音の感性とデッサン
みなさん、こんにちは。小松でございます。
今日、音と感性みたいな話で、ブレストを自分でやってみようかなと思って、音声配信の収録を開始しました。
どんな風にして音の感性を磨いていくかということで、一つのキーワードがデッサンという言葉があるじゃないですか。
絵でいうと、目で見たものをそこからインプットした視覚情報を目の前の紙に書いていくというか、転写していくみたいな、そういうことがあると思うんですよね。
いわゆる真似というか、見たものをそのまま絵にしていくということがデッサンなわけですけども、これってすごく大事というか、いろんな感覚を使いますよね。
なので、これがすごく大事な訓練になると思うんですよね。
この芸術大学なんかでも、僕の働いている成果大、いろんなところで学生が絵を描いたり、キャンパスを建てて描いたりしてるんですけど、これはもう本当に訓練。
毎日目で見たものをそのまま形にしてどんどん描いていくということですよね。
これは視覚的な話を今していますけど、聴覚もあると思うんですよね。聴覚は目に見えない資源であるし、しかも人によって捉え方がかなり違います。
しかも聴いている音っていうのが、まぶたが目にあるのと違って脳で全部それを処理したりとか、死者選別しているわけですよね。
そこがかなり抽象的であり、可視化が難しくあるっていうこともあって、すごく捉えづらい。しかもエネルギーがかかるし、ちょっとやると疲れるし、形にないからすごく収まりづらいしということで。
視覚のデッサン以上に聴覚のデッサンっていうのはあまりなされてないんですよね。聴覚で今みたいな目に見えないものに対する対象を聞いて真似て外に出すっていうのは音楽の分野ではあるじゃないですか。ソルフェージュっていうやつがね。
音の名前付けの重要性
ソルフェーだと5線譜で書かれたものとか、既存の音楽システムで得られるような情報をそのままアウトプットしていくみたいな感じで。
いわば人が人工的に作った音楽システムに乗っかって、その範囲内での音の取捨選択とか整理をするっていうことだと思うんですよ。
それだと僕が一番対象にしている目立たない音ですよね。全意識の音、背景音とか換気音。こういう微妙な音に対してすごく対象にしづらいっていうのがあります。現状のソルフェージュだったら。
それをどういうふうに換気音っていう捉えどころのないものに挑んでいくか。そしてそれをもとに感性を磨いていくかっていうことになってくるんですけど。
これがあまり世の中でされていない。されている人もいるんだけど、それは音楽教育の部分に特化したりとか、あと幼児教育の中のやりたい人というか音感覚、音感受についてすごく取り組んでいかれているような知り合いの先生がそういう方何人かいらっしゃるんですけど、そういうところに限られているわけですよ。
でも環境の音って、今でも歩きながら、大学の帰りから帰りに歩きながら喋ってますけど、とにかくいろんな音が聞こえてくるわけですよね。
今、夏の割でツクツクホースが後ろになったりとか、車とかバスとかいろんなところで音が鳴ってますけれども、こういう音っていうのがたくさんあるわけですよね。
そういう普通人間って音楽とか人の声を聞いていると同じかそれ以上ぐらい実は環境音が入っているわけで、それをいちいちソロフェーダーの音感受を高めるだろうっていう風にやっちゃうと、それは疲れてくるわけですよね。
ただそれで疲れてきて、人ってそれを聞かなかったりとかスルーしたりとかするっていうのが普通の状態なんですけど、僕はずっと言ってますけど、それだけではやっぱりもったいないし、脳のトレーニングにもならないしっていうね、そういう観点なわけですよね。
この分野、サウンドのエデュケーションっていう分野ね、僕はずっとこの大学で25年ぐらいやってますけど、ちょっと思うことがあるんですよね。
それはね、例えば5分間聞こえた音を名前つけましょうっていうワークがあるんですよ。音に名前をつけるっていうね、そのワークがあるんですけど、なんかね、僕が入った30ぐらいで僕ここの大学に入ってるというかね、働き始めているわけなんですけど、もうね、ずっと同じことやってるんですよ。
