00:08
そうですよね。なんか、やっぱり、たぶん、その本だったり漫画だったり、で、もちろん映画だったり、いろいろそのきっかけはあると思うんですけど、
なんか、本とか、特にその漫画って、よりその劇的に描かれているから、
すごく大げさ、例えば、主人公が声を失ってしまうとか、さっきの漫画の話であれば、目が別にバツになっちゃうみたいな、
そういうところがあると思うんですけど、なんか、なんだろうな、
それって、もしかしたら本質的なところは、自分の人生の中の要素に詰まってて、
それを引き出してくれてるんだなっていうのも、今、私自身話したりとか、お話しいただいた内容を聞いていると、
目を凝らして見てみれば、平凡だとか、普通だって思っている自分の日常の中に、そういうものがすごくたくさん潜んでるなっていうのを、
本当に強く感じるなって、それがたとえSFの話であったとしても、
非現実的なものであったとしても、本質的なものはすごく中に潜んでるんじゃないかなって、
思いますね。
確かにね、そっか、本当そうですね、そう思うな。
多分さっきの声の形のやつとかも、結構僕自身、多分10代かな、10代の時の、
なんかちょっと精神的に暗くなっちゃってる時期のことを思い返したりだとか、
またまた結構、周りで笑い声が聞こえたりすると、笑われてるんじゃないかみたいな、
ことをちょっとふと思って怖くなっちゃう。そんなことは別にないはずなんだけど、
そんなふうに自分の中で勝手に思っちゃうみたいなことで、若干耳を塞ごうとする、声を塞ごうとするみたいな、
そうやって自分もなんかきっとあったんじゃないかな、みたいな気がしていたりして、
きっとそういうところを、本だったり漫画、映画みたいなものとかが何か触れてくれてる、
それで自分の中で思い返されてくる、みたいなことはきっと機能としてあったりするんだろうな、みたいなことを思ったりしますね。
たしかに。10代とか子供の頃って、もしかしたら自分以外はみんな役者さんで、
なんか私だけが、なんかその世界を知らないんじゃないかなっていう妄想にね、駆られたりっていうこともあったり。
たぶんそれは、いろんな物事を知ったり、自分がまだまだね、何か実践して自信を得るみたいな、そういうフェーズじゃないからこそ、
そういう妄想を生み出しきやすかったり、他の人のなんかこう声が、本当にこの人そう思ってくれてるの?
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褒めてくれてるけど、本当にこの人そう思ってんのかな?心の底で。
はいはいはいはい。
思ったりするのかな?なんて。
なるほどなー。面白い。
ちなみに、この今、ハッピーバースデーの本の話から声の話をしていましたけど、
今の声の話みたいなものって、何かこのうみさんがフィンランドに関わり続けているということに何か繋がったりするんですか?
そうですね。フィンランドそのものよりは、たぶん研究家でいることが、たぶんこの声を使わせてるのかなーって。
なるほどなるほど。
さっきもね、少しだけ触れましたけど、
10代の頃は本当にたぶん今考えても、自分の言いたいことが本当に言えない時代っていうのが、
それは別に何か抑圧されてるわけじゃなくて、自分の中で周りの同世代と話が合わないなとか、
あと、先生が信頼できる先生っていうのがあんまいなくて、
とか、親は忙しくて全然自分の話とか、自分の持ってる中の世界観が全然言語化できないみたいなね、
イライラがある中で、今やっと自分がその、一応会社をやってるので、経営者ではあるけれども、
ビジネスマンとか経営者っていうアイデンティティじゃなくて、研究家っていう、私の中ですごくしっくりくる肩書きができた上で、
研究家として発信するっていう、そこがなんかこう、特にそれかもそれが、私やっぱ書く方じゃなくて、こうやって声を使ってお話する方が、
自分にはすごくしっくりきているので、多分声を使ってずっと何か発信したかったんだなっていうのは、
強く、だからこそ、なんか声の仕事を携わりたいって、多分10代の頃思ってたんだろうし、
それが全然また違う形で、こういうふうに消化できてるっていうのは、
昔の自分の思いみたいな、思いというか、気が感というか、植えてる感じが、いまようやっと30代の自分を満たして、その10代の頃の自分を満たしてるなっていう感じですね。
なるほど、30代の自分が10代の自分を満たしてるんですね。
そうそう、自分自身側じゃなくてね、かといってだってね、30代の今だってまた別のその次のフェーズを見て、多分それはそれで気が感があるんですよ。
