1. ホイクベースラジオ
  2. #59 職業病から見える世界〜保..
2025-07-23 35:44

#59 職業病から見える世界〜保育・IT・クリエイティブの現場から〜

現役保育園看護師のチロ先生と高校の同級生たちによる保育の情報ラジオ「ホイクベースラジオ」。

今回のテーマは「職業病」。IT業界で働く木曽さんと川地さん、そして保育園看護師のチロ先生が、それぞれの職業ならではの「ものの見方」について語ります。

ウェブサービスの裏側が気になってしまうIT業界の職業病、子どもの安全性を瞬時に判断してしまう保育現場の視点、そして保育の価値観の違いに敏感になってしまう保育園看護師ならではの悩みなど、職業によって変わる世界の見え方について深掘りしていきます。

職業病は単なる「病」ではなく、その道のプロフェッショナルが持つ独自の視点。みんな違った視点で世界を見ているからこそ、世界は面白いのかもしれません。

▼「ホイクベース」ダウンロードはこちらiOS版⁠⁠https://apps.apple.com/jp/app/%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9/id6503190795⁠⁠

Android版⁠⁠https://play.google.com/store/apps/details?id=com.hoikubase&hl=ja⁠⁠

▼ラジオの感想、質問などは以下フォームよりお送りください。⁠⁠https://forms.gle/99JjK5eacPnjN7YAA⁠⁠

BGM : MusMus

サマリー

このエピソードでは、保育士や保育園看護師の職業病について語られています。特に、仕事の環境や業界特有の視点が職業病に与える影響に焦点が当てられています。また、ITやクリエイティブな職業に従事する人々の視点や体験も共有され、現代社会における労働環境の変化が論じられています。保育士や保護者の職業病についても触れ、子供の安全に対する視点がどのように影響するかを探ります。さらに、保育現場における価値判断や人間関係の複雑さも取り上げられています。保育、IT、クリエイティブな職業に見られる職業病について議論が行われ、その影響や評価システムの課題が指摘されています。特に、保育の現場におけるフィードバックの不足が、保育者の自己認識や質の向上を妨げていることが強調されています。このエピソードは、保育やIT、クリエイティブ業界における職業病の影響をさまざまな視点から考察しています。

職業病の定義とその影響
こんにちは、保育園看護師のチロ先生こと佐藤です。 新規事業の力で日本を開国せんとす合同会社黒船の基礎です。
同じく、黒船の河地です。 僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうと日々頑張っております。
このラジオでは、現役保育園看護師である僕、チロ先生と、保育の業界は未経験ですけど、いろいろとIT関連で頑張っているお二人とで、
さまざまなテーマについて語りながら、保育や保育園看護の面白さを発信していけたら良いなぁと思って、なんやかんや続けているラジオです。
はい。というわけで、お願いします。お題を。
今回のテーマはですね、職業病についていろいろおのおの話をしていきたいな。特に保育士さんの話もしたいが、僕らの話もしつつできればなと思っております。
そうだね。チロに関しては保育士的な職業病と看護師的な職業病が若干軸違ってありそうだよね。
保育園看護師という病についてじゃあ。そうすると闇界になっちゃうから。話していけたらいいなと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まずそもそも職業病でいうと、僕と木曽くんの方からタラッと言うと、木曽さんは何かありますか?職業病だなぁ、職業からこういうのあるなぁ。
そうだね。何が職業かわからないけど、やっぱりウェブサービスとかを使うときとかアプリとかを使うときにどう作ってるかとかめちゃくちゃ気になるかな。
それは思ったことないな。
在宅勤務の課題
正しい職業病だよね。
確かに確かに。
僕、結婚式を昔やったときにお二人にも来ていただいたと思うんだけど、結婚式の席地とかメッセージとか全部ウェブサービス、ウェブクラウドから見れるみたいなのを使ってたんですよね、そういうウェブサービス。
そうだったね。
で、視聴者さんには覚えてないなっていうのは。
いや、あれだね、なんか読み込んだ記憶があった。
QRで読み込むと見れてるみたいな。
俺あの引き出物がさ、QRのなんかパスワードなくしてもらえなかったんだよね。
まあまあ君が悪いんだけど。
自分の管理不足なんだけど。
で、それをやってるときに、僕の席、僕、新郎側の席の会社の偉い人たち、社長を人に、偉めの人たちの席は全員、そのサイトを見て、これUIどうなんだろうねとか、
これURLにカーデさんのメールアドレス入っちゃってるけど、これで識別してんだとか、大丈夫なのかな。
ああ、なるほどね。
人間とスマホ見ながら人の結婚式のサイトをやってて。
そんなこと話したと。
それは職業病やな、確かに。
僕の質問してるんですけど、配偶者の奥さんの方は結構明るい職場の人たちが多いので、ワイワイワイ。
その損してる中、僕の席を見ると、一番新郎に近い人たちは黙々とスマホ見てて、全員。
なるほどね。
背景がすごい。
確かにウェブサービスを作る側の人たちの職業病かもしれない。
見ちゃうね。
逆にカウジさんはどうなんすか?
