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2024-08-13 24:05

僕が音楽の道を選んだ理由②〜音研究と音楽表現はまだクロスしていなかった学生時代

好きな音楽バンドを追いかけていた大学時代、趣味でピアノをいた頃に思ったことは。音の研究活動と音楽の表現活動はその頃まだクロスしていないかった話。
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みなさん、こんにちは。作曲家で大学教員の小松正史です。
今日はですね、昨日に引き続きまして、小松の音楽道へどういう風にしていったのかっていう、そういうね、第2、その2についてお話ししたいなと思います。
この放送は、音や音楽についての話題を、小松が毎日一つずつ話していくようなボイシーとなっております。
それでは、本題の方へ行ってみましょう。
ということでですね、今日も昨日と引き続きね、ちょっと歩きながら、大学の勤務が終わったので、
ちょっとね、今日晴れじゃなくて雨なんですけど、今日雨にもかかわらず晴れの状態になったので、今ね、歩きながら喋るというね、
まさに自分が音楽の道を歩いてきたかのような感じでね、ちょっと臨場感たっぷりにお伝えしていきたいなと思います。
前回は高校生までぐらいね、大学生に入るまでぐらいの音楽道を話したんですけども、
その時はもう何か偶然の縁でエレクトーンとかテクニートーンを始めてっていうような、それで高校3年まで行って、
高校3年のね、あれは6月、5月ぐらいに辞めたというか、一旦お休みという形で音楽をですね、
演奏するのを少しお休みにしたというか、大学受験っていう名目で休んだんですけども、そんなことを話したかなというふうに思います。
今日はですね、老人生1年して、それで大学に行ってっていう、その学生時代の続きの話になってくるかなと思うんですけども、
老人の時にね、聴く曲ね、自分が聴く曲だいぶ変わってきた感じなんですね。
今までは高校生の時はですね、割とフュージョン系というか、割とアグレッシブで縦ノリで明るめの曲を聴くことが結構あったんですけど、
なんかね、老人にして、実家から離れて京都で一人暮らしをね、初めてする段階ということもあって、かなり暗めな曲というか、ソロ系が好きになったんですよ。
今でこそね、僕ピアノでソロで演奏してますけど、それまではもうね、オフコースが好きだとか、スクエア、カシオペアだっていうバンド形式の音楽がすごく好きだったんですよね。
それで結構ね、ソロ系がすごく好きで、中でもですね、ウィンダムヒルレコードってご存知でしょうかね。
今、ヒーリングミュージックの走りみたいなレーベルなんですけど、アメリカなんですけどね。ジョージ・ウィンストンとかが有名ですけどね。
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ピアノソロで、それで自然の情景とかね、内側の人間の情景というか、心情を割と繰り返しの演奏というか、メロディーとかコードラインを使って表現していくっていう感じの演奏だったのかな。
だからソロで遠い山とか雲を見ながら、一人佇むみたいな感じでしょうか。本当に一人で孤独に聴くっていう、そういう類の曲かな。そんなのがとても好きだったですね。
そういう暗い状況から大学一浪して、なんとか東京の方の大学に受かりまして、上京して東京に行ったということで、結果東京は6年いたんですけど、その間ですね、やっぱり文化の一つの要。
日本の中心ということもあってね、自分が聴きたかったアーティストを聴くとか、そのライブにも行けるっていう、大学生音楽で満喫、とにかく聴くので満喫しましたね。
その大学、1990年に僕は大学に入ったんですけど、とにかくすごい、何度もスクエアの話しますけど、Tスクエアが当時の前世紀というのかね、それでツアーするね、初日に渋谷公会堂っていうところのね、今はないですけど、そこで、今ないよね、渋谷公会堂って。ないですよね。
今、NSKホールはまだあるんでしょうけど、そこで聴いたスクエアライブはもう本当にもう、喋るとね、6時間くらい行くのでまとめますけどね、そんな感じで、現場で今まで好きだったアーティストを生で聴けるっていうね、これすごいですよね、生で聴くっていう。
今でこそね、コンテンツがどうやとか、いろんな頻繁に目立つライブはやってますけど、当時僕は本当に情報がほとんどなかった時代の地方の学生ですからね、出会えるってすごいものすごいことだなと思って、もう本当何度も行きましたね、1つのツアーで3つか4つくらい関東地方を回られるんですけど、
