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2024-06-10 26:21

【#5 なぜ死はこわい?】

【#5 なぜ死はこわい?】

おばけ/肉体の死/マインドの死/老い

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⦅めいそうラジオは⦆

インドで出会った瞑想コンビが、愛と性と死とお金の瞑想、タントラから生きるヒントを探ります。

⦅スピーカー⦆

アビラティ:医学教育コンテンツプロデューサー。出生家族のアレコレ、男女関係の不毛さに悩みタントラへたどりつく。

ラシュミ:マルタ島で留学コーディネート、アーティスト支援などを行う。西洋/東洋の様々な自己探究をたどり、タントラへ。

サマリー

アピラティとラシュミは、なぜ死がこわいのかを探っています。老いや病気に関わることについて知識を持つことで、怖さや不安を軽減できます。衰えていく人と共にいることは、自分のエゴが落ちる過程でもあり、瞑想を通じて伴奏者として学んでいけます。

死のイメージとお化け
ナマステ。
めいそうラジオ。
インドで出会ったタントラ迷走コンビ、アピラティとラシュミが、
愛と生と死とお金のメディテーション、タントラから生きる処方箋を探っていきます。
欲深い私たち現代人のための迷走入門、始まります。
今回のテーマは、【なぜ死はこわいか】。
死ってさ、なんでこわいと思う?
そもそも私たちはさ、自分が死ぬことは経験したことがないし、
1回しか経験できないじゃない?
そうだね。そっか、体験したことがないっていうのが、死がこわいって漠然と思うことかな。
うん。そんな気がするな。
私だって、体験死のイメージって、昔考えるとね、
お化けとか、よくさ、日本の夏休みって、お化けシリーズの化けて出る系な、
そういうプログラムとかがあると、怖くて眠れないっていうので、
死とお化けが、だから、死後の世界からやってきた人はお化けになって、
生きてる人間を、こうなんていうの、脅かすとか、
そういうイメージで、お化けとかこわい、だから死がこわいって、
だから死がこわいって、すごく子供の頃は思っていた気がするよ。
うーん、確かにお化けこわいよね。
生きたい本能と死
なんかお化けってさ、恨み持ってそうでこわいくない?
そう、なんか、成仏できないとかさ、なんか、バンチョサレ屋敷のお岩さんだったっけ、
1枚2枚とか言われた瞬間に、そのストーリーで怖くなってるような気がするな。
死んだこと自体が怖いんじゃなくて、
死んだけど、何かが残ってる方が怖い感じよね。
うん、そうなんだよ。
あとはさ、なんか村下前に言ってたのがさ、基本人間は生きたいから?
人間の本質っていうか、生きるものの本質って、
死にたいっていうよりも、生きているのがインストールされてるらしくて、
この生きたいインストールがちょっと変わっちゃう死を見ると、
私、生きたいっていうのは人間だけじゃなくて、
生物は何でもそういうことらしい。
うーん、もうさ、生きたいって思ってなかったら、ちゃんと生きれないから、
当然ちゃ当然っていうか、なんかね、正しいシステムだよね。
例えばヨーロッパだと今まだ、いくつも戦争の火種を抱えている日常っていうと、
死がすごく身近にあるんだよね。やっぱり爆撃されて亡くなる人とか、
そこで助かっても。だから日本っていうところの震災とかに出くわしたっていうか、
その戦事化とか、そういう災害のもとにあると、
そうすると、あ、生きたいなっていうふうに思うところを超えるのか、
そういう気持ちになるのかな。だから、平和だとすごく、
なんて言ったらいいんだろう、えっと、
エソラ事っていうか、ちょっと遠く感じるんだよね。
うーん。
身の危険が迫っている時だったら、本当にいつ死ぬか分からないっていう怖さと、
死が遠くて、リアリティがない平和な時の死の怖さって、
なんか別の怖さのような気もするね。
私たちが今生きている環境ってさ、平和なところで収録しているから、
マインドの死と休憩
そこで気づけるのはさ、肉体の死とマインド、
