• SNSってボクらにとって何なのか?
    • マクルーハンは「メディアは身体を拡張する」と言った=画期的なメディアの発明は人間の世界感覚を具体的に変える
      • カラーテレビが夢をフルカラーにした説もある
    • SNSが拡張したのは「広く緩やかなつながり感覚」
      • 人類は既に「テレパシー」を獲得している
    • いまだかつて、リアル友人の日常写真をこんなに大量に見続けた経験は人類にはない(テレビのSlice of Lifeから友人のSlice of Lifeへ)→我々の「世界認識」が変わった
  • SNSが「消費性向」に与えた影響を考える
    • 消費は「SNS発想」になってきた
      • わかりやすいのは「インスタ映え」=画になるサービスのニーズが高まる(ご褒美消費や手ごたえ消費もコレの一種)
      • 「推し消費」もSNS仲間とのやりとりの強度を求めるがため
      • 昨今生まれる様々な「〇〇消費」は実はSNSへの「ネタ消費」として括れるのではないか(国民的番組が無くなった現代社会は「共通の話題不足」を抱えるが、それを埋め合わせるのがSNSのパーソナル情報になっているのでは)
    • 井戸端会議のかわりに生まれた「スマホ端会議」→この会話にどう入っていくかをブランドは逆算する必要がある
  • (SNS疲れやデマの拡散など、ネガな見方も多い)SNSの願望を含めたポジな未来展望
    • SNSは人間関係を濃密にする一面もある
      • フィードに出る人なら近況報告を省略できるので会話が濃密になる(SNS=オフライン/リアル=LIVEイベント)
    • 人生のハイライトが「積み重なる」体験
      • SNSは消えものの「消費」に、積み重なり感を与える
      • 他人との差別化の次は「昨日の自分との差別化」を目指すようになりたいものです
00:20
みなさん、こんばんは。あした使える聴くネタ帳 | マーケターの真夜中ラジオの時間です。
この番組は、アラフォーマーケター2人が最近気になるトピックを取り上げ、それぞれのマーケ感で掘り下げていきます。
最近話題の一人マーケターをはじめ、情報や知見が少ない中で打ち手を模索するみなさんのヒントになる視点をお届けしていきます。
シェアリングエコノミー事業のマーケティングをしております宮本です。
アワジシマでコピーライターをしてますジンボーです。よろしくお願いします。
宜しくお願いします。
宮本さんね、前回リアーナのネタだったんで、僕も返す刀であれですけども、ライフカードの渋谷ジャックのCM見ました?
これも返す刀であれですけども、ジンボーさんがいいいいって言うので見させていただきました。
もうチャンバラ状態ですね。
これでも確かに渋谷のこのOHの看板は見に行きたいなと思いましたね。この情報を見ると。
僕もアジシマから飛んで行きたいぐらいですね。
確かにちょっと距離感がね。
単なるあのちゃんファンの親父みたいな感じになってますね。
どういうものなのかって説明をしてもらっていいですか?
そうですね。ライフカードのリブランディングだと思うんですよね、このキャンペーンはね。
ターゲットは若いユーザーだと思うんです。若いユーザーをもっと増やしていきたいなっていうキャンペーンなんですよね。
で、メインのそのコピーメッセージが僕ら以上の僕らっていうキャッチでありたぐらいですよね。
そこも含めて全部書いてる人が、我々コピーライターからすると神と思われている小島玲子さんっていう女性のコピーライターなんですよね。
この方はおそらく現役のコピーライターのトップじゃないかなと思うんですよね。
何書いてるかっていうと、アースミュージック&エコロジーのコピーとかですよね。
宮崎あおいさんの時に書いてあって、朝何着て生きていくっていうタグラインで展開したあれとかですね。
あとは多分史上最強のボディコピーだと思われる日本ペットフード協会っていう、これねもう10年前ぐらいで検索すればわかるんですけど、ぜひ読んでほしいんですよね。
死ぬのが怖いから買わないなんで言わないでほしいっていうキャッチから、犬とか猫とかペットを飼う飼い主の気持ちみたいなものを売ってるんだけど、読むだけで泣けます。
03:12
映画見なくてもこれで泣けますみたいな感じなんですよね。
すごいコピーライターで、コピーライターで誰がすごいですかって言われたら小島玲子さんで。
僕は言うし多分多くの人はいいんじゃないかなと思うんですよね。
っていう方がコピーを書いてます。だから世代は全然違うんですよね。
ターゲットと小島玲子さんで言うと多分30,40ぐらい違うんだけども。
