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#90 『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない—マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門』ーー850年の歴史を繋いでいくということ | ゲスト・臨済宗 建長寺派 満昌寺 副住職 / 永井 宗徳さん
2026-05-11 22:17

#90 『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない—マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門』ーー850年の歴史を繋いでいくということ | ゲスト・臨済宗 建長寺派 満昌寺 副住職 / 永井 宗徳さん

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臨済宗 建長寺派 満昌寺 副住職 の永井 宗徳さんをお迎えして、“読みかけの本”について語り合います。
 
【今回のゲスト】
大本山建長寺での5年間の仏道修行を経て、横須賀市満昌寺の副住職を拝命しました。 学生時代は早稲田大学で臨床心理学を学び、数年前には公認心理師資格を取得。 現在は仏教(禅)とマインドフルネスの知見を軸に、坐禅指導や大学の講師、臨済宗連合各派布教師として全国で法話を行なっています。 また僧侶仲間、そして妻と共にバンド「forblue」を結成し、地元横須賀を中心に活動しています。
満昌寺:https://manshoji.com/ 
forblue: https://forblue1.wixsite.com/forblue-official-hp

 

【登場した本】
『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない——マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門』ラス・ハリス

感想

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サマリー

今回のゲストは臨済宗建長寺派満昌寺副住職の永井宗徳さん。大学時代の友人であるパーソナリティの荒代ゆうきさんと10年ぶりに再会し、仏道修行やバンド活動、そしてお寺の歴史について語り合います。永井さんは、鎌倉の大本山建長寺での5年間の修行を経て副住職となり、現在は禅とマインドフルネスを軸に活動しています。また、妻と共にバンド「forblue」を結成し、音楽活動も行っています。満昌寺は鎌倉時代に源頼朝によって建立された歴史ある寺院であり、その成り立ちや850年祭に向けた準備についても触れられました。

