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過労とうつ病はなぜ職場の問題に?産業医学から精神科への300年
2026-09-18 32:11

過労とうつ病はなぜ職場の問題に?産業医学から精神科への300年

「働くこと」が病気を生む――その事実に300年以上前から目を向けた医師たちがいました。便槽を掃除する労働者との出会いから職業病を体系化した「産業医学の父」ラマツィーニ。そして産業革命期のイギリスで、工場環境の改善を訴えたサクラー。二人の足跡から、産業保健が「治療」から「予防」へ広がった歴史をたどります。さらに過労やうつ病が問題となる現代へ。産業医と精神科主治医の役割の違いも交え、「働くこと」と健康の300年を考えます。

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サマリー

今回は、職場で生じる病気を扱う産業医学の始まりから、現代のメンタルヘルスまでをたどる。産業医学の父とされるベルナルディーノ・ラマツィーニは、便槽掃除の作業員との出会いをきっかけに、職業を尋ね、作業場所の匂い・粉塵・姿勢や同僚の症状を調べる重要性を示した。鉱山労働者の咳や呼吸困難、鉛を扱う陶器職人や画家の腹痛・麻痺、水銀を扱う職人の振戦や神経障害など、職種ごとの病気を記録した。19世紀には、イギリスの医師チャールズ・ターナー・サックラーが、リーズの工場労働者を診察し、粉塵、高温、湿度、長時間労働などの工場環境が病気や寿命に影響すると指摘した。彼の著作は、子どもの就労禁止や労働時間、工場監督官を定めたイギリスの工場法にも影響したと説明される。戦後はILOとWHOの1950年の合同委員会を節目に、病気の治療だけでなく、健康障害の予防や仕事への適応、精神的健康まで産業保健の対象が広がった。1980年代以降は過労死、メンタルヘルス、生活習慣病が中心的な課題となり、出演者は職場の人間関係を理由にうつ病や適応障害で休む人が多いと話す。最後に、産業医は会社全体の健康管理を担い、主治医は患者本人の回復を中心に考えるという役割の違い、経営者・管理職・現場の意識差とコンプライアンスの難しさが論じられる。

産業医学の始まりとラマツィーニ
精神科の知識を学べる番組 歴史から学ぶ精神科ラジオ
この番組では、精神科医療を作った人々、現在のトピックスを精神科医が解説します。
精神科専門医30年、医学博士で現在、開業医のマリモと
その姉で、障害を持ちの方の就労支援事業所を経営していて、
夏休み、花火大会の警備や、小学生向けの運動会主催など、
サッカークラブでのイベントが目白押しのさくらがお送りします。
職場での病気をどうするか。産業保険の歴史の話です。
はい、ありがとうございます。
お願いします。
今回の話はですね、いわゆる産業保険というか、
職場での病気とかを取り扱う話をちょっとしようかなと思ってて。
1話目の今回は産業保険の始まりの歴史をして、
2話目からはこの産業精神保険の、精神科関連の産業保険の話を
2つぐらい話題を持ってきて話しようかなと思うんですけどね。
この産業保険の話って、僕本当に専門家じゃないんですよっていうか、
いつもそんなこと言ってる気もするけど、
特に産業医とかっていう先生がいてたりとか、
産業保険をちゃんと勉強してる。
例えば学校とかも産業医大とかってあるぐらいだから、
きっちりそこは勉強してる学問ではあって、
僕はガッツリやってないんですよね。
また違うんもんね。
また違うんですよ。
で、ちょっとの間、県庁なんですけども、
そこの産業医みたいなことを2年間ぐらい、3年間ぐらい
バイトみたいなんでやった記憶はあるんやけど、
それぐらいの産業医の経験で、ちゃんと勉強してないので、
ちょっとつけ役場っちゃつけ役場なんやけども、
そんな話をさせてもらおうかなと思うんですね。
一般の会議医としては、
職場でいろいろお困りになっている患者さんと
お話する会話は非常に多くて、
主治医の側からこの産業保険を見させてはもてはおるんやけども、
今回はちょっとこの産業保険の話、つまり職場で病気になった人を
医療はどんなふうに考えて、どんなことをしてきたかみたいな話をしようかなと思いますね。
