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皆様、今日の調子はいかがですか?
私たちは人間になろうとしているパーソナリティのみぃです。
この番組では、40代頃から迎えると言われているミッドエイジクライシス、中年の危機真っ只中の私が日々思ったこと、体験したことを一つのケースとして皆様にお伝えする番組です。
リアルな40代女性の頭と心の中を覗いていってください。
イエーイ!
今週がそろそろ終わりまーす。
今週はですねー、なんか忙しかったですねー。
まだちょっとね、忙しい。
えーとね、いや4月、4月だから、皆ね忙しいんですよ。もう世界中の人が忙しい。
えー、その中で私も多分に漏れず忙しい、週でしたー。
なんかね、20代の頃とか30代、特にね、なんかちょっと生きがてた30代前半ぐらいって、
なんか忙しいことが楽しいみたいな時もあったし、
なんならだよ、今思えば忙しさを自分で作ってたな、みたいなね。
忙しい自分に酔ってたな、みたいな時もあったんだけど、
もう今は本当に無理だね。
もうねー、あのー、体力がないの。
できる限り忙しくない方がいい。
でもまあ、しょうがないね。しょうがない時はしょうがないことあんまり考えないので、
まあどうにか。
はい、乗り切り。
絶対に乗り切れる。
うん、乗り切れるのかなー。
まあ乗り切ります。
で、えーとー、
なんかね、ただ忙しいだけないんですけど、ちょっと今週は、
私の苦手とするものの予定が多かったのと、
えー、私の非常に苦手な、同じこと言ってますね。
はい、まあとにかく苦手なことが多くて、
まだね、あのー、ちょっと苦手なことが、
いくつか明日残ってるんで、それが終われば、
えーと、苦手なことは、苦手なことからは解放されて、
えー、でもね、来週末?ゴールデンウィークに入るまでは、
ちょっとね、まだバタバタしておるんですけれども、
あ、そんな感じです。
はい、でね、今日はねー、
自分のね、苦手意識というものを、ちょっと考えてみようかなって思いました。
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今まさに苦手なことをやっているので、
苦手意識とは、ということについてですね、
あの、思いをめぐらせてみたという感じなので、
ちょっとそれをお話ししたいなと思います。
はーい、さてさて、話していきたいと思います。
はい、えーと、
まあね、ちょっとほら、変なテンションなんですよ。
忙しいとそういうときない?私はあるんですけどね。
えーと、今日はね、その自分の苦手、
自分というか、苦手意識について考えよう、みたいな話です。
でね、私は、
まあ、苦手なものを山ほどいっぱいありますけれども、
特に、あの、自分が苦手だなと認識しているものの一つとしてですね、
とても大きな苦手意識というのは、集団、人間の集団が苦手です。
はい、で、
私はですね、あまり人見知りはしないタイプでして、
人見知りというのがあまりよくわからないので、
人見知りはしないんですよ。
で、まあ、あまり物応じもするっていう感じでもないなーって感じなんで、
結構こう、私と接してくれる人が、
私が集団が苦手っていうのも、そんなはずないって思う方もいらっしゃるようなんですけれども、
結構苦手なんですね。
私はですね、あの、人間っていうものには、自分を含めて非常に興味があって、
人間が好き?とか、そういうことよりも、興味があるというのが多分一番しっくりくる言い方で、
人間一人一人にですね、本当に非常に興味があって、
あの、なぜなんだろう?なぜなんだろう?っていうね、
ので、すごい興味を持って、興味深く一つ一つのこと観察したりとか、
してしまうんですけれども、で、それがね、なんか楽しくて好きなんで、
それはいいんですよ。
だから一人の人間でなると、
なんかちょっと、うわ、嫌だなぁとか思ったり、え?とか思う人もいるんだけど、
あの、
まあ時間と心に余裕があれば、結構それも楽しめる、みたいな感じで、
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まあその人間というものに興味があるっていうね、
ことで楽しめる、そして積極的に楽しんでいるんですけれども、
なんか集団になるとね、急に興味ないんですよ。
なんか集団ってなるとね、なんかこう、
なんつうの?