聞こえた音をね、1分だったり10分だったりするところはあるんですけど、だいたいそうですね、10分以内4、5分ぐらいかな、書かせるんですよね、名前をつけるっていう。するとね、昔はすごくね、多い数だったんですね、20とか30とかね、結構書くんですよね。
いろんな音のパターンの書き方があると思いますよ、あの音の。説明的な名前をつけるとか、あとはね、擬音語、擬態語でつけるとかね、あとは誰ちゃんの声とか、その人が書いた音とか出した音みたいなね、俗人的に名前をね、つける人もいたりはするんだけど、
だいたい5分とか10分とかやっていくとですね、30個ぐらいの音の名前をつけてることがあるんですよね。でね、最近同じことをやってると、人によって違うところはあると思うんですけど、すごいね、少ないんですよね。
5とか10とか3分の1ぐらいしか書かない学生もいるんですよね。25年前と比べて、音が究極減ったわけでもないし、学生の年齢も同じだし、原因がなんかわかんないんですよね。
で、このことは音の専門家の同僚がいるので、さっきまでちょっと喋ってたんですけど、原因は何かなみたいな。いくつか考えられるんですよ、原因ね。まずはね、やっぱりスマホの原因があるんじゃないですかね。
スマホを使っていることによって、情報を自分から取るよりも向こうから情報をやってくるから、その情報を自分からゲットしに行くっていう、ある種の貪欲な好奇心っていうのかな、そういうのがちょっと減ってるんじゃないかなということが一つあったり。
で、情報が多すぎて自分が落ち着いて情報を取っていくっていうことをあんまりしなくなってるんじゃないかなっていうのが一つあると思うんですよね。
で、あともう一つは、そうですね、いろいろあるとは思うんですけど、周りの音があんまり多様性がなくなったっていう感じですかね。環境破壊っていうわけじゃないんだけど、夏になったら虫が鳴かなくなるとかね。
虫の種類が多く、昔はあったんだけど少なくなったみたいな、地球温暖化が今年はすごくね、地球温暖化ってたまたま暑いんでしょうけど、それもあってですね、周りの環境音自体が少なくなったんじゃないかなっていうのがね、ちょっと思うところですよね。
つまり、環境音の発生する数が少なくなったから、結局はそれが音の名前の少なさにつながってるんじゃないかなっていうのがね、2番目にちょっと考えてみたことですね。
あとはね、なんか羞恥心があるというか、学生が例えばこういうもう繊細な些細な音の聞こえ方の分析をするっていうことで、こういうのを書いてると、紙で書かせることが多いんだけど、隣の人が書く音があるでしょ。シャカシャカシャカシャカってね、筆記用具で。
こんなのも音の名前でつけちゃってもいいんでしょうかね、みたいな。ちゃんと明確に目立つ音をつけないと、なんかすごく正解を求めてるわけじゃないんだけど、回答としてね、そもそも回答でもなんでもないんだけど、回答として成り立つんですか、みたいな。
そういうふうにね、なんか羞恥心とか常識とか、そういうね、ある種こう社会文化的なフィルターがかかってしまってですね、それで言えなくなるというか、書けなくなるというか、書かなくなるみたいな。
音を可視化する技法
まあこの3つが多分あるのかなということもあってですね、25年前と比べるとなんか少ないなっていう感じがするんですよね。
まあこれ定点観察とかしてるわけではないんですけどね、エビデンスないですけど、明らかに書いてる人が少ないんですよね。
ただね、その一方でね、結構書く人は書く。個人差で結構変動があるというか、ばらつきがね、すごくあるなーって思いますね。
人によってはやっぱり知的好奇心がね、鋭かったり音に対するね、鋭敏な状況をね、こう感じる人もいるので、結構ね、書く人は書くんですよね。30以上書く人もいますよ。
