イントロダクションと「インザ味噌スープ」の感想
みなさん、こんにちは。マスコットです。
みなさん、こんにちは。マスコットです。
スタンダードFMの時はあれですね。
えーと、なんて言ってたんだっけ。
こんにちは。なんだっけ。
SWC、スロースウィズクリエイターズ、コミュニティメンバー。
こんなことも忘れている。
みなさん、こんにちは。
SWC、スロースウィズクリエイターズ、コミュニティメンバーのマスコットですって言ってたんだけど。
それすら忘れてる。
そのマスコットです。
久しぶりにスタイフを撮っています。
最近、インザ味噌スープをですね、
村上隆さんですかね。
インザ味噌スープね。
聞かなきゃと思って、
オーディブルでね、
あったんで聞いたんですよ。
どんな話か全然分からなかったから、
表紙が怖いなと思いながら、
たぶんおそらく外人が、
私は味噌スープの中に飛び込んでみたい。
それくらい味噌スープが好きですみたいなことを言って、
じゃあみんなで巨大な味噌スープを作ろうって言って、
日本人の人たちとか他の国の人たちみたいに集まって、
巨大な味噌スープみたいに作って、
その中に入って、これは夢のようだねって言って、
インザ味噌スープっていう話かなと思ってたんですけど、
嘘です。
そんなことは思ってないんですけど、
この表紙から怖いんだろうなと思ってたんですが、
その想像を100倍超える怖い話で、
伝えたいこととかも多分あるんだと思う、
メッセージみたいなのが多分あるんだと思うんですけど、
正直僕にはそれを聞けないくらいグロテスクな表現があったので、
でも音声で聞いてて、
濱田岳さんですよね、俳優がやっていたので、
だからあっちのフランクの声も多分やってて、
まさかそんな話とはと思いながら、
なんかショッキングというか、
詳細に聞いてるとちょっときついんで、
音声だから、詳細には頭の中でイメージしないようにしながら、
ちょっと残酷なシーンは聞いてたりしましたね。
全然そういう話じゃねえじゃんって思いながら、
味噌スープ全然出てこねえしと思って、
最後の最後に出てきてましたけども、
それで、
味噌スープってこんな話だったんだなっていうことを思ったよっていうのがあって、
YouTube動画「地域化する日本はもう積んでいる階級から身分へ」からの考察
そんなことはどうでもいいんですけども、
今日ですね、
YouTube見てて、
で、
プラネッツのYouTube、
UNOさんとミノワさんのやつで、
地域化する日本はもう積んでいる階級から身分へ、
リハック系とミセス系かなっていうタイトルで長いですね、
YouTubeのやつ。
僕は有料であれしてないんで、
無料のゾーンのYouTubeのところしか聞いてないんですけど、
聞いてて、
僕は地域化はアニメ、テレビで見たりとか、
漫画見たかな、テレビで見たことがあるぐらいで、
なんとなくは知っている、キャラクターも知っているし、
一応歌も、地域化の歌は、
いい曲というか、面白いなと思って歌える、
フルでは歌えないけど、たぶん一番歌えるぐらいな感じで、
でも映画はいろんな評判があって、どうなんだろうなと思いながらも、
子供たちが見たいって言わなかったから、結局見てなかったんですけど、
そこで話してたのが、見てないからっていうのはあるんだけど、
地域化は割と現代を映しているんじゃないかみたいな話をされていて、
地域化の世界というのは、その中でもどれって言うとあれですけど、
そういうような表現をしていて、
あるすごく上昇志向というかな、
上を目指して何者かにあるみたいな話をずっとしてますけど、
そういうところとは全く違くて、競争社会みたいなところでもないし、
小さな幸せをその中で見つけて生きていくみたいな話で、
っていうのが割と現代を映しているんじゃないかという話と、
皆さんの話で、リアクの中で年収400万くらいかな、
の人に対してもっと働けよっていう、ある種煽るっていうかね、
反応をわざと見るためにそういうふうに言っているっていうところに対しての、
