00:09
なんか、こういうお家の話、それこそどういうふうな気持ちで、お寺に帰っていったのかみたいな話とかも、もろもろもっと聞きたい気持ちもありつつ、それを教えると1時間が終わりそうな気持ちがする。
ちょっとまあ、そろそろですね、本の話、読みかけの本の話にも入っていこうかなと思っておりますと。この番組では読みかけの本について、その方にちょっと選んできてもらったりとかしながら、そこのおしゃべりを途中で挟んでいっておりますけれども、
今の時点で胸として何かこれが読みかけかな、みたいなものを、今ふと思うものを教えてもらえると嬉しいなと思いましたが、いかがでしょうか。
そうですね、今の話を踏まえたりして思うのが、今読んでいる本でちょうど、もう全部読んでないんですけど、幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけないっていう本、ラス・ハリスさんという方の本で。
ラス・ハリス、そうか、海外の方なんですね。
海外の方ですね。これ心理学の本なんですけど、読題がマインドフルネスから生まれた心理療法、悪と入門っていう、なんか名前だけ聞くと硬そうな本なんですけど。
確かに後半は結構硬そう。
幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけないっていう、タイトルからしてね、結構面白いなと思って。
なるほど、なるほど、面白い。
ちなみにこの本は、最近読み始めた本?
そうですね、最近、この本自体は最近読み始めて、ただこの、普段やったマインドフルネスとか心理療法、悪とっていうのは、私が学生の時に勉強していた内容ですね。
ただ、このマインドフルネスも悪とっていうのも、認知行動療法っていう心理学の中で、臨床心理学とか鬱とか不安とか、そういうのの治療に関わる学問の中の治療法なんですけど、
その辺を私は大学生、大学院にも行かせてもらったんですけど、ずっと研究させてもらっていて。
ただ、さっき申し上げたとき、修行道場に5年行っていたりとか、あとその後、今の仕事を慣れるために結構時間かかったので、心理学の勉強から少し離れちゃってたんですけど、このタイミングでもう1回読んでみたらすごい面白くて。
へー。
そう、全集の考え方を基にしてできたのが、そのマインドフルネスとか悪とっていう。
まあ、マインドフルネスもそうだよね。
うん、そうなんですよ。
あ、悪とってもの自体もそこから来てるの?
うん、悪とっていうのもそのマインドフルネスをさらに、治療向けにさらに発展っていうとちょっと語弊を招くかもしれないんですけど、変化させていったものですね。
03:06
あ、そうなんだ、そうなんだ。
へー。
それの入門書、入門書が。
なるほど、そうなんだ。
結構ね、このマインドフルネスとか悪とっていうのが難しくて、前読んだ本とか全然よくわからなかったんだけど。
そっか、ムネが読んでわかんなかったら相当わかんない。
うそ、悪とはね、マインドフルネスは専門で研究してたんで、だいぶ腑に落ちたんですけど、悪とっていうのはなかなかわからなかったんですけど、この本はすごいわかりやすく、結構事例をね、たくさん。
そうなんだ、そうなんだ。
あと面白いのがね、本ってさ、何章とか分けるじゃないですか。
ああ、何章ね、はいはい。
だいたい10章とかで終わりじゃない?
これね、300ページ以下の本なのに、33章まであるんですよ。
めっちゃ多い。
めっちゃ多い、めっちゃ多い。
だからね、読みやすいですよ。
1章が10ページぐらい。
そうそう、すっごい読みやすい。
すごい、確かに300ページの本でね、まあよくある量の本だと思うけど、それ、だいたいそれ何章分かって、たぶんね、5章とか8章とか3章ぐらいになるんじゃないかな。
これ33章に分かれてる。
面白い。
めっちゃ読みやすいんですよね。
なるほどね。でもちなみに、なんかそれを聞いて思ったのが、それこそね、確かに大学の時、よく会ってた頃とかは、むねは心理学部にいるな、心理学がやってるよなみたいなことを。
そうだね、心理学関係の。
思ってたんだけど、それこそその心理学より、それで今結果的には大学院まで行って、ここ公認心理士。
そうですね、公認心理士という職務を取りました。
なんかその心理学に対しての気持ちというかやりたいみたいなものは、なんかどういうところから来てたの?
