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幸せを量で考えるのって違うのかも
2026-09-19 33:47

幸せを量で考えるのって違うのかも

感想

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サマリー

冒頭では、小説『何時星のごとく』を聴いた感想から、幸せを時間の「量」だけで測ることへの疑問が語られる。病気を抱えた男性と女性は、長くはない最後の数か月を幸せに過ごし、家族旅行や老後の旅行も、回数の多さだけで幸福や不幸を判断できないという考えに至る。日常の小さな出来事が大切な思い出になる例や、『ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン』の登場人物の台詞にも触れ、思い出は重要でも量だけが基準ではないと話す。 続いて、野間さんらとの配信を計画する難しさや、SWCで何かを一緒に決めて継続することへの距離感が語られる。強制的なプロジェクトは参加者と非参加者の境界を生みやすい一方、各自が好きなことをして、偶然反応が交わる現在の「縁側的」なコミュニティには居心地の良さがあるという。音声版の交換日記のような仕組みも提案されるが、義務にすると続かないため、反応したい時だけ反応できる自由さが重要だと述べる。 終盤では、思いついたことを定期化せず話すこと、50歳頃から本気を出してもよいのではないかという話に移る。人生100年時代なら頑張る時期を後ろにずらしてもよい一方、働く習慣や体力が落ちる懸念もあり、子どもと旅行できる時期や必要なお金との兼ね合いも語られる。AIの発展で年齢より知的好奇心が重視されるかもしれないという見通しを述べ、結論を固めきらないまま放送を終える。

小説『何時星のごとく』から考える幸せの量と質
メスティナレンテ、この放送はSWC、スロースウィーズクリエイターズ、コミュニティメンバーのマスコットがお送りします。
今回のタイトルは、幸せを
結構量が大事だっていう風に思っているっていうことを、思いすぎではないかということについて話していこうと思います。
昨日、今朝なんですが、昨日の夜に何時星のごとくって、
なぎらゆうさんの小説をオーディブルで聞きました。
聞き終わりました。これ、ZOCOさんが配信の中で読んだよって話を、みどりさんとなさっていたので興味を持って、恋愛系だっていうのは知ってたんだけど、
聞きました。 恋愛系の小説、小説はそもそも読めないんですが、
恋愛系の小説とか、映画とかも最近は全然見てなかったんですけど、
でもいいよっていうか、なんか興味を持ったので、
聞きました。読みました。
今日は話すのはネタバレを大いに含むので、
まだ読んでなくて、内容を知りたくない人は聞かないでください。
その感想というか、聞いていて、僕は途中は結構イライラしちゃって、
なんでこう思っていることをお互い、主人公の2人が男と女の、ちょっと名前も忘れちゃってるんで、
名前を忘れちゃったんで、それで男と女って言いますけど、言わないんだろうと思ってて、
思っていることを言わないからすれ違っちゃって、みたいな感じがあってイライラするんだけど、でもよく考えると、
それは昔から、ちっちゃい時から親が2人ともああいう状態だったから、
自分が思っていることなんて言えないし、相手のことを考えたら言えないしっていう優しさとかね、
そういうものから来てて、それが形成されてたから大人になっても結局、
そういう相手が傷ついてしまうとか、相手がにとって良くないってことを言わなかったんだなとは思って、
だから仕方ないなっていうふうに思ったんですよね。
最後にね、大いにネタバレですけど、別にどっちもいいやって言ったんで言うけど、
主人公の男性の方が亡くなっちゃうんですけど、亡くなるまで何ヶ月かは一緒に暮らすんですよね、
その主人公、男性と女性が。
で、その時はめちゃくちゃ2人とも最後の時間になっちゃうからっていうのはあったかもしれないけど、
幸せそうに過ごしていて、そこはもう自分たちが人のこととか考えて自分がしたいということを2人とも取った。