YouTubeとかの反応が、いやもうそんなこと言わないでくださいみたいな、
ギャグにならないっていうかな、ギャグじゃないんだけど煽りにもならないみたいな、
本当にやめてくださいみたいな、そういうんじゃないんですよみたいな。
つまり何が言いたいかというと、おそらく10年前くらいの時の、
皆さんとかが本を出した死ぬこと以外かすり傷とかいう時の時代とかって、
まだ何者かになるんだっていう人が割と多くて、
そういうチャンスがあるだろうと思っている人たちが多かったんだけども、
もはやそういうものすらない、ある種虚無というかな、
まだいかないけど、小さな幸せを地域化のように見つけて生きていく、
それだけでいいじゃんみたいなっていうのを、
そういったものに近いんじゃないかという話をされていて、
なるほどなと、そういう感じで今現代の、
まずみんながみんなというわけじゃないけど、そういうことがあるんだなと思って、
すごい興味深かったんですけど、
「何者かになる」こととAIとの対話
そこで思ったのは、結構しばらく経ちますけど、
何者かになるみたいな話を、
両太郎さんとワーパパさんとかされてたのとか聞いたりしてて、
その中で二人とも別に何者かになりたいっていうふうに言うこと自体が悪いとか、
どうこうっていう評価をしているわけではないし、
そんなことは思ってないと思うんですけど、
何者かになりたいって思うこと自体は、
僕は結構、何て言うんだろうな、
ある種、必要って言うと違うけど、
持ってたほうがいい意思なんじゃないかなと、その時漠然と思っていて、
そういう時、僕はAIと話を結構するっていうか、
対応しているんですよね。
そういう感じだったんだけど、みたいな。
そこで、自分の中では前回、
僕は啓蒙じゃないけど、自分の価値観で生きるみたいなことを、
建築や家具を通して伝えていきたいんだ、みたいなことを話してたんですけど、
まだちょっと、何て言うんだろうな、
近いところにあるんだけど、その言葉がそうなのかなって思ってて、
欲望の変遷:欠如から充足、そして推薦の時代へ
そこでちょっといろいろ話してて、
時代の流れとかって考えた時に、
欠如の時代というか、物が欲しいみたいなのが、
戦後の高度経済成長の時からのイメージに近いんですけど、
冷蔵庫とか車とかテレビがないからだから欲しいみたいな感じで、
その欠如から欲望とかが湧いて、
働くとか作るとか手に入れるみたいなことがあって、
その後に、
物よりもことみたいな話をされてたと思うんですけど、
まさにそこになっていって、
その後にあったのが、思いなさい。
欠如の時代から、物が欲しいという状態から次にあったのは、
充足と標準化の時代で、
幸せの形が結構パッケージされてて、
物が普及した後に何を買うかだけじゃなくて、
どう生きれば幸せかというのが商品化されてて、
4LDKとかマイカーとか対面キッチンとか何とか風とか、
人気ランキングとか○○の暮らしとかみたいな、
感じが起きて、
ここで欲望の前に答えが置かれ始めるということが起きたんですよね。
これがあります。欲しかったらどうぞ。から、
普通の幸せとかこれですよみたいなことが、
なんとなく全体に浸透していったみたいな時代があって、
僕は前からずっと言っている、
ハウスメーカーとかコーム店とかに対する違和感というのは、
標準化とかパッケージされたものに対する違和感を持っていたんですけど、
そういうところがあって、
人間まで標準化してしまうということに違和感を僕は思っていたんですよね。
さらに最近になってきて、
物からことへになってきて、
経験までが満たされるようなもので、
物質的な不足がほぼなくなって、
何を持つかよりもどんな体験をするかとか、
どんな物語の中にいるかというものへの消費が移っていって、
旅行とかライブとか推しとか、
SNSとかゲーム動画コミュニティとかですね。
それでもまだ今の物からことという段階では、
本人、それぞれの人がこれをやりたいと探している部分が大きいんですけど、
ここに今度アルゴリズムが入ってきて、
推薦の時代ですよね。
