幼少期の育ちについて
私と私のひとりごと。こんにちは、misaです。今回は、子育て論、物はあっても安心安全がないと人生がサバイバルになるというお話をしていきたいと思います。
このラジオでは、願いを生きる家庭や自己一致するためのヒントをお届けしております。本日は9月の9日火曜日でございます。よろしくお付き合いください。
これは、私の幼少期の話から、今、私、子供2人おりますんで、子育てにどう消化していくのかみたいな話をしていきたいなと思うんですけど。
これね、なんか自分ではなかなか気づかなかったから、結構これ知らなかったわ、でも私もそうだわって人いらっしゃるのでは?って思ってちょっと撮ってみようかなと思ったんですけど、
なんかめちゃ簡単に言うと、そうまさに私の育った家庭は、どっちかっていうと多分裕福だったと思うので、物を与えてもらえないとか、食べるものがないとかはなかったんだけど、
振り返るとね、その安心安全ってものはあの家になかったんだなーってことに気づいて、めちゃめちゃびっくりして、なんかそんなことないと思ってたんですよ。
普通の家庭だと思ってたから、なんかでも私、なんかどっか壊れてるけど、なんでなんだろうみたいな。
心理学とか学んで、大学心理専攻だったので学んできて、やっぱ書く、一番ちっちゃい子の家庭っていうところが、なんだっけ、名前あるんだけどちょっと忘れちゃいました。
親と子供っていう一番ちっちゃい家庭の環境が一番大事なんだな、ベースになるんだなってなった時に、そんな狂ってないはずなのに、なんか変なんだけど、どう見てもなんか変なんだけど、なんでなんだろうっていうのがわかんなくて、
最近やっとわかったんですよね。そうだったんだーって思って、今自分の幼少期を見た時に、もうなんかその私が今母親っていうのもあって、当時の自分をなんか、自分っていうよりは小さな女の子として結構引きで見れるようになって、またちょっと感じ方変わったんじゃないかなって思うので、
今まさにその安心安全っていうのがよくわかんないっていう人もそうだし、昔そうでしたって人もそうだし、もしかしたら子育て中の方に対してあなたのお子さんどうかなっていうところを見てもらえたら、もしかしたらなんか気づくことがあったりするんじゃないかなと思って、ちょっとお話ししたいなというふうに思いました。
かなりなんか私からすると痛い話ではあるから、なんか冒頭からテンション若干低めではあるというか、なんかはーってなる話ではあるんだけどさ、まあちょっと言ってみましょうね。私のまずは幼少期の話からちょっと軽くさせてもらいたいんですけど、必要なものは買ってくれるんですよ、全然。
親の価値観と子供の感情
なんかその服着る服がないとかもなかったし、家も普通になんなら立派な家がありましたし、子供部屋も割と早々に与えてもらってたんだけど、でもなんか今思えば、なんか不要なものはでも買ってもらえないのよね。いらないけど、その学用品とかは全然買ってくれるし、本とかは買ってくれるんだけど、なんかね、その不要なもので言うと具体的なやつ一個思いついたのが、
なんか小学校2年生とか3年生の時とかにコンビニで売ってたネイルを買ったのよ。ネイルポリッシュを買ったけど、それが見つかって、でもなんか金額そんと300円ぐらいだったと思うんですけどね。それが見つかって、自分のお小遣いで買ったんですけど、なんかめちゃくちゃ怒られて、なんか両親二人さ、並んで、正座して、私も正座して、なんか膝つき合わせて、これはどうしたんだみたいな、まるで万引きしたかのような怒られ方よね。
で、なんか買っちゃダメだったんだなって思って、なんかガチャガチャでとったって、ガチャガチャで買ったって言って、金額も本当は300円ぐらいなのに200円とか謎の嘘ついて、でそれ、なんかああそうなのみたいな感じになって、でネイル募集されたことを思い出してさ、意味がわかんない。今思うとマジで意味がわかんなかったけど、当時の私も何がダメだったのか、なんでそんな深刻な顔してるのか、ちょっと全然わかんなかったけど、なんかそういうのダメだったのよね。
すごいそのオシャレすることとか、なんか身を着飾ることみたいなのがあんまり受け入れられてなかった気がすごいするな。これは不要と判断されてたっぽいですね。うちの親から。
ただこれについて、これもまた強烈に覚えてるのが、ちょっと飛んで、中学校3年生の時に、なんか修学旅行があって、すごくお若い先生が、なんか保健の先生とか家庭科の先生かな、お若い方、本当20代半ばとかだったんじゃないかな、めっちゃ美しい先生がいらっしゃったんですけど、