マインドっていうのはエゴと解釈してもいいけれども、
その死をすごく混同しているんだよね。
そういうふうに、もう少し死って見つめられるっていうのかな。
じゃあ肉体の死とマインドの死って、何なんだろう。
ねえ、なんかさ、肉体は心臓が止まって、このボディが動かなくなるのが死。
でも、それは分かりやすいけど、マインドの死はさ、
自分が亡くなるとか、例えば肉体がね、死んだ時に何が怖いかって、
自分が忘れられることとか、自分がやってきたことが全部なくなっちゃうこととか、
肉体が死ぬことではなくて、自分がやってきたものがなくなるのが怖いんじゃないかなと思うのね。
その怖さって、マインドが怖がっていることなんじゃないかな。
自分が亡くなるって、亡くなった後のことを、自分がやってきたことを、
自分が亡くなるって、亡くなった後のことはどうなるかわかんないから、
どんの噂、マインドにとってとっても怖いって、私たちの先生は言ってるね。
分からないものが怖いのは、マインド。
だから、死が怖いのは、肉体ではなくて、マインドっていうことになるのかな。
アンコントローラブルって言って、自分の操作範疇を超えてるっていう怖さ。
だから、アビラティが言ってた、マインドの死は本来は休憩って言ってたじゃない。
これ必要な時に休憩できる、これどういうことを言ってたのかな。
マインドの死は本来は休憩なんでしょうか。
本来はサーバント、私たちが主人で、マインドは道具。
必要な時に出てきて、便利にいろんなことをやってくれる道具のはずなんだけど、
私が、主人がお休みしてしまって寝ぼけているので、マインドは四六時中、24時間働いている過重労働状態。
本来は必要な時だけ出てくればいいから、必要じゃない時はお休みしている。
必要じゃない時にお休みしている状態をマインドの死って言うんじゃないのかなっていう気持ちで言っていた。
なるほど。
インド哲学とかインド思想の中にある輪廻転生っていうのが一応基本概念にあるじゃない。
そうすると輪廻転生っていうふうに難しく考えずとも、
iPhoneとかスマホの機種変更って感じかね。
なんかさ、ほら、マインドは時々出てくるけど、マインドではない私たちの本体みたいなものって、
それはずっとあるっていうふうに考えるじゃない。
それが、肉体はiPhoneで、今私はiPhone SE使ってるけど、このSEの寿命が切れたら機種変して15とかになるのかなみたいな。
もしかしたらグレードダウンするかもしれないけど、そこは分かんないけど。
分かんない、どうなんだろう。来世犬とかもあるのかもしれないけど。
でもそういう乗り物が変わる。だからiPhoneが変わる。iPhoneちょっと古くなったら変わりますっていうのが肉体の死。
で、iPhone変えるのが機種変だから輪廻転生は機種変。
確かにそういうふうに考えるマインドの動きはなかなか、なんていうの、近代的というか。
人間のボディの機種変は前世の記憶、つまりiCloudの中の記憶は本に覚えてる場合のほうが少ないから怖いけど、
実はいろんな形で入ってるもんね。得意なこととかさ。
時々見る、ここ来たことあるなみたいなやつとか。
iPhoneの機種変だと思うと、もしかしたら怖くないかもしれない。怖いけどね。
確かにiCloudね。iCloudさんにあれば別に不具合、iPhoneがなくなった時に怖くはないな、そうすると。
まあ少し怖いけどねってすごく言ってるのはさ、やっぱりまだ怖い経験、さっきのお化けもそうなんだけど、やっぱり他人の死を経験してるっていうので今私たちは生きてるじゃないですか。
で、そうすると他人の死を怖くないかもしれない。
そうなんだけど、やっぱり他人の死を経験してるっていうので今私たちは生きてるじゃないですか。
で、そうすると他人の死に出くわした時に、すごく痛んでる人とかを見ると、痛そう、自分が痛くなっちゃうとか、例えばね。
これはどういう状況にいるんだろうって、やっぱり想像力をかきたてると、怖い方にどうしても、あれだよね、苦しんでる他人を見て怖いっていうか、恐怖心が芽生えるじゃない。
