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2025-04-29 10:56

【新定義!】クリエイティブ再考②〜概念が広すぎる!

クリエイティブという言葉はその対象が広すぎる。なんだか都合のよい言葉でわかった気になるこの言葉に、要注意!
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サマリー

このエピソードでは、クリエイティブの定義やその広がりについて考察し、個人の軸に基づくクリエイティブなアプローチの重要性を説いています。また、クリエイティブという言葉の曖昧さやその価値を再考する必要性についても言及しています。

00:02
おはようございます。小松正史です。
クリエイティブの定義の考察
今日もですね、クリエイティブの第2回目の、クリエイティブって何かみたいな、そんな話をね、今日もしてみたいなというふうに思います。
昨日の放送を聞いていただいた方は、クリエイティブって、もともとクリエイティブを専門的にやっている人がいて、その専門的な人の立場からやっていくような視点をまず持っているということと、
あとはそれがだんだんと話が変わってきて、評価とかそういうところのあたりから話がどんどん広まりつつ、自分軸っていうのがちょっと見えづらい話になっているのかなというふうにね、いう話をしました。
今日はですね、そこでちょっとねじ曲がってね、クリエイティブの言葉がどんどん広まっているんじゃないかなということで、今日お伝えしています。
それでですね、学生の中からですね、学生でクリエイティブなことをしたい、クリエイターになるみたいなことをね、僕はそういうメディア表現学部というところにいるので、本当に散々聞くんですけども、そうしたときに言葉、どういう概念でクリエイティブを喋っているのかっていうのがね、すごく気になってですね、聞いてみると、
他の人と違うことをしたい、なんか奇抜なことをしたい、今まである仕事はちょっとなんかあまり興味ないから自分で新しいことをしてみたいっていうような、その外と比べて、周りと比べて、自分の最下というか、好きなようなというようなね、そんな感じでクリエイティブをやってみたいっていう、そういう話なんですよね。
で、これって何かなっていうか、何が本質かわからないんですけども、やっぱり人と比較して自分がクリエイトしていくというか、そういう感覚ですよね。
なんか自分がワクワクというか好きなものをね、やるというより一つ違う最下を求めてやっていくっていう、それもありだとは思うんですけども、そういうことを中心にやっていくっていうような感じなんですよね。
で、クリエイティブ、クリエイターという言葉、クリエイティブの派生でクリエイター、想像する人とかね、制作者っていう言葉だと思うんだけど、それでいいじゃんって思うんですよね。
制作者とか、制作者ぐらいで別にいいのになっていうか、そこでわざわざ横文字でカタカナでクリエイター、クリエイティブって言わなくてもいいんじゃないかなっていうふうに思うんですけども、
クリエイティブ、クリエイターってね、今本当にたくさん言葉が言われてますけれどもね、これって多分一言では言いづらい部分があるんじゃないかね、制作者、ものづくりをする人とかね。
そういういろんな言葉がひっくるめて入ってるからクリエイターとしか言えないんじゃないかっていうところはあるのかもしれないですね。
自己評価とクリエイティビティ
ただですね、評価が外部というか他人軸で決めてるっていうところがすごく違和感があるなと思うんですね。
じゃあ小松のクリエイティブって何かって定義してみたらっていう話になると思うんですけど、僕はですね、とにかく自分軸なんですよ。
何もすべからくね。自分が楽しかったらというかね、人に迷惑をかけない限りにおいてはですね、自分が昨日の自分と違うものが新しく何かね出てきたら、
それはクリエイティブだし、決して新しいことじゃなくてもそこで形になったらクリエイティブだなと自分で自分を判断しているというか、定義をしているようなそういう心持ちでいるなと思うんですね。
例えば家事とかね、いろいろ日々の生活諸々のことをしますけれども、昨日と比べて自分がすごく良かったとか、こんな工夫をしたからね、工夫ですね。
こんな工夫をしたからちょっと楽しい、何か納得して生活できるなとか、昨日より5分早めに何か作業をして、それでちょっとした工夫で仕事が楽になったなっていう。
それってものとして新しいことはそこで生まれない。外面的には形としては出ないかもしれないけど、自分が良かったらいいとか、自分で納得したらいいというか、自分の心の満足感で何かが行われたり前回と比べて良いものができたとしたら、それはクリエイティブじゃないかなと思うんですけどね。