2人ともというか男性の方は体が病気なので、そこまでいろんなことができるわけではなかったかもしれないけど、
でもそういう思いで2人ともいたわけですよね。
で、その時に僕はああと思ったのが、もっと早くから、さっきのことだと思うんですけど、
僕は幸せに関して考える時に量を重んじてるんですよね、多分。
だからこそそうこうもったいないというか、ああしてればよかったのにねってことを強く思ったけれど、
もし病気というものがなければそういう2人を最終的に結びつけるということにも結局はならなかったし、
つまり短かった、幸せな時間は短かったけれど、本当に花火みたいにね、
その瞬間、何ヶ月、数ヶ月、多分だけが、多分とても2人とも幸せな状態だったんだと思うんですよね、2人にとってね。
で、すぐにそれはなくなってしまうので終わってしまうんですが、
でもそれってだから要は幸せを量で見ると、それは不幸というかな、もっと早くから、
ちゃんとお互いが言葉をもう少し、相手の気持ちを考えたゆえにとか、つれとかそういうのいろいろあったから、
そこが起きてしまったんだというふうに思ったんですよね。
だから、何て言うんだろう、勝手に割と、そこで思ったのは勝手に僕は戻りますけど、
幸せに関して考えるときに量を重んじているというか、量が大事だって勝手に思っているよなということを気づいたんですよね。
だから、例えば、僕は家族との時間を大事にした方がいいってもちろん今思うし、
子供たちが大きくなってしまうと一緒に旅行に行けないとかっていうのはあるから、できるだけ無理してでも旅行した方がいいっていうのとかも思っているし、
若いうち頑張って後で蓄えて老後にお金を使おうみたいな発想のときに、大人になると、
年をどんどん取っていくと、体が思うように動かないとか、健康的なものとか考えてもどこかが痛いとかになったりするから、
結局、老後とかを旅行に行こうかって言ったら、そこまで体力がなくて結局行かないとかってなっちゃうよりも、
今の若くはないけど、僕もそういうときに、動けるときにいろんなとこ行っておいた方がいいよっていう説があるし、
それに対して僕はすごく同感な部分があって、っていうのはすごく思っているし、
Xとかでもそういうので発信して、すごい家族で旅行を行くようにしてるみたいな人の投稿みたいなのを見て、
時間って本当に限られてるから、今を大事にして、家族との時間を大事にして、旅行とか思い出いっぱい作った方がいいよなって思ってたけど、
幸せを量で見る派人間の考え方なんだなって思ってて、
あくまでそれを否定することもないし、僕も今でもそれはそうだなと思いつつも、
でも別に量なのかなとも思ったんですよね。量より質みたいなことはあるけど、質というとあれなんだけど、
今回の何時星のごとくとか見てると、最後の時間っていうのはすごい辛い時間でもあるけど、
二人にとってはすごく一番いい時間だったと思うから、それはそういう量だけで見ると違うなと。
しかも短いがゆえに、それを二人はそこに幸せを多分きっと感じてただろうから、
だから量で全部見るのは何か違うっていうのは思いました。
思い出は量だけで測れない
一回も家族で旅行したことない人だって世の中にいるし、ご飯とか一緒に外食すらしたこともない人もいるって聞いたことあるし、
だけどそういう人が本当に不幸なのかっていうと、
それは子供とか小さい時から考えればそれ行きたいよって思うかもしれないけど、
でもそれがたまに買い物してるときに、一緒に買い物してるときにお父さんがお菓子買いたいって言ったときに、
じゃあいいよとか言って、それを買ってくれたみたいな、
本当に日常の些細なことがめちゃくちゃ逆に、それが幸せに感じてすごくいい思い出に感じているかもしれないし、子供にとって。
子供にとってそういうふうに思っているかもしれないとか。
だからって不幸、量がないからイコール不幸っていうのはそもそも違うんじゃないかななんてことを小説を読んで思いましたね。
っていうのを急に思って、朝録音しています。
僕もね、両説、思い出、生きている意味を思い出っていうことを大事にしていて、
それはジョジョのシーズン6っていうか、ストーンオーシャンズのFF風ファイターズが僕は好きで、
その中でずっと僕よく言いますけど、人間は思い出を作るために生きているんだみたいなことをね、