なんかこう、平面に見えちゃうんだよね、私が。
で、なんかね、その集団って、
わかんない、なんか多分すごく成熟している集団とかだと、
その子の、一人一人の人間というもののキャラクターが、
こう、つぶだっているような集団なのかもしれないけど、
なんか私が見てきた、私が知っている多くの場合、
その集団になると、一人一人はつぶだっているのに、
集団になると急に平面、みたいなね、
うん、なんか、そういう感覚があって、
なんか集団になると何をしでかすかわからない、みたいな、
ちょっと言い方変だけど、でも一人一人の人間として見れると、
何もないっていうか、そうなんだっていうだけのことが、
なんかね、集団ってなるとね、
冷静じゃない、みたいなね、
どんな集団って感じだけど、でもなんか、
まあとにかくその集団が苦手なんですよね、私は、
で、もちろん私もその集団の中に、
あの、入る時と、入らなきゃいけない時と、
入っている、すでに入っちゃってる時っていうのはありますけど、
なんかね、集団の中にいるのも結構苦手で、
もう消えてなくなりたくなるんですよね、
なんで私結構一人プレイヤー、仕事も基本的にプレイヤーが大好きだし、
あのできる限りプレイヤーの立場を支酬しようとするね、
ダメな大人なんですけどね、
そんな私が、あの、去年かな、去年ぐらいから、
あの、集団というかその、集団、人間の集団と、
絵の苦手意識を克服したいなと思うようになりました。
まあそれは、なんかこの番組でも伝えているように、
自分を自由にしたいっていうことの一つでもあって、
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私がその、
まあこの40過ぎてですね、あのミッドエイジクライシスを迎えて、
今までは、
ホルモンもさ、潤沢に出ていたし、
ピチピチの女子だったわけなんですけれども、
だから無意識的に私は女性というアイデンティティを持って生きてきたのに、
急にね、高年期などを迎えて、急激にそのホルモンが、もう、
なんて表現したらいいかな、
こけていくじゃなくて、もう、ボロボロこぼれていくみたいな感じで、
女性ホルモンがどんどんなくなっていくことで、
なんか私は女性ではなく人間になってきてるっていう感覚を持っているんですね。
で、もう全く本当に別のものに脱皮するような感覚ぐらい違うので、私は。
なので、なんていうのかな、
この期間、うまく、うまくって言うんじゃないんだけど、この脱皮期間を、
って言うんですかね、自分がしっくりくるやり方で脱皮したいみたいな気持ちがあって、
まあこういうポッドキャストを始めたり、いろいろ考えたりとかしてるんですけども、
まあ自分が人間として人間になっていくみたいな、
中で、自分がまあこれからやりたいことってこんなことだっていうのをまあ考えて、それに向けて今、
やりたいくもないけど、やるべきことをやるぞ、みたいなことをまあやってるっていう感じなんですけど、
あの、
いつかというか、まあ私が何かできることで、
まあ世の中に何か役につっこい、
つっこい、もう新卒かよ、みたいなこと言いますけど、世の中の役に立ちたいなって思っていて、
でもそれって、
あの、私はその社会構造の仕組みとか福祉とかそういう領域に近いところで、
その領域まんまっていうのはちょっとわかんないけど、近いところでそういうことをしたいなと思ってるんですけど、
なんか、そういうことってたった一人じゃ無理だなって、
当たり前だけど思って、
自分はすごいプレイヤーとして、まあ頑張ってきちゃったし、
そういう意味ではその集団とか、小学校とかね中学校とかで、まあ元だったら、
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習得できている社会行動みたいなね、そういうものから逃げまくってきちゃったんで、
このままだと自分の貢献したいと思っている領域の貢献って絶対できないって思ったんですよ。
その時に、そのまあ目標というか方向性を叶えていくために、
自分の持っている苦手意識が邪魔をして、叶わないという不自由さをすごい感じて、
私はこの領域の苦手意識を手放していきたいなっていうふうに、
まあ去年思ったって感じなんですよね。
今週何があったかというと、今週はね、まあ何があったって言うとそんなびっくりするようなことは何もないんですけど、
今週はですね、あのまあ今週というか日曜日に、