だから今回の広告のボディコピーの書き出しってすごくて、僕のことをわかったふうに言うなっていうところから始まってるんですよね。
ずっと書き手の自分自身に言ってるんじゃんっていうことでもあるんだけどね。
今の若い人たちの生き方にすごく合ってるというかですね。
何がかっこいいかって、ブレないことがかっこいいんだって時代もありましたけど、
今の人たちってどっちかというと日々日々変わっていく自分がかっこいいんだみたいな。
常に前進していく自分っていうのを改めて言語化してみた感じですよね。
その生き様のかっこいいさみたいなところを。
それって日々コンテンツを、新しいコンテンツでじゃんじゃん触れていくから価値観が変わるわけであって、
それは裏切れはなくてブレでなくて前進なんであるっていうところをコピーで表現していて。
デザインは佐野健さんがやっていて、妙にフォントの幅がほぼダブってるみたいなギチギチの行詰めで入れてるんだけど、
だからこそ畳みかけるような感じというか、そういう口調がデザイン見ただけでわかっちゃうみたいな。
それぐらい10代なのか20代なのかの気持ちのリアリティを割と表現してるなって感じはしますよね。
なるほどなるほど。
確かに広告コピーってその時代を切り取った広告コピーってありますもんね。
おいしい生活みたいなのも当時の生活が変わっていく中でそういったコピーが作られたりとか、
これも一つの若者の今の文化をうまく切り取った広告コピーかもしれないですね。
リアリティを抉るみたいな感じですよね。
出し方も面白いですよね。渋谷で看板をジャックしてOHやりながら広告もやって。
そうですね。どう撮ったかわかんないですけど、まずはそのOHで渋谷ジャックをしてるんですよね。
それ自体は普通にターゲットが若者なのでそういうことはやるでしょうっていう話なんですけど、
面白いのはCMの動画はジャックし終わった渋谷の街でメインキャストのアノちゃんっていうアイドルの女性が
06:10
このコピーを彼女の口調で淡々と読むっていうCMなんですよね。
これがなんか面白いですよね。
昔だったらCM発信でリーチ補完のために看板とかポスターやるみたいな感じだったけど、
これを見ると逆にOHでまず渋谷ジャックをした事実が大事みたいな。
そこからそれを動画にしてリーチを撮るみたいな。逆な感じしますよね。昔から比べるとね。
確かに。看板を一つの認知媒体というか広告として使うのではなくて、
そこにあるDRにあってそこで体験できる場みたいな形で捉えて、
それを見てSNSに投稿してもらってもいいし、CMで見たあれここにあるんやって思ってもらうとかも一つですよね。
いいですよね。OHとかメディアの使い方が一個一個割と繊細になってきてますよね。
変わってきてますよね。
街メディアは世の中ごとメディアなんでしょうね。またリーチはスマホであったりとか、
情報量は動画、テレビとかYouTubeだったりとか、
単なるメディアミックスというよりは意味付けがもっともっと進化してきてる感じがしますよね。
あとはそれがクリエイティブに取り込まれてるっていうところも最近は面白い傾向かなと思いますね。
どういうことですか?クリエイティブに取り込まれてるっての。
OHで街の中をこのメッセージが接見してるっていうこと自体をCMにすることで、
そこのリアリティというかこのメッセージのリアリティを上げてるっていう感じですよね。
なるほど。
体験できる広告ってそういえばもしかしたらOHしかないかもしれないですよね。
テレビも画面の奥だし、スマホでやるのも画面の奥だけど、
リアルに見えるみたいな形の広告って、点灯とかはできるかもしれないけど、
広告って意味だとやっぱりOHはこれからの可能性がいろいろと模索のしがいがあるかもしれないですね。
最近私が痛く感動した広告を紹介させていただきました。
じゃあ今週のピックアップいってみましょう。
さて、じんぼうさんの今週のピックアップ。テーマはこちら。
SNSが変えた現代人の感覚です。
09:02
今や空気のような存在でもあるSNSですが、改めて我々にとってSNSとは何なのか、
そしてそれを踏まえてマーケターはどう考えるべきなのか。
いいテーマですね。
じんぼうさん、教えてください。
今はSNSは当たり前になってますけど、急速に当たり前になってきたからこそ、
見落としてるところとかあるんじゃないかなと思っていて、
改めて考えるとか改めて見つめ直すっていうことをやってみることで、
マーケティング的なところでも得るものがあるんじゃないかなっていうことを、
これまでチャットGPTとかスラックとかでいろんな話ししながら、
確かにツールが何か僕らの考え方とか行動様式とかを変えることってあるよなとか、
ふわふわと思ったんで、
本丸のスマホかけるSNSみたいな、
