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2025-01-29 16:01

#213/明日の重さと儚さと

#習慣 #習慣化 #毎日配信 #明日
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こんにちは、モロトメ ジョーです。今日もチャレンジしてますか?
今朝も散歩をしながら収録をしています。時間は5時真っ暗ですし、横浜は風が吹いていて寒い朝となっています。
いつも通りといえば、いつも通りですかね。というわけで、早速話を始めていきたいと思います。
今日のテーマは、明日の重さと儚さと、ということで、少し重めなようなテーマでもありますが、お話をしていきましょう。
明日の重さと儚さと、と言いました。
なんでそんな話を急にと思われるかもしれませんが、言うまでもなく、僕たちの人生は限りある人生なので、たまにはそういった重いテーマと言われたとしても、事実について確認をする必要もあるのかなということで取り上げています。
そして、今言った限りある人生ということについて、僕は時折考えるわけですけれども、昔よりも考えるようになったかなと。
これは僕が年を取ったからかもしれません。
ただですよね、年は実は関係ない。
ここがポイントだったりします。
年を取ると確かに病気のリスク、怪我のリスクというものが高まるのかもしれません。
ただ不良の事故みたいなことで考えていくと、実は年は関係ないんですよねと。
だとすれば、やはり限りある人生ですし、いつ何が起きるかはわからないとも言えるわけです。
その上でということなんですが、明日の重さと儚さと、明日というものには重さと儚さがあるよねということなんですけれども、
まず重さということについてから言うと、こんなことが言われるし聞いたことがあるかもしれません。
今日は誰かが生きたかった明日なんだ。
今日は誰かが生きたかったけれど生きられなかった明日なんだと。
そこには重さがあるし、だから僕たちは誰かが生きたかった明日を一生懸命生きる必要があるよねと。
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今日はたくさんの人たちの思いの先にある今であり、僕たちはそこを生きているんだと。
そんなお話です。
だから明日には重さがある。
今日には重さがあるんだと。
そんな話です。
そしてもう一つ、明日の儚さと。
重さに対して儚さというものもあるよねと。
その儚さというのは先ほども言いましたけれども、
先ほども言いましたけれども、
誰もがこの瞬間命を落とすかもしれないという不確かさみたいな、
そして誰か、誰かではなくて誰もがですね、
必ずいつかは命を落とすという、そういう意味での儚さというものもあります。
にもかかわらずということなんですが、
にもかかわらずというのは誰もがいつかは命を落とすんですけれども、
にもかかわらずどこか人事ですよねと。
人事というのは自分はまだ死なないみたいな、そんな感覚なんですけれども、
例えばニュース、ニュースですね、何かを見ていて誰かの不法を目にしたとしますと。
ですがどこか人事で眺めている自分、たぶんいますよね。
これは自分がまだ命を落とした経験がないからだと言われます。
当たり前なんですけれども、
今、命を落とすことなく今を生き続けているから実感がないんですよね。
いつかは必ず自分もそうなるのにということなんですが、
先ほど言った儚さということに関しては、
どこか人事な自分、これがいるんだということは、
改めて認識する必要があるかなということではあります。
それはそれとしてということですが、
明日には重さと儚さがある。
だとすれば少しでも今日という日を悔いなく生きた方がいいよねと、
一生懸命生きた方がいいよねと、そんなことが言われるわけです。
だけどなんですよね。
だけど、一生懸命生きる、そんなことは分かっているんだと。
一生懸命生きる、そんなことは分かっているんだと。
でも、そんなことをいちいち言われていたら、
生きづらくなるじゃないですかと。
いつもいつも一生懸命生きろよと、
そんな話を言われても生きづらくなるよねということはあると思います。
なので、一方でこうでというのは一生懸命生きた方がいいという一方で、
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もっと気楽でいいんじゃないのというような考え方もあるかなと思うんですよね。
もっと気楽とはどういうことかなんですけれども、
明日の重さと儚さがあるということは、
一度きりの人生ということでもあり、
だとしたら一度きりの人生なんだから楽しく生きればいいじゃないかというようなことです。
ある意味適当というような聞こえ方もするかもしれませんが、
もっと気楽でいいよねということです。
なので、気楽さというものも必要だよねというような一面も、
明日の重さと儚さの裏にはあるのかなということです。
でも、でもというか、はい、だからというのか、
気楽さは必要だと、もっと楽しく気楽に構えていればいいんじゃないのということにもかかわらず、
多くの人は挑戦を避けているという事実もあります。
挑戦、はい。
これについてはよくこのチャンネルの中でも話をしていることですよね。
習慣感、習慣の一環として挑戦をしていきましょう、そんな話をしているわけですし、
世の中的にも挑戦、大事だよねと言われているわけです。
なので、挑戦をしていきたいところなんですが、
なかなか挑戦をしない。