なるほどね、なるほどね。
そうそう、だから自分の今の自分が満たされてるわけじゃなくて、あくまでもやっぱ過去の自分を満たしてるんじゃないかなって。
なるほど、面白い。
だから多分その10代のその、ハッピーバースディに出てくる主人公っていうのはあくまでも私の中では、やっぱり10代の私とか、まあね、小学生の時の多分私だと思うので、そういうなんか対話を本の中と続けてる、別にその本を読み返すわけじゃないし、たまに思い出す、強烈に自分の心と頭に残ってる、しかも体感としても残ってるから、多分体でも覚えてるんですよね、きっとね。
06:22
その本の内容自体を。
だからそれを引っ張り出して、10代の自分と対話してるんじゃないかなって。
へー、すごいな。
今ここで言語化させてもらって、なんかすごくそれを、あの深く気づいたっていう感じですね。
あーなるほどな。
いやすごいな。
えーなんかその、言いたいことを言えていない10代っていう言い方をしてくれてたじゃないですか、さっき。
はいはいはい。
その時の言いたいことと、またまた今の由美さんの言いたいことってまた違ったりする部分もあるのかなーみたいなことを今想像してたりしたんですけど。
確かに。
10代の時の言いたいことって、まあもちろんなんか今から考えると、なんか想像かもしれない部分もあるかもしれないですけど、その時の言いたいことって何だった感覚があります?
10代の頃何が言いたかった、多分本音が言いたかったとか。
あーはいはいはい。
一つ自分の中で、精神的な分岐点っていうのが30代前半にあって、それが多分全て、その10代の頃言いたかったことなんじゃないかなって思うのが、
あの30代の前半ぐらいに、ちょうど私も起業して、まあ数年経った頃で、仕事もちょっと行き詰まり始めてたりとか、あと家族の問題で、結構こういちいち精神的にきつい時期っていうのがあったんですよね。
で、ちょっと生活も乱れだして、まあその時まだね、東京で一人暮らしをしている時代なので。
あ、そうだったんですね。
そうなんです。で、精神的支柱みたいなもの、人とか物みたいなものがない状態だった時期に、ちょうど私が今やっているフィンランドのプロジェクトですね、エラマプロジェクトという人生と向き合う文化習慣を広めるっていうね活動をしてるんですけど、
そこで使っていた自分と向き合うためのワークシートみたいなのがあるんですよ。
で、それで自分で今これだけ詰まってるから、ちょっと自分でやってみようと思って、ワークシートに書いたりして分析していったんですね。
多分いろんな分析方法あって、例えば暮らしはどう、自分はどうなのかとか、仕事とか働き方とか、家族との関係、友達の関係、いろいろこうなんか切り口で考えていくんですけど、
結果、私は今何で詰まっていて、何がしたかったかっていうのが、大切な人にありがとうとごめんなさいを言いたかったんだっていうことに気づいて。
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で、おそらく10代の頃の私は、多分もっとね、多分社会に出てこんなことしたいみたいなとか、もっと友達にはこうしてもらいたかったとか、なんか多分そういう本音ってあったと思うんですけど、
本当の根本の根本では、多分家族にありがとうごめんなさいを言いたかったんじゃないかなって、それが全然言えなくて、
それは素直になれないとかではなくて、その、関係性なんですよね。親との関係性とか、家族との関係性の中で、落ち着いてゆっくりとじゃないと、ありがとうごめんなさいって言えないんですよね。
多分その精神状態に自分自身が置かれて、置いてなかったっていうのが一番だとは思うんですけど、本当はそうなんじゃないかなって、今それがじゃあなぜそれに満たされているかっていうと、もちろんその時の反省っていうか、
一回と振り返ることがあったから、あえて今のその家族にはちゃんとありがとうごめんなさいをなるべく自分が言えてる範囲で言えてたり、そういうダイレクトな言葉ではないけれども、その周りの人とか、世の中に対してそのフィンランドっていうその文化習慣で、フィンランドだけじゃなくて、
私たちのプロジェクトは日本も含まってくるんです。日本の文化も含まってくるんですけど、そういった部分のその文化を伝えることで、間接的にありがとう、ごめんなさい、ごめんなさいはわかんないですけど、なんかそういうその感謝の気持ちみたいなものを、いろんな自分の世界観の中にある言葉とか色とかを使って、なんか伝えられてるっていう充実感はあるなーって。