職業柄っていうよりは仕事の働き方柄っていうふうに聞いてる。
基本僕在宅勤務なんすね、フルで。
はいはいはい。
もうオフィスに行くことがほとんどないので。
もう家から一歩も出ませんみたいな。
それももう最近はネットで、ネットスーパーで買い物してるので、
もう1週間とか2週間とか、そういや一歩も出てねえなみたいなことが多いので。
まあわかるな。
すごい。
すごく健康を害しているなという感覚はありますね。
それ職業による病じゃない?
そうだね。
そうだね。
職業による病ですね。
本当にそうなるんだね。
いや、ほんと出なくなるね。
逆にたまに出るとすごく疲れるようになります。
なんか現代社会の抱える新たな病ですよね。
病。
現代病ですね。
なんか免疫力が低下してる感じがする。
人の圧に対してさ。
ちょっと職業病とは違うかもしれない。
そうそうそう、職業病とは違う。
職業病とは違いますね。
保育士の視点から見る子どもたち
っていうのとか、あとはやっぱり、
映像を作ったりラジオを作ったりするのがあるので、
素顔に楽しむっていうよりどういう狙いで作ったんだろうみたいなのを見ちゃうとか、
何をテーマにこの編集をしたんだろうとかで見ちゃうとかはある。
なるほどね。
さっきのウェブサービスじゃないけど、
カットがあることによる目線で見ちゃうので素直に楽しめないとかは。
なるほどね。
それ映画とかでもそうだよね。
そうなんだ。
なんかこのカットにはこういう狙いがあって、
ここが伏線でみたいなのをめちゃめちゃ考えながら見ちゃうみたいな感じ?
編集の繋ぎ方とか。
へー、面白いね。
ウェブサービスもそうだけど、
そういうフィギュアが売れるものの裏っかを考えちゃう。
やばいだよな。
でも、そうは言っても特に実害はないと言えば実害はない。
実害はない。
シンプルに楽しめなくなるぐらいだよね。
そっかそっか。
ちょっと感動の位置が上がっちゃうというか。
そうそう。
1回ちょっとだからできるだけ映像作品とかは脳死で見るようにしてて。
あーなるほどね。
そうそう。
で、2回目以降見るときはちょっとそういう観点で見ようみたいな感じにしてる。
なるほどなるほど。
面白いね。
そうなんだ。
IT観点の人はそうなんだね。
そうね。
なんかシステム作りとかコンテンツ作りみたいなのやってると、
多分そういうところに目が行きがちになっちゃうっていう。
そうですね。
よくある通説としてやっぱクリエイターほどそういう人のクリエイティブを素直に楽しめなくなるみたいなのもあるし。
あとはそのギャグ漫画家さんとかはもう面白いことを出すっていうのに集中しすぎて、
面白いが何なのか分かんなくなって、
心を破るみたいなのが起こりやすいみたいな。
なんだろう、やっぱ面白いね。
そのギャグ漫画家さんも面白さに1個さらに制作が乗っかってくるもんだから、
普通の芸人さんよりなんか二重三重にちょっとこう秘めるものがあるんでしょうかね。
まあ確かに。
芸人さんもあるかもしれないですけどね。
そうだね。
何で伝えるか。
確かに。
漫画家さんの場合多くはその、個人だからさ。
編集さんと壁打ちしたりとかはあるけど、ネタを出すのは自分一人で。
あ、そっかそっか。
漫才とかだと二人とかいたりするよね。
そうだね。
いろいろ病はありますが、この白先生の。
そうだね、保育士や保育園看護師の職業病。
