綾部の初めての訪問
おはようございます。小松正史でございます。 今日もですね、ちょっと歩きながらの配信になりますので、ちょっと車の音が夕方なので、うるさいかもしれないですけども、ご了承ください。
えっとね、あの京都が今、あのちょっと遠出、1日のうちで遠出してですね、帰ってきて、今二畳行きなんですけど、あの
綾部っていうところ、皆さんご存知ですかね、京都の、ちょうどね、中心にあってですね、近くに舞鶴とか福知山があるところなんですけども、その綾部っていうところで、まあちょっと所要がありましてですね、
あのちょっと車で、実家からちょっと移動しながら寄ってみたんですけども、
あのお寺ですね、すごいお寺一つと神社一つ行って、すっごい良かったなっていうか、あまりあの決めずに、あのよく動くことがあってですね、
で、まあ京都だけじゃなくて、他の地域にもあると思うんですけども、あの小さなお寺とかね、古刹ですかね、昔のね、あの本当に、あまり有名じゃないけれども、ひっそりとこうあるような、
あのお寺ってありますよね、あと神社とかね、で、そのあたり行ってですね、すごくあの、まあ、なんていうかな、人もいないですし、もうね、あの、もう独り占めみたいな感じで、この
神社をですね、そしてお寺を行ったんですけども、とても良かったですね、あの、まあね、すごいなんていうかな、こう
フラッと行って、それでこう、うまい具合にね、あの、邪気を日頃浴びまくってる、都市で浴びまくってる邪気をですね、こう全部落として、それでほっとこうね、気持ちの切り替えをして帰っていくっていうような感じなんですよね。
で、あの、なんか他の場所にもやっぱりすごくたくさんありますよね、まあ特に日本だと地域に行くと、
自社仏閣、あまりあの、知られていないところっていうのがね、すごく良かったりして、もう本当に良かっただけの配信なんですけどね。
具体的にあの、どんな場所かというと、一つはあの、大原神社っていうのがありました。これ、これ車じゃないとちょっと難しいんだと思うんですけど、
綾部のですね、山の方にある、中福っていうのかな、あの綾部から、えっとです、綾部じゃない、えっと、あの、福知山のですね、ちょっと南側から綾部に行く途中の国道にあるんですけど、あの、まあ安山の
えーと、神社とかね、神社で安山のためってすごい珍しいと思うんですけども、あの山のですね、あの中福にあって、で、しかもあの、建物がですね、あの、えーと、ひわだぶきなんですよね。すごいね、あの、良かったです。
あ、ごめん、間違えてこれ、神社じゃなくてお寺ですね、お寺、お寺なんですけどごめんなさいね。お寺でひわだぶきでっていうすごく珍しい、神社だとひわだぶきがあるんだけど、お寺でですね、ひわだぶきの、大きい原と書いてね、あの、大原、大原と書いて大原神社なんですね。
で、ね、下の方に川があったりとかして、ちょっと中福まで行って、で、人がいないんですよね。ここがポイントで、あの、もう最近だとね、あの、今日でも、あの天の橋立のね、あの駅降りると、あの電車で行ったんですけど、本当にね、あのインバウンドの外国人の方が、えー、ほんと遠い場所から本当にたくさんいらっしゃって、いらっしゃいましてですね、本当にもう電車がほぼ満員ですね。
外国人の方、金曜日ですよ。金曜日なのにすぐ満員で驚いたんですけど、まあそんな感じでもう、もうね、地方に行ったとしても、やっぱインバウンドの影響がやっぱ強いんで、もうね、すごくたくさんの外国人の方にこうね、あの、押されながら電車降りたわけなんですけども、まあそういうとこってね、やっぱすごく人が多いから、うん、ちょっと、あの、ま、車でね、ちょっと父親と移動したんですけども、
あの、ぱっとね、あれこれなんか神社があるよとか、あれ面白いなとかね、これ前からちょっと行った、行きたいなと思ってた神社なんだけど、普段は通過してるなっていうような、あのお近くでありますよね、あの普段、あまりあの行こうかなという風な気はするんだけど、いつもスルーしてるような、えー、まあ神社でもいいしお寺でもいいしね、えー、まあ小さな施設でも良いし、まあ公園でもいいしね、いろんな、
いろんなのあると思うんですけど、そこをちょっとあえてスルーしてるのをちょっとクッとね、あの引っ掛けてですね、あの、まあちょっとそこに行ってみるっていうのが面白いかなっていう感じなんですね。で、お寺はね、大原寺っていうのがまあさっき伝えたんですけど、もう一つはですね、行ったのが、どこでしたっけね、さっき行ったんですけども、
えーっとね、あの花で有名なね、えー、凌吾寺っていうのがありますね、えーと関西の花の寺の25箇所の、えー、第2、えー、第2番の札所として知られて、まあ特にですね、春の三松寺、僕大好きなんですけど、例年だとまあ4月中旬ぐらいですかね、それがめちゃくちゃ圧巻なんですが、えーと、まあ蓮の池があったりとか、めちゃくちゃね、こう広い池があるんですよね、境内の。