そうなんですよ、これちょっとさっきの話からも繋がるんですけど、お坊さんになろうっていうふうになりたいって思ったのは割と人生の早い段階であったんですね。
早い段階、なるほど。
だからもう小学生の時とかにはもう多分自分はそういうふうになるだろうなっていうような、そういう見通しがあったんですけど。
その上で、中学高校といくうちに、大学でも勉強したいなっていうような、大学生にはなりたいっていうようなちょっと憧れがあって。
それで、住職と仕事を話していくうちに、別に無理に仏教の勉強をしなくていいっていうふうに言ってくれた。
へえ、そうなんだ。
むしろその見識を広げたほうがいいっていう。
仏教のことはもうその後の生涯ずっと学び続けることだから、むしろ他のことを勉強してもいいんじゃないかっていうようなところで。
へえ。
じゃあ何がいいのかなって思って。
社会科学系を勉強しても、今、お坊さんになってるものは必要だなって逆に思うんだけど、
06:02
でもその時は別にそういうのも必要ないし、別に理系のことを勉強してもなって思った時に、
たまたまその心理学っていう学問が、ちゃんと学部としてもあるような学問っていうのを何かで知ったんだよね、高校の時に。
はいはいはいはい。
で、じゃあこの心理学っていうのは何だろうと思って調べてみたら、臨床心理学っていう学問は心が傷ついた人のためにある学問だっていうことを知って、
お寺に来る人ってやっぱり何か大切な人を亡くしたりとか、
なるほどね。
辛い思いをしてくる人っていうのは多くいるだろうなっていうふうにその時は思って、
で、このような勉強したらもしかしたらお坊さんになった時に、
お寺に来た方に何かその、寄り添えるって言ったらちょっと大それたことになってしまうけど、
何か適切な言葉をかけれるんじゃないのかなと思って、
それでまあ心理学を学び始めましたね。
ああなるほど。
これすごい良かったっていうふうに思ってます。
へえ、これは何かどの辺りが良かったんですか?
あの、後で知ったんだけど、その時は知らなかったんだけど、
その今さっき言ったそのマインドフルネスとか、
まあ今その臨床心理学っていう分野の中で、
比較的新しい治療法の中には、
禅の思想をすごく取り入れた治療法をしてるんですね。
仏教の考え方を取り入れた。
へえ、そうなんだ。
それがマインドフルネスであったり、アクトっていうものなんですけど。
マインドフルネスっていうのは、
今起きている瞬間に余計な価値とか判断を加えずに、
まあ今の時間をしっかり感じるっていうのはマインドフルなんですね。
マインドフルネスなんですね。
もうおとじかもしれないですけど。
これは結構禅の世界でもすごく大事にしていて、
禅の世界はもう今しかないっていうようなことをすごく強調するんですよ。
過去は過ぎ去ったこと、未来はまだ起きていないこと。
今しかないっていう。
この今の時間にしっかり向き合うことが、
私たちにとってとっても大事なことなんだっていうのは、
禅宗の教えですごく強調されてるんですけど、
それがマインドフルネスでも治療法として取り入れられていて。
それをまた、
禅の教えはずっと千年以上前から受け継がれてきた教えですけど、
ちょっと抽象的な部分がやっぱあるんですよね。
それをまたマインドフルネスっていう西洋的な方国から見た見方、
両方から見ると割と立体的に見えてくるっていうか。
なるほど。
それがね、やっぱ後で、
私は逆にマインドフルネスを最初しっかり学んで、
その後、禅を学んだ、仏教を学んだっていうような、
多分あまりないタイプだと思うんですけど。
そうするとね、やっぱり仏教の見え方が、
いろんな方向から見えてきて。
それがね、すごく今役立っているし、
09:01
実際にその今の瞬間に向き合うっていうのが、
心の健康においてとても大事だなっていうのは、
本当に痛感してますね。
そうなんだ。
なんかその今の瞬間に向き合うって、
確かに言葉にしたら数文字ぐらいでしかないけど、
本質的にそれを実践しようと思うと相当難しい。
そうなんですよ。
すごく思っていて、
それこそ何でしょう、
例えば僕は直近までは東京のベンチャー会社にいて、
いろんな人の話を聞くサービスをやってきた人間ですけど、
人の話を聞く一つとっても、