そうだね、でも何かろうな、職業病と言えるのかどうかわからないけど、
僕は保育園看護師として働いてる中で、
すごい思うのは、
あいつ全然ちゃんと手洗ってねえなとかはやっぱりちょっとも気になる。
衛生関係か。
なるほどね。
でもコロナ禍でだいぶ解消されたんで、
僕も別にそんなに真面目なタイプではないので、
別にちゃちゃっと洗っててもいいとは思うんだけど、
いざ本当に必要な場面というか、
ここは落としちゃダメだろうみたいな衛生的な基準が、
多分一般的な人たちよりも高くて、
ちょっとその手で触った食材でやられるのやだなとか思っちゃう。
でも確かにそれは看護師的な職業病なとこありそうだね、衛生関連という意味で。
僕がまたやってきた皿洗いの、
厨房業務の厨房の目線かもしれないけど。
衛生を気にしなきゃいけない環境とか、
そもそも気にするっていう考えがある時点で、
やっぱり看護的な視点な気がするね、それは。
かなだし、もっと保育士寄りな目線で言うと、
行き交う子どもたち、街中で会う子どもたち、
スーパーで走ってる子どもたちと、
親の関係とかをすごくじっくり見ちゃうとかね。
例えばどういう感じなの?
怒ってるときに、すごく感情的に怒ってしまっているな、みたいなのを。
子どもの叱り方の話か。
そう感じたり、
それはお父さんの接し方がちょっと今のはまずかっただろうな。
でもあの子今これやりたいんだよな、そんなとこでこんな言い方したら、
それはそうなるよね、泣くよね、みたいなのを、
なんとなく気になっちゃうとかはあるかな。
あとは、ある種、子どもという存在に対してすごく当たり前にかわいいし、
その一人の人として、
自分とそんなに差がないと言うと変な言い方だけど、
人としては同等じゃないですか。
命としてはってことでしょ?
そうそう、歳をとってるだけ。
あの子たちは発達の途中にあるんだっていうところの差しかないので、
なんかすごくフラップなのよね、感覚的に。
赤ん坊さんがいらっしゃっても。
かわいいし、かわいいなって思うんだけど、
すごく子ども扱いをしてるっていう気ではなくて、僕的にはね。
それに対して、子どもだからみたいな感じで関わっている大人を見ると、
なんかちょっともやっとしたりはするかもしれない。
子どもだからっていうのでか。
ちょっと感覚が難しいんだけど、
もちろん子どもだから伝える言葉を変えてとか、
わかりやすくしてとか、いろいろテクニックというか、
保育の中で自然とやってるような関わりがあるんだけど、
それを街中に出て、保育士風なお母さんというか、
すごく子どもに優しく語りかけてるようで、
実は全然大人の意見を押しつけてるだけみたいな。
気づいちゃうんだ。
一見すると、すごくあのお母さんすごく子どもに優しそうみたいに、
表現としては見えるんだけど、
なんかその裏側がちょっと見えてしまうというと、
聞こえが悪いけど、そういうとこを感じてしまって、
これから先子どもがもっと大きくなって、
それこそPTAなの?なんだの?っていろんな関わりが出てくると、
ちょっと疲れるだろうなって思う。
何だろう。
変に見えちゃうというか。
わかんないけど、
何て言えばいいんだろうな。
子育て経験の影響
お母さんを手伝ってて偉いねーとか?
でもそういうのあんのかな。
偉いは偉いんだけど、
すごいこう、諸説あり賛否両論ありで全然いいので、
あれなんですけど、
自分の子育て経験は基本的にはないじゃない?
