こんばんは、佐々木隆です。
今日は、宮崎駿監督最新作、君たちはどう生きるかについての特集、それだけを語る一本というのを撮ってみたいと思います。
これを撮っているのは、7月15日ということで、7月14日が公開初日ですから、その翌日にこれを撮っているということになります。
まだ見ていない方も多いと思うので、今回のテーマは、君たちはどう生きるかの楽しみ方ということで、
どうやって楽しんだらいいか、みたいなことを自分なりに、解説というと大げさですけども、喋ってみたいなと思います。
なので、見ようかどうか迷っている方に参考になったりだとか、あるいは一回見て、なんかあまり面白くなかったんだけど、
どういうことだったか知りたいみたいな人に向けていい説明ができるとですね、
まだもう一回見に行こうかなとか思ってくださるかもしれないので、そういう楽しみ方みたいなのをやれたらなと思います。
本格的な解説・考察みたいなものは、きっと誰かがやると思いますので、そうじゃなくて、一番としてどう楽しんだか、みたいなものを話したいと思います。
それでですね、前半パートは、映画公開前までの10年間の歩み。
10年間?歩みって誰の歩みだ?みたいなのがありますが、ファンの歩みですね。
ファンとしての私の歩みみたいなものを、ちょっとね、喋ってみたいと思います。
10年前って何かというと、2013年7月20日の風立ちぬが公開されたんですけども、その前後からの10年間。
後半パートは、いよいよ映画の楽しみ方を話していきたいと思うんですけども、この部分はネタバレになるから聞きたくないという方は、その部分で、ぜひストップしていただければと思います。
というわけで、君たちはどう生きるかの楽しみ方、やっていきたいと思います。
ちょうどね、今から10年前というと2013年なわけですけども、前回の作品、宮崎駿監督の前回の作品、風立ちぬが公開されましたよね。
7月20日公開でした。
でですね、これに先立って、実は重要な作品がリリースされてまして、それがですね、文春の文庫から出ているジブリの教科書です。
これは第一作、風の谷のナウシカから、カリオストロの城はこの場合数えないんですけど、風の谷のナウシカから一冊一冊、その解説、解題、作った人、あるいは批評家のいろんな文章が載ったジブリの教科書というシリーズが刊行されていくことになるんですね。
これ時期的にどういう企画だったかというと、風立ちぬがおそらく宮崎駿監督の最後の作品になるんじゃないだろうかと。
あと続いて、長いこと作っていたかぐや姫の物語、高畑勲監督、これもおそらく最後の作品になるんではないかどうかと。
というわけで、ジブリの最後の作品に向けて、今まで作ってきた作品がどういうものだったのかという関係者の言葉と解題を一冊一冊まとめて、書き下ろしも加えて、
刊行されていくというシリーズなんですよね。
これが第1期、第2期と時期を分けながら刊行されていって、最終的には2017年、18年とかで一旦は完結を見るわけですね。
一番最後に出ているのは、この作品の中で一番最後に出ているのは、この作品の中で一番最後に出ているのは、
一番最後に出ているのは、
一番最後に出ているのは、
ただね、これ、教科書の最後に大塚栄二の解題が毎回載ってるんですけども、それを読んでいくと分かるんですけども、
やっぱりね、風立ちぬに向けて解題していってるんですよね。
なので、やっぱりジブリの教科書と言いつつも、やっぱり矢崎駿監督を中心に据えて、
それと高畑勲との関係、どのような影響を及ぼし合っていったかみたいなのを織り込みながら、風立ちぬに向けて書いていった。
ただね、残念なことにこの解題、大塚栄二が途中で拒板してしまいまして、どのような理由によってか分かりませんが、拒板してしまいまして、
おそらく風立ちぬで書きたかったことまで最後まで書けてないんですけども、それがすごい残念ではあるんですが、おおよそのことはあります。
それまで連続して書いてるんでね。
なんで冒頭この話を持ってきたかというと、宮崎駿監督作品って単独で一個一個見てももちろん面白いんですけども、
監督の世界観が積み重ねて、織り重ねられて、繰り返し繰り返し語られてる内容とか、
なんで今回こうなのかって連続してるので、やっぱりそれ踏まえてみるとめちゃくちゃ面白いんですよね。
っていうのがあって、ちょうど今から10年前っていうのは教科書が刊行され始めて、最後の作品になるであろう風立ちぬに向けて気分が高まってると。
でちょっと時間先取りすると、実はそれが最後の作品にならなかったっていう。
で今回の君たちはどう生きるかこそがおそらく最後の作品になるだろうっていうところなんで、
10年分待った積み重なった果てにこの新作を待ちわびていたっていうのが今の私の心境でございます。
それで10年ぶりっていうと、10年って結構長いですから、ジブリの作品を初めて劇場鑑賞する機会に恵まれましたって人もいるかもしれませんし、
いや本当に10年って久々だな、10年ぶりだなと思う方もいらっしゃるかもしれないんですけども、
ジブリファンからするとその間にもたくさんのニュースがありまして、振り返って私手元で年表を作ってみたらめちゃくちゃあるわけですよリリースが。
なので10年、今思うと久々だと思わなくて、出てみると意外とあっという間だったなみたいな風に思いました。