だから、10代の頃、声を失ってた理由、失ってたっていうか、よくなくしてた理由っていうのは、本当の意味でありがとう、ごめんなさいが、言いたかったが強かったんかなって思いますね。
なるほどなー。
ありがとう、ごめんなさいを言えてなかったんだって気づいたとき、もうなんか、今までの人生の涙分ぐらい、たぶん涙流してたような気がしますね。
そうなんだー。
うん、なんかそれは別に悲しいとか、感動したとかじゃなくて、もう、たぶん自分の中にたまってた毒みたいなものが、
毒ね。
言いたかった、言いたかった、言いたかったみたいな、心の赤がたまりすぎて、なんか古いものの、たぶん10代とか小学校のときぐらいのものの、赤みたいなものが毒になってて、それがたぶん体の全身めぐってて。
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はいはいはいはい。
おそらく。で、それが、自分自身で気づいたときに、全部出したみたいな。
そうなんだー。
そっから本当に電話しましたもんね、気づいた瞬間に。
本当に電話しました。
はいはいはいはい。
あのときはごめんなさいって、あのときはこうやってありがとうって言いたかったんだよって。
あれ言えるのすごいな、でも、いやほら、近い人だからこそコミュニケーションがしやすいかというと真逆というか、難しいなーってすごく思うし、
別になんか、だからといって近い人たちのことをすごい嫌っていたりとかするわけじゃないのに、何かちょっとツンケンしちゃうところがあったりとか、何か言えないって多いよなーって思って。
多いですね。
で、これを言うっていうふうにシフトされたのがすごいな。
うん、たぶん、だからやっぱそれは私声使って言いたかったんですよね、きっとね。
へー。
うん、あの手紙とかじゃないんですよ、それは私にとって。
あーそうなんだ。
これたぶん声なんですよ。
はいはいはいはい。
そう、だからたぶんそのハッピーバースに出てきてる主人公の声をなくすっていうところにすごく私が反応した部分なんだろうし。
そっかー、いやーでもそれもいいですね。
そう、で、このだいぶその心理学的にも、その声をなくす、声が出なくなってしまう症状っていうのはやっぱり、言いたいことが言えてないから声が出なくなってしまうっていうふうに、
なんか東洋医学でも言われていたりするので、なんかその、なんだろうな、東洋医学的なところでの観点で言っても、声を失ってしまうその症状っていうのは何かしら自分が言いたいことが言えてないんだなって思う、思うというか気づかされることだなーって。
そっかー、いやなんかすごい、僕自身もそれを聞きながら感じるなーみたいなことを思ってたんですけど、あのー、僕もともと結構喫煙があるんですよ。
で、今結構弱くなってきてるというか、ですけど、やっぱ10、あれいつなんだろうな、10代後半とかはかなりきつくて、
いやほらなんか喫煙あった時に、何でしょうね、例えばお店に行った時とかに、なんか初めて会う店員さんとかに何か注文するシーンってまあ日常生活上あるじゃないですか、そういう時に例えばそうだな、ケーキ屋さんに行った時にショートケーキをください、みたいなことを言う時の最初の死の単語が出てこなくて、ずっとつっかえるみたいな、
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そういう、なんかそういうのを繰り返しながら、でも店員さんが果てみたいな顔をしてまた言いづらくなるみたいなことを繰り返した時期がすごい僕あったなーと思ってて、結構それがどういうふうにしたら言いやすいのか、発音しやすいのかっていうのは今でも結構試行錯誤してるんですけど、
なるほど。
そう、それこそ僕、まあでも結構質問を持ってる人とかと話すと結構みんな近しいような試行錯誤をしてるような気もするんですけど、例えばその何か発音をしようとした時に、発音、発話かな、0.5秒後ぐらいに言おうとしている単語が今の自分の口だったり喉の感覚からすると出てこなそうだなっていうふうに事前に感じるような機能が自分にあるような気がしていて、
出ない時に、最初この人文字言えないから、こういうふうな言い回しを変えてから言おう、みたいな、例えば僕今苗字があらしろですけど、まあ妻のせいなので、結婚したタイミングでその名前に変わってるんですけど、最初あらしろのあっていう文字が言いづらくて、自分の言語形態にあんまなくて。
だから、お名前はって聞かれた時に、あらしろですってスムーズに出てこなかったんですよ。だから、あ、そうなんです、あらしろです、みたいなふうに言い方を変えることによって、
