っていうのとか、あとはやっぱり、
映像を作ったりラジオを作ったりするのがあるので、
素顔に楽しむっていうよりどういう狙いで作ったんだろうみたいなのを見ちゃうとか、
何をテーマにこの編集をしたんだろうとかで見ちゃうとかはある。
なるほどね。
さっきのウェブサービスじゃないけど、
カットがあることによる目線で見ちゃうので素直に楽しめないとかは。
なるほどね。
それ映画とかでもそうだよね。
そうなんだ。
なんかこのカットにはこういう狙いがあって、
ここが伏線でみたいなのをめちゃめちゃ考えながら見ちゃうみたいな感じ?
編集の繋ぎ方とか。
へー、面白いね。
ウェブサービスもそうだけど、
そういうフィギュアが売れるものの裏っかを考えちゃう。
やばいだよな。
でも、そうは言っても特に実害はないと言えば実害はない。
実害はない。
シンプルに楽しめなくなるぐらいだよね。
そっかそっか。
ちょっと感動の位置が上がっちゃうというか。
そうそう。
1回ちょっとだからできるだけ映像作品とかは脳死で見るようにしてて。
あーなるほどね。
そうそう。
で、2回目以降見るときはちょっとそういう観点で見ようみたいな感じにしてる。
なるほどなるほど。
面白いね。
そうなんだ。
IT観点の人はそうなんだね。
そうね。
なんかシステム作りとかコンテンツ作りみたいなのやってると、
多分そういうところに目が行きがちになっちゃうっていう。
そうですね。
よくある通説としてやっぱクリエイターほどそういう人のクリエイティブを素直に楽しめなくなるみたいなのもあるし。
あとはそのギャグ漫画家さんとかはもう面白いことを出すっていうのに集中しすぎて、
面白いが何なのか分かんなくなって、
心を破るみたいなのが起こりやすいみたいな。
なんだろう、やっぱ面白いね。
そのギャグ漫画家さんも面白さに1個さらに制作が乗っかってくるもんだから、
普通の芸人さんよりなんか二重三重にちょっとこう秘めるものがあるんでしょうかね。
まあ確かに。
芸人さんもあるかもしれないですけどね。
そうだね。
何で伝えるか。
確かに。
漫画家さんの場合多くはその、個人だからさ。
編集さんと壁打ちしたりとかはあるけど、ネタを出すのは自分一人で。
あ、そっかそっか。
漫才とかだと二人とかいたりするよね。
そうだね。
いろいろ病はありますが、この白先生の。
そうだね、保育士や保育園看護師の職業病。
そうだね、でも何かろうな、職業病と言えるのかどうかわからないけど、
僕は保育園看護師として働いてる中で、
すごい思うのは、
あいつ全然ちゃんと手洗ってねえなとかはやっぱりちょっとも気になる。
衛生関係か。
なるほどね。
でもコロナ禍でだいぶ解消されたんで、
僕も別にそんなに真面目なタイプではないので、
別にちゃちゃっと洗っててもいいとは思うんだけど、
いざ本当に必要な場面というか、
ここは落としちゃダメだろうみたいな衛生的な基準が、
多分一般的な人たちよりも高くて、
ちょっとその手で触った食材でやられるのやだなとか思っちゃう。
でも確かにそれは看護師的な職業病なとこありそうだね、衛生関連という意味で。
僕がまたやってきた皿洗いの、
厨房業務の厨房の目線かもしれないけど。
衛生を気にしなきゃいけない環境とか、
そもそも気にするっていう考えがある時点で、
やっぱり看護的な視点な気がするね、それは。
かなだし、もっと保育士寄りな目線で言うと、
行き交う子どもたち、街中で会う子どもたち、
スーパーで走ってる子どもたちと、
親の関係とかをすごくじっくり見ちゃうとかね。
例えばどういう感じなの?
怒ってるときに、すごく感情的に怒ってしまっているな、みたいなのを。
子どもの叱り方の話か。
そう感じたり、
それはお父さんの接し方がちょっと今のはまずかっただろうな。
でもあの子今これやりたいんだよな、そんなとこでこんな言い方したら、
それはそうなるよね、泣くよね、みたいなのを、
なんとなく気になっちゃうとかはあるかな。
あとは、ある種、子どもという存在に対してすごく当たり前にかわいいし、
その一人の人として、
自分とそんなに差がないと言うと変な言い方だけど、
人としては同等じゃないですか。
命としてはってことでしょ?