これはあなたはこれが好きなはずですと言って、
これはもう入りかけているし、僕も結構なっているんですけど、
検索する前にオススメが出て、
次に見る動画を考える前に再生されて、
買いたいものを探す前に広告が出るみたいなことですね。
こうなると欲望が少しずつ、
自生するものから予測されるものへと変わってしまうんじゃないかなというのがあって、
さらにそこに今AIが来ていて、
これ本当に多分、
AIを第何段階とかっていう風に分析すると面白いなと僕は思ったんですけど、
AIの進化段階:仕事の委任から選択、目的の委任へ
一番最初にAIが出てきた時って、
AIが一般化した時っていうのは、
答えを聞くって感じで、
これについて教えてっていう聞き方をしていて、
その時代はもう終わるっていうか、
今それもやっているところもあるけど、
次の時代に入って、
第二段階に入っていて、
今はもう仕事を任せるみたいな、
これを作ってとか、
これをやってっていう時代に入ってますよね。
僕もまさにこういうことは結構AIに任せているんですけど、
ここまでは結構皆さんも実感として、
それあるよね、
この第二段階あるよねっていう風に思うんですけど、
次の段階が多分おそらくなんですけど、
選択を任せるっていうことが起きるんじゃないかと思っていて、
僕ならどっちを選ぶべき?みたいなことなんですよね。
聞くんじゃないかっていう風に思っていて、
これも僕もたまにやるんですよ。
自分でもどっちを選んだほうがいいかって分からないから、
あなたが僕だとしたらどっちを選びますか?みたいなことを
僕も聞くことがあってて、
実際だからそういう状態になっている。
これもちょっと危ないなと思いつつも、
そうだなと思っていて、
でも怖いのがその次の第四段階で、
目的や欲望も任せちゃうんじゃないかっていう風に思ったんですよね。
僕は何をしたらいいか。
どっちっていうのは選択だったんですけど、
その第三段階は。
第四段階になるともはや、
僕は何をしたらいいのかとか、
僕に向いている人生はとか、
何を欲しがれば幸せなの?みたいなことまで
聞いちゃうみたいなところがあって、
AIが本人以上に本人を予測するようになってしまうと、
その先でもう質問すら必要なくなってしまって、
これが結構僕は危ないと思っていて、
欲しいっていう風に思う前に、
欲しいものが供給されちゃうみたいな状態なんですよね。
だから今までは、
欠如しているっていうことに対して、
欲望があって、そこに好意があって、
充足があるっていう流れがあったと思うんですけど、
っていう人間の回路ですよね。
それが何か予測から供給されちゃって、
充足しちゃうっていうのに変わるんじゃないかなっていうのを思っていて、
でね、
能動的な幸福と受動的な快楽、そして人類の未来
これは僕、AIと話してて出てきた言葉なんだけど、
小さな幸せとか、
チーカの話をしてた時に、
僕も小さな幸せって別にいいことだと思うし、
いいことだなと思うと同時に、
幸せについて考えた時に、
能動的な幸福と受動的な快楽っていうのがあるんじゃないかっていうのを、
AIが言ってきて、本当そうだなと思っていて、
能動的な幸福っていうのは、
俺はこれが欲しいっていう感じで、
世界に手を出すみたいな感じなんですけど、
受動的な快楽っていうのは、
あなたが喜ぶものですみたいな感じを出されて、
それに反応するっていう感じで、
校舎、受動的な快楽も楽しいとは思うんですよね。
僕も例えばM1とかね、
お笑いのそういうコンテストみたいなのを見て、
笑って楽しいし、
YouTubeだって面白いし、
そういうものもあるとは思うんですよね。
人生全体が校舎、
でもそう、だけど、
人生全体が校舎、つまり、
受動的な快楽だけになってしまうと、
欲望する主体じゃなくて、
供給されたものに
反応する存在になっていってしまうんじゃないかな、
というふうに思っていて、
これSFとか、
別に陰謀論とかの話とか、
みたいな話に聞こえるかもしれないけど、
実はその、
ユートピアだと思ってたみたいなことが、