そういうところでちょっと考えてみたら面白いんじゃないかなみたいな、
そんなところがまず着眼点ですね。
なるほど。
まずはSNSって僕らにとって、今の生活にとって何なのっていうところを考えたいなと思ったんですよね。
メディアの話とかよくするときって、
マーシャル・マクフルーハンっていう研究者がいて、
メディア研究の有名な人なんですよ。
この人がわりと名言を吐く人でよく引用されるんだけど、
一番有名な言葉で言うと、メディアは身体を拡張するって言ったんですよね。
例えば自動車が出たときには、
その自動車は足を拡張します、靴を拡張します、
だから人間の行動範囲を変えるんだけど、
それによって身体観光も変えたと。
ラジオは耳を拡張するんだと。
なので画期的なメディアの発明っていうのは、
人間の世界認識とか世界感覚自体を、
わりと具体的に変えちゃうんだみたいな話なんですね。
それでSNSもわりと画期的なメディアなので、
面白いんじゃないかな。
改めてそういうことを考えてみるっていうのもいいかなっていうところで。
車ができたことによって、
これまでは人間の足で行けるところまでが自分の行動範囲だったけれども、
車で行ける、そうすると箱根とかそういったところも行動範囲になってくるから、
そういう意味で車っていうものによって身体機能が拡張されているというか、
それによって距離感とか感覚も変わってくるので、
そういった拡張みたいなところが、
SNSによっては何が拡張されたのかってことですね。
12:01
そうですね。
そこで言うと、一言で言うと、
広く緩やかな繋がり感覚だと思うんですよね。
昔は友人であってもですよ、
その年に1回しか会わなかったりとか、
それでも会っている方だったじゃないですか。
そうですよね。
昔の友達とかは本当にずっと会ってなくて、
電話上だけでやり取りしているとか、全然いますもんね。
ですよね。
それが普段、本当に毎日毎日ぐらいのSNSのアルゴリズム関係であればね、
スピードに上がってくる関係であれば、
そいつがさっき何を思ったかもファッと分かるわけで、
それも問い合わせなくてもファッと流れてくるから分かるし、
子供となんとか遊園地に行きましたとかもめっちゃ分かるじゃないですか。
だからここって明らかにリアリティが変わってきてるし、
思ったらパッとその人にメッセージなりイメージを送れるじゃないですか。
これってもはや人類ってテレパシーをほぼ獲得してると言えるんじゃないかみたいな。
心まで来てる。
場所が離れていても、その時見た景色を写真でSNSに送れば共感できるし、
それでやりとりもできるし、これは確かにテレパシーと言えなくもないですね。
もはやテレパシーを獲得しちゃったということですよ。
だからね、昔はテレビのスライスオブライフっていう手法がよくあって、
幸せな家族の中に朝の食パンがふわっと置いてあったりとかね、
トースターが置いてあったりとかして、うまくシャッと溶け込ますみたいな手法があったんだけど、
今はテレビからのスライスオブライフの手法で、
こんな生活いいなって憧れるっていうよりは、
どっちかというと友人のリアルなSNSからのスライスオブライフのメッセージが多いのかなと思うんですよね。
僕の場合はラーメンとか焼き鳥屋とかの写真に誘われるみたいなところで、
なんか行動が変わるみたいなところが多いんですけど。
僕キャンプの写真とか流れてくるのを見ると、
キャンプ自分も行きたいなとか思ったりしますね。
アルゴリズムで何にいいねするかが今バレましたね。
ラーメンなのかキャンプなのかっていう。
欲求のレンジが違うことが判明しましたね。
判明しましたね。
僕らのSNSによって、僕らの世界認識って明らかに変わってるなっていうところかなと思いますね。
確かに生活になくてはならないっていうか、話せないですもんね。
それがいいかどうかは別にして。
15:01
ずっと見続けちゃうじゃないですか。
たまにスマホでツイッターをログアウトすることあるんですよ。
ログインしてるとどんどん新しい情報が流れてくるので、
ついついずっとツイートばっかり見てしまうって状態になるので、
それはそれでどうなんだと。
テレパシーを獲得したが故に、ずっと自分にテレパシーが届き続ける苦しみみたいな。
ちょっとしばらく自分一人になりたいんですってツイッターからログアウトするみたいな。
それぐらい影響力がありますね。
テレパシーもいいところもあり悪いところもあるよね。
ここまで来るとですよ。
遂げ込んでくるし、価値観も変えてくると、
もちろんマーケター的に言うと消費成功にも影響を与えるわけじゃないですか。
そうですね。
わかりやすいところで言うと、
インスタ映えはね、
ネコもシャクシもインスタ映えも、
オリエンシートはオールインスタ映えでしたから。
