無邪気に自分勝手な人々の特徴
私と私のひとりごと。こんにちは、misaです。今回は、無邪気に自分勝手な人たち、相互性という相手を認識するチカラというお話をしていきたいと思います。
このラジオでは、願いを切る過程や自己一致するためのヒントをお届けしています。本日は9月の13日土曜日です。よろしくお付き合いください。
でね、結構、今までもいくつか取ってきたテーマをまた擦っていくんですけど、めっちゃめっちゃ解像度、いや、ちょっと勘弁しましたけど、解像度上がってきたわと思ったので、一個ここで整理したいと思います。
やっと、なんか皆さんに使っていただける概念になったんじゃないかなという気がしております。で、そう、無邪気に自分勝手な人たちっていうのは、私は今まで過去のエピソードで、なんか猿みたいなやつがいるとか、もう吐きながら歩いてるやつがいるとか、
あと怪獣みたいだとか、いろんな表現をしてきて、すごく整理に苦しんできたんですけど、これが要するに相互性っていうものがないってことなんだなってところで、めちゃくちゃスカッと落ちたから、ちょっとこれを頑張って説明したいと思います。
私はこういう人たちに対して、妹が代表者なんですけど、私の人生では。妹が全然相手を認識できてない人だから、私も認識されてないんだけど、もちろん親とか友達とかもどうやら認識はしてないんだけど、
彼女の世界が私の近くにあると、なんかすごい苦しかったんですよね。でもそれによって、なんかなんて優しくない人間なんだろうみたいな、なんなんだこいつはみたいな、こう絶望がずっとあって、なんか人間に対する絶望みたいなのを引き起こしてきてて、すごく苦しんできたんですよね。
なんか具体的なエピソードも死ぬほど出てくるからちょっとさらっと行きたいんですけど、例えばもう話し方がまじ一方通行なんですよね。ずっと自分の話して、私が体調悪かろうが、なんかその話は耳が痛いから聞きたくないなとかいう顔してて、もうお構いなしでずっと自分の話をしちゃって、
なんか当然、私は会話っていうのはその相互性のあるもの、それこそ。なんか話す、聞く、話す、聞くみたいな。で、こう2人で会話のテーマをなぞっていく、なんか一緒に旅行に行くみたいな感覚があるけど、妹はなんかプレゼンテーションというか、一方的に自分の話を、しかも別に相手に役に立たない話で、プレゼンだと役に立つから話してもいいと思うんですけど、
なんか自分の個人ラジオをその耳元でずっと話して、このアテンションを期待するっていうすごく一方的で意味不明なやつに見えていて、なんかこれをずっとされると、なんか私って何なんだろうってなるんですよね。なんかこんなに嫌な顔してるのに、ずっとお前はただ聞いとけみたいなメッセージを感じて、なんかそういう苦しさ、存在への否定みたいに感じてて、非常に深い怒りを抱えて生きてきたんですね。
そう、でこの人たちなんですけど、あのね妹だけじゃないのよ。いくつか見たことがあるんですよ。もう一人ね身近にいて、うわこれ妹と同じだぞと、あのもちろん外枠とか見え方は違うんだけど、本質的ななんかおかしいなと思った時に、何がおかしいってなったら妹と同じ種類の狂い方してるなぁと思って、より解像度を上げられる、いいサンプル見つけたぞと思って結構、ここ半年ぐらいでグイグイ解像度を上げることができてるんですけど、ちょっとその相互性のない人たち、
無邪気に自分勝手な人たちの特徴を上げていきますね。身近にねいるか、あのぜひね、確認してもらいたいと思うんですよ。ていうのもこの人たちなんかね、自覚がないから、なんて悪気が全くないから、悪気なくすごい搾取してくるんですけど、なんかなんでだろうみたいになって、もしかして結構認識しにくいんじゃないかなと思って、
なんか悪意あったりすごい悪口言ってきたらさ、こいつ敵だなって判定しやすいけど、全然なんかこう悪意なく、悪意ないのよ、悪意なくめちゃくちゃ搾取してくるんですよね。でなんかそこに対する感謝とかもなく、当たり前のように奪いにくるから、すげーわかりづらい敵じゃないと思ってて、