実はディストピアなんじゃないかなみたいなことを
だんだん思ってきたんですよね。
これも僕が勝手に思っているだけなんだけど、
つまり、
人類がずっと夢見てきていたものっていうのは、
ユートピアですけど、
それが例えば、お腹が腹が減らないとか、
病気にならないとか、
働かなくていいとか、退屈しなくていいとか、
寂しくないとか、
欲しいものが何でも手に入るっていうものだったんだけど、
でもそれを極限まで実現すると、
どうなるかというと、
欲しがる必要がそもそもないっていうものになると思うんですよね。
そういうことになっちゃうんじゃないかなと思っていて、
例えばマトリックスとか、
皆さん見たことある人多いと思うんですけど、
マトリックスの世界って、
要は仮想空間が現実のように感じていて、
でもそれはあくまで仮想で、
そういう理想とか、
自分がなりたい姿とかっていうのを見れるような、
仮想空間を現実のように錯覚するっていう、
装置っていうかポットみたいなのが入れられているわけですよね。
それが人間にそういうものを見せていることで、
それがエネルギーになって、
AIたちが動けるみたいな感じで、
人間が搾取というかエネルギー源として、
そういうポットの中に入れられているっていう状態から、
マトリックスの世界ではそこから、
それが現実なので、
その仮想的な理想とかそういうのを見ているものから抜け出して、
本当の世界を取り戻そうみたいな感じでなっていて、
要はそのAIと戦うみたいなところだと思うんですけど、
でもそれは人間がポットに閉じ込められてしまっているというところから抜けるという話だったんだけど、
よくSFとかでそういう話があって、
そういうことで人類が滅亡とかしちゃうのかなとかっていうのを漠然とSFを見ながら思っていたんだけど、
でもこのままこういう流れで欲しがるみたいなことが必要がなくなっていくと、
そもそも人間がそのポットに入りたいよっていうふうに言う人が増えていって、
それで別に理想とか自分が見たいものとか欲しいものとか全部手に入れられる世界をずっと見て、
それが真実だというふうに思うような錯覚だけど、そういうふうに思える、
深底というか本当にそういうふうに思えるみたいな世界に入れるのはそのほうが楽しくないっていうふうに、
そのほうがいい、楽しいというかいいんじゃないって思う人が出てきて、
自分から最終的にポット入っていくみたいなのを思えて、
そうするとなんかその継続することを、続けることをやめてしまうっていうふうに思ってくるんじゃないかなと思うんですよね。
でもそっちのほうが幸せだからって言って。
そうすると何が起こるかというと、全員がそこで幸福で誰も続きを欲しがらないみたいな世界になっていって、
結局その文明をもっと良くしたいとか、新しいものを作りたいとか、知らない場所へ行きたいとか思わないとか、
子供を残したいと思わないとか、この先を見たいというふうに思わないってなって、
結局それで人類っていうのは殺されて終わるんじゃなくて、続きを欲しがらなくなって終わるみたいなことを思いっきり想像なんですけど、
そういう未来がこの流れでいくと加速してしまうんじゃないかなっていうことを思ったんですよ。
だからこれはよくある、別にSFとか陰謀論とかみたいに誰かがそういうふうに仕向けてるんだとかじゃなくて、
人間自らがだんだんその方がいいじゃんっていうふうに思っていって、続きを欲しがらないみたいな状態になっていって、
人類が終わっていくんじゃないかみたいなことを想像しちゃったんですよね。
これはかなり飛躍した論というか考え方ではあるんですけど、でもそういうこともこのままの流れでいくと結構現実的、
あまりにもSFで非現実的なものとも言えないみたいなことを思ってしまって、
別にそこに対して今すぐ危ないとかどうこうとか思ってるわけじゃ全然ないんだけど、
そういう未来も結構あり得るなっていうふうにだんだん思ってきて、
でも僕はやっぱり人間性みたいなものを持って人類が続いていくっていうかなり壮大な話だけど、