そうそう、歳をとってるだけ。
あの子たちは発達の途中にあるんだっていうところの差しかないので、
なんかすごくフラップなのよね、感覚的に。
赤ん坊さんがいらっしゃっても。
かわいいし、かわいいなって思うんだけど、
すごく子ども扱いをしてるっていう気ではなくて、僕的にはね。
それに対して、子どもだからみたいな感じで関わっている大人を見ると、
なんかちょっともやっとしたりはするかもしれない。
子どもだからっていうのでか。
ちょっと感覚が難しいんだけど、
もちろん子どもだから伝える言葉を変えてとか、
わかりやすくしてとか、いろいろテクニックというか、
保育の中で自然とやってるような関わりがあるんだけど、
それを街中に出て、保育士風なお母さんというか、
すごく子どもに優しく語りかけてるようで、
実は全然大人の意見を押しつけてるだけみたいな。
気づいちゃうんだ。
一見すると、すごくあのお母さんすごく子どもに優しそうみたいに、
表現としては見えるんだけど、
なんかその裏側がちょっと見えてしまうというと、
聞こえが悪いけど、そういうとこを感じてしまって、
これから先子どもがもっと大きくなって、
それこそPTAなの?なんだの?っていろんな関わりが出てくると、
ちょっと疲れるだろうなって思う。
何だろう。
変に見えちゃうというか。
わかんないけど、
何て言えばいいんだろうな。
ホスピタリティの具現化みたいなところが、
ほんと痒いところに手が届くというか。
そうなの、ディズニーって子供目線で見ても、
結構危険な場所が少ないって感じなんだ、やっぱり。
うん、少ない、全然少ないと思う。
えー、面白い、それは。
その辺はやっぱ子供向けの施設であればあるほど、
そういった危険とかっていうのはもちろん、
考えられた上で設計されてるから、
全く持ってないんだけど。
なるほどね。
持ってないというか、うん、そうそうそう。
今聞いてて、
これ今回のこの本編とあんまり関係ないんだけど、
なんかさ、子供が怪我をしやすいとか怪我をしうるとか、
危険な場所っていう話が今出てちょっと思い出したんだけど、
今度のラジオ収録のテーマとしても
ありかなと思ったのはさ、
公園の遊具とかがなくなってて、
子供が怪我をする経験とか機械っていうのが
そもそも減ってることはどうなんだろうかっていう。
ほんとだよね。
それなりにさ、怪我をして学んできた部分も
自分たちがあるからさ、
ただしそれは、その時代だからそれが良かったけど、
今はもっとこう、
ね、やっぱ安全な中で生きていくってことが大事なんだよっていう話なのか、
やっぱり一定怪我を、こうしたら怪我をするっていう
体の使い方を学ぶとかさ、
なんかそういった観点では
なんかある程度の重要性もありそうだなと思いつつ。
これはね、
沼ですよ。
保育現場からすると沼の荷台ですごくやりがいがあるから
来週それにしましょうじゃん。
そうだよね。
なんか深掘れそうなテーマかなってちょっと思った。
ほんと。
でも職業病的といえば確か僕としてはそんなようなことがある。
環境をそういう目線で見ちゃう。
環境を目線で見て、こんな怪我が予測されて、
それに対してこんな処置が今ならできるんだみたいなのを
ぱっと思い浮かぶ。
処置まで行くのはやっぱ保育園看護師だね。
ね。
思っちゃうな。
その目線では見ないな。
面白いな。
でもやっぱ、なんか、
職業病ってやっぱ自分の経験値が深いことで
内臓度が上がる領域に対して認知が変わるみたいな。
そうだね。
だし、認知上がるしやっぱりそこのバイアスをかけてみちゃうよね。
そうなんだよね。
フラットじゃなくて。
そうそうそうそう。
だから、全然そんなつもりない。
本当悪気なくただ自分の経験をみんなにも
もっと頑張ってほしいとか、なくなってほしいみたいな感じで
しているアドバイスに対してすごくうがった見方をしちゃうみたいなのは
基本多分、うがった見方になるよね。
物事に対して、職業病に対して。
ある種、僕はそれを自分がうがって見方しちゃってるなっていう
自己認知までは達してるからそこから何かトラブルになったりはしないし
自分が必要以上にストレスを感じたりもないからまだいいんだけど
結構周りの保育士さんとか職場の人の話とか聞いてると
ちょっとそういうのから自分がフンフンしちゃって
ちょっとヒラヒラしちゃって、みたいなこともあるから
その辺のやっぱりマネジメントのスキルというか
もう大事だよなとは思うな。
そうだよな。なんか職業病自体は別にさ、何か是でも非でもないというか
配属度上がったらそう見えてくるよねみたいな世界だと思うんだけど