すべて行きましたっていう。そのためだけに生きてるくらい音楽と自分にとっての関わりが強かったですね。こういう話もお伝えしてわかるように、人の演奏を僕はリスナーというか聴取者みたいな形で行ったという、自分が演奏というよりもいいバンドの音楽を聴きに行くっていうタイプでずっと音楽は関わってきましたね。
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大学1年生になってテクニトーンを高校3年生で辞めたと言いましたけど、1年半くらい全然鍵盤を生まれて初めてですけど、弾かなかった時代が続いて、そして大学に入った時にですね、入学お祝い金って親戚からいろいろもらったりして、少しばかりの額になったので、
やっぱり演奏というか鍵盤続けたいなって思ったんですよ。その時に電子オロガン、電子系の楽器をしようか、ピアノをしようかでかなり迷ったんですけど、その頃からシンプルな楽器はいいなと思って、ピアノに選択肢を狭めて変えてというかな。
それで習いに行ったというか、選んで、電子ピアノをね、クラビノーヴァですね、ヤマハのそれを買って、結構高かった、20万以上、25万くらいしたかな。買ってですね、小さなワンルームマンションに置いて、それで演奏、演奏というか練習ですね。
人様に聴かせるというか、自分で満足するような曲の選び方をしてですね、それを演奏というか練習し始めたのが大学1年生の頃ですね。
話はちょっと前後するんですけど、浪人時代にですね、とてもよく聴いてた、スクエアとかですね、ウィンダムヒルに加えて、僕はすごく良いなと思って出会ったのが、日本の男性の作曲家のピアニストさんというのがすごく好きでですね、村松健さんという方なんですけどね。
今浜見大島に住んでいらっしゃるんですけどね。その方の音がすごく好きで、なんかね、日本語を喋るようなピアノの演奏なんですよね。拳を聴かせるというか、しかも同じメロディーを何度も何度も繰り返すことによって、すごく良いうねりを出すというか、世界観を出すっていう感じの人ですね。
すごく良くて、その方のコンサートも大学に入って行きました。すごく大きなサントリー大ホールから小さな教会みたいなところでもあったと思うんですけど、それに行ったりとかですね。
すごく好きなアーティストが東京で何度でも聴けるなみたいなね。そんな美味しいところを体験したというか。またピアノの演奏に話はまた進むんですけど、僕が弾いた曲といえば村松健さんとかね、さっきお伝えしたジョージ・ウィンストンとか。
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僕の好きな男性ピアノ作曲家みたいな、そういう人の曲を練習して弾くっていう。そんな感じの音楽活動をね。活動というか、音楽趣味です。完全に音楽趣味みたいなものをですね。
やってたのが大学の1年生とか、1回生から4回生くらいかな。ちょっと風が強くなってすみません。すごい風ですね。めちゃくちゃ風が強くて申し訳ないです。雨が降る直前なのでこんな風にね。
まあでもあえてもこれはもうここでちょっと収録して喋り続けますね。自分の好きなアーティストを聴いてそれを再現するというか、弾いて満足。一人でね。一人で弾いて満足するんですよ。もうそれ以上のものもそれ以下のものもないって感じで。
それで大学とか大学院生までそういう風な感じでやってまして、ごくたまに山派で僕習ってたんですけど。すみませんね。もう本当に切れてしまいました。どんどん喋ってて止まってましたけどね。すみません。山派で習ってたところでたまにね。
演奏するっていうのもあったんですけど、なんと最初のステージがですね。大学の学園祭で学生枠として出演したっていうのがありましたね。1993年だったかな。それの11月頃だったんですけど。
これもね人の曲を弾くって感じですよ。自分でというよりも人の曲を弾いてそれをなんかの形でお披露目したいなって思って。それで大学の学園祭、僕2回出ましたね。2回出て、それでこう、それだけで大満足。
全美生とかお友達とか、他大学に進学した友人も遊びに来てくれましたね。そんな感じでね、演奏したのがもう人前で弾いたピアノを弾いたほぼ初めての経験だったと思います。
そのピアノもね、研究室にピアノがないので、この下宿の入学祝いで買ったピアノを友達の車に乗っけてですよ。それで持って行った経験がありますね。そんなことをやって大学生を過ごした感じですね。
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それでちょっと話はずれちゃうんですけど、僕は音楽とか音を研究して生活といいますか、ライフワークにしてるじゃないですか。そのきっかけっていうのがやっぱり僕、農学部に行ったことによってそれが出てきたのかなと思うんですね。