それはさ、ほら、らしゅみんが乳がんの体験があった時にもさ、他の人を見てたとかさ、ちょっと死に近い体験をした時に、それはよく強く感じたんじゃないかな。
そうなんだよね、私もいろんなタイプの人がそのがんに向き合っていると思うんだけど、乳がん検診をしてこれは悪性腫瘍です。それイコールがんということでしょうか。
もし旅行するんだったら地図を持って行きましょうっていうのとか、Googleマップで調べてっていうのがまあまあできるけど、そうじゃなくて、いきなり来ると、今私はどこにいるんだろうっていうので、戸惑う感じかな。
地図なく見知らぬ土地にぽって置かれたみたいな。
そう、そういう感じなんだよ。だからなんか地図っていうのでほら、アビラティが、医学っていうのは地図をこう、地図帳を持っているもんだみたいなことを話してくれたと思うんだけど、それ地図と医学って、医学は地図なの?
なんか、医学ってこう、例えば臓器にこういう機能があります。例えばこういう病気になるとこういう経過をたどりますみたいなのが私は地図のように見えていてね。
はいはいはい。
で、その地図があったときにお医者さんはGoogleマップでいうところのベストルートを提示してくれる人みたいな感じ。
なるほど。
そう、標準治療と言われるものはGoogleが算出した一番効率的に目的地にたどり着けるルートみたいな。
そっか、いつもベストルートを一応提示してくれてるっていう理解でいいんだね、そうすると。
一応ね、標準治療って言われるものは、その病気の治療ということに関して言えば、今現在のスタンダード、研究をしたり、たくさん実験というか臨床試験があったりした中で、これが一番確率が高くて生存率が高いでしょうっていう方法をいくつか示してくれているわけだ。
なるほど。
一応ベストルートではあるものの、Googleマップに別のルートが提示されるように他のルートももちろんある。
だからセカンドオピニオンがあったり、基本的には西洋医学のベストルートをお医者さんは提示してくれるけど、それをみんながみんな選ぶかどうかは個人の選択。
なるほど。私みたいにね、わが道部をついついわが道部に踏み込んでしまう人っていうのは、ベストルートは聞いてますけど、なんかベストルートと言われるのがセカンドオピニオンなんか聞くと全くもって大混乱みたいになり、結局自分の道を行けばいいんだなと思いつつ、一応西洋医学にはリスペクトリスペクトと思ってお医者さんの言うことを出張に聞いてましたけどね、その時は。
それは一つの方法、方法というか一つの提案であって、必ずそれがみんなにとって正解ではないっていう、医学も一つの手段だから、宗教みたいにこれが絶対に正しいって信じ込むものでもない。
医学も徐々に進歩しているもので、今も進歩を続けているものだから、今正しいって言われているものが、5年後には変わっていることもあるし、お医者さんたちが出した最適解ではあるけど、それが絶対に正しいわけではないんだよね。
だからその選択肢がある中で、じゃあ自分にとってベストな居心地のいい選択肢は何かっていうことを、お医者さんなり自分なり家族なりと一緒に相談してルートを決めるっていうのが、今の医学の世界でもそれが一番良い方法ですよとも言われている。
なるほどね。でも病気っていうのは一つ、この素人な病人でもよくよくわかることなんだけど、浪水っていうのは置いていくっていうのはまたちょっと違うよね、きっと。
違う違う。たぶん病気と、病気になって、それは医学ってすごいなって思うところで、例えば年をとっていくときにも、多くの人にどんなことが起こりますよとか、どんなふうに衰えていくかみたいなことも、それも地図として持っているんだよね。
そこにも地図があるんだ。
あるあるある。
例えば認知機能がだんだん下がっていく。例えばその認知症多くなっていくとか、欲打つが出てくるとかね、脳の機能としてそういう衰えが出てきやすいですよとか、あとはなんだろう、知力聴力のこともあるし、例えば女の人だと70くらいまでかな。
病質菌が女の人の方が多いんだけど、それより超えると男の人も同じくらいだったかな、ちょっとうる覚えだけど、滅びやすくなってくるとか、すごい些細なことの積み重ねなんだけどね、咀嚼能力が落ちてくるとか、そういうよくあること、みんなに等しく起こること。