あ、なるほど、なるほど。
弾みをつけてというか、振り子を振ってから話すようにするみたいな、とかを結構やってたり、今もするんですけど、今は自然にやってるから気にならなくなったんですけど、自分的に。あと、噛んでもまあいったって思うようになったっていう、あったりするんですけど、みたいなことを自分的にもあったなと思う、あるなって思うので、今のえみさん言ってくれた、声なくしていたという話。
言いたかったけど言えてなかったみたいな話は、いや、きっとなんか僕とかにもそういうのあんだろうなーみたいなことを、今聞きながらすごい感じたりしましたね。
なんかそれって、まあ多分例えば本を読んで、それがこう、あの気づくっていうのはもちろんあるでしょうし、でも無理やり掘らなくてもいいのかなって最近は思うので、なんか掘りたくなった時に掘るって言ってもいいし、
でも、自分の気持ちとは別に、多分、昔のことをやっぱりいろいろ辛い思い出があるから、掘りたくないっていうことも多分あると思うんですね。
まあね、みんなあるよな、そういう人。
そうそうそう。フィンランドでは、自分の人生とか自分の暮らしを振り返るっていう文化習慣があるっていうので、そういう文化習慣を広めたいと思って、今の民間研究家としての活動の場をね作っています。
そういうところから来てるのか、なるほど。
そこなんです、そこなんです。ただ、無理やり自分の過去の自分を振り返るっていうのも、いくつかね、何度かやってきたんですけど、やっぱりそれは必要なタイミングでやらないと、やっぱり辛いものばっかりになってしまう可能性もあるので、
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まあ、本当にそれを振り返る文化習慣が結構、毎日とか、例えば1週間に1回とかって結構な頻度やってると、だんだんその辛さがなくなってくるっていうのもよくわかってきたので、なんかそういうところも伝えつつではあるんですけど、
でもその、やっぱり過去をある程度振り返るタイミングを、やっぱりそこと向き合っていかないと、未来の自分を作るっていうのは難しいんだなって、そこを無視し続けると、おそらくその、なんか人生の歪みが出てきたりとか、今悩んでることは多分過去にあるんですよね、きっとその原因とか。
はい。
で、私がその人生の道を振り返るワークショップみたいなものもね、あの、昔、私がやってるプロジェクトやってて、で、1000人ぐらいかな、今は過去で1000人ぐらいそういう人生の道を描いて、共有するみたいなのをみなさん聞いてるんですよ。
そんなにいるんだ、はいはい。
そうなんです。で、やっぱり、今自分が悩んでることの本質、例えば、何でしょうね、こう、パートナーとの関係が、例えばうまくいかないとか、あと仕事での人間関係が、やっぱりスムーズにいかないとか、なんかそういうとこの原因って、生まれ育った環境に絶対あるんですよね、この方の話を聞いてると。
はい。
母親との関係性にその原因があったとか、父親との関係性とか、なんか、やっぱ必要なタイミングで、やっぱそこを振り返っていかないと、今自分が悩んでる本質的なものって、また同じループで、あの、繰り返してしまうっていうことがあるなって。
はいはいはい。
自分のこと見つめるのはつらいし、できるのはしなくても、無理やりはしなくていいんだけど、まあ、本を読むとか、映画見るとか、なんでもいいんですけど、そういったきっかけで、なんかきちんと向き合うときには、ちゃんと過去の自分と向き合って。
はいはいはい。
で、向き合うだけじゃなくって、向き合うと緊張しちゃうから、なんか、ちょっと、なんか、ちょっと横で見るみたいな、ちょっと見守るぐらいの距離感で、できるならば、過去の自分を満たしてあげるぐらいのことができるといいのかなって。
なんか、それは本の力は、そういう力はすごくなんかあるなって、その、ただ気づかせるっていうだけじゃなくて、
はい。
こう、自分といろんな、こう、情勢、自分の中でその本の内容を咀嚼することで、なんか、こう、満たす、満たす、まあそれはたぶん自分自身でやっていくんでしょうけど、
21:11
はい。
でも、よりそういった要素が、なんか、あるなって、本だともっと身近だなっていうのはそう思うよね。
確かに、確かに、そっかー、あの、さっきおっしゃってた、あの、ほら、あの、10代の頃の気が感を30代の今の自分がっていう話をしてくれたじゃないですか。
はい。
で、えっと、その時にまた30代の気が感を、みたいな話をしてくれてましたけど、それこそ今のゆみさんの気が感って、どんなのがあったりするんですか?