「自分で欲しがれ」というメッセージとドクターストーン
そこが大事だと僕は思っているので、その時に今まで話してた自分の価値観で生きるとかっていうのを考えてみると、
どっちかというとそういう流れから考えていくと、
割と自分の中の人に伝えたいメッセージとしては自分で欲しがれみたいなことだと思ったんですよね。
別に何者かになろうとかじゃなくて、前は今までみんなで何者かになろうぜっていうちょっと間違っちゃった表現をしてたんだけど、
別に何者かになる必要はないんだけど、僕は多分欲は持ってた方がいいって思ったんですよ。
じゃないと欲も持たなくなってしまうと結果的にそういうふうなことにもつながっていく可能性があるので、
それこそ人間に許されたものっていうところがあって、
だからAIとかから見れば無駄っていう言葉にも近いのかもしれないんだけど、
そういう欲があることは結構重要で、
別に成功しろとか上昇しろとか満足するなとかっていうことでもなくて、
小さな幸福でもいいんだけど、自分がこれを欲しいとか、これやってみたいとか、この先見たいみたいなことを手放しちゃいけないっていうか、
それは持ってないといけないんじゃないかなと思ったんですよね。
そう思った時に、ドクターストーンって漫画があるじゃないですか、アニメでも最近完結したんですけど、
あれ見てて、やっぱり主人公のセンクーはそそるぜっていうセリフがあるんですけど、
そそるぜっていうのは思いっきり欲だと思うし、
そこのメンバーの中の、センクーじゃなくて航海士の人、名前どう忘れしましたけど、
航海士っていうか船をあれする、名前出てこないからまあいいや、
その人も全てが欲しいみたいな、その人の口癖があって、
だから欲求なんですよね。何かを自分の中で満たしたいっていう欲があって、
欲っていろんな種類があるからね、悪いことの方にも欲っていうのはあるんだけど、
純粋に何かないものを作っていくっていう、
ドクターストーンってそういう世界、文明がなくなっちゃったところから、
現代、さらにはその先へみたいなところまで一気にみんなで作っていくっていう物語なので、
まさにそこに多分欲がなければ、そもそも別に生きていけるわけじゃないですか。
ストーンワールドっていうか文明がなくなっちゃったとしても、
ご飯食べていって異色獣みたいなものがあれば一応満たされるんだけど、
でもそこじゃなくて、満たされるというか、そこでそれでも生活はできるんだけど、
そこで欲があったからどんどんどんどん大きくしていって、
最終的には宇宙まで行っちゃうんですけど、
っていうところまで持っていくっていうのはやっぱり欲があったからだし、
そういう意味で自分で欲しがるみたいな、自分で欲しがるみたいなことがあったから、
そこに至ったのかなと思って結構重要なことなのかもしれないなと思ったんですよね。
そういうことが人間であり続けるためにすごい重要になるし、みたいなことを僕は思ったので、
そういう意味で、でもこんなことを多分発言したところで、
まるで偽名物語というかSFを喋っている人と変わらないので、今話していることは。
そういうことをいろんな人に伝えていこうみたいなことを伝えられるだけの別に影響力も持ってないですし、
ただの格納というかSFですよね、言っていること。
だから僕としては別にこのことを言ってもしょうがないので、
その欲が重要、自分で欲しがるみたいなことになるような活動を建築や家具とかを通してできたらいいなというふうに思っていて、
それの活動を今やろうと思っていますね。
ちょっと今なかなか手を出せないというところがあってあるんですけど、そういうことをやっていきたいなということを思っています。
考察と問い、そしてAI時代における危機感
SFでなんでこれ話したかというと、どう考えるのかなってSWCのメンバーの方がもし聞いてくださるとしたらそういう方が聞いてくださると思うので、
今の話で皆さんはどう思うのかなというのを知りたくてこういう話をしました。
僕の中ではこの話は結構面白くて、飛躍したかもしれないけどあって、