インスタ映えはSNSが生んだ消費成功の一つでしょうというのは間違いなくありますよね。
映えるって言葉とか、昔そんなに聞かなかった言葉ですけど、
この絵によってインスタ映えって言葉によって市民権を得ましたよね。
得ましたよね。
絵になれば何でもいいみたいだね。
でも確かにECで物を送るときも、
ダンボールとか同婚物とかで一緒に写真撮ってもらえる箱にしようとか考えますもんね。
そこの体験設計みたいなところも、
体験設計っていうよりはどっちかというとインスタ映え意識みたいなところもあるじゃないですか。
ありますあります。
そこもあるから、わりと強烈な引力の一つみたいな感じがしますよね。
よくインスタ映え的な隣接点で言うと、
ご褒美消費とかね。
今週私頑張ったからちょっとこのお酒で乾杯してます、ほっこりみたいなやつとか、
手ごたえ消費みたいなDIYで作ってみたぜみたいな、
俺のエイジング技術を見ようみたいなあれとか、
結局これ写真撮ってみてくださいってことなんで、
これもこれもインスタ映えだと思うんですね。
だから割といろんななんとか消費って出てきてるけど、
割とインスタ映えに隠れるかなっていう感じはありますよね。
こういう消費をしていることをアピールしてみたいみたいな。
そうそう。
ちゃんと私もリア充してるぞっていう証明写真ですよね。
18:01
言いづらいことをうまく言えるようにしてるっていうのもありますね。
夜中まですごく仕事を頑張ったっていうのをそのまま投稿するのは、
頑張ってるのを見せている感で、
若干ちょっといやらしい感じがするけれども、
徹夜で仕事頑張ったから、
今日はこんな高級なビールを飲んでいますっていう投稿をするのは、
よく頑張ったねって言いたくなるというか、
うまく自分の文脈をSNSに載せやすくしている部分はありますね。
それで言うとあれだね。
それはご褒美消費×言い訳消費だよね。
言い訳も入っている。
言い訳消費で、ちょっと自慢っぽく見えたらごめんね。
でも私は頑張ったのだから。
っていう言い訳が入っている。
っていう言い訳消費っていうのもあるかもしれないね。
ありますね。
確かに。
というところで、いろんな消費が実はSNS来てるんだよっていう感じだよね。
ちょっと属性が違うところで言うと、
オタク的な面で捉えられがちな推し消費。
推しには値段も見ずに金ぶち込むぞみたいな、
今頼りがいのある消費って言われてるあれも。
やっぱり結局は、推しへの愛ももちろんありますけど、
その愛をSNS仲間、主にTwitterですけど、
共有する、それによってやり取りの強度を高めるみたいな、
そこもサブ目的なのか、そっちがメインなのかは人によってですけど、
あれと強いと思うんですよね。
そういう意味では推し消費っていうのもやっぱりSNS消費、
起点の一つであると言えるかなと思うんですよ。
なるほど。これはアイドルのグッズとかを買って、
そのアイドルが好きな人同士でSNS上で見せ合う消費ってことですかね。
そうですね。
なるほど。だからあれですね、
昔小学校のクラスの中で消しゴムでプロレスするのが流行ったりして、
みんなが同じ消しゴムとか買ってると、自分もこの消しゴム欲しいみたいなのとか、
ビックリマンチョコ買ってると、みんなが買ってるから自分も欲しくて買うみたいなところが、
昔はリアルで会わなければできなかったけれども、
もう別にSNS上でできるから、
SNSのコミュニティに投稿することを目指して買って自慢するみたいなのができるようになってるってことですね。
消しゴムが情報とか愛に変わってるわけですよね。
なるほど。そういうことか。
でもやっぱり求めてるのはやっぱりやり取りの強度なんでしょうね。濃密さというか。
なるほど。
なので、いろんなもの消費からこと消費とかも含めて、
21:01
パッコンね、いろんなまるまる消費っていうのが生まれてるじゃないですか。
結局って、これはもうSNSに対してのネタ消費っていうことなんじゃないかなっていう。
それとしてくくれるんじゃないかな説も僕は仮説として思ってるんですよね。
SNSに投稿するために買っている。
そうそう。
はいはいはいはい。
ネタとして見ればこと消費が全部ほぼほぼ埋まる気がするんですよね。
なので、わりとSNSってそこまででかいってことですよ。
影響とかかなーって思ってて。
いやーでかいっすよねー。
背景にはSNSがいいっていうのはもちろんあるんですけど、
もう一つは一方でやっぱりスマホとかいろいろ出た中で、
国民的な、もう視聴率20%超えの番組がないじゃないですか。
うんうんうん。
なんか論馬系もないし、プロ野球中継もBSになっちゃったし、
はいはいはい。
なんかタイガーも頼りないしね、10%ちょいぐらいだし、
朝空ぐらいですよ、15%ぐらい撮ってるのは。
