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2025-09-12 12:58

AI時代に“大学”は必要か。入試の意味を語ります

「大学入試って、何のためにあるの?」

AIの台頭や新卒採用の変化で、昔の「良い大学=良い就職」神話は崩れつつあります。 では今、大学に入る意味って何でしょうか?

就職や資格に直結する“必要性” 自己効力感や言語化能力を育む“プロセスの価値” 大学でしか得られない“仲間や試行錯誤の場” 研究データや教育現場での経験を踏まえて、大学入試・大学進学の価値を改めて考えます。

テキストで読みたい方はこちら(note記事) https://note.com/mamo_thinker/n/nd6b6b73c0444

#大学入試 #大学進学 #学歴 #受験勉強 #教育 #AI時代
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サマリー

大学入試の意義について考察し、現代の採用市場の変化や学歴と幸福度の関係を探ります。特に、大学受験が自己効力感や言語化能力の向上に寄与する点が強調されており、バランスの重要性についても言及されています。大学入試は学歴だけでなく、自己分析や他者との繋がりを深める重要なプロセスとして再考されています。学びを通じて自己効力感を高めたり、人生の方向性を見つける機会として大学の持つ価値が強調されています。

大学入試の意義再考
はい、マモレスいかがお過ごしでしょうか。今回は大学入試の意味を再考する、大学に入ることの意味を再考するというお話をしていきます。
普段学習塾にいて、担任として生徒の受験のサポートをしているんですけれども、最近ふとですね、大学入試って何のためにあるのか、
あるいは大学って何のために入るのかっていうのを考えることが増えてきました。きっかけはAIの
台頭なんですけれども、よくある答えとして良い就職先に入るためっていうのがありますよね。
昔は学歴フィルター、今もあるのかな、学歴フィルターという言葉があって偏差値の高い大学に入ることが
良い企業、大企業に就職するための切符のように言われてきました。 でも今はどうなのか
ですよね。AIの存在によって企業の形というか採用も変わりつつあると思うんですよ。
アメリカでは新卒、若手の採用を控えたりとか、日本でも富士通さんが新卒採用を絞るというかしない動きを
見せていますよね。あるいは大学でその専門分野、スティーブを学んでおけば安心と言われたと決まりましたが、今ではそういった学科卒業の
しかもトップの大学を卒業している人が就職に苦労するというのもアメリカでは今起きているようなんですよ。
だから良い大学、これ学んでおけば就職大丈夫だよと言われていたものが徐々に崩れてきているような事象が起きています。
そもそも良い就職先に入る、その先に何があるかというと幸せだと思うんですよね。
じゃあ実際にその学歴と幸せって本当に関係があるのかという調べた研究が日本であるんですよね。
これは代表的なのが2018年、神戸大学と同社大学の共同研究で行われた
日本人2万人を対象にした調査というのがあるんですよ。これ幸福度に与える影響要素は、この研究結果の結論としては
1番は真摯の健康、2番より良い人間関係、あと自己決定ですね。自分の人生を自分で決めている感覚、自己コントロール感とも言ったりします。
その次に所得が来て最後は学歴なんですよね。正直学歴があれば幸せになるかというと全くそんなことなくて
それよりも真摯の健康とか人間関係とか自分の人生を自分で決めている感覚の方がはるかに重要ですよということが分かりました。
じゃあ本当に大学入試とか大学に入ることって意味がないのかというと必ずしもそうではないと
従来よりももしかしたらその価値っていうのは減っているかもだけどまあそんなことはないよねっていうのは個人的な見解になります。
自己効力感と成功体験
例えば職業的に必須の人っていますよね。代表例でいうと医師、司会、弁護士、公認心理師とか
特定の大学の学部を卒業しないと慣れない職業っていうのもあるのでそういった方々、そういった職業を目指す方々にとっては
もうどっちみち大学は必要だし入らなきゃダメですよねっていうのが一つです。
そういった方々はもう必須ですし、この先もそれはあんま精度が大きく変わらない限りはこのままだろうなっていうふうに思っております。
じゃあそれ以外の人たちはどうなのかというと