例えばどういうことかというと、同じ2013年の11月には夢と狂気の王国という、これはジブリの作品じゃなくて、
ジブリの中にカメラが入ってその3人ですね、宮崎駿、高畑勲、鈴木敏夫を捉えたドキュメンタリーというか映画がありましたけれども、
その夢と狂気の王国という素晴らしいタイトルだと思うんですけども、それが映画が公開されました。
その翌週ですね、いよいよ長年作っていたかぐや姫の物語が公開になります。
その翌年、2014年には米林博雄監督の思い出の周りが公開されると。
その2年後、2016年はレッドタートル、これジブリの作品の中でも、ジブリレーベルの中でも一番マイナーな作品なんじゃないかと思うんですけども、
私その前々職の時に、この宣伝というか宣伝じゃないな、ちょっとだけお仕事で関わらせていただいたことがあったので、思い出深いんですけども、このレッドタートルというのが公開になりました。
その翌年、2017年には思い出のワーニーのジブリの教科書が出ると。これが20ということで現在の最新刊です。
この時、よく経緯をご存知の方は、風立ちぬが公開した後にジブリが映画制作部門を解体するということで、ちょっと組織の規模を縮小したんですよね。
そんな中ですね、プロデューサーの西村よしあきさんと監督の米橋ひろまささんが発起人となって、スタジオポノックというのを設立してですね、その第一回作品メアリーと魔女の花という作品が公開されます。これが2017年。
これ、いわゆるジブリ作品という風に言った時にはナンバリングされないというか、リストに上がってこないんですけども、作っているメンバーがですね、それこそジブリ出身のメンバーで、
アリエッティ思い出のワーニーをやった米橋監督なので、なんだかジブリファミリーの作品のようにも鑑賞できるんですけども、その作品もありました。
この同じ年に実に面白いことがあったわけですね。これがジブリの鈴木敏夫さんからの手紙というやつで、映画制作関係者なんかに送られたやつでですね、
どういう内容だったかというと、簡単に言うと、もう一回映画を作りますという宣言なんですね。
制作部門を解体して、スタジオポノックの第一回作品が出た同じ年にですね、やっぱり作りますと言ったというのがこの年なんです。
で、そのすぐ後だったかな、タイトルなんかがポロッと公開されて、それが君たちはどう生きるかという、まさに昨日公開された作品の名前がこの時発表されます。
ただですね、ここから長い長い時間がかかるわけですけども、その間にもいろんなのがあります。
2018年翌年にはですね、毛虫のボロという作品、これはジブリ美術館でだけ公開されている短編作品ですけども、これも宮崎駿監督作品で公開されます。
で、そこから数年間は割と作品という意味では音沙汰がならなかったのが続いたんですけども、これ個人的に気に入って買ったのがありまして、
2021年の1月にですね、宮崎駿とジブリ美術館という超大型本、もうめちゃくちゃでっかくて本棚に全然入らなくて部屋に置くしかなくなっているんですけど、あれ25,000円くらいするのかな。
そういう本があるんですけど、そういうのも出てまして、これは一般的な作品にカウントされないのかもしれないんですけど、
ファンとして追っているとそういうのも思い出深い作品としてカウントされるので、ぜひ入れさせてほしいんですけど、そういうのもありました。
で、その同じ年ですね、2021年8月には劇場版のアイアトマジョン、これテレビでやってたやつ、宮崎駿監督の劇場版のアイアトマジョンが公開されると。
だんだんと近づいてきましたが、その翌年、去年ですね、2022年の11月にはジブリパークが開演します。
これかなりパブリシティニュースが出ていたと思うので、目にした方もいらっしゃるかもしれませんし、行こうと思って計画している方もいると思うんですけども、
ジブリパークがいよいよ開演したと。
ちなみに私はまだ行っていません。
で、今年に入ってですね、2023年4月からは、これ私実際行ってきたんですけども、もう一つのジブリ展というのが岩手県花幕市の大沢温泉というところで開かれているんですけども、
これちょっと奇妙な展示でして、鈴木敏夫さんがタイ人のフォトグラファーのカンヤダさんの写真をなぜか岩手県で展示会するという、ちょっと変わったイベントなんですけども、
そういうのがあります。
でね、これ行くと分かるんですけどね、この時期にこういう展示をやったりするってことは、
次の作品、君たちはどう生きるかの宣伝、それに繋がるような何かがちょっとあるんじゃないかと思うじゃないですか。
とにかくね、ご存知のように宣伝次第方針なので、そこでも何にもないんですね。
チラシひとつない、ポスターひとつない、もう何にもないんですよ。
ただ展示やってるみたいな。
そんなやつだったんですけど、ただね、ジブリの晴れということで、これもちょっと印象的なやつでした。
あと今ザーッと言ったんですけど、僕が行ってないような細かい展示とかツアーとかっていうのはたくさんあります。
コナンのなんか展示とかもやってたんですね、確かその間とか最近やったと思うんですけど。
まあまあまあ、そんなのがいろいろありまして、この10年振り返ってみると、
作品こそ久しぶりですけども、ジブリ関連作品みたいなことで言うと、たくさん受け取っていたなと思います。
そして直前にはですね、スタジオジブリ物語、これは鈴木敏夫さんの本ですけども、