キャリアコンサルタントの活動の一環で、新しいちょっとこうコミュニティのイベントの感じをやらせていただくことになって、
まあそれの企画会議みたいなのに、初めましての人たちと会って話すみたいな会があったりとか、
あとはまあ今やってる仕事のクライアントの会食をですよね、接待と言ってももう過言ではない、
まあそういう飲み会に参加させていただいたり、あとねこれがね結構でかかったね、
ちょっと人事をやっているんですけども、人事ってどうしてもこう法改正だったりとか、
まあいろんなテクノロジーを使った システムの情報とかキャッチアップとかね、
なんかいろんな勉強会っていうのが割とあって、 そういうのもやっぱりその集団が苦手すぎてずっとこう
苦手意識がすごいあったんですけど、 まあ
成せば成る、何事もぐらいの気持ちでですね、 謎にしかも結構チャラいよねー
よく考えたらわかるよねーみたいな、 ちょっとチャラめのやつとかに申し込んじゃったっていうか、
申し込んじゃったっていうか流れちゃったっていうか、 申し込んでまあ行ったりして、
そして今という感じなんですね。
まあその、私にしては珍しく1週間の間に 3つの
新しい人たちとの交流会みたいなものにね、 参加したわけなんですけれども。
まああの結論ね、 苦手は苦手だなってやっぱ思います。
はい ただ
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過剰な苦手意識を持って望むほどのことでもないなっていうふうには、 今は思ったって感じです。
なんでまあこれは訓練というか、
まあちょっと後半話したいなと思うんだけど、 徐々に克服できる可能性っていうのは見えたかなと思ってます。
ただまだまだ全然ね、過剰な体力を使うので、 燃費の悪いものだなって感じはしてます。
で、なんでじゃあこの苦手意識をね、持ってるのかなーっていうと、
まあ以前もちょっとちらりとお話したんですけれども、
まああのね、正直ちょっと私にとっては、 もはやもう今は大したことでもないんで全然さらりと言うんですが、
私はあの本当に幼少期から基本的に一人でいたい子だったんですよ。
なんでまあ今思えば結構自閉的な性質の子供だったかなっていう感じで、
なんでちょっとあんまりね、友達と遊んだみたいな記憶とか思い出もあんまないんですよ。
あったと思うんですよね、もちろん。 だけど記憶に残ってないぐらい本当にインパクトなかったんですよ。
で、一番その友達というか集団っていうことを考えた時に思い出す記憶で言うと、
私は小学校の5年生ぐらいの時に、よくあるそのクラスのボス的女子みたいなの。
ここになんか嫌われちゃって、ある日ね、朝学校に行ったらクラスの誰もが私と話してくれないみたいな、
集団無視に該当してしまいまして、
まあちょっと子供の時のことなんで、あんまり明確にその期間とかは覚えてないんだけど、
なんかね、それがある日朝突然始まったんですよ。 朝なんか、
トイレにね、 私以外の子が一人一人トイレに呼び出されて、
で帰ってくるとなんか急に私におそおそしくなるみたいな、 その日からね多分
1週間とか2週間ぐらい誰も話してくれないみたいな時期がありました。
で、なんか、
それまではその日まですごい仲良くしてた女の子が一人いて、
帰り道も一緒に帰ってたんだけど、
その集団無視が始まって何日か経った時に、その子がこっそり私の家のそばまで来てくれて、
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実はなんとかちゃんが、私と話したらいじめるみたいなことをみんなに言って、
私と話さないようにしろって言ってるんだよねっていうのを教えてくれたんですね。
私は、その子は私と話すことは嫌じゃないんだけど、
話すと自分がいじめられちゃうっていうふうに、
だからどうしていいかわかんなくて、私と話せないんだっていう話をしてくれたんですよ。
その時に、そうなんだと思って、でも私とこうやって話してることが、その子の身の危険になるんだったら、
そんな危険を犯してまで話さなくていいよって話をして、
だからその命令が取り下げられるまで話さなくても私は大丈夫って伝えて、
その子もごめんねありがとうって言って家に帰ってったっていうのは覚えてるんですね。
その時本当にそう思ったし、でもその話聞いて、子供の頃にすごい腹立ってました。
