発信活動と承認欲求
はい、お疲れ様です。小松でございます。
えっとね、なんかね、こういう発信、アウトプット活動をね、やってきて、
まあもうこれ、僕が30くらいから実はやっている活動なんですよね。
当時はウェブのテキスト媒体からやって、今はね、音声とか様々なところでやったりしてますけど、
そんでね、大きく変わったところがあるんですよね。
それ、承認欲求が全くなくなったっていうことなんですよね。
いや、ゼロじゃないんですけど、なんかね、飽きたっていう感じだよね、アウトプット。
何のためにアウトプットするかっていうことをね、散々考えたときに、いろんな振れ幅があると思うんですけど、
全部ゼロ1とかね、ゼロ100とか、そういう話ではないんですけど、
ほんとね、やたらと承認欲求全くなくなったなっていうか、
まあ承認欲求のためにやること自体でも、なんかこう、その配信っていうのが発信?
まあいろいろなこう、なんとか邪気というか、
うーん、まあ自分が本当に伝えたいこととは違うところにね、どうしても神経がいっちゃうというところがありますよね。
で、それがね、言語化すると、まあ、なんていうか、
自分らしさとか自分ありきみたいなところを中心でやっていくっていうところがね、
自分の収まりどころとしては、ちょっと自然なのかなみたいなね。
もちろんね、もうじき出る本を買ってとかそういうのはありますけど、
まあ自分のその納得感としてはどうしてもね、なんかね、
やっぱなんかあんまり興味がなくなったというか、
うーん、なんかあの、特にそういうあたりをね、意識しないでやった方が、
まあ、地というか地金が出やすくなるっていうことなんですよね。
で、まあ結局あの承認要求を出すっていうのは割と、
そのみんなに合わせる、そして今流行っているものにつながっていくとか、利益とかね、
うーん、なんかすごく役に立つね、お役立ちな、役立つものみたいなものに向かうっていうこととは違うっていうことですよね。
そこがまあ本当に、無価値というふうなわけじゃないんですけど、
そういう価値をやっぱりその自分のこう、不に落ちる価値ですよね。
ここでいろんなことで散々言ってきてましたけどね、この音声配信。
で、やった方が結局、こんなこと言う人があまりいないっていうことですよね。
自己調律の重要性
ただ音を聞こうとか、デジタルデトックスっていう言葉が今ありますけど、
うーん、それより当たり前のことをじっくり聞いてみたらどうとかね、むしろこんな配信聞かないで、
まあもう分かった、同じこと言ってるとこまずもういいってね、
そんな聞かないっていうふうな人が出てきて、じゃあ自分なりに音を聞くよって言って、
それで活動された方が僕はめちゃくちゃ幸せですよね。
まあまあ、それもね、再生回数とか関係ないというか、すごく減ってるんだけど、
いや減ってることがすごく嬉しいっていうのかな、巻き惜しみでもなんでもないんだけど、
いやもう育っていったんだなみたいなね、ほとんどこう、
育っていくという言い方も上から目線で悪いかもしれないけど、
そもそもこんな話を同じことでもう聞いちゃいねえよっていうことと、
自分ごととしてこれやりますよって、大体同じこと言ってるからもういいんじゃないですかみたいな感じでね、
そういうふうになった方が僕はやっぱり嬉しいなっていう感じなんですよね。
そういうひねくれてるというよりも、
ただ音を聞く、そして身の回りのことに気づいて、メタ認知して、
それで当たり前のところをじっくり観察していくみたいなね、
そういうふうな、別にメディアを使わないでですよ、
メディアって結局分断の一つの象徴なんでね、
そういうふうな定観というか気づきというか、
そういうことが膨らませていけると、やっぱりBじゃなくてDになっていくというか、
Bってやっぱり自分らしい、何者にも変えがたいものでやっていくみたいな感じで、
自分に自信をつけて、たくさん情報肩にならず自分である程度、
スタートアウトして自分の意思というかね、
それで取捨選択して過ごしていくっていうことですよね。
そういうことができればすごく僕はいいし、
そういうことを僕はやっぱり伝えたかったんだなっていうね、
どこでね、いや本当にあんまりどういうのかな、主張もないっていうか、
今ね、堀川通りの音を聞きながら堀川浸水公園で喋ってるけど、
この瞬間がいいわけなんですよね。
ちょっと肌寒いですね、京都はね。
若干肌寒くって、肌寒いんだけども、ちょっと歩くと気持ちいいっていう感じの夕暮れっていうのかな。
最近は少し曇りが多いですよね。
今日ね、夜にオリオン座の流星群とかね、なんか彗星がなんかちょっと出てるみたいですけど、
10時頃によく見えるとかって言いながらちょっと見たいなと思いながらね、
天候を見ると曇りなんだよね。ちょっと残念ですけどね。