今この瞬間に全神経全てを目の前の人に意識を向けて聞くっていうのは、
どういうことができるかっていうと、
やっぱすごい難しいよなってめちゃめちゃずっと思ってきた気がしてて、
例えばよくあったのが、
すごいめっちゃ聞ける人、
どんな人の話もすごい聞けるみたいな人、
中にはいたりは、そんなにたくさんいない気がしますけど、
中にはいたりしますが、
そういう人が本当に毎回完全に聞けるかって言ったら難しくて、
それは例えばちょっと体調が悪くて、
なんかちょっともうろうとするときに聞けるかって言うと難しかったりとか、
たまたその直前にすごい親子喧嘩をして、
その後に別の人の話聞くみたいなタイミングになって、
でもそれをちょっと引きずっちゃったりみたいな、
そういうふうにコンディションを相当整えきるみたいなこともやっぱすごい難しかったりして、
その辺がね、結構禅の中でも説かれることなんだけど、
このマインドフレーズっていうのも、
今の瞬間にもう完全に意識が向いていればOKっていうわけでも実はなくて、
コンディションの悪い自分とか、
調子が悪いとき、うまくいかないときの自分をそのまま受け入れるっていうような姿勢なんです。
結局それが今の自分じゃないですか、体調が悪い今の自分、
これを必要以上に評価、価値判断をせずにそのままでいるっていうのがマインドフレーズなんですね。
マインドフレーズでいるっていうのは仕事のパフォーマンスを上げるっていうのが目的じゃないから、
今の自分が健康でいる、正しく今の瞬間に向き合えてるっていうのを目的にするから、
体調が悪い自分をそのままでいいし、
例えばそれで仕事がちょっとできなかったのも、それも仕方ないっていうのが評価、価値判断をしすぎないっていうところですね。
これ難しいところなんだけどね。
難しい、とても難しい。
実際なんか企業研修でマインドフルネスの勉強、学びみたいなものってあったりしますけど、
でもそういうのってやっぱりどうしてもその企業研修みたいな形、学びとしての場所になると、
12:01
マインドフルネスはあくまでも仕事の生産性を上げるための手段として有用であるみたいな文脈で受け取られがちだなみたいな気がしていて、
実際なんかそれがなんていうの、それが手段じゃなくて、
なんて言ったらいいかな、結果そこにあるものというか。
結果として副産物としてそうなったっていうような。
確かに、確かに。へー、なるほどね。
で、我々の世界だと悪い自分もいい自分も自分なんだからっていうような。
そのままでいいっていう、ありのままでいいっていうのは、
このありのままっていうのは難しいんだけどね。
そうなるために座禅をしたりとか、訓練をするわけですよね。
やっぱり今言った幸福になりたいな幸福になろうとしていけないって本でも説かれてるんだけど、
やっぱり訓練をしないとなかなか、
そのありのままの自分を受け入れるって難しいわけですよ。
簡単な言い方で言うと。難しいですよね。
今の瞬間に向き合うとどうしても生きているともっとよくなりたいっていう、
それは健全な要求なんですけど、失敗しちゃいけないとか、
こうじゃなきゃいけないっていうような、
特に失敗しちゃいけないは適切な場合もありますけど、
こうじゃなきゃいけないっていうようなこだわったりとかしちゃうと、
苦しみを生んでしまうわけですよね。
しかもそのこだわっちゃうっていうのは、
もう多分人間の本質的なところにもあると思うので、
ちょっと訓練しないとなかなかそれを手放すことはできないっていう。
なるほど、確かに。
ちなみに、今みたいなマインドフルネス、
そしてこの本のタイトルにもあるような、
幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけないとはあるけれども、
とはいえそれを学んでいる、実践している人だとしても、
やっぱりそれが難しい瞬間ってきっとあるじゃないですか。
例えばそれこそ、ムネもマインドフルネスで常にいるかで言うと、
おそらくそれが難しかったりとか、
瞬間もきっとありながらその度に、
気づいたりとかしながら生きてるんだろうなって想像したんだけれども、
最近ムネとしてそれがすごく難しかったなって思う瞬間って何かあったりした?
