1. ゆいなわさんの「聞く人」ラジオ
  2. Vol.24-2 長津田むつう整体院..
2023-10-24 26:35

Vol.24-2 長津田むつう整体院・木村順一さん「幸せでいられる本質②」

前回に引き続き、「長津田むつう整体院」の木村順一さんにお話しを伺いました。「まるいコーヒー」を営むに至った経緯や、生きていることと向き合うことなど、様々にお話しを伺いました。
長津田むつう整体院:https://mutsuu.com/nagatsuta/
まるいコーヒー:http://maruicoffee.com/
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ゆいなわさんの聞く人ラジオ
みなさんこんにちは。ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。 前回に引き続き、木村順一さんにお話を伺いました。
話すのは苦手とおっしゃる順一さん。 そうはおっしゃりながらも、とてもリラックスした雰囲気で、さらに思いをお話しくださいました。
コーヒーがもともと好きで、自分で何か勝手にフライパンで焙煎したりとか
してたんですけど、あんまり頻繁にしていなくて、いろんなチェーン店のコーヒー屋さんとかで毎日コーヒー飲んでて、でもやっぱりほとんどのコーヒー屋さんのコーヒー、僕はちょっと敏感なのか
悪いものだと1杯でちょっと頭が重くなったりとか
するんですね。そうでなくても2杯目とかで結構 辛くなったりとかするので、やっぱりコーヒーって
体には負担があるんだなぁと思っていて、でも好きだから飲んじゃってるんですね。自分の健康に関わることをやってるのに、ちょっと後ろめださもあり、
より良いコーヒーないかなっていうようなことをいつも考えていて、
たまたま、それこそうちの師匠が
面白い焙煎やってる先生がいるよっていうのを発見してきて、共有してくださったんです。
で、そこでちょっとスタッフ1人派遣して、岐阜なんですけど、 岐阜の本当に住宅街の中でちっちゃくやってる人なんですけど、
そこに1人派遣して、その人が、女性が焙煎して入れてくれたコーヒーを生体院で飲んでみたら、
師匠の生体院で飲んでみたら、ものすごく美味しくて、全く体に負担がないんですよ。
びっくりして、僕も焙煎の先生が教えてくださった焙煎の先生のところに、
習いに行きたいんですけどって言ったら、まあ行けばいいじゃんって言ってくれて、 一応許可取らないで、こっそり行っちゃうとまた怒られちゃうかもしれないんで、
一応そう呼びかけて行って、習ってきて、
で、自分はそれで、でもその時にはここでやろうと思ってたのかな? なんだっけな?
なんか特に別に、でも、知っておこうと思って。
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小さいドラム式のハンドローストの方式っていうのは、 直火でドラム式の芋の分厚い金属のドラムを手回しで
くるくる焙煎するんですけど、中に豆を入れて、 それで何百グラムずつぐらいやるんですが、
それでやってます。
で、まあ体に全然負担がないことは分かっているんで、 だったら胸張ってここでやれるんじゃないかということで、
それでやらせていただくことになって。
そういうことですね。もともとはご自身で、 自分が好きでやって…
あとは、この周りに全くそういう何かいこえるというか、 チェーン店以外ないんですよね。
ちょっと行けば、大きなそういう有名なチェーン店はいくつかあるんですけど、
でもそうじゃないところがなくて、
なんかもうここに引っ越した当時から、 そういう喫茶店が誰かやってくれないかなって思ったんですよ。
ご自身としても何かあればいいなっていうことがあったんですね。
地方都市とか行くとそういうところがあるじゃないですか。
ちっちゃいね。やっぱり家賃が安いから。
なかなかそういうのって東急繊維線ではできないみたいな。
だからここだったら庭使えるから、そういうことでやれば、
出費もなく気軽に半分しみみたいなことかな。
あとは、やっぱり喜んでくださる方がいたほうが。
そうですよね。
あと、整体のお客さんにも出せるし、
逆にカフェの方がこっちにも興味を持ってくれるという相互のアレがあって、
何となくいい感じに言ったりやってますけど。
そうですね。だから僕も見て、コーヒーって書いてあって、