なんかそれがなんか私は良くないよと思ってるんですよね。ちゃんと敵認定できたら、敵ってかなんか仲間じゃないんだなってことがちゃんとわかれば、皆さん他の人の苦しみも減るんじゃないって思って、そこをはっきりさせたいというのが意図なんですけどね。
なんかちょっと相互性のない人たちと、その無邪気に自分勝手な人たちの特徴を述べますね。まずね、このさっきから言ったけど、他人をね、認識できてないのよ。
マジで、え?ってなるかもしれないけど、相手に気持ちがあって、相手にも都合があって、相手にも気分があったり、なんか自分のやりたいこととか、自分の時間みたいなものが存在しているっていうことがマジでわかってないんですよ。
これが根本的な原因なんだけど、相互性がないっていうのはそういうことね。自分の世界はその人たちの中で強固にあるんだけど、他人の世界があることをマジで理解してないっぽくて。
だからね、なんか、なんでしょう、こないだ会ったのは、すごい遠くに住んでるけど、遊びに来てとか言われてめちゃくちゃびっくりしたりとか。
私その遊びに行くってなると片道何時間かかるんだよ。往復何時間の1日穴開けんだよって感じで、だけど、私シングルでさ、子供2人いて、その子供どうするのとか普通に考えたらなかなか言いにくいだろうなーって思うけど、
キャラットなんか、え?遊びに来てよーとか言えちゃう。びっくりするみたいな。え?私のこと知らないのかな?みたいな感じに言ってるんだけど、なんかそういう自分は遊びに来てもらいたい。
家に遊びに来てくれたら楽しいだろうなって、自分の世界の話だけで言えちゃう。なんかそんな感じ。
うちの妹もめちゃくちゃ気軽に子供生まれたらお祝いに来てねとか言われたけど、いや行くわけないだろうと思って、はーってなったけど、なんかそういう、そういうところが非常にあるあると思いましたね。他人の都合がね、わかんない。
で、もう一個は、これもまた腹立つんだけど、他人を自分の演出の道具として扱っているんですよ。これはなんか、みんな気づいてないのかなって気がするんですけど。
えっとね、具体例あげられるかな?しのほうがあるんだけど。なんかね、妹で行こうかな。妹だと、例えばお誕生日おめでとうって言って、なんかちょっとしたプレゼントとかを、まあちょうど近くに合うから持って行くとかするとするじゃないですか。
そしたら、なんか、私ってかな、普通に相互性のある人だったら、あーわざわざ気使ってこう持ってきてくれたんだなーとかその配慮とか背景を見るんじゃないのと思うんだけど、
なんか妹の場合は、あ、誕生日に祝ってくれるなんて、私なんて愛されてるんだろうみたいな感じになるんだよ。わかりますか?この感じ。わかんないかな?わかんないかも。あんまり気にしてる人見たことないから、もしかしたら伝わんないかもしれないけど。
なんか、買ってきてくれたこと、その気持ちとかに、ありがとう、なんて優しいんだろうとか、そういうんじゃなくて、買ってもらえる私みたいな、自分みたいなところ矢印向いてるから、
なんかどんなに気持ちをかけても消費されるんですよね。そこへのリスペクトがないというか、そのプレゼントをもらうのは私が愛されている体で消費されちゃうとさ、
その相手の忙しい中でプレゼントを選んだ時間とか、もちろん金額とかもそうだし、持ってくるコストとか、そういうのとかは全く想像しないので、無きものにされて、
なんだかな?みたいな気持ちになる。これはマジでね、ずっと経験してきたね。なんかこういう感じ、おかしい、変だなぁみたいな。何してもなんか、私愛されてるに解釈されて、
誤解と誤った認識
なんかこちらの気持ちじゃないというか、別にそのプレゼント贈ろうっていうのって私の愛じゃないですか。そこじゃなくなっちゃうんですよね。
あーちょっとわかりにくいかもしれないけど、ちょっとこれ以上の、いや、死ぬほど多分出てくると思うけど、この自己演出なんだよな、何かにつけて。