そんな風にしてですね、音に名前をつけるっていうようなところっていうのはね、やっぱりこう時代の変化に伴って、これ時代の変化をね、観察してる人ってすごく少ないと思うんですけど、やっぱあるんじゃないかなっていうのがね、ちょっと分析で感じるところですね、音漢字の辺りですね。
それでこの音のデッサンの話をね、今ちょっといろいろぼちぼちしてるわけなんですけど、その環境音のデッサンとして何があるかっていうことですよね。
今はね、音を聞こえた音に対してデッサンというよりも分析なんですよね。分析とか解釈っていう第一段階の話なんですよ。
その後で何があるかというと、例えばサウンドマップっていう手法があってですね、聞こえた音を絵にする図にする立体的に、平面であってもいいと思うんですけども、2次元の絵の紙の上にですね、聞こえた音を形にしていくというか、そういうやり方の音の地図作りっていうのがあるんですよ。
そうしていくと、聞こえていた音をですね、可視化していくっていう作業になるんですよね。
可視化する場合には、今見えている竹の葉が今目の前に見えてますけど、音は鳴ってないですが、これを絵にする人もいるし、絵心がちょっと弱い人っていうのは竹の葉のすり合う音って書く人もいると思うしね。
そんな風に言語化、先ほどの音の名前をつけるということと近いと思うんですけども、それをやっていく人もいますよね。
あとは波動でワーッと抽象画を描くような人がいます。僕がその人なんですけど。
そんな風にしてですね、聞こえた音に名前をつけるとともに空間的な配置をしていくというようなね、そういうやり方でデッサンする場合もあったりするんですよね。
あとね、僕これまだしてない話で空想の域からは逃れられないんですけども、聞こえた音を真似ていくっていうこともあるんじゃないかなという風に同僚の教員と話をしてました。
これ何かというと、聞こえた音があったとしたらそれに近い別の音を取ってきて、それにDAWを使って、コンピューターの音処理ソフトを使って音を引き伸ばしたり、低音とか高音とか周波数を変えたりとかして、
その音の響き方を模写するというか真似るっていうね、模倣なんですよね。模倣するっていうこともあると思います。
つまり聞こえてきた音の響きをそのまま別の音作品とか音源として再構築をしていくっていう、そういうやり方があるんですよね。
他の分野でもあるじゃないですか、感覚を磨くとか表現を固めていくっていう場合は、基礎練習をもちろんやって、ピアノだったらハノンとかチェルニーとかをやって基礎練習の指の練習をするじゃないですか。
音の模倣と環境音
その後で、例えばバッハを弾く、平均率を弾くとかあったとしたら、グレングールとか弾くバッハ、ちょっと独特ですけれども、それをそのまま耳でコピー、耳コピをするっていうようなね、そういう方がいらっしゃいますよね。
それがよく模倣の音の領域で言われていることだと思うんですけれども、これを環境音でやっていくわけですね。
合成音を作るっていうのもあるし、近い音で録音してきた音をちょっと加工していって、それで元々あるお手本の音に合わせていくっていうやり方で、音で真似ていく、模倣していく、似たような音の響きを作っていくっていうのがあると思いますね。
そんな風にして、ある特定の分野の表現方法を磨いていく方法ややり方としては、とにかく聞こえてきた音を音の名前を付けるとかして、分析ですよね。解釈するっていう段階がまずあって、その状況の後で模倣するというようなことがあったりしますよね。
さっき言ったような。ただ分析解釈するだけじゃなくて、その音を実際に真似ていくとかね。例えば音楽の話にまた戻っちゃいますけれども、音を真似る場合にどういうパラメーターがあるかっていうことを考えてみましょうかね。
例えば音色っていう分野というか、領域があると思います。バイオリンなのかピアノなのか。ピアノでもタッチによって音色変わりますよね。柔らかい音色を出すピアニスト。そして結構タッチが荒くて鋭くてちょっと硬かったりとかして激しめの音色を出すピアニストもいますよね。