中学校3年生が修学旅行前のオリエンテーションみたいな学年全員並べてさ、話してる時に、なんかみんなオシャレに気を遣いたい時期だと思うから、なんかいろんなものを持ってきたくなると思うけど、
内容は教えたけど、ここはしていいけどこれはダメだよみたいなのを、ちょっと寄り添った話し方してくださってた時に、もう中学校3年生なんだから自分の見た目が気になるのは普通ですっておっしゃって、それがなんかすごい強烈に、あ、普通なんだって思って、なんかすっごい覚えてるんですね。その映像も覚えてます今。
それを家帰った時に母親に言ったんですよね、確か。でもいきなりそれを話したんじゃなくて、なんか文脈で必要だとか言ったんだけど、なんかこういうものが必要で、これを持っていきたいみたいな。そんなの必要ないとかなんか色気づいたこと言って、みたいなこと確か言われたから、でも先生は普通だって言ってたよって感じで言い返したのよ。
でもね、その中学校3年生になって自分の見た目が気になるとか、綺麗にしたい、見られ方が気になるっていうのは普通だって先生言ってたよみたいなことを言って、なんか自分でもすごいその言った時の爽快感みたいなのを覚えてるというか、まあ母親はだんまりだったんですけど、まあ都合が悪くなると黙るからな。黙ってたけどさ。
そっからなんかあんまりその見た目のどうのこうのに対してごちゃごちゃ言われることはなくなったなーって記憶がありますね。そんな感じで、なんか親的に不要、こんなものはいらん、この子には不要って思ったら買ってくれないから、なんか何でもかんでも買ってくれるわけではなくて、それはなんか今子育てしながら毎回すごい思い出しますね。
なんか娘がシール欲しいとか、息子がなんか絶対いらないだろうみたいなキャッチャーミッド欲しいとか、なんでキャッチャーやる気あるのかって謎だけどなんか欲しいとか言ったりなんだろう。なんか息子がガンプラとかも好きなんだけどなんか欲しいとか言って、全然よくわかんないなって思いながらもその度になんかそれ思い出しますね。
私はそういう、いらないでしょって親の謎のジャッジで買ってもらえたり買ってもらえなかったりしたなーみたいなちょっと思い出したりね。これはまあなんか自分的には些細だなと思ってるんですけど、一番でかいのは、なんかその安心安全がないってところは、心の情緒的な交流が本当になかったなーって思ってて。
なかったんだよなー。なんか親が自営業やってるのもあって、2人ともその自営で働いてるから、食卓が常に仕事の話してるんですよね。なんか晩御飯とか食事の場がミーティングみたいになってるんですよ。会議になってて。
私は喋らずに、なんかその話を聞いてご飯食べるみたいな感じがなんか印象としてすごい残ってて。まあでもなんか何々って何とかってなんか会話拾って聞いたら別に教えてくれるんですけど、でもあなたは今日どうだったのみたいなことは聞いてもらえて多分なくて、あんまりこう会話を聞いてくれる人たちではなかったなーってイメージがある。
あんま記憶にないんですけど。ないんだよなー。あとは、なんか家はお父さんの家だから、まあ父親名義の家なんでしょうね。前たちは何か居候なんだからとかよく言われてて。なんかそれも、私の居場所はここじゃないんだみたいなのを毎回毎回すり込んで、なんでそんなこと言うんだろうって感じするけどね。
どういう意図かよくわかんないけど、なんかそんなこと言ってて、なんかそういう感じ?なんか安心できないのよ、家が全然。でも振り返るとその、でもとはいえ自分の部屋があったから、基本的にそこにこう逃げ込んで、なんかそれ以外はあんまり安心じゃないから、自分の部屋に基本的にいて、なんか結界を張るように自分の部屋づくりをなんかすづくりみたいな。
感じで一生懸命やってたなーと思って、なんでそんなにこう自分の部屋にこだわってたのかなーって思うと、多分その居場所を確保するためだったんだろうなーって思ったら、わーなんかあーってなるんですけど、無意識ですけどね、当時の私は全然そんな意識はないけど、なんか、なんかね、部屋づくりをすごい頑張ってたのよ。好きなものを置くとか、インテリア変えるとか、できる範囲でですけどね、別にそんな。
部活も私、高校生までバリバリやってたから、バイトとかもしてなかったので、お金もないから、なんかできる範囲で、なんだけど、なんか親がある日勝手にカーテン買ってきて、なんかそれがすごい嫌だったり、私文句言ったらめっちゃ怒られたりとか、なんかあんた文句ばっかりだとか、せっかく買ってきてあげたのにとか言われて、でもなんかデザインもそうだし、なんか色もすごい嫌で、えーなんでそんなことするのかなと思って、えーとかあったけど、なんかそういう感じ?