産業医学の父という話をしたいと思うんですけども、
産業医学の父って言われてるのは、
イタリアの先生で、ベルナルディーロ・ラマッティーニさんっていう。
ラマッティーニさん。
ラマッティーニさん、失礼しました。
ベルナルディーノ・ラマッティーニさんですね。
イタリア語ですね。難しい。
知らんかったけどね。
今回ここで勉強させてもらいましたけれども、
産業医学を作ったと言われる人がいてるんですね。
1633年から1714年まで生きられた方で、
一番この人、今に残ってる話で言うと、
1700年に働く人々の病気についてという本を、
初めて観光したというので有名なんですね。
1700年って、いつやねんっていう話なんですけども、
日本で言うと、元禄文化の時代ですし、
ヨーロッパだと、よくわかんないんですけど、
ルイ16世って、ベルサイウのバラじゃないですか。
あれのおじ、マリー・ザ・アンターネットの時代ね。
あれがフランス革命ですけども、
あっから100年くらい前の話になるので、
ルイ14世って言うと太陽王って言われた、
太陽王の時ですね。
あの時代の話なんですね。
なるほど。
だいたいそれぐらいの時代の時に、
作業現場から職業病を見つける
ラマッチーニさんは産業医学を確立したというか、
その話をし始めたんですね。
この人何がどうすっかかったかっていうと、
医者の仕事として、患者さんの職業についてですね、
ちょっと聞いたりすることっていうのは、
病気を調べる上では大切ですよっていうことを、
初めて言い出したという人なんですね。
すごい。そんな昔に。
その工夫というか、炭鉱とかで働く人とか、
あるいは陶器を作っている人とか、
石細工を作っている人たちの、
そういう仕事をしている人というのは、
特別な病気にかかるよっていうことを発見したというか、
そういうことを言うたってことですね。
それがそういう本を出し合ったということで、
有名になって産業医学の父と言われてるんです。
この時代はですね、
現代の近代医学ではまだないんですよね。
そうですよね。
その顕微鏡もないし。
200年以上前。
ようやく解剖学とかが進行してきていたけれども、
やはりまだギリシャ時代とかの、
ヒポクラテスとかの体液病理学とかっていうのが、
主に考えられていて、
それが医学の本流だった時代ではあるんですけど、
ちょっとずつ新しい医学が始まっている頃だったんですけど、
この頃に産業医学を確立したというか、
作り上げたということで有名だったんですね。
だからこの病気になるっていうこともですね、
体液のバランスがとかって言ってたような時代なんやけれども、
職業についても病気やなっていうことを言い出したってことですね。
すごい見てたんでしょうね、患者さんをね。
この時代は病原体、ウイルスとか最近もわかってないし、
いわゆる化学物質とかって言われることもよくわかってないような時代に、
そういうことを言い出したわけですよ。
ちょっと見ときたいと思うんですけど、
ラマッチーニさんはですね、いわゆる内科医だったんですよっていうか、
大学卒の内科医なんですね。
この時代、ヨーロッパでは3つぐらい医者の中では身分があったと言われてて、
一番上なのが大学卒で内科医っていう人たちがいてて、
この人たちはでも、一般の庶民の方は診察しないんですよね。
いわゆる上流階級の貴族とか、王族とかっていう方への治療を提供してて、
一般の方にはあんまり提供しないと。
一般の方が主に関わるのは下科医って言われてる方とか、
薬剤師って言われてる方だったんですよね。
その人らは大学には行かずに、師匠から教えてもらって、
世間で医療を行ってるっていう人たちがあったってことで。
職人さんみたいでしたもんね。
ラマッチーニはこの大学卒の内科医だったんですよね。
イタリアのモデナっていう北部の町でお医者さんをしていて、
そこで大学を作ることになって、教授にもなったという人なんですけれど、
主にこの人らもモデナの町の、そこにも宮殿もあったらしいので、
上流階級の人たちを主に診察するというのが、メインの仕事だったんですけど、
この人はなぜか、庶民の方、働く人も診察するようになったって言われてて。
自分の自宅の便装?お手洗い?
お手洗い?