なんじゃその理不尽さみたいなね、理由もわかんなかったし。
でもなんか、よく考えたら、まあもちろん私もね、その嫌な小学生だったんだと思いますよ。
その時の自分客観視できないから、どう嫌な小学生だったのかはちょっとわかんないけどね。
でもなんか嫌な小学生だったんでしょうね。
でもあの、子供ながらにやっぱ思ってたのは、
そのいじめを食わ立てた2人はね、
まあこういうことどうなんだろうね、こういう番組で言うことじゃないのかもしれないけど、
でもちょっとやっぱりね、寂しさを感じてしまうような環境にいた子たちなんですよ、正直。
それはなんか子供ながら大人の風邪の噂で聞いたりとかはしてて、
だからなんとなくね、理不尽さを感じながらも、でもなんか嫌なことあったんだろうなぁみたいな感じぐらいに、
まあ捉えてたって感じです。 だからね、なんか今思うと、その集団に対する苦手意識っていうのもね、
冒頭で話したように、私は一人一人の人間には興味があるんだけどね、
なんか集団になった時に、その人、もちろんさ、見てるだけじゃその人の360度の多面体であるものはもちろんわかんないんだけど、
でもなんかどんな人でも、私の時間と心に余裕さえあれば、
その人の良いところだったり魅力っていうものをやっぱり感じたいんだよね、自分がね。
なんだけど、なんかその感じているもの、この人の良さとか魅力とかね、
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感じているのに、なんか集団に入ると、みんなスイッチ変わるやん。
なんか、なんか集団の力ってあるでしょ?もうこれはさ、リーダーのカラーとかそういうのも組織論的にあるけど、
そうじゃなくて、集団になった時に発生するエネルギーっていうのが、
私が現体験で持っているものがあんまり良いものじゃないんだろうね。
なので、私はこの集団としての集団っていうふうに見れないんだなーっていうのは、
なんとなく、まあその、現体験から思うんですよ。
現体験って言い方も人事っぽくてほんと嫌だなって思ったけど、でもまあ多分ね、わかりやすく言うとそういうインパクトで、
その集団に対するこうネガティブさっていうのを私は感じてんだろうなぁみたいなのはある。
あとね、あのー、これ結構会食、まあなんかさ、
仕事の会食接待ってなると、私はもう変なスイッチ入っちゃうんで、もうそういう人間になるんですよ。
もう全然行きたくないんだけど、帰ってもマリオやりたいとか思ってんだけど、
なんか、なんて言うの?
よし来た!行きましょう!みたいなね、そういうなんか自分の中のキャラクターを作って、
まあその時間どうせなら楽しもうみたいな感じになるんですけど、
それはね、なんかもういいんだよね。その場が平和だし、あと正直まあ、お客さんだしね。
楽しいし、あのー、楽しくもなれるし、
私の知らないお話とかもたくさん聞かせてもらえるんで、それは楽しいことがあるんですけど、
なんか例えばそのキャリアコンサルタントの皆さんと初めてお話しするみたいな時も、
やっぱりね、お話を聞いたら皆さんやっぱり緊張されてたっていうことを聞いて、
ああ私だけじゃないんだなっていう安心感を感じられたりとかはすごいしたんだけど、
なんかね、ちょっと自分が、ああこういう風になるから集団の中に自分が入るのも苦手なんだなって思ったのは、
なんかすごく自分がその集団の中から弾かれないように、
あのー、っていうか自分が許容できる自分でいられなくなっちゃうっていう瞬間がある時があるんですよね。
それがね、なんかもう自分が嫌なんですよね。
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っていうのは、あの、なんていうの、
まあその情けなくてカッコ悪い、自分が目指してない自分の要素ってもちろんあるんだけど、
それが露呈するのがすごい嫌な気持ちなんですよ。
具体的に言うと、
例えばその集団の中で共通に知っている人に対して誰かがネガティブな意見を言ったとする。
私は実はその人が、その人に対して感じているネガティブさを意外と好意的に受け止めていたんですよ、本当は。
なんだけど、なんかその場の流れで、
ちょっとその人のネガティブさを批判するっていう方向性の方がまとまりが良いみたいなね、
あの感じで受け取った自分が、確かにそういうネガティブさも感じるね、みたいな同意をしている自分をね、見た時に、