あと考察する若者たちの三宅さんの話とか考えると、
その考察文化とかもわりとその答えをみんな知りたいんだけど、
考察と費用というのは対比で言葉で出てくるんですけど、
費用というのは別に答えを知るとかじゃなくて問いを作るみたいな方なので、
それが多分考察は答えで、費用は問いというところがあると思うので、
だから僕も考察をしても別に考察が悪いと思うわけではないけど、
費用もすごい大事だよねっていうのはすごい思いますね。
問いを持つということなので。
だから知らぬ間にそれが自分の価値観で選べとか自分の価値観で生きるっていうのを僕が言っていたのは、
知らぬ間にそういう自分の欲望みたいなところが抑え込められて、
それすらなくなっちゃって、
だんだん自分はそうに違いないって思っているかどうかもよくわからなくなってっていうことになっていくんじゃないかなと思っていて、
僕自身もさっき言ったAIの第三段階の僕ならどっちを選ぶべきみたいなこともやっちゃってるんで、
そういう意味ではもう一つ上の第四段階までいったら僕は何をしたらいいのかとか、僕に向いている人生はとか、
自分を守護っていうかな、自分をもうそこから抜けるっていうか、
AIにそこを渡しちゃう、自分の主体を渡しちゃってるみたいな状態になると、
もはや欲望などなくなってしまうとか、欲しいと思う前に供給されてしまうっていうのがあるのかなと。
まあショート動画とかよく言われてますよね、アルゴリズムがあなたが見たいと思うであろうものを連続的に出すので、
その考えるという暇さえは与えない。
でもそれがだからそういう未来をもたらす可能性を作り出しているのではと思っていて、
なのでその危機感をすごく思いましたね。
小さな幸せはいいけど、なんか自分で考えて、自分の中から出てきたこの幸せだなと思うことなのか、
それともこの一般論的にみんながそうやって言われてるからそれは幸せに違いないっていうふうに思っているのかっていう、
自動的な快楽なのか、能動的な幸せなのかみたいなことは結構重要な気がしました。
だからなんか、そういう恐怖っていうかそういうことを感じたし、
だからといってあと一つ勘違いしてもらいたくないのは、だからAIを使わない方がいいよとかっていうような考え方でもなくて、
AIを使うっていうのは時代の必然性というか、みんなそこから逃れることはもうできないし、
僕もAIを使わないで何か考えるってことはもうほぼできないんで、
それはまあ、その手段として全然いいと思うんだけど、
その欲望まで渡しちゃうとか欲しいとかそういう欲求みたいなものまで全て渡しちゃうと、
それは考えることすらしなくなって、欲しいという感情すらなくなっちゃうみたいなのも思ったよっていうのをね、
なんか不意に、久しぶりに自分の中でそういう空想をして、空想ですけどね、こんなのしたよっていうのがあったので、
そういう話をしました。だから僕の中では自分で欲しがれみたいなのがテーマで、
まだそこから変わっていくかもしれないけど、それが今の自分の考えの中では近いかなと思ってて、
それに対して自分のやり方でそれを考えていく、発信していく、
家具や建築というフィルターというか、それを通して伝えていくみたいな方法がいいのかなと、
そういうものをやりたいなっていうことを思ったんですよね。
それは誰かにやった方がいいとか、社会的にこういう方がいいからとかっていうのもあるし、
全部か全部じゃないけど、どっからっていうのはあるんですよね。
正直言ってたぶんきっかけとかは、そもそもそういう何かの影響を絶対受けなければきっかけというのは出てこないものだし、
だから全てをそこに任せちゃうみたいなことは違うと思うし、微妙なバランスではあるんですけど、そんなことを思いました。
だからそういうことを思ったよっていう話でした。
夏の終わりの風物詩:歌、長野の夏休み、高校野球
最後まで聞いてくださりありがとうございました。
スロースロースロース。
久しぶりに言った。
あとそう、全然どうでもいい話ですけど、
夏の終わり2026年バージョンを歌いました。
