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【地球の触り方】内臓がひりひりした鴻池朋子氏の講演録
2026-07-02 15:24

【地球の触り方】内臓がひりひりした鴻池朋子氏の講演録

鴻池朋子さんの講演「地球の触り方」を聴いた回。自分の感覚に素直に表現することの可能性と難しさを、内臓がひりひりするような感覚とともに語った一本です。

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おはようございます。小松でございます。 今日は珍しく、コンデンサーマイクで自宅のスタジオというか、部屋から収録してるんですけれども。
6月26日金曜日だったんですけど、立花教養講座というのがあって、教養学校、ウコンがあってですね、4回目の会があって、鴻池朋子さんっていうアーティストさんが来られてですね、
めちゃくちゃ良いレクチャーをしたので、今日はそれをね、簡単にまとめてみたいなというふうに思うんですけども。
出会った瞬間にね、すごいなんか、そんなに大きな方じゃないんですけど、すごいエネルギーというか波動がある方っていうかね、密度の濃い何かを持っていらっしゃるなっていう感じがしたんですよね。
で、その方がね、どんなふうなお話をされたかというと、地球の触り方っていうね、お話ですね。
芸術という大体エネルギーというね、エネルギーのありどころをすごく大事にされている方で、自分の感じることとかね、その辺りをすごくね、シビアにね、観察をして、それで現場の社会の中で芸術活動がありますけどね。
それで自分のできること、そして今のシステムね、芸術の美術館とか博物館とか、社会的な構造があるじゃないですか。
そこをね、どんなふうに消化していくというか、限界がある中でどうやっていくか。
それを反逆じゃなくて、今あるシステムをどう活用して折り合いをつけるかっていうことだよね、多分ね。
そんな話をされたんじゃないかなっていうのが僕の結論ですね。
折り合いをつけるっていう、自分の身体を大切にして折り合いをつけていくっていうことがめちゃくちゃ大事なんですね。
で、河野幸さんの紹介ちょっとしとくと、絵画とか彫刻とかランドアートとかパフォーマンスなどの様々なですね、メディアで芸術の根源的な問い直しですね、行っておりまして。
それで根源的な暴力とかですね、いろんな本がたくさんあったりしますね。
僕買ったのはね、河野幸智子さんの絵の裏側に言葉の糸を通すっていうね、いろんな活動がする中で、言葉っていうのは限界ある意味でこうドゥイング的なものがあるんだけれども、
自分のやりたいことを、そして言葉に収まらない様々なエネルギーみたいなもの、それを表現に転写するわけなんですけれども、
いわゆる僕がよく言ってビーングですよね。ビーングをどういうふうに突き詰めていくと、自分の幸せとか納得感を元に他の人にも波及するエネルギーとして、
アーティスト活動ができるのかっていう攻め合いをやっぱり体験されているわけなんですよね。
2015年に根源的暴力ということで芸術推奨、文部科学大臣賞を受賞されたりとか、あと2020年に宙返りという作品で毎日芸術賞を受賞されたとか、
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22年では四訓賞というのかな、ちょっとわからん、どういう言葉か忘れた、僕アホなので、四訓なんとか賞を取ったりとか、
去年は大阪万博で作家狼プロジェクトっていう、僕見れなかったんですけど、そういうのを捉えたとか、
すごいね、小さい時に狼じゃないわ、多分秋田市内の出身の方なんだけど、狼じゃない、また間違えた、
野良犬と仲良くなってた時代があったみたいで、それがね、毛皮をね、動物の皮をね、よく使われるんですよ、作品にね。
そことすごいね、やっぱり原風景、原点っていうのがね、あるのかなっていうふうにね、思ったりしましたね。
それで、もう本当にアートっていう枠組みを超えたところの自分の納得感をね、持っていくようなね、そういう活動をされてるわけなんですね。
まずね、ちょっと僕メモったのを伝えるわね、言葉とか意味とかを反とするなと、センサー、手応えを信じろっていうことですね。
僕がずっと言ってることとすごく共通点があってですね、我々はですね、アートや目の前の出来事をどうしても言語的に読み解こうとかね、言葉とか理由を探そうとしてますよね。
でも河野池さんの思想は真逆なんですよね。作ることとか生きることのセンサーは、手とか体、肌触りですね、テクスチャーとかね、キメですよね。
あるいは、よく画材で使われる紙の粗さとか硬さってあるじゃないですか。そういうね、意味も理由もないところに面白みを感じるというね、訳のわからないいたずらのような初期初動がね、あるんじゃないかというね。