なので、共通の話題不足だと思うんですよ、今の社会。
だからそこの、わりと社会問題だと思うんですよね。
共通の話題がないっていうところ。
だからそこを、やっぱり埋め合ってる人があって、
そのネタの一つがやっぱSNSの、そういうパーソナル情報ですよね。
週末娘を連れて遊園地行きましたもん、その一つですけど、
そこで保管してる部分もあるのかなと思うんですよ。
両方のネタの無さの埋め合わせの必然性っていうのはもちろんあると思うんですよね。
そういうのもあってやっぱり底堅いものにはなってるとは思います。
確かにもうSNSで流行ってるあれみたいなトークを始めること多いですもんね。
そこ以外で知ることがないから。
前回話してたリアーナのスーパーボールのやつとかも、
SNSで流行ってるのを見て、YouTubeで見たみたいな感じだから、
やっぱSNSが話題作りのきっかけになってるっていうのはすごく大きいでしょうね。
スタバとか見ると、普通に2人とかでスマホ見ながら喋ってたりするじゃないですか。
僕らはあらほーの常識人からすればですよ。
ちょっと失礼じゃないかなみたいな感じは思うんだけど。
相手が前にいるのにスマホ見てていいんだっけみたいなね。
感じもあるんだけど、全然関係なくスマホ見ながら会話して、検索しながら会話してみたいな感じで。
スマホの上で会話が行われてる状態なんですよね。
24:01
お互いそれを見合いながら、これ知ってるとか見ながらやってるみたいな感じなんで。
だからね、こちゃのまとかね、井戸端会議とかっていうのは消滅したと言われてますけど、
代わりにスマホ端会議的なものが生まれてるのかなって思うんですね。
そういう状況の中で言うと、これまでは井戸端会議にどのような口コミを発生させるかっていうところがマーケティングだったとすれば、
これからはスマホ端会議で何を喋られるかみたいなところから逆算してどういう動画を差し込むかとか、
そこを設計していく必要があるのかなとは思うんですね。
確かに。口コミがスマホ経由で生まれるのであれば、そこをどう設計するかっていうことを考えるしかないですもんね。
ここは難しいですよね、マーケティングとしてね。
世代のノリとかがちょっとわからない部分がありますよね。
想像力じゃ起きない部分もあるじゃないですか。
ありますね。
あとSNSとかが別に全ての人に同じ情報では全くないので、むしろ全ての人にパーソナライズされた情報で出ている中で、
そこでどう口コミを生むのかみたいなところはなかなかマスとしては考えづらいですよね。
小さくというか、あるコミュニティの中でこの興味関心のある人の中で話題になって、
その話題になっているのを見てマスの人もなんか話題になっているぞみたいな風に思うとか、
そういう世界なんでしょうね。
さっきのタイガドラマとかでもSNSでどれくらい話題になったのかとか、よく言いますもんね。
でもそれだけを狙っても不毛だなと思うんですよね。
ポジかネガーかもわからないじゃないですか。
盛り上がりの数だけ見てもね、どのような会話が生まれるかっていうところなんでしょうね。大事なのはね。
あとはそういうのってね、逆算して狙ってって言うけど難しいよねって話はありますよね。
それを見た人がどう感じるかとかを狙うのは難しいですよね。
でもまぁそこまでのことがマーケターとして求められている部分はありますよね。
まさに最初に取り上げたライフカードのあれとかも、それを見た人が何てツイートするかまで絶対設計としてはしているはずなんですよね。
そこのある程度計算ができるところがどこなのかみたいな、そこの尺度をどれだけ持ち合わせているかっていうところが、
多分マーケターなんでしょうね。マーケティングセンスなのかな。必要だとは思いますね。
27:04
確かに。結構これまでは何かを伝えようと思った時に、こういう言葉を伝えればこういう情報を受け取ってくれたりとか、
例えば商品を買ってくれるまでは想定していたけど、それを超えて何てSNSで言ってくれるかみたいなところまで設計をするっていうところはなかなかこれまでなかったでしょうね。
コードが固定されていない。結局買ってくれたらいいじゃんっていうのがあれば、コードのゴールは固定されているので買うっていう。
でもSNSは投稿する時に何て投稿するかっていうのによって設計が全然変わってくるので、
しかもSNSに投稿する時の文脈、さっきのインスタ映えなのかの中でもご褒美商品なのか言い訳商品なのかとかいくつか文脈があるので、
その文脈まで設計してって考えると考えることはすごいたくさんありますよね。
そうですよね。アイドマーとかアイサスの先にShipsっていうのができたじゃないですか。
ありますね。
