1. 小松正史『耳の保養』
  2. 意識外からのサイン到来に気づ..
2024-08-16 09:49

意識外からのサイン到来に気づきを向けてみる

何気なくやってくる意識外からの気づきを受け止めることの大切さを話しました。意識の範疇を超えた気づきは、停滞した人生のトビラを開ける可能性を秘めているのです。
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皆さんこんにちは、作曲家で大学教員の小松正史です。
今日もいつもこの音声は歩きながら、最近は配信をしておりますけれどもね、今日はですね、意識外からやってくる気づきとか聴講みたいなものを、それを大事にした方がいいんじゃないかなみたいな、そんなお話をしてみたいと思います。
人ってね、一つのことに集中没頭しているとですね、もうそればっかりに意識が向いてしまって、周りのことですよね、取るに足らないものとか、あまり自分にとって有利にならないものとか、価値のないっていうふうに一見感じるものありますよね。
そういうものに対して結構、もう無視したりとか、全然そこに意識を持っていかないってことがね、よくあったりします。最近ではですね、なんかこうちょっと、ハンミっていう言葉が最近流行ってますよね。
なぜ、スマホを見ると本が読めなくなるのかっていう本がね、最近流行ってますけどね、新書で。そこにもね、ハンミっていう言葉が書いてありましたけど、
なんか一つ一つを全身全霊でやっちゃうっていうような、そういう傾向っていうのは人は結構思っててですね。そうすることによって何かね、大事なものをすっと見失ったりとか、
短絡的というかね、目的的に生きてる人って結構、僕も含めてでありますけど、めちゃくちゃ多いかなっていうふうに思うんですよね。
そんな時に、ふっとした時にですね、意識の外からやってくるものっていうのが常にあるわけですよね。
些細な弟とか、あとは家族とね、話をしたり友達と話をしてると、なんか全然自分が意識してないところの話題とかね、そういうものを教えてくださったりとかもしますし、
あと新聞ですよね。新聞って結構、紙媒体でね、うちの家、新聞撮ってるんですけど、京都新聞なんですけどね。ずっと読んでるとですね、自分があまり関心しない話題とか、そういうものをパッと目に入って思わずね、読みふけることって結構ありますよね。
そんな感じでですね、目的的な生活とか活動をしてるとですね、やっぱそれだけに囚われてしまってですね、何か新しい方向性とか解決策とか、そういうものをね、意識しなくなっちゃうというかね、そんなことが結構多い中でですね、やっぱり新聞をはじめとしてですけども、何かふっとしたところに意識を向けるってすごく大事かなっていうふうに思うんですよね。
僕の話になっちゃうんですけど、作業しているとですね、すっごい集中力がないんですよね。金魚がね、集中力が8分ぐらいがせいぜいっていう話はよく聞くんですけど、8分以内ですよね、結構。3分とか5分ぐらいですかし、集中力がないんですよね。
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それで、どっちかというと常に意識があっち行ったりこっち行ったりしちゃうっていうことが割とあるんですね。これ小さい時からそういう感じで、一つのことには集中するんですけど、その集中がですね、割と過集中になっちゃって、一つを深掘りしまくってですね、やるので、何かこう疲れちゃうんですよね。
これはもっと正確に言うと脳が疲れるっていうよりも、体とか目とかですね、肉体的なものっていうのかな、それが結構疲れてきてしまうので、そういうのをですね、多分本能的に避けてるというか、ちょっとこう休ませるっていうんですかね、そういうことがあって多分、色々意識向けたりとか、立ち歩いたりとか、別の作業をするとかね、そういうことが多分あるんですね。
そういうことが結構あったりするんでしょうかねっていう言い訳みたいな感じになっちゃうわけなんですけど、そういうふうに考えていくと、やっぱり本能的に自分がやろうとしてることをですね、結構どんどん変えていくっていうことを多分してることがあるのかなっていう、それがいわゆる意識外からやってくる刺激とか気づきとかサインですね。