そんな風に音色っていうのが一つのパラメーターだと思うんですよね。
あと一つは速さですね。早く弾くのか遅く弾くのかっていうような一つの音の形をどれぐらいの速さで再現するかっていうのが一つあると思いますね。
さらに言うと音量ですかね。ピアノとかピアニッシモとかフォルテとか。音量はどうして弾くのか。最初は弱く弾いて途中で強く弾いて最後弱く弾くのかとかね。
音量の変化によるパラメーターっていうのもあると思うんですよね。
そういうのがあったりとか。あとは音の高さですかね。高さによっても音変わりますから。
1オクターブ低く弾くのか標準値なのか1オクターブ高く弾くのかみたいな感じの音の高さね。
音高って言います。音の高さと書いて音高と言います。音低じゃないよ。音高だよね。音高で音の構造を把握していくっていうね。
今言っただけで4つぐらいのパラメーターあるじゃないですか。そういうのをですね。分析しながら模倣していくっていうことですよ。
これ何が言いたいかというと、ただ真似ることはすぐにできない人が多いってことです。僕もそうです当然ね。
真似る手前に分析ですよね。解釈。それでどうなのかっていうところを各側面からゲットしていって、
模倣するときにはそれを同時か別々か、それは技量によると思うんですけどね。それを再現していくっていうことでより音感覚が磨かれていくと思うんですよね。
つまり言いたいのは模倣の手前で分析解釈がいるっていうことですよね。中には一瞬で停止する人もいると思うんですよね。
1分ぐらい曲を聴いて辻信幸さんが例になるかもしれないですけど、グールドーが弾いたバッハの平均率の1番の曲があったら、それをそのまま解釈するまでもなく、
記憶がそのまま表現に転写されていくっていうタイプがあるんじゃないですかね。それは分析とか解釈とかなしで、聴いた音をそのまま真似るっていう、
天才的な人って言いますよね。そういう感じの演奏者もいたりしますよね。これ絵でいうと伊藤弱智がそうじゃないですか。
伊藤弱智。見た鶏の姿とか恋とかね、そういうのをそのまま生き生きと多角的というか、いろいろなところからピントがあったかのようなリアルな感じで、パンと焼き付けて転写するっていう人もいますよね。
これはちょっとASD関係の傾向のある人はそういうふうになりやすいとは言われたり、知り合いの先生方がそういうふうにおっしゃっている方もいますけれども、そういう人は別に解釈とか分析はしなくてもいいわけで、
そういう人はいるけれども、僕みたいな凡人な状態の人っていうのは聞いて分析解釈して、そして模倣していくっていう感じなんですよね。
ここで大事なのは、聞こえた音をいくら解釈したり分析しても、正確な模倣にはならない可能性があるっていう話をちょっとしたいんですよね。
これね、身も蓋もない話なんだけど、聞かないと、ちゃんと聞かないとそこ行かないんですよね。適当に聞いてると、なかなか分析のところにも行かない、解釈にも行かないっていうね、そういうところなんですね。
一番最初にこの話を伝えたように、音は抽象的であって、目に見えない部分が多いので、それを扱うのはめちゃくちゃ難しいということは百も承知なわけなんですよね。
なので一つのやりやすい方法としては、デカルトさんが言っている、困難は分析せよっていうふうなことをよく言ってますけれども、複雑な様相の環境音をパラメーターごとにね、さっき音楽のパラメーター言いましたけれども、
環境音それぞれにふさわしいパラメーターにちょっと分離というかね、やってみて、それで一つずつをノートにしてもいいと思うし、何にしてもいいと思うんですけれども、そこをもとに模倣していくということですね。
そういうふうにやっていくことが必要だと思いますし、やっぱり分析してあれと思った時にはもう一回聞くことがすごく大事なんじゃないかなというふうに思います。
行きつ戻いつですよね。聞いて分析して、あれでもこのパラメーターが複雑だな、二つが絡み合っているかな、もう一回聞き直そうというふうにもう一回聞くことに振り出しに戻るわけですよ。