自分の中の、私ハッピームービーみたいなやつの、なんか無理矢理キャスティングされちゃうんですよね。いつも思うけど、何してもその私ハッピームービーの一員としてしか認識されてないので、
なんかプレゼントも私からすると結構義務的というか、まあなんか合うし、大人としてやっとくかみたいな感じだけど、それを過剰に私愛されてるんだなぁとか言って食べられちゃうと、
なんかここに私の意図が不在というか、私じゃなくてもいいんだなぁみたいな。まずは私の背景なんか見てないから、なんだかなぁってなってすげー嫌な気持ちになるという。
うーん、なんかちょっとまだ言語化うまくできてない気がしますが、そういうのがありますね。次は、あーそれもちょっと説明したいけど、相手の意図や背景を読まない。関心を持たない。
そもそも人間だと多分思ってないんだよね。その〜さん〜さんっていうその人間がいて、その人たちにも両親や兄弟がいて、
家庭があって、プライベートの時間があって、家があるとかをまるで認識できてないから、関心があるなしとかいうレベルにも至ってないというか、なんかずっと自分の夢の世界を生きてるような感じがすごいする。
なんか自分と会ってる時だけその人は私のためだけに存在しているとマジで思い込んでるような気がする。
で、ちょっと違うこと言われても、なんだろう、なんかちょっと嫌なこと、まあそれ当然相手からするとめちゃくちゃ失礼なことしてるから嫌だなって思う人多分たくさんいると思うんだけど、
で、その人たちがちょっとチクッと言ったりするじゃないですか。いやいや行かないですよ家なんかみたいな。そう遠すぎでしょとか。
いやそんなあなたのそれに付き合いませんよみたいな。そんな人いないかな。なんかちょっとこう、妹が期待する私ハッピームービーではなさそうなセリフを相手が言ったとしたら、
あの、なんか耳に入らないんですよそれは。そのセリフは、えーひどい、なんてひどいこと言うんだろうあの人。いじわるーみたいな。なんか私かわいそうみたいな感じになるんです。めちゃ怖いんですけどね。
なんかこう、彼女の自生活の話とかがいわゆる客観性に書きまくってんなと思って、主観でしか喋んねえなってイメージあったけど、
なんかこの演出をかますから変な感じになってんだなというのがすごいありますね。
承認欲求と自己中心的行動
で、その間にも繋がるんですけど、1個は自分の承認を最優先にするんですよ。結局その私ハッピームービーを作ってるの、後でちょっと説明しますが、
これをしなきゃいけないの彼らは。それを人生でやんなきゃいけない。やっちゃってるじゃなくてやんなきゃいけないから、自分が承認されて私がハッピーである、私は幸せだっていうのを
外界から取らないと自分の中で作れないからなんだけどね。そうなると、もうなんか全ての承認を、承認欲求モンスターみたいになってんだよね。
それがね、SNSで写真をあげてるとかそういうのに出る人もいると思うけど、それだけじゃなくて、なんか
動きがおかしい、様子がおかしいんだよな、私に言わせると。別に好きなら黙ってそれやってればいいじゃんって思うし、皆さんも趣味って別に、
なんかいちいち他人に見せるものじゃないんじゃないかなって思うけど、この人たちは割とその、私これ好きなんだよね、私これハマってんだよねとかをわざわざ外に言わなきゃいけなかったりするんだよね。
そうなんだ、すごいねとか言われたり、なんかあなたってそういう人なんだねっていう他人の認識とか他人の目線とかその演出としてね、すごいないと怖いから、
他人をそう、他人とか世界を演出として使わないと自分の世界保てないから、なんかいちいちいち、
なんか言わなくていいこといちいち喋ってるな、みたいな私には聞こえる。そんなの黙ってやればいいのに、なんでいちいちみんなに言ってるんだろう、不思議と思ってたけど、こういうこう、
承認をしてもらわなきゃいけないから、そのための自己アピールに余念がないというか、過剰にやっている。この結果多分自分の話一方通行でやりまくる人になっちゃうんでしょうかよね。