一般的な人は。
自分の子どもに対して聞いたことが、
全ての子どもに対して聞くと思う傾向にあると思う。
なるほどね。
それをすごく影響力のある、
ちょっと表現が多彩なタイプの親御さんだと、
別に全然悪気はないと思う。
全く悪気なく、
え、でもこういう風にしたらいいじゃない?みたいなのを言う傾向にあると思うんですよ。
なるほど。
それがすごくおこがましく思えるというか。
関われば関わるほど、本当にケースバイケースだから、
絶対これがいいわけではないし、
A君には良かったけどB君にはまるで逆効果だったみたいなこともあるわけで、
そうすると安易に助言できなくなってくるというか。
なるほどね。
影響ベースのはそうだよね、大変だよねぐらいのところまでしか、
なかなか言えなくなってくる市があるんだけど。
なるほどね。
わりとずけずけとと言うと、
なんか言い方悪いけど、
アベントに表現を。
安易な一般化に対する抵抗感みたいな。
そうそうそうそう。
まぁまぁまぁまぁ、
まぁわかる?そういうケースもあるよね。
って思っちゃうというか。
確かにね。
男の子なんだから運動した方がいいわよとか、
分かんないけど、
そういう、
これぐらいの時はこうしてたよみたいなものの一般化が強すぎると、
そうそうそう。
そうなの?そうなの?
より多くの、もっと多くの子供を見てる人間からすると、
うん、なんかちょっと引っかかるんだよな。
なんだろうね、別に間違ったこと言われてるわけじゃないけど。
うんうん。
そこあれだよね。
引っかかるの。
なんか難しいよね、と思うのはさ、
俺とかケータのさっきの宿業病のところって、
勝手に俺らがそういう風に見ちゃうよねっていう話で。
あとそもそもだいたい対象が作品というか、
そういう風に発表される、見られる前提のものだからいいとしてさ、
その保育における職業病的なところって、
ある種のその価値判断みたいなのが入るわけですよ。
家庭ごとの。
そうだね。
そうそうそう。
だからなんかそれを見て、
うーんって思ってると、
すごい疲れる。
そうだなと思って。
そうなんだよね。
でも最終的にまあ人質それぞれだしなみたいな感じで、
自分としては着地するんだけど、
それがこうなんか自分の保育官とずれたりすると、
私が大事にしてることと違うわってなった時に、
ちょっとその親同士の関係がちょっとこじれたりとか。
そうだね。
そこはもう価値観の戦いになるわけだもんね。
職業病と安全観察
そうそうそう。
で、なってしまいそうな気がして怖いな。
確かに。
これもまた保育の歴がまたね、
増えれば増えるほどもっとマイルドになったり、
逆にそれも含めて全部楽しいじゃんみたいに思えたりするのかもしれないけど、
僕ぐらいの経験で、
かつ、たっつり保育士というよりは保育員・保護士という、
なんか中途半端な立ち位置なので、
なんかまた見え方も違うと思うんだけど、
そして男性だからっていうのももしかしたらあるのかもしれないけど。
確かにね。
そういうのはすごい思うかな。
あとあれだ。
しろが前にさ、言ってた話の中で、
なんかどっか新しい場所に、
これはだから保育士なのか保護者なのか、
保護者は職業病というのもあれだけどさ、
ならではの観点だなと思ったのは、
どっか新しい場所に行った時に子供を連れて、
危険な場所がないかをまず見ちゃう。
はいはいはい。
もうね、すぐわかる。
それは全く自分にはない観点だったから、
すごい印象に残ってるね。
すごい、そうだね。
それ確かに職業病と言えば職業病かもね。
いつ、この空間でどこで子供が怪我しうるかを、
割と瞬時にわかる気がする。
ね、それちょっとびっくりしたわ。
なんかそういう風に見たことなかったから。
あ、だからそう、環境をそういう風に子供の目線というか、
子供の視点で常に捉えようとしているかもしれないね。
あの角っこ怖いなとか、あそこ落ちたら骨折るなとか、
ああ、あの隙間嫌だなとか。
で、やっぱり打ち届いてる空間って、
いや、それこそディズニーとかって、
対象者が大人から子供まで圧力、幅広くあるじゃん。
いや、やっぱすごいなって。
あ、そうなんだ。
ホスピタリティという言葉では片付けられない理論と経験と、