お手洗いを掃除する作業員を見てたと、ラッチーニはね。
ほんだら、この作業員っていうのは急いで仕事を終えたというか、
あんまり長いお出入りがあったわけね。便装を掃除するのに、めっちゃ急いでてやったと。
なんでそんなに急いで、すぐここを立ち去ろうとするんだってことを聞いたら、
この作業員は、便装の中に長くいると目がひどく痛んで、視力を損なうことがあるからだって言ったと。
アンモニアとか、そういう化学物質の影響でいろんな障害が出るっていうことが、長年わかってたんやね、その作業員の方は。
じゃあ、この職業によって病気がなるんと違うかということを、ラッチーニはそこで気づいたと言われています。
彼はですね、ただ診察室で患者さんを待つんじゃなくて、実際に作業場所に入っていろんなことを調べたと。
いろんな職場では、いろんな病気があるんと違うだろうかと。
いろんな匂いとか、粉塵とかがあったりとか、あるいは特別な姿勢をずっとし続けるから、
筋肉とか骨とかを痛めるんと違うかとか、長いことそんな姿勢をとっているんと違うだろうかとか、
同じ仕事の仲間に同じような症状がないか、みたいなことを書いたわけですね。
で、調べて判明していたってことですわ。
例えば鉱山で働く人っていうのは、咳とか呼吸困難が多いよとか、陶器を作る人とか画家とかっていうのは、
鉛を使っていることが多いので、腹痛があったり、麻痺があったり、神経症状があるよっていうことをわかったりとか。
あるいは、金属加工、錬金職人の方とか、鏡を作っている職人の方っていうのは、水銀を使っているので、
手を震えたりとか、口の症状が出たりとか、神経障害があるよっていうことを見つけたわけですよ。
だから、彼の時代では、その原因が水銀だっていうことはわからなかったんやけれども、
だけれども、この仕事をする人にはこんな病気が多いっていうことがわかったって言われてて。
なるほど、症状が一緒ってことよね。
そうなんですね。だから、この仕事をする人にはこんな病気が多いよっていうことを見つけて、
じゃあ、こういう病気が出ないように治療とかしなあかんよねみたいなことを、
マラッジーには考えて書いたっていうことですね。
だから、この職業病っていうのがあるっていうことを見つけて、
それを治療しないといけないよっていうことを言ったという時代の方です。
それで本にして、お医者さんはその後、こういう本を勉強しながら、
産業医学の基礎を学んでいったってことになるわけですね。
これが18世紀の時代ですよ。
サックラーと工場環境の改善
次は、この病気を見つけて治すっていうことだけじゃなくて、
病気を予防するためにはどうしましょうっていうことを考えた人がいてるんですよね。
それが、そこから100年ぐらい後の人です。
チャールズ・ターラー・サックラーさんっていうイギリスの先生ですけどもね。
この方が1831年に本を刊行します。
いろんな職業が健康と治病に大きな影響がありますよっていうことを書いて、
単にこの職業病のことを記載するんじゃなくて、
職場環境を改善することが大切ですよっていうことを言い出したんですね。
なるほど。
言われてみれば当然ですけどね。環境のせいでなってるんだから、環境を変えればいいやんっていうことだと思うんですけど。
この時代はですね、この時代はその時代の切迫した理由があったわけですよ。
何かっていうと、この1831年とか1800年代の始めっていうのは、
さっきのこのルイ14世の時代から130年ぐらい経ってるんですけど、
フランス革命の、初めのマリアント・アネットが殺されたフランス革命じゃなくて、
そっから3、40年経ってですね、もう一回フランス革命の7月革命っていうのが起こるんですけど、
だいたいそれぐらいの時代で、産業革命っていうのがイギリスでは没効して、
どんどん境になっている頃なんですよね。
イギリスではですね、すごく工場がどんどん作られてて、工場労働で働く人がめっちゃ増えてたわけですよ。
それで、イギリスの産業にフランスが負けて、
フランスが不景気になって、フランス革命が起こるっていうことになるみたいなんですけど、
そのイギリス側ですよ。国全体としては産業が起こって、工業製品をいっぱい作って儲かってはおるんだが、
中で働く人たちっていうのは、すごい過酷な状況で働いてたわけなんですよね。
なるほど。
全然その工場とかの環境とかっていうのは誰も考えてなかったし、
資本家は金儲けのためだけに工場をどんどん作って、
職がなくなった農民の方っていうのは都市に来て、
雇われて働いてたけれども、それの環境がいまいちだったっていうことだよね。
ちょうどその時代に、このサックラーは医者として勤務してたってことなんですね。
サックラーはですね、1795年にリーズっていうイングランド北部のヨークシャ地方の町に生まれました。
このリーズっていうのは、古くから木織物業で栄えた町だったんだって。
どんどんこの頃っていうのは工業都市に変貌していました。
サックラーが生まれた小さい頃っていうのは、まだ町がですね、のどかだったんですけれども、
どんどん大人になってくるにしたがって、煙突とか工場とか過密的な住宅だったりとか、
県ぶりに覆われた町に変わっていったっていうのを、サックラーは体験して見てたわけだよね。
サックラーさんはですね、16歳の頃に下界県薬剤師のブルックさんっていう、いわゆる職人としてのお医者さんの弟子になります。
この人は、この下界県薬剤師の方の弟子になったわけですよ。
大学には行ってないわけだよね。
16歳の頃に弟子入りして、そこでリーズの町で弟子業を続けていくわけなんですけれども、その中で、きっと優秀だったんでしょうね。
ロンドンに出て、解剖学とか外科学とか臨床医学を学んで、学位を取るんですよ。
大学で?