えー、こう道路挟んだところに、まあそこの風景見るのもいいですし、そしてそこはですね、ちょっと中腹まで、中腹までは行かないんだけど、割とね、あの、まあなだらかなところですね、綾部の駅から、これも車じゃないと難しいんですけど、歩くとね、たぶん4、50分かかるかもしれないですね。
車だとね、10分圏内なんですけど、まあそれで、まあ本当にね、夏は蓮だし、まあ椿があったり、本当にね、四季折々の花が楽しめるところなんですね。そこも、まあちょっとフラッと行ってみたというかね、これね、あの父が前にちょっと情報聞いてたというかね、みたいで、しかも一応こう、あの、
えっと、行ったことがあると言ってましたね。前に母と、もういつ行ったか忘れちゃったけど行ったよみたいな。そこの場所に行ってね、ああ行った行ったみたいな、記憶が蘇ってくるぐらいの、そういう感覚だったみたいですけどね。で、そこも人が一人もいなかった。本当に、もうね、二人だけでね、父と僕の二人だけでこう、散策したという感じなんですけど、
旅の即興性とその価値
それもね、周りは全部自然の中で建物があって、すごくこう、心が現れるというか、人がいないし、自分ペースだし、それがいいですよね。ちょっとマイナーなんだけど、そこにゆっくり行ってみるっていうか、そういう、あの、外すことっていうかね、
そこが大事かなというか。で、しかも、パンフレットとかネットの情報には一応あるんだけど、そこまでアクセスできない、そういう情報ってありますよね。それは普段の街歩いたりとか、実際にパッと目についたものね。
あとは、はっと出会ってしまったもの、そういうものにパッと、すぐ動くっていうことですかね。そんな風にするのもとても良いと思いますね。前もね、先月のゴールデンウィークの時に、和田山のね、待合室にちょっと待ってたらですね、時間がめちゃくちゃあったんだけど、行くところなくて。
で、夫婦でどこ行こうかなって行った時に、まちづくりというか、案内のシルバーの方がいらっしゃって、そしたら富士の花がめちゃくちゃ良いところあるよっていうことで、それで白井公園というところをね、お勧めいただいてすっごい良かったんですけど、そういうなんかちょっと待ち時間があるとか、1時間ぐらいあるなっていう時ってありますよね。
そういう時に、自分でネット探すのも良いかもしれないけど、ふとした時にちょっと駅員さんに聞いてみるとかね、そこにいらっしゃるようなスタッフの方、そこにダメ元というかね、少し人と人の交流というかね、そういう生の人が目の前で持っている情報ってのがありますよね、一時情報。
そこをね、たぐっていくのはすごく良いことなんじゃないかなというふうに思いますね。
そんなふうに、そこの場所に行って探していく、もう狙っていくようなね、今から3日間あって、例えば仙台に行く時にどういうところに行こうかっていうのは、ある程度プランとかね、ありますよね。
だってサムネのところを見たいとかね、あとは牛タン食べるとか、いろいろあると思うんだけども、その流れの一つで、やっぱり現場に行ってちょっと、そこで動いてみようっていう時間帯をね、それをね、半日でもね、うまく余裕が持てたら1日ぐらいね、ぽっかり空けておくっていうのが、
旅としてはすごくこう、もしも出会えないかもしれないっていうのがね、あるかもしれないですけどね、ちょっと空けとくのはちょっと不安だっていうのがあるかもしれないけど、そういうところ、ちょっと現場に行って動いてみるっていう、僕も今日なんかそうそう、目的がちょっと一つあって、用事がね、それ以外ほとんど時間も決めてなかったんだけど、
その場で即興的にパパパパッとね、動いていってですね、それで見ていくっていうのはね、やっぱりいいなと思いました。父親もね、そういうパッと動くようなタイプなんで、お互いよく似てるので、ものすごく旅はね、昔から父と行くのはすごく好きなんですけど、
まあそういうふうな、即興的に旅をしていくっていうか、そういうところって大事かなっていうふうにね、思います。それって旅って人生の小さなシミュレーションなんですよね。旅は判断の連続、価値観が表出されていく連続っていうところがあるから、
そんなところで、ちょっとした旅の振る舞いとか判断とか、そこの風景っていうのはやっぱり人生の、長い人生の中の一つの凝縮しているような感じね。だからね、出るわけですよね、癖が。その人の癖っていうのが生まれてくるので、そんな感じで、面白いなっていう感じなんですよね。
ということで、今日はですね、ふとした旅の中で即興的な時間をね、空けておくことによって得られるお土産というかですね、メリットみたいなものについてね、お伝えしてみました。ここまで今日もお聞きいただきましてありがとうございました。