設計されているその、
怪我と学びの重要性
ホスピタリティの具現化みたいなところが、
ほんと痒いところに手が届くというか。
そうなの、ディズニーって子供目線で見ても、
結構危険な場所が少ないって感じなんだ、やっぱり。
うん、少ない、全然少ないと思う。
えー、面白い、それは。
その辺はやっぱ子供向けの施設であればあるほど、
そういった危険とかっていうのはもちろん、
考えられた上で設計されてるから、
全く持ってないんだけど。
なるほどね。
持ってないというか、うん、そうそうそう。
今聞いてて、
これ今回のこの本編とあんまり関係ないんだけど、
なんかさ、子供が怪我をしやすいとか怪我をしうるとか、
危険な場所っていう話が今出てちょっと思い出したんだけど、
今度のラジオ収録のテーマとしても
ありかなと思ったのはさ、
公園の遊具とかがなくなってて、
子供が怪我をする経験とか機械っていうのが
そもそも減ってることはどうなんだろうかっていう。
ほんとだよね。
それなりにさ、怪我をして学んできた部分も
自分たちがあるからさ、
ただしそれは、その時代だからそれが良かったけど、
今はもっとこう、
ね、やっぱ安全な中で生きていくってことが大事なんだよっていう話なのか、
やっぱり一定怪我を、こうしたら怪我をするっていう
体の使い方を学ぶとかさ、
なんかそういった観点では
なんかある程度の重要性もありそうだなと思いつつ。
これはね、
沼ですよ。
保育現場からすると沼の荷台ですごくやりがいがあるから
来週それにしましょうじゃん。
そうだよね。
なんか深掘れそうなテーマかなってちょっと思った。
ほんと。
でも職業病的といえば確か僕としてはそんなようなことがある。
環境をそういう目線で見ちゃう。
環境を目線で見て、こんな怪我が予測されて、
それに対してこんな処置が今ならできるんだみたいなのを
ぱっと思い浮かぶ。
処置まで行くのはやっぱ保育園看護師だね。
ね。
思っちゃうな。
その目線では見ないな。
面白いな。
でもやっぱ、なんか、
職業病ってやっぱ自分の経験値が深いことで
内臓度が上がる領域に対して認知が変わるみたいな。
そうだね。
だし、認知上がるしやっぱりそこのバイアスをかけてみちゃうよね。
そうなんだよね。
フラットじゃなくて。
そうそうそうそう。
だから、全然そんなつもりない。
本当悪気なくただ自分の経験をみんなにも
もっと頑張ってほしいとか、なくなってほしいみたいな感じで
しているアドバイスに対してすごくうがった見方をしちゃうみたいなのは
基本多分、うがった見方になるよね。
物事に対して、職業病に対して。
ある種、僕はそれを自分がうがって見方しちゃってるなっていう
自己認知までは達してるからそこから何かトラブルになったりはしないし
自分が必要以上にストレスを感じたりもないからまだいいんだけど
結構周りの保育士さんとか職場の人の話とか聞いてると
ちょっとそういうのから自分がフンフンしちゃって
ちょっとヒラヒラしちゃって、みたいなこともあるから
その辺のやっぱりマネジメントのスキルというか
もう大事だよなとは思うな。
そうだよな。なんか職業病自体は別にさ、何か是でも非でもないというか
配属度上がったらそう見えてくるよねみたいな世界だと思うんだけど
何かそれによってストレスを抱えたりさ
それを指摘する職業的にこういうのが気になったからどうこうって
その首を突っ込むじゃないけどさ
何かそういうことになってくるとまた話変わっちゃいそうだよね。
ある種の余計なお世話というかおせっかいムーブ。
そうそうそうなんだよね。それももう何か口出したくなる。
そうなんだよな。やっぱ自分がちょっとさ
どの領域でもそうだけど詳しくなってくるとさ
何か言いたくなっちゃうんだよね。
言いたくなっちゃう。
いい加減あるというかこれについてこう自分のスタンスが何かしらきっとあるから
何かそれを言っちゃうよねみたいな。
確かにそうだね。ランニングクルーが効果だね。
うん、ランニングクルーが効果とかそうだね。
最初に自信度、経験と自信度みたいな。
うん、証言のグラフ。
経験の割に自信が上がって、その後ちょっと自信が下がって、