でもこの神話性といったらあれですけど、整体とコーヒーで一緒に。
そっか、なんかすんなり納得できる感じ。
場所がちゃんとあって、きっとその辺の方がパッと来て。
そうですね。
確かにね、整体院がこういう建物でやってること自体があんまりないし、
整体院とカフェっていう組み合わせも不思議ですけど、
僕の中では特に違和感なく、初めて。
自分もたまにお客さんみたいにここで飲んでたりとかしてて、気持ちいいので。
そうですよね。
いい場所を与えられたなって感じです。
いいですね。すごくいい。
力が入ってないと言いますか、自然な感じ。特に違和感なく。
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そうなると、違和感みたいなもの。
結構いろんな方の話聞いてると、違和感みたいなのも結構キーワードの一つに思えてることがあって、
そういうものを取り除きたいからこうしてるとか、
人によってはそういうものに敏感だったりですとか、
やっぱり忙しく働いてる方とかって結構それも見えなくなっちゃったりとか、
で、不調を浸してしまうとかっていうのはある気がするんですけど、
ここに来ると、そういうものがなんかやっぱりないと言ったらあれですけど、
っていう感じはすごいするんですよね。
そうですね。
やりたいこと、整体もそういう意味で僕も
いいお仕事をさせていただいてると思ってるし、
コーヒーのことも。
バリバリ稼ごうと思うとそれはストレスになるし、優先順位がそっちではないというか、
お金も大事ですけど、お金がなければそれこそ幸せじゃないかって言ったら、
本当はそうじゃないじゃないですか。
あってもなくても幸せでいられる本質が自分にはあって、
だからそこに意識が行くようにしていれば、
どっちでもいいかなっていう。
お金があってもそれはそれで楽しいし、
なくても、多少ひもじくても楽しめることがあるったりとか、
居心地よく日々過ごせることはできるし、
で、なんかそうですね、
そこのところはやっぱり、ちょっと俯瞰して自分の人生観というのを、
本当にその社会の全体の人生観に、
自分が合わせちゃってるのかどうなのかっていうことは、
確認し直した方が、どなたにとってもいいと思うんですよね。
そうですね、そうだと思います。
それこそ死に対する恐怖ってどなたもあると思うんですけど、
なんで死が怖いのかっていうと、
その多くが、長生きしなくちゃいけないとか、
死んじゃいけないっていう集団意識があって、
集団の価値観。
なんかそれを当たり前に飲み込みすぎてる気がするんですよ。
それ外してみて、本当に怖いのって言うと、
いや、怖いかどうかやってみたことないから分かんないなってなると思うんだけど、
だけどみんなが死ぬの怖いって言うじゃないですか。
で、たぶんちゃんと見向かないで、
ちゃんと死とか生とかってことと、
自分が対面しないで、
なんとなく全体の価値観で怖い。
で、見ないようにしようってしてきて、
急に例えば大きな病気になった時に、
どうしようどうしようってパニック起こすんですけど、
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そもそも必ず全員死ぬし、
何かの原因で死ぬわけですよね、必ず。
だから、どうせ1回の体験なら、
ちゃんとそれを冷静にというか、
最後の一番大事な体験と思って、
ちゃんとパニックを収めて体験しようっていう、
落ち着いた状態を作らないと、
パニックを起こしたまま死ぬのって、
すごく怖いと思うんですよね、そういうこと。
だからそこのところは、やっぱり準備が必要かなと思って。
そういうこともやっぱり、
この仕事をしてるからよく思うんですよね。
何の方もいらっしゃいますし。
だから大丈夫っていう支え方をしながら、
お医者さんが言うことが絶対ではないから、
ちゃんと自分の自然注意力を
最大限に働かせること以外に、
僕らとネスの方が一緒にできることはないので、
そこを一生懸命やって、
あとはお任せしきる、
お医者さんに任せる部分と、
体の内側の働きに任せる部分と、
で、なるべく心穏やかに。
パニックを起こした状態だと、
やっぱり自然注意力が働きにくいので、
働きやすいように心を収めてあげた方がいいですよ、
っていう話をしながら、
その中でやっぱり、
できれば、その方の準備があれば、
そういう話をします。
死ぬことっていう話ですよね。
怖がっているのは当たり前だから、