一作一作振り返った、これまでのジブリの歩みを振り返った本というのが出ます。
これはジブリの教科書が作品を論じた内容なのに対して、
ジブリって会社を通して作品を見たっていう作品になりますね。
なので教科書とこのジブリ物語、両方読むと縦糸、横糸じゃなくて、
そんな感じでジブリの歩みみたいなものは頭に入ると。
で、その上で、はい、いよいよ君たちはどう生きるかっていう最新作がついにやってきたっていうのが、
まず見どころ1つ目は、やっぱり絵っていうかね、アニメーションですね。
絵を動かすっていうところ。
何を差し置いても、これはね、宮崎駿監督作品の魅力なわけですけども、今回も素晴らしかったですね。
ただね、なんかあの、事前の報道にもあった通り、作画監督を宮崎駿本人が務めていなくてですね、
今回は本田優さんという方にそれをお任せしているということだったので、
今までのように宮崎駿がたくさん描いているとか、直接全部直しているみたいなことはおそらくないんだと思うんですね。
本田さんにお任せしたということだと思うんですけれども、
だからその見たときに、どこからが誰の仕事でとか、どれが宮崎駿の仕事でみたいなふうに特定はできないんですけども、
ただ特定できないまでも、見るからに新しいシーンなんかがね、いくつかありまして、
そこがすごく良かった。
しかもそのシーン単独が良かったんじゃなくて、
既存の、いわゆる今までの宮崎駿らしい絵とのバランスっていうか、
作品全体として非常に良い、なんかね、近世が取れてたみたいな感じがしてですね、
それがすごく良かったですね。
具体的にどこかっていうと、もう僕冒頭のシーンで土木も抜かれたんですけども、
火事の噴水の中を主人公の真人が走り抜けていくときに、
そこの人々の描き方がもうめちゃくちゃ新しい描き方をしてるんですよ。
なんか主観的なグニャグニャした世界観というか、
もうね、うわって、これ面白いっていきなり冒頭で思うんですよね。
これまでの自分になかったような。
そういうシーンもそうですし、あとちょっとしたところでもいっぱいあってね、
例えば、同じく真人が塔の中から下の世界に沈み込んでいくときに、
カメラが上から捉えたような、人がこうひゅーって沈んでいく絵とかあるんですけど、
なんかああいうレイアウトって過去になかったような気がして、
なんか新しい感覚が入り込んでるなって感じがするんですよね。
そういうスタイルが混ざり込んでいることで、
なんか最近のアニメっぽい感じが出てるんですよね。
それがすごい良かったですね。
あとは、もうこっからはもう誰の仕事かも見てる人にはもう分かんないですけど、
ディテールで私いいなと思ったのが、
キミコさんがヨットで風を捕らえて島に船を寄せるシーン。
ヨットが羽ばたいて、船を操縦するその海と船のシーン。
もう神業だなと思って、あんな風に描けるかみたいな。
ああいう絵のディテールを見るのは、本当ジブリの作品を見る楽しさですけど、
あれはすごい良かったですね。
だから例えばこれって海のシーンっていうと、
それこそ紅の豚にもたくさん出てきましたし、
ポニョなんかにも出てきましたよね。
でもそれらには出てこなかった新しい海とその上でヨットを操るシーンなんですよね。
過去の作品で描き逃したシーンを描いてるみたいなところもあるのかなと思いながら見ました。
ちなみにああいうファンタジー世界でヨットというと、やっぱりゲド戦記なんですよね。
多島海世界でヨット一つで影を追っていくみたいな。
残念ながらゲド戦記は息子の五郎さんがやって、宮崎駿監督が自分でやれなかったので、
もしかしたらその時やりたかったことをやり直してるのかなってことまで思いましたが、
ただいずれにせよあのシーンを見るとすごい良かったですね。
あとはですね、これはいかにも宮崎駿だと思うんですけども、
父さんが職場から慌てて帰ってきた時に急停止する、カーブ描きながら急停止する自動車のシーン。
もう車の輪郭がグニャグニャ言いながらデフォルメされて急停止するあれね。
もうあんなの誰に描けるんだっていうね。
もうザ・ジブリありがとうみたいなそういう絵ですね。
もう職人というか人間国宝みたいな絵だと思いますね。
あとその他ですね、今回たくさん登場しますが鳥の羽ばたき、
その中でもアオサギというキャラクターの初登場シーンと言っていいのかな、
最初に印象的に登場するところの鳥の描き方。
小さなものが近づいたり遠ざかったりしながら大きさがどんどん変わるような絵を描くのは難しいんですけど、
難しのみならずそれがデフォルメされて、
生き生きとした感じをさせる、アニメートさせるのはすごく難しいんですけど、見事です。
ああいうのが見れるのが最高に、普通のアニメではまずお目にかかれないようなやつですよね。
そういうのがね、僕今バッと思い浮かんだのが3ついましたけども、
たぶん見逃してるのが山ほどあると思うので、見るは見るほどこういうの見つけられるので、
そういう見方するのおすすめです。
ちなみに私2回目の時は劇場の最前列で見たんですけど、
そうすると絵の中でも動画、動いてるものじゃなくて背景の止まってる絵の絵筆のタッチがはっきりと見られる距離だったんですね。
まあそれを見るのもね、実に面白いんですよね。
もう何て言うんだろう、もう2時間の間巨大な水彩画展を見てるみたいな感じがするんですけど、