大学じゃなくて、ガイズ病院っていう大学附属の病院に行って、そこで外科医師界の資格を取得して、またリーズに戻るっていう感じです。
わりと弟子入り系のお医者さんの中では、結構上の方に行ったんよね。
ちゃんとした国の資格を取ったっていうことで。
この時代は、みんながみんなこの資格を取ったお医者さんばっかりじゃなかったので。
だけど、結局22歳の頃にはまたリーズに戻って、貧困層の方とかを診察してたみたいですね。
外科医研薬剤師として勤務してたりとか。
その中でも自治体とか給品制度に関係する外科医が出たっていうことなので。
自治体とかが貧しい人とか困った人たちを処遇する施設みたいなのを作ってたと思うので、そこの外科医として活躍してたっていうことなんですよ。
工場労働者とか貧困家庭の中とか病気とか不省で動けなかった人々を数多く診察して、
同じ工場とか同じ職種の人たちが同じような脊とか衰弱するよね、体が変形してるよね、消化器症状似てるよねっていうことに気づいて、
これもやっぱり職業病だなっていうことを治療している中で、36歳の時に本を発行します。
リーズで働く人たちの病気を出したりとか寿命を縮めたりとかってするのは、
工場の環境に原因があるんですよっていうことを書いた本を発行するわけですね。
例えば繊維業っていうのはイギリスのリーズでは有名だったみたいなんですけれども、
糞人とか高温とか湿度とか長時間労働することでいろんな病気になったりとか、
炭鉱で働く人っていうのはやっぱり糞人とか事故とか死生とかでいろんな病気になったりっていうことを発見して言うということですね。
100を超える職業とか職種で問題点を指摘したと言われています。
すごい細かく。
細かくですね。
この人は学校も作ったらしいです。
この人自身が作ったっていうか、この人が担がれてみたいですけれども、リーズの町で医学の学校も作ったみたいですね。
だから本も書くし、実際診察もするし、教育を行うしっていう、できた人なんですよね。
サックラーがこの本を出した翌年か、翌々年か、2年後ですよ。
イギリスで工場法っていう法律が成立します。
これは労働の中では、労働環境を改善する上では画期的というか初めての法律で、
主に工場で子どもを働かせたらいけないとか、労働時間を決めましょうとか、
工場を管理する監督官っていうのをちゃんと設置して、無闇に働きさせないようにしないといけないよみたいなことを法律で決めるということなんですけれど、
これにも関わったというか、これが成立するのにこのサックラーの本とかも結構役立ったと言われています。
すごいですね。現代に通じる話ですね。
そうなんですよね。という方がいてて、ただこのサックラーさんはですね、そこから5年後か、
肺疾患、たぶん肺結核と言われているんですけれども、結構早めに亡くなっちゃって、
38歳で亡くなったって言われています。
今に残っている名前と業績の方なんですけれども、こんなに早く亡くなっているんだなということがでしたね。
労働者の健康を社会で守る流れ
産業革命が起こっている頃と、若干遅くやけれども、産業保険というのも進展したということになりますね。
だからこの労働者の病気というのも、個人の体質とか不摂生とか不運だったねということだけじゃなくて、
その方が働いている工場の構造とか空気とか、いろんな環境によって起こるんだから、
これは社会の問題ですよということを国もちょっと考え始めたということですよね。
社会としてもそうだなということで、やっぱり産業として、ただ金儲けと物品を尽きるというだけじゃなくて、
そこで働く人たちの健康も守らないといけないよねっていう認識が芽生えてきたということですね。
なるほど。
これが1800年代の半ばぐらいの話です。
今から言うと当然かなというか、みんなそうですよねっていうことなんですけど、この当時っていうのはこんなんやったってことですね。
これを制度にするのって大変だったでしょうね。
大変だったと思いますね。
つまりこれは、すごいつらい人がたくさんいてたんだということだと思いますよ。
そういうことだね。
ただただ人の善意でこんなふうができたんじゃなくて、これは困ってるぞ、どうにかしないといけないという人が結構束となっていてたと思うので、
それで社会が動いたっていうことなんやろうね。
その中の一人がこのサクラやったと思うし、もちろんこの人だけのことではなくて、多くの人たちが考えたことだろうなと思うんですけど。
まあでもこの問題って本当に社会を動かすことになるんかなと思うんですけど。