プランクトンであるFFが言うんですよね。その名台詞みたいなのがあって、
僕はそれが結構好きだから、思い出をたくさん作ることが生きている意味じゃないけど、
そこで生きている時に重要だという説を思っているんですけど、
それは思い出は大事だと思うけど、それは量なのかっていうと、
決して量だけで見ることが正しいとも言えないんじゃないかなっていうことを思ったんですよね。
まあそんなことをね、衝動的に言いたくなったので話しました。
SWCで配信を計画する難しさ
あとね、あれなんですよね、ここから雑談というかあれですけど、
この間ね、ドコさんの配信をした配信の中で、僕も喋りたくなったので喋ったんですけど、
今度は野間さんと一緒に配信やってくださいよというふうに雑談さんが言ってくださって、
僕も野間さんと配信したいなと思いながら、
これもあるあるなんですけど、野間さんも多分そうなんだけど、
計画して何かやるのめっちゃ苦手なんですよね。
僕もでも打ち合わせとかしなきゃいけないからそれやるんだけど、
それがだるいですよね。できないですよね。だるいというかやれよって話なんだけど。
でもそれはね、分かってて。
だからなんなら1日前とかもその場のノリで、
もしできそうだったらちょっと声を野間さんに今からできますかとか言っていて、
野間さんも何かの配信の時そういう話しちゃうかな。
それでいけるなら一緒に配信しませんかみたいな感じでできたらいいなと思いつつも、
なんか今ね鼻声なんですけど、火曜日ぐらいから風邪なのかインフルなのかよくわかんないけど何になっちゃって、
仕事とかもたまっちゃってなかなかそういうテンションにならずにね、
それで声をかけてないんだけど、これなんかSWCあるあるだなっていうふうに思ってますね。
なんか決めたこととか一緒に何かをやろうってできないんですよね。
あんまりやるの好きじゃない人多分多いんですよ。
だけどなんか場当たり的にその場でなんかこうどんどんどんどんってやるのは楽しいし、
実際それをやりたくないっていうわけじゃなくて、やりたいけど。
だからなんかあれですよね。やりたいけどやれないっていうか。
でも一緒にプロジェクトみたいなのやるのは多分無理なんですよね。
僕そのなんかその両太郎さんと白井さんが前配信をしてたときに、
あたか二人でね、あたかなんだっけな。
白井さんの放送で誰かと話し合いをしたいですみたいなことを言っていて、
それに対して両太郎さんが一緒にやりましょうよみたいな話になって、
そっから対談をさせてて、定期的にやっていきましょうよみたいな話をされていて、
僕も昔白井さんとZoomかななんかで話したときに、
もうそのときも一緒にポッドキャストをやりましょうよって僕から言ったのかな。
白井さんから言ったかもしれないけどそういう話をしてて。
で、まあそのとき企画とか色々考えて、話その後もちょっとしたんだけど、
でもなかなかいい案が出なかったっていうのもあるけど、
たぶん続ける、決めた、これを一緒に何時にやっていくみたいなことが結構苦手な人たちというか、
あともう一つあるのは、自分たちのやりたいことそれぞれあるから、
それに対してそこに時間を取るのはどう、取っちゃうのはどうなんだろうなっていうのを、
それは相手のことも考えながら、自分の的な都合もあるかもしれないですけど、
そういうのを持っちゃって、なかなかできないっていうのがあって、
できない?やらない?それはよくわかんないけど、そういうのが難しいなと思いながらも、
強制しないコミュニティの居心地
でもなんかある種、そういうところだから居心地がいいみたいなのもあるんですよね。
なんだろう、その縁側的なとか昔からずっと話してるけど、
そこに何かを強制的にみんなでやっていきましょうよっていうようなコミュニティとは違うから、
それをやっていくと結局その内側と外側というのかな、
そのプロジェクトをやっている人とやってない人みたいなと、何て言うんだろうな、
内側と外側っていうとちょっとあれだけど、でもそういうものみたいなのが出てくるから、
よくないともわかんないけど、そういうのもあるのかわかんないですけど、そういうのがして、
