生存の重要性
皆さん、おはようございます。小松でございます。
今日は、まず、ライフハックみたいな話なのかなと思うんですけど、
人生ですね、まず生き残れみたいな、そんな話をしてみたいなと思うんですね。
というのは、それぞれの皆さんの立場の中で、結構、紆余曲折あってですね、
なかなか生きること自体が厳しかったりとか、様々な困難、あるいは仕事、家庭のこともあるかもしれないですけど、
かなり揺れ動いたりとかですね、生きてる自体が大変なんだっていうところが結構ね、正直あると思うんですよね。
僕もそれはね、今まさにその過虫ではあるんですけれども、
そこでちょっと思うのは、欲を出さないってことなのかもしれないなっていうかね、
何かにつけ、もっと向上心で今より良くなっていこうとかね、進めていこうとかね、
右肩上がりをすごく当たり前のように意識して動いていくっていうことが、結構無意識にあるんじゃないかなって思うんですよね。
自由形態の資本主義では、右肩上がりを想定して経済がデフォルトで進めていることが多いじゃないですか。
それが当たり前というか、そこの罠に引っかかるとですね、
普通のことが当たり前というか、今いる現状維持が当たり前なんじゃないかなみたいな、
あるいはそれより良くない、現状維持よりも上だ上だみたいな感じで進めていくっていうことが、
無意識のうちに擦り込まれたりしていることが何かあるんじゃないかなって思うんですね。
なので、ただいることBというね、ただいること自体が奇跡というかありがたいというかね、
そういうふうに今感じるっていうことが、僕は大事だと思うんだけど、意外と忘れがちなところなのかなと思うんですよね。
つまりBということが空気のように当たり前ではないんですよね。
そこが大きなトラップ、罠に引っかかるところが多いんじゃないかなと思うんですよ。
だから今日は抽象的な話をしてますけど、ただいること自体がやっぱりすごいことで、
そこからプラスで何かやるとか、そういうことをやるのはすごく良いことではあるんだけれども、
そればっかり狙ってみたいなね。そこがね、駆け抜けていくこと自体を見直した方がいいのではないかなっていう感じがするんだね。
だからね、生き残るとか生きていること自体が普通じゃないというか、すごい奇跡なんだなみたいな。
そこを感じつつ、とはいえちょっと上に上がりたいとか、もっと成果をあげたいという場合のことはあると思うんですけど、
そこもいいんだけど、生き残ること自体がありがたいなっていうね。
それがある程度しのげたら、そこから何かいいことっていうかね、また結果的に右肩上がりになることっていうのがあるんじゃないかなっていうふうに思いますね。
ということで、今ね、ちょっと12月のね、京都の夜歩いてるんですけど、結構ね、さっき立ってるよね。
なんかね、人の動きとか車とかね、いややっぱね、まあなんていうかな、空気感として、やっぱ12月は邪気月間じゃないですか。
これ結構、ちゃんと注意すべきところがね、あるんではないかなっていうふうに思っているので、そこはね、皆さんも本当僕も含めて気をつけてね、生きなければということでね。
そんな感じで、また今日郵便局に来ましたけど、よろしくお願いしますということで、ちょっと早いですけどね、これで終わりまーす。