農学部って農業とか田んぼとか、今カエルが田んぼで鳴いてるのが聞こえると思うんですけど、田んぼを作るとかね、そういうハードインフラを作る分野なんですけれども、当時ですね、今でいうところの地域活性化、街づくりを景観から生み出していくっていう先端の研究をしている先生がいらっしゃったので、
僕はそこの研究室に入ったんですよ。で、その精神的に満足する地域があれば、それが結果的に持続可能性につながる地域の展開になるっていうような、そういう理論を先生は持っていらっしゃったので、そこに入ったわけなんですけども、そこからですよね。
景観は視覚的なものばかりじゃなくて、音にもあるし、食べ物とか匂いとか、そういう互換にもつながるって話はね、結構想像していただけると思うんですけど、音から地域を調べていく、地域の良さを炙り出していくっていうような、そういう活動というかね、そういう研究をしました。
で、今のところ、今の研究の話とね、趣味でやってる音楽って全くつながってないですよね。趣味は趣味で音楽やるんだけど、音の研究は全く別物でやっていってるっていう、これわかりますかね。平行してるんですよ。
セパレートに展開してるだけで、クロスしないんですよね、当時は。それでもどっちも好きだからやってたっていう感じで、まさかね、2つのものが結びつくとは当時は全然思ってなかったっていう、そんな感じで大学院生になったということですね。
大学院生は同じ明治大学の農学研究科、農業経済でね、学位取ったんですけども、それに連動してですね、やっぱサウンドスケープ、さっきの地域の音作りとか音で地域の良さを見つめ直していくっていうのは、サウンドスケープの分野ね、音の風景の分野なので、音楽とか音の道としてはですね、
次の進路を考える時に、大学院生なので、次就職するか、さらに研究を進めるかでね、かなり悩んだんですけれども、結果ですね、もう一度修士、マスターコースに行って、そこにいらっしゃる先生が、サウンドスケープの専門の研究者なんですよね。
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中川新先生というね、平安京音の宇宙というサントリー学芸賞をね、見事に取られた本を執筆された先生なんですけどね、その方が京都市立芸術大学にいらっしゃるので、いい感じで繋がりが持てるようになって、音の研究の道として大学院をね、もう一回入り直して進めていったっていうのがあります。
ここでですね、音の道で言うとですね、たまたま大学院で京都市立芸術大学行ったわけなんですけど、音楽研究家でしょ、音楽学とか演奏者、もうね、そこで僕は同じクラスメイトがね、ピアノのもう、なんていうかな、超絶技巧、簡単に弾く友達というかね、クラスメイトばかりなんですよね。
これびっくりしましたよね、リストをあんな調子で弾くとかね、すごくドビッシーの映像台何周とかあるでしょ、あれをサーッと弾くとかね、やべえなこの場所とか思いながら、先生も極ものが多いわけですよね、芸術系の音楽系、ものすごく影響というか楽しかったですね。
そんな感じで徐々に好むと好まざるとにかかわらず、僕は初め農学部にいたんだけど、京都市立芸術大学入った途端ですね、大学院で。
音の分野の専門家もおるし、音の研究もするしということで、必然的にですね、ある特定の何か、活動というか音の分野を深振りしていくっていう感じの、そういう研究をですね、研究とは表現です。表現を選んでしまったっていうところがあります。
だからよく言われるのが僕の経歴見てて、初め農学部で農業経済で、そして音楽学で最後工学博士なんですけどね、何か関連性何なのってよく聞かれるんですけど、いやいや後付けでそれはね、わかったようなもので、いやそれはね、行きたいところがたまたま農学部だったり工学部だったりしたんですよっていう風に僕は伝えたりするんですけどね。
そんな風にして、京都市立芸術大学ね、面白かった。僕はっきりと学生の中で京都市芸が一番面白かったなあ。刺激的っていう意味でどこも好きですよ。どこもいいんだけど、自分の表現とか研究活動の中で一番刺激を受けたところといえば、やっぱ京都市立芸術大学だったのかなっていう風に思います。
その中でフィールドワーク、サウンドスケープのフィールドワークをね、京都市立芸術大学の時にやったんですけれども、約3ヶ月間なんですが、沖縄県の八重山の方にあります鳩間島というところに滞在しまして、3ヶ月ぐらい島の人と一緒に生活をして、そこで聞こえている音の環境とか、
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そこに住んでいらっしゃる住民の方がどんな音の聞き方をされておられるのかっていうことを、質的なフィールドワークの調査をしたっていうのがあります。