そういうものに目を向けたりとかするもの、そういうことを忘れずにいたいってことになるのかなっていうふうに思うんですよね。
それをですね、僕の音響心理学の専門的な話で少し伝えていくとですね、意識と全意識と無意識で音を捉えてるっていう、そういう音の知覚の過程の話をよくしてるんですよ。
ポイントとなるのが全意識っていう領域なんですよね。
これどういうことかというと、音って耳から入ってくるんじゃないでしょうかね。
耳から入ってくる音をですね、脳でインプット、脳に入力されるわけなんですけれども、そこの情報のですね捉え方っていうのが意識的にその音が何かとかどんな意味で鳴ってるのかとかね、そういうものを捉えるっていうこととともにですね、脳にはもう一つの音の感覚が入ってきてるわけですよ。
それが全意識っていうもので、スルーとか無視することもできるんだけれども、とにかく耳には確か入ってきてる音の領域っていうのがあるわけなんですよね。
これがいわゆる物音とか、街の雑踏とか、自然音とかね、ふとした時に聞こえる遠くからの車の音とかっていうのが例えばありますよね。
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それっていうのは実際に音を意識して、これはそんな自分にとって大事な音だというふうに思っていないんだけれども、耳には必ず入ってきて、脳には知覚されている音ではあるんですよ。
そういう音っていうのは結構情報量が多いので、あまりにもそういう音を聞いたり感じたりすると脳の処理能力としてめちゃくちゃ良くない。
落ちちゃうので、それは間引きしている。これ人によっては、もう感じすぎる人がいるかもしれないですけどね。
そういうのを間引きするような構造があるわけなんですよね。そうしていくと自動的に全意識で捉える、なんとも言えない物音っていうのをほとんど無視して人は生きているわけです。
僕もそういうことが結構あったりはします。どっちかというと、全意識に意識を向けることが結構多いんですけど、それにしても自分がある物事に集中没頭していると、そういう音を捉える感覚をちょっと忘れちゃったりとかしたりすることが結構あるわけなんですよ。
そんな感じで、全意識で聞こえる音っていう音、それが実は音のサインであったり気づきだったり重要なものを伝えていくような情報だったりするわけですよね。
例えばなんですけど、山の際に生活していて、異音がすることっていうのがあったとしたらですね、それは山が崩れたりとか、大洪水が起こる前の予兆だったりとか、そういうことで逃げる人っているじゃないですか。
あとは臭いですよね。山が崩れる前っていうのが、なんか独特の生々しい臭いというか、土の臭いとか、普段感じないような自然臭さみたいな臭いが漂ってきて、その後直後に山が崩れるとか大洪水に見舞われるっていうことを結構聞いたことがあるんですけれども、そういうものですよね。
そこをやっぱり無意識とか全意識で漂っているような状態の時にふっと、あれ、おかしいぞみたいな、自分の意識の外から来るような、そういうサインをですね、察知して、それで次の行動に向けて動き出すっていうことがね、結構人ってされることが多いと思うんですけども、まさにそれですね。
集中没頭してね、特にスマホなんかがあると、一つのこととかそういうものに意識をとらわれていることって結構多いですけど、だからこそ、やっぱりこう、ちょっと意識を外したところのホワンとね、やってくる、そういう状況のものに意識を傾けてみるっていうような、そこに何か次のものの感じ方みたいなものが出てくるんじゃないかなっていうふうに。
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思ったりするんですけどね、そういうことどうでしょうかね、あったらすごく大事なその次のステップに行けるきっかけになるんじゃないかなというふうに思いまして、今日はですね、意識以外にある音とかサイン、それに向けてちょっと意識をしてみるっていうような、そんな感じの感覚の使い方みたいなことについてのお話をしてみました。
今日もここまでお聞きいただきましてありがとうございました。それでは、今日も良い音の一日をお過ごしください。
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