たぶん、まあ、気が感っていう言葉なのか、不安というか、
ああ、不安ね。
それに近いのかもしれないんですけど、
うんうんうん。
たぶん、あの、まあ、えっと、人生いろいろ年いってくると変わって、
はいはい。
例えば、自分たちの親がいなくなったときどうするとか、
ああ、うんうん。
あとは、その、まあ、仕事の面で言っても、
うん。
あの、今は、例えば、例えば、今やってるその活動が、まあ、いろんな面で順調だけど、
うんうんうん。
このままでは、例えば、会員さんがどっか行ってしまわないようにいろいろコンテンツをこう作り続けなきゃとか、
なるほどね。
もっといろんな人に、このフィンランド的な要素を必要な人に知ってもらわなきゃみたいな、
はいはい。
そういう気が感はやっぱりずっと常に。
いや、まあ、会社そうですよね。
何年間、会社としてやってる以上っていうのがありますもんね。
そうそうそうそう。
それはね、もうそれ絶対的に。
それはそうだよね。
自分の仕事して研究家って言って、で、研究家って言っても、
はいはい。
民間研究家も実はちょっと限界があって、
うんうんうん。
やっぱりいろんな研究してる人たちとつながっていかないと、
その協力体制やらないと、
やっぱり自分がやりたい研究ってできないので、
うんうんうん。
そういった意味で、その大学とのつながりも作っていきたいなっていう、
そのビジネスするだけじゃない方向性もやりたいとか、
やっぱりね、あの気が感はめっちゃあるんですよ。
なるほど。
そういった意味で。
なるほど。
というか、渇望感というか。
はいはいはい。
まあ、でもそれはまあある意味なんでしょうね。
事業というか会社とかやっていく上での健全な渇望感というか。
そうですね。
まあ、あとは研究家であり続けたいっていう自分の、
はいはいはい。
欲かなっていうのもあると思います。
まあ欲、欲なの。
うん。
欲かもしれないですね、それは。
うんうんうん。
うん。
そう。
そうですか。
ビジネスやってるだけでは研究家ではないとか。
なんかね、あるんですよね。
なるほどね。
私の中でね。
だからね、それ多分ね、いわゆる人間なんで欲深いから、
果てしないんですよね。
うんうんうん。
怯えてるものっていうのは、多分これはね。
まあそうですね。
飢餓感に意識向けすぎると、飢餓感がなくなることがないかっていうとあり続けます。
24:02
あ、そうそうそうそう。
ね、か、ね、そうそうそうそう。
まあでも、なんか、やっぱそうやってなんか、
私の経験上をやっぱり過去の自分を今の自分が満たすみたいなことがこう自分の中にあるっていうのが分かったので。
はいはい。
まあ飢餓感とか不安とか欲望みたいなものあったとしても、
それはまあ人間なんで当たり前だなっていうのを横に置いといて、
あの日々淡々とやりたいこととやるべきことを繰り返していくっていう、
重ねていくか繰り返してか重ねていくっていう感じですかね。
なるほどね。
いやーそっかー。
いやーいいな。
こうやってお話をしている中で、
なんかすごく今回僕の中でも新しい扉が開いた感覚があってすごく嬉しいなと思っているんですけど。
本当ですか。
何かっていうと、
ほら、一応なんていうの、ポッドキャストの趣旨的に読みかけの本ではあるんですけど、
本を今、このハッピーバースデーの本を一冊で結構進んできたなーみたいなことを思って、
こういう風に一冊って初めてかもしれないと思ったら嬉しくなっちゃったみたいな。
本当ですか。そうなったんだ。
いやーほら、なんか結構人にもよって、別に全然何冊がいいとか別に全く意図はなくて、
なんか2、3冊みたいな人もいるし、
多かった方でどれぐらい?5、6冊とか8冊みたいな人もいたなーみたいなことを思った中で、
この一冊の周辺、一冊の周りをずっと語っていくみたいなのがいいなーみたいなことを言いました。
なるほど。
多分それは私が研究家気質。
かっこいい方ずっと研究家気質ですけど、私別にオタク気質だと思っているので、
一つのやっぱりことをずっと掘り下げて、
なんやかんやで自分の人生と重ねながら語るっていうのが、
今日本当にそういった意味でめちゃくちゃ楽しかったですね。
本当ですか。
私の世界観をいっぱい出せた感じがしているので、めっちゃ楽しいです。
こちらこそです。ありがとうございます。
ありがとうございます。
なるほどなー。
でも全然フィンランドの話してないですね、やっぱり。
やっぱりしてなかったですね。
一番別にそれを言ってもらったから聞くわけではないんですけど、
最近のユミさんは去年と比べてこれにすごい意識を向けているみたいなのってあったりするんですか?