旧友との再会と近況報告
こんにちは、あらしろゆうきです。
読書のまにまには、毎回ゲストの方をお呼びしつつ、読みかけの本を題材に、本と人生について語り合っていく、そんなポッドキャストの番組でございます。
本には読み終わることなんてないんじゃないかなと、私ずっと思っております。
閉じられたページ、止まった一節、そこにその人だけの時間や思いが刻まれている。
ゲストの方のそんな時間や思いについて、一緒に耳を澄ませていきましょう。
それでは今回はですね、今回のゲストは、臨済宗 建長寺派 満昌寺 副住職の永井 宗徳さんです。
ではよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
はい、お願いします。今、宗徳さんとお呼びしましたけれども、昔からムネと呼んでおりましたから、そんな感じでいいですか?
大丈夫です、大丈夫です。
わかりました、ありがとうございます。
なんか、さっきもちょっとこちら、収録に入るタイミングで話していたけど、多分10年ぶりぐらいとかなんだよね。
本当に、最後に会ったのが、多分大学生の時に、一回どっかでお昼を一緒に食べて、多分それが10年以上前。
すごい昔だね。
大学3年生だって21とか、あれだよね、22とかそれぐらいだよね、多分。
じゃあもう10年どころじゃないか、12年どころか。
そうだね、もう。
あら。
あら、でもそうなんだよね、その後修行で、確か5年ぐらいだっけ?
そうですね、鎌倉の県庁寺っていう、我々の宗派の大本山っていう、一般の社会で言うと本社みたいなところで、5年間完全に住み込みで修行させていただいたので、その期間は特に外に出ることとかは。
そうだよね。
たまにあるんだけど、
あったの?
基本的には外に出られなかったので。
なんかちょっとなんとなく記憶があるのが、その修行に行くことを数年後に見据えたときのうねが、スマホをずっともう触れないみたいな話とかしてくれたような記憶がちょっとある。
本当にそうなんですよ。
スマホも使えないし、あんまり便利な電化製品っていうのがあえてない場所で、ご飯も薪で炊くし、風呂も薪で沸くような場所で。
すごい。
そっか。
いや、その流れが前半あって、それ以降はちょっとね、なかなか会えるタイミングがなかった。
そうなんだよね。
本当は近い場所にいたんだけど。
そうそう。見かけたことはあるっていう。
それやばいけどね。
ちょっと早々まで僕がチャリに乗ってるのを見かけたっていう。
そうそう。私が車で信号待ちしてたら、あれ?あれ?北無じゃない?って。
すごい。それがだって、言うても8年10年ぶりとかなんでしょ?
いや、本当にそうなんですよ。
すごい。会いたかったら。
本当に。
ちょっとそんな、ムネに今日来てもらいまして。
今日こんな番組やっていきますけど、ムネのこと、そして聡徳さんのことを知らない方もいらっしゃるかなと思います。
ちょっと自己紹介をお願いしたいなと思いますけど、よろしいでしょうか。
はい。分かりました。
建長寺での修行生活
私は神奈川県の横須賀市というところにあります、万象寺という寺で副住職をしている長井聡徳と言います。
本名は長井、本名というか、お坊さんじゃない方の名前が長井宗之という名前なので、それで北無は私のこと、荒代君は私のことを宗っていうふうに呼んでくれているわけですね。
さっきも申し上げましたけど、私の宗派は臨済宗という宗派なんですが、臨済宗はどうしても修行に行かなくてはならないので、こうしてちゃんとお坊さんになって自分の寺の住職、副住職になるためには最低我々の宗派と3年以上は修行に行かなきゃいけないので、鎌倉の県庁寺というところで修行させていただきました。
北無とは学生のときに一緒にボランティアをしたりした中で。
そうですね。
それでね、それからずっと仲良くさせてもらってます。
なるほど、ありがとうございます。
ありがとうございます。
なんか今ちょっとふと思い出したんだけど、それこそ県庁寺多分修行中とかだと思うんだけど、そのときはまだ僕鎌倉に住んでなかったんじゃないかな。
津々市に住んでなかった気がするんだけど、そのとき県庁寺の横を通り上がった瞬間が数年間で2回ぐらいあったような気がする。
ほんとに。
そういうときにここに今修行してるのかなと、そういえば思ったなって思い出しました。
ありがたいですね。
本当に住み込みだったんで多分いたんじゃないかな。
あそこの県庁寺の中、ほら県庁寺って入ると横に鎌倉学園が。
そうだね、左側に鎌倉学園があって。
男子校が中校があって、皆さんがそういう修行してるのは一般の人が入れるところよりもっと奥にある?
そうだね、奥ではないんだけど、一般の人は完全に入れないところで。
県庁寺、すごい敷地が大きいんですが、入っていただくと右側に国宝の大金があって、鎌倉地帯に作られた。