何だろうな。
やっぱりそんななくなってきたな。
すごいな。
こうじゃなきゃいけない、
人前で話すときは割とあるんだけど、
ただ例えば不安であってもいいしっていう、
緊張するのも仕方ないし、
それでちょっと失敗しても仕方ないっていうふうに考えるようになれたので、
それは結局その時の自分の本当のところじゃないですか。
15:01
不安になってるのも緊張するのも。
もちろんそのための準備をして、
発表があったら人前でお話しをするとかあったらそれまでの準備をしっかりして、
準備してあるのでこれで失敗したら仕方ないとか、
割り切れるようになったからか、
そんなになくなりましたね。
へー、そうなんだ、すごい。
いやいや、すごくはないんだけどもちろん緊張したりもするし、
失敗したりもするんだけど、
パフォーマンスっていうよりも自分に対してダメだとか、
そういうふうにはあんまり思わなくなったね。
なるほどー、いいね。
ムカついてもいいと思うし、
でもその瞬間ムカついてもさ、
それ引きずらなきゃもうそれでOKだと思っていて、
これ多分ワインドフレーズで示してると思う。
ムカついたことを思い出したら今の瞬間に向き合っていないことになるけど、
いきなりムカついたのは仕方ないじゃん、いろんなことがあってさ、
生きてればやっぱりいろんなことがあるからさ、
それ引きずらない、それでその次の瞬間にまた意識が向かっていれば、
それはワインドフレーズなんじゃないのかなと思うし。
なるほどー、なんかそれを聞いてみると何て言ったらいいかな、
その立場としての自分が、
それをしていいんだっけって思うと、
結構ワインドフレーズにいきづらいなみたいなことを聞きながらちょっと思って、
それは何かっていうと、
最近僕今月から図書館の館長というお仕事になったんですけど、
人生初めての行政職、役場の人間、
人生初めての公務員、
人生初めてのもちろんですけど図書館の館長みたいな、
あまりにもいろんな新しい自分に対してのフラッグ、タグみたいなものがあったときに、
この動き方とか発言は公務員的にNGなのかアリなのかみたいな。
それは確かに。
そこがね、まだ全然わかんなくて、今後もわかるのかもちょっとわかんないんですけど、
そういうふうに新しい自分の役割とか、
タグラインみたいなものが出てきたときに、
そのときに一気にわかんなくなって、
それこそマインドフルネスじゃない方向性に行きやすくなるみたいなことは結構あるのかもなって、
そんな仕事絡みで思うし、
またまた今僕娘が7ヶ月なんだけれども、
子どもという、これまでちゃんと接し続けたことのない新しい生命体みたいなものがあると、
またちょっとそれはそれで難しかったりとか、
新しいすごい大きな変化があったりすると、
そういうところのマインドフルネスさというか、
ものの感じがちょっと変わってきて、
そことまた今僕は向き合っているのかもしれないみたいなことを今ちょっと思ったかもしれない。
18:04
でも変化に、変化の中で自分も変わっていくっていうのも、
戸惑うのもそれが実際の自分じゃないですか。
戸惑ったりするのも、それはマインドフルネスだなとは私は思います。
なるほどね。
戸惑わないようにとか、
平成でいなきゃいけないって思うのはまたちょっと違うような気がして。
なるほど。
無理矢理、こだわりになっちゃうとやっぱり苦しくなっちゃうから。
そこはね、やっぱでも社会で求められているものもあると思うから難しいところであると思うんですけど。
確かにそれで言うと、それ自体に対して不安があるというよりかは、
すごい変化をしているなという実感は持ってはいるみたいな感じだから、
確かに別にこれが悪いと思っているわけでもなく、
そういうもんだよなとは確かに思っているなとは思ったな。
そうなんです。
このね、また本の話にちょっと戻るんですけど、
このね、今マインドフルネスの派生した考え方でこの本で説かれているアクトっていうのがあるんですけど、
これのアクトが結構面白くて、
何かというと、自分の価値に基づいて生きるっていうのをアクトっていう。
へー、なるほど。
自分の価値っていうのは人それぞれじゃないですか。
いろんな価値観があるから。
はいはいはいはい。
多分他の人から見たら全然それは意味があるのって思っていても、
自分にとっては意味があるものがっていうのは全然あると思うし、
でもその人にとって意味のないことをしようとしている、
自分にとってはすごく価値があることだけど、
人から見て価値がないと思うことを自分がやろうとすると、
頭の中でそんなことやって意味あるのって、
自分がやりたいことなのに自分が妨害してくることってあると思う。
そうじゃなくて本当に自分がやりたいことならそっちに進むべきだし、
それを妨害してくる自分の行為っていうのは防衛本能。
自分がそっちの道に進むと危ないよっていう風に、
ただ教えてくれているだけであって、
否定しているわけではないっていう風に捉えるっていうのは。
そういう風な生き方をしていくと、実は自分は幸福になっていくっていうような。
そこで幸福が出てくるんだ、なるほど。
幸福を目的にしてしまうと幸福にはならないですけど、
自分にとって価値があることを一つでも行っていくことによって、
実は満たされていくっていうような。