だから好き勝手にというか自分たちがやりたいとかいいなと思うものをやっているみたいな、
みんなさんがそれぞれやっているみたいな状態が居心地がいいというか、
それの距離感が僕はいいと思っていて、
なんかね、みんなでやろうみたいなのをやると多分うまくいかないですよね。
それがすごい思っているということですね。
でも別にしらやさんとりおたらさんのものがやらない方がいいとかっていうことは思っているわけじゃなくて、
全然やった方がいいと思うし、それを聞きながら僕が思ったのは、
音声版交換日記のアイデア
僕はですね、わりとずっとこういうのを思ったんですけど、みたいな感じを出して、
みなさんに考えてもらう、交換日記、音声版みたいなのがすごい好きだから、
だからそれをやっているっていうかな、それになった時はすごい嬉しいし、
反応がそもそもあるとめっちゃ嬉しいんですけど、
だからだってみんなが聞いているわけじゃないですけどね。
だからそういうのがあると嬉しいっていうのがあるんだけど、
だからなんていうんだろうな、それを強制させちゃうのはなんか違うなっていうのはやっぱり思って、
なんか思ったのは、その時に思ったのは、りょうたらさんとしらやさんのやつを聞きながら思ったのは、
なんか交換日記的なそういうポッドキャストみたいな番組があったらいいなとは思ったんですよね。
別にそれにみんなが誰かが答えなきゃいけないという義務があるわけじゃなくて、
だから例えば僕がこういうことを思ったんだけど、どう思う?どう思うとは聞かないけどこういうことを思ったんだってことに関して、
でもそれってこうかもしれないですねっていうのを、
その同じチャンネルの中でみんなアカウントっていうかパスワードを共有しときながら、
誰かがいつ更新してもいいみたいなものにして、
その件について何か考えたんですみたいなことをずっと語っていくみたいなのをやっていく。
誰かが問い投げてそこに対して答えて深めていくみたいなのを勝手にやっていくみたいな、
音声的交換日記みたいなのをできたらいいなと。
別に2人とか限定とかじゃなくて、勝手にそれをやっていけばいいんじゃないかななんてことをその時思ったんですよね。
やっていけばいいっていうかそういうのもアリだなと思ったんですよね。
アリなんじゃないのかなと思ったんですよ。
だけどそれも強制してるんです。
今の状態って結局そうじゃないですか。
僕とか誰かが喋ってそこに対して自分の筋線に触れるというかそういう状態になった時に、
反応した時にそのことについて考えてみましたって直接は言わなかったりしても、
それで配信したりとかする人もいて、
そういうのに触れない場合は別にそれに誰も触れずっていうところもあって、
別にそれはそれでいいと思うんですけど、
必ず反応しろよっていうことではないと思うし、
それはその人が反応するというか自分にすごく関係するなと思わなかったから、
そういうことだと思うし、
あと忙しさとかいろんな理由があると思うから、
義務にするとやりたくないって多分なっちゃうんですよ。
だからそれを思ったら感じたり反応したり、
その筋線に触れるみたいな感じになったらやればいいじゃんっていうのをね、
そういうのを思ったんですよね。
っていうのはやればいいじゃんっていう、
SWCホットキャストの番組があれば面白いって思いながらも、
それを義務にするとつまんなくなっちゃう、やらなくなっちゃうだろうなっていうのと、
そういう考えと、
あとそもそもそれって今もやられてることじゃんみたいなのを思ったんですよね。
別に僕だってその問いというか、
何か思ったんですけどみたいな話をただただにして、
それ反応あったら嬉しいし、
でもだからどうやって別に反応しなくてもいいし、
その人がすごい自分にも共感ですとか、
自分は違いますみたいな意見を持った時に、
反応する時にだけ反応すればいいだけの話だし、
そういうことになってるし、
別に今の状況でもそれが起きてるわけだから、
無理にそれを強制するようなものをしなくてもいいんじゃないかなっていうことを思ったっていう話ですね。
でも別にやりたくないとこじゃなくて、
だからバータリ的にやっていくってことなのかなって思いますけどね。
決めてやっていくのは多分苦手なんで、
