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みなさん、おはようございます。作曲家で大学教員の小松正史です。
今日は、教員と音楽家という職業は、人の記憶に一生残る仕事という話をします。
僕、偶然にこの2つになってしまって、よくよく考えたら、本当に人様に向けて相当な影響力を与えてしまっている仕事、活動なんだなというような、そんなお話をしてみましょうかね。
本題に入る前に一つお知らせでございます。
5月の15日に小松、第40枚目のピアノアルバムがリリースすることになりました。
漢方音楽2というタイトルなんですけれども、漢方の力と音楽の力で人に美容と健康を提供するような、そんな感じのクライアントさんから言われたお仕事をやってみて、
それで実際に遊び心で作る、完成した、本当に良いアルバムになったと思います。
それが7インチの紙ジャケットとしてリリースすることになりましたので、プレスではおそらく最後のCDかなというふうに僕的には思っているんですけれども、
そんな記念のアルバム、音源も視聴できるような感じで、こちらにリンクを貼っておきますので、よろしかったら聴いていただきつつ、予約いただけましたら幸いでございます。数量限定となっております。
それでは今日の本題にまた行っていきましょう。
教員と音楽家という職業は人の記憶に一生残る仕事っていうね。
これもね、本当偶然というか、やっぱり今まで僕が小さい頃からね、今に至るまでにね、いろんな人に関わってきたりね、
学校とかね、教育現場に僕はずっとね、物心ついた時からね、保育園の頃からというか、
そこからずっと本当に小学校、中学校、高校ね、そして大学もね、本当に11年学生してまして、
それから就職したのも大学っていうね、その今の大学で23年間いてて、もうほとんど50数年間ね、思えば教育の現場にね、
どっぷり使っているようなそんな人種でございますけれども、やっぱりそこで出会った教員、先生は本当にそれぞれがね、印象深く、
そして自分の一生をね、左右するような先生にも何人にも出会って、やっぱり先生に助けられたり、あとは司祭を受けたりね、
そういうことがめちゃくちゃ多かったので、まあね、広がってみてはですね、僕が今そのね、職業に就いているっていうのが、
これもだんだん無自覚にはなってきてしまっているからね、まあこれはお仕事というか、一つ一つの言葉についてすごく影響を与えるのはすごく分かっていることは間違いないんですけども、
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やっぱりなんかね、もう20数年人前で喋り続けていると、まあちょっと日常になっちゃっているところがあってね、
そんな感じでもう本当に人前で喋るのが空気みたいなね、適当に喋っているとかいう意味じゃないですよ、何の違和感もなく喋れてしまっているところがあって、
まあこのボイシーのね、今の配信にしてもね、これもね、4月4日で4年目に入りましたけどね、なんかこう当たり前というか、毎回毎回僕楽しくね、喋らせてもらってるんですけども、
やっぱりすごく影響を与えてますよね、音声ってすごく影響を与える、特に聴覚ってね、すごくすごい力が強いですよね、
まあそういうのをね、日々学生さんとか皆さんの前で喋っていると、やっぱり少なからずね、影響を与えていることは間違いないので、
本当に人前で喋るときは、自分の気持ちがどうあったとしても、まあちょっと落ち着かせてですね、精神整備と言いますか、もう本当にね、すっぱだかな感じの気持ちで喋っているようなね、
そんな日々精進ですけどね、全然の感性系とかね、イラスなこと全く言えないですけれども、それすごく人に影響一生与えるところが、無意識のうちに、無自覚のうちに与えるっていうのがある仕事なのかなって思うんですね。
さらに言いますとですね、僕音楽家としてずっとね、物心ついたときから鍵盤に触り、フレー、そして30のときにね、こちらの大学で働き出したときに、周りの学生からですね、ちょっと誘われるような形になってですね、ピアノを演奏し始めたっていうのがあって、
で、それ以来ね、まあ自分もこう、なんか音を出すのがやっぱ好きだし、知的じゃないよ、普通の好奇心、純粋な好奇心をね、くすぐられることもすごくあるので、まあそれに身を委ねるようにしてですね、CDというかアルバムを作り始めちゃって、これを偶然ね、なんか試しに作ってみたThe Sceneっていう曲というかアルバムがね、今から20か、20年ちょっと前、ほぼ21年か22年ぐらい前かなに作ったんで、