本当にもうお見事ですよね。
そうやって見るのもね、おすすめです。
ちなみにその絵のスタイルに関して、
なんか過去作品の踏襲みたいなものがいっぱいあったんじゃないかみたいなことをおっしゃる方もいるんですけど、
私それをネガティブにあんまり思いませんで、
例えばですね、水の表現がポニョみたいだったよねとか、
走るシーンが千と千尋っぽかったよねとか、
廃墟のシーンがラピュタっぽかったよねとか、
なんかそういうのいっぱいあると思うんですけども、
そういう絵とか動画の表現って必ずしも全部宮崎駿だけが発明してきたわけじゃないかったりしまして、
特に代表的なのがポニョにおける水のシーンとか魚とかね、あの絵の着方。
あれは米林裕正監督の個性というか表現だったりするので、
それがまた最新作でも取り入れられているっていうのは、
いろんなスタジオとかいろんなアニメーターが参加した結果として、
チームワークで過去の成果が取り入れられている感じがして、
僕はなんかポニョにおけるポニョっていうのは、
過去の成果が取り入れられている感じがして、
僕はなんか宮崎駿の集大成という感じがして、
かえってそういうのすごい良かったと思いました。
やっぱり個人で作っているものじゃないですかね。
チームでプロダクションしているものなんで、その良さが出ていたんじゃないかと思いますね。
見どころ2つ目です。
チブリのアニメ、宮崎駿のアニメが私小説であるってことは、
ファンの間ではよく知られているんですけども、
ファンの間ではよく知られているんですけども、
今回もまたやってくれましたというか、
はっきりとご本人の体験とか欲望みたいなものが現れていて、
その辺が見逃せないというか、実に良かったですね。
例えばもう端的に言うと、今回はキャラクターでいうと、
ヒミっていう若い頃のお母さんと、
ナツコ母さんっていうヒミの妹ですね。
お母さんの妹、おばさんですね。
その2人の女性が登場するんですけれども、
その両方と結びつきを得る、
イチャイチャするみたいなことがあるわけですけど、
これものとしては似たものはいくつかあるんですよね。
例えば紅の豚でいうとジーナとフィオとかね、
壮年の素敵な女性と若い女性とみたいな組み合わせで出てくるのもあるし、
これがもうちょっと前の作品、隣のトドロなんだろうと、
お母さんは病院に押し込めて、娘2人とイチャイチャするお父さん、
そういうのが出てくるんですけども、
今回離れ技だなと思ったのは、
お母さんの若い頃の姿を引っ張り出しつつ、
お母さんと同じ容姿を持ったお母さんも、
壮年の女性として出すみたいな、
これトドロとかね、風のたちぬみたいなリアリズム映画じゃないかな、
ファンタジーなので、そういう歳を飛び越えた、
そういうことが起こせるんですけど、
そういう離れ技をやってのけて、
母の容姿を持った若い女性と壮年の女性を2人同時に出すってことにやってのけてるんですね。
これが紅の豚だと、母っていうのはちょっと関係なくて、
別の女性なんですけども、
瑞季駿監督、母のことが大好きで、繰り返し作品の中にも取り入れられるんですけども、
今回は母そのものが2つの容姿を持って出てくるっていうね、
これがね、実にね、良かったですね。
すごい見どころだったなと思って。
ちなみにこれもね、よく知られた話だと思うんですけども、
その女性ヒロインには必ずモデルがいるらしくて、
一緒に制作をしている人たちの間では、
あの人がモデルだよねっていうのは、
みんな口に出さずとも、はっきりと分かるらしいんですけど、
今回もね、そういう意味ではたぶんいるんだと思うんですけど、
これはもう勝手な邪推というか、そうなんじゃないかというか、勝手な推測なんですけども、
おそらく三吉さんって呼ばれてる方、
これはもちろん私全然名識ないんですけども、
スタジオジブリに勤めてられる方で、
夢と狂気の王国に出てくる女性なんですけども、
その方が若い頃のお母さん、日美のモデルなんじゃないかなと。
ぱっと見ね、なんとなく似てるんですよね、喋り方と。
ただね、これは答えはないんですけども、
なんでわざわざこんな話してるかというと、
そうやって楽しむんですよね。
そうやって楽しむんです。
例えば、ハウルの動く城なんかでも、
3人の女性が出てきますよね。
主人公のソフィーとサリマン先生とアレチノ魔女。
この3人の女性もただのキャラクターと思わないんですよ。
思っちゃダメというか、思わなくて、
モデルがいる、何らかの投影だと思ってみるわけですね。
で、それがね、現にそうラインアップされているんですけども、
それがね、現にそうらしいんですよ。
そうらしいというか、あんまり言葉を濁すしかないんですけども、
とにかく何らかのね、オタクシー小説性があるものなんですよね。
実在のモデルがあるから、あんな風に生き生きと
キャラクターがアニメーションするっていうことがあるんでね、
そういうのを考えながら見るわけですが、
今回のヒロインの2人もね、見逃せないところがありましたね。
ちなみに、ヒミとかと体接触するシーンが多いんで、
最後ね、抱き合ったりしますから、
そこがイチャイチャしてるっていうのは分かると思うんですけども、
ナツコお母さんとイチャイチャしてるって言われて、
え、イチャイチャしてたって思う人もいるかもしれないですね。
いや、あくまでもあれ、出会った時から新しいママ、母?
