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鳴らなくなるのも、自然の姿──津波ピアノと、水琴窟の沈黙
2026-11-02 23:45

鳴らなくなるのも、自然の姿──津波ピアノと、水琴窟の沈黙

大事にしていた道具が、ある日、音を出さなくなる。

壊れた、と思うのが普通です。でも、それが本来の姿なのかもしれません。

鳴らなくなった水琴窟と、また鳴った日の話です。

**この記事で持ち帰れること**
・水琴窟が、繊細な音を出せる仕組み
・手入れをやめた楽器や庭が、自然に返っていくという見方
・環境の音と即興で「共演」するときの作り方

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おはようございまーす、小松正史でございまーす。
今日ね、雨の中、えーっと、聖火大学に行く道でございまーす。
国際会館からね、聖火まで25分ぐらいあるんですけど、はい。
今日はどんな話かと言いますと、あの前回ですね、水琴窟のね、話をしたんですけど、
ちょっとね、水琴窟で音が鳴らない場所っていうのはね、お伝えして、ちょっと切ない話だったと思うんですけど、
その辺りのね、心情みたいなものからちょっとね、話を進めていきたいなというふうに思います。
それでね、水琴窟ってやっぱりメンテがめちゃくちゃ大事なんですよね。
で、メンテにしなかったら、壺の中にね、もう色々なものが入っちゃうね。
ゴミとかね、あと、えーっと、砂とかね、石とかね、落ち葉とかね、そういうのがあるので、もう鳴らないんですよね。
水琴窟って穴があってですね、焼き物というかね、この上の方にね、そこを逆にして上に穴を開けるんですよ。
で、そこの穴の周りの部分をですね、めちゃくちゃ平らにするんですよね。
平らにして表面張力っていうのができるじゃないですか、その水っていうのは。
表面張力のいい感じの部分で、音というか、水滴が滴り落ちるような形を織り成していくんだけど、それがね、すごい絶妙なんですよね。
逆にそれがなかったら、音が鳴ってもね、普通の水溜りみたいなプチュとかね、ドバッとかね、なんか繊細じゃなくなるんですよね。
ピアノがね、僕ピアノ弾きますけど、タッチ感あるでしょ、アコースティックの生ピアノ。
デジタルはね、音を鳴らすときにそこまでの身体的な絶妙なものは反映されづらいんだけど、反映されづらいというより反映されないよね。
そういうのがあるから、なかなかタッチの粒ね、ちっちゃな音を出すのが一番ピアノ難しいんだよね。
デカい音でね、ボーンと出すと音が出るんだけど、芯があって、ピアニッシモとかね、そういう感じの出し方ですごくね、大変なんですよね。
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それがね、スイキングスだったら、全然指と違って水滴ですけど、似てるんですよね。
芯があるけれどもちっちゃな音っていうか、それがね、やっぱりそれが出るための焼き物というかね、壺というか、壺というのかな、釜というか、そういうものの後ろっていうのはね、特殊に作らないとダメなんだよね。
どんな焼き物の壺でもね、音が鳴るわけではないというか、全く鳴らないですね。そういうね、かなり特殊なものがあって、多分ね、東海地方の人はそこから考案されたんだと思うんですけど、
それで京都市のね、一つの僕が好きだった場所なんですけどね、そこがね、音がね、いつの間にか出なくなったんですよね。いつ頃ぐらいにあれできたんでしょう?