うわー、かっこ悪いーって、あと情けないーって、もう瞬時になるんだよね。
でもね、ずーっとそれ引きずっちゃって、ちょっとそれは旦那に悪いことをしましたけど、
ちょっとね、ほんと1日ぐらいね、うわーってなっちゃって、なんで私ってああいう風になっちゃうんだろうなっていうね。
それはなぜなってしまうかって言うと、もうその場の環境で、自分の身が危なくないようにしてるわけなんだろうなって思うんですよ。
その、今こういう方向の意見にまとまっとければ、害がないっていう判断のもとに、
いや、私はそう思わないよっていう一言を言うことを恐れて、それを言うことで自分の身が危なくなるみたいな捉え方をして、
ゲゴしちゃうっていう、そういう自分になっちゃうっていうのも、その集団に入りたくない、集団に対して、
まあネガティブな印象を持ってるからだよね。持ってるからそうなってしまうっていうね。
自分も正直言って、まあそれもあってちょっと集団に対する苦手意識あるんだなっていう風に、なんか思いましたね。
まあでもそれは、やっぱり私は優しい人間になりたいって、まあちょっとヒコロから思ってるから、
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やっぱり強くないとね、優しくいられないなっていうのと、
まあその自分の身を守るっていうことの優先順位が高くなってしまうと、
自分の生きたいように、その在り方としてね、生きたいように生きられないなっていうのを、
まあちょうど本当にそのね、あの会合の時に、
なんか久しぶりに痛感して、まあなんでちょっとXとかでももっと強くならなきゃダメだなって、
まあちょっとつぶやいたりはしたっていう感じなんですけど、
なんでまあその集団というものに対する苦手意識というか、まあ多分安心?
まあ多分そんなのみんなもね、初めましての人の中で安心を感じるなんて難しいことだと思うけど、
まあ過去の記憶を引っ張り出してきて、集団というのは怖いものだとか、
迎合しておかなければ危ないとかね、なんかそんなものを私が多分色眼鏡で見ているんだと思うんですよね。
で、そこで自分のこう、
その場所で自分らしく、本当にありたい自分の姿でいられないっていうようなことが起きてしまってるっていうのも、
だから、まあそれがわかるからその場に行きたくない?みたいなことがあるんだろうなぁなんていうのは、
ちょっと考えたりしました。
あとはね、あのもう一つ感じたのがあって、
ちょっとさっきも言ったんだけど、ちょっとチャラめなね、あの社交の場に、まあ結果として行っちゃった時は、もうね、
なんていうのかな、ほんとチャラかったんですよ。みんなお酒片手にウェイみたいな感じで、で私ちょっとそういうの苦手でして、
で、なんかもうちょっと良いところだけ聞いたら早めに祖族さんと帰ろうと思って、
あの会場の出口付近に下がった時に、
なんか、え、なんか一人で来てんの?みたいな感じで声かけられて、
その瞬間にこう、発狂しそうになりましたね。マジで無理ー!みたいな感じで、本当に。
それはもうね、知らないなと思った。もう集団の全てを、
自分はマッチさせられないと思って、距離感がね、もうちょっと離れてたら全然楽しいんだと思うんだけど、
そうやってこう来られちゃうと、もう無理ー!ってなって、なんで、
集団が苦手?でその苦手意識を克服したいなって思っても、
その中でも自分の得手不得手とか好みとかは、まああるよね!みたいなのも、なんか一つ学んだので、
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まあ自分の環境を選ぶという意味でもね、あの自分がちょっと許容してないとか、
あ、ちょっとそれはもう肌感的にとか、もうなんか本能的にとか、セリ的に、みたいなところとは別にもう、
集団を生んぬんとかじゃなくて、行ったぞ!はい、まあいいかな、みたいに思いました。もうね、だからそうなの。
そういうことについては苦手意識もクソもないんですよ。そうなるとね、結局そこに課題がないってことになるんだなと思って。
いつかもしかしたらね、私がちょっとこうチャラい、チャラいっていうか、チャラいちょっとウェイウェイ系の、もうそれは年齢関係なくね、
あのウェイウェイ系の人とどうにか交流できるようになりたいとかってね、なんか思うようになったら、