怖いに決まっているじゃないかって言うんだけど、
でもそんなことはないはずなんです。
と僕は思っています。
子供が死ぬこととか、
そっちの方が、
残された人の問題があって、
それはまた別の問題なんですけど、
でも、やっぱり死にゆく方の足を引っ張らないように。
残される側も、
ちゃんと、
死生観というのを、
ちゃんと養っていかないと、
死なないでっていうので、
苦しいですよね。
本当はこのタイミングで死んだら、
一番いいタイミングなのに、
周りがガチャガチャしちゃって、
もっと頑張らなくちゃ。
じゃあ自分の意識がなくなっても、
MHでおしてくださいって、
家族のためにお医者さんに言うけど、
それって本当にすごく苦しいことですし、
お金もかかるしね、きっと。
だから、
そこのところの意識の進化というか、
日本人全体というか、
先進国の人々、
多くの方がそうでしょうけど、
死生観はこれからの課題かなとは思うんですけどね。
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そうか、そうですよね。
やっぱり誰しもが出会うことであって、
それをどこかでちゃんと向き合っておかないと、
やっぱりパニックになったりですとか、
突然、
バッと襲いかかってくるものでもあったりするし、
その訪れ方はわからないんですけど。
そうですね。
なんかこの間面白い話にかかったのは、
1年前ぐらいにここに通ってくださっていて、
すごく僕もその方のお話を伺って、
すごく勉強になって、
いろんな心の問題だったりとか、
そういうことを教えてくださった、
素敵な女性がいたんですけども、
その方が突然死されたんですね。
息子さんとすごく心の繋がりが深い方でいらして、
息子さんが亡くなられたお母様を、
最初に発見されて送ったっていうことなんですけど、
その後息子さんが何回か通ってくださっていて、
本当に魂の繋がりが深い、
母親以上の関係だった間柄だったので、
本当に心に大きな穴が開いたみたいで、
生きてる意味がなくなってしまったみたいな、
すごく呆然とされた状態でいらしてたんですね。
その後1年ほどいらっしゃらなくて、
その方のおばさまもここにたまに遠くから通ってくださっていて、
この間久しぶりにいらして、
息子さんお元気ですかって心配だったので、
お元気ですかって伺ったら、
結婚することになりました。
それまで結婚なさっていなくて40歳くらいの方で、
結婚できないというか、
やっぱりお母様との繋がりが深くて、
それ以上の相手というか、別に変な意味じゃなくて、
多分、魂の繋がりがすごく深くて、
それ以上の理解者が多分、
その方にとってどうしても見つからなかったんですよね。
だから甘えてしまうというか、
お母さんがいる間は、
見つけようと思っても見つからない。
高望みをしてしまうのか、
という状態だったらしいんですけど、
やっぱり突然死されたもので、
覚悟が急にできたのかなとおばさまがおっしゃっていて、
すごく幸せな見方と出会われて、
本当にとても幸せで、
今度、その挨拶をしに来るというように、
息子さんが来てくださるとおっしゃっていましたけど、
そういうこともあるので、
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タイミングというのは、
与えてくれるものもあるじゃないですか。
だから、残された方は大変なショックを、
例えば突然死だったら特に心の準備がないから、
でもその分すごく大きなインパクトがあって、
人生の転換点になる可能性もあるし、
その方はそれで本当に大きな転換をされたんだな、
ということがあったりとか。
悪いことばかりではないんですよね。
そうですね。
僕も父親が3年前に亡くなったんですけど、
がんで亡くなったんですけど、
その3年くらい前に、
戦国がんですって言われて、
やっぱり最初に言われた時が一番ショックだったんですけど、
それから3年くらい生きてたので、
徐々に亡くなっていくことを受け入れるのを作っていくみたいな、
そういうことが、今思えばそういうことの時間があったから良かったな、
みたいなことは思いますし、
そこはもう避けられないものなので、
やっぱりそれが非常に大きな転換点みたいなふうにはなっているなと思いますし。
そうですよね。
結構親が子供に伝えられる大きな大事なことだったりしますよね。
身をもって。
わかります?