それでもう一回解釈するというこの連続ですよね。そういうふうなことをやって、次第次第に聴覚というか感覚が磨かれていくということがあると思うんですよね。
そういうプロセスというか、ちゃんと観察しようとよく言われるけど、実際に感性を磨く現場の話をすると今みたいな感じになるわけですよね。
音声配信で録音だけしているわけなんだけど、現場でみんなで同じ音を聞いて解釈して意見を出し合ったりとかして、僕はあまりゼミの中では喋らないですけどね、教員ですが、そういうのをやってやってやりまくってですね。
分析と解釈の重要性
そうした時に見えてくる地平というか解釈というか気づきっていうのはやっぱりすごく小松ゼミにはありましてですね。一見外から見ると何してるんだろう、外に行って遊んでるだけじゃんというふうに思われがちなんですけどね。
でもやっぱりそういうことをしっかりとやっていくというか、とことんまで面白くやることによってですね、それぞれの感覚が知らないうちにすごく磨かれていくような感じになってくるんですね。
これを3年生の前期からやって、そして後期もやって、そして後期のあたりにちょっとやりたいテーマが見つかったなぁみたいなね。それで4年生を迎えるというね。2年でもすごく短いと思うんですけど、そういうことをやってるわけですよね。
今日言った模倣の話はまだしてないんですよ。解釈分析まではするけど、そこからは自分のやりたいそれぞれの学生の分野があるので、そこは広いので、全部これで模倣しましょうということを言っても、それぞれのスタイルに合わないのであえてやってないですけど。
模倣まである程度できることがもしあったとしたら、やっぱり聞く力はすごく増していくんじゃないかなというふうに思いますね。
今のは環境音のすごく特殊な分野というかね、そういう話でしたけども、これを普通の音楽の話にちょっとだけ最後、応用させてこの音声の収録を終わっていきたいと思いますね。
何かというと、自分の好きな曲があるとしてですね、例えば小松曲を弾かれる方もね、あると思うんですけども、そうした場合、僕の曲の音源がありますよね。
YouTubeとかSpotifyとか音声プラットフォームにたくさんありますけど、それがあって、そして楽譜があると、僕の曲400曲ぐらいあるけど楽譜にして100曲ぐらい、100曲もないかな、5,60曲ぐらいあるかもしれないですね。
それがあったとして、どんな風に練習していくかですよね。どういう風に演奏を練習していくかという話に持っていきたいと思うんですけども、これね、意外と聞いた音をそのまま楽譜を見て触ろうというかね、演奏しようという場合があると思うんですけど、ちょっとそれではね、なんか定着しづらいと思うんですよ。
まんべんなくとか、表面的にはなんとなく真似ができるかもしれないけれども、なんか定着しないな、なんか自分下手だなっていうね、そういうパターンで終わっちゃうことが結構あると思うんですよね。
で、そこで何が大事かというと、これ僕だけの曲のコピーじゃないですよ。他の人もね、坂本隆一さんとか、日向俊文さんとか、村松健さんとか、西村佑介さんとかね、いろいろな人に表現できると思うんですけど、これあんまり人言ってない話だよね。
で、これ何かというとですね、やっぱ分析解釈ですよ。分析解釈をしていくのがとても大事。弾く前に、ただ聞くんじゃなくて、いろんな切り口から分析をしていく。
例えば1曲聴く場合に、じゃあテンポ感はどういう風になってるのかなと思って聴いていく。そして聴くときにいいのはですね、楽譜を見てみて、最初はテンポ感がどんな風になってるのかなっていうのをね、楽譜に書き出してもいいんだけれども、まず見て、ここでリタルダウンドしてるなとかね、アーティキュレーションがすごく揺れてるなとか、最後のダンパーペダルを踏むあたりはすごくかなりゆっくり弾いてるなとか、