サンダイフェムで。
さすがに別になんて言うんだっけ、少年。
よく考えれば恥ずかしいし、
今年はもう本当に3年目なんですよ。3回目なんで。
ちょっと感慨深いですけど、3年もこんなことをなぜやってんだろうっていうのと、
その結果、なぜ僕は本気でこれを歌っているんだろう、3回もっていうふうに思って客観的に見ると、
途中で笑っちゃって何回か撮り直したんですけど、
でも何か分かんないけど、週間に1年に1回それをやるっていうのは何か意味がある。
意味があるのかな、分かんないけど、自分の中では何かやったほうがいい気がしたので撮りました。
だから全員に出演していない人に聞いてもらうものでもないから、
URL限定にして、ゾコさんがXの中で今年も歌ってくださいねって言ったから、
とりあえずDMだけは送っておきましたっていう話でした。
別に聞きたい人がいたら教えますというか、別にそんな大層なもんじゃないし、
ないんですけど、それをやったよっていう話でした。
夏終わっちゃいましたね。
全然関係ないけど、長野県ってめっちゃ夏休み短いんですよね。
ほぼ全国ワースト5に入るのかなぐらい短いです。
だから明日から幼稚園の娘、下の娘は始まりますし、
明後日から小学校も長女も小学校始まるんで、
30日ぐらいしか確か夏休みないんでね。
入るのもちょっと遅いんですよ、そもそも。
だから僕は小さい頃それをもうめちゃくちゃ憎んでましたけどね。
ふざけんなと思って。
なんでみんな8月31日まで夏休み、他の県の人たちはあるんだと思って。
でも全国的にそうじゃないらしいですけどね。
調べたら4割ぐらいだっていうふうに書いてありましたけど。
あと一つ言っておくのは、だから冬休み長いんでしょみたいな。
その代わり冬休み長野って雪とか降るから長いんでしょって思われる方いらっしゃるかもしれないですけど、
冬休みも別に長くはないです。
し、寒中休みみたいな他の休みがあるわけでもないです。
ただ単に短いんですっていうのがあって。
だから僕の中では結構夏の終わりだなっていう感じがまさに今日してたので、
そういう話をしました。
でも大人になるとありがたい。
子供が学校行ってもらったり、幼稚園行ってもらった方がありがたいみたいなところはあるんですけどね。
でもまあ、子供からしたら悲しいっていうか、もっと長くはってほしいって思うのかなって思いながら。
そんなことを思いました。
あとまあ甲子園、今年の高校野球ちょっと割と見てたんですけど、甲子園。
面白かったですね。
なんか、全部を全部見れてないんですけど、かなり面白かった。
僕はなんか昔は結構熱湯甲子園とか深夜やってるんですけど、その日にあった話とかをしてて、
そうだ、夏の終わりってそこで流れてたんですよ。
多分僕がね、高校生か大学生、いや高校生だったと思う。
あの時の熱湯甲子園って深夜やってる、そういった県とかの裏のストーリーとかですよね。
裏のっていうか表に出てこないようなストーリーがあって、
それを放送して負けちゃったチームを取り上げて、
そこで最後の挨拶とか、監督に対して挨拶したりとか監督からのメッセージとか、
それ見るとね、まあ泣けますよ。
まあ泣けるっていうか、涙なしには見られないですよね、マジで。
それを結構見てて、そこでね、この夏の終わりが流れてたんですよ。
だからね、高校野球と結構その夏の終わりはね、僕の中では結構リンクしてて。
そうなんですよね。
今年、だから今年だったら多分年のせいもあって、
熱湯甲子園とかその深夜のあれを見なくても、
なんか勝手に自分の中でストーリーを組み立てて、
全然知らないチームなのに、その戦いを見て、
最後の9回裏とかで、もうかなりの点差があって、
これもう逆転無理だろうみたいな選手っていうかな、
そういう学生はもう泣いちゃったりするんですけど、
そういうのを見るだけで、もうちょっと泣きそうになるっていうのがあって、
多分これ年だなと思いながらね、
そんなこともありました。
という話でした。
エンディング
最後まで聞いてくださりありがとうございました。
スロスロスロース。