その話聞かずに自分の話一生懸命一生懸命自分の世界はこうなんだこうなんだって喋んなきゃいけないのは、この辺のこう承認が必要だから、認めてもらえていること、
自分での体感が必要なんでしょうね。なんかそうそうそう、別に自分の世界観で生きられるんだったら、
自分が何が好きで、自分が何が嫌いで、自分が今何をしているのかって、自分さえわかっていれば何も問題ないはずなんだけど、それを他人に喋って、他人のレスポンス見て、他人の顔色とかを、
これも曲解してるんだけどね、正しいフィルターでは見てないんだけど、他人が自分の話を聞いてくれてるっていう状況でやっと自分で認識できるんでしょうね、多分。
怖すぎるよ。怖いんだけどな、こんな感じなんだよ。でまた、それ故に断られるととんでもなく傷つくのよ、この人たち。
何なのって感じがするけど、他人に対しては、えっとね、他人に対しては多分気軽に断ってくるんだよな、なんかあんまりその他人の意図わかってないから、断るっていうかな、
なんかもっとすごい酷い言い方してるなってイメージあるけど、全然配慮ないなーみたいな感じするけど、一方で自分がなんか、
私のハッピームービーに参加してくださいねっていう招待状出して、それをペシッと断られると、ものすごい傷ついて、あの人酷いみたいになったり、
なんでこんな私の楽しい誕生日会に来てくれないんだろう、みたいな。でも誕生日会ってね、向こうの都合もあるし、その主役の人が主役である場だから、
普通はそんなにお祝いしてあげるよーって人いるかもしれないけど、私はそういうタイプじゃないから、なんで行かなきゃいけないんだろう、私の時間使ってなんで人の誕生日祝いに行くんだろう、果てと思うけど、
そこになんか、いやーごめんちょっと忙しいから無理だわーとか言ったら、へーみたいな感じで過剰に傷ついてるなー、だから断りにくいんだよね、それもまた幼少期からきつかったね、なんか。
ハッピームービー勝手に展開して、でもデイリー自由ですってしてくれたら、別に勝手にやってる分によかったけど、強制参加な感じがすごい辛かったなーっていう気がしますね。
これはなんか関係性から来てると思う。妹だからだとは思いますけどね。もう一人近くにいる相互性ないなーって人は、そこまで協力ではないけど、でも断られたらめちゃくちゃ傷ついてるなっていうのはイメージがあるね。
逆に、いけると思ったんだって私は思うけど断られるに決まってるだろそれみたいな、申し出を。なんか、ちょっと様子を見ながら断られたくなさそうだなっていう様子を見るんですけど、誘ってきて、
いやーちょっとそれはいいかなーとか言ったら、なんか、あーガーンみたいな顔してるので、えーなんか相手の背景見てないからその断るか断らないか分かんないんでしょうね多分。えーってなったりよくしますね。
相互性の欠如の原因
でまぁ、まとめではないけど、結局これら全部って悪気がないのよ。悪気全くなくて、自分がそのハッピームービー展開して生きてるってことも自覚が全くないし、
その相手の背景とか相手のこと全く認識してないから結果的に自分の欲求ぶちまけてるだけになってて、それってすごく失礼だし攻撃になり得ると思うけど、そこに自覚がないもんだから、
全く悪気がないのよね。だから普通の人が見てるといい人に見えるんだと思う。なんならなんか結構子供みたいな無邪気な感じにおそらく見えると思うんですけど、
その無邪気だからといってめちゃくちゃ攻撃してくる人って辛いじゃない?でもなんかバグるんですよね多分。そうそうそう。なんか子供がさ、無邪気にさ、
あ、なんかあれがいいかな。猫がさ嬉しそうにネズミ捕まえてきてさ、どやみたいな。お前にも俺のわけまえを与えてやんぜってなって毎回毎回ネズミ持ってきたらさ、
いやありがとうだけどネズミの死骸超やなわけじゃん。うえーみたいな。でもなんか悪気ないし言いにくいなーってなんか怒るのも違うし、でもやだけどなーみたいな感じでなんかバグるのはありませんか?