そうですね。予想外のこと。
自分の今までの思考パターンとは違うことをするっていうのを心がけてたりとか、
27:04
なのでフィンランドの研究家であることのメインの軸は変わらないんですけど、
なんかちょっとスウェーデンの方を見てみるとか、エストニア見て、まあお隣ですけど。
なるほどね。
また韓国見てみるとか、なんかわかんないですけど、
ちょっと今までとは違うっていうところに意識向けていったりっていうのが、
今年のなんかちょっと変化ですかね。
新しいことをチャレンジするっていうよりは、
今やってきたこと、今までやってきたことをベースにしてちょっと違うみたいなことを、
っていう感じですかね。
それはなんかご自身のどういう気持ちの変化だったりからしてたりするんですか?
それは何でしょう。
それもなんとなくなんです。
なんとなくっていうのは、
私高山の田舎に住んでいるので、
毎日田んぼが広がる、山が広がるところで、
毎日歩いたりとかするんですけど、
歩いていたりするとふと来るんですよね。
そうか。
今まで私は自分のルーティンを確立するためにやってたけど、
ある程度フィンランドのね、こういう行ったり来たりする生活しているし、
それをちゃんと基盤を固めてきたから、
今度はちょっと違うことに挑戦すると、
自分の欲を満たすというか、
そういうのが出てくるんじゃないかな、なんて思って。
なるほど。
安定が見えてるからこそ、
違うことをやっていきたいなっていうことを感じましたね。
そういうところから来てるんですね。
そうですね。
なので、いつも会話しているのは、
自然と会話するものはなくはないですけど、
自然の中にいて一人で歩いていると音も何も聞こえないところなので、
雪が降ってるし音も遮られているので、
その中で自分の、もう一人の自分と対話するのは、
よくあるなって。
そうなんだ。
違うところっていうのは、
なんか別にその、
研究対象が国が変わるとかじゃない意味でのいろんな違い?
あるんだろうな。
そうですね。
最近なんか、
小さなところで行くと、
例えば私毎年1月は雪が降るので、
なかなか県外に出れないので、
なるほど。
冬ごもりしてたんですけど、
でも今年はちょっと金沢まで、
車で1時間半の金沢までは一泊行ってみようとか、
今までは困ってたけどとか、
30:02
ほんとそんなちっちゃなことの積み重ねなんですけどね。
確かにな。
でもちょっとそこの通常の流れからずれるだけで、
見える道も違うし、
そうですね。
感じられることも違いますもんね。
そうですね。
意外とそういうふうにやった方が、
出会いっていい形で広がっていくんだなとか、
なんか全く新しいところに行くと、
やっぱり今まで持ってたものを、
なんかゼロにしてしまうみたいなところがあるので、
なんかランダムにいろんな人と出会うんですけど、
ランダムじゃないんですよね。
なんかちょっと外れると。
今まで積み重ねてきたものもちょっと、
お話ししながら、
深い関係が築けたりとかするので、
なるほどね。
例えばここから一気に沖縄に行くってなると、
私にとってすごく新しすぎるんですよね。
感覚ね。
感覚の話でいくとね。
感覚の話でいくと。
深い範囲で行ける神奈川だったら、
ちょっと外すみたいな。
感覚的にはそれぐらいの、
距離感ですかね。
新しいところと違うところを撮影するっていうのは。
なるほどね。
そういうふうにおっしゃった後に言うのもあれなんですけど、
結構今年僕沖縄にいる期間が長くなる予定で、
そうなんですね。
ぜひ沖縄遊びに来てくださいって言おうと思ったんですけど。
いやでもぜひぜひ沖縄は行きます行きます。
沖縄は行きます。大丈夫です。
私の妹家族とか親戚沖縄に実際にいるっていうのも。
そうそうそうおっしゃってましたもんね。
はい、沖縄は。
さっきは例えだったんであれ。
ちょっと沖縄にしちゃったと思って、
北海道にしてればよかったなと思いながらですけど。
はい、沖縄は。リアルに沖縄は。
ぜひ伺いたいと思います。
ぜひぜひ。
いやなんかだんだんもういい感じの時間になってきたなみたいな。
ほんとですね。
はい、ことを思っています。
ありがとうございます。
実際なんか今日、今だいたい1時間ちょっとぐらいとかですけれども、
話していましたけど、ゆみさん的にはどんな時間でしたか?