なるね。
大きな話で言うたら、よくわかんないけど、例えば資音主義のことですやんか。
この時代の資音主義がやりすぎというか、とんでもなく過酷だったので、共産主義っていうのが出てくるんかなと思うんですよ。
だから資音家のことだけで考えているようじゃ、もっと自民は不幸になってくるからということで、共産主義というのが出てきて、
そこから100年くらいこの2つの陣営は争うわけじゃないですか。考え方、どっちが正しいだどうだみたいなことを言うて。
共産主義というのは今の人類には合わんかったなということには、冷静な時代にはなるんだがっていう話ですよね。
例えばそういう大きな話にもなってくるし、そこまでいかなくてもこの産業の中でも、
やっぱり労働者っていうのは守らないといけないよねっていうのが、ここからゆっくり座ってくるんかなと思うんですけどね。
もう一段階進むことになるんですね。
これが徐々に進むので、誰がどうっていうことが言いにくいんですけど、
だいたい1950年くらいにILOっていう国際労働機関、国連の株組織があるんですけれども、
それとWHOっていうやつがあるじゃないですか。世界保険機構かな。
これによる産業保険っていうのをこうせないといけないよっていうことを決めたのが出るんですよ。
第一次合同委員会っていうのが1950年に出て、産業保険っていうのはこんなことをしないといけないですよっていうことを定義しますが、
それが一つの節目かなと思うんですけど、
これはですね、先ほどまで言ってたのは病気を治療して予防しましょうっていうことに加えて、
より労働者の健康を高い水準に保つために健康障害を予防することが必要ですよ。
予防をもっと起こる前にいろんなことを考えていきましょうっていうことを言って、
労働者の健康に適した仕事に配置しないといけないし、精神的な問題ですね。
人間として仕事に適応したものを与えないとダメですよっていうことを言い出したってことですね。
単にこの健康っていうことだけじゃなくて、
もうちょっとより高い健康を労働者に与えた方がいいですよっていうことを産業として考えていきましょうっていうことを提言するんですね。
そういったことで、産業医っていうのも企業はお金あげませんよっていうことを言い出しました。
これ1950年ぐらいですけれども、1950年っていうのは第二次大戦が終わって、
それこそ冷戦真田中の頃ですね、朝鮮戦争とかが起こってる頃ですよ。
日本ではまだ戦後5年ぐらい経って、混乱してる時期ではあるけれども、徐々に立ち直ってきつつある時代なんですけれども、
この時代に世界ではですね、労働者の健康をより注目していきましょうっていう動きになってくることです。
過労死とメンタルヘルス
ここから戦後の産業保険っていうのは大事ですよねっていうことになってて、
環境とか金属の化学物質とか騒音とか、そういう外部的なものだけじゃなくて、
労働環境の例えばパワハラとか、そういったものにも精神保険の方にも気持ちを向けていかないといけないですよね。
過労死だったりとか、メンタルヘルスだったりとか、生活習慣病だったりとか、
っていうことにも産業保険として気持ちを向けていきましょうっていう方向に戦後になってきます。
1980年代以降っていうのは割と生活習慣病とか過労死とかメンタルヘルスの話っていうのが産業保険では中心になってくると言われてますね。
最近の産業保険で言うと、もともとの職業病っていう問題もそうなんですけれども、
プラスこのメンタルヘルスの問題とか過労死の問題とか、こっちの方が割と中心になってきてるかもしれないね。
そうですよね。メンタルヘルスですよね。
なんかね、僕らはそっちの方でやってるから感じるところですね。
もちろん今もね、この労働環境の問題っていうのは馬鹿にはできないし、まだ問題になっていることはあるかと思うんやけれども、
それに加えてこのメンタルヘルスの問題っていうのは結構大きいなってますよね。
日々僕が海外で診察してて、この仕事をする中でおそらくなって、鬱病だったりとか適応障害だったりとかで、
休まざるを得ないっていう方も結構いてますね。
多いでしょうね。
非常に日常茶飯事というか、多くなってるなっていうところですね。
特に私が開業してるのはこの駅前とかで、割と県庁室は市の町やから、そういうところで働いてる方が多いので、
大きな企業とか地下企業もそうですけれども、みんな職場でお困りになって、メンタル的に病まれてっていう方が多いですね。
特別、会社の環境が悪いとかじゃないでしょう?