猫だったらネズミの死骸インパクト強すぎかもうちょっと弱いんだよな。わかりにくいんだよな。しかもそれがね、もう毎分毎秒って感じだからもう私は妹が近かったので毎分毎秒やられてめちゃくちゃきついしバグり始めるっていう。
なんか人間ってこんな感じなの?みたいな。人間ってすごい嫌なんだけどみたいになってったのは、なんか人に興味あるけどそれ故に他人のことよく見えるから妹の悪気の無さもわかっているし、
妹にはそれができないってこともわかってるだけに、なんか人間に期待したいのに絶対無理じゃんみたいなのが幼少期から見えてて本当にねなんか絶望だったんだよな。なんかこの世界嫌だなーみたいになるというか。
っていうのがあって私の怒りは非常に深いんですけどね。まあこの辺が相互性のない人たちの特徴かな。ちょっとイメージできたかな。もっとなんかいろいろ具体例出すと死ぬほど喋れるんですけど。
結局全部他人を認識してないっていう。そこに無自覚みたいなのに集約されてくると私は思うんですけどね。
なんでこの相互性が欠けちゃうのかっていうのをちょっと話したいです。
なんでこの人たちは他人を認識してないのかなんですけど、このね結局的に自分のことを見るのがね怖いんだと思いますな。
そう自分の認識を自分を認識するのが怖いのよね多分。コミュニケーションって相手にその相互性を持たせるっていうその相手の背景を認識したり、
相手の気持ちを察するっていうかな。察しなくてもいいんだけど、相手に気持ちがあることを知っておくことって自分に気持ちがあるから分かることじゃない?
自分はこういう時悲しい、自分はこういう時に嬉しいから、相手も当然こういう時は嬉しいかもな、こうされると悲しいかもなって思えるのって自分の認識があるからこそやっと他人にも当てられると思うんですよ。
全ては陶芸だと思うからさ。自分に気持ちがあるから他人にも当然気持ちがあるだろうなーって思うんじゃないの?って思うから、まず事故の認識が弱すぎて他人の認識ができない。
どっちかって言うとそっちの方向なんだよね。あの他人が認識できてなくて自分ばっかり認識してる人に聞こえてたかもしれないけど全然違くて、どっちも認識できてない。
自分のことも分かってないし、他人のことも分かってない。だからすごいかわいそうな人ではあるんだよね。相手を認識するには自分を認識する力がいるんだけど、それがともそもないのよ。
それ故に相互性が欠けている。相手のことはどうかなーとか、その調整していくとか、なんかめちゃくちゃな要求はしないとか、相手が受け入れやすい形で渡すとか。
で、それができないからコミュニケーションもめちゃくちゃ一方的で、その一方的に喋ってくるとか言ってずっと言ってますけど、そんな感じになる?
なんかずっと喋られたら辛いだろうなーとか、この話相手興味ないから面白くないかなーとか、そういう発想に至れなくて、自分に興味がある話、思いついたことばーってぶちまけちゃうのは、その相手目線みたいなものが圧倒的に欠けてるからなんですよね。
怖すぎるんだけどって感じですけどね。これも多分、環境要因と資質が影響してると思ってて、もともとその自己認識の弱い性質で生まれちゃって、環境的にも自分のこと認識しなくて良いとこうなりがちなんじゃないかなって気がしますね。
なんか、他人が舞台操作としてうまく機能してしまう場合、ちょっと資質ちょっとややこしいから、環境で言うけど、まあそんな一例だと思いますけど、例えば、自分が泣いてたら親がかわいそうにかわいそうにって言って、うまいこと動いてくれて、その泣いてた原因を取り除いてくれるってなると、自分をぶちまけることが成功体験にバンバン繋がっていっちゃうじゃない?