新しいお母さんというふうに紹介されているし、
それをナツコおばさんというふうに最初は言ってるし、
そういう気持ち?行為?みたいなものってありましたか?
って思う方いるかもしれないですけど、
これがね、さりげなくでもはっきりと書いてるんですね。
でもね、はっきりとかさりげなく書いてる。
例えば、初めてナツコおばさんと会って、
人力車に乗せられますよね。
その時にお腹に赤ちゃんがいるのって言って、
魔人の手を取ってお腹に当てて、
その態度を感じさせるっていうシーンがありますよね。
その後か、魔人としては被ってる帽子をまぶかに被って、
その後、人力車が止まって、降りる時にはサッと、
ナツコおばさんからすぐ離れるようにパッと飛び降りるみたいなシーンがあるんですね。
それって、表面的にパッと見ると、
自分のお母さんが亡くなって、
ママ母が来て、自分に弟か妹かができるかもしれない。
そういうことに対する戸惑いを表現してるというトイロが、
そのような順番で演技されるんで、そういうふうに見えるんですけども、
しかしですよ、それと同時に重ね合わせで表現されてることっていうのは、
美しい女性に両手で手を取られて、
そこでドキドキしちゃったっていうことが同時に表現されてるんですね。
むしろ、そっちの方が気持ちとしては強かったかもしれない。
その手を取られてドキドキした。
ただ、それをあからさまに表現するんじゃなくて、
子供の態度を感じて、自分のもしかしたら弟妹できるかもしれないって、
戸惑いと重ね合わせることで、そのドキドキを隠してるんですよね。
宮崎駿って、表現がものすごく上品なんで、
そういうことを二重表現に忍ばせてくるんですけど、
はっきりと書いてあると思います。
あとはっきりと書いてあると言えばですね、
お母さんが座りで伏せていて、お見舞いしてくださいなって言われて、
おばさま連中にですね。
お見舞いしに行くシーンありますよね。
その時に真人の目線がパッと壁にかかっているお父さんのジャケットに目が行きますよね。
あれ、直接何も説明されないシーンなんですけど、
当然ながら意味がないわけないんで、真人の心情を示してるわけですけども、
お母さんが伏せているベッドのある部屋に、
お父さんも一緒に寝泊まりしてるんだと思うんですね。
そういう表現だと思うんですけど、
そのベッドのある空間にお父さんとお母さん、
お母さんというかその時は夏子おばさんと言ってますけど、
いることに対して、
何かそういう想像力が働くシーンがある。
それは、すげえ平たく言うとエリプスコンプレックスみたいなね、
父親に対するそういう、
性的なライバルシーンみたいなものを含めた複雑な感情があると思うんですけども、
そういうのもね、わざわざあんまり説明しないんですよね。
ただ、おばさんをお見舞いに来た部屋で、
父さんのジャケットが気になるっていうのをわざわざパッと、
ワンシーン入れてるみたいなやつがあるんですけど、
なので、はっきりと主人公がね、
そのおばさんをそういう意味で意識しているというのが、
いくつか書かれるわけですね。
そういうのは結構あるわけです。
そういうのを見ていくのは楽しい。
楽しいっていうか、楽しいんですよね。
ちなみに、映画の重要なシーンで、
真ん中あたりに石で作られた部屋で、
夏香婆さんを取り返しに訪ねていったときに、
あれ、なんていうの?紙フビか、
紙がまとわりつくようなシーンの中で、
アニメーションとしてもすごく迫力のある、
手書きの紙が体にベタベタまとわりつきながら、
そこで神話的な、偶話的な会話が繰り広げられるところがあると思うんですけども、
あそこで、はっきりとわかるのは、
それまで夏香婆さんと書いたのが、
お母さんの名前で、
そこははっきりとわかるんですけども、
その前のシーンかな、
あなたなんか大嫌いみたいなセリフが言われるんですよね、夏香さんに。
ここが、あんまり説明されていないわけですけども、
まあ状況的に想像するとですけども、
その夏香さんの、
作品の中だと、塔の中にいる大王子様が下の世界の王の役割を
血の繋がったものに継承させたいみたいな話が出てくるんですけど、
どう考えてもジブリの継承問題みたいなものを思い浮かべますよね。
そこでまさか血が繋がってないといけないみたいな
身も蓋もない言葉が出てくるってことは面白いわけですよね。
宮崎吾朗さんとか、血縁者がいま映画制作とか、
ジブリパークとかね、
やられてますけれども、それには普通に考えて家族とか組織の中で
いろんなことがあったんだと思うんですけども、
それが作品の中にこんなストレートな言葉とかシーンとして出てくるってことはね、
やっぱりこれ私小説として見た時にすごい面白いんですよね。