でもコミュニケーションが一番大きいんだけどね、なんかでもうまく言えないな。なんか、あーでもなんか怒ったり悲しんだり、とにかく私がネガティブな感情を出すと、なんか怒られるんですよ、それは。すごい怒られる。なんか怒ったりとかすると、「うるさい!」とか、「黙っとけ!」みたいなことで、なんかとにかく、まぁ叩かれるしね、叩かれてなんか怒られるから、自分でなんとかその感情を処理しなきゃいけないんだけど、でもその処理の仕方が分からないから、そんな分かるわけないよね。
だから子供の頃は自分のその感情の波を抑圧していくっていうところばっかり頑張るようになって、あんまりこう気持ちの波を作らないように、なんか悲しいとか辛いとか、あとは腹が立つとかイライラするとかを、なんかうまく発散させられず、なんか出せないし、扱い方教えてもらえないから、無きものにするっていう方向で伸ばしていくようになってたりして、
なんかこんな感じだから、なんか親のことを全然頼れなくて、辛い時、悲しい時って、なんか私は今子供たち見てて思うけど、やっぱ一番に頼ってくれるなって思うんだけど、なんか今日悲しいことがあってねって、なんか普通に喋りかけてくれるけど、多分そんなことしたことないと思うんだよな。
親の影響と孤独感
辛い時は、まあ友達に話すけど、でも友達も別に頼りになるわけではないから、なんかずっとこう自分しかいないなみたいな感覚がずっとあって、なんかもう私のサバイブラはここから始まってるんだよな。
親が一貫して頼りにならないから、その精神的な支えを全くしてくれないから、辛い時とか、迷った時とか、悩んだ時に誰も頼れないですね。親が頼れないと、多分誰も頼れないんだと思う。親っていうのが世界のベースになっちゃうから、なんかまあロジックとしてはおかしいのかもしれないけど、多分みんなそうなんじゃないかな。
親がこうであるってことは他の人もそうみたいな。自分と他人ってまず分けた時に、親がまず他人代表してくるから、親の関わり方、親が与えてくれるものは他人も与えてくれるし、親が与えてくれないものは他人も与えてくれないんだって多分思い込むんじゃないかなって思うんだけど、
それにより私はこう、親はその、物は支援してくれるけど、精神的な支えとかフォローとか寄り添ってくれるみたいなこととか、それって全部安心とか安全に繋がると思うんですけど、
例えば不安だなってなった時に大丈夫だよとか怖いよねって一緒に言ってくれるだけですごいホッとするじゃないですか。怖いのは私だけじゃないんだなとか怖くてもいいんだなとか、そういう体験がマジでなくて、どうやってその不安と生きていくのかってなった時に、
誰もやってくれないから、一人で耐えるしかなくて、ってなるともう鈍化させていくしかないというか、強さに降っていくことにしたんでしょうね。そうでしかなくて、そこからなんか私はどうここを生き抜くかって考えたっぽいんですけど、これがまたさ、なんか振り返ると私はすごいわーってなるんだけど、
なんか本来だったら、なんかじゃあいいよってなりそうじゃない?そういう人は見たことがあんのよ。いじけちゃって、なんか折れちゃって、グレるとか飛行に走るとかさ、なんかどうせ私のことなんてわかってくれないんでしょってなって拗ねてみるとか、あと承認欲求こじらせて、こうもっと私を見て、もっと見て、もっと見てみたいな感じで、なんか飛行もそれか、飛行もそれだし、なんか承認欲求モンスターになっていくとか、
なんか外に何かを求めていて、なんか苦しんでいる人、飢餓状態から抜け出せないみたいな人見たことあるけど、私はそうはならなくて、自分で自分に供給するっていう、なんか無限サイクルを作っていくことにしたんですよね。