てかね、そういう人が多い。
そういう人が多いから僕は居心地がいいっていうのはある。
みんなでこれをやっていきましょうよっていうのはさっきも話したけど、
そうするとやっている人たちとやっていない人たちっていうそこの境界ができちゃうから、
そうするとその人たちは中で身内のノリじゃないけど、
その中で盛り上がって、
でもやってないからやっぱりそのコミュニティには入れないなって言って、
どんどんその結束は高まるけれど、
そこの円の中に入れないって感じちゃう人は、
それでどんどん距離を空けていくんですよね。
でもSWCの居心地の良さっていうのは僕はそれがないから、
何かを一緒にやろうってことをみんな知ってるわけでもないし、
みんな興味の範囲がバラバラだから、
だから居心地がいいのかななんてことを思いました。
SWCをつなぐ創作と偶発的な交流
そうですね、この間だからあれだな、
Xで僕もちゃんと読みましたけど、
フィナーシのことについてトリーさんが書いてたのを両太郎さんがシェアしていて、
それを読んでいる、
そこで両太郎さんがわりと厚い文章を書いていて、
厚い文章を書いていると思って、
それすごい良いなっていうかな、
そういうのを研修生さんにも知ってもらいたいなと思ったりとか、
でもそれもすごい大事だし、
みんなバラバラに動いているのが面白いんですよね。
みんないろんなことに興味を持ってやっていて、
やっぱり縁側的なというか、前から話してそういう感じの場所なんじゃないかななんてことを思ったっていう話ですね。
ということを言い訳にして何かを誰かと一緒に決めてやっていくことは結構面倒くさくてできないなという話をするための言い訳をしたんだけど、
そういうことを思ったよって話ですね。
だからやりたいんだけど決めたくないっていうのがあって、
だからそのタイミングで恋を、
身勝手ですけどね、
自分がちょっと心の余裕とか仕事とかの余裕もあるときにできませんかって声をかけて、
相手も今回の話だった野間さんもタイミングでいけそうならやりたいけど、
そのタイミングが合うかどうかも分からないし、できないっていう話なんですけど、
そんなことを思いました。
だからみんな結構身勝手っていうか勝手な感じで生きていて、
でもその感じがいいし、
俺らって仲間だよねっていう風にならない。
ここで放送することでそういうSFGっていいよねみたいなことを言ってるんですけど、
でもこれを言い過ぎてもつまんなくなっちゃうし、
でもそういうことを考えることは面白い。
コミュニティ論じゃないけど、
いいコミュニティって何なのかみたいなことを考えたときに結構重要な要素。
よくコミュニティっていうのはプロジェクトとかそういうのを作ったりとか何かあるからこそコミュニティっていうのは形成しやすいみたいなこともあると思うし、
仲間意識みたいなそういうのでできるし結束力みたいなのが上がるのは確かなんだけど、
そういえばコミュニティ3年論みたいなのはけんせいさんが昔フィナンシアで書いていたし、
その他でも言ってたことがある論があるんだけど、
そういう点ではSWCっていうのはあるし、
もう3年経ったのかな、3年ぐらいなのかな。
だけどそこは継続してそうと。
でもその理由っていうのは多分何かをみんなで一緒にやっていくっていうのとか、
この領域っていうのが枠というか境というか、
さっき言った縁みたいなそういうのがないから、
縁っていうのはあれですよ、仏教的な縁の縁じゃなくて、
丸っていうのが縁ですね。
そういう教会でいいや、教会がないから、
だからこそそういうとか何かルールがあるっていうわけでもないから、
ただひとつあるのは、
クリエイティブっていうので割とつながっているのはあるかもしれないですね、
SWCっていう部分ではあるから、
何かみんな作っている気がするんですよね、何か。
それは別に絵とかビジュアル的なものもあれば、
それは文章的な部分もあって、
何かをみんなが作っているからこそそこに反応するみたいなのがあるんじゃないかなと思いますけど、
何もないっていうわけではないんだけど、
何かをみんな作っている、それはビジュアルだったり言語だったりっていうところがあって、
それに対してみんな、必ずしも全員に全員興味があるわけじゃないけど、