そのためには例えばそのマインドフレーズが必要なんですよね。
そのために必要ってことなんだ、なるほど。
その時の自分をやっぱり認めてあげて、認めてあげるというか、
認めてあげる。
なるほどね。
一歩一歩進んでいかなきゃいけないじゃないですか。
一歩一歩進んでいくときにやっぱり自分とか周りの声が妨害してくるんですけど。
21:01
なるほど。
それは本当は自分の、それは本当に自分の声なのかっていう。
心を見つめていくっていうのはちょっと難しい話になっちゃったけど。
いやいやいや、でも確かにな。
なるほどな。
なんか胸の板いる心理学という領域とはちょっとまた違うかもしれないですけれども、
僕も院でウェルビング研究の研究室にいたので。
そうなんだ。
そうそうので、ある意味サイコロジーと言っても一流派っていうみたいな感じなのかな。
ウェルビングの研究してる中とかでも結構すごい色々研究見たりとか感じたりする中でも、
なんかのことを今すごく思い返していて、やっぱりなんか幸福ではない自分を自覚した上で、
幸福じゃない部分を見ながらそれを埋めるように幸福に近づこうとすると、
やっぱり幸福になっていかないみたいなものをなんかすごく感じるというか、
どっちかっていうと幸福っていうもの自体が既に自分の中に存在してるのであるっていうことに立脚をしたときに、
常に状態的に幸福であるようになっていくみたいな感じがあるなーってはなんかすごく思ったなーって思ってましたね。
いや、おっしゃる通りで。
その具体的な方法が書かれているのがインタビューの方法なの。
なるほど、なるほど。
すごい面白いんですよね。
へー。
結構ね、その自分の価値に進もうとするとやっぱり自分がすごい邪魔してくるっていうのが面白いところかなって。
自分が邪魔してくるね、なるほど、なるほど。
そんなことしてていいのってさ。
はいはいはい。
この歳なのにそれ始めんのとかさ。
そうね。
あるじゃん。
あるあるある、あるよね。
自分が邪魔してくるじゃん。
はいはい。
誰かが言ってるような気がするとかさ。
はいはいはい。
これやったらあの人なんか言うんじゃないのかとか。
確かに確かに。
それはさ、自分を守るために自分の心がそういう防衛本能を出してくれるんだけど。
うんうんうんうん。
それは果たして本当なのかっていうところをしっかり見極めて、自分の価値に基づいた行動をしていこうっていうような。
なるほどね。
本ですね。
はー、自分の価値か。いや、ほんとそうだよね。
いやなんかその、去年そのなんて言ったらいいかな。
いわゆるこの僕が来たオブセという町で館長職の公募をされているのを見て応募したわけだけど、
その時とかになんか町の人にインタビューとか結構したりとかしてて、
やっぱそういう町の人が何感じて生きてるのか知らないとわかんないなっていろいろ思ったので。
うんうんうん。
なんかその時にすごいこの町の皆さんが自分の日々の幸せみたいなものをちょっぴり話してくれるのがすごく僕的に嬉しかったんですよ。
うんうんうんうん。
僕が今いる町ってオープンガーデンって言って、いろんな人のお庭を勝手に入るというか、勝手に入ってそのお庭を見学するみたいなのが許されているエリアが結構あるんです。
24:06
それはもちろんその家の人がそれしていいよって看板を出してるんですけど、
それだけでも多分町内に数十軒ぐらいあって、町内といっても本当に数キロ×数キロのちっちゃい町なんで、
それが成り立っているところではあるんですけど、
なんかそういうオープンガーデンを住んでる人とか観光客が眺めていったりしていて、
なんかそういう風に眺めてくれているのが嬉しいみたいなことを毎日感じながらやってるんです、それ私の家ではみたいな人がいたりとか、
またまたその町民の方でもなんかそういう風にオープンガーデンを歩いていたりする中で、
ちょっとなんか日々違う花がちょっとずつ花が咲いていくみたいなものを見るのが好きなんだよねみたいな人がいたり、
なんかそういうのがここにたくさん溜まってるの素敵だなみたいなことをなんかすごく感じたなっていうのを今思い出していて、
なんかそういうある意味それは一つ、今の自分自身が何に喜びを感じながらここに立って生きているのかっていう話な気はしたんだけど、
多分そこって自分の価値となんかすごく紐づいているような気がしていて、自分が生きている価値っていうのかな、
なんかそういうのって確かにねさっき宇野も言ってくれたけど、いろんな人の声ですごい邪魔をされたりとか、
なんか今の自分の生活状況とか踏まえてすごくなんかかき乱されちゃったりとか、
人間関係も含めてみたいなのがすごくあるから、いやこれを常に実現し続けるのは難しいんだろうけど、
でもそういうふうになっていった方がね、よりなんか温かい世界になっていくのかなみたいなこともちょっと聞きながら思ったりしたね。
いや本当にそうだよね、やっぱり自分の価値に、自分が何価値を置いているのか知っている人っていうのは、
本当に尊いっていうか、それが一番大事だなっていうふうに思っていて、
そうだね、それを大事にしている人がたくさんいる場所はやっぱり素晴らしいな、やっぱり雰囲気もいいだろうしね。
ちなみにこれも日々もしくは時々変わるのかもしれないけども、
今、旨として、自分として置いている価値みたいなものってどういう言語化をしているの?
