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2025-04-29 09:09

【新定義!】クリエイティブ再考③〜日々のバランス感覚を養う!

クリエイティブと言われる要素を、日々の生活に落とし込んだときに、どのようなバランスが展開するのか。その塩梅は人それぞれによって違っていいはず!
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サマリー

このエピソードでは、クリエイティブな考え方を再考し、日常生活における心の持ち方やバランスの重要性について語っています。クリエイティブな状態は、自分が納得できる生活をすることに結びつき、自己完結を目指すことの大切さが強調されています。

クリエイティブの考察
おはようございます。小松正史でございます。
クリエイティブとは何かという話を2回ばかりしまして、
今日も3回目ちょっと話していこうかなというふうに思います。
話が堂々巡りになっているかもしれないですけど、
結論を導くために、今日で終わるかどうか、
まだ分からないですけど、やってみたいなというふうに思います。
それで、クリエイティブという言葉、結果的に不自然かなと思いますよね。
しかも不自然なんだけど、使っていると語呂がいいというか、
なんとなく分かった気で喋っているというか、使っている気がするんですよね。
各優、私もですね、授業とか様々なところで、
なんとなく直感的にクリエイティブって使っていたりとかして、
いや本当にそれってどうなのかなみたいな、
日本語でもカタカナたくさんありますよね。
よく分からないカタカナって結構日本語でたくさんあるんですけど、
その典型的な例の一つというのがクリエイティブという言葉なのかなというね、
そういう気持ちは強いですよね。
だからね、クリエイティブって別に言わなくても、
日頃の、昨日伝えたみたいにですね、
家事をやるとか、日々の心の持ち方を少し変えるとか、
自分を俯瞰して見ていくというか、
メタ認知ということをよく言いますけど、
そういうふうにして見ていくこと、その行為自体も実はすごく大事なクリエイティブで、
調律という言葉が楽器でよく言われますけど、
自己の調律していること自体が実はクリエイティブというかね、
物事をこれから作る場合とか生活する場合に、
ちょっと想像的で生き生きとして、
時には挑戦的になったりとかもね、ポジティブな意味でなったりとかするような、
そういう状態っていうのがすごく何でも今から作っていける可能性があるみたいなね、
実際作れなくてもいいんですよ。
作るっていうか、形としてそれが現れなくても全然僕はいいと思うんですけど、
そういう状態、心の状態に持っていくことができることが、
多分クリエイティブという言葉にも入っているんじゃないかなと思うんですけども、
それってつまり自己完結に近い話ですよね。
人がどういうふうに思っているかというか、そういうことよりも自分の手応えであるとか、
心が昨日よりもすっきりというかね、落ち着いてというか、
本質に近いものが感じられる中で生活をするだけ、ただするだけであっても、
それこそがクリエイティブの状態になるんじゃないかなというふうに思います。
なので今日までの結論的な話でいうと、まとまりづらい言葉を一筋でくくると、
ものすごく人間って楽というか、一択になるっていうことが結構あるので、
それ危ないことで、そういうことではなくて、人それぞれの生活の中で何か、
昨日よりも良いことができるとか、納得したものができる、あるいは挑戦的なものができるみたいな、
そういうことを併せ持った言葉がクリエイティブかなというふうに思いますね。
バランスの重要性
今日はそこからどういうふうな話に持っていこうかと思うんですけども、
じゃあ具体的にどんなことをすればいいのかなということですね。
するというか、計画ですよね。
それはどんなふうなところがあるのかなって考えていくと、バランス論になってくるかなと思うんですね。
ちょっと危ないのが、好きなことばっかりして生きていくのがいいわけじゃないですよね。
やっぱり生活をどうしてもしなくてはならないですから、人は。
そういうのがあるし、極論いってしまうと、全然そういうことをしなかったら、
生きてはいけないんだけども、どうしようもないというか、しなくちゃならない。
ネガティブな状態じゃなくて、そこはマイナスな状態があったらゼロに近づける。
マイナスにならなくてもいいので、そこの値の心持ちをゼロに近づけていくだけでもいいと思うんですけども、
そういう意味で言うと、さっき伝えたバランスで言うと、
しなければならないライスワーク、ご飯を食べるための仕事ってあると思います。
それでもありがたく思ってやってます。
例えば3分の1やるとか、あとその3分の2で何するかというと、日々の整えの時間というか、
整えというのはもうちょっと具体的に言うと掃除とか家事とか、今実は歩いて収録してますけど、
歩くという、ちょっと趣味には近いんですけど、少し自分の心身を整えていくような、
ニュートラルにしていくような時間とかそういうものありますよね。
そういうものを設けていくっていうのもあると思うし、そこから僕は音楽作ったり文章作ったりですね、
こうしたコンテンツを発信したりしてるので、これなんかは本当によく言われる狭い意味でのクリエイティブですよね。
そういうのは外で、外の人から見て、自分以外の他者が見て、自分のやってることがわかるっていうのはよく言われるクリエイティブなので、
そういうのももちろんあったりはしますよね。
趣味に近いというか、やりたいことみたいな感じのね、僕はそういう作業、作業というかそういう活動なので、
そのバランスを僕は3分の1ずつやるような感じはしてます。
それで、これ人によって違うんですよね。
人によってはもうほとんどそういうことなくても全然いけるというか、
クリエイティブなところは様々な人が作ったゲームとか音楽とか映画とか、
諸々のものを楽しんでいくっていうようなところがあったとしたら、
これはめちゃくちゃクリエイティブになると思いますしね。
それが趣味に近いところかなと思うので、極論的なことを言うと人は絶やすいというか、
そっちに行きがちなんですけど、そうじゃなくて、自分なりに日々のクリエイティブの状態をですね、
大学とクリエイティビティの関係
割と自分にとってしっくりくるバランスに変えていくということがすごく大事なんじゃないかなというふうに思いますね。
それがですね、クリエイティブという言葉の弊害が、前から伝えたように外からの評価じゃなくて、
自分で作っていくというか、自分で評価していくということですよね。
自分で納得をしていくということになると思うんですけどね。
そこがですね、なんかやっぱり派手なものに行きがち、そしてポイムみたいな感じで、
今いろんな大学で新しい、よくわからない名前の学部がどんどん新設されようとしていますけど、
そこにいろいろと広告なんかよく入ってきますよね。
僕はそういう大学の中の人ということで、いろんなサイトを興味を大いに見たりしてるんですけど、
よくこんな言葉伝えてるなとか、そんなストーリー描くなとかね。
そういうことが結構多くて、それがねクリエイティブなところが結構あるわけですよね。
クリエイティブになれるよとかね、クリエイションしますよみたいな。
なんかね、乖離してるんですよね。逆一転ですよ。これ怖いというか。
当事者の一人かもしれないからあんまり大きいこと言えないですけど。
でも僕は他の大学を見てるとということなんですけどね。
そうするとちょっとおかしいな。これ何がおかしいか。
大学にとってのクリエイティビティみたいな話になるので、
最後というかね、次の明日はですね、そんな感じの第4回目ということで、
大学とクリエイティビティみたいな、そんな話してみたいなと思いました。
ということで今日もお聞きいただきましてありがとうございました。
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