そうですよね。
3年間ってやっぱりちゃんと時間が、
ご家族の時間とか取れて良かったですか?
そうです、本当にそうですよね。
だから時にやっぱりがんだっていうのはわかっていながらも、
まるで何事もないように普通に一緒に時間を過ごすみたいなことがやっぱり時間が持てたので、
そういうのはありがたかったなと思いますね。
そうですね。
嫁何ヶ月って言われても、平均値なんでね。
平均値というか先生への見立てなんで、
それどおりになるかっていうのはたぶん呪いって言うと言葉が悪いですけど、
専門家に何ヶ月ですってビシッと宣告されると、
それが言霊的な感じになっちゃいますよね。
やっぱり自分の事務はそこまでなんだっていうふうにずしんと受け取っちゃうじゃないですか。
だからできるだけそれは、そんなことは誰にもわからないというか、
お医者さんは一生懸命そこの部分は治すけども、
体全体を元気にしようとするってことは、たぶんなさらってないから、
だからどっちの両方とも知見をとって、
健康を回復するために心を穏やかにしたりとか、
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落ち着かせたりとかってそういうことを一生懸命した人とそうじゃない人との知見をとっていればいいんですけど、
それをせずに全員同じように年齢も生活条件も全く違う人たちを一緒に、
このカルテを写真を見たら嫁3ヶ月って言ったら言葉があれですよ、願望だと思うんで、
そんなことはないと。やっぱりそれは、聞いたことは専門家の言葉なんで、
それをもとにできることをした方がいいかもしれないけど、
間に合いすぎずに、もう大丈夫だから。
例えばそれが6ヶ月になろうが、3ヶ月だろうが、それが3年になろうが治っちゃう方もいらっしゃいますし、
どちらにしても残された人生なんで、そこをなるべく心を収めて、
日々ちゃんとフワフワしてない心の状態で体験をちゃんと、
一瞬一瞬の体験をしていった方が充実した人生になるじゃないですか。
だから、そっちを大事にしていきましょうっていう話をなるべくしたいなと思ってですね。
なんかそっちこっち言っちゃいますね。
なんかそうですね、どうしてもそういうことばかりになっちゃうんですね。
やっぱりいろんな方を、お客さんといいますか、いろんな方と日々お会いになってお話しされますから、
特長お仕事として、だからいろいろ感じられることはたくさんあるし、
それぞれお客さん、みなさん置かれている状況が違うので、
普通の方もいるし、ちょっと重い悩みとか痛みとかを抱えている方もいらっしゃいますから、
そういったみなさんと向き合う日々のお仕事ですよね。
毎回こんな重たい話をしていると、たぶん誰も来なくなっちゃうんですよね。
本当にたまにですけど、でもそこに向いていること自体、
自分はすごくありがたいなと思っているし、
自分の勉強になるんですね、まずね。
あとなんか、こないだそれもあれなんですけど、ここにいらしている方に伺ったポリベーガル理論というのがあって、
ポリベーガル?