僕はそれは音なんですけど、人間を不自然な状態から自然へはめ直していく。不自然ってのは人工的なことですよね。今、快適に過ごしている。
そういう表現活動の行為の原点というのが、やっぱり言葉じゃなくてセンサーという。僕はそれを響きですよね。
言葉を超えたところでいろんな響きが今もね、聞こえてくるわけなんだけど、そこを信じろということですよね。
あとね、部屋に閉じ込められた生き物の不安とね、触覚っていうことも大事にされました。
この池さんはね、今の美術館とか部屋という箱というのを使ってもちろん表現はされるんだけれども、それは所詮、自然を切り取って作られた不自然な記号の空間なんですよね。
守られているからこそ安心な一方で、生き物本来の野生としてはどこか不安をはらんでるんですよね。安全すぎて大丈夫なのかっていうね。
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僕もいつもそれがあるからね、家を飛び出していろんなところでフィールドワークするわけなんですけど、その中で見たものの感じ方を確かにするね、唯一の手段というのがこの池さんにとっては触ることなんだということですね。
触ることは世界との契約であり、美術館という非日常のレイヤーというかイリュージョンの中にいるわけなんだけども、それはですね、決して日常の性の手応えを忘れないための肉体的な反逆なんじゃないかという、僕も音を聞くっていうのはそういうところありますよね。
反逆をね、ただね、こんなの反対だやめろじゃなくって、意味とかいろんなものを超越してパージしたところで感じる自分の直感的な音への感じ方っていうのが全てなんだっていうことですよね。
そういう感じで、箱に閉じ込められた生き物の不安っていうのがあるんじゃないかっていうことで、僕もそれはね、今スピーカー通して僕の声聞いていただいてるけど、まあ所詮偽物ですよね。
あとは誰でもできることを巻き込んでいって、一緒にお散歩するように遊ぶことをね、河野池さんされてるなぁと思いましたね。
よくね、アーティストなり研究者もそうなんだけど、一人でね、机に向かってコンピューターを叩いて、自分のやっていることと実際のプロジェクトっていうのはどうしても乖離するわけですよ。
僕もだからね、かっけんをあんまり取りたくないのはそこなんだよね。乖離するからね。だから手も体も喜ばないことをやってもしゃーないと。
だからこそ、他の人に頼もうっていうことがあるっていうことで、河野池さんはですね、いろんな秋田とか様々なところで、一般に住民の方にですね、物語を聞くわけですよね、ナラティブに。
そこから得られた下絵をもとに、誰でもできるとかね、多くの方ができるような、特に女性が中心かもしれないけれども、縫い物などをみんなで一緒に行うという、その縫い物の一つ一つの絵をですね、展示していくっていう手法をね、取っておられます。
そこにはですね、利害関係の交渉ではなくて、一緒にお遊びをして生まれる手応えっていうのがありますよね。その場所に行って、とにかく面白い人と一緒に遊んで、その泥臭い構造を作品ということで現実化すること自体。
それがね、次の世代のクリエイティブのね、タフさとかリティラシーにつながるんじゃないかという。僕もそれはワークショップで一緒に楽しんでやって、やったことありますよね、このリスナーの中に。そこは一緒に楽しいんですよ、悪だくみするんですよ。
それによって、その波動が面白がると、その受けた人はね、他のところで話したりとか活動したりとか、活動しないまでも自分の中の思い出として残るわけですよね。そうすると、あんなことがあったな、音ってすごく面白いなっていうことをね、体験されてるんじゃないかなっていう、そういうようなことをね、一緒にこうされてる状況で、僕もそれすごくあるなと思ってね、ワークショップ的な観点ですよね。
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ということで、誰でもできることを巻き込んで、一緒にお散歩するように遊ぶっていうことですね。そしてこれ最後なんだけれども、嘘と本当の狭間で直感を、直感というのはですね、あるけれども、それをですね、弱点として超えていくっていうことをね、考えられている。
ちょっとこれ、ちょっと理解が、ちょっと理解難しいところあるかもしれないけど、これちょっと説明するとね、作家はいくらでも嘘をつけるんですよ。僕、音楽だったら、まあ別に悲しくなくても悲しい曲作れるわけですよね。だからこそ、嘘と本当のバランスっていうのが僕は大切になるんじゃないかなっていうふうにね、河野池さんのお話聞いて思ったんですよね。
嘘と本当のバランス、表現は全部真実を入れているわけじゃない。もっと言えば、僕の今喋っているラジオも嘘を言っているかもしれないですからね。声だからちょっと嘘なんだけど、嘘を言っている体感、肌感覚というか、温度感というのが響きに伝わっていくので、ずっと聞いているリスナーはね、ああ、これ嘘っぽく言ってるなとか、ほんまっぽく言ってるなっていうのがわかるけど、そこまで付け合うのなかなかプレミアム以外難しいよね。