何かそれによってストレスを抱えたりさ
それを指摘する職業的にこういうのが気になったからどうこうって
その首を突っ込むじゃないけどさ
何かそういうことになってくるとまた話変わっちゃいそうだよね。
ある種の余計なお世話というかおせっかいムーブ。
そうそうそうなんだよね。それももう何か口出したくなる。
そうなんだよな。やっぱ自分がちょっとさ
どの領域でもそうだけど詳しくなってくるとさ
何か言いたくなっちゃうんだよね。
言いたくなっちゃう。
いい加減あるというかこれについてこう自分のスタンスが何かしらきっとあるから
何かそれを言っちゃうよねみたいな。
確かにそうだね。ランニングクルーが効果だね。
うん、ランニングクルーが効果とかそうだね。
最初に自信度、経験と自信度みたいな。
うん、証言のグラフ。
経験の割に自信が上がって、その後ちょっと自信が下がって、
で、またちょっとずつ調子は上がっていくみたいな。
その最初の経験したところで全部わかった気になって
いろいろ言いたくなっちゃう。
みたいなのは多分あるよね。
あるね。
めちゃくちゃ典型的によくあるパターンではあるよね、確かに。
そうだね。
保育の質が違うとかも本当にその縁によってさ、
保育の質というものの、
良いとされる保育の質が違いそうだよね。
そうなんだ、それもまた難しくて。
客観的指標がないっていうのと、
フィードバックされる機会が少ないっていうところなのかな。
なんかでもやっぱり保育者、
もうちょっと大きく括ると、
人と対峙してコミュニケーションを取っていく職種、
対人援護職みたいな感じで括れたとすると、
それに対する、何というか、
その実践に対するフィードバックって、
やっぱり記録を取るか、
その実践について話し合うかしか、
ほぼ二択しかないんだけど、
やっぱその記録に起こせるかどうかっていうのは、
その人の、何というか、
お勉強的な要素がすごく強くあるじゃない。
言語化できるかどうか。
割と言語化が得意じゃないタイプ、
だけど人と対峙することはすごく上手にできるタイプの、
人が保育して多いイメージがあるから、
やっぱり話すことでつかまって、
話すことで自分を見つめて、
話すことでそれが次の関わりに生かされていくんだよね。
そう思うと、圧倒的にやっぱり現場で話す時間が足りなすぎて、
話せないがゆえに保育の質も上がっていかないし、
その人もなかなか自分がこう、
何というか、ステップアップしていくっていうのが見えてもこないし、
認知、自己認知もできないし、
みたいな悪循環が結構あるなって今話してると思った。
なるほどね。
やっぱ必要なのは話す時間だよなって、
こないだちょっと管理者と話したときもそんなようなこと言っていたし。
なるほど、話す機会、もっと保育士同士の話す機会を作ろうと。
そうそう、自分の関わりについてもっといろいろ深掘ったり、
客観的に見てみたりとか、
なんかそういう機会が日常的にもっと作ってあげれたらいいなって感じ。
じゃないともうあっという間に過ぎていってしまって、
その一瞬一瞬が。
そうだね、なんか保育の難しいのってやっぱりさ、
積み重なるものっていうのが目に見えないっていうところだよね。
そうだね。
なんかそのウェブもそうだし、作品作りとかもそうだけど、
いわゆるポートフォリオ的なさ、これを作りました、これをやりましたをさ、
わかりやすい形で外部に見せれる、何かが存在してるけどさ、
なんか農産物みたいに私が育てましたみたいなパッケージにできるわけでもないじゃない。
そうだね。
なんかその辺が曖昧だった。
だし、これって実は子育てもそうだなって最近ちょっと思うんだけど、
うちはまだ夫婦とも保育園で働いてるっていうのもあって、
自分の子供に対する思いとか、
いやもう本当今日マジ腹立ったわみたいなところとかも含めて、
お前と話してシェアをして、
なんとなくお互い子供への対し方、配置の仕方だったり、
もうちょっとこういうところで、こういうふうにしてあげないとこの子は感じにくいのかもしれないなみたいな話を自然としてるんだよ。
それって、保育現場で必要としてることとほぼ一緒だなと思うんだけど、
なかなかやっぱりお父さんがね、遅くまでお仕事でいなくて、
お母さんがワンオペで頑張らなきゃいけない時間が長くて、
子供の良し悪しを共有しきれなくて、そこで夫婦にズレが生じてとかも、
あるあるじゃないですか。世の中の話を聞く感じだと。
とか、子育ての実践報告みたいなものを、
なかなか夫婦の会話とか日常の中でするって、
みんなしないと思うんだよね。