まあいい大学に行くのは成功体験になるとかあるけど、どちらかというと大学入試というのは結果よりもプロセスなんじゃないかなというふうに思っておりますね。
じゃあ具体的にどういうことかというと、やっぱり自己効力感の向上につながると思います。
自己効力感っていうのは自分はやればできるんだっていう自分の能力とかに関する自信ですよね、感覚ですね。
これは人的資本、自分の知識、経験、スキルとかを高める上でとても大切で、この人的資本というのが人との繋がりとか信用とかネットワークの社会資本につながって
最後はお金的な海の金融資本に変わるわけなので、この自己効力感を鍛える上で大学受験というのは使えるかなというふうに思いますね。
小さな成功体験を進めるからですね。勉強ほど運とかタイミングの要素に左右されることなく、正しい方法で継続すれば成果が出るってなかなかないと思うんですよ。
自分はそのビジネスで何かをしているわけでもないけれども、やっぱり運とタイミングの話ってよく聞くんですよね。いろんなビジネス成功されている方の本とか動画とかで。
勉強っていうのは大体その成果は出るんですよね。運とかタイミングに関係なく。
ただもちろんその第一志望に合格できるかいなかっていうのは運の要素も若干あると思いますね。
なんでかというと一生懸命頑張ってきた人でも第一志望に受かるのってせず3割ぐらいな気がしてるからですね。
運の要素も多少あるのかなと思うものの、勉強って結局は自分との戦いなので、最終的にはその正しい方向に努力をし続けたら成果は出やすいし、
仮に第一志望に受からなかったとしても、ミクロ、小さな視点で見ればどんな人の成果出てると思うんですよ。
例えば今までわからなかった問題が解けるようになったとか、とある分野が得意になったとか、
あるいはもしで偏差値40だったのが60になったとか、そういったものって本当に目に見えてわかるので、どんな方でもそれ層にあれば成果が出ると。
ゆえに小さな成功体験を積めて自己効力感を高めることにつながると思います。
言語化能力の向上とバランス
そういった中で得る戦略的思考というか日頃の考え方、行動習慣というのは後々でも役立つと思うんですよ。
勉強っていうのは誰しもみんな好きではない、好きな人もいると思うけど、それぞれ自分を立する力っていうのが必要になるんですよ。
目の前の誘惑に負けずにやるべきことをやるとか、あるいは目標を掲げてそれに向けてどういった行動をすればいいのかっていう考え方は
たぶん後々の社会人人生でもいけると思うので、そういった点でも受験勉強というのは役立つかなというふうに思いますね。
プロセスが意味があると。あとは言語化能力の向上です。
社会人で一番企業側が求めるスキルにコミュニケーションスキルっていうのがあって、これ結構不動なんですよね。不動の上位・下位には必ず入っていて
だいたい一番だと思います。一番コミュニケーション能力が欲しいよねっていうふうに企業側が新卒社員には思っているはずです。
特に大学入試における推薦入試っていうのは言語化能力の向上を高めるのにもってこいだと思うし、今であれば一般入試よりも徐々にその推薦入試でとる割合の方が増えてきているはずです。
推薦入試では一番大事なのは志望理由ですね。なんでこの大学なのか、なぜこの学部を志望するのかっていうのをちゃんと説得力を持って語られないといけないんですよ。
その過程で自己分析を深めたり、自分の小さなエピソードと絡めてストーリーにしてその説得力を持たせて話をするんですね。
あるいは志望理由書に書くんですよ。そうすると言語化能力もしくはコミュニケーション能力の強化にもつながると思います。
ながら大学受験っていうのはやった方がいいかなというふうに個人的には思ってますね。もちろんそのプロセスで自己効力感を高めること。
あるいは推薦入試であれば言語化能力の向上につながると。ただその推薦入試じゃなくても日頃の個別指導とかで受けて質問をするとか自分の解釈を述べるという時だと言語化能力自然と養われるんで頑張り次第では。
そういった点では大学受験におけるプロセスは言語化能力もどのみち高めるというふうに思っております。
もちろん注意点もあってだからといって勉強やりすぎはどうかなというふうに思いますね。
10代って貴重な時間なのでほぼ全てを勉強だけに捧げるっていうのもちょっとこれはこれで問題かなというふうに思いますね。
バランスが大事だと思います。いろんな経験をするっていう。ただまぁとことん受験の直前期とかも本当受験ばっかだと思うんですけど