なんか、そうそうそう、親が私にその関心とかを与えてくれなかったと思ってるんだけど、関心が私にないなっていうのはよくわかってて、その自衛っていうのもあって、たぶん仕事がすごい大事だったんでしょうね。なんか娘の気持ちとか、娘の悲しみ苦しみとかよりも、まあ言うても学校行ってるわけだし、成績も悪くないわけだし、大丈夫でしょみたいな感じで、これはなんか見守るとかじゃなくて、放置だったんだけど、
そんなことよりも、職場の社員とか、会社がどうとか、会社がどう見られるかみたいなコミュニティーの立場とか、そういう外側が気になってる人たちだったから、なんか娘がどうのとか言うそんな余裕は多分なくて、まあ時代もあると思いますけどね。
で、なった時に、なんか頼れないって思うんだよね。親が大事にしてるものって仕事なわけだから、私にとっても大事だから、なんかこれがね、お兄ちゃんとかお姉ちゃんとかだったらまた違ったんだろうけど、仕事なわけだから嫉妬の対象とかにもならなくて、なんか絶望するんですよね。じゃあ仕方ないなみたいな、じゃあ無理だってなって、その親の家業よりも私が関心を得るなんてことは土台無理だから、
私が親に関心を持ってもらえないこと、見てもらえないことっていうのはもう世界の断りであるみたいな、そういうものなんだって思って、まあ絶望して、じゃあどうするってなった時に、なんか拗ねたり甘えたりすることもやったことないから発想に多分ないので、じゃあ私しかいないなみたいな感じになっていくんだよね。
ここはなんか自分の失策もあったと思うんですけど、ちょっと思考体力があったので、その親が、親はこういう状況で仕方ないなっていうのもなんかわかって理解できちゃって、かといってそれをまた親じゃない人に誰か甘えて、私のこと見て、私のこと見てってやることにもなんか割と虚無だなみたいなこともわかっちゃったから、そうじゃなくて自分で自分を育てるしかないなみたいな、
私しかタオリにできるやついねえじゃんみたいになって、それはなんか強力な強さなんですけど、なんか逃げないこと、自分から逃げないことをなんか自分からの関心化だから、自分で自分にきっちり関心を向けていくこと、誰かが私を見てくれない分、私が私のことをちゃんと見ていくってことになんか強力に約束して、それを軸に人生作っていくことにしたんですね、どうやら。
で、それによって私が私の成長カリキュラムを作るし、親として私が私を守ってるみたいな、ちっちゃいんですけどね、本当に今これイメージとして、小3とかの話をちょっとイメージしてますけど、私、親が私の人生見てないから、なんか本当にね、なんか何も見てないんだよな。
なんか自分で塾とかも探してきてたし、友達も自分で選んで、なんかこの子とは仲良くしないほうがいいなとか自分でやってたんだよね。なんかそういう感じ。細かいところとか細かい悩みとかも自分でなんとかしなきゃ。自分でこうどう解決していくのか先生に聞くのかとか、別の友達に行ってみるとか、いろいろこう作戦参謀も私だし、実行部隊も私だしみたいな、自分で今の計画大丈夫だったかなってチェックして修正して再度検証フェーズに入っていくみたいなPDCAガンガン回していくように、
どんどんどんどん作っていって、もちろん初めは全然不器用なんで本当に失敗も多くて、もう人間関係とかもめちゃくちゃ下手だな私と思っていたし、本当にね全然うまくできなかったんだけど、ちょっとずつさすがに自分と長く付き合っていくうちにうまくなってくんのよね。今はうまくなったなと思ってるんですけど、それはこの当時から自分でPDCA回したおかげだなと思ってるんですけど、
振り返りと感謝
こうやってちょっとでもうまくいったら、うまくできるようになったじゃないみたいな、前回よりうまかったじゃん私って自分で自分のこと褒めるのよ。で、認めてすごいすごいって。で、結果がそんなに出ないんだけど、もともと能力高くないから大した結果は出ないんだけど、でももともと大した能力がないことよくわかってるから、
