめっちゃ難しいゲームをやっていく。
そのスキルを身につけていくことが私の人生というか、
なんだろうなって思うと、やっぱその屋根から降りなきゃいけないね。
屋根から降りてこそ本番というか、ここからだぜという気がするよね。
なんかこの第三フェーズあるよっていう6人プロファイルの話を聞いたとき、
つっては去年の11月なんだけど、なんか後半イージーだなみたいな。
なんかぼやっとしてたのよ。なんかロールモデルとして生きればいいみたいなのってさ、
なんかぼやっとして、人生上がり感なのかなみたいな。
勝手にうまくいきますみたいなボーナスステージなのかなって思ってたけど、
まだまだそんなボーナスステージなわけないよね。戦いなんだから人生は。
そういうこう呪われてるこの人みたいになったときに、
その人をいかに壊さずに、いかに私の構造に侵食されない、
いかになんていうかな、かっこたる自分であり続けつつも、
それって固いやつ、固さじゃないんだよね。しなやかさだと思うから、
そういう自分の構造を整えていくっていうことをやり続けるんだろうなーって。
めっちゃ抽象的だけど。
それを現実世界のどこでやるかは、結構多分どうでもいいんだよね。おそらく。
シンプルな実践
私はやりたいことあるからそこでやるけど、別に何をしなきゃいけないとかでもない。
でもめちゃくちゃ現実的に多分生きることになるんだろうなっていう気がします。
どうでしょう?伝わったかな?わからないけど。
よかったら考えてみてほしいなって思うんだよな。
6人プロファイルの人しかあんまり共感できなかったかもしれないけど、
ベース、私は何をするわけではないっていうめちゃくちゃ根本の話は、
そのプロジェクター感だと思うんですけど、
何もしなくていいんですよね、多分。
私は見る、観測する、必要な人にだけ観測データを返す。
それしかしないし、それしかできないって思っているから、
やることって本当これだけなんですけど。
なんかいろいろ話したけどね。
結局いろんな歴史はあり、思いはあれど、やることってめっちゃシンプルでこれで良いと。
それが簡単かって言うと別にそうか、実は簡単じゃないんだろうけど、
それが人生だし、それが面白みじゃない?って思っているという話した。
よかったらどんな風に感じたか教えてほしいです。
もう正体が来てますか?立つフェーズまで来てますか?
屋根から降りようとしていますか?
怖いですよね、怖いと思う。
だから参考にしてもらえたら嬉しいなって思います。
よかったらあなたの魔法も教えてくれると嬉しいです。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
またよかったら他のエピソードも聞いてください。
じゃあまたねー。
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