まあそれはその時なんでしょうけど、多分ないと思ったから、あの種類はちょっと去っておきなんですよ。もうそれが良し悪しじゃなくて、私の好みの問題なんでね。
そう、そういうまあ、自分の好みっていうのはあってもいいなって思いました。
今日ね、ちょっと長くなっちゃった。長くなっちゃいそうな話だけどさ、なっちゃいました。ごめんなさい。
という感じで、えーと、今度はまとめていきたいとおもいます。
苦手っていうね、苦手意識について今日話してきたんですけれども、まあね、ちょっとうまく言えたかどうかわからないんですが、
かつ今からまとめようと思うんだけど、うまく言えるかちょっと難しいけど、ちょっと頑張っていってみようかなと思います。
なんかね、その集団の中に入った時に、ああ無理ってね、思った時の自分っていうのを、時間が経ってから客観視するとね、なんかやっぱり、
今日の話の中でわかりやすい例えとして言うと、やっぱりいじめられてた自分のままなんですよね。
なんかね、無理ってなる瞬間に、やっぱ小学校だった時の自分に戻ってるなっていうのを、なんか感じましたね。
でも一方でね、あのー、頑張ろうって、あの思っている今の私っていうのもいて、
で、そこがすごく乖離している状態なんだけど、
で、たぶん一昨年ぐらいまではその乖離状態のまま、あまりにも乖離してたから、なんていうか、
和解できないというか、その課題を克服しにいけなかったんですけど、
今はね、なんかその2人の利害が一致しているような感覚なんですね。
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たぶんその小学校の時の無理ってなってる私が、その集団とかに対して、
最近してきたこととか悲しいこととか理不尽だったことっていうのを、
なんか慰めてほしいとか、私は被害者だったみたいなフェーズが、
もちろんすごい長い期間あったんですよ、だけど、
なんかその、慰めてっていうフェーズが、
まぁちょっと前に終わって、
で、それが終わったら、その記憶を、
なんていうか、消化させていきたい。
消化じゃなくて、消化ね。
あの、登る穴と書いて。
消化させて、嫌な記憶だけにしてないというか、
というかですね、その体験に、
あ、だからこういう体験が必要だったんだなっていう、
納得感というのが今はあって、
なのでその悲しい記憶ではもはやないんですね。
まぁそれはだいぶ前から。
だけど、なんかその、
まぁちょっといい言い方が思いつかないんだけど、
だけど消化させていきたいっていうものが、
まぁだから変身だよね、なんか、
すごい変な言い方で怒られちゃうかもしれないけど、
例えばその、
仏像、仏像だけど、なんかさ、
なんて言ったらいいんだろう、その菩薩が、
菩薩になっていくみたいな、
修行僧が菩薩になっていくみたいな感覚ぐらいの、
消化っていうものを、
したいと思っているんだと思うんですよね。
多分私は。
で、あの、
一方で頑張ろうって言ってる、
まぁ大人の私も、
未来を見てるから、
その二人の、
なんていう、願いが一致したから、
今はその課題を乗り越えていこうっていうふうに、
思えてるって感じなんだなって思いました。
なので、苦手意識っていうのは、
まぁこれは多分心理学的にも言われる、
何も体験がなかったら起こらないこと。
例えばさ、
あの、生まれたばっかりの赤ちゃんが、
谷底に向かってハイハイしていかないっていう、
ことが言われていて、
それはもうDNAに組み込まれた記憶が、
あの風景は危ねえぞ、
みたいなのを赤ちゃんも知ってる、
みたいな感じのことがあるよっていうのを、
話を聞いたことあるんだけど、
そういうもうDNAに組み込まれてるレベルの、
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ものじゃなければだよ。
あの、記憶がなければ、
苦手意識も何もないはずなんですよ、
本当は。
なんだけど、
もし現時点で苦手意識を持ってるんだったら、
それは苦手を引き起こす記憶、
体験があったってことなんですよね。
でもその体験も記憶も、
どこかで折り合いがつけば、
なくなっていくもので、
それが未来の自分の目的と、
あ、これがちょっと障壁になってるなって思ったら、
苦手意識を解消しようっていう、
欲が生まれるものなんじゃないかなっていうのを、
最近なんか体験として思ってます。
えー、苦手意識はさ、
別にずっとそのままでもいいじゃん?