働いてる人は、実際の工場で働いてらっしゃる方もたくさんいるし、危険な仕事をしてる方もあって、
産業医と主治医の役割の違い
そこで困ったりとかしんどいとかっていう人ももちろんあるし、
僕は精神科やから余計にそうかもしれないけど、やっぱり圧倒的にこの職場の人間関係で困ってる人が多いね。
そこですね。
そこの問題はずっとあって、どうしたもんかなっていうところですよね。
これ難しいですよね。会社に問題がある会社なのか、会社の人間関係ってイコール会社なのかっていうのもあるし、難しいところですよね。
どうしたらいいんだろうっていう。
そうですよ、ほんとに。
オタクの人間関係悪いから何とかしてって言えませんしね。
会社も人間関係も含めての仕事というか人間関係なので、そこをどうするって本当に難しいところですよね。
ただ、その難しい立場が誰なのかっていう問題があるんですけど、誰の立場で難しいと言うてるんやっていうことになるんですけれどね。
確かに確かに。
これね、例えば産業医っていうのは企業の中にいらっしゃる医者なんですけど、企業の中の産業保険を担っている立場なんですけどね。
産業医っていうのは会社の側に立ってると言えば立ってるわけなんですよ。会社の産業保険を取りしきる責任者の一人ということになってるんですけど、基本会社の側なんですよね。
まあ、医者とは言え。
もちろん、医者としての働きはするけれどもということですよ。
会業医とか僕らみたいな主治医っていうのは、その方の主治医なわけなので。
本人さんのね。
まあ、会社のことは知っちゃこっちゃないんですよ。
会社も含めてその方のことであったらそこも考えなきゃいけない。
基本はやっぱり、メインはその患者さんをどんなふうに良くするか、どういうふうに良くしていくかっていうことを僕は中心に考えるという立場なんですよね。
もうちょっと言うと、例えば会社とその方とが争う場合、僕は弁護士なわけですよ。
その患者さん側の主治医なわけなので。
患者さんがどんなふうに言うてて、でもそこの真実っていうのはどこにあるのかなっていうのはもちろん見ないといけないけれども、基本患者さんを良くするという側なんですよね。
産業医っていうのは会社全体を見ているわけですよね。
全てが会社の側に立っているわけじゃもちろんないんやけれども、とはいえ労働者にぺったりというわけでもないという、そんなような判断が求められる立場なので、そういう役割分担があるわけですよね。
なるほどです。
経営者・管理職・現場の意識差
経営者っていう立場もあるわけじゃないですか。
どういう経営者かっていうのはそれぞれだとは思うんですけど、基本福祉じゃないじゃないですか。
そうですね。
働く人の福利構成もそれは担うけど、それがメインじゃないんじゃない。
そうです。
利益を追求してるっていうのが経営者なので、そこのバランスとどういうふうに考えるかっていうのが経営者だから、基本やっぱり同じ見線にはならんっていうのが普通っちゃ普通なのよね。
そうですよね。
幸運な場合っていうのは、みんな同じ視線を見ることにはなろうかと思うんだけど、幸運なことってそんなにいつもいつも起こるわけじゃないので、そこをどう考えていくかっていうことになるんやね。
難しいことっていうのがある労働者の方がご病気になるということが起こったときに、それを起こらんようにあるいは今後どうしていくんだっていうことをそれぞれの立場で考えていけないといけないってことになるんやね。
そうですね。
今までのこの歴史を見ると、基本やっぱり働く人の権利というか福祉を改善していくということが、一番大局におる経営者の側としてもバランスだということで、それをしっかり守らないとダメですよっていうふうに社会は流れてきているということには違いはないんやけれどもっていうことだよね。
そこをどこまでどう考えていくかっていうことになると思うんやけどね。
経営者によりますよね、考え方はね。
いろいろすごくあって、そのコンプライアンスの話っていうのがあるんじゃないですか。
ありますね。
特に大企業とかだと、世界水準のことが求められるので、すごくその辺の意識っていうのを高めておかないとというところとね、それになかなか中の人が追いつけないっていう問題があったりとか。
まずトップの意識とまたその中間層の管理する方の意識っていうのは同じ度限らないしね、現場のね。
そうそう、全然違うじゃない。
そういう問題ってあるよね、特にこう中小企業と大企業っていうのは本当に違うところがあるから。
続きは次回お送りします。
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