で、またちょっとずつ調子は上がっていくみたいな。
その最初の経験したところで全部わかった気になって
いろいろ言いたくなっちゃう。
みたいなのは多分あるよね。
あるね。
めちゃくちゃ典型的によくあるパターンではあるよね、確かに。
そうだね。
保育現場の評価の課題
でもその辺、そこからの深め方というか、
確かに自分ぐらい年齢がある程度加算でくると、
やっぱりすごく子供に対していろいろできるぞって思った時期はもう出して、
何もできねえなみたいなところもある程度出して、
自分なら今これができるなっていうところで
めちゃくちゃ積み上げてる途中に確かにあるなと思うんだけど、
それらを正当に評価するシステムみたいなものも、
やっぱり保育の現場って少ないし、
何だろうな、
もっと職人的な感じの専門職だったり、
それこそ看護師もそうだけど、
ラナーがあるからある程度そういったところも管理した上で
レベルがちゃんと設定されてて、
深めたいならこっち、広くやりたいならこっち、
あなたの今のレベルならこれぐらいまでは任せられるよね、
みたいなのが客観的にわかるから、
なんとなく目標も立てやすいし、
管理もしやすいというか評価もしやすいというか、
割とそれが業界全体でばらつきなくできるんだと思うんだけど、
保育ってやっぱそれがない分、
すごく自信があってできますみたいな感じの自己認知のまま、
でもありかせとそうでもない評価を得ていたり、
逆に周りからも評価されてるし、
そういうふうに思っているんだけど、
実は保育の質的にはなんかちょっと違ったりとか、
やっぱり結構あるんですよね。
コミュニケーションの重要性
保育の質が違うとかも本当にその縁によってさ、
保育の質というものの、
良いとされる保育の質が違いそうだよね。
そうなんだ、それもまた難しくて。
客観的指標がないっていうのと、
フィードバックされる機会が少ないっていうところなのかな。
なんかでもやっぱり保育者、
もうちょっと大きく括ると、
人と対峙してコミュニケーションを取っていく職種、
対人援護職みたいな感じで括れたとすると、
それに対する、何というか、
その実践に対するフィードバックって、
やっぱり記録を取るか、
その実践について話し合うかしか、
ほぼ二択しかないんだけど、
やっぱその記録に起こせるかどうかっていうのは、
その人の、何というか、
お勉強的な要素がすごく強くあるじゃない。
言語化できるかどうか。
割と言語化が得意じゃないタイプ、
だけど人と対峙することはすごく上手にできるタイプの、
人が保育して多いイメージがあるから、
やっぱり話すことでつかまって、
話すことで自分を見つめて、
話すことでそれが次の関わりに生かされていくんだよね。
そう思うと、圧倒的にやっぱり現場で話す時間が足りなすぎて、
話せないがゆえに保育の質も上がっていかないし、
その人もなかなか自分がこう、
何というか、ステップアップしていくっていうのが見えてもこないし、
認知、自己認知もできないし、
みたいな悪循環が結構あるなって今話してると思った。
なるほどね。
やっぱ必要なのは話す時間だよなって、
こないだちょっと管理者と話したときもそんなようなこと言っていたし。
なるほど、話す機会、もっと保育士同士の話す機会を作ろうと。
そうそう、自分の関わりについてもっといろいろ深掘ったり、
客観的に見てみたりとか、
なんかそういう機会が日常的にもっと作ってあげれたらいいなって感じ。
じゃないともうあっという間に過ぎていってしまって、
その一瞬一瞬が。
そうだね、なんか保育の難しいのってやっぱりさ、
積み重なるものっていうのが目に見えないっていうところだよね。
そうだね。
なんかそのウェブもそうだし、作品作りとかもそうだけど、
いわゆるポートフォリオ的なさ、これを作りました、これをやりましたをさ、
わかりやすい形で外部に見せれる、何かが存在してるけどさ、
なんか農産物みたいに私が育てましたみたいなパッケージにできるわけでもないじゃない。
そうだね。
なんかその辺が曖昧だった。
だし、これって実は子育てもそうだなって最近ちょっと思うんだけど、
うちはまだ夫婦とも保育園で働いてるっていうのもあって、