えっとね、お坊さんであることかな。
そうだ。
僧侶として生きていることにすごく価値があるし、自分にとっては大事なこと、万象寺の副住職であるとか。
今の僧侶として生きているって、別の言葉で言うとどういう感じなのかすごい興味があって。
善の教えを大事にしている自分、善の教えに沿って生きていること、善の教えを大事にしていることに価値がある。
ちょっとね、そうだね。
なるほどね。善の教えにいったところなんだ。
27:02
それによってやっぱりすごく楽に生きられるようになったし、ちょっと話が回っちゃう感じがするんだけど、
善の教えを大事にするっていうことは、自分の価値を大事にすることだからって、その辺で回っちゃうような感じもするんだけど。
はいはいはいはい。
そうなんだね。
でももうちょっと言うと、一日一日やっぱり一つ一つの食事を一つ取ったりとか、そういうものが本当に当たり前じゃなくてありがたいことだなって思うことに価値を置いてるのかな。
全てが当たり前じゃないって思うようになったんですよ、修行から戻ってきて。
あーなるほど、そうなんだそうなんだ。
最初にちょっと言ったけど、ご飯たくにも薪でやってたし、お風呂、おかつも薪でやってるとすっごい時間かかる。
そうだよね。
やっぱり目離すと失敗しちゃうし、でも修行から戻ってきたらワンタッチでご飯できるじゃないですか、お風呂もワンタッチできる。
確かに確かに。
まあこういう、これは今一つの例でしたけど、そういうことがやっぱりいっぱい感じることがあって。
思うとやっぱこう普通に生きてるのとか、ちょっと壮大な話になっちゃうけど、こうして生きてるのとかもさ、やっぱ当たり前じゃないと思うんですよね。
いろんな人のおかげでこうして生きてるし、両親のおかげでもあるし、周りの人のおかげで生きてるし。
そういうこと、自分が今当たり前じゃなく存在してる全てのことにありがたく思っているのは、なんかすごく本当に価値を置いてるのかな。
ああ、そうなんだそうなんだ。
ああ、確かにな。
君たちはどう生きるかっていう本、および映画はこの前ジブリでありましたけど、
その中で本の中でコペル君っていう主人公が、人間分子の関係が網目の法則でしたっけ?みたいな話。
人間分子とか網目の法則。
それこそ、その本の物語の中で、どのシーンでそうなったっけか、ちょっと若干記憶から飛んでますけど、
やっぱなんか、自分を中心に世界が動いてるんじゃなくて、世界の中に自分がいて、
かつなんか、いろんな全ての人たちの何かしらの行為だったり、あり方をベースにしながらいろんなものが作られたりしていて、
自分が今着ている服だったり食べているものだったりとかが、全部そういった人がいろんなたくさんいる。
各それぞれの人間という分子が網目のように世界中に張り巡らされているから、
今の自分がそこにいるんだみたいなことに気づくみたいなシーンがあったんですけど、
なんかそれをなんか今思い出しながら、でも本当そうだよなって思いましたね。
いや、すごい仏教的なことだと。
縁の中で生かされてるっていうふうに仏教でとられることが多いんですけど、
30:00
最近スーパーに行ってそれすごい感じて。
スーパーに行くとさ、野菜生鮮食品のコーナーに行って、裏面見るとさ、いろんな国の名前書いてあるじゃん。
書いてる書いてる書いてる。
中国とかアフリカとか。
それをさ、私たちは知らず知らずに知って、意識して取ってる人もいるかもしれないけど、
食べてるわけ。
でも私はその人、作った人、国に行ったこともなければ会ったこともない人が一生懸命作ってくれて、
もしかしたら本当に死ぬ思いをしながら作ってくれて。
確かに確かに。
それを運んでくれる人がいて。
で、私の手に向かっているっていうふうに、
中にあるって考えるとやっぱり本当に世界中繋がって、
その中で生かされてるなっていうふうになんか思いましたね。
そうか、スーパーでそんなことを感じながら買い物してるんだね。
たまたまね、たまたま。
あーって思って。
そうなんだ。
行ったことないなって思ってさ。
そうだよね、ないよね。
確かに行ったことない国からやってきてるものをたくさん食べたり来たりしてるよね。
そうそうそうなんですよね。
服だってやっぱりスパッと見てみるとバングラディッシュとかマレーシアとか書いてたりするしね。
確かに。
あーなるほどな。
ちなみにこのさっきあげてくれた本があったけれども、
今の胸にとっての幸福とは何かみたいな話をされたとすると、
どういうことを今話す感じがするの?