だから、そういうふうな嘘をつけるので、デザインとかね、ものづくりにおいてはね、わけのわからない領域に対峙したときに、自分の直感力を過信してアグラを描くんじゃなくて、自分が弱いっていうことを認識してね、むしろそれを一度弱点として捉え直す謙虚さがいるっていうことですよね。
僕もね、こんなに偉そうに喋ってるけど、謙虚でしょ、すごくね。アホかって思われるけど、謙虚なんですよ、めちゃくちゃ本当に。物事に対して謙虚だよね、作る。音もそうだよね。音は謙虚じゃなくて、僕は喋ったりこうね、よく喋ったりいろいろ係りあるとすごく傲慢っていうかね、偉そうに言うけれども、作品の部分では嘘というかね、こうありたいなっていうのを作品に転化するからね。
まあ、弱点というかね、謙虚なわけなんですよね。そこから知恵を出し合って、一歩ずつそこにある現実を確かめながらね、進んでいく過程、プロセスそのものにこそね、良い仕事の面白いものが宿っていくんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
いや本当それはね、自分の嘘っていうのはね、僕はもう音楽することは嘘だと思っているので、嘘っていうものを上手く現実と調和していく、合わせていくわけですよ。僕は現実のリアルな音っていうのは何かというと、やっぱりサウンドスケープなんですよね。
で、街やとかね、いろんな場所で京都タワーでもね、演奏したりするときには、現場のザワザワっていう背景の音が乗っかるでしょ。で、その背景の上に合わせて、嘘という音楽を入れるわけですよ。
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するとね、嘘と現実の上手いバランス感がね、おのずと出てくる。しかもそれは計算して出てくるんじゃなくて、感能型ね。感じて大ズルって書くけど、感能型によって然るべきところに収まっていくんだよね。これが面白いよね。
僕はそこを導くっていうことはもう本当に確信してるので、それが嘘であっても本当であっても、本当の環境に存在している音があるよね。そこから嘘というね、自分の作為ですよね。作為による、人によってはそれが人間という自然から出てるからこれは本物というかもしれないけど、僕は嘘だと思いますね。
嘘的な音を入れることによって、うまく調和していくっていうね。そこがおもろいんだよね。嘘と現実がごちゃ混ぜになるっていうのが、ライブの面白いところで。それがね、7月4日のね、京都タワーもだし、8月22日の待ち屋ね。午前の分と午後の分の2つあるけれどもね、もうほぼ埋まってきてますけど。
もしもね、行きたいなっていう方はね、ちょっと席を書く方がどうかわからないけどね。このなんかの配信してるのもいつ出すかわかんないからね。もう埋まってるかもしれない。ごめんそうなったらね。
まあ、という感じのところなんですよね。大野池さんのレクチャー。やっぱり自分でいろんな作風、いろんな事例を示されたんだけど、常にね、やっぱり自分の手触り感じながら動いてる。
そして変に反逆するんじゃなくて、反逆するにしても現場の状況をやっぱりリサーチして考えて、そこからそこにあるべきものを入れ込んでいくっていうことをしていくというね。
東京芸大の芸術の芸術学部ご出身です。初めにね、おもちゃの企画会社に入られたようですよ。そこからちょっと自分なりに絵を描かれて。
まあ、それにしてもスケッチが半端なく上手いよね。本当、絵ってくらい上手いんですけど。そこから自分の世界観を出していって、今は公共空間の中のアートを作られたりプロジェクトをされたりとか、東日本大震災の中でもかなりのいろいろな活動されたので、
よかったらですね、河野池智子さんの書籍販売あるので、また見ていただければと思うんですけど、またちょっとリンク貼っておこうかなという思いますけど。いや、やっぱ立花いいわ。こういう人を連れてきて河野先生が、河野道和先生が、それで真ん前で楽しませてもらえるってすごいよね。
成果ではなかなかこれなかったよね。全人口ではね。あるんだけど、なんかね、アセンブリーアワーとかね、あったんだけど、今やってないんだよね。なんか仲が忙しいのかなんかわからないけど。これこそがやっぱり芸術を、なんで総合大学でこれやってるんですかっていうことですよね。
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ということで、語化を磨くというところで河野池先生の、ともこアーティスト先生の話を聞いたので、ちょっとメモ的にね、自分の感性を大事にしてねという、そんなお話でございました。
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