どうなんでしょうね、そういう考え方はね。というふうな自分の発信というか自分軸でやることによって、やっぱりすごく生きていって楽しいなとか、何かこの一つの物事を続けていきたいなとかね、そういう気持ちになるんじゃないでしょうかね。
それは些細なことで全然いいと思うんですよ。人に直接に知られなくても、自分のことを自分がよく知っているわけですから、自分を納得しなかったらそれは人から評価されても、いくらいろんな外面的なものがよく把握されたとしても、人それぞれかもしれないけど自分に嘘はつけないというか、そんなことはありますよね。
課題評価されてるなということも中にはあるんですけど、そこまであまり評価されなくてもいいじゃんみたいな感じのところがあったりとか、評価されない分においては僕全然違和感ないんですよ。
そういう状況であるので、別に自己否定しているわけではないんですけど、過剰に何か言われたりとかそうしちゃうと、何か自分ではなくなっていくというかね、当家に自分のことを判断してくださったらいいのになというふうに思ったりするんですね。
こういうクリエイティブなあり方って地味じゃないですか。人に対して新しいものが生まれるとか、奇抜なものが生まれるとか、そういう目立った状態のクリエイティブっていうことを妄想で多くの人が持ってるんじゃないか、求めてるんじゃないかみたいな、
そういう言葉がポエムというかね、誤解を生じる形で広められているっていうのがクリエイティブの怖いところというか、正直なところ。
すべからく外見的なこととかね、そういうもので物事って評価されてしまいますし、それが世の中ではあると思うんですけども、そういうものって結構自分の大事だなと思うものを、例えば広めたいなと思ったときに、僕は決して否定的な意味じゃないんだけど、広められないと思うんですよ。
広まらないというか、僕は派手じゃなければないほど、あと自分の心の中で、自分自身で納得したものであればあるほどですね、広まらないんですよ。
なんでかというとね、さっきも言ったように地味だし目立たないし、そういうもので人が聞いても、へーってぐらいのことですよね。これを音声で改めて人に伝えるっていうことをしても、ここまで聞いて、いや別に地味だし、自分は自分でいいんじゃないってこと、なんで同じこと言うのみたいな、そんな声が聞こえてくると思うんですけど、でもやっぱね、そこなんですよ。
そういう地味なんだけど、目立たないんだけど、そこに何が価値を自分なりに認めていくというか、自己肯定ですよね、根本的な。過剰な自己肯定はしなくていいと思うんですけど、そういうものってやっぱり広がらないんですよね。
クリエイティブの広がりの難しさ
逆に広まったとしましょうよ、こういう考え方が。広まったらちょっとねじ曲がる感じもするんですよね。そもそも広まって人に影響を与えたりとかね、そういうものがクリエイティブっていうことは僕は思わないので、そうしちゃうとそれがねじ曲がると都合悪くなると思いますよね。
あれおかしいんじゃないみたいな、さっきみたいにね、そんなに目立たなくてもいいんじゃないとかね、課題評価されてむずかゆいとか、僕はそういうふうに思っちゃうので、それってやっぱりね、ちょっと逆を言ってるというか、反対のところを言っちゃってるわけだから、それはもしそういうふうに広まったとしてもですね、あんまり長続きしないんじゃないかなというふうに思ったりします。
そんな感じでちょっと今日もね、クリエイティブっていうのは、クリエイティブは実は広がらないんじゃないかというかね、派手なものじゃなくて、別にそのレッテル貼らなくてもいいし、それに何かね、クリエイティブっていうことによってですね、結構曖昧というか、いろいろな意味を含まれてしまってるから、やっぱクリエイティブということと、あと本質的なクリエイティブっていうのは広まることとは別、逆に広まるとクリエイティブにはならないというかね、
ちょっとここら辺がなんか言語化すごく難しいんですけれども、あえて音声だとね、こういうことが結構中途半端という言い方になっちゃうかもしれないですけど、言えるのがありがたいですよね。
どうなんだろう、自分で喋りながら結論がないけれども、とりあえず喋ってみて、その動向を知るっていうような、そんなところがあるので、今日もですね、クリエイティブちょっと喋ってみたということで、今日はいかがだったでしょうか。
本当に矛盾だけども、本質的なことをね、今日も話したかなと思います。
今日もここまでお聞きいただきましてありがとうございました。続きましてまたね、第3回目も話してみたいなと思います。
10:56

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