2000年の前半ぐらいにできて、僕はカラスのお家に住んでるので、すごくその時期ね、引っ越ししてきた時期にそれがあったので、近くに焼き物があるってすごい興奮しまくったんですけど、それでね、10年間は持
ってましたね。
コロナの手前ぐらいだったかな?いつかいた時に音がしなくなって、あれ?みたいな。水も出ないし、なんか音を鳴らしてもすごくね、ゴミとかね、異物が多分ね、壺の中に入ってたんだと思うんですよ。ダメなんですよ。
音が全く出ない。
これほど音の出ない楽器をね、見るほど残念なことはあんまないですよね。以前は鳴ってたんだけど、鳴らないっていうか、それがね、切ない感じだったのかな。
東日本大震災で、津波にあったピアノがありましたよね。小学校のね、体育館だったでしたっけ?それで坂本隆一さんのね、コーダっていう映画があってですね、それでドキュメンタリーかな、坂本さんの活動の。
特に東日本大震災後ぐらいのところで撮影されたんで、そこのね、被災地の映像も含めてあったんですけど、すごく印象的だったのはね、津波にあって音が狂い果てたピアノがあるわけなんですよね。
たぶん体育館の式典みたいなところで、男女の目だったと思うんですけど、それで音を鳴らすと狂ってるんですよね。狂ったものというか、そこで坂本さんはおっしゃるんですよね。
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やっぱり自然に変えていくものだから楽器にしても、人間の体にしてもね、なんでもそういう風に変えていくのだから、狂ったりとか音が出づらくなったりとかね、あるいは出なくなった状態っていうのは、それこそが自然
な状態なのかなっていうことで。
それで、音がかなり狂った坂本さんが何回か演奏というか、ちょっと試し弾きされていった様子が映像に残ってますけど、だから自然にしてると人間が作った楽器はすべからく音が出なくなるんですよ。音がずれていくって
いうことが自然の摂理なんですよ。
だから本来水金屑というのは人工的なもの。人工的に作って、人工的にメンテナンスされて運営されているものですよね。それが出なくなったというのは、嘆かしいというよりも自然の姿という究極に言うとね、そう
いうことなのかなと思うんですよね。
話しかけて、僕の家の実家のほう、単語の宮津なんですけど、今はもう閉じちゃったというか、かなり土地を慣らしてなくなっちゃったんですけど、日本庭園があったんですよ。
そこには池があって、僕が生まれた頃には池の水はなくて、石とやや水平に近いゴテゴテというか、荒れ果てたというか、そういう下の部分があってですね。
小さい時にこれ何なんだろうとよく分からなかったんですよね。なんで石があって下になんかくぼみがあるのだろうと思って。そんなに大きな池じゃないけど、水深が30センチくらいかな。そこによく見ると排水溝とか溝
があるわけですよね。
今思い返すとね、僕は大学院の1996年ぐらいにそこを潰したんですけど、それまでは真ん中に大きな岩というか、石のステージみたいなのがあって、ステージっていうのかな、舞台みたいなのがあって。
大きな石なんですよね。大きな石なんだけど、真ん中に亀裂が走っているんですよ。その亀裂がバッと走っていてですね。かなり驚きというか、なんでこんな傷があるんだろうというふうに聞くとですね。
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昭和7年なんですけどね、丹後地方に北丹大震災、大地震というのがあってですね。4、5000人ぐらいが亡くなった地震があったんですよね、丹後地方にね。
なんとその時にその池がもともとあって、それでその岩というか石のところの真ん中にね、わっと亀裂が走ったそうなんですって。それがあってですね、小さい時に出て、なんか変だなというか風景だけが覚えてるんだ
けど、背景わからず、物との対面というかね、対話をしてたんですけどね。
変ですけどね、対話というと。そういうことをちょっと思い出したんですよね。さっきの坂本さんのね、東日本大地震災後のピアノのね、津波ピアノの話もすごいね、なんかね、震災つながりというわけではないんだけど、
やっぱり自然の力やっぱりすごいし、それに伴って結構物が壊れるし、ちょっと見るも無残な状態になってしまうし。
そういう中でね、それが実はこう、自然というか、当たり前とは言わないけれども、いずれ手を加えなかったらね、人間がそうなっていくじゃないですか。
そういうのをね、ちょっとね、脱足ながら思ったんですよね。そこでなんかね、そういう時に自分のその家のね、庭を見ると、大廃棺っていうのかな、やっぱり子供心でも何かよくわからないんだけど、ちょっとなんか寂
しい感じというか、壊れてるとか、朽ちてるなっていうことはすごい感じたんですよね。