とにかく気に入らないってなったら、気に入りませんって言うのさえ言っておけば周りが何とかしてくれるんだって思ったら、自分をぶちまけることが、世界を整えていく、生きやすくする手法なんだなって学んじゃうから、こういうのとか、
あとは、安全な関係性をちゃんと軽減できてきたかみたいなね、否定されずに自分も相手もOKみたいな扱われてきたら、相互世話もしかしたら育ちやすかったかも。
相互性の学習
あとは、教会線をしっかり学習できているかみたいなところもあると思いますね。相手の都合を無視したらどういうふうになっちゃうのかっていうのを、実際に人間関係の中でちゃんとやってみて、フィードバックを受けたら、相手の境界を侵すことってこういうふうになっちゃうんだな、ダメなんだなってなって、相手って自分とは違うんだな、みたいなことを学んでいけるとか、そういう環境的な要因、
育ちとかね、関係性を人間関係はどう育んできたかみたいなところね。もう1個、ちょっとその資質についてなんだけど、もともとその個人の特性として、1個は自己認識がしやすい人かどうかみたいな、これはな、めっちゃあると思うな。
うちは娘さんがめちゃめちゃ高いんだよな。自分の感情とか自分の欲求みたいなのをちゃんと客観視できるかどうか。これできると他人にもある名がわかるから、だって娘ちゃんは2歳の時から、ママ悲しんでるみたいなのわかる人だったもんね。まだあんまり喋れてもないけど、私が悲しそうにしてると、泣かないでみたいに寄り添ってくれたりとか、ママを喜ばせたいなみたいなのとか、
なんかね、才能ありそうだなぁみたいに思ったから、ここはなんか結構特性は、もともとデフォルトで装備してあるんだなぁって思いますね。
あともう1個は、あの、共感傾向。自分、他人の立場に立ってその感覚がイメージできるか。あの人は、私は別に熱くないけど、あの人は熱いのかもしれないみたいなやつ。分離して考えられるとか。これも娘ちゃん高かったですね、すごく。
なので、もともとの素質としてありそう。もう1個は、認知の柔軟性。自分の視点が全部じゃなくて、他人の視点もあるなぁってなって、視点をいろいろ切り替えられるかどうかみたいなところも、すごく大きく作用していると思います。今、娘はどれも高いですね。
息子の場合はちょっと、もともと高くはないけど、私と妹がバチバチにこれが高いから、なんか引き上げられているような感じはすごいする。全くない人じゃないなって感じはします。
まだなんか、ただそのどっちかちょっと高天的に伸ばしてるから、めっちゃ高いわけじゃないけど問題ないレベルではあるのかなーってイメージがある。
ただこの辺は、なんか発達属性とか気質に大きく影響を受けやすいと思うので、いきなりこうスタート地点から相互性がすごい苦手だなぁみたいな人はいるのかなーっていう気がしますね。
逆になんか、私と妹で関して言うと、私はもともとそんなになんか、共感傾向とかはあんまり高くなかったんじゃないかなーって気がするね。
妹の方がなんなら結構、幼少期のエピソードとか聞いてると共感結構高かった気がする。母親の気持ちを重んぱかるようなところを発言が結構多かった気がするから、
もともとのスタートは妹の方がなんなら結構相互性高められるようなあれがあったんじゃないかなーって気がするんだけど、
ただその客観的なところでいくと妹は全然主観的で、私は結構客観的なタイプだったから、
自己認識ができる方だったとか認知の柔軟性が高かった、その視点をいっぱい持てるっていうところで、
私は多分その共感とか感情ってところはちょっとかなり筋肉弱かったけど、この客観性で伸ばしたみたいな。
あとは妹と私で、親との関わり方が全然違ったから、1番目2番目みたいなところで多分違ったから、
これがなんか反転していったのかなーって気がする。特に妹の場合は、許されがちだったんだと思うんですよね。
私は親が頼りにならないなって早々に理解したから、自分でやんなきゃと思って自立しなきゃだし、
他人を自己演出にできなかったんですね、多分。私が泣いてても親は何にもしてくれない。