で、そこで僕は物語を書いたんですけど、神様がいらっしゃるとしたら、神様が奏でている音とかね、そこに無意識のうちに宴に行ったとかね、そういうすごくスピリチャルな、
ということでですね、論文として書いてもいいのかぐらいに続きね、ちょっと歩きながら、大学の勤務が終わったので、今日は晴れじゃなくて雨なんですけど、今日は雨にもかかわらず晴れの雰囲気になったので、
歩きながら喋る、まさに自分が音楽の道を歩いてきたかのような感じで、第2回目の臨場感たっぷりにお伝えしていきたいと思います。
前回はまとめますとですね、高生までぐらい、大学生に入るまでぐらいの音楽道を話したんですけど、ほぼない研究家とか大学生をしていたんですけれども、
自分の好きな状態で音楽を歌っていくことと、あとはそれが3年の学問の方でも、やっぱり5月ぐらいに辞めたというアプローチがすごくあって、
それが同時並行で、一緒に話されることは当時は少なかったんですけど、同時にしたという、大学受験という名目で休んだんですけれども、
表現を同時に話したかなというふうに思います。
今日はですね、浪人生をしたっていうのが、それで大学に行って、大学院生の時代、学生時代の続きの話になってくるかなと思うんですけれども、
明日はおそらく浪人の時に話になってくると思うので、そこからどんな展開になっていくのか、大分変わってきたかもしれません。
今までは高校生の時は、わりとフュージョン系というか、わりとアグレッシブで、タテノリで明るめの曲を聴くことがよくあったんですけど、
妖人して、自家から離れ大学に、京都で一人暮らしを、地下鉄で大学院の近いところで、
かなり暗めな曲というか、一気にソロ系が好きになったんです。
そして帰りに、僕ピアノでソロで演奏してますけど、本当に偶然に、それまではもうね、
ただ、風の音がうるさいです。
山羽で習って、そういうこともあるけれども、ちょっと録ろうと演奏をするっていうのは、雑音ばっかりで申し訳ないんです。
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そのステージが、大学の学園祭で、岩倉地区はまだ田んぼがあるのとして出演したというのが聞こえながら、
1990、そんな感じでお楽しみいただけたかなという感じですね。
明日はね、11月頃だったんですけど、これも人の曲を弾くって感じで、
自分でというよりも人の曲を弾いて、それを何かの形でお披露目したいなというのをまたね、
それで大学の学園祭が2回出ましたね。
2回出て、上等的にみたいな。
それだけで大満足。
ゼミ制とかね、お知らせをさせていただきました。
田大学に、まずは漢方音楽のミニというCDアルバムが、
11月14日にリリースすることになりました。
そうしたのが、早速ね、多くの方から1枚で弾いた、ピアノを弾いただきありがとうございます。
そのピアノもね、研究室にピアノがないので、
強い下宿のね、いろんな依頼がかかる以外で買ったピアノを
エステティシャンの方から持って行った経験があります。
そんなことをね、音楽を作ってほしいと言われまして、
それで漢方オイルを、ちょっと話はずれたんですけど、
音楽を、そうね、研究なので生活が、すぐライフワークにしている、
そんなことになっております。
そのリンクをね、貼っておきますのが、
やっぱり僕、農学部に行ったことによって、
視聴もいただきましたら、出てきたのかなと思います。
農学部って農業とかね、
5月の田んぼとか、今カエルが田んぼで鳴いているのが聞こえると思うんですけど、
田んぼを作るとかね、
田野区、稲町、小松の、
ハードインフラ物語のピアノ屋なんですけれども、
当時のことになりました。
今で言うとこの地元の地域活性化の集落から、
全能に出していくっていう、先端の研究をしている先生がいらっしゃるので、
他そこの研究所に入ったんですよ。
その時に書いた、地域があれば、
稲物語の持続可能性につながる、
それと当時収録した音を掛け合わせて、
朗読パフォーマンスで、そこに入っていこうかなと思って準備をしております。
そこからですよね。
その前後にピアノがあるので、
視覚的なものばかりじゃなくて、
音にもあるし、
当日しか弾けない匂いとか、
そういう五感にもつながるという話はね、
こちらの情報は、今のこのシャプターにいただけると、
画像として貼っておりますので、
ご興味がございましたら、調べていく。
地域の良さを炙り出していくというような、
そういう活動を含めて研究をしました。
今のところ、今の研究の話をしていただければと思います。
それでは、今日もお聞きいただきましてありがとうございました。
良い音の一日をお過ごしください。
24:05

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