ただね、ただもちろんですけども、小話の中の最後の結論としては
主人公は大王子様だったんですよね。
ただね、ただもちろんですけども、小話の中の最後の結論としては
主人公のマヒトはね、それを拒否して
血縁者だから王の役割を継ぐなんてことは起こらないんです。
だからそういう意味ではバランスが取れてるようにも見えるんですけども、
なんかそれ一個一個のところがね、半径数メートルの中から
紡ぎ出してるファンタジー世界としてもすごく面白いポイントですね。
私は詳しいことは分かりませんけども、
その高畑勲監督が亡くなってから初めての映画ということで、
もしかしたら高畑さんの目とかですね、気にせずに
やりたいことをやって、言いたいことを言ったみたいな作品だったのかな
なんてことも思いまして、高畑さんって言うと理屈がすごく大事っていうか
理想が大事みたいなお考えをお持ちの方で、そこに長く刺激を受けたり
教育されたりされてる関係だったのに対して、
もしそういう重しがなくなったとしたら、もっと快楽主義的、
もっと全体の辻褄よりも部分の魅力が大事みたいな、
そういう宮崎駿監督の良さが伸び伸び出せたんじゃないかな
なんてことも思いまして、それが当たってるかどうかは分かりませんけども、
そういうのがいつも以上に出てたような気がして、そこがすごく良かったですね。
あと見どころ、3つ目です。
2時間の映画に収めるにあたって、収まりの良い終わり方をしていると思っていて、
最後ですね、その下の世界の継承をしないかっていうのに脳を唱える。
この辺ってあんまり見たことがないんですけど、
この辺ってナウシカの7巻における汚れた世界を生きますみたいな風にして拒否する、
毎シーンに重なる部分があると思いますけども、
そういう終わり方って宮崎駿が自分で生み出したスタイルだと思うので、
それに近しいような締め方で終わったっていうのは、
終わり方としてまとまりが出て良かったなっていうか、思いましたね。
実質的なナウシカ2、ナウシカ2とは言えないな。
ナウシカの漫画版の最後でやりたかったようなことに近いような終わり方。
もちろんね、あれほど複雑なことを2時間の中で描けないので、
ナウシカで出たような感動ね。
私たちの血を吐きつつ、繰り返し繰り返し、その朝を越えて飛ぶ鳥だっていうシーンがありますけども、
そこまでの感動を、
あれを2時間の中で描けないまでも、それに近しいカタルシスがあってすごく良かったですね。
これって考えてみると、繰り返し宮崎駿作品の中でテーマになっていて、
直前の風立ちぬでも、ピラミッドのある世界っていう言葉が出てきますよね。
何かの高度な技術とか、
知識とか、その立場を持った高貴な人々、
その世界をまとめる、リーダーとなる、資格のある人々みたいな意味で、
そのピラミッドのある世界、
ピラミッドってそういう力がなきゃできないものだから、そういうものが、そういう力のある世界、
肯定させる必要がある。
直近の場合は、古代の技術を保存して、いつかそれを再生しようと思っている母書の王様たちがいて、
そういうのがありますよね。
宮崎駿自身も、この作品の中でもそうですけども、
自分の作品の中でもやっぱり、
ピラミッドのある世界を肯定するかどうか、
この作品の中でもそうですけども、
自分の作品の中でも描かれている幼少期のシーンなんかを見てもそうですけども、
どちらかというと立場のある、額のある、お金のある、高貴な、そういう生まれなわけですよね。
そんな中で、そういうピラミッドのある世界とか、
リーダーとなるべき資質のあるヒエラルキーのある世界みたいなものの、
どちらかというと上位にいる側の人間なんだけれども、
そういうものを繰り返し拒否すると。
ナウシカの中では拒否していた。
ちなみに風立犬の中だと拒否していたわけじゃないのかな。
それへの憧れに踏み出すような表現もあったと思うんですけど、
そういうシーンもあったと。
一方、そこからさらに10年して、自分がどういう作品を作らなければいけないかというときに、
もう一回君たちはどう生きるかという急問主義的な立場に立った、
捉え方によっては不尊なタイトルをつけつつも、
でも作品の中では、そういうものをどこか拒否して階段を降りて、
僕たちは友達を作りますみたいなものになるというのは、
宮崎駿の中にこの二つの部分があるわけですね。
庶民的な一ベタに降りていく感覚と、
でも生まれとしては高貴な、
その葛藤みたいなものが常に繰り返し形を変えて出てくるんですけど、
やっぱり最後それが出てきて終わるというのは納得感がありまして、
見どころだなと思いましたね。
そうじゃない話のパターンも結構あるんですよね。
例えば、一番皆さんよく知っているのが千と千尋とかだと、