その時の面白いなと思ったのはShipsになった瞬間にゴールが購買ではなくて参加なんですよね。
ShipsのPがパーティシペイトで参加で、それは購買も伴っているんですけど、購買×同時に体験をしてそれをシェアするみたいな話なんですね。
今は購買者はイコール体験をして感動して盛り上がるみたいな、はしゃぐみたいな、そういう層なんだろうなっていう感じがしますよね。
そこまで設計していくってところですね。買うまでではなく体験してシェアをしてそこまでを設計すると。
できるのって話だけどね。
パーセプションフローモデルとかってマーケティングでカスタマージャーニとか含めて書くときはやっぱりシェアをどうしてもらうかまで書くので考えてやりますよね。
難しいんですけどね。今やっているサービスとかハッシュタグキャンペーンとかよくあるじゃないですか。体験したらハッシュタグつけて投稿してくれたらプレゼントみたいな。
あれとかもやっぱりその人が投稿したくなる文脈というかそれに乗らないとプレゼントキャンペーンだけだとそんなに投稿数増えないので。
難しい。
でもそれができたときは楽しいですよね。そういうキャンペーン始まるとずっとツイートのハッシュタグ追ってますよ。
どれくらいハッシュタグ投稿してくれてるかなみたいなところを見るのは楽しいですね。
ちょっとマーケター的には変化はでかいから大変だなって感じではありますけど、それはキャッチアップするしかないからね。やりましょうっていう感じですよ。
30:08
見えやすくなった面白さはあるかなと思いますけどね。これまで商品を買ってもらうためにマーケティングやっても商品を買ってもらったかどうかがこれまで売上数値でしか何千個何万個売れたかしかわからなかったところが、
今はSNSの投稿で体験してどうだったかみたいなところが全部現れてくるので、いい口コミも悪い口コミもこういうふうに使ってこういうふうに感じてくれたんだっていうのを一つ一つ感じられるっていうのはすごい楽しい部分な気がしますね。
そうですね。そこにうまく乗れればもう幸せな仕事ですよね。マーケティングってね。
いや本当にそうだと思いますね。自分が作って届けたい商品の見せ方のメッセージが届いて幸せになっている人の姿がSNS上で見えるっていうのは快感だと思いますね。
ですよね。なので今後も切っては切り離せないと思うんですよ。マーケティングにとっては。だから引き続きそこのSNSとの関係性は密にキャッチアップしていかないといけないかなというところなんですよね。
ちなみにジンボーさんはコピーを書くときにSNSのことは意識するんですか?
コピーを書くときにSNSのことは意識するんですか?
コピーを書くときにSNSのことは意識するんですか?
TwitterとかFacebookとかでマーケティングをやっている間隔ではあります。だから1日1投稿2投稿とかすると必ず即時にフィードバックをもらうわけじゃないですか。
だからFacebookから数えるともう10何年フィードバックを受け続けているわけなので、そこは真摯にというかこういうのはダメなんだなとか言い方こういう風に変えればいいかなっていうのは常に意識してますね。
ある程度こういう言い方をしたらここまでいくし、こういう言い方をしたらこの程度だろうみたいなのはわかるようになってきました。
それはTwitter、Facebookと記事広告のCTAとかめっちゃ見てるんでそこも含めてですけど、肌感としてついてきたけどそれはもう数ですよね。
言葉のマーケティングを日々やるっていう感じはやってますよね。
確かに。
この間聞いた話でこれも10年ぐらい前ですけど、ある会社のSNS部門の新人にやらせることは何かっていうと、
Twitterのアカウントを作ってフォロワー1万人にいくまでツイートをするっていう、もうそれだけまずはやりなさいと。
フォロワーが1万人まで行った時には自分の中でTwitterをどういう風に運用したらいいのかっていうのがセンスとして身についているから
33:02
仕事しなくていいからそれだけやれって言われてたらしくて。
今はさすがにそういうこと少ないと思いますけど。
でもまあセンスは磨かれますよね、それね。
磨かれると思いますね。
やっぱ書きっぱなしはダメだと思う。やっぱりフィードバックをもらって、
都度都度本当に1日に何回もフィードバックをもらって改善していくっていうのは大事だと思います。
大先生名コピーライターじゃない限りは絶対やらないといけないと思う。
いくらでも練習できる部分はあるでしょうね。
確かにね、マーケターとしてのSNSの使い方重要性みたいなところありつつも、
ただSNS疲れとかデマの拡散であるとか、ネガな部分もSNSってまあまああるかなと思うんですけど、
未来展望としてはどんなふうに尋問さんは思ってますか?