なんなら怒られて危なくなるから泣いてる場合じゃないというか、自分をぶちまけてもなんともなんないってなったから客観的に様子を伺って、
じゃあどうするべきなんだろうみたいな。相手をよく理解することによって戦おうっていうサバイバルに伸ばしていくんですけど、
妹の場合は結構なんとかなったんですよね。その共感性が高かったのもあって、なんかうまいことやれた。
泣いてたら親が助けてくれて、私もまたいるもんだから、お姉ちゃんもいるもんだから、言うても年子なんですけど、
なんやかんや面倒を見てくれる、見てもらえやすい立場っていうのもあって、
面倒を見てもらうことで自分を生存させようっていう、多分戦略が変わってったんだろうなーって気がする。
これはなんかさ、うまくちょっと喋れてないけど、子供たち見てて思いますね。
新たな視点の整理
末っ子の娘ちゃんは甘えられやすい環境だなと思う。息子の話聞いてて、そういうふうに思ってんだっていうの。
なんか俺は娘ちゃんのお世話係をやらされてるぺんぺんとかいうのがあって、
あーそんな風に思ってたんだ、ごめんって言うのと同時になんかその気持ち知ってるみたいな、
私も同じこと思ってたなって思ったから、やっぱこんだけ気をつけててもやっぱそういう風になるんだなーって思うと、
妹もなんか環境で仕方なくそうなっちゃったのかなーみたいなのはちょっとありますね。
で、ちょっとまとめに入っていきたいんですけど、長くなってきたけど、私はこれをどう整理したかって言うんですけど、
今まではなんかその妹とかその相互性のない人たち、友人も含めて、
猿なのかなーとか怪獣なのかなーみたいに思ってたんだよ。
自分のことぶちまけながら生きてるから、本当になんかもうそこらへんに排泄物を散らかしているような怖さがあったの。
意味がわかんないなって思って、なんか人間じゃないと一旦してみて結構すっきりさせたんですけど、
今回そのラベルを変えてみて、そう今までは猿とか怪獣みたいな人間じゃない人外として、
私と同じではないっていうところで切り離すことで整理しようとしたんだけど、
今回そのさっきも妹の戦略、妹の資質もあって環境もあってこういうふうに延ばしたんだろうなっていう戦略として見てるっていうところもあるんですけど、
今回は徘徊老人というラベリングをしました。
徘徊老人っていう単語が乱暴であることは重々承知なんですけど、ちょっとしっくりきちゃったからこれでいきたいんだけど、
ごめんなさい、これで傷つく人がいたら本当にごめんなさいなんですけど、その人とはまた別です。
私オリジナルのラベルだと思ってください。
なんかその排泄しまくりながら歩いてるっていうのと一緒で、もう訳わかってなくて、自分の家がどこなのかわかんなくて、自分の世界で生きながらも我々の世界にいる。
急になんか裸足でその辺歩いてて、何するかわかんないなーみたいな、たぶんその徘徊老人、見たことないんだけど、見たことないけど、
もし様子のおかしいちょっと変だなみたいな人が歩いてたら、私はたぶん逃げると思うのよ。
大丈夫ですかと思うけど、もしかしたら警察に保護をしてくださいって連絡するかもしれないけど、自分から直接行くことは多分ないと思うんだよね。何があるかわかんないからね。
っていうようなラベリングをして、かなりスッキリしました。
つまりその人間ではあるけど、会話は成立しなくて、自分が食らう、攻撃されるリスクが高いっていう存在。
だからもう見たら逃げるしかないっていう存在。でも人間っていう整理をして、かなりしっくりきました。
でもう1個、さっきから何回も言っている相互性っていう単語でかなり説明がついたところがあって、
前まではなんかこれは何なんだろうなと思ってて、未熟さなのかなーみたいなのもちょっと半分思ってたんだけど、
どっちかっていうとその未熟さって言うとさ、成長しそうじゃない?その相互性のなさっていうのは、今でもさ、私が見てる人たちってみんなもう30とか超えてる大人だから、
その相互性のない未熟さって言っちゃうと、45歳になった時に、じゃあ相互性バチバチにある人間になりそうな余白があるじゃない?