あなただけではなくて、人間という生き物に100%程度の差とか、スピードの差はあっても、みんなにコモンに起こること。だから、コモンに起こることだから、対処することができる。
例えば、認知機能がもし落ちてきているんだったら、紙に書いて確認しようとか、すごい雑なね、あれだけどね、あとはなんだろうな、もし疾菌、尿疾菌が落ちてくるようだったら、予防できる期間だったら骨盤低筋体操しようとか。
老いや病気に関わる知識の重要性
今、増えているよね。特にタオルの世界とかでは、そういう内蔵の体操っていうのかな、それこそヨニエグを使ったりとかっていうので、なんか面白おかしくじゃなくて、そこいう体操、知らない体操だけど体を鍛えるっていうのは、いつでも鍛えられるじゃない。鍛えて筋肉ムキムキになるっていうよりは、
自分の持っているその機能をうまく長くよく使いましょうっていうところでは、そういういろいろな体操がやっぱりあるもんね、今は。
予防でできることをやるっていうのもいいし、もう落ちてきてしまった機能を、例えばなんだろうな、時間をね、こまめにいくようにしようとか、もし本当にいろいろ難しくなってきたら、それは尿取りパッドを使ってもいいんじゃないかとか、
その尿が漏れてしまうのは、もしかしたら歩く機能が衰えているからかもしれないから、その歩く機能をサポートしてあげられるような、もしかしたら合わない靴を履いてないかとか、爪関節があんまり動かなくなっちゃってて、自分で足の指の爪を切れてないんじゃないかとか、
不具合と不具合はつながっているので、一つ見えている不具合を解消するために別の不具合にアプローチしよう、みたいなことも知っているとできるのね。
たしかに、そこがいろんなあれだよね、大体置いていくっていう人たちと一緒にいるときの関わりのすごく大事なポイントかなと思うな。
そう、そうなの。なんかね、全部つながってるから、できないことだけに着目をすると、これもできなくなっちゃった、あれもできなくなっちゃったって見えるんだけど、その外側の要因をちょっとでもサポートしてあげたら、実はもう少し快適に暮らせる、みたいなことがね、結構あったりする。
そういうのを医学の人たちが考えてくれているよ。
そういうふうに思うと、なんか新しい医学っていうのは寿命が伸びている、特に日本なんかだとすごく必要な、なんか知識っていうかそうだね、それも新しく学んでいかなきゃいけない世界の一つになるね、そうすると。
なんかね、学んでいると怖くなくなると思うの。100%怖くなくなることはないんだけど、知らないから怖い、対応できないから嫌だというよりは、嫌だけど、こうやったら対応できるかもって言って、不安を軽減することができると思うんだ。
それはすごく自分たちの経験の中からも分かるよね。やっぱり意識の持ちを、もう本当に病は気からじゃないけど、老いも気からっていうような人たちに囲まれて生きていると、もうなんか周囲に、私たちもいろんな市に巡り合っている人たちの中でも、気分がいい時っていうのはもうなんだ、俺は飲みたいんだ。
今からもうね、巻きがんでいても、今日の気分はいい。僕が好きなのはウォッカとミルクです。ミルク飲みながらウォッカをガンガン飲み、そしてレストランにみんなを引き連れて行くっていうような人たちと一緒に、そういう人たちと一緒にいると、そっか、こういう態度でいいのかっていうのと、言ってみれば、見取った人っていうのは亡くなる直前まで、みんなで介護するっていうような共同生活の中で、
助けていたっていう人たちのを見ていると、そっか、気分がいい時っていうのは盛り上げるっていうわけじゃないけど、一緒にいた方、一緒にいる人たちは気を使うけど、一緒に学んでいく感じ、その道を歩いている感じがすごくしたんだよね。
だから、死に行く人っていう風にね、老人を死に行く人、それはそういうふうに捉えてもいいのかなと思うし、病気で死に行く人っていう人もそうなのかなと思うので、何ができるのかなっていう考えるヒントには医学の方からも引っ張ってこれるかなっていうふうに思うね。