まあね、よくネガな方向の話は聞きますからね。
なんかちょっと個人なふうにも捉えてみたいなと思って考えてみるとですよ。
例えば人間関係を濃密にする面っていうのもあるかなと思うんですよね。
家族とかもそうですし、友人もそうですけど、
なんかね、フィードに出る同士だったら近況報告はすでに毎日終わってるわけじゃないですか。
そうですね。
だからいざ会った時の会話は、その最近どうみたいな会話を省いていきなり本題に入れますよね。
最近どうの話って割と長いじゃないですか、1時間とか。
いくらでもね、確かに自分の1年会ったこととかを話すといくらでもありますもんね。
いくらでもありますよね。
省いたら何話そうって考えて、いざ会うってなるから、やっぱり濃密な話ができると思うんですよね。
ってことは、マーケティング的に言うと、SNSはオフラインのコミュニケーションで、リアルはライブのイベントみたいな、
そういう盛り上がりというか、エンゲージが高まるみたいな。
これはある意味あるのではないか説。
いや、あるんじゃないですかね。確かにSNSがなかったら、
じんもさんともね、会社が変わった後とかに全然連絡を取り合わなかったらわからなかったところが、
SNSでなんとなくつながっているから、最近こんなことやってるんだなみたいな。
近況がわかって、じゃあちょっと飲みに行くかみたいなところで話がつながって、
継続的にコミュニケーションしていくみたいなところはあるから、人間関係濃密になっている部分はあると思いますね。
そうですよね。ここもね、人間関係が薄くなるとかね、SNSにテキストだけになるとかって思いがちだけど、
いわゆる全然そうじゃないよっていう見方もあると思うんですね。
36:02
だから個人に見ていって、その個人なところをうまく使っていきたいなという感じはしますよね。
僕で個人的に言うとやっぱり家族とのつながりとかもやっぱりね、
Twitterとかでもみんな家族でつながってるんで、よく何考えてるかとかわかった気がしますけどね。
確かにじんもさんお父さんからTwitterのコメントありますもんね。
そうね。よく来るね。
あれ面白いですね、あの関係。
そうだね。父、弟、母親からもよくツッコミが来ますけどもね。
ああいうのは面白いよね。
仲がいい。僕はSNSが親に見られてると思うと、思っていることを全部書けないから、書きづらくなりそうだなみたいな。
なんかそういうのあるじゃないですか。Facebookが下痺れになった理由は、親とか先生とかそういう人とつながりすぎることによって、
ちゃんとしたことしか投稿できない。自分の思い通りのことを言えないから、だからみんなインスタとかそっちに行ったみたいな。
その中でじんもさんはお父さんとコミュニケーションができてて素敵ですね。
そうだね。僕の場合は父親が僕より先にハードツイッターラーになっていたので。
先進的。
なのでもう抗いようがないというか。ツイッターは個人になるとやらないといけないんですから。
そこの入門の手ほどきをやってもらったような感じですかね。
そこは人間関係。慣れたら濃密にしてくれると思うんですよね。家族であってもね。
そこはまず人と、対人はそうだし、あとは個人の中でもね。割といいシーンが見える化されて積み重なっていくじゃないですか。
そこがいいのかなと思ってて。日記とか書くとわかるけど、意外と何やったかってほぼ全部忘れてるじゃないですか。人間って。
すごい忘れますね。
すんげー忘れてるじゃないですか。だから普通に日記は続かないですけど、ほとんど。SNSはなんとなく続くし。
年何回であっても、それが残ってて、しかも写真と一緒に残ってるっていうのって、わりと記憶のリマインド機能としてはいいかなと思うんですよね。
これ食いましたでもいいですよ。なんとか消費。例えばご褒美消費で、今日残業頑張ったからビール10杯飲んじゃいました。
飲みすぎやろ。
いいんだけど、その10杯飲んだらその記憶も多分消えるし。
ご褒美消費とかなんとか消費って消え物じゃないですか。
39:02
はいはいはい。
だからSNSって本来は、むなしい物であった消え物である消費に対して、なんとか消費に対して写真とかで残すことによって、ちょっと積み重ねなり感っていうのを与えることもあるのかなと思うんですよね。
それが自分の人生だとは言えないけどね。頑張ったなとかってのは忘れず覚えるわけじゃないですか。そこはいいのかなと思うんですよね。
フェイスブックの7年前のあなたの投稿これでしたとか出てくるのとかすごい懐かしいですもんね。
この頃こんなだったなみたいな。
懐かしい。
もう忘れてるからその時のことは。でもそういう形で流れてくる時に、こんなことあったなって思い出すのとかは確かにあって、それは確かに積み重なってるかもしれないですね。
なんか不意打ち的にすごい懐かしいの来るよね。
来る。
うーみたいな。あれはいいよね。思わずシェアしたくなるけど、ちょっと我慢するけどね。
我慢するけどね。
10年前のやつとかシェアしたらちょっとなんか痛い感じするもんね。
自分の中ではね、いい思い出だけども、他の人からすると全然関係ないものだからね。
あとは最後にね、もう一個こうなったらいいよなって思うのは、バエとかって言ってる時ってリア充合戦なんだよね。
だから結局は他人軸なんだよな。自分がどう見えるかみたいなところなんだけど、それもSNS疲れとかつって、バエは辞めました、森もダメですみたいな。
次にぜひ向かってほしいのって、やっぱり他人との差別化とかどうでもよくって、やっぱり昨日の自分とか1年前の自分との差別化みたいな、そういうところを見える化されてるので、
そういうところに目が向くと、もっとSNSっていうのがポジティブなものというか、人を前向きにするツールになっていくんじゃないかなって思うんですよね。
これは他人の投稿を見るのではなく、自分の過去の投稿を振り返るってことですか?