名前を取り戻すことによって元々いた世界に戻ってくるみたいなやつは、
あれはですね、ゲド戦記の話のパターンとかなんですよね。
それはそれで僕すごく面白くて好きだったんですけども、
やっぱり自分が生み出したナウシカのパターンで最後締めているというのはね、
僕良かったですね。
なんか今見どころ4つ言ってたけど、3つで終わっちゃった。
4つ書いたんですけど、3と4を同時に喋っちゃいました。
ナウシカの話とカズタ千尋の話、一緒みたいなものですね。
一緒に喋りました。
ここから先はダラダラと思いつきみたいな感じになると思うんですけど、
今回はストーリーが何回で分かりづらいみたいなことを
ネットの感想なんかでも見かけるんですけども、
実はストーリー自体は過去のそれこそ本当に何回だったハウルとかに比べると
だいぶ分かりやすいシンプルな構造を持っていると思っているんですけども、
でもそれが分かりづらく見えてしまうとしたらですね、
大叔父の動機が最初よく分からないんですよね。
その動機が明かされるのは結構中盤以降だから、
青鷺が何で行動しているのかとか、
大叔父がどうしたいのかとか分からないから、
分からない間に振り回されている時間が多少映画の前半中あるから、
そんな風に感じるのかなと思ったんですけどね。
こういうのって、もし宣伝をすごいやっていたら、
事前の宣伝とかで補えたりするんだと思うんです。
例えば、謎の塔に住む大叔父の目的は世界の継承者を探すことだと。
宮崎駿最新作、君たちはどう生きるかみたいな。
そんなコピーがもしあったとしたら、構造が分かりますよね。
動機が分かるというか。
ただもう本当今回そういうのなくて、
いきなり映画見に行って、
いきなり宣伝の東京の下町の火事のシーンから始まって、
リアリズム的な映画なのかなと思いながら最初の10分、15分過ごして。
そしたらマジックリアリズム的な青鷺がいきなり喋り出すみたいなね。
そこでゾワゾワってしますよね。
これファンタジーっていうか、リアリズムじゃなかったんだって、
あの時点でやっと分かりますけども、
割とたっぷりと普通のリアリズムの部分を映画の中に入れて、
たっぷりと普通のリアリズムの部分を描いていくんですよね。
そこから急にスイッチ入れて、お話が始まっていく。
ただスイッチは入ったんだけれども、まだ世界の全体像が見えない。
相手の動機が見えないっていう時間が結構続くんで、
それでこれあれ何なんだろうと思うかもしれないですね。
ただお話自体はすごいシンプルだと思いますね。
謎の塔の中に入っていって、
戻ってきて、
その間グニャグニャといろいろあるんだけど、
そのグニャグニャはストーリーというよりかは、
夢の中の世界みたいなところがあるんで、
シーンの連続性がよく分からないから、
難しく見えるかもしれないんですけど、
特に意味がないと思ったらこだわらなければいいと思います。
僕も特にそういうのをこだわらないんですよね。
死者が行われた後に宮崎駿監督が自分で、
おそらくわけがわからなかったことでしょう。
私自身わけがわからないところがありましたと言ってますけども、
そんなもんなんですよね。
だから必死に考察してもしょうがない部分があるというかね。
なのでそういうの気にならずにね、
ひたすら各シーンを楽しみましたね。
各シーン楽しんだと言えば、食べ物ね。
ハイジのパンが出てきたときに、
キター!と思いましたね。
パン2カ所出てきますよね。
キリコさんがスープと一緒に食べるときのパンと、
あともう一つ、丸パンというか、
丸パンをナイフで切って、
あとバターとジャムを乗っけるときのパン。
そういうパンが出てきて、
パンが出てきて、
パンが出てきて、
パンをナイフで切って、
バターとジャムを乗っける時のパン。
そっちの校舎のパンがね、
ハイジに出てきたオンジが切っている。
丸いパンにそっくりで、
キッター!って言って、
キッターっていうか、
そういう楽しみ方であっているかどうかわかりませんけど、
いやもう、めちゃくちゃ面白かったですね。
しかし今回というか、
ある時点からジブリ作品ってこう、
液体の表現がオーバーになりました。
汗の粒もでっかいし、吹き出る血もブニョブニョして、すげえ出てくるし。
で、それが体から出てくる体液だけじゃなくて、涙とかだけじゃなくて、
バターとかジャムをグニョグニョしだして、そんなにたっぷりつけないだろうと。
しかもそのジャムパン食った時に、そんな顔中ジャムまみれにならないだろうみたいなのをみんな思ったと思うんですけども、
ああいう過剰さが、何言っても褒めるおじさんみたいになってますけども、ああいう過剰さがいいですよね。
なんかギョッとするというか。