まあ、もともと動いてるというかね、問題なくポテンシャルを出している空間じゃないなと思ったんですよね。かつてそこにはね、池があって、水がね、含まれていて、絶対鯉いたと思うんですよね、鯉がね。
もう鯉がまさにいるだろうっていうような感じのね、風景なんですけど、ちっちゃい時ね、2,3歳とか4歳とかそういう時分かんないからね、それね。ただまあね、年齢が上がっていって、小中高と、あ、これ池だな
とかね、これ昔鯉が泳いでただろうなっていうのは分かってきますよね。
でね、それをね、ちょっと見つつ、なんか手入れされてないところには独特の哀愁があって、でもそこは今もその音がね、鳴ってるはずの水金沸であるとかね、鯉の跳ねるね、池の雰囲気はないなっていう感じはします
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よね。
で、まあちょっと切ないというか、やるせないというかどうしようもないなっていうのはやっぱりね、あって、まあね、京都の空間ってね、やっぱり自然の庭園とかいろいろあるけど、あれはね、人工的に管理しまくって
ある状態なので、もうどうしようもないというかね、もし管理を行った場合は違う大宮区になっちゃうわけですけど、
そういうところでやっぱりメンテがね、いつも行ってた京都市の水金沸のところはね、手入れがなくてね、今思えば5,6年音が鳴ってなかったのかな。前回行ったのいつだったかな。
あー、あー、少なくとも去年は行ってましたよ。去年はなかったから最近ですよね。音が鳴り始めたというか、被灼があるのでそこで音がね、被灼を落として、これ高松新明神社と一緒ですよね。自分の音を作って聴く
っていうタイプの庭になってて、ちょっとだけ蝶々みたいなのがあって、水がちょこちょこ落ちてますけどね、さっき見たらね。
それ以上はやっぱりね、自分で被灼でね、音を出すって感じですよね。それでね、やっぱり音が鳴ったっていうか、再開したときはやっぱり喜ぶというか、すごい感動がありましたね。
音が鳴ってるみたいな。昔なんか奉仕してた楽器が皆さんあるのかもしれないけど、それがうまく調整されて音が鳴るっていうね、再生っていうのは独特の喜びがありますよね。そういうのがね、やっぱりね、さっき行った
ときに、鳴ってた、鳴ってるみたいな。
ちっちゃな音だけどちゃんと鳴ってるっていうのがね、すごく嬉しいんですよね。生き返るみたいな感じ。亡くなった人の声が実際聞けるっていう感じのね、嬉しさがありましたよね。音フェチだから。そういうのがね、や
っぱりあった感じですよね。
あとね、その音を元にね、演奏を心の動きとしてやってきたわけなんだけれども、その頃かな、どっかで言ったけど、やっぱりピアノを弾くとか、あんまり興味がなくなった時期があったんですよね。
それとも、京都アンメスの2位が出た頃が2013年だから、そこまで追い詰めてはいられなかったので、なんかね、すごい音がね、いい感じで鳴ってるというか、水絡みの曲をね、音源を元に曲作ってたので、
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ジャイキングスも水の一つじゃないですか。それでね、演奏をね、いろいろしようかなと思ったのもあったと思うんだけど、ちょうどね、1月か2月頃録音して、4月頃にリリースしたのかな、2014年。だから3月の上
旬にはね、多分マスタリングあたりしてたんだと思いますよ、今からね、12年前だけど。
で、そういう時に、やっぱり音を聞いて、ああ、みたいな。で、多分他のね、京都の水の音、例えば波の音とか、川の音とかね、そういうのを録音したりしてると、音階というか音の高さがね、明らかに分かるような
ね、しかも3音ぐらいあるじゃないですか。
そういうのがね、ある音源っていうのはすごい珍しかったんで、それを聞いた時に、まあ音と融合しながらね、曲を作ってたところもあったんですけど、もう一気にね、即興ですよ。やっぱり心が動くね、ビーニングの部分
は即興だよね。それで一気に弾いたっていうような、やっぱいきさつがありますよね。
それでいろんな音階がありますよね、12種類。それでいろいろやってみて、音を聞きながらこの音階かなと思ったらぴったり合った音階があったので、それでね、聞き始めたんですよね。
するとなんだろう、ピアノのリズム感ありますよね。それがスイッキングスの音の鳴り立ちの、そんなに速いことなかったんですけど、チャラン、トン、曲がってタン、パパン、トンみたいな感じですよね。
その合間をね、ピアノで共演するというか、特に物体はね、感情がないので、何も意図的に出すわけじゃないじゃないですか。でもね、人間は表現、そこから自分の思いとかメッセージとかね、そういうのをね、出したい
なっていうふうに思うので、
