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2024-10-18 09:22

【応募受賞】懸賞論文を出して音調査の渡航費を捻出した話

金欠の時ほど知恵を働かせるものです。音のフィールドワークで莫大な資金が必要な時、学生懸賞論文を出して見事受賞。渡航費をゲットした話をしました。
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皆さん、おはようございます。小松でございます。
今日もね、ちょっと散歩しながらの配信ね、長らくこんな感じになってまいりましたけれども、
今日はですね、お金がなかった頃の話ということで、ハッシュタグね、ちょっと喋ってみたいなと思います。
この放送では、作曲家で大学教員の小松正史が、日頃の音や音楽についての話とか、いろんな生活話もしておりますので、
よろしかったらまたフォローいただけますと幸いでございます。
今日のお金がなかった頃の話なんですけど、多分学生時代ですね、一番お金なかったなっていうのがありましたね。
今でこそありがたいことに、大学教員で忙しい中でもお給料いただいて、コツコツ生活させてもらっているのは一番感謝すべきところだとは思うんですけれども、
とにかく大学生とか、僕は実は大学をですね、3つほど、正確に言うと4つ、大学、学生時代、大学院も含めてね、出入りというかしてたんですけれども、
その時のやっぱりね、大学に入るためのお金もですし、家族から仕送りを親からしてもらっていたっていうのがあって、なかなか自由にお金を使うことが難しかった時代なんですね。
多分、24、5歳ぐらいの頃が一番ちょっと大変だったんじゃないかなっていうふうに思うんですよ。
そういう時に限って、フィールドワークとかですね、研究ですよ。研究のためのお金がめちゃくちゃかかったんですよね。
本も買うわ、僕は音響とかですね、音の記録装置を使って調査したり研究したりしてたので、そのあたりのお金もかかりますし、あとはね、音楽が純粋に好きなのでライブに行ったりとか、CD、当時はCDのメディアしかなかったんで、そういうのを買ったりとかしてるとですね、
もう手元にあるお金が湯水のように使ってしまってるというような、今考えたらそれが自己投資だと思って、その貯金とかね、その経験で今いろんなことが分かったりとか、周りにしゃべることができたりとかして過ごしているわけなんですけど、
とにかくね、例えばその頃ですよ。沖縄の鳩間島っていうところにですね、3ヶ月ほど滞在してました。京都芸大の頃だったかな、1997年とか8年ぐらいだったんですけれども、そこにですね、3ヶ月ぐらい滞在して、それで音の風景というね、周りに聞こえている音とか人と音との関係とかね、
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そのあたりをフィールドワーク、現地調査をやってたんですよね。で、お金が本当にカツカツでない状態になってしまって、それこそ渡航するためにもね、10万とか20万、そして滞在してる時もね、ある程度お金がかかったりするので、もう多分マイナス、もう借金してまでっていうようなことも考えたんですけどね。
実はその時に僕、ヤンマーの学生検証論文っていうような制度をね、見つけたんですよ。それでですね、見ると最優秀賞が100万円、そして優秀賞が50万円っていうような、結構な額ですし、
ヤンマーさんだから農業系の研究とか活動が多かったと思うんですけど、その時にですね、ちょうど学生時代と言いますか、大学生と大学院時代に調査した稲町のね、調査をして、それで街の活性化のために当時CDを、街の音とかですね、地域の音を録音して作品として、
村越で制作したというね、稲町のサウンドスケープのCDがあるんですけれども、それをですね、出したあたりの話を論文に書いてですね、それで送ったところですね、なんと入賞したと。
入賞したその、優秀賞とか最優秀賞とか、佳作は分からなかったですよ。それでも入賞したっていうことで、入賞式に呼ばれましてですね、1996年の12月頃でしたね、東京の方に行ったんですよ。
それで、佳作と言いますか、そこのあたりから呼ばれてですね、そこでは呼ばれなかったんですけど、なんとですね、優秀賞に選ばれまして、50万円ゲットっていう感じで、これね、初めて検証の論文出してですね、まさかそこで入賞するとは思わなかったんですけど、
今でもタイトル覚えてますよ。地域を丸ごと音で繋げばっていう、そういう論文だったんですね。これあるかなぁ、どっかにURLで残ってるかもしれないんですけど、わかんないけど、ちょっとね、探してみれる方があったらまた探してみてください。
その論文を書いてですね、本当に偶然とかありがたいことに50万ゲットして、沖縄の鳩間島のサウンドスケープ調査はね、それで活かしてもらったというような感じだったんですね。
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なので一番お金がなかった頃っていう、当時の話なんですけども、そこをですね、自分なりにまた苦面して、ちょっと賭けみたいな感じだったんですけども、検証論文で当たって、それで趣旨論文が書けたっていう、そんなことをね、今日のね、ハッシュタグで思い出したんですけどね。
なので伝えたいことは、やっぱりインプットをするだけ、まあいろんなことをするんだけども、そのアウトプットをして皆さんの反応をいただきつつ、まあそれがね、結果的にですよ。まあ偶然なりとも入賞したりとかですね。
あとはまあ今はね、あの執筆とかの音源作ったりしてね、お金いただいてるところもありますけれども、やっぱり自分の、あの自分でしかできない経験、そういうのをね、あのやっぱり外に出して、まあその対価として結果的にお金が入ってきたら入ってきたで全然OKだと思うんですけど、そんな感じで自分磨きとしてアウトプットしたことによって、結局インプットの経験を得るための、
あの、その音とあの状況になったっていうかね、それはすごくありがたいことだし、やっぱりその頃のね、今から言うと26歳ぐらいだったから、3、4、45、まあまあ25年、30年近く前の話なんですけど、やっぱり自分を褒めたいなっていうふうに思いますね。それがないと多分今ここで喋ってないですからね。
まあその頃の話もね、またできたらと思うんですけど、一つ思うのは、そこのね、八重山諸島で聞いた、あの鳩間島の音、50万円ゲットして行ってね、そこで聞いた音っていうそのところにリーフのね、珊瑚礁の音があるんですよ。あの遠くのところでゴーって鳴ってるような音があるんですけど、それをね、あの聞くと聞いた瞬間に僕自分の人生変わったんですよね。
音ってものすごい、いろんな音があるけれども、ものすごく人のね、あの魂という言い方はちょっと主観的すぎるけど、まあ意識とでも言ったらいいのかな。意識をですね、和紙掴みにして、それでずっとこう、なんか深いところに引きずりを下ろすというか、引きずり込んでしまうというか、それが心地よい没入感なんですけど、
まあそういうことを体験できたっていうのはものすごい良かったし、やっぱりそれがあったからこそ博士課程でも、あの音の研究したいなっていうふうに思ったし、あと続けてね、この音の感覚っていうのを、やっぱりこう学生もそうだし、まあこのゴボイシーとして皆さんにもね伝えたいというか伝わっていることも多々あると思うので、
そのきっかけとしてやっぱりね、その当時の勇気をですね、やっぱり出して良かったなというふうに思うのでね、未来のね、これから出会う人に対してですね、その当時ですよ、未来に出会う人に何かこう繋がる自分なりのきっかけを作ったのかなということで、お金がなかった時代にこそ何かこう自分に投資してフィードバックされたっていう、そんなね、今日お話をしてみました。
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今日ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。それでは今日も良い音の一日をお過ごしください。
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