そうですね、あの、
こういうふうな落ち着いたトーンでお話しするって普段ないので。
ああ、どういうことですかそれ。
普段はフィンランドの歴史とはとか、
フィンランドの幸福度一番の理由とはなんでしょうかみたいな、
そういうお堅い話をすることが。
いつもはこの声じゃないんですよね。
フィンランドではとか、
ちょっと声のトーンが違うんですよ。
なるほどね、そうなんだ。
そうそうそうそう。
なので、でも普段の雑談っていうかね、
普段の会話とはまた違う、
そのトーンで落ち着いて、
それでも、なのに落ち着いたトーンでお話ができていたっていうのは、
でもなんかそれは本のことを、
33:03
まあ、うすらとですけどね、
本のことを話すっていうのがベースにある。
本は、なんか私、
皆さんにとってもそうかもしれないですけど、
ゆっくりと静かに落ち着かせる要素なんだなって。
それは別に本を読んでなくても、
本のことを話すでもあるんだなって思ったので、
私の、
私にとってはオーディオブックとともに、
本を楽しむ時間にしたいなって改めて思った時間でした。
いやー、なるほどです。ありがとうございます。
ありがとうございます。
ちなみに毎回このポッドキャストがですね、
ちょっと時々忘れていることもあるんですけど、
終わるときに、
今日の話を受けた上で、
はたまた別に今日の話を受けなくてもいいんですけど、
最後にちょっと一つ、
ゲストの方に問いを置いてもらって終わっていく、
みたいなことをしています。
それこそこれを聞いてくれている方の中でも、
その問いみたいなものが心の中に残っていったらいいな、
みたいなことも思っていますし、
あとなんか、
最近、一番最初のゲストの方とかに言われたのが、
その問い、半年ぶりに聞いてみて、
自分に振り返って、
舞い戻ってきたよ、その問いが、
みたいなことを言ってもらったりして、
そういう問いっていいな、
個人的に思っていてですね、
何か一つゆみさんからもらって終わっていけたらなと思いますが、
今、心の中にある問い、
みたいなもの、
何かあったりしますか?
うーん、なんでしょうね。
うーんと、
えっと、腹8分目。
なんだけど、
美味しいって感じるものって、
今のあなたにとっては何?
っていうことですかね。
これは、
食べ物でももちろんいいんですけど、
全然違うものでも、
うん。
なんか、
自分にとってはもうちょっと欲しいなっていうぐらいなんだけど、
それでも十分満足できてる、
心は満たされてる、
みたいなものって、
今のあなたにとっては何だろうっていうのを、
これは多分、未来の私に向かって、
問いを多分、
置いていきたいなと。
あー。
なるほどね。腹8分目なんだけど、
あなたが、
あなたにとって今、
美味しいとか、満足できるとか、
っていう、
何かっていう。
なるほど。
ありがとうございます。
めっちゃ面白い問い。
大丈夫?ちょっとコンセプトがいろいろ、
グチャっとなってるときになっちゃったけど。
全然、全然。めっちゃ面白いです。
ありがとうございます。
この後、僕も朝ごはんを食べながら考えとく。
ぜひとも。
はい。
お願いします。
ありがとうございます。
じゃあですね、こんなところで終わっていこうかなと思っております。
改めてですね、
由美さん、ありがとうございます。
36:01
ありがとうございました。
ではですね、
次回の
読書のまにまにのゲストは、
えーとな、
今あと3、4人ぐらい、
日程決まってるんですけど、
順番が頭の中でごちゃっとなってて、
わかんなくなったので、
言うことなくなっちゃったなと思ったんですけど、
今後もついていきますので、
ぜひよろしくお願いします。
ではですね、みなさん、そして由美さん含めて、
みなさんありがとうございました。