やっぱり今回も食事シーン良かったですね。
あと大根混ぜ飯、大根かで飯とか言うのかな。
あれなんかまずそうだったけど、今逆にまずいって言ってましたけど、
もう食ったことないから作ってみようかなと思いましたね。
大人になると意外とあんなシステムの方がうまいかもしれない。
ちょっとね、そういう事やってみようかなと思いました。
しかし今回の事前の宣伝なしみたいなことが話題になってますけども、
そしてそれは掛けであるみたいな、スラムダング方式であるみたいなことを言ってますが、
合理的な部分もあるなと思ったのが、あれを風立ちぬのようなリアリズム小説なのか、
いやそれともそうじゃなくて隣のトトロみたいな、
そこに異世界のものが混ざってくるものなのかっていうのは、
どっちか分からなかったんですよね、事前に。
事前に分からなかったことでアホサギが喋り出すシーンが特別面白く見えたりってことがあったんですけども、
本当に全く知らないことで楽しめたっていうところがあったんで、
これは本当そういう手段を取ってくれてありがたかったですね。
こんな形で映画に出会うことってないですからね。
あと最後に、これはジブリの作品の外の話になっちゃうんですけども、
今年発売された村上春樹の最新小説、
「街とその不確かな壁」っていうのがあるんですけども、
これとの不思議な共通点を感じずにいられなかったですね。
すごい似てた。
宮崎駿は82歳か83歳、村上春樹は70いくつだと思うんですけども、
長年温めてきたモチーフを再び取り上げるっていう面で似てるのみならずですね、
2人の人物が出てきて、それはどちらも作家の党員であると。
今回の宮崎駿の場合は、大叔父と少年の真人ですよね。
村上春樹の場合は主人公、イエローサブマリンの少年というのが出てくる。
その中で力を受け渡すという継承というテーマが出てくる。
この継承というテーマもジブリのアニメの中に出てきますよね。
そう思ってみると、真人というのはイエローサブマリンの少年ならぬ、
君たちはどう生きるかの少年なんですよね。
ユシノ・ゲンザブローの本を読んだ、ビートルズのレコード、イエローサブマリンに対する
ユシノ・ゲンザブローの小説を読んだ少年として、君たちはどう生きるかの少年というのが出てきて。
違いがあるとすると、村上春樹の方は大人の方が主人公になっていて、
ジブリの場合は少年の方が主人公になっていると。
かたや壁の中に入っていって、かたや塔の中に入っていって、最後それを拒否して戻ってくるのも一緒。
なんか不思議ですよね。
でもね、だからどうなんつつ話はあるんですけど、なぜわざわざこの話をしたかというと、
似ているところはいくつか挙げたんですけども、村上春樹の小説の方ははっきり言って全然面白くなかったんですけども、
宮崎駿の最新作はめちゃくちゃ面白かったんですよ。
で、これなんでこういう違いが出るんだろうと思った時に、私が理解したのはですね、
宮崎駿は個人名で言ってますけども、やっぱりチームでプロダクションしてるんですよね。
個人で、自分の世界だけで書いてる小説と違って、やっぱり映画制作って、
いかにこうシナリオ、エコーンテ、一人で書き上げるようなスタイルを取ってるとはいえ、
やっぱり他の人の意見、他の人のコラボレーション、周囲数メートルから受けてる影響みたいなものが、
作品の中にどんどん入り込んでいくわけですよね。
そういう意味でアニメっていうのは当然ながらチームワークだし、これもともとチームワークですけども、
それはこれだけ作家性の強い宮崎駿においても、やっぱりそれチームワークで。
そうなると自分が生み出してきたスタイルとか、自分がやってきたやり方みたいなものを箱にして、
その箱の中に過去関わったアニメーターとか作家たちのやり方なんかが混ざり込んできて、
自分の周囲の人間から受けた影響がいろんなセリフとかキャラクターに投影されて、
一つの形になっているみたいな。
やっぱりそことのチームワークとか外部との影響をたくさん受けているっていうのが、
やっぱり同じテーマを使った、どちらも偉大な人気作家ですけども、
最後の作品の仕上がりから受ける影響に、こんだけ差が生まれる理由なんじゃないかなと思いました。
君たちはどう生きるか。
僕300点って言ったんですけど。
街とその不確かな壁は点数言いたくないぐらいの。
そんなことを思ったんですが、それはいいか。
でもこれも楽しみ方っちゃったの。
ただね、別にこれ読んでないと楽しめないなんてことはない。
ちょっとダラダラと言っちゃったんですけども、
振り返るとまず絵、そしてアニメーションに注目するとめちゃくちゃ面白いですよ。
その二、私小説だと思って読むと、いいよというか、そう思って読むと倍増します。