ないなっていうのがよくわかって、その徘徊老人って言ってなんかちょっと人生、もう突き当たりが見えていますねみたいなのを表現しているのと同じで、
これはなんか未熟さじゃなくて、私と同じような戦略とか世界観、構造の違いだなって思って、それがめちゃくちゃ腑に落ちた。
だから修正はできないのよね。だから相手に期待しちゃダメだっていうのがすごいなんか納得できたところでした。
私がなんでこの妹に幼少期から苦しめられ絶望してきたかっていうと、期待があったからなんだよ。
同じ人間なのに、私と同じ姿形をしているのに、なんでこんなことができるんだろうっていうのがすごい辛かったのよね。
人間ってなんなんだみたいな、全然優しくないみたいな、私をめちゃくちゃ消費してくれるから、
どんなに差し出しても、なんか全然別のものとして勝手に食べられちゃって、何も返ってこないから、その相互性がないから、
なんかそれがすごい辛かったけど、それっていうのは私の期待だったんだよね。
同じ人間なんだから、当然相互性を持ち得るはずなんだから、なぜ返してくれないのか、意地悪なのか、みたいな。
でも自覚なさそう無邪気だから、なんでなんだろうってなってすごい苦しんでたけど、そこは、
徘徊老人だから、会話成り立たない奴らだからっていうところでラベリングして、かといって、
同じ地球に生きる人間ではあるんだけど、仕方ない、会話ができない、攻撃してくるかもしれないから、
てかかなり攻撃を食らう可能性が高いので、もう逃げる、相手に期待しないっていうところですごく整理をつけることができました。
まとめていくと、なんで私がこれにこんなに怒っているのかというと妹からの長年の被害が原因なんだけど、
これによってこいつら何なんだっていうのをずっと考え続けてきて、やっとかなりすっきりする視点が出せたかなっていう気がする。
この絶望が何なのかなっていうところで、自分の中で整理できたから、別にこれを他人の誰かに言ったりとかするわけでもないんですよ。
あんた徘徊老人だねとか言うわけではなくて、自分の中であれは徘徊老人系か、みたいな感じでラベリングするためにここを整理しただけです。
相互性の理解
それによって自分の認識が、あいつらは期待しちゃダメなんだなとか、そういう戦略で生きている人たちなんだって整理することで、
自分のこと守れるから、それが一番の目的でした。
もしかしたら同じような、同じこの徘徊老人系の相互性のない人たちで苦しんでいる人がいるかわからないけど、似たような謎の概念みたいな、
なんなんだこいつらみたいなところで、もし苦しんでいる人がいたら、この辺のこういうふうに整理したよっていうのが参考になるかもしれないなと思って、ちょっと今回まとめてみましたというところでした。
長くなっちゃったけど最後まで聞いてくださってありがとうございました。
これは私の中ですごく大きなテーマだったから、ちょっと整理できて嬉しかったし、引き続き線引きは多分していくし、また解像度を上げていくことがあったらまた話したいなと思います。
もし何か私はこんな人見かけましたよとか、その気持ちわかるよとか、この場合はどうですか、などなどご意見ご感想ありましたら、概要欄に投稿フォームを設けておりますので、得たいただけると嬉しいです。
では最後までご視聴くださりありがとうございました。
じゃあまた他のエピソードでお会いしましょう。またねー。