でも何かたまにそれが自分の興味に触れる部分があって、
この人のこういう考え方面白いなとか、
それが息が深まるっていうとちょっとわかんないけど、
でもそういう多角的になるというか、
そういう部分があるからいいよねみたいな感じもあるのかななんてことを思ったり、
定期化しない発信と50歳から本気論
何やりしましたね。
雑談というか雑談でもねえか、思ったことを話しました。
けどまあそういうね、たまにだからそういう奇跡的なタイミングがあれば、
一緒にまた配信したいし、
そんなこと言わず決めてやるよっていう感じもあるんだけど、
でもそんぐらいの感じがいいなって思ってるし、
多分野間さんもそんぐらいの感じがいいなって多分思ってる人間なのかなと勝手に想像しています。
野間さんもそういう話を昔してたんでね、多分そうなのと。
そう、なんか決めてないことがあるんですよ。
ザコさんとかもそうだし、
結局その飲みながらの配信とかも別に何曜日はやりますとかっていうのでもないから、
だからこそなんかやってる時はすごい嬉しいとか、
そのタイミングに言い合わせた時にラッキーって感じになるんですけど、
でもなんかその感じがいいっていうか、
そのぐらいがすごいちょうどいい気がしました。
えっとですね、今日はそういう、最初は幸せを量で、
幸せについて考える時に量で判断する。
量を基準というかな、
置くのは正しいわけじゃないっていうのかな、
っていうことを話して、その後SWCの距離感とか、
そういう感じが、こういう感じがいいんじゃないかみたいな話をしていきました。
最後まで聞いてくださりありがとうございました。
あとそうだ、サブスタックで、
この間の話し心でなんかポエムみたいなのやればいいんじゃないかって言ってやろうとしたんですけど、
ただ愚痴を書いただけみたいなのを書いちゃったんですけど、
そういう文章を書くより思ったことをたまにこうやって話すのが、
僕にはそういう瞬間に話さないとそれがストレスに溜まるんで、
ストレス溜まるから、
ポエムとかやっぱりなんも好き、好きっていうか、
ポエムになってないんですけど正式に言うと、
ただ愚痴を言ってるだけで、ふざけた愚痴を言ってるだけなんだけど、
こうやってたまに話すことが、
僕はたぶんかなり、
しないとストレスが溜まるからしたいっていう風に思ってます。
そういうのができればいいのかな、たまに。
でもこれもだから定期的にやるとかってなると、
なんかめんどくせぇってなっちゃうから。
し、なんか最近、
また結局この間の対談っていうか、
対談って言わないな。
雑談というか話をしてる時に、
こういうの椅子のやつやり始めたんですとか言って、
言ったわりに急にまた嫌いな話とかし始めて、
そこら辺もいろいろ自分の中ではあって、
だからグラグラしてるんだけど、やること。
でもまぁ、あ、そうだ。
もう一つね、
今思い出したんですけど、
僕ね、50歳になってから本気出せばいいやろみたいなのをね、
ちょっと出していきたいですね。
人生100年時代だとすれば、
50歳だってまだ折り返し時点なんだから、
別にみんな早く頑張りすぎなんですよ、20代から。
これ頑張ってない言い訳なんだけどね。
だけど、早くから頑張りすぎ。
別にギリギリ、僕はギリギリ生きてるから、
お金に余裕がないからね、なんとも言えないけど。
でもギリギリ生きては生きてるんだから、
それ以上、別に頑張りたいんだけど気持ち的に。
頑張らないで、もういいじゃんって。
でも多分、もちろん健成さんとかも最近話をしてますけど、
それをやってないとその体力っていうのはどんどん落ちてくから、
頑張るってことをしないことに慣れてしまうと、
ファイヤーした人がね、いざ働こうとしても、
また昔と同じように働けなくなってしまうっていう、
その癖っていうか、働いてるという慣れとか、
その体力みたいなものがなくなっちゃう。
体力っていうのは純粋な体力じゃなくて、
働くということに対しての慣れみたいなものがなくなっちゃうから、
実際に同じように働けないよっていう状態に
多分なっちゃうかもしれないけど、
そういう意味では矛盾しちゃうんだけど、
でも50歳ぐらいから、本気出すっていうのかな?
