アウトプットの難しさ
おはようございます。小松正史でございます。 今日はですね、朝の駅に行く途中の道をですね、こうして喋ってる感じなんですけれども、
えっと今日は何を喋ろうかなっていうのを全く今日は決めずにね、いるんですけどね。あの、まあ、なんか人間でアウトプットを最近ね、する人結構増えてきてると思うんですけど、
なんかこう、無理にアウトプットして行きすぎるとですね、なんか長継ぎしないっていうか、
やっぱりアウトプットって結構難しいというかね、なかなか厳しいところがあって、それを人様にね、お聞かせする、お見せする、伝えるためのね、コンテンツとしてこう、
作っていくのもすごく大変なところがありますよね。で、まあ最近ね、こういろいろ自分で自己発信している人がとても多いんですけど、
なんかいろいろ見ているとですね、ずっと続けてやっていける人と、全くこう、できてない人というか、途中で止まっちゃうというかですね、そういう人もね、出てきて、その違いは何かなっていうね、
思ったんですけども、まあそれって結局は、自分でこう、自然体というか、それでやっていけるかどうかみたいな感じの、その境目だと思うんですよね。
で、まあこの自然体っていうのはすごく人間にとってね、難しいところなんですけど、まあ要はね、無理がないようにやるっていうことがね、すごく大切だと思いますよね。
だからあの、まあ音声配信、毎日ね、なぜかこう、ずっと続けられているんですけど、なんでかなっていうのは、あんまり決めずにやってるからかもしれないですね。
まあ時折ね、このあの音声配信では、あの自分のシリーズもの、3回とか4回分の話はしてるんですけど、まあだいたい単発的ですよね。
まあ1回で、だいたい10分ぐらいで喋って、それで今日はこんなこと喋りましたとかね、あんなこと喋ったみたいな感じの、まあたわいもないような雑談、
まあ僕はそういうのがやっぱり続けられるコツというか、
身体を使った表現
テーマ決めてやるっていう、すごくね、例えば、
投資であるとか、自己啓発とかね、自分軸を高めるためのとかね、マインドフルネスとかっていう、そういう目的を決めてやるっていうパターンもあったりしますよね。
特にあの、この僕の音声配信っていろんな話題に変化しているので、時折ですね、タイトルとかですね、番組の番組名っていうのかな、それが例えば耳トレっていうふうになったりとか、
心理学だったりとか、まあそういうふうに、なんかシリーズものにするのはいいけど、それがその番組のブランディングにしちゃうと、
やっぱり途端に長続きしないんですよね。 何か目的的に情報を伝えるっていうのはすごく今、
SNSとかね、あの情報発信では多いですけども、よっぽど自信があって、これを専門をちょっと皆さんに伝えていくとかね、
そういうふうな人だったらいいんでしょうけど、僕はですね、専門家じゃないんですよね。
心理学とかピアノ演奏とか作曲とかって専門はあるけど、それをずっと同じ状態で、
鮮度高くですね、保てるほどね、あの、
なんか強固な精神じゃないなっていう、まあ簡単に言うと飽き性ですね、飽きっぽい、すごくそういうところがあるんで、
なんか決めないとこっていうのがすごく大事な感じがするんですよね。少なくとも自分にとってはね。
そこを考えていくと、やっぱり日々の配信なんかはあまり決めずに喋っていく。
このタイトルちょっとやってみたいなとかね、そういうふうなところがあったら、ずっと4回とか5回ぐらい喋り続けますけど、
それ以外ですと、まあ雑談ですよね。
人によってはね、音声配信って雑談しながら本題に入ってまた雑談っていうタイプがあるんですけど、僕はもう雑談で終わるかなっていうかね。
不思議とですね、数字の話で言うと、僕が即興演奏するとか、演奏なんですよね。ピアノの演奏するってなると、やっぱりたくさんの方が聞きたいなとかっていうふうに
思ってくださるんですけど、自分のブランディングの分析で言うとですね、喋りは魅力ないんですよね。
魅力ないなぁと自分では思います。それが数字に現れてるから。でもなんかね、しちゃうんですよね。
数字に関係なくしちゃいたいっていうか、そこが番組を長続きできてるコツかなっていうね。
だってこれ今、たわいもない雑談で駅に向かっているわけですけど、
目の前に赤いタクシーが、八坂タクシーが来ましたとかね、目の前が消防署なんですけど、消防署ですとかね、京都市バスが見えましたみたいな。
まあそれぐらいでもいいんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。ちなみになんですけど、僕はちょっとかつてですね、
ランニングがすごく趣味で、今はちょっとランニングはやめてるんですけど、まあその分、
散歩に変わりましたけどね。その時によくやったことは、走りながら周りの風景を見て、それを口にして移動するというか、
動くっていうことをね、まあ外から見たらちょっと気な目というか、ちょっと変態だと思うんですけど、そういうのをね、やってて。