何にしてはうまくできたじゃんみたいな、前回よりはうまくできたじゃんぐらいで、このちょっとした成果を褒めてあげるんですよ自分のこと。だから多分腐らずに折れたりせずに、なんか努力することを別にやめないというか、ちょっとでもましに、ちょっとでもましな私になっていくっていうような目標に、なんかすごい人になろうなんてのはとてもこんな私では目指せるわけないんだから、そんなアホみたいな高望みはせずに、
ましであるってぐらいで十分十分みたいな、所詮私なんだからみたいな、なんか自己肯定感高いのか低いのかよくわかんないけど、なんかちょっとずつちょっとずつ積み上げてここまで来たなーってすごい思うんですよね。
これはさ、別に私からするとごく常識的な話っていうかめちゃ普通なんだけど、周り見た時にあんまりこいついないなって思って、なんかその、でもずっと自分は恵まれてると思ってて、その恵まれてると思ってるのはラッキーだったなーってすげー思ってて、感謝してる。
日本に生まれたこととか割と都市部に生まれたこととか、親がそこそこ裕福だったこととか、仕事に構けて私は全然構ってもらえなかったんだけど、その分ほったらかしにしてもらったから、自分でトライアンドエラーできたから大失敗したし、これじゃダメなんだってことも身をもって知れて、
それってなんか親がよく見てたらもしかしたら止められてたかもしれないけど、とりあえずやってみて、とりあえず動いてみて、自分で思考できて、自分で決断して自分で人生を動かしてきたって自負があるから、だからそこはすごい自信につながっていったなーって思ってるので、なんかそう良かったなって何なのかね思ってたんだよね。恵まれてるなーみたいな。
信頼してくれているとも取れんことはなかったんだけど、振り返るとちょっと信頼っていうか余裕なくて見てなかっただけじゃない。たまたま私がうまくできただけじゃないって気がするから、たぶんちょっと信頼とは違うのかなって気がするんですけど、それも今の私を作る大きな素材ではあったので、良かったな、恵まれてたなーってすごい思ってて、たまたまうまくいったこともたくさんあって、進学成功したとかね、就職成功したとかそういうのも含めて、
いやついてるなーって私ってついてるってずっと思ってて、それも良いことなんだけど、なんか自分がそんなかわいそうだと思ったことなかったんだけど、こう振り返ると、なんか家庭に安心できる場所、安全が何もなかったから、なんか日々がサバイバルだったんですよね。
親から関心得られないって、子供からすると結構生存怪しいわけだから、親がちゃんと関心向けて、親に愛されてて、親が守ってくれるって思ったら、明日の命は削虐されそうなもんだけど、私にはこれがなかったから、マジで毎日めちゃ怖かったんですよね。
いつ捨てられるかわかんないって、その家はお前の家じゃないとか言われてるのもそうだよね。いつどうなるかわからないってなった時に、なんか、じゃあ自分でなんとかしなきゃみたいな、自分でちゃんと歩けるようになんなきゃみたいな、なんか強力に自立を促されて、それに自立できたから良かったんだけど、
でもそれってなんか、今さ、子供を小4章に育ててますけど、なんて可哀想なんだと思ってさ、そんな辛かった?って思って、そりゃ、なんか私が親だったらそんなこととても、なんか、親っていうかな、それを隣で見てたら、いやなんかもっとあるだろうってめっちゃ思うだろうなぁと思って、当然私はそんなことしないんだけど、
なんか、あぁ私可哀想だったんだなぁ、なんか辛かったんだなぁってやっとわかって、これ結構大きいよね。今までわかんなかったんですよね。なんか、おかしいなぁみたいな恵まれてるはずなのに、私って結構ラッキーだし、私ってついてるのに、私の人生ってそんなに大変じゃないはずなのに、だってもっと大変な人いますからね。
なのに、なんでこんな苦しいんだろう?この大きな欠乏感なんだろう?みたいな、この孤独は何なのかな?ってずっとわかんなかったけど、振り返るとね、いやそりゃ孤独であろうよと。なんか、親が私のことまるで見ていないって、そりゃあでかい孤独でしょうね。とんでもない風穴開けたまんま、ここまで来たんだなぁと。