その金の横、ちょっと給料な坂を登っていけるようになってるんですね。
そこに門があって、ここから先は修行道場なので立ち入り禁止っていう門がある。
ここの門を一つ越えて、さらに坂を登った先にもう一個門があって、その中を入ると修行道場があります。
そっかそっか、あっちの方にあるんだ、なるほど。
一応見えてはいるんだけどね、煙が上がってたりします入ると。
そっち以外に全く意識向けてないから単純に知らないんだ。
なかなか一般の人は入れない場所で、かつ中にいると外にも出れないので、基本的にはね。
ちなみに外に出れないというのは、あの入り口の門から外には出れないっていうこと?
そう、修行道場から外に出れない。
本当に全員一緒に動くので、常に団体行動というか。
ただ、拓発といって町に出て物を恵んでいただくような修行が結構頻繁にあって、その時はみんなで外に出るんですけど、
外に一応出てはいるんだけど、別に自由行動とかは一切ないので。
なるほど。
町を回らせていただいて、寺に、県庁の修行道場に持ってくるっていうような感じですね。
なるほど。
拓発でじゃあそれは鎌倉の市内を結構巡ったりはしてたの?
もう隅々まで回らせていただいて、本当にありがたいことに。
あー、鎌倉で隅々って結構広いですね。
結構広くて、本当に町の人には本当によくしていただいて。
へー。
やっぱり修行道場を中だとね、やっぱり厳しくお互いやるので、あまり甘えが許されないような世界なんですけど。
まあ、そりゃそうですよね。
やっぱりその拓発とかで外に出ると、町の人は声かけてくれたりとか、頑張ってねとか言ってくれると、本当にありがたかったり。
あー、そうなんだ。
そういう経験をね、たくさんさせてもらいましたね。
はいはいはい。
バンド活動「forblue」
いやでもなんかこうやって話してると、なんか懐かしい気持ちがとてもこみ上げてくるんだけれども、
こう考えると、大学生時代の胸に、いつかな、大学1年だか2年くらいの時に最初会って、
そうだね。
1、2年くらいそういうボランティア活動みたいなのを一緒にしてたような記憶があって、
その時のことを思い返すと、すごいバンドをしてた記憶があるな。
多分今でもやってるような気はするんだけど。
そうなんです。今も音楽やっていて、
まあ普通に大学の頃は友達とバンドやってるんですけど、それとも別に結構大正さんでも音楽もともと好きだった方とかがいらっしゃって、
私が県庁時に一緒に修行入った時の仲間、同期もずっとバンド昔やっていたっていう話で、
その方とかと今バンドを組んで、結構その街のお祭りとか自分の部屋で演奏させてもらったりとかしてますね。
YouTubeだかわかんないけどとかで、
ウレたちとか、要するにみなさんお坊さんですよね。
みんなその姿でバンドやってるのを何回も見たことがあって、最高だなって思いましたね。
ありがとうございます。
それもちょっと微妙だったんだけど、コロモでやるっていうのは微妙なラインだったんですけど、
それで売ってるって言われるのもちょっと嫌だったんだけど。
でも、やっぱりお坊さんであるっていうのは自分の中でもう真実なわけじゃないですか。
むしろお坊さんでいるのが普段の姿だから、それをあえて変えなくてもいいんじゃないかなっていうのが。
なるほど。
そのままの姿でやるっていう。
それを見て、お坊さんでも音楽やるんだって思って。
それを見て、自分も好きに何かチャレンジしてみようって思ってもらえたらいいなっていうような気持ちもありつつね。
はいはいはい。
そっか。
でも、何て調べれば出てくる?バンドの音楽というか。
調べたら出てくるかな?どうかな?
今ちょっと音声切れちゃったかな。
大丈夫です。ごめんなさい。
なんかおかしかったね。
いえいえ。
やってるバンドはどういう風に検索したら出てくるとかあります?
たぶん、バンド名が4BLUEっていうバンドで。
4BLUEで。これだこれだ。
インスタもある。
ありがとうございます。
キーボードは私の妻が弾いてくれてて。
そうなんだ。いいな。そっか、奥様だったね。
バンド名も特に重く意味を置いてるわけではなくて。
ただ、あまり仏教してるバンド名にしちゃうと逆にそれ牽引されるのも嫌だったので。
青色みんな好きだったから、BLUE。
BLUEだとちょっと気持ちが沈んだBLUEになっちゃったと言えたなって思って。
じゃあ4BLUEっていう。
確かにBLUEなんとかっていいもんね。
そうそうそうそう。
そうなんだ。
お坊さんでバンドって言うと僕がふと記憶を逆に持って出てくるのが。
胸が見せたか分かんないけど、昔のシャーマンキングっていう漫画がありましたけど。
読んでましたよ。
読んでました?あそこにある。
読んでましたよ。
あれバンド名だっけ?
分かるよ分かるよ。何だっけ?BOSEか。