ポリベーガル理論というのがあって、それはトラウマ療法の一つの理論らしいんですけど、
動物とか人間が危機的状況にある時って、
交換神経で何とかしようとしているっていうのが定説だったんですね。
今でも定説だと思うんですけど、要するに発奮して逃げるとか戦うとか考えるとかっていう、
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でもそれだけじゃなくて、もう一つの自律神経の回路があって、
それが複足なんとか神経っていうところが作用して、
穏やかにあるというか、仮死状態なんかもそうなんですね。
例えば死んだふりとかするじゃないですか。
ああいう時もそっち側にされるらしいんですけど、
例えば群れに寄り添うとか、
例えばオオカミが襲ってきた時に、
小柄が母親の反対側に行って安心するとか、
そういう時の、あとはそうですね、
お母さんに守られてる感じっていうのがあるんだっていう話なんですけど、
それって、多分クライアントさんにそういう話をするんではなくて、
こっち側、術者側が、まず自分が母親のように、
穏やかな神経というか、状態に持っていって、
コワイロだったりとか、ボディタッチだったりとか語りかけだったりとか、
会話のテンポだったりとか、そういうことを落としていくというか、
していくことでそれが伝わるっていうことですね。
伝わって、こっちが作って、それが伝わって、
そっち側のクライアントさんが落ち着かれる。
で、癒される方向に持っていかれるっていうことの理論らしいんですけど、
それって、この生態でも常にやってることだし、
その方はこの生態を受けて、そのことを言われるんで、
これってそういうことですよね、みたいな感じの話をしてくださったんで、
本当にそうだなと思って。
それがさっきも言ったように、
人間は人間観でしかそれができてないような気になっちゃってるけど、
それこそ犬にも癒されるし、
自然環境に行けば癒されるじゃないですか。
だから本当は、そっち側に心を開けば、
もらえるんですよね。
そうですよね、確かに。
そうだわ。
なんとなくそういうのって、
例えば鹿が狼に襲われてる瞬間であれ、
その状況を作ってるのって、
その周りの全環境でそれを作ってるじゃないですか。
だから全力で逃げることに集中している鹿は、
人間のようには、
今自分はなんて不幸なんだっていう思いは全くなく、
この瞬間、自分の生命を生かすために一生懸命なだけで、
それ以外に何もないんですよね、きっと。
狼もそうだし、
でもその瞬間を体験してる状態っていうのは、
個別にしてるんではなく、
そこ全体でやっていて、
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だからひょっとしたら狼からも
もらってるかもしれないですね、お互いに。
一生懸命その役割をやってるだけの話で、
そこのところの感覚って、
人間にはなかなか持てないなと。
やっぱり鹿が強すぎるんですよね。
自分がやってるっていうね。
だから病気とかになると、
お医者さんに治してもらうっていうのも
自分で選択してやるし、
だけど、それって便利なもので
治そう治そうってするけど、
やっぱり内側でずっと絶えず血液回して、
心鎮対射して、
体温調整してやってくれてる力がなければ、
そもそもお医者さんの力なんか絶対及ばないので、
そっちがやっぱりおろそかになりすぎちゃってるっていうのは、
今の現代人の振り切っちゃってるというか、
もう少し100年くらい前の人たちは、
もうちょっとそこは民間療法しかなかったりしたんでしょうから。
あと子供を自分で産んで、
あるいはそのを切ってっていうのを、
ほんの何十年前までは当たり前にやってたんで、
で、できなくなったわけじゃなくて、
できないことにしちゃっただけじゃなくて、
その機能は損なわれてないはずですね。
だからそこをやっぱりちょっと思い出さないとっていう時代かなと。
確かに。
行き過ぎちゃってますもんね、いろんなものが。
そう、分析分類でこう…
分業しちゃって、そうですよね。
そう、それがもう本当にピークになっていると思うので、
そっち入り戻しというか、
ちょうどいいところに行くための良い時期なんじゃないかなとは思うんですよね。
思えば不思議なご縁のおかげで、
お話をいただくことになった順一さん。
自分の思いにちょうどいい言葉を探しながら、
丁寧にお話をされる姿が印象的でした。
そしてお会いしてまだ数回なのに、
穏やかに深くじっくりとお話をしていただきました。
順一さん、ありがとうございました。
それではまた次回、ユイナワさんのキクヒトラジオでお会いしましょう。
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