自分の子供に対する思いとか、
いやもう本当今日マジ腹立ったわみたいなところとかも含めて、
お前と話してシェアをして、
なんとなくお互い子供への対し方、配置の仕方だったり、
もうちょっとこういうところで、こういうふうにしてあげないとこの子は感じにくいのかもしれないなみたいな話を自然としてるんだよ。
それって、保育現場で必要としてることとほぼ一緒だなと思うんだけど、
なかなかやっぱりお父さんがね、遅くまでお仕事でいなくて、
お母さんがワンオペで頑張らなきゃいけない時間が長くて、
子供の良し悪しを共有しきれなくて、そこで夫婦にズレが生じてとかも、
あるあるじゃないですか。世の中の話を聞く感じだと。
とか、子育ての実践報告みたいなものを、
なかなか夫婦の会話とか日常の中でするって、
みんなしないと思うんだよね。
する必要があるかどうかは置いといて、
あんまりそういうことを意識的にしている家庭っていうのは多くないのかなという印象があって。
そうだね、特にここはもう本当に家庭それぞれでしかないけど、
保育的観点、子供の発達とかみたいなことを踏まえてのそういう話をするケースはあんま少ないだろうね。
どういう大人になってほしいとかさ、だからこういう習い事させようみたいな、
ぐらいの話は多分してると思うんだけど。
そこが上手く回ってたり、子供がなんだかんだ言っても、
育つからそこまでそういう話し合うみたいな時間が絶対的にないとダメですってわけではないと思うけど、
どこかで親御さんのストレスだったり不安だったり、
本当にこれでいいのかなみたいなところってみんな少なからずあると思うんだよね。
なんかその子育ての実践をこう、ある種振り返ったり相談できたり、
ちょっと捉え方変えて考えてみたりするようなサービスがあればいいのにって今ちょっと思いました。
職業病の影響
サービスもそうだけど、そもそもそういうなんだろうね、自然とそういうことをできてればそれに越したことはない。
そうで、この自治体とかが行政とかがやってる子育て支援とか、
そういったサービスあるにはあるんだよ。何でも話してくださいねみたいな。
それが行き詰まるとどうしたって虐待の案件になっていたりとか、
保育園だったら不適切保育みたいな形で寝ていたりとか、
最終的には子供の不利益にどうしてもなってしまうっていうところで、
早期発見であり早期の介入でありっていうところで、そういった相談サービスってあるんだけど、
おそらく本当にビーチ伝えとこまでには行ってないでしょうし、
なかなか運営も難しいところもあるでしょうし、
なんかもっと気軽にできるものがあればいいのになってちょっと思いました。
職業病の話というよりはもう保育の話に後半だいぶ染まってきた。
本当だね。
それがもう保育の職業病なんじゃない。
それもあるかもしれない。
全てが保育に帰着していくっていう。
これは本当は佐藤の病気ですね。
職業ではなく佐藤個人の病気。
僕の脳みそがそういう回路が出来上がってしまってる。
そうだよな。
人間でも、この職業病もそうだし、今のシロの保育の方に話がやっぱいくよねっていうところだったりとかもそうだけど、
やっぱりそれって職業病っていうものもある種そうだと思うんだけど、
一つのバイアスなんだろうね。
まあそうだよね、そう思うよ。
だって脳神経がそうなんだからしょうがない。
別に偏るのは悪いことではなくてさ、みんな偏るわけじゃん、絶対。
しょうがない。よく使う神経回路が強く太くなるみたいなもんでしょう。
そうそうそう、たぶんそういうことだよね。
物理的にそうなんだから。
強化学習みたいな。
そう、もうだからそうなんだって思ってれば職業病は解決できる。
でも職業病って病ってついてるけど、別に本当に悪いことじゃないからさ、悪いことじゃないしみんな自然とそうなるじゃん、たぶん。
各ジャンルに向いて。
なんかそれがね、行き過ぎてストレスが強いですとかだと、介入の余地あるんだろうけど。
そうだね。
平たくあるあるだよねぐらいで済むなら全然いいよな。
そうだね、でもみんなそういうやっぱりバイアスがあるからあるあるって面白いですな。