あの、乗り越えなくてもいいんだしね。
そもそも自分を守ってくれてる、
守るためにあるものだと思うので、
なので全然その、
やるべきことでもないって私は思うんだけど、
でもなんか逆に言うと苦手意識があればあるほど、
克服する、
まあ挑戦するとかのチャンスにもなるとも思うので、
まあ私は今回ね、
なぜこう苦手なものに取り組もうとするのかな、
私っていうことを、
ちょっと自分でもわかんなかったんで、
考えてみたって感じに、
まあオチとしてはなっちゃったんですけど、
まあそんな感じで、
苦手と向き合ってみたよーっていう感じです。
なんかね、もうちょっと深く話せるような気もするけど、
ちょっと今の自分の実力ではここが限界だなと思いました。
で、あとね、
本当にこの場を借りてすごい感謝してることがあって、
感謝をお伝えしたいなって思うのが、
あのー、
自分以外の人間の存在に感謝だなと思います。
これだけ集団が苦手と言っときながらなんだよって感じなんだけど、
やっぱり私以外の人たちがいてくれないと、
自分っていうものを知れないし、
教えてもらえないなっていうことを、
本当に日々思ってるっていうのと、
あとね、最近その本当にポッドキャスト始めて、
ギチカンの界隈だったりとか、
多分もうその界隈なんだけど、
Xで繋がってオープンチャットとかで色々情報もらったりとか、
オンラインの知り合いが、
まだねすごくいっぱいいらっしゃる方に比較したら、
少ないものなんだけれども、
でも私にとってはね、
自分の人生でこんなにオンラインで、
オンラインに知ってる人がいるっていうことになるなんて思ってもみなかったので、
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そしてその人たちがとてもね、
優しい場を作ってくれていて、
とてもそこで、
というか自分の挑戦もできるし、
癒されるというか、
優しい人たちと繋がることができて、
とても嬉しいなと思っているし、
本当に本当にその体験がなかったら、
現実世界で、
なんていうの、社交の場に行ってみようっていうアクションを、
埋めなかったかもしれないなとも思っています。
なのでオンライン上でも、
あのこうやって、
まあそのいいねとか押してくれるとかも含めて、
なんかすごく良い学校場に参加させてもらって、
人とのコミュニケーションに励まされている自分がいるなっていうのを、
日々思っていますので、
この場を借りて、
お礼を申し上げたいと思いました。
皆さんの優しさでですね、
実はオンラインの先に、
日々のリアルな生活でですね、
励まされて、挑戦などをできている人間がおります。
本当にありがとうございます。
いやもうね、
次回20分にまとめるとかマジで至難の技だね。
至難の技ですが、次回こそは20分でまとめていきたいと思います。
こんな感じで、日々ですね、私がホルモンから解放されて、
人間になっていく様というのを引き続き、
この番組で、
まあ最新というよりかはもう晒しですね。
晒していこうと思いますので、
また来週もよかったら聞いてください。
えー、来週はですね、
最終週ですか、ですかね。
もうそうだね。
なので、4月の振り返りを、
はい、と思います。
いやー、ウェイみたいなさ、
いやー、チャラさだけは結構怖いね。
でもね、ちょっとそういうチャラさを身につけることはなく、
自分らしく生きていきたいと思います。
それでは今日も聞いてくれてありがとうございました。
長くなっちゃいました。
では皆さんも楽しい毎日を過ごしてください。
ではね、バイバイ。