そうBOSE。何だっけ?
地味猛竜って曲歌ってたよね。
歌ってた。覚えてる覚えてる。難しい。
それをちょっとふと思い出したの。
そのバンドの投稿を見たときに思い出してたのを今思い出しました。
確かにいたな。シャーマンキング読んでましたよ。
読んでました。世代っすね。
世代っすね。
ちなみに今福住職をしているお寺というのは、
満昌寺の歴史と建立の経緯
それはもうその旨の、それこそお父さんとか先代たちがずっと継いできたお寺なの?
そうですね。今、住職が31代目かな。
31?
実はちょっと歴史は深くて、鎌倉時代に源頼智子が建立してくださった寺で、
北武もいた、この私が今いる三浦半島というところを主宰していた三浦一族というのがいたんですけど、
その三浦一族の当時の総大将であった三浦義明皇という方を弔うために建てた寺ですね。
弔うために建てた寺なんだ。
そうなんです。幕府を作るに、幕府の前に原兵衛の合戦のときに、
自分の身内を逃がすために一人囮になって城で戦死したような方なんですね。
その亡くなったときに89歳だったんですけど、相当おじいちゃん。
その時代の89はすごいです。
89歳で、私はもうこんな年で源氏の立ち上げに立ち上げただけでも幸せだから、
私が一人ここに残って囮になるから全員逃げろって言って逃がして、それで実際その通りになって。
でもその後、三浦一族は千葉の方に渡って海を経て千葉の方に渡って合流して幕府を開いたことができたので、
幕府を開いた時によりとも囮が囮を割ったのも囮になってくれた三浦一族のおかげだということで、
私が副住職をしている満庶寺という寺を建ててくれたというような歴史になりますね。
じゃあ本当に混流されたのが1100年代とか?
そうですね、1194年にできてます。
原編の合戦が始まって…なんか歴史の話になっちゃったけど、
1180年に原編の合戦が始まって、すぐにやられちゃったんですよ。
今言った吉祥寺子っていう壮大将は。
で、まあだいぶ経ったんだけど、よりともが幕府を開いて平和になった時に、
戸もらおうというようなお気持ちになってくださった。
そっか、なるほどな。
じゃあそこからもう1000年は経ってないけど、
じゃあ900年ぐらいとかは経っているってことですよね?
そうですね、その吉祥寺子が亡くなって、もうちょっとで850年になるんですね。
ああ、それぐらいか。
それでね、毎回その800年祭とか750年祭とか850年祭とかすっごいでかくやっていて。
はあ、確かに50年代でそうするって。
あと4年後に850年祭が来ると今一生懸命いろいろ準備をしたりとか。
そうなんだ、すごい。
850年祭ってすごいな。
すごいよね。
結構ね、未来遺族の本家はやられちゃってるんだけど、
末裔の人たちがすごい今も残っていて、で、全国から参拝に来てくださって。
ああ、そうなんだ、そうなんだ。
広島、北海道、青森、奄美大島とか。
奄美にも。
他の本当にそういう今申し上げた亡くなり方をされているので、
やっぱり尊敬してくださっていて。
なるほど。
今もね、800年経っても尊敬してくださっている。
すごいな。
たくさんいらっしゃって。
へえ。
それは凄まじいな。
そうなんですよ。で、東神大の吉明、未来吉明座像っていうのが今も残っていて。
へえ。
国指定の自由文化祭になってるんですが、そこを参拝に来てくださる方がすごく多いですね。
なるほど。
じゃあ時代的には、葉山にある森戸神社とか、鎌倉鶴岡島宮とかとほぼ一緒ぐらい。
そう、ほぼ一緒ですね。
なるほど。
そうですね、あそこら辺がやっぱりどうしてもね、寄りと向こうの流れを汲む場所が多いですもんね。
そうなんですよ。
へえ。
すごい。
850年祭と地域との繋がり
ちなみに850年祭というのは、それは一般でも行けたりするものなんですか?
一般でも行ける、参加できる行事ももちろんある。
ちょっとまだ具体的にはどうしようか考えてないです。
例えば無社行列っていうのを毎回やっていたみたいで、その800年。
横須賀市でも2年に1回無社行列っていうのをやってるんですよ。
そうなんだ、そうなんだ。
それもその850年に向けてみんなで、この万象寺の寺の前を無社行列してもらったりとか。
へえ。
それを一般の方も見に来ることができたりとかするのもやってますね。
あとはその記念出版とか。
出版ね。
吉田孝の意向を称えるような内容のものを作ろうかなっていうような話はしてますね。
なるほど。
そうなんだ。
いやでも確かにすごいな、なんか850年祭っていう単位になってくると、1個前のそういう大きいお祭りが50年前なのか。
そうなんだよ。
50年前にね、その吉田孝を神様として、明来都道府の神様として祀れっていうよりともからの伝えがあって。
なるほど。
だからお寺の中に神社があるような形で、鳥居があるんですけど、鳥居も800年代の時に神廠をして。