安心安全の重要性
それでもなんか腐らず折れずに、よくやってきたよねと思って。そこの自負はすごいあるんだけど、それがなんかこう、自分を見失わずに済むでかい軸というか、なんですけど、その分なんか、その裏にある虚無みたいなのもでかいんですよね。
ずっとこう、世界には私の居場所がないっていう前提で生きているわけだから、その親がね、親が私の安心安全を作らないってことは、世界には安心安全がないってことに直結していくので、そこに気が狂わずに、なんか地道に一歩ずつこう足場固めて、今親元からはずいぶん離れてますけど、なんか、
そう、そのなんか、今まで積み上げてきたものをふと気づくことがあってさ、なんか夜子供たちが寝ちゃって、自分ももう寝ようって電気消した時とかに、あ、なんか安心できる家がある。この家は私の名義だから、なんかちゃんと明日も明後日も住める家があって、ちゃんとそれを自分で自分に準備してあげられるようになったんだなぁって。
なんかね、割と思うんだよな。よく思うんだよな。月に1回ぐらい思ってるんじゃない?
それってなんかその、ちっちゃい時の、自分じゃコントロールできない不安定さ?みたいなものにいつもヒリヒリさせられてきた証拠なんかな?とか思うと、ああ、かわいそう私!と思って。
なんか、かわいそうって言葉が合ってるかわかんないけど、まあでも今んとこかわいそうって言葉がしっくりくるけど、なんてしんどかったんであろうか?みたいなね。
子供に対して、そんな思いは絶対させたくないなと思ってて。
とか言って、この間、いくつか前のエピソードでその安心安全与えられてるって変かな?みたいなことに気づいてびっくりしたんですけど、
そうなの。こんだけ言ってるんだけど、私全然子供の安心安全守れてなくて、いや大反省なんですかね。そこから始まったんだけど、この内省は。
とはいえ、例えばさ、うちの娘は寝るの下手なんですけど、夜中にやっと寝かしつけたと思って、リビングに私はいるけど、子供がのそっと起きてきてさ、
ママ寝れないとか言って寝ろよ!みたいなこと、みんなあるんじゃないの?ときはするんですけど、
ってなったときに、うちの家だったら、うるさい寝なさい!って終わったろうけど、私もそういうときあるけど、
寝れないかーっつって、手握って、あなたはかわいいわねーってかわいいねーって生まれてきてくれてありがとうとか言って出かけないんだけど、
寝れないのにめっちゃ喋るんだけどさ、いっぱい喋って、ちょっと子供の今日の学校の話とかそこで聞いて、
え、なんかそんなことやってんだ!面白い!みたいな話とか聞けたりするんだよね、そういうなんでもないときの方が。
で、へーっつって、あなたの話面白いわって言って、もっといろんな話聞かせてねって言って、でも時間だから少々寝ようかーっつったら、
うーんとか言ってスーッて寝たりするからさ、え、何だったんだろう?みたいな。さっき寝れないとか言ってたけど、寝れんじゃん。何だったんだろう?っていつも思ってたんだけど、
なんか、今回この安心安全っていうのがキーワードに上がってきたときに、寝れないっていうのは、なんかその、眠れない不安な気持ちとか、
なんか、暗い中で一人ぼっちっていう孤独感とか、そういうことが彼女にとって、娘にとって問題だったのかなーって思って、
親の反省と内省
で、そこでなんか手握ってあげたり、かわいいねーって撫でてあげたり、スキシップとって、ちょっと話して、
なんか別に何をするでもないんだけど、なんか安心して寝れたのかなーって思ったら、
そっか、安心安全ってすごい大事なことなんだ。なんかその屋根があることだけじゃなくて、
なんか不安だなって思った時に、不安だねーって寄り添ってくれる人が世界にいるってことが、