そういうのがあると思うんですよね。音の速さでまずはテンポ感で聴くっていうフェイズがあると。あとは音量ですよね。フォルテとかね、いろんなものがありますけど、どのあたりで音量を上げてるのかな?ピアノタッチが強いのかな?みたいな、そういう観点から聴くっていうモードがありますよね。そういうのがあったりもします。
あとはね、さっき伝えた音色ですよね。音色がどんな風に変わってるのかな?もっと細かく言うと、フォルテのところでどんな風に音を滲ませてるのかな?みたいな、そういう感じの音色の変化っていうのがあったりしますよね。そういう風なところで書き込んでいったりとか、自分なりに覚え込んでいくみたいなね。
ピアノで言うとダンパーペダル大事ですよね。どの部分でダンパーペダルを踏んでるか。ただ踏み踏みしてるだけではないですよ。全然ね。小松正踏み踏みしてるわけじゃなくて、半ペダルなのか、ここは全開なのかソフトペダルまで踏んでるのかみたいな。これはね、ちょっとね、直接レッスンをしないと難しいんですけど。
音の解釈と演奏方法
ダンパーペダルがどこまで踏み込まれて、そして前の音をどう踏み替えてるのかな?っていうのはある程度わかることがあるんじゃないでしょうかね。そんな風に見ていきながら、音の解釈を含めていくっていうような。
言いたいのはですね、一つのピアノの曲を演奏する場合でも、いきなり楽譜で弾くっていうよりも、ちょっと解釈を多角的なパラメーターのところの側面から解釈をし直していくっていうのが、まずは大事かな。
まずは小松のコピーをしていただいたらいいと思うんですよ。その後で自分流を出していくっていうところがあると思うんですね。あと付け加えて言うならばですね、ピアノの演奏、左右ね、左手と右手とあると思うんですけど、すぐには弾けないですよね。
なので最初は、あるフレーズを短めにして、4小節でも8小節でもいいと思います。それを弾く時に、まずはゆっくりめで右手を弾く、そして左手を弾く、右手を弾く、左手を弾く、そして同時に弾くみたいな、そういうものをですね、本当にしつこいくらいにゆっくり弾いて合わせていくと。
それをだんだん速度を速めていくっていう風にしていくというね。まあめんどくさいかもしれないけど、そこのあたりをね、本当に一曲そうですね、1週間では早いよね。2週間とか1ヶ月ぐらいやって、それでものにしていくというね。
そういう時間をかけてゆっくりと、そして早く弾き、早くこれ完成したって思わずにもう一回聴き直す。なんなら最初の原曲を聴き直して、そこのパラメーターを見直していくとかね。
そういう風に教員というか先生が教えるのはあるかもしれないけど、そこまでの根気で自分でやっていくと先生いらないと思いますよ。何が先生かわかります?何が先生かね。
これね、自分の耳が先生なんですよ。自分の耳でこれだっていうような判断ができるようになったら、もうそれプロだと思いますね。はい。弾けると思います。どんな曲でも弾けると思うので。
そのあたりの自己形成というか、耳の形成、感性の形成っていうのをね、環境音と今回ピアノの演奏の話を混ぜてしまいましたけれども、そういうのをしっかりとやっていかれることを続けていくと、感性も豊かに、豊かというか磨かれてはいきますよね。
豊かかどうかは知らない。人それぞれだからね。曲もね、だんだん表現を豊かに。自分にとっての表現はこうだなっていうのがわかるというか、すぐに自分流で弾かないようにすることがめちゃくちゃ大事で。
自分の僕の曲が全部お手本になるとは思わないですけど、そういうふうなところを経てですね、ものにしていくという。いかにその音に対してもですね、デッサンが大事なのかっていうことですよね。
そのデッサンを何回も何回もやることによって、1年、2年、3年、10年ぐらいあればいいですよね。ご自分なりの音の世界、そして表現っていうのがね、深まってくるんじゃないでしょうかね。
収録と通勤の思い
今日は神回だったね。神回ね。無事に国際会館に着きましたけどね。通勤散歩、通勤自転車をやめた途端、こういう行き帰りの収録が増えたっていうのは、またいい資産になりますね。ということで参考になりましたら幸いです。