そこからまあライブをするようになって、人前で演奏もするようになって、しかもね、あの音楽っていうのはね、もう皆さんよくご存知のように、あの記憶にすごく結びつきが強いですよね。
あの小さい時に聴かれた曲、そして皆さんがこうね、思春期の頃ね、物心をついた時とか、まあいろいろな節目に音楽を聴かれて、そしてそれとね、あの記憶と音楽がね、すごく強く結びついてる方も結構いらっしゃると思うんですけども、それがですよ、僕がその一端になってしまってるっていう、この責任性ってすごいなと思うんですね。
しかもですね、僕はYouTubeとかね、聴きたい方にね、CDを買っていただいて聴くっていうね、そういうこともあるんですけど、不特定多数の公共空間でね、鳴ってますからね。
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京都タワーしっかり、京都国際漫画ミュージアムしっかりですね、ポーラー美術館であるとか、京都単語鉄道とかね、三原総合病院とかね、もう諸々と日本でね、数百箇所以上のところで僕の曲は、まあ現に今もね、鳴り響いてるわけなんですけども、するとですね、僕のことを知らない人がね、口ずさんだりすることも結構あるわけですよね。
特に単語鉄道なんかそうですよ、感想いただいたりね、あとAmazonのね、レビュー見ててもびっくりするんですけどね、もう息子が口ずさんでしまうようになりましたとかね。で、僕のあの曲ね、単鉄なんか、特にあの公共空間で日々聞こえてるところがあってね、驚きのね、あの、こう覚えてらっしゃるとか、あと僕はたまたま行ったあの、えっと、あの関西医科大学だったかな、僕非常勤講師してるんですけど、
まあそこで僕はたまたま弾いたあの、海鉄って曲を聴いた後ね、あの学生さんがね、寄ってきて、この曲作った先生なんですかー、みたいな、あ、そうですよー、みたいな感じでね、すごいやっぱびっくりしますよね、本当にね、自分の預かり知れぬところで音がね、こう本当にその音楽が一人歩きして、こう皆さんというか、僕の知らない方の記憶の形成してる、
記憶のね、位置異常になってしまっているっていうこの事実、もう怖いなっていうね、やっぱ一生残る仕事を僕してるんだなって、もうすごく最近感じるようになりましたね、まあかといって、それが自分が自負して偉いだろうとかね、そういうんじゃなくって、やっぱりその、そういうことはあるにしても、やっぱ淡々とこう日々生きてるというか、それで舞い上がることもなくね、びっくりしてちょっと緊張しまくることもなくね、
淡々とこう積み上げしていってる、昨日ね、積み上げの話しましたけど、そんな風にこうやっていけてるっていうことが、やっぱりあのなんやかんやね、忙しいとかね、愚痴もこのボイスで言ったりはね、特にプレミアムではかなりこう突っ込んだ話でね、あの伝えてることが多いんですけれども、まあそれでもですよ、やっぱりそういうあの音楽の力、音の力によってですね、やっぱすごくそれを、あのー、まあ担って、
しまってる。でもそれが、あの皆さんのね、力になって、そしてこうフィードバックしていくっていうようなね、ジリとリタという言葉がね、ありますけどね、まあそうしたとことすごくね、あのこれが本当に実行できてるという、もう本当に言い残すことはないってね、もうすぐ死ぬんかっていうような感じになりますけど、まあそんな感覚があるんですよね、人の記憶に一生残る仕事をしてるっていうか、
僕自身弱い人間です、めちゃくちゃ弱くって、もう本当どうしようもねえなっていうところが多いんですけども、まあそういうね、あの部分を持ち合わせながらでも偶然にこうしてね、伝え合ってる、そしてあの聞いていただいてるね、あのリスナーのあなたにもね、それがもう伝わって、それが循環してるというね、それが僕の預かり知れぬところで別の人に対して、やっぱりこう、あのまあ機嫌が良かったりですね、気分が良かったりすると、やっぱりそこでいい、あの場面とか人生に向かって、
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なってくるわけですよね、それがやっぱり音の波動でありね、あ、僕は職業としてね、教員と音楽家を選んで良かったのかな、良かったんだっていうふうに思いますから、まあそういうのをね、つなげて直接出会うとかそういうことではなくて、まあどこかでそういうのは役立ってるなっていうのかね、そういうのはね、じわじわと感じておりますので、また引き続き小松の曲をね、あのまたご愛用いただけましたら幸いですというね、最後はね、あの宣伝かって感じでございますがね、また今日もありがとうございました。
そんな感じで良いタイミングで色々な音楽を聴いたりしてみてください。それでは今日も良い音の一日をお過ごしください。