自分にとって幸福とは。
そうそうそう、今の胸にとっての幸福。
でも朝普通に起きれた時とか。
はいはいはい。
本当にそのレベルでね。
あとはまあ、去年結婚させてもらったけど、
妻と一緒にいられる時間とか。
はいはいはい。
妻が生きているってことにも本当にありがたいって思うし。
それは確かにな。
自分も健康で今生きているっていうのにも本当にありがたいと思うしね。
うんうんうんうん。
それに幸福を感じていますね。
いや確かに、本当そうっすよね。
なんかそれが日常と思えば、確かに日常って日常なんだけど。
だって突然ね、何かがあっていなくなるみたいなのも誰だってあり得るしね。
そうなんだよ。
ああそうだ、そうそうそう。
今その話を聞いて思ったのは、なんでそう思ったのかっていうのは、
まあ修行もそうなんだけど、
さっきの経験、さっき話した経験と、
あともう一つは、この生活をお坊さんとしての生活をしていると、
やっぱり団家様のおそぎっていうのが、
月に何家もあるんですね。
満州寺は比較的団家様が多いお寺だと思うんですけど、
33:01
月に何家かおそぎがあって、
その団家様においては、例えばちょっと前にお寺に来てくれて、
楽しくお話ししてくれた方であったりとか、
ああそうなんだ。
家に行ったことあるとかさ、
お菓子、わざわざお供え物持ってきてくれて、
楽しくしゃべった、その1ヶ月後に亡くなられたとか、
そういうのがね、本当に何回も経験させていただいて、
私はこの寺に帰ってきてまだ5年だけど、
そういう経験いっぱいするうちにやっぱり、
今生きてる、
私と同い年ぐらいで亡くなった人の葬儀もさせていただいたこともあるし、
ああそう、そうなんだ。
それも突然亡くなったりとか、
そういう経験させていただいたからかもしれないけど、
やっぱり本当に今生きている子は、
本当にぼーっとしてると当たり前だと思ってしまうけど、
それは本当に当たり前じゃないんだなっていうふうに感じると、
今の瞬間は本当に幸せなことなんだなっていうふうに思うようになりましたね。
なるほどね。
本当に綺麗事ではなく、本当にそれは強く思うことが本当に多いね。
そっかそっか、なるほどね。
別に綺麗で言おうとしてるわけじゃないんだけど、本当にそれはね。
ちょっと忘れそうになるとさ、
やっぱり、ただ今日もこの後ご法事があるけど、
やっぱりこの仕事っていうかこのお坊さんとしての生き方をさせていただいていると、
やっぱりそう思うことが強くなりました。
なんかそれが全然またジャンルが違うのかもしれないけれども、
なんか全然違うやり方?場所で?