すごくね、引っ張れると思うよ。置いていく人とか、病気で亡くなっていく人と関わる時に、その人にとって一体何が一番大事なのかって思って関わるのがね、すごい大事だよっていうの。
衰える人と共にいることの意味
これは私がつい最近の実例でね、おばあちゃんが87歳、超鬱だからね、それはお薬、飲んでるお薬の副作用だから、もうお薬変えようよって、もうそのいっぱい飲んでるお薬整理しようよって、私は知識バリバリでさ、そんなの、それか直した方が絶対いいよって思ったんだけど、おばあちゃんは、
よく聞く話だね。
よく聞く話でしょう。でもおばあちゃんは、言った通りにおばあちゃんの心配した通りにお薬を出してくれる先生、しかもその先生はおばあちゃんの長い話を根気よく聞いてくれる、その先生にかかりたいっていうの。
私はすごいもう、がん切りしたんだけど、なんてお前の鬱はお薬のせいだって言ってんじゃないかって、なのにまだお薬飲みついてどういうことだって言ってたんだけど、でも結局彼女が一番安心できる方法が彼女にとって大事なことだから、それは彼女の大切なことを尊重せにゃあかんっていう、なんかね、もう、
箱殴りされた気持ちでね、なんていうの、そう、自分のね、至らなさをね、こう発見するわけ。
ああ、そこで気づいたんだ。
だからね、そういう意味でも、衰えていく人とか、亡くなっていく人と共にいるって、自分のね、エゴが落ちていく過程でもあるなって思うの。
そこがすごく、なんかエゴっていうのがあるなと思うと、生きてるもののエゴと、病人でも老人でも、彼らにもまあまあエゴがあるじゃないですか、言ってみるのは。
なんかやっぱり、話しかけてあげるとか、この体に触れるとかっていうので、前にもね、いろいろ話はしてきたけど、一緒にいるその時間とその空間っていうのかな。
だから、伴奏者とか寄り添ってあげるっていうふうに言うけど、言うは言やすし、行うはっていうところで、どうしても、なんかやっぱりね、早期解決をね、すごく求めてるっていうか、与えたりとか、サディスチョンしがちだと思う。提案しがちなのかなと思う。
まさにそうですよ。今日は、この最近私がやったのは、まさにそう、解決したいの。これ解決したいのもエゴだから。
そうだね。
解決したいのよ。でも、私はおばあちゃんのこと大好きだからね、解決するのが愛だって思ってたんだけど、でもね、おばあちゃんは言うわけ。話を聞いてほしいだけなのよっていうの。それが難しいんだよ。
でも、言語化できて話を聞いてほしいだけなのよっていうのが、言えれば、あ、そっかっていうふうに聞いた人は思うけど、そうじゃないと、やっぱり忙しい時代に、そういう身内の、特に老人になった人と付き合うと、なんか図3に付き合っているような気がする。私たち忙しいの。
俺たち忙しいのっていうのが出てるからね。
それもわかる。だからね、だからね、年を取った人、その死に近づいている人と一緒にいるっていうのは、まじで瞑想って。
そうなんだよね。やっぱりこの瞑想と出会ってっていうか、瞑想していて、すごくそうだそうだって、自分自身にこう腹落ちして納得させるのはさ、我々の、我々が瞑想者っていうわけじゃなく、みんな誰でも瞑想には入れると思うんだけど、伴奏者っていう感じだよね。本当に伴奏者としてのアートを、なんか現世界で私たちは学んでますみたいなところがない?
あるある、なんかその医学の話は仕事で耳学問で聞いていて、わかった気になってるんだけど、でもそれって、やっぱりそれは道具の一つでしかなくて、どれだけうつの原因はこれかもとか、何が大事かとか言ってもね、
その、そういう状況にいる人と一緒にいるには聞く力、だから瞑想、伴奏者であるっていうのは必要だから、そこにはとっても瞑想が必要なんだなって思うよ。
うん、そう思います。
では、時間になりましたね。そろそろ今回も。
ありがとうございました。また次回まで。ナマスティー。
ホームからお寄せください。聞くだけで今日の生きるヒントがきっと見つかる。瞑想ラジオ。次回をお楽しみに。
26:21

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