なんか屋根があるのと同じぐらい大事なんだ。そんでもってそれ私持ってなかったんだって思うと、はぁーみたいなね。
これは結構ありますね。なんか忙しいとさ、もうなんかロンリーで会したくなるんだけど、
もうそんなこと言ったってやるしかないじゃんみたいなこととかさ、学校行きたくないとか見た時とかさ、あるけど、
まあ行きたくないかーみたいな、そんな時もあるよねー、ママもあるよーとか言ってちょっと話したり、
まあとりあえず行くだけ行って、ダメだったら帰っておいでよって別に、それでもちょっと朝会議あるから、
それだけはちょっと入りつけできないから、ごめんけどここまでは行ってほしいんだよねーって言って、
行きたくない気持ちは全然いいんだけど、ちょっと私はここまでしか無理かも、ごめんけどーみたいな話とか、
そういう、どうだったかな、私がどうだったかちょっと覚えてないけど、なんかその、
気持ちに寄り添っていくようなアプローチをちゃんとしていって、意識的に寄りやろうって思いましたね、今回の踏まえて。
なんか私がしてもらえてないからこそ、なんか反射的に出る反応が多分親とそっくりなんだよな。
これは怖いなと思って、だって無意識に私が感じてたでかい孤独を与えちゃうかもしれないから、
もう意識的にアンってなった時に、ちょっと待てよってちょっと引きで見て、反射で反応せずに、
なんかどういう言葉を私だったらかけて欲しいだろうとかをちょっとずつ、その安心をキーワードにね、やっていくようにしましたね。
ほんとここ最近ね。なんせね、できないのよ。そんな天然でできない。
だって今まで私感情を全カットして生きてきたから、感情なんてものは邪魔でしかないからさ、こんな、
そんな安心満々もないところでさ、怖いな怖いなとか何もできないから、怖くないっつって自分にさ、
めちゃくちゃなんかこう抑えつけて、感情っていうものを認識せずに、いかにこう合理的に判断していくかみたいなのばか鍛えてきちゃったから、
なんか子供のちょっとした怖いとか、ちょっとした不安とかも合理で解決しそうになるんですけど、今までのテンションでいくと。
まあ今回のことを思い出して、ああそれがすごい恐ろしくて、こんなところまで、
なんかでかい穴開けて生きてきたんじゃん、私とか思うとそんなこと絶対させたくないから、あえてこうちょっと立ち止まって、
待て待てと、これで合ってんのか?みたいなのをいちいち考えて、負荷は高いんですけど、私の負荷は。
それでもまあこうやってやっていくうちにちょっとずつ慣れていくかもなぁと思って。
でもって私の未熟さも仕方ないから、できないんだから、知らなかったんだから仕方ないので、
子供たちにも不安になってないかとか、安心感じられてるかなというのは定期的にチェックして、
子供たちとの関係構築
どう思ってる?ってちゃんと向き合っていくことを頑張ろうかなと思っておりますね。
うまくいってるとは全然思わないし、なんかそもそも別にこんな状態でいい親になれるんかという気もしますけれども、
できることしかできないから、いつもの通り私にしては上出来と思いながら、
できることを増やして、子供たちのフィードバック、生のフィードバック聞いて、
じゃあこうしようって具体策立ててっていう、そのPDCAマースは得意ですからやって、
ちょっとでもマシな環境を子供たちに与えて、
私よりなんかちょっと高げた履かせた状態で社会にリリースできるといいなぁとか思って、
育てをしておりますね。結局、どこにああってなるかわからないんですけど、
もし私の幼少期の話にピンとくるというか、私もそうだったなぁみたいな、
はぁーってなった方がいらっしゃったら、なんかあれなんですけど、
結局この孤独は消えないなと思ってて、絶望だけど、
だって親から関心を得られることはもう多分一生ないし、
親から欲しかった安心も安全も多分得られないから、
期待できない人たちだから、できてらやってると思うしね。