そういう感じなんですけど、それってね、自分のペースであまり周りのいろんなことに左右されずに過ごしていくっていうような、
これぞ自分がね、僕が小松節と名付けているようなところでしょうかね。
時計はね、僕止まってると思うんでしょ、自分の時計。動いてるとはもう全然思わない。
でも止まってると、よく比喩で言うんだけど、1日のうちで2回ぐらい瞬間的に合う時間ってあるでしょ。
例えば11時50分っていうところで止まってると、午前11時50分と午後11時50分にめちゃくちゃ合うわけですよ、瞬間的に時間がね。
その時に、これ比喩なんだけど、そこで気づきがすごく深く、それぞれの皆さんができたらいいんじゃないかなというね。
僕もだいたい気づきがあるときってね、無意識にあまり物事を考えずにストレッチしたりとかね。
朝起きたときと寝る前にストレッチ、ベランダでやるんだけど、そこがたぶん1日2回何かピタッと合うときなのかなって思いますしね。
その瞬間を感じてもらったりするのが一番いいし、そりゃあまりそぎ落としたところの美学みたいなものはね、あんまり他の人言わないですよね。
それぞれのパーソナリティさんすごく特徴的で、いろんなことを言っていらっしゃっていいと思います。
僕のところで感じられるものっていうのはどうなんでしょうね。
いろんなティップスとかをね、ボイシー中心で4,5年ぐらい、4年ぐらい喋ってきたけど、いやもう言うことないなっていうかね、ほんとないんだよね。
いろんなトピックがあって、自分から出たものとしてのトピックよりもいろいろな記事とかね、音響的なニュースとかありますよ。
それについて喋ってみても、結局何か同じことしか言わないなというか、他の人も言うことできるじゃないですか、そういうことって。
ただ自分としてしか言えないことを伝えていかないと、本当に意味がないというかもったいないと思いますしね、ここまで。
この音声でも本当にありがたくお一人でもお二人でも聞いていただいているわけじゃないですか。
決して多くないけどね、人数はね。
その方がね、今8分とか9分とか喋って、結局小松何言いたいのかなって聞いているわけですよね。
ただ小松は元気だよみたいな感じの受け止め方もあるけれども、やっぱりもうちょっとそこはね、社会的に意義があるというか、何て言うかな。
ちょっとこの価値とまでいかないけど、価値に近いことを伝えていかないと僕は良くないなと思うんですよね。
その伝え方が身近なティップスとか、安直なノウハウとか、そういうものじゃないものを伝えたいなと思っていて。
そこのあたりのね、温度感価値観というのはね、やっぱり社会にあると思うんですよね。
何でかというとね、いろんなところで僕は講演会とか、最近ちょっとね、今後遠慮しないですけど、この20年やったところで思ったのは、こういう束言ですよ、結局自分の。
それを伝えると、いやそう思ってたんだよとかね、本当にそれって大事なことですよねとかね、おっしゃるわけですよね。
いろんな講演会がある中で、どうしても年一でしなくちゃならないとかね、そういう要請で僕のところに来ることもあるんだけど、
なんか小松のやった講演会では、たくさん皆さん感想を書きますよっていうことを聞くんですよね。
たくさん耳トレのやつをして感じるものありましたとかね。
それって結局、モードになるっていうのかな、聞いた人が自分ごととして何か自分の身の回りのことを整理し始めるというかね。
そういうところに貢献できてるのかなっていうかね。
そうなんだよね、結局自分の調律にそれぞれの聴いていらっしゃる、接していらっしゃる人の心とかね、周りの環境に対する調律とか見直しに多分ね、
社会への提案
僕の喋り方とか内容がシンクロしてるんじゃないかなっていうのはちょっと感じますね。
これ言葉でどう言うんでしょうね、新編整理っていうのかな、デトックスでもないんだよ別に。
新編整理というか調律だよね、自己調律だよね。
自己調律の促しをやってるっていうことだよね、結局。
そこがちょっとね、音声だと内輪的にノリノリみたいな感じでは伝えたりすることもあるんだけど、
でもそこを超えたところの大事なところは、いろんな人が忙しかったり、今のメディアってたくさん影響があったりとかね、分断ですよね結局ね、パーソナルメディアって。
そこを何か不足に思ってるんだよみんな本当。
そこをね、自己調律する何かのきっかけっていうのを、これも自己調律を私はしたいです、欲しいですじゃないんですよ。
そういう提案なんだよね、僕のしゃべりって。こういうのはどうですかとか提案するじゃないですか。
そこの提案がやっぱり普遍的に皆さん感じていらっしゃることがあるし、それが社会全体に必要なことなんだなっていうのはね、感じますよね。
ということで、自己調律の促しっていうのが社会にすごく求められてるっていうことがちょっとしゃべりながらちょっと思ったので、
今日はそんなことを話してみました。