やっぱりそこでアウトプットの躍動感をしようという風に思いますよね。そういう時にリズムの雰囲気でちょっと間合いがあったリズムがあったとしたら、そこで音がない時があったら音を入れてみようかとか、
ここはちょっと音が下がったからちょっと低めの音を出してみようかみたいな、まさになんかその録音はフィックスされた、固定された音の鳴り立ちなんだけれども、それを補うかのような形で音の高さをね、違えた音を
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出してみたり、
あるいは、音がないタイミングがあると思うんだけど、そこで音を奏でてみたりとかして、音遊びだよね、そういうのをやってたんですよね。そうするとね、本当に音遊びが気が付けば、
終わってたというか、これでスッキリしたなっていう風に思ったのが多分、曲の終わりだと思います。その曲に限ってはね、音をフェードインアウトはもちろんするんだけれども、途中の音の音圧とか音量というかそれを
一定にしておいて、共演する形で
即興入れたっていうのを思い出しましたね。他のはね、最初に例えば波の音があって、それでピアノが後で入ってきて、途中の間奏というかブリーチのとこあるよね、そこでまたちょっとまた換気音が出てきて、それで
またメロディーが始まったらその換気音がフェードアウトして、
最後の曲の終わりのところらへんからまた出てきたというか、そういうのがあったんですよね。だから3回ぐらい、3分から4分ぐらいの曲なんだけど、大体のパターンとしては、パターンと言ったらちょっと味気ない
けど、3回ぐらい換気音が出てるんですよ、水の音。
っていうような、出たり入ったりするような曲の共演じゃないんですよね。今回のというか、京都アミューズ、全部京都アミューズ2に入ってるけど、スイキンクスのやつは最初フェードインでスイキンクスが入ってきて、
それでピアノを合わせるような感じで共演して、満足したらそれで大体3分ぐらいかな、
曲が終わったらスイキンクスも終わっていくっていうような、二重構造みたいな感じでピアノ演奏をした記憶がありますよね。一発撮りです、もちろん。撮り直しをしなくって。加工もしませんよね、後でね。
そういう感じで、すごく風とか水とか、自分もスイキンクスの一部になったかのような気持ちで弾いたし、その時は寒かったんで指がかなりかじかんでたっていう記憶がありましたね。かじかんだなりに弾くっていうか、
それもいいですよね。完全に良いコンディションで弾くっていうのも理想なのかもしれないけど。
色んな条件でピアノを良い状態で弾けるとは限らないんですよね。ただそこまでお部屋を温めて、温めてって言ってもね、コンクリートの部屋なんで、それなりに温かいんですけどね。
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ただ、手のコンディションを考えることもなく弾いたっていうぐらい衝撃がね、入った、走ったというか、そういうことがあったんじゃないかなっていうふうに今思うんだよね。
そういう感じでできたのが街のね、街屋のスイキングスだったか、街のスイキングスだよね。5文字だから。そういうのができたんで、やっぱり心の動きっていうのはすごくあったのを思い出しますよね。
まあその音源というかね、できた作品を今も聴けますけどね。やっぱりその時の空気感、感情、録音した時の自分の印象とか、さらに演奏した時のね、弾いてみたいって思ったね、躍動感とか。
あと弾いてる瞬間のその共演のその高骨感とかね。で終わった後するよね、ミックスマスタリングを自分で。ミックスまでは当時やったかな。マスタリングは人にお願いしたんだけど、ミックスするとこのその、なんていう
かな、自分で世界を作ったみたいなね、達成感みたいなもの。
そういうのがすごくね、あったような気がしますね。ということでその自然というか、僕は好きなスイキングスと共演してね、そういう一緒にダンスをしてるかのようなね。
まあ演奏ってダンスの一部ですから、身体表現だから。そういうのがね、お家の6畳のね、小さなスタジオでもないよ、寝室なんだからね。そういうところの空間でできたのはすごくよかったし、あんまり僕はね、設備にお
金かけないというかね、こだわらないんですよ。
最小限のミニマルなところがあったとしても自分の本質はね、ある程度反映されてるんじゃないかなと思うし、まあそういう感じで、簡素なんだけど、作ったね、楽曲は一生の宝物になったっていうね、そんなね、今日お話
を、雨の中ですけどしてみましたんで。
このプツプツっていうね、水滴もスイキングスっぽいよね。ということで、今日も思い出しながらいい話できたかどうかわからんけど、はい、じゃあ失礼します。
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