じゃあ神仏集合みたいな感じで。
そうそう神仏集合の時代ですけどね。
へえ、なるほどね。
そういう場所あったんだ。
なるほど。
寺を継ぐことへの思い
万象寺という場所は三浦半島のちょうどど真ん中にありまして、横須賀市の真ん中にありまして。
今中心地はやっぱり東京湾側の横浜、横須賀、中央海岸の基地があると。
確かに確かに。
または鎌倉の西海岸の方、海岸とかの方なんですけどもっと昔は、やっぱり鎌倉時代は私がいる場所が中心地だったみたいで。
そこにお城がたくさんあった。
そうなんだ。
そこに絹笠城っていうお城があって、そこに未来通区はいたっていうことです。
なるほど。
ちなみになんかその今のを聞いてみるとなんだろう。
それこそこの前、うねがあれかな、大学の先生?
ああそうだね、大学の先生だね。
と一緒に話している記事とかも読ませてもらった。
ありがとうございます。
なんかなんて言ったらいいかな。
それこそその、いずれ自分が継ぐんだこのお寺をみたいなことは結構小さい頃からなんか肯定的だったのか、なんかちょっと気になりとしてあったのかっていうか、どんな感じなのかなと思って興味があったんだけど。
そうですね。
結構この世界にいると僧侶になる、お坊さんになるっていうのに否定的な人は結構いるんですけど。
自分が寺を継がなきゃいけないとか。
まあお寺じゃなくても多分自営業の人を一般にいることなんだけど、多分同じ道を進むっていうのの抵抗を感じる人はたくさんいると思うけど、私は特にそういうのを感じていなくて。
なんでだろうって思ったんだけど、やっぱり自分の父親、住職がお寺、家庭の中で、親子の関係の時に、お坊さんであることであるとか、寺を守っていることに関して一切愚痴とか悪口を言わなかったんですよね。
そうなんだ。
やっぱり大変なことはあるんですけど。
そりゃそうだよね。
だから本当にいつも感謝は、やっぱりダンカンさんのおかげでこの寺はある。
未来続きの祭りの方のおかげでこの寺はあるっていうような言っていたけど、他のことは言っていなかったので。
あとは、やっぱり町の人からもいろいろ話しかけてもらったり、地域の行事に参加したりとかね。
そうすると、なんかお坊さんかっこいいなっていうような思いは徐々に感じるようになってきて。
お坊さんになれて直接言われたことはね、たぶんほとんど、もしかしたら全くないかもしれないんだけど。
全くないんだ。
そういう姿を見るうちに徐々に教えが伝わっていったっていうような感じですかね。
なるほど、そうなんだ。
なんか今の気でちょっとふと思い出したんですけど。
僕、何か見せたことあったかちょっと記憶にないんだけど、20代中盤ぐらいのタイミングで日本コレクションっていう活動をした時期があって。
全然知らない。
たぶんあれか、修行中だろうかな。
修行中だね、たぶん。
何かっていうと、結構近く的近しい年代、それこそその時は20代、2、3、40代の伝統文化とか伝統工芸のある意味家に生まれた人たちのインタビューをしてそれを記事にするみたいな。
そこの人たちを横のつながり作っていくみたいなことを一時期、ほぼ趣味として。
昔からの友達と一緒にやった時期があって。
すごいね。
それでやっぱりいろんな、それこそ花道だったり茶道だったり、例えば漆化とかの職人さんとか塗り物の職人さんとかいろいろ中谷にお話を伺ってたんだけど、
やっぱその自分で継ごうという風な意思を最初から自然に持っている人たちの話を結構聞いたんだよね。
それを聞くとやっぱみんなに共通するのは別に親御さんから継いでほしいとか継げっていう意思を一切感じたことがないみたいな。
人が大半だったなみたいな気がしてて。
むしろなんかどっちかっていうと継いでほしいとか、うちの親は言わないけどどうどうなのみたいな感じのことを思いながら自分でどうしたいんだろうみたいなものを感じて考えて自分で意思決定してるみたいな感じの方が多くて。
逆に継いでほしいとか継げみたいなことを言われて嬉しそうに継いでる人っていうのはあんまりあったことが少ないかもなみたいな。
たしかにね。
とかをその頃いろいろお会いした時にね、ことを思い返すとそんな気がしてて。
今の旨のお父さんとの、今の住職さんとの関わりの話を聞いてもなんかやっぱりそういうなんていうかな、自分で最終的にそれを歴史を踏まえて自分で決めるっていうのが大事なんだなみたいなと今すごく思った。
やっぱりなんか憧れとかさ、かっこいいと思うものになりたいってみんな思うと思うんだけど。
たしかにたしかに。
圧力とかそういうものより。
そういうのが大事なのかなっていうふうには思いますね。
なるほど。
そっか。
いやー面白いな。
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