欲しかったのはあの時の私に対してだしね。
こうやって自分で、自分の子供時代思い出して、
自分が母親の立場から見るというか、
なんてかわいそうにみたいな、なんて気の毒なって思って、
辛かったなぁ、そんなのは辛いよねって寄り添いつつも、
それでもこの孤独って別に消えないのかなと思い出してさ、
だから多分一生一緒に生きていくんだろうなぁって気がしますね。
ちっちゃい時に安心できる場所、安全な場所が私にはなかったっていう、
その世界に私に、世界に居場所がないっていう、
でかい孤独、虚無感、絶望感は多分ずっと持っていかなきゃいけないものだと思われるので、
それに気づいたことってもしかしたら絶望するかもしれないけど、
仕方ないねと思いながらも、その孤独とどう生きていくかっていうのが、
課題っていうかな、そういうふうに目を向けた方がいいのかなって思う。
ぶっ潰そうとか、なんとかなくそうみたいな方向は多分無理だからやらずに、
こうやってちょっとずつ子供たちが安心して寝る顔とか見た時に、
私は多分ちょっと満たされるんですよね。
あの時の孤独を子供たちは感じずに済んでいるっていうのが見れた時に、
多分ちょっとだけ楽になったり、逆にこれを子供にやると子供が返してくれるんだよね。
これマジで思うけど、特に娘ちゃんはセンスの塊だからだけど、やってくれて、
私が子供の不安を解消してあげるのがうまくできた時は、
子供、特に娘はそのやり方を覚えてて、ちょっと下手なりに身を見真似でやってくれるんですよ。
で、わかるのね、見てたら。
あ、あの時やったこと返してくれてるみたいな、
同じやり方をママがやってくれて、私は安心したからママにもしてあげようみたいな感じで、
本当純粋にやってくれたりして、
そうやって私は自分で、結果的に自分で自分を癒すみたいなことがあるのかなーって気がします。
娘さんだからかな、あの人だからかもしんないけどな。
息子はちょっとそういうのないんだけど、
息子はちょっとね、そもそもその孤独の扱い方というか、あんまり外に出すのが苦手だから、
なんか言葉にしてとかいう感じじゃないので、
なんか思いっきり外一緒に走ったり運動したりキャッチボールとかして息抜きしてるタイプなので、
孤独に寄り添う方法が私とどうやら違うけど、娘ちゃんの場合は結構近いので、
そうやってこう彼女の孤独を癒していく、彼女の不安を少しでも和らげていくことが、
多分結果的に私の孤独を少し癒すことになるんだけど、
とはいえこれを子供にやらせるのは絶対コクだと思うのよ。
孤独と居場所
だから娘を当てにしようとはマジ全く思ってなくて、
できれば自分でその孤独を癒していけたらなぁと思うが、
なんか無くなんねーなって思うとさ、あんま焦んないので、
まぁ世界に居場所はないかもしんないけど、
ちょっとずつその今の家が私名義だとかもさ、噛み締めてるように、
ちょっとずつそんなことないかもなーぐらいになってて、
気づけばちゃんと居場所はある、よかったーって思えるかもしんないし、
とはいえ孤独だよねってなるかもしんないんだけど、
なんかあんまり焦らず気長にこいつと付き合っていこうかなーというのが現在の心境ですね。
ちょっと子育ての話と自分の話と混ぜちゃったから、
よりややこしくなった。こういうのをさ、テーマ分割しろよって自分で思うんだけど、
下手だよね。もうちょっと最近精査しなくていいやってなってきてパーって撮っちゃいましたけど、
ちょっと引っ越しもありましてバタバタしますんで、
ラジオのテーマがブレブレなんですけれども、
最後に聞いてくださってありがとうございました。
よかったら感想や、
えー何でしょう、感想かな、とかご自身どうだったよーとか聞かせていただけると嬉しいです。
コメントやレターもお待ちしております。
概要欄に投稿フォームを置いておりますので、よかったらお便りください。
では他のエピソードでもお会いしましょう。またねー。