する必要があるかどうかは置いといて、
あんまりそういうことを意識的にしている家庭っていうのは多くないのかなという印象があって。
そうだね、特にここはもう本当に家庭それぞれでしかないけど、
保育的観点、子供の発達とかみたいなことを踏まえてのそういう話をするケースはあんま少ないだろうね。
どういう大人になってほしいとかさ、だからこういう習い事させようみたいな、
ぐらいの話は多分してると思うんだけど。
そこが上手く回ってたり、子供がなんだかんだ言っても、
育つからそこまでそういう話し合うみたいな時間が絶対的にないとダメですってわけではないと思うけど、
どこかで親御さんのストレスだったり不安だったり、
本当にこれでいいのかなみたいなところってみんな少なからずあると思うんだよね。
なんかその子育ての実践をこう、ある種振り返ったり相談できたり、
ちょっと捉え方変えて考えてみたりするようなサービスがあればいいのにって今ちょっと思いました。
サービスもそうだけど、そもそもそういうなんだろうね、自然とそういうことをできてればそれに越したことはない。
そうで、この自治体とかが行政とかがやってる子育て支援とか、
そういったサービスあるにはあるんだよ。何でも話してくださいねみたいな。
それが行き詰まるとどうしたって虐待の案件になっていたりとか、
保育園だったら不適切保育みたいな形で寝ていたりとか、
最終的には子供の不利益にどうしてもなってしまうっていうところで、
早期発見であり早期の介入でありっていうところで、そういった相談サービスってあるんだけど、
おそらく本当にビーチ伝えとこまでには行ってないでしょうし、
なかなか運営も難しいところもあるでしょうし、
なんかもっと気軽にできるものがあればいいのになってちょっと思いました。
職業病の話というよりはもう保育の話に後半だいぶ染まってきた。
本当だね。
それがもう保育の職業病なんじゃない。
それもあるかもしれない。
全てが保育に帰着していくっていう。
これは本当は佐藤の病気ですね。
職業ではなく佐藤個人の病気。
僕の脳みそがそういう回路が出来上がってしまってる。
そうだよな。
人間でも、この職業病もそうだし、今のシロの保育の方に話がやっぱいくよねっていうところだったりとかもそうだけど、
やっぱりそれって職業病っていうものもある種そうだと思うんだけど、
一つのバイアスなんだろうね。
まあそうだよね、そう思うよ。
だって脳神経がそうなんだからしょうがない。
別に偏るのは悪いことではなくてさ、みんな偏るわけじゃん、絶対。
しょうがない。よく使う神経回路が強く太くなるみたいなもんでしょう。
そうそうそう、たぶんそういうことだよね。
物理的にそうなんだから。
強化学習みたいな。
そう、もうだからそうなんだって思ってれば職業病は解決できる。
でも職業病って病ってついてるけど、別に本当に悪いことじゃないからさ、悪いことじゃないしみんな自然とそうなるじゃん、たぶん。
各ジャンルに向いて。
なんかそれがね、行き過ぎてストレスが強いですとかだと、介入の余地あるんだろうけど。
そうだね。
平たくあるあるだよねぐらいで済むなら全然いいよな。
そうだね、でもみんなそういうやっぱりバイアスがあるからあるあるって面白いですな。
確かに。あるあるってバイアスなんだな。
あるあるはバイアスだね。なんか解像度によるバイアス。
面白いな。
なんかTwitterとかさ、旧Twitter、現Xとかもさ、自分はかなりゲームが好きだから、
新作とか出るとやりながら情報集めたりしてその見たりするんだけどさ、
やっぱそこでもそういうそのゲームをやってる人にだけわかる、あるあるネタみたいなものってやっぱり、
その中ではさ、すごい勢いで伝播するわけじゃない。
はいはいはい。
そうそうそう近いというか、やっぱり特定の職業ないし、
同じ、最低限のインプット量というか、その業界なり何かに対する解像度がある人たち同士によるそのコミュニケーションっていうのは、
なんか本当に職業、ある種の裏返すと職業病的なことなんだろうなと思って。
ゲームは別に職業病じゃないんだけどさ、ゲーム作りの方だったのかもしれないけど。
なるほどね。そっかそっか。面白いね。
職業病から世界を見ていくのがなんかちょっと面白いかもしれないね。
バイアスなんだなって今今日話しててちょっと思ったかな。
そうだね。
なるほど。というわけで、職業病についてなんやかんや話してまいりましたが、
はい。
沢地さんどうですか、総括的に何か。
久々だなこのフリ。
途中で俺と高谷さんで沢ちゃんとちょっと話しちゃったんで。