同じか近しいのか僕はわからないけど、
なんか似たもしかしたら感覚になったことがあるような気が今していて、自分がね。
何かっていうと、妻が沖縄生まれ育ちなわけですよ。
なので沖縄に向こうの実家があって、
去年も娘が生まれるから半年ぐらい僕は向こうに住んだりとか言ったんだけれども、
付き合って始めぐらいからよく沖縄に行くようになって、
妻だったりそっちの家族だったりと沖縄を巡ることもあるし、
一人でちょっと巡ったりすることもあるんだよね。
やっぱりあっちにいると第二次世界大戦の残りみたいなものをすごいいろいろ感じるんですよ。
そうだよね。
やっぱこっちにいるのと全然感覚が、レベル感が違う。
まあレベル感という言い方よりはなんかまあ、
なんだろう、領域が違うみたいな感じなんだけど、
感じがしてて、今でもなんていうの、
その時の攻撃、爆撃された後とかが普通に残ったりとかしている頃があって、
なんかね、アメリカ軍が最初上陸したヨミタンソンっていう村があって、
そこをちょっと散歩している時に、
36:01
ふと看板がちっちゃくあって、
なんか観光地かなと思って行ってみたんですよ。
シムクガマっていうか、ガマって洞窟って意味ですね。
行ってみたら石碑みたいなのがあって、
すごいなんか空気感が一気に変わって、
すごいびっくりした経験だったんだけど、
後から見てみると、ガマってソウジは、
アメリカ軍が来た時に、
そこに住んでいる人たちは逃げ込んだ場所で、
そこのシムクガマはまだ人々は生き残ったらしいんだけど、
他のガマだと、そこで集団自決してたりとかがすごいたくさんあって、
やっぱなんかそれに関した時に、なんて言ったらいいかな、
生き残ってくれたことに対してもそうだし、
そこでなんか生きようとしてくれたことに対してありがたいなみたいな、
すごく思い、やっぱそこの人たちが生きてたりそこにいたから、
結果的に僕が妻と会ってるのも、それが関係してるかもしれないし、
今の沖縄があるのもその人たちがいたからだよな、みたいなことを思った時に、
なんかすごくね、なんて言ったらいいんだろうね、
そういうことに対して自分もかなり自覚的になるというか、
っていう経験をしたのが昔あって、
っていうのをなんか今の聞きながら思い返し、
そこを本当に毎日持ちながら生きたいな、みたいなことを今思ったね。
いや、本当にそうですよね。
私も沖縄、お坊さんになってから行ったことがあって、
そうなんだ。
ひめゆりの塔を発売させていただいた人とかも、
本当に同じような強く思ってたし、
やっぱりそういうね、歴史とか、
もっと近しいとこでいれば、
先祖亡くなった、近しい親族亡くなった人とかが、
私たちに伝えてくれることっていうのはすごく多いことだな、
多いことがあるなっていうふうに感じますね。
確かに。
ちょうど妻の実家が南部の方なんで、ひめゆりが近いんですよ。
近いんで、すごい話の感じが変わるけど、
沖縄に来るときがあったら、
うまい焼き汁でも食べに行きましょう。
行きましょう。
そろそろお別れの時間も近づいてきたな、
みたいなことを思っておりました。
最後一つ質問させてもらってから、
終わっていこうかなと思っております。
毎回この番組終わるときに、
ゲストの方に一つ問いを出してもらって終わっていますと、
問いって何を言ってるかで言うと、
この番組を通してでもいいし、
この番組に関係なく最近思ってた、
考えようとした問いでもいいんですが、
何か一つ問いを出してもらいつつ、
今気になっている問いですね。
いいなというふうに思っています。
それが結果的に数ヶ月後、
1年後、2年後とかに、
ゲストの方が自分の回を、
他のゲストが聞いてくれて、
あの時自分ああいう問い言ってたけど何だろうな、
39:00
みたいなことを言ってくれるゲストは結構多かったりして、
もしかしたらここで今問いを言ってもらうと、
この先の胸にとってのプレゼントになるのかもしれないし、
リスターの方にとっても今ね、
考える新しいきっかけになるんじゃないかなと思ってまして、
出してもらえるとありがたいなというふうに思ってましたが、
今出てくるものはあったりしますか。
今日の話に踏まえて言うと、
第一なものは何ですか。
なるほど。
それ難しい問いだね。
確かに今日の話を踏まえるとすごく難しい話だね。
いやー確かにでも本当そうだよね。
そこをそこだよね。
人が生きている中でコアな部分。
そうだね。
確かに。
情報がやっぱ今の世の中多いから、
その情報に流されてしまうと見失ってしまうことなんじゃないかなと。
はいはいはい。
世間が大事にしているものと自分が大事にしているものというのは、
やっぱり違うと思うからね。
そこが何なのかというところが、
自分の価値に基づいていけるというところでは、
大切なところなのかなというふうに思います。
ありがとうございます。
大事なものは何ですかというところでしたね。
じゃあちょっとこんな感じで終わっていきましょうか。
はい。
改めてですね、
今日もリスナーの皆さまお聞きいただきありがとうございました。
読み書きの一冊から少しだけ人生の途中を見つめる時間になっていたら
嬉しいです。
ではまた次のまにまにでお耳にかかりましょう。
読者のまにまに今回のゲストは、
臨済州県長地派、万生寺副住職の長井聡徳さんでした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。