で、それ何でやってたかというとですね、やっぱり言語化なんですよね。 言語化ってすごくね難しいんですよね。あの普段の喋ったりとか何気ないなんとなくの喋りだと、
まあ永遠に喋れるのかもしれないけど、具体的な記述ですよね。あの目の前にこうね、市役所というか区役所があるんですけど、
区役所の建物が5階あって、それで一番下が消防署になってて、今はね消防署の朝礼があって、みんなシャキッとね、
7人ぐらいの方がこうあの整然とね、整列されておられますけど、みたいなことを喋りながらどんどん視点を変えて、目で見るものってありますよね。
目で見るものを言語化していくっていうことをね、してるんですね。そうすると瞬発的に言語をね、変換できるっていう、まあそういう能力が身につくし、
突発的にこう、どうしてもある特別のね、一定の場面があったらそれを言葉にしなくてはならないっていうような、
まあそういう、ちょっとゲームというかね、強制的ゲームですよね。そんなふうにやっていくと、それをずっとやるとですね、言語能力すっごく上がるんですよね。
文章を書くときって、やっぱなんか突然手詰まりしたり止まったりとか、まあそういうことってあると思うんですよ。
まあそれがちょっと少なくなってくるというか、そんなふうに感じますね。
今でこそね、文章はAIで書くっていうところがあるけど、やっぱりそれでも、ちょっとここからアナログとデジタルの話になってきますけど、
やっぱり素手で何かをアウトプットしたりとか、外部のデバイスとかね、AI使わずにまずは文章を書いていくっていうことがすごい大事だなというふうに思いますね。
すごい音ですね。すごい音、これ消防署の音ですね。
なんかチェックをしてますね。この音、この機械音がちゃんと出るかどうかみたいな。
そんなふうにして、自分の素手を使ってというか、体を使って表現したりとか、何か表現を最後まで出し切るっていうかね。
まあそういうこと大事だと思うんですよね。それがやっぱないから、最近はAI使ってて悪くないんだけど、
AIと人間の観点
やっぱりね、AIは道具なので、自分がこう使うとか、ちゃんと使う方針ね、指揮者です。そういう感覚がないとやっぱり使われちゃうというかね。
やっぱり劣化しちゃいますね。自分の能力というか表現力。
なので、例えば何も、さっきの最初の話に戻りますけど、何も音声で喋ることがないなとかね。
なんかネタが思いつかないなって言った時あると思うんですよね。何か外に出す時に。
そういう時に、本を読んだり、何かを参考にするっていうのはとてもいいんだけど、
丸投げでAIに聞くとか、全部自分の意識というかね、
その辺りを別のものに投げていくと、なんか大事な能力が減退していくような気がしますよね。
そこ結構危ないので、やっぱり、ちょっとしんどいかもしれないし、大変かもしれないけど、
なんか自分でまず、体を使って何かやっていくっていうか、活動していくっていうことがとても重要になってくるんじゃないでしょうかね。
音楽についても、今は打ち込みというか、自分が歌わなくてもね、ボーカロイドとかで歌詞を入れて、
それで音楽作るっていう方が非常に増えてて、とても素晴らしい楽曲たくさんあったりするわけなんですけど、
なんかね、どこかで音楽楽器、生楽器、身体を介したというか、身体に伴ったような音出しをしていくっていうことをされた人っていうのは、
打ち込みをしたり、コンピューターで曲を作ったりしたりしても、やっぱりなんか芯が出てくるというか、
普遍的な響きが出てくるんじゃないかな、自分にとってですけどね、演奏者にとってというか、アウトプットする人にとって納得する曲に繋がってくるんじゃないでしょうかね。
そんな感じなので、外に何かを出していく、アウトプットするって、何らかの自分の手応えというか、
核役というか、繋がりというかね、そういう感覚がないとね、軸のない伝え方になってしまうなと思うんですよね。
だからそこのあたりの、何かしんどいというか作れないなとか、あれちょっと自分では不足だなということも含めて、
アウトプットしていくということが、非常にこのAIの時代だからこそね、本当に試されていることではないかなというふうに思ったりしますね。
ということで今日は、AIを使った話になってしまいましたけど、今日もね、即興なんですよね。
だいたい8割、7、8割ぐらいが音声を収録するときに、今日はこれを喋ろうとか、あれに行こうとかっていうのがね、ありますけど、
プロセス重視の小松はですね、今日は何喋ろうかなと思って、今日はね、ちょっとボタンを押した次第なんですけどね。
やっぱり身体論とかAIとか、そのあたりをよく考えたりね、実際に自分でちょっとつまずいたり、陶芸にまだ至ってないなっていう、そういう自分のある程度の苦しみというか、
海の苦しみというのもあるので、そのあたりをちょっとずつ言語化していこうかなというふうに思いますね。
ということで、今日もこんな即興的な音声配信でございましたけどもね、ここまで聞いていただきましてありがとうございました。それでは失礼いたします。