そして先ほど言った話を思い出してみましょうということなんですけれども、
僕たちは自分が命を落とすということについては人事なんですよね。
どこか人事だという話をしました。
挑戦にはリスクがつきもの、危険がつきものというイメージがあります。
失敗したらどうしよう。
そういったリスクを感じている。
一方で、命を落とすということについては人事なんですよね、僕たちは。
だとしたら、そんなにリスクを感じる必要がありますかと。
何か挑戦をするにあたって死ぬのも怖くない。
そんな僕たちがなぜ挑戦を拒んでしまうのかというような見方もあるわけです。
どこかちょっと矛盾していますよねと。
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そんなに死が命を落とすということが人事なのであれば、
もっと気楽に挑戦ができるはずなのにねということです。
実際ということなんですけれども、
例えば僕たちが普段生活をしていて、街中を歩いていて、
ちょっと道を間違ったとしても、間違って横道に入ってしまったとしても、
いきなり猛獣に襲われて死んでしまうというようなことは、まあありませんよねと。
ところが、大昔、遡ってみれば、
遡ってみれば、ちょっと道を間違って森の中に入ってしまったら、
その瞬間猛獣に襲われて死んでしまうということはあったはずですよねと。
そういう意味では、大昔は何かに挑戦をする、新しいことをやるということは、
命を落とすリスクさえあった。
なので、挑戦を拒むというような遺伝子、
そういったものが今の人間にも残っていると言われています。
だから、挑戦に対しては、どこかお呼び越しになってしまうんでしょうと。
とはいえ、先ほども言った通りで、今はそんなに危険なことはない。
何かに挑戦したからといって、命を落とすということもないですよねと。
にもかかわらず、挑戦を危険すぎるものとして捉えているんだということです。
このあたり、どうでしょうかということなんですけれども。
結局のところ、挑戦、大事だよねという話なんですけれども。
先ほども言った通り、繰り返しになりますが、
何かあったとしても、失敗をしたとしても、命を落とすほどではない、
そういう環境に僕たちはいるんだということを改めてお話をしてみた。
そんな感じです。
でもということなんですけれども、本質的には人は必ず命を落とすんですよねと、
いろいろと2点3点していますが、挑戦という話の中では、
僕たちはそう簡単に命を落とすわけじゃない、だから挑戦をした方がいいといった反面で、
本質的には人は必ず命を落としてしまう。
だから明日の重さと儚さを一方で理解しておかなければいけないよねということになります。
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そして明日の重さと儚さというものを、じゃあどう理解するのか、認識するのかということなんですが、
ここを具体的に落とし込んでおく必要があるかなと思ったりもするわけです。
例えば日々のニュースですね。ニュースについては先ほども言いましたが、
ニュースで誰かの不法を目にするということもあるでしょう。
僕はあまりニュースを見ませんし、見ないほうがいいという話もしていますが、
ニュースを見る一つのメリットとしては、そういった誰かの不法を自分ごととして捉える機会になるというメリット、効果はあるかなと思っています。
そしてあるいは時には身近な誰かの不法ということもあるかもしれません。
そういった機会に明日の重さと儚さを実感するということはあるでしょう。
それとは別にということですが、少し前の放送でもお話をしましたが、
今日が最後の一日、人生の最後の一日だとしたらというような前提で物事を考えてみる、
そういう時というかそういう日があってもいいのかなということですよね。
あとは僕も一年に一回はやっていますが、
遺本を書く、遺本を見直すというような、これによって命を落とすということを自分ごとに捉え直すことはできますよね。
そしてもっと具体的にというか、もっと身近にできることとしては、
時計の秒針を眺める、秒針、1秒ごとに動く針を眺めると、僕は時々これをやっています。
なんだその暇そうな行動はと思われるかもしれませんが、
秒針が動いているその1秒ごとに自分は確実に年をとっているんですよね。
1秒ごとに体は老化しているし、1秒ごとにいつか必ず来るかもしれない最後の瞬間に向けて動き続けているということになります。
そうするとどこかその1秒に対して焦りみたいなものも生まれますし、
それは良い焦りでもあれば良くない焦りでもあるんですけれども、
とにもかくにも時間は確実に動いているし、終わりの瞬間に向けて動いていることを秒針を見ることによって改めて感じることができる。
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だからたまには秒針を眺めてみるのはいかがですかと、そんな話でもあります。
そしてたった一度しかない人生を少しでも楽しく少しでも良く生きようと、そんなメッセージが今日のお話になります。
明日の重さと儚さということについて話をしてみました。
繰り返しになりますが、一度しかない人生を少しでも楽しく少しでも良く生きる、
今日がそんな一日になりますようにと願ったところで、今日のお話を終わりにしたいと思います。
それではこの後も良いチャレンジを。また明日。
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