確かに。あるあるってバイアスなんだな。
あるあるはバイアスだね。なんか解像度によるバイアス。
面白いな。
なんかTwitterとかさ、旧Twitter、現Xとかもさ、自分はかなりゲームが好きだから、
新作とか出るとやりながら情報集めたりしてその見たりするんだけどさ、
やっぱそこでもそういうそのゲームをやってる人にだけわかる、あるあるネタみたいなものってやっぱり、
その中ではさ、すごい勢いで伝播するわけじゃない。
はいはいはい。
そうそうそう近いというか、やっぱり特定の職業ないし、
同じ、最低限のインプット量というか、その業界なり何かに対する解像度がある人たち同士によるそのコミュニケーションっていうのは、
なんか本当に職業、ある種の裏返すと職業病的なことなんだろうなと思って。
ゲームは別に職業病じゃないんだけどさ、ゲーム作りの方だったのかもしれないけど。
なるほどね。そっかそっか。面白いね。
職業病から世界を見ていくのがなんかちょっと面白いかもしれないね。
バイアスなんだなって今今日話しててちょっと思ったかな。
そうだね。
なるほど。というわけで、職業病についてなんやかんや話してまいりましたが、
はい。
沢地さんどうですか、総括的に何か。
久々だなこのフリ。
途中で俺と高谷さんで沢ちゃんとちょっと話しちゃったんで。
職業病の多様性
まあ途中言ったけど、職業病っていうのはそのバイアスが来てるというか、
バイアスっていうか多分そのポジションを取るみたいなことだとは思ってて。
プロとして働いてる以上何かしらの主義主張みたいなものは、
だいなり正直言われるじゃないですか。
なんかポジショントークだみたいなことをちょっと浪悪的に言ったりすることもありますけど。
そうだね。
基本的にはポジションって仕事をしてればあるので、
そういうものがあって、それがゆえにちょっと認知が変わるんだなっていう職業病が、
皆さんいろいろあるんだなっていうのと、
あとまあ多分、今回話さなかったけど、
肉体的職業病もたくさんあるだろうなと、腰痛いとか。
そうだね、あるわ。
確かにもうそれ職業病じゃなくて職業による病よ本当に。
弊害だよねそれはね。
あるわ、弊害。
保育という職業における弊害は確かにありますね。
視点の違い
そういう話かなと思ったら、ただ認知の方で終わったので、
ちょっとそれはそれで面白かったなと思って。
予想が違う方向に着地したのか。
そうだな、そうだな。
やっぱゼロサイズ保育あるあると言って、やっぱみんな、
お尻痛いし太るっていうのがあるな、動かないから。
あーそうなんだ。
あと途中、年次が重ねば重ねば膝が痛くなるっていうね。
えーから?
えーから来て、腰来て、膝来て、最後膝に来るんですよね、保育って。
そういう分。
そういう分はと思ったのに今回。
これがなかなかね、難しいですね。
ありがとうございます。
高谷さんは何か言い残したことはありませんか?
いやーなんか結構本編で話した気はするから、
本当に職業病ってでもどのジャンルにもあるし、
基本はもうおせっかいというか、
見なくていいところまで見えてしまうというか、
考えてしまうっていうことなんだろうなっていうのはすごい思ったかな。
だから本当になんか人によって見てる世界だいぶ違うんだろうねっていうのが
シンプルにちょっと面白いなと。
確かにね。
そうでも、なんかね、みんな違ってみんないいはそこにありますよね。
みんな違う目線でいろんな視点で見てるからこそ、
世界は楽しんだからいいじゃないですか。
すっごい雑な感じになったね。
割と真理かもしれないんで。
真理はシンプルかもしれないからね。
そうそうそう。
善は一で、一は善です。
すごいな。
この言葉史上一番心こもってない言い方してる。
僕の真理の扉をね、持ってください。
こんな感じでダラダラと話していくラジオでございましたが、
ぜひ皆さん感想や意見、賛否両論ございましたら
GoogleフォームにURLと書いているので、
どんどん送っていただけると嬉しいです。
はい。
というわけで、今回もご清聴ありがとうございました。
ありがとうございました。
バイバーイ。
よろしくお願いします。
35:44

コメント

スクロール