そうですね。自分の中で例えば、僕で言うと日々のマーケティング的な気づきをツイートするようにしてるんですけど、
そうすると昨日は知らなかった気づきが今日はあるわけじゃないですか。1週間後にはそれが7つ増えてるわけじゃないですか。
1週間後の自分は明らかに7つ知識が多い自分のわけじゃないですか。それも自分しか持ってない知識を持っている自分っていうことなので、
そういうことの内面的なマチズモみたいなところって、割と健全だと思うんです。
42:07
他人との差別化、比較で言うと、もう疲れたし飽きるよ、それって話なんですけど。
あとどこにも積み上がるものがないっていうのがあるんですけど、そういう消え物の商議的なものではなくて、
もう少し本質的なところに向けるとめっちゃいいと思うんですよね。
福祉的にそれが自分が何考えてるかとか、興味あるところとかのPRにもなるけど、
結局は副産物であって、本質的には自分の中で積むっていうところが大事だと思うんですよね。
そこは自己満足で全然いいと思っていて、それをやることでたぶん1年2年3年とかかかると思うけど、
明らかにこの人はマーケ好きだったらとかっていうのは多分伝わるはずなので、
そこをやっていけばいいと思うんですよね。
この使い方は他の普通のSNSの使い方とはちょっと違うかもしれないですね。
昨日の自分との差別化っていう意味での使い方は。
ジンボさんらしいSNSの使い方な気がする。
タグラインだね。新しいSNSの使い方のタグラインです。
タグライン。昨日の自分との差別化。
バイ・ジンボ・コウスケ。
そうです。
皆さんは今回の話を聞いてどんなことを考えましたか。
Twitterのハッシュタグマーケターの真夜中ラジオで教えてください。
さて今週の明日使える聞くネタ帳マーケターの真夜中ラジオもそろそろ締めのお時間となります。
今日はジンボさんSNSの話をしたんですけど、
僕この間SNSでふと思い立って気になったやつを投稿して、
日暮里駅に偶然降り立って歩いていると、
床にチョークで描いたみたいな猫の絵が大量に描いてあったんですよね。
別に広告メッセージでもないし、落書きみたいな猫が大量に駅の中に描いてあって、
綺麗に描かれてあるんですよ。だから落書きでもないし、
これは何なんだろう謎を気になると思って思わず写真を撮って、
これは何なんだろうってツイートをすると、
友達の人がこれはニャッポリというマスコットキャラで、
昔から猫が多い地域でそういうキャラクターがこの日暮里にはいるんですってことを教えてもらって、
コミュニケーションのきっかけが偶然生まれたみたいなことがありました。
日暮里に猫が多いんだ。
だからてっきりネズミが大量発して、
それの撃退プロモーションで猫の絵を大量に描いているのかなと思ったけど。
こんな可愛い猫を撃退には繋がらない気がしますけどね。
45:03
ネズミにも舐められる。
ちょっとびっくりしましたね。
世の中で面白い発見があった時に、
横に誰かがいるとしゃべりますけど、
でもそういうことができない時にも、
SNSにこんなのあったみたいなのを投稿して、
それって猫ですよとか反応があると、
まさにテレパシーみたいな。
そういうことがあるなと思いましたね。
確かに。
意外と見てるもんね。
反応とかコメントくれた人とか、
いいねくれてなくても、
割と見てたりするからね。
実際あったら、
最近何かやってるねとか、
あそこ行ってたねとか言われるから。
いいよね、そういうのは。
なかったら本当ね、
そういうコミュニケーション、
久しぶりに会った時にできなかったと思うと、
逆になかった時に思い浮かばないぐらいですよね。
もはや空気のような、
テレパシーのような存在ということですよね。
仲良くしたいものですね。
間違いない。
SNSとはね。
もう生活の一部なんで、
仲良くするしかないね。
ではまた来週の土曜日、
ポッドキャストでお会いしましょう。
さよなら。
さよなら。
46:38

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