それ以外の期間っていうのはちょっと遊びとかいろんな経験をしていいかなって思いますね。
でもちろんその自己効力感を高めるとか言語化能力を向上させるっていうのは別に受験じゃないと養えない力ではないと思いますね。
大学入試の意義
それ以外にスポーツに熱中することでも養われるもんだと思います。だから本当に勉強よりもスポーツでもう自分は一本でやりたいなっていう子は大いに結構かなと。
ただ正直熱中できるものがないと。家にいてもなんか ipad とかスマートフォンでなんか受動的娯楽をしてるだけであれば
勉強にちょっと取り組んだ方がいいかなっていうふうに思いますね。そして個人的には大学入試というか大学入学、大学に入ることは
セーフティーネットとしての意味もあると思っています。中高って大体その勉強と部活で日々が終わってしまう人が大体多いんですよね。
たまに娯楽が入ると。となると自分は何をやりたいのかどういったことに興味関心があるのかっていうのは分からないんですよね。
だからこそ大学に入っている4年間っていうのは人によっては6年間もあると思いますが、自分を試す時期だと思います。
アルバイトやインターン、旅、様々な人との出会いを通じて少しずつこういう感じがいいんじゃないかって方向性の仮説を立てる期間なんですよね。
そういった意味で試行錯誤の場として大学は価値があるかなっていうふうに思っております。
あとはコミュニティですね。何々大学っていう属性に入ることで、社会人、卒業した後もそういった繋がりというのは少なからずあるかなって思います。
あとは、娯楽を共にした仲間っていうのは結構大きいかなって思いますね。
自分に言うと一番しんどかったのが大学のゼミと卒業研究なんですよ。
同じようにしんどい思いをしてなんとか乗り切った仲間っていうのがいて、そのうちの一人とは未だに絡みがあるんですよ。
あの時の話もちょっとしたりします。そういった娯楽を共にした仲間っていうのを作るのが結構大学は貴重かなっていうふうに思いますね。
もちろんN高のように高校時代から興味関心を広げたり、娯楽を共にする仲間ができたりとか、多様な経験ができるっていう学校もあるんですけど、
そういった環境で正直少数派で、だからなかなか自分を試すと言っても試す場所がない。
だから大学になって初めてそういう自分を試すという場所になる人もいると思うんで、そういった意味で大学っていうのはまあ価値はまだあるのかなっていうふうに思いますね。
あといずれにせよですね、どっちみち学歴ってまだ効果ありますよねと正直言うと。効果というかその価値が薄くなりつつあるのかもだけど、
やっぱり早稲田大学とか慶応ですとか言ったらすごいなーってなって、それだけで信用信頼につながったりするじゃないですか。
自分はすごいと思いますもんね、頭いいんだって。そういった形で勝手にその相手の中で自分のイメージが上がっていくっていう、ただ高学歴に限るんですけれど、
そういったものもあるんで、いずれにせよ大学入試あるいは大学に入ることっていうのはまあ価値はあるよねって思いますね。
自己分析と人間関係の構築
ただちょっと薄れている気はするけれども、まあ十分まだ価値があるのかなっていうふうに思っております。
はい、まとめると大学入試の意味っていうのは将来の資格や職業に直結する人挑戦、大学行かなきゃいけないだろうし、
それ以外の人にとっても勉強を通じて自己効力感を高めたり、言語化能力を高めたり、自己分析をして自分という人間を成長させたりとか、
そういったプロセスにこそ価値があると思いますし、あとは大学に入ることでいろんな人との繋がりとか自分を試す機会ができたりとか、
あとはクラクをともにした仲間ができたりとか、そういった意味ではまだ大学に入試あるいは大学に入ることに関するおける価値っていうのはまだまだ捨てたもんじゃないかなというふうに個人的には思っております。
だからといって学習力に行く必要はないかなと思いますね。自分でできることはある。
で、自分でやることができることをやったけれどもなかなか成果に繋がらないよう、よくわからないよう、どうしたらいいんだろうという時に初めて第三者を頼るっていうのが正しい流れかなって思います。
はい、参考になれば嬉しいです。最後までお聞きいただきありがとうございました。それでは良い一日をお過ごしください。
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