50歳ぐらいから別に自分のやりたいことやってもいいじゃんみたいな。
むしろそんぐらいがちょうどいいのかもなと思うんですよね。
だって折り返し地点なわけだし、
100年まで生きるとしたらね。
そんなの分かんないけど。
なんか僕は、全然関係ないけど、
この間の9月4日に誕生日を迎えて39歳になったんですけど、
ゾコさんのサブスタイル読んでたら、
ドラえもんの日が誕生日だって奥さんが確か誕生日って言ってたんで、
僕その次。
だからゾコさんは僕のことがきっと好きなんだろうなと思いました。
全然関係ないんですけど。
なんだっけ?話があれだな。
どうでもいいこと言ったな。
どうでもいいこと言ったから何を話したか忘れちゃいましたけど。
なんだっけ?
とにかくですね。
50歳から本気出せるんか。
そんぐらいでいいんじゃないかと。
それは色んな人いますけど、
子どもとの旅行、年齢観、AIの発展
僕は結婚してて子供いてっていう風になると、
今7ヶ月とか8ヶ月くらいの息子がいますけど、
そこで考えた時に3歳くらいになったりすると、
たぶん子供が旅行とか行ってたりしても楽しいと思うようになってくると思うんですけど、
でも3年経ったら上の長女が小学校6年とか中学校1年生になっちゃうから、
みんなで旅行行くっていうのが楽しくはなくなってるだろうし、
そうするとその1年中3ぐらいまでしか行けないだろうから、
そこから3年間頑張ってもぐらいしか旅行とか行けないから、みんなでは。
その期間頑張れよっていうか、旅行とかどっか行くあれがあればいいんだけど、
余裕があればそれぐらいだけでいいんじゃない?みたいな。
キャリアとかそういうこと考えればそんな流暢なことは言ってられないんだと思うし、
僕も旅行行くためにお金が必要だから、そのためのお金が全然そこまでないんで、
それは困ってるから何とも言えないんですけど。
僕の場合ね。
それもさっきの話になるけど、量を重んじている論の考え方。
あくまでそれを否定するわけじゃないからそれはそれでいいし、僕も変わってはないんだけど。
そうだな。
50歳から頑張る論みたいな話をしようと思ったんだけど、
全然中身がなかったっていう話ですね、今話をしたら。
論理的にこれだからいい。
こういう理由だから50歳から頑張るでいいんじゃないかみたいな話をしようと思ったけど、
何にも出てこなかったですね、その理由が。
頑張るの早すぎるから息切れしちゃうのかなみたいなのもあると思うし、
余生を楽しく過ごそうみたいな、
より今を楽しく過ごした方がいいんじゃないかみたいなのも思ってるからそういう論なんだけど、
でも昔に比べれば人生100年時代って寿命伸びたんだとすれば、
一般的にとか平均的に伸びたんだとすれば、
頑張るタイミング後ろの方持ってってもいいよなと思いますね。
30代なんだからとか40代、僕はもう40代だから来年からなるんだけど、
40代なんだからとかっていうのは、
なんかその昔の価値観で見るともうなんか違ってきてるんじゃないかなと思います。
あとAIとかのね、発展とかにもよって、
多分年齢がより関係ない、
それよりもなんか知的、好奇心が高い人の方が多分意味があるのかな。
年齢とかもうあんま関係ないよねみたいなことにもなる気がするし、
今必死で50代から頑張るの論を考えようとしてるけど、
あんまやっぱ上手く出てこないんですが、
でもねそんなことを思いますね。
子供泣いてる。
なのでそんな話をしました。